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コアラだったら・・・。 [<九子の旅日記>]

旅というものは唐突に始まる。
次男Sが会社を辞めてオーストラリア放浪中なので、いつか彼が居るうちに会いに行きたいとは思っていた。
同じ事を長女N子も考えていて「いつか一緒に行こうよ。」と彼女からメールが来たのは4月ごろ。まあ、行きたいけどね。いつになるかしらねえ。
でもまさかそれがこんなに早い時期に実現するとは思わなかった。

ドイツには次女を連れて行ったから、今度は長女を、長女の苗字が変わらないうちに、一緒の思い出を作ってやりたかった。
「例のオーストラリア旅行の話、まだ生きてる?」という問いは、偶然8月の初めに九子が発した。
それに対してすぐにN子から勇んで返事が来た。
「12日から17日まで、休み取れるよ。」

半年先くらいを想定していたのに、彼女が休めるのは8月の12日からの6日間だけで、次の正月休みは難しいという。
え~っ、だってそんな急に。どう考えたって無理じゃない?あと10日も無いんだよ。

ところが世の中は変わっていた。パソコン上の旅行サイトでは、飛行機もホテルも、3、4日前ほどまで予約が可能だった!
長女も九子もパスポートは既に持っている。無理と言って断わる理由は無かった。

一泊は、例によって父が何十年か前にシンガポールで”where are you from?"のたった一言で写真を撮り、住所を交換したCさんのところに決めていた。
大変フレンドリーで(この言葉にきっちり合う日本語がまだ見出せないでいる。)、心優しく、心遣いの行き届いたご夫婦だ。
芸術家の奥さんから、世界でたったひとつ、彼女がすべてのページを描いた絵本を頂いている。
これからお世話になるだろう次男Sと顔つなぎも済ましておきたかった。

6日間あると言っても、成田からN子の居るところまでその日のうちに帰る事は難しく、成田で一泊しなければならない。つまりは3泊5日の旅というわけだ。

N子がどうしてもコアラを抱きたいと言うので、今現在コアラがたくさん居るサンシャインコーストのAustralia Zooが候補にあがる。しかもここは、次男が住むバックパッカー宿から車で1時間ほどだった!(次男は動物園の存在に全く気付かずに居た。その上たった一週間前に、おあつらえ向きに車を買っていた!)

これで行程は決まった。
成田→ブリスベン→アデレードのC家1泊→アデレード散策→ブリスベン1泊→動物園→ブリスベン1泊→成田へ

ところが!切符とホテルが取れて気が緩み、コアラを抱くのにチケットが要ることに気付かなかった。気付いたときにはもうsold out!
N子の悲しげな顔が目に浮かぶ。

なんとかならないかと思って、動物園にメールしてみた。そうしたら!!
コアラを長く抱ける切符はもう売り切れたが、ほんの少し抱くだけなら、一人25ドルで少し並べば抱けるとのこと。 やった~!

行ってみてわかった。そこはフジフィルムがやっているフォトスタジオで、25ドルはコアラを抱いた写真を撮ってくれる料金だった。
N子と次男S,九子の3人分だから、3枚で59ドルの割安を選んだ。
それにしてもフジフィルム、化粧品やったり、こんなところに目をつけたり、フィルムが下火になってからも頑張ってるんだねえ。

Cさんには「コアラはたまにおしっこするわよ。気をつけてね。」と言われたが、その場に居た誰も、被害にあった人は居なかった。
よく躾けられているのか、睡眠薬でも飲まされているのか???そう思いたくなるほど、コアラはおとなしく、眠そうだった。
koara.jpg
Australia Zooは、言うまでも無く上野動物園とはえらい違いだ!
すべての動物を極力自然のままで、即ちほとんどが放し飼いの状態で育てている。
九子など脚が痛くて卒倒する一歩手前くらいたくさん歩かされたが、広大な敷地の中で自然のままの生活が出来る動物たちは本当に幸せだ。
切符を買えば動物に餌付けも出来る。カンガルーのえさなどは切符など無くてもすぐに買えて、掌に載せればカンガルーが擦り寄ってきて食べている。日本で言えばそんじょそこらのウサギやハムスターと同じ感覚。

オーストラリア、オーストラリア。九子の中で長い間、この国はずっと異国だった。
外国と言えばアメリカかヨーロッパしか頭に浮かばなかった。ペンパルが住んでいるとは言え、コアラとカンガルー以外思いつかない遠い遠い国だった。

ところが今回実際に訪ねてみて、本当に良いところだった。
次男がかの地を選んだ訳がわかった。
彼は大学時代一月だけホームステイを経験した。その時彼は帰ってくるなり、「一ヶ月じゃ短かすぎた。最低一年は住みたい。」と言った。
それが6年越しの今回の放浪につながったわけだ。

世界で住み易い都市10のうちの4つがオーストラリアの都市なのだそうだ。
人々は皆フレンドリーで明るく、一度も人種差別の絡んだ嫌な思いをしなかった。
都市機能は充実しており、ホテルや家々の構造も、アングロサクソン系の大男大女がゆったりとくつろげる大きさと快適さを備えている。

アデレードに限って言えば冬とはいえど最低気温は5度ほどで、雪が降ることはない。
温暖な気候の故か、人々は皆気持ちがゆったりとしているようだ。

日本は島、オーストラリアは大陸の違いはあるとは言え、外敵の侵入を海と言う自然の防護壁が守ってくれるせいか、内なる平和のみを追求して来れた幸福な二つの国には、人々の優しさと言う共通点がある。

まずは他人を信じられること。同じイギリスを旅立って新大陸を目指した人々だが、残念ながら他人を信用できずに銃を持つに至ったアメリカと、オーストラリアの差は歴然としている。
オーストラリアには人を襲うような獰猛な動物が少なかったからだろうか。ワニは居ても彼らは人間のテリトリーを犯したりしない。

他人を信用して暮らせる国は、そしてそこに住む人々は幸福だ。人々が無防備であるというのは、その国の幸福を測る尺度かもしれない。


このところ女優の高畑淳子さんの売り出し中の息子が大変な罪を犯して話題になっている。
母親である高畑さんの記者会見を見て、いろいろな想いが胸をよぎった。
彼をたった一人で育ててきた母親の思いがほとばしるような会見で、まぶたが熱くなった。

彼女は息子に言い聞かせてきた事をこう語った。嘘をつかないこと。人様にご迷惑がかからないようにすること。人様に感謝すること。
日本人なら誰もが思い当たる、簡単なようで難しい、日本人として生きるための術だ。
日本人のたぶん9割が、この中の最低どれか一つは戒めとしていると思う。

高畑さんの息子は、ちょっとおかしな人と言われていたそうだ。空気読めない言動から、発達障害を疑われても居るらしい。
現在では「自閉症スペクトラム」と呼ばれるような人々は、みんな多かれ少なかれ人と違う得意なこだわりを持つ。そのこだわりの内容が人に危害を及ぼすものであれば、なるべく早いうちに矯正しておかねばならない。

生まれついたわが子が普通に育って、悪いこともせずただただ穏やかに眠っているだけのコアラのような子供だったとしたら、母親の子育てはどんなにか楽だろう。 だけど実際は、コアラじゃなくてカンガルーだったり、熊だったり、ライオンだったりする。そしてそういう本性は、母親の前では隠したがるもののようだ。

手塩にかけて育てたつもりのわが子がとんでもない罪を犯す。人様の身体や心にとてつもない傷をつける。そして、罰せられる。
親としてこれほど切ないことはないし、自分の子育てのどこかに誤りがあったという事実を突きつけられる。

忙しい合間を縫って弁当を作り、息子の遅刻が多く、成績が悪いのを案じる母の姿。そして、こんなに家族に迷惑をかけてしまった息子であっても、最後は自分の元へ戻っておいでと涙する高畑さんに共感を覚える人も多かろう。

女優さんだから、計算ズクで、心とは裏腹どんなことでも言えると考える人は、きっと誰かにに傷つけられたことのある人だろう。
平和ボケの日本で育ったうぶな九子は、とてもそんな風には思えない。物事をまっすぐにしか見られない。


高畑淳子さん、40歳近くなってからの遅い息子を良く一人で頑張って育てられましたね。
あなたがコアラだと思って育てた息子は、どうやらライオンだったようです。
最初からライオンとして育てられればよかったけれど、それを見抜くのは至難の業です。
見抜けなかったことは母親の罪なのでしょうか?

うちにも息子が3人居りますが、とりあえず3人ともコアラのような息子たちでした。もしもその中にライオンが1匹でも混じっていたら、今頃自分は安穏として暮らしていられたかどうか、甚だ疑問です。

コアラに見えてもいつ猛獣に変身してしまうかわからない危うさは、すべての人間が持っています。抱えています。

九子が若い頃、同じような事件に巻き込まれた大女優さんが居ました。荒木道子さん。きっとご存知でしょう。
息子がヒット曲を出して売れていた最中、女性に対する同様の罪で逮捕され、以来彼女は九子の知る限り、表舞台に登場することはありませんでした。

そういう時代だったのです。母親は何も語ることなく芸能界を去って行きました。着物の似合う真面目なおかあさん役が良く似合う名優でした。

あなたがああしてテレビカメラの前に自らをさらし、釈明されたのはいい意味でも悪い意味でも今の時代 を表していると思いました。
釈明の機会を与えられ、贖罪のために仕事を続けたいと訴えられた。
あなたには与えられた機会が、荒木道子さんにはたぶん与えられなかったのでしょう。
昔の人たちは本当に可哀想でした。

あなたの姿は、もしかしたら何日後、何ヵ月後、何年後の私かもしれません。
人事ではなく、頭に刻み付けておきたいと思います。


Australia Zooのコアラの感触をもうだんだんと忘れてしまいがちな九子である。
ただ、とても温かかったことだけは妙に記憶にある。
子供たちを抱いたとき、考えてみればいつもとても温かかった。夏などは熱くて汗が出るほどで、出来たら抱きたくなかった。

温もりは生きている証だったと父が亡くなった時に気がついて、はっとした。
血の通った生き物は、みんな温かいのだ。そして死んだ途端に冷たくなる。

 
「生かされている。その事ひとつに感謝して暮らせ。」とよく禅寺でも言われるが、なかなかどうして難しい。





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電話にご用心! [<正統、明るいダメ母編>]

九子んとこは一応商売やってるせいか、迷惑電話がしょっちゅうかかってくる。
たいていがマンションやらゴルフ場やらの売買に関するもので、そういうのはたいてい「要りません。」の一言で片付ける。
大体汗水たらさずに、電話一本で商売しようって言う根性がせこい!
一度本当にそう言いかけたが、考えてみればこっちだって汗水たらしてるわけじゃあなし・・。 結局言えずじまいだった。(^^;;

中でも特にゴルフ場の勧誘がしつこい!何度も何度も断わってるのに、性懲りも無くかけて来る。
「うちは売る気も買う気もありませんから、リストから外してください!」と言ったが、それでもまだダメだ。
末端の情報が上に届かずに同じ間違いを何度もしてくるなんて、お先真っ暗な会社だよね!
(九子に言われたくはないだろうが・・。(^^;;)

先日、そんな類の電話がまた一本かかってきた。これもあまた来る電話サービスの乗り換え電話だった。
ところが、こういうのを「魔が差した」というのに違いないのだが、「一ヶ月に千円以上お得になりますよ。今のサービスそのままですよ。」というのに、主婦魂がむくむく頭を持ち上げた。「お得」な話に何より弱い九子である。

気がついた時にはセールスマンが来て(びっくりした事に相手は大阪の会社で、関西弁丸出しだが、あんまり押しの強くなさそうな若い社員だった。)、「今と何ひとつ変わりませんからご安心ください。」と言い、二日後にはN社からS社に乗り換える工事をするという。
「大丈夫です。工事の費用もすべてこちら持ちですから。」

彼は帰り際にプチプチに包んだ箱のようなものを置いて行った。「これを工事の人に渡してください。」

やって来た工事の人はいかにも職人さんという風だった。そしてずいぶん時間をかけて、N社の光電話の装置を外した。ネットも同時に出来る装置だったので、外したらネットが出来なくならないか心配だったが、テーブルテレビ会社の別のアダプターがしっかり接続されていたのを確認して安心した。

ところがその人がこう言ったのだ。「あれ?このもらった機械、電源ランプが付かないよ。おかしいよ、これ。だって振るとからから音がするんだもの。故障品ですね。」
えっ?最初から故障してるなんて、あり得るの?

プチプチに包まれてて全然わからなかったその機械は、ひどく使い古した感のある中古品だった。これじゃあ壊れてるって聞いても全然びっくりしない。

その上、それはISDNの機械だった。「えっ?いつの間にISDNになったの?そんな事一言も言われて無いのに・・。」

S社に電話した。「ひかりをISDNにするなんて、何の説明もありませんでしたよ!その上頂いた機械、壊れてるって工事の人が言うので至急別のと取り変えて下さい。」

S社というのは、聞いてみると結構トラブルの多い会社らしかった。実は工事の人が開口一番「えっ?またS社ですか?」と言ったのだ。

うちの場合は機械そのものが壊れていたのだが、本来工事の人は付け替えのみの担当で、S社は「あとは電話が通じるまでお客様の努力で」というスタンスだった。そのため、機械に弱いお年寄りとかが、困りきって工事の人に頼み込む。工事の人はもともと親方日の丸N社の人だから「電話が通じない」と言われるのに一番弱いので、サービスで個々の設定をやってあげることが続いていたらしい。

一応別の機械が送られることになり、それにしても届くまでどうしようと頭を抱えていたら(もうこの時点でN社の機械は外されたのみならず、契約も打ち切られてしまっていた!)、工事の人がやおら車の中から自前の機械を持ってきて、「お店やっていられるんじゃお困りでしょう。届くまで使っててください。」と言ってくれる。

もう、こんなにN社が有り難いと思ったことは無い!たかが月額千円や二千円の違いで切り替えるんじゃなかったと後悔してももう遅い。

二日後、S社から機械と共に、文書が届いた。何かあった時の相談窓口は、S社よりも先に、機械の製造メーカーのサポート窓口と、NTTの故障係が書いてある!!

何!これ!電話売っておきながら、自分とこじゃ責任取れないってこと?いや、責任取らない主義?

届いた方の機械で、とりあえず回線は復活した・・ように思えた。

あれ? 異変に気がついた。
電話が鳴るとファックスも必ず鳴って、数秒以内に電話に出なければ自動的にファックス受信になってしまう。

その上、ナンバーディスプレイが表示されない!!

ナンバーディスプレイについても事後通告で話があった。セールスマンは「今までと変わらない。ナンバーディスプレイは無料で表示されます。」と言ったのに、表示されるのは携帯電話からの通話のみ。固定電話からの番号も表示するとなれば、月々1800円だと??

ぶち切れた! もう契約解除だ!N社に戻るぞ!

書かれてあったNTTの故障係が丁寧に対応してくれた。別番号へかけ直して相談したところ、もう契約は解除された後なので新契約扱いになり、24000円かかるそうだ!

ナンバーディスプレイ、使ってみるとこれほど有り難い機能は無い。店にお客様が見えたとき、電話が鳴ったら無視は九子のポリシー。それがナンバーディスプレイのおかげで、こちらからかけ直す事が出来るのだから。

う~ん。月々1800円か、今の24000円か。 どっちにしてもうかつにS社にしたのが心底l悔やまれる。

 
ところが九子はやっぱり強運だ!
電話とファックスの混線の相談で電話していたNECの(有り難かったから企業名を書く)サポートの人が、混線の回避の仕方と同様に、ナンバーディスプレイの表示の仕方も教えてくれたのだ!
なるほど!電話会社に頼まなくても、ターミナルアダプタにその機能が付いている機種があったんだ!

S社は本当になんにもしてくれなかったが、数ある中古のISDNのアダプタのうち、その機能つきのアダプタを偶然(これは事実。)送ってくれたことだけは褒めて取らす。

それにしてもSさん 、いろんな人に聞いたけどS社、評判悪いよ。大きくなりすぎて末端まで意向が伝わらないの?
イギリスの電話会社なんか買収してるお金があるのなら、社員教育ちゃんとして、説明責任果たさなくちゃ。
電話会社名乗る以上は、N社と電話機器メーカーにおんぶに抱っこはあんまりじゃないの?

皆様もどうぞお気をつけて。(^^;;




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ONE OK ROCK とTaka [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

確かあれは三男の結婚式の日。軽井沢のホテルに向う車の中でのことだ。子供たちが一堂に会すのは、もうこんな機会だけかもしれない。

次男が持って来たポテトチップスの筒型スピーカーで、次女が一心不乱に音楽を聴いている。ポテトチップスを10缶買うともらえたらしい。
おもちゃみたいなスピーカーの性能にも興味が湧いて、ちょっと聴かせてもらった。

 
流れて来たのは美しい英語。中性的な声の主がのびやかに歌っていた。ああ、綺麗な声。あれ?そのうち日本語。えっ、この子いったい何者?
「これ、誰?」と娘に聞くと、「one ok rock のtakaだよ。ほら、森...なんだっけ? ママたちの頃の有名な歌手の子供。」

ははーん。ピンと来た。
森進一と森昌子の息子だ。昔確かジャニーズに居たけど、勉強を優先するとかで辞めた子だね。
ネット画像で見るtakaは、父親の口元と母親の目元をそのまま映しこんだような顔立ちだった。

次女の感性はなかなか鋭い。彼女がファンになるのは、決って実力があってビッグになるグループばかりだ。

いや、one ok rockはもう十分過ぎるほどビッグだった
。アメリカ、ヨーロッパのツアーで、一年の半分は日本に居ないらしいし、ワーナーブラザーズという大看板がアメリカのスポンサーだそうだ。

takaの英語は専門家も絶賛しているらしく、100%ネイティヴの発音と言われている。

ヴォーカルの英語力に関してはその巧拙が海外進出を左右するようで、かのX-Japanが日本だけで留まった理由もその辺のところらしい。

takaは所謂帰国子女でも、インターナショナルスクール出身でもない。
幼い頃から父親の歌ばかりを聴かされ続けて育った環境と、プロの演歌歌手二人のDNAを受け継いだ結果、耳が非常に良いのだろうと思う。

 
美空ひばりが、意味などわからなくても、完璧な英語で歌えたのと同じ理屈だ。
もちろん彼は英語で作詞もする訳で、英語を習得する努力も厭わないのだろう。

森進一は、九子よりも少し年上の戦後の混乱期真っ只中の生まれだ。

 九子はもちろん戦争は知らないが、九子の小さい頃、街にはまだ傷痍軍人(しょういぐんじん)と呼ばれる軍人(の格好をした人)が、よれよれの軍服や厚手の着物を着て軍帽をかぶり、筵の上で短くなった手足をさらして物乞いをするのを何度も見かけた。


あの時代、軍隊の悪しき風習だろう体罰は、今よりもずっとずっと当たり前だった。
九子の小学校の先生もすぐに平手打ちが飛んでくる厳しい先生だったが、母親たちの尊敬を集めていた。

そういう時代に、聞けば、貧しい家庭で苦労して育った森進一は、血のにじむような努力をして日本一の演歌歌手にまで登り詰めた。
そうして頂点を極めてリッチになった彼が、今の贅沢な生活に甘んじることなく、苦労も厭わないように子供たちを厳しく躾けて、時には体罰も辞さなかったというのは、なぜか当然の事のように納得してしまう九子が居る。

いつの時代もそうだろう。厳しく躾けて伸びる子と、厳しくされると萎縮してしまう子がいる。厳しくされて結果を出す子は、もともと強い子だけだと思う。
長男長女は厳しく叱って育てたけれど、下になるにつれていい加減になっちゃったわという方、多いんじゃないかしら?

そして、手を抜いて育てた下の子のほうが、結構逞しいのよね・・という事も。

takaは強靭な意志と反骨精神を持った強い子供だった。
厳しく躾けられても、それに反発し、抵抗する強さを持っていた。
親の敷いたレールどおりには歩まなかった。
彼が歩んだ道が順風満帆ではなかったことがそれを示している。

one ok rockというバンド名は、結成当時午前一時頃からバンドの練習を開始していたからだそうだ。
ジャニーズを辞めて、精神的に辛い何年かを経て、新参者のヴォーカルとして入ってきたtakaだが、彼は若い頃から「オレがお前らをきっと世界に連れて行く!」と豪語していたそうだ。その夢が、もはや現実となった。
まだ15や16で、「オレはオマエラを世界に連れて行く!」と宣言出来る自信は、いったいどこから来たものなのだろう?

昭和の時代、作詞家は作詞だけを、作曲家は作曲だけを、そして歌手は歌い手と言われて歌うだけだった。
ところが現在は作詞も作曲も自分でこなすアーティストばかりになった。
相変わらずの分業が残っているのは、takaの両親が今でも属している演歌の世界ばかりのようだ。

演歌というとどうしても「私を見捨てないで!」という女々しさが鼻につく。それが九子があんまり演歌を好きではない理由の一つだ。
「私を見捨てないで!」を英語にすれば、ちょっと強引だが、”Don't go!"だ。
そこでtakaが作った曲のなかで、”Don't go!"を探してみた。あるのか、ないのか?
  
あった!"Mighty long fall"に。


 
ところがこの"Don't go" は、全然女々しくなんかなかった。
「そっちへ行ったらドン詰まりだぞ!行ったらダメだ!」という警告として発せられていた。

 
takaの詞には決意がある。「失恋して寂しいよ~、心が痛いよ~という弱気な歌詞はあっても、決して「オレんとこへ戻って来い。」は無い。
ましてや「オレを一人にして行かないでくれ!」は絶対にあり得ない。
すべての歌詞が「オレは前だけを見続ける。希望はある!夢を持て!後ろは絶対に振り向かないからな!」という気概にあふれている。
もしかしたらこれがtakaの、親の音楽に対する反発であり、命がけで表現したかった彼のロック魂なのかもしれない。

X-Japanも才能あるロックバンドだったと思うが、彼らの描くものはどちらかと言うと「血まみれの狂気の世界」だった。
だからどこか、浮世離れした病的な感じを受けた。
ところがtakaが描く世界は、現実であり、ごく普通の男女の出会いであり、別れだ。
そして、絶対に後戻りをしないで、前だけを見つめて歩き続ける強い覚悟がある。

takaの強さの理由だが、もしかしたら父親の体罰と無縁ではないかもしれない。
体罰というのは究極の自己否定だ。それを乗り越えて確たる自己を確立するのは、よほど強い意志が無ければ出来ないはずだ。
そしてそう出来る強さを、takaは幸運にも生まれつき持っていたのだと思う。


takaは若干30に手が届くか届かないかの若さながら、そういう生き方を10年、20年続けてきた。
それに比べたら政治家が昨日今日思いついて口にするスローガンなんて薄っぺらに思える。

ONE OK ROCKは、数年を経ないうちに世界屈指のロックバンドになるだろう。
そして、今私たちが英語交じりの歌詞をかっこいいと憧れるように、世界の人たちがtakaの使う日本語に惹かれる日がくるのかもしれない。

その時も、会場でtakaが叫び続ける言葉は同じ。
「前を見ろ!希望はオマエラの目の前にある。後ろを振り返っちゃダメだ!」

ロッカーはファンにとってはいつでもまぶしいカリスマだけれど、takaの変わらない言葉は日本人すべてをも突き動かす力がある。

ポテチの缶の不思議なご縁だ。
ONE  OK ROCKを聴き続けよう。( ^-^)

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雲切目薬がミステリー小説に出ました! そして・・ [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]

雲切目薬を初めて注文して下さった方には、たいていその理由を聞いている。店で買って下さったのか、どなたかのご紹介なのか、
何かの記事で読んだのか。大部分の方々がこのうちのどれかの理由である。

ところが!
そのメールに書かれていたことは驚きを通り越して卒倒しそうだった。

理由) 内藤 了著 「Zero 猟奇犯罪捜査班 藤堂比奈子」(角川ホラー文庫) の中に出て来たので使ってみようと思って。

その上この本、そんじょそこらの本ではなかった。今もフジテレビで番宣が入るが、7月12日(火)夜9時から(次週より10時)の、今をときめく波瑠さん主演の
「On 異常犯罪捜査官 藤堂比奈子」の原作というではないか!

えっ?ってことは、雲切目薬がテレビに出るの?

もちろん九子はすぐに原作本を買ってみた。薄くて読みやすい本だ。アマゾンレビューによると、この「Zero」は未発売の「One」の序章だそうで、
この2冊が揃って1冊扱いらしい。

ZERO  猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子 (角川ホラー文庫)

ZERO  猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子 (角川ホラー文庫)

  • 作者: 内藤 了
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
  • 発売日: 2016/06/18
  • メディア: 文庫




つまり、雲切目薬がテレビに出るとしてもすでに撮り終えているだろう現シリーズ「on」じゃなくて、次のシリーズということになるのかな。

内藤氏はここ2、3年でめきめき力を付け、上記テレビドラマの原作となった藤堂比奈子シリーズ「on」で日本ホラー小説大賞の読者賞を取った。
えっ?そんな凄い人なのに、長野じゃ誰も知らないよ。だって、コンビ二なんかには置いても無いし。ああ、大きな書店に行けばあるのだろうか?


いつもならおどろおどろしいホラー小説など敬遠してしまう九子だが、雲切目薬が出ているとなったら話は別だ。

確かにテンポが早く、読みやすい。

その上、内藤了氏の郷土愛が本の隅々に満ちあふてている。
まず主人公藤堂比奈子の帰省先だが、もちろん長野市で、それも横沢町という善光寺の西隣。内藤氏が通い、九子も通った高校の通学路でもある。
新幹線が金沢まで延びて新しくなった長野駅で如是姫像が低くなったとか、善光寺の梵鐘が4時に鳴ることなど九子は長い間忘れて暮らしていた。

結局彼の溢れ出る郷土愛のおかげで、雲切目薬は取り上げられたのだ。
もっとも主人公比奈子が一番頼りにしてる小道具は、八幡屋礒五郎の七味唐辛子の小缶だ。上京する時、亡くなった母親が「進め!比奈子!」と書いてくれたその缶をいつもポケットにしのばせていて、気合を入れる時にはガムに振り掛けたり、そのまま舐めたりと言う風に使われる。

雲切目薬は少なくとも比奈子が自分用に買ったことになっている。用意していたお土産が不満な同僚に、自分の分の雲切目薬をあげることにする。
ところがここで出てくる雲切目薬は30年前の」「善光寺雲切目薬」。つまり、しみてしみて目も開けられない雲切目薬なのだ。

比奈子が止めるのも聞かず勢い良く点けてしまった同僚は、長いこと予想だにしなかったしみさ加減で目も開けられない。、おそるおそる目を開けてみるとぱっちり視界は開け、「なるほど!これぞ雲切だ。」という具合に出してもらっている。

内藤了氏はものすごく才能のある作家さんだ。わずか数年でここまで登り詰めたというのもそうだが、最初書いていたのはもっと古風な題材だったのに、応募する賞に従って書き方を変えて書いているような印象だ。本当に凄い作家さんがよくぞ長野市に生まれてくれたものだ。

この上はテレビに出してもらえるかどうだけど、八幡やさんみたいな大会社なら金銭面の相当量の貢献は期待できるだろうが、メリットの無い雲切目薬では難しい気がする。でも、ここまで来たのだから、最後まで期待してみていよう。( ^-^)

九子のこんなどうでもいい紹介を読んでいる暇に、どうぞ角川ホラー文庫を手にとって見て下さいね。
そして7月12日(火)夜10時、フジテレビも忘れずに。

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出会いの不思議 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

人は皆、毎日必ずと言っていいほど誰かに会っている。
人だらけの都会に住めば特に、誰かとすれ違わずに一日を送ることは不可能に近いだろう。
でもそうやってすれ違うことを、「出会い」とは言わない。

「袖摺りあうも多生の縁」という言葉がありながら、袖が摺りあっただけでは縁は生まれないのだと思う。
満員電車で袖すりあっても誰も何も言わないだろうが、ごめんなさい、すみませんと会釈するのか、なじって荒々しい言葉を投げつけるのか、そういう次の一手があって初めて、「ご縁」が始まる。

考えてみるとネットで行き交う何億人の人々の中で交流が始まるということも現代の袖の摺りあいではなかろうか。

結婚するなどと思いもよらなかった息子が、縁によって結ばれた。
彼と彼女が出会った不思議さを考えると、確かに「ご縁」というのはあるのかな?と思う。

一年以上前の文藝春秋に(週刊文春じゃありません。(^^;;)、高倉健さん追悼の記事が載っていた。書いたのは沢木耕太郎氏。ノンフィクションライターとして著名な方である。

沢木氏は当時モハメット・アリの試合をつぶさに見ていて、アリの引退試合になるだろう今回の試合は、若く勢いのある相手に初めてのノックアウトを浴びるかもしれない、そんなアリを見たくないという気持ちがあって、ラスベガスで行われる試合のチケットを取るのをためらっていたそうだ。

そのうちにやはり見ておきたくなってアメリカ在住の知人に頼んだところ、チケットは3万枚のうち29997枚が売れてしまい、とてもじゃないが手に入る状況ではないという。
モハメッド・アリ氏の訃報が最近届いたばかりだが、彼が当時いかに人気のあるボクサーだったかがこれでわかる。

それでもなんとかと更に知人に頼み込むと、すでにチケットを手に入れていたある人が「そういう事情なら自分が見るよりもその人が見たほうが役に立つと思う。」と快く譲ってくれたのだそうだ。

その「ある人」こそが誰あろう高倉健さんだった。

沢木氏はせっかくの試合をみられなくなってしまった健さんのために、結局はアリがテクニカルノックアウトで敗れた試合の一部始終を夜中から明け方までかかって、健さんに長い長い手紙でしたためた。

それが高倉健と沢木耕太郎との出会いだった。
健さんはその手紙を読んで、沢木氏からの仕事の依頼ならどんなことでもするから、いつでもあけるから絶対に断わらずに受けるようにと事務所に伝えた。

ある時はラジオ出演の依頼にも快く応じ、テレビ局ならいざ知らずラジオ局では自分のギャラはとても出せないだろうからタダで良いと金を受け取らなかった。

沢木氏の娘さんがまだ小さい頃アパートに突然健さんが立ち寄り、手作りらしい鞄を手渡すと、風のように去って行ったこともあるという。
沢木氏の鞄が古ぼけて破れかけていたのを前にあった時に見ていたのかもしれない。

その後ごくたまに、ホテルの喫茶室で、酒が飲めず甘党の健さんにあわせてアップルパイとコーヒーで、たわいの無い話をするようになった。

ある時仕事の話になり、実は今ロバート・キャパの伝記を訳していると言う沢木氏に健さんは「キャパっていうのは、どういう人なんですか?」と尋ねて来た。

それに対し沢木氏はこんな風に語った。

<原文のまま>

スペイン戦争が終わり、しばらくアメリカへ行っていたが、第二次世界大戦が勃発し、キャパはヨーロッパに渡り連合軍に従軍して写真を撮るようになる。その時ロンドンで美しい女性と恋に落ちる。
アメリカ戦線から戻り彼女と再会すると、キャパはホテルに高価なシャンパンを用意して楽しい夜を過ごそうとする。ところが、戦線の状況が急変するや、美しい恋人と飛び切りのシャンパンを残したまま戦場に向かってしまう・・・。

 私がそこまで話すと、その説明を黙って聞いていた高倉さんがつぶやくように言った。
「どうしてなんでしょうね。」
私は意味がうまく取れなくて訊き返した。
「えっ?」
「どうして行っちゃうんでしょうね。」
「・・・・・・・・・」
「気持ちのいいべッドがあって、いい女がいて、うまいシャンパンがあって・・・。どうして男は行ってしまうんでしょうね」
 私がどうとも反応できなくて黙っていると、高倉さんが独り言のようにつぶやいた。
「でも、行っちゃうんですよね。」
 そこには複雑な響きが籠もっているように思えた。そして、私は思ったものだった。高倉さんも、どういうかたちかは正確にはわからないが、かつて「行ってしまった」ことがあったのだな、と。


沢木耕太郎氏、恐るべし!
健さんの一言で、そこまで読み取る?
あっ、そうか。
健さんが、あの映画の朴訥とした独特の語り口で肩なんぞ丸めながらこのセリフを言えば、自然に伝わっちゃうものなのかもしれない。

そして沢木氏は昭和22年生まれ。きっと高倉健と江利チエミの結婚と離婚の顛末を熟知していたのだろう。

江利チエミと言う人を九子は良く知らない。美空ひばり、雪村いづみと三人娘と言われていたことは承知しているが、どちらかと言うと三人ともそんなに好きではなかった。ファンの方には大変申し訳ないが、三人とも勝気で、あけすけで、品がない気がした。九子がその頃、勝気な人が苦手であったためかもしれない。

高倉健があまた出会ったであろう共演相手の美貌の女優を差し置いて、愛嬌はあるが美人とは言いがたい江利チエミを妻に選んだということ。
それはまさに、健さんの感性だったに違いない。
健さんは何よりも感性を重んじる人で、感性を常に高めておくための努力を惜しまなかったということだ。

離婚は望まなかった健さんだが、家族の金銭問題が高倉健にまで影響するのを怖れた江利チエミが離婚を強く言い張った。
彼女ならそうするかもしれない・・というくらいは想像がつく。

それが健さんの「行ってしまった」負い目だったのかどうかはわからない。でも高倉健は、彼女亡き後、途切れることなく命日に墓参りを続けていた。


出会いの話をしているつもりが、いつのまにか別れの話になってしまった。
出会いと別れは裏表。出会いが「ご縁」であるならば、別れもまた「ご縁」なのだろう。

「ご縁」つまりは仏様の、神様の、キリスト様のお導きと思えれば、相手に対する恨みつらみも薄まって、お互いの幸福を祈って穏やかに別れる事が出来るのかな?

結局夫婦どちらかが人間的に出来ていて、その出来てる人の努力で結婚生活という危ういものは成り立っているような気がする。
「結婚は毎日の辛抱だ。」とM氏が言う。 「こんな楽チンな毎日は無い。」と九子が言う。
我が家ではM氏と九子いったいどちらが出来た人なのか?
もうお分かりですね。(^^;;


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人をだますということ [<九子の万華鏡>]

ショーンというちょっと品の良い響きのある名前を持つ人は、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの息子のショーンレノンくらいしか思い浮かばなかった。
それがこの頃この人の事が連日マスコミに取り上げられている。ショーンさん。いや川上氏と呼ぼうか。

ショーン・マクアードル・川上氏。まあ男前の、声はとってもセクシーな男性で、その上問われたことに対して的確に答えることが出来る。
あんまり見た目ぱっとしない評論家さんに出てもらうよりもお茶の間受けするということで、彼の出場回数は増えて行ったのだと思う。

そもそもこういう事が問題になるのは、テレビに出てる有名人に限られる。
九子が、実は東大卒なのよなどと言ってみても、誰も信じないし、間違って信じてくれる人が居ても世の中にはなんの影響も無い。
たぶん大多数の人は、権威ある人の言葉の方をより信じる。
たとえばテレビで芸人さんが言う意見よりも、大学教授が言った意見のほうが真実に近いとほとんどの人が思うだろう。
川上氏がしてしまった学歴のウソで(英語では’academic fraud’と言うそうだ。)彼の責任を追及したい人たちが一番怒っているのはそこだと思う。

アメリカの大学を出て、ハーフのイケメンで、たくさん勉強して物事を良く知ってると思ったから彼のいう事を信じて聞いていたのよ。
大学も中退で一般人と同じレベルの人なら、全然説得力無いじゃない!

こうしてみると学歴というのは案外いろいろなことを左右するようだ。
学歴の高い人の言葉を信用する風潮は、学歴の高い人そのものを崇め、無批判に賞賛することにも通じているのかもしれない。

上でショーンさんと書いたが、日本語は良く出来ていて、さんづけするという事は、九子の中で川上氏の印象がさほど悪くないという事を示している。

じつはこれには理由があった。
騒動の最初の頃は九子も「えっ?そんなことしたの?」と川上氏のことをさげすむように眺めていた。

ところがある日、この人が登場したのだ。脳生理学者の茂木健一郎先生だ。
茂木教授は「僕は学歴なんかにこだわらない。」と言い、川上氏の事を尊敬を込めて
「お仕事でご一緒した時、その素敵なお人柄に魅せられましたし、そのさまざまな問題についての見識も、素晴らしいと思いました.」と評価した。
この一言で、九子はすっかり茂木教授が大好きになってしまった。
「人は偉くなればなるほど自分の現在の地位に固執して事なかれ主義に陥っていくのに、矢面に立たされている川上氏を擁護するなんて、なんて男らしい人だろう!」
人と同じ意見に安住したがる日本人の中で、人と違う意見を言う。それも、叩かれてる人の肩を持つなんて。

茂木教授は自分の目の確かさに自信があるのだろう。
その反面自分の目に、つまり自分の判断に自信の無い日本人があまりにも多い。
だから右といわれれば右へ、左といわれれば左に流されてしまう。
茂木教授の友人になれたらどんなに幸せだろう。
一旦彼の信用を勝ち得たなら、彼はどこまでもあなたを信じてくれる。
そしてあなたが苦境に立った時、きっとあなたに手を差し伸べてくれる。

茂木先生が信じてる人なら、九子も信じる!
(大多数の日本人と同様に、唯々諾々と権威にひれ伏す九子。(^^;;)

川上氏が長年やってたラジオ番組を降板する時に、こんな時にも自分を励ましてくれる多くの友人たちに感謝の言葉を涙ながらに語ったというのも九子の琴線に触れた。

 
そもそもウソって何だろう。良くないことは知っている。だけど世の中からウソが無くなることはない。
だって仏さまだって「嘘も方便」って言っているんだから。
結局は性質(たち)の良いウソか、悪いウソか、もっと言えば許せるウソか許せないウソかという事になる。
許せる、許せないは結局のところ、ウソをついたのは誰なのかという事にも大いに関係する。
友だちだから許せるのか、友だちだからこそ許せないのか。

 
最近、こんな事があった。
facebookで名前占いを紹介された。
九子も早速やってみた。

結果はと言うと。
えっ?マジで?
なんだか凄いことになっている。

結果そのものよりも欄外にあったこの言葉が九子を有頂天にさせた。
「あなたは高度に発達した素晴らしい人格を持っています。こんなに多くのポジティブな要素があるのはめずらしいことです。最もダメな要素さえもあなたをとても魅力的に見せ、格別で勇ましい人生を生きているように見受けられます。あなたを模範にしている人は多いので、今のままでましょう。結果をすぐにシェアして、みんなも自分の長所と短所のナンバーワンはどれか分かるようにしましょう!(原文のまま)」

ね?これだけ見れば、九子がいかに特別な人間なのか、九子が天にも昇る気になったってのもわかるでしょう?
ところがここにウソがあった!
九子はM氏をはじめ、家族全員の名前を次々と入れてみた。
枠の中の性格は、それぞれそれらしいものが出て来たけれど、九子が喜んだ枠外の言葉は、全員同じだった。
つまり九子は「高度に発達した素晴らしい人格を持っていて、こんなに多くのポジティブな要素があるのはめずらしい」という言葉で、自分は特別な人間だと言われたと思った。
ところが誰がやってもその言葉が必ず出てくるのであれば、それはもう特別でもなんでもない。 九子は騙されたのだ。
だけどこの事実を知らない限り、この占いは人を傷つけるものでもなく、むしろ人に勇気を与え、幸せな気持にさせるものだ。

ウソの怖さがここにある。

川上氏の学歴詐称騒動はそろそろ下火だろうと思う。
次のターゲットの乙武洋匡氏が躍り出て来たからだ。
サンキュー、センテンススプリング! 
川上伸一郎氏の再出発を祈る。

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雲切目薬が信濃毎日新聞に取り上げられました。 [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]

本日はお知らせのみです。

平成28年3月8日付信濃毎日新聞朝刊の「老舗を訪ねて」コーナーで、笠原十兵衛薬局 と雲切目薬を書いて頂きました。

いつもウチが取り上げられる時はたいてい古い店の写真がアップされるので油断してどうでもいい格好をしておりましたら、まさかこんな写真が出てしまい、その上新聞社と言うのは年齢を言わないといけないというのでおずおずと言ってみたら、明日誕生日でもうイッコ上になる予定ではありませんね?とまで釘を刺され・・・・。

まあ九子がもそっと若ければそんなことどうってことなかったんですが・・。(ブログにアップするに当たり 、精一杯の努力で年齢だけは消してあります。(^^;;)

 記事そのものは本当に良く書いて頂きました。 祖母や母が雲切目薬を苦労して遺してくれたことが良くわかります。

この記事のお陰で、薬局を訪れて下さるお客様が増えています。

いつも思うのですが、テレビなどの映像媒体は直後にたくさんの方が来てくださるのですが、本や新聞の場合は当初はさどではなくても、その効果が割合長い間持続してくれるようです。

記事の最後を少しだけ訂正。娘の一人は私や母と同じ明治薬科大学卒なのですが、もう一人は神戸薬科大を出ています。どうでもいい事ながら、明治薬科大は卒業生の子弟だからと言って簡単に入れてくれる大学ではありません。

記者のTさん、ありがとうございました。本当に感謝しています。

私はただただこの家に生まれただけで何も苦労せず、持ち前の強運で新聞やテレビにまで出して頂き、あたかも私の力で店が復活したような印象で見て頂くのは本当に心苦しい限りです。

本当の雲切目薬の救世主はうちの母、17代笠原十兵衛夫人笠原恭子です。

もしも私に出来ることがあるとするならば、私の夢をかなえること。坐禅の本を出版して、30年前の私のように不安や不幸せだらけの毎日を送っている人々のお役に立つこと! もしもそれが少しなりとも我が家と雲切目薬に貢献出来ればこの上ない喜びです。

Tさん、こんどあなたにお目にかかるときは、本の出版が叶った時でありたいと願っています。 ではまた。

ついでに古い店はこちら。 

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シクラメンの話 [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]

お世話になった方からサプライズでシクラメンを頂いた。
長道中を耐え抜いて、花も葉っぱも堂々として自慢げだ。
そんなところが、ちょっと星の王子様のバラの花を思わせた。
行き届いた花屋さんから送られて来たのだろう。育て方の説明も丁寧で、何よりシクラメン救急便なる電話番号まで書かれてあった。

九子はご存知の通り怠け者である。
我が家に来た花と言ったら、こんな運命を辿るのがせいぜいだった。

皆さんは花を上手に育てる秘訣と言ったら何を思いつかれるだろう?

温かい温度と太陽の日差し、そして上手な水遣り。
九子もそれしか思いつかなかったが、今回もう一つ条件があることに思い至った。
それが、花の素性である。

産地はどこか?・・・などという事はこの際一切関係ない。
問題はその花がどんな経緯で九子の元へ届いたかである。

九子が自分で買う花は仏壇用くらい。
他に九子が貰って来るのは葬式の花くらいか・・(^^;;

今回のように九子が勝手に恩人と思ってるような人から頂くと、俄然大事にしなくちゃ!という気持になる。
要するにモチベーションが上がるのだ。
ふだんなるべくカタカナ言葉を多用しない主義の九子がモチベーションと言ったのには訳がある。
父が亡くなる2年くらい前のメモが最近出てきて、そこに「モチベーションが上がる」という一言が書いてあったのだ。
これを書いた時父は85歳くらいだったろう。その年まで彼にとっては耳慣れない言葉をメモしては学習していたかと思うと、怠け者の遺伝子は父譲りと思っていた九子は肩身が狭い。

そんな訳で九子の中でシクラメンは物凄く気になる存在になった。

九子は迷わずシクラメンを薬局の目立つところに置いた。
この場所の難点は太陽の日差しが差し込み難いというところで、代わりと言っちゃ代わりに蛍光灯とLEDの混合灯が当たっている。
その上冬の長野だから温度もかなり気になるところだ。
だけど人目を引く花だからやっぱり大勢の人に見てもらえるところに置きたいよねえ!
 
説明によるとシクラメンは17度くらいまでの温度で管理することが大事で、もちろん氷点下は論外だが、21度を超える温度にも弱いのだそうだ。
 
早速九子はいつもよりもずっと長いことストーブをつけておくことにした。
お客様がいついらっしゃるかわからないわが薬局では、一日中ストーブが焚かれない日も結構あった。
そしてお客様のお顔を見てからストーブをつける。(^^;;

古い石の床、しかもガラス戸一枚隔てれば氷点下だから、温度はふだんで5、6度くらいか。
だからガスストーブひとつで21度になることはまずあるまい。

おい、シクラメン君、聞いてるかい?
君は我が家ではお客様以上の結構な厚遇なんだよ。

ところが一週間ほど経ったある日、九子は卒倒するかと思った。
昨日まで元気だったはずのシクラメンの花が、突然しなっとと言うか、くたっとと言うか、全部の茎がしなだれて葉っぱの上に被さっている!!
葉っぱも心なしか柔らかい。説明書に「葉っぱが柔らかいと元気が無い。」と書いてあった意味がようやくわかった。

こういう時の救急ダイヤルだ!
と思ったが、なぜだか通じない。

ならば、この手しかない!「シクラメン ぐったり」でネット検索。

本当に今はいい世の中だ。
書かれていたとおり、水をたっぷりとあげて、花や茎を補強するようにA4用紙を縦半分に折ったものでぐるりとあてがってやり、花をその上にのっけるようにして30分!
見事花は嘘みたいに立ち上がり、柔らかだった葉っぱもパリッとした堅さに戻り始めた。
いやあ、花って凄いもんだねえ。見事だねえ。
でも本当によかった!復活して・・・。

結局「毎日の水遣りは根腐れを起こし失敗の元だから、水遣りは二週間に一度、その時は水をたっぷりと。」というのを信じる余り、我が家に届くまでに何日かかかっていたのを計算に入れずの大失敗だった。

帰って来たM氏にこの話をすると、「えっ、紙?そんな事しなくとも、水やっとけばちゃんと茎が立つぞ。」
こういう豆知識はあんまり有り難くない。せっかくの苦労に水を差された気がする。(^^;;

彼んとこは斜陽の西日の良く当たる天然の温室みたいな環境で、何をしなくとも花がとても長持ちするらしいのだ。
「シクラメンだって半年も咲いていて、中には5年連続のつわものもあるぞ!」

九子は意を決した。よ~し、九子だって花一つも枯らさないぞ〜。
考えてみると九子は不可能を可能にしようとしていたらしい。
どんな花だって枯れる時は枯れるのだ。そして次の蕾が早く開くように、枯れた花は潔くむしってやらなきゃいけなかったのだ。
それを九子は未練がましく、枯れたままにしておいた。

それがいけなかったのだろうか。またどんどん花に元気が無くなる。
花の先っぽのほうが黒くなってきたり、そういう花がくしゃくしゃになって早く枯れたり、つぼみのまま立ち枯れたり・・・。
 
いつの間にか花は全体の半分になっていた。
それと共にぎっしり詰まった葉っぱの中の方が痛んでる所も見つかった。
 
M氏の話を信じ込んで5カ月持たせる意欲満々だった九子は頭を抱えた。
シクラメンを抱えて、オロオロして毎日薬局と隣の古い店との間を行ったり来たりした。
古い店の方が確実に日差しは良く差し込む。ただ気温はストーブに遠い分だけ低いだろう。

とりあえず元気が無いのは病気かもしれないから、日光消毒を兼ねて古い店でガラス越しの太陽の光を当ててやろう。
もちろん一番日に当てるべき場所は、葉っぱが密集し過ぎて下の方が腐りかけちゃってる所だよね。

ってな訳で、通りすがりに古い店を見ている通行人の方は、「何だ? シクラメンの花じゃなくて葉っぱがこっち向いてるけど、葉っぱなんか見たくもないぞう!」
と思われてたことだろう。

その手当も目立った成果が上がらずに悶々としていた頃、思いがけず恩人の奥様から電話がかかった。
普通の人ならそんな状況でシクラメンの話などしないのだろうが、九子は違った。
と言うか、気がついた時には口に出てしまっていた。(^^;;
ところが彼女は思いがけない言葉を口にした。
「あら、うちのなんてもう花が一個もないわよ〜。つぼみだって開かないまま枯れちゃったみたい。やっぱり寒さのせいかしらねえ。」

何がホッとしたって、あんなにホッとした事はない!!
 
今回の教訓!
「花はいつか枯れるのだ!」

この言葉がデリケートだったお年頃などもうとっくに過ぎ去り、毎日これでもかこれでもかと言うほど年齢を身体で実感している九子のはずだったが、いつまでたっても無駄な努力を続けていたってことかしらねえ。
 
さ~て、本当に枯れる、いや悟れるのはいつでしょう。(^^;;

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レッテルを貼るということ [<九子の万華鏡>]

あなたは太宰治は好きですか?
割合好き嫌いが分かれる作家さんだと思うが、最近で言えば芥川賞を受賞したピース又吉こと又吉直樹が一番感銘を受けた作家として名を上げている。

このあいだテレビに石原良純が出てきて、父親石原慎太郎を語った。
その中で慎太郎本人の出演ビデオもあって、自分は太宰治が大嫌いだと公言して憚らなかった。

更に話の中で三島由紀夫が太宰を語っていた言葉だとして紹介されたのが、「あんな悩みは、ラジオ体操ひとつすれば治ってしまう話じゃないか。」と言ったそうで、思わず笑ってしまった。

確かに太宰治がもがいている世界は、とっくの昔にそういうのを卒業してしまった人たちからすれば、時として滑稽にも見えるのだろう。
一応九子も悩んでいた時期は通り過ぎたので、ラジオ体操というのは言い得て妙に思えてずいぶん笑った。

だけど、悩みのど真ん中にいる人たちから見ると、それはかなり切実な問題なのだ。

尾崎豊の「アイラブユー」の本人が出演するビデオを見ると、尾崎がいかに自分の姿ばかりを見つめているのかがよくわかる。
もがき苦しみながらも、自分に酔いしれているような表情が見て取れる。

歌も詞も、ビデオにおいても、彼の表現力は本当に凄いと思う。
ただし彼がいつも見ているのは鏡に映る、あるいはカメラのレンズに映る自分自身の姿なのだというのは明白だ。

九子がこう言い切れるのは、かつて自分が同じ世界に住んでいたからだ。
劣等感があって自分が大嫌いな人間に、とても周りの人々を見つめる余裕など無い。
ジェットコースターのように上がり下がりする自分の気持を眺めているだけで精一杯なのだ。

彼らはきっと気がついている。自分が見ている世界が、自分という範疇を一歩も越えられていない事を・・・。
自分が回りの人々を自分の事のように思い遣れないことも大きな劣等感のひとつになり、彼らは余計内向きになる。

ボーダーライン、境界例と言われる人々。九子も何度もブログで取り上げたことがあるが、愛の薄い幼少期を育ち、親の愛情を充分に信じられずに育つ事の多い気の毒な人々だ。

太宰治も、尾崎豊も、ダイアナ妃も、特に幼少期の親との絆の薄さからいつも愛情に飢えており、自分が見捨てられることを極端に怖れていた。

彼らに共通するのは、気分の不安定さだ。
さっきまで信用し信頼していた上司を、友人を、家族を、次の瞬間には誹謗中傷し攻撃する。
自傷行為も、自殺癖も、そうせざるを得ないところまで気分が落ち込んでしまうのだろう。
彼らは充分本気なのだろうけれど、自分一人だけの時はしないで、周囲の注目を集めようとするように必ず人前で決行するのを見ていると、甘ったれてるのかなと勘ぐってしまう。

九子もボーダーラインの人々と同じように、ある時期まで人一倍劣等感が強く、自分が世界一の不幸のかたまりだと思って生きてきた。
だから彼らの気持ちが、自分の事のようにわかる部分がある。

まわりからは「一人っ子で両親に何でもやってもらい、何の苦労も無く、優しいお婿さんをもらってあんなに幸せな人は居ない!」と言われ続けていたのにも関わらずだ。 そういう意味で九子には、ボーダーラインの彼ら以上に、人々に理解してもらえない要素があった。
 
「何でも出来る母親が愛情一杯に手をかけ過ぎてくれたせいで何もまともに出来ない人間に育ってしまった劣等感が九子の不幸せの原因」などと言ってみても、一笑に付されるだけだ。

となりの八百屋のおじさんは、九子が明るく変わったのは優しいお婿さんをもらったからだと今でも信じている。
まあ、それも間違いではないが、結局は九子が坐禅に出会って、自分の気分を明るく幸せに変える事が出来たからなのだ。

それはさて置き、九子の時代は「レッテルを貼る」という言葉があった。今の時代はもしかしたら「タグを貼る」とか「ラベルを貼る」とか言うのだろうか・・。
そういう事って本当に怖いと思う。

ボーダーラインという、不良少年という、前科者というレッテルを貼られた人々。

九子が振り込め詐欺にひっかかりかけた時も、何より怖かったのは「11時の裁判が始まるまでにお金を振り込まないと息子が前科者になってしまう。」という恐怖だった。海に囲まれた逃げ場の無いこの国で、それは絶望的な宣告なのだ。

汚名、英語ではstigmaというのだろうか。一度そういう名前が付いてしまうと、人々はいつまでもその名前を葬り去ることは出来無い。
「あの人は前科者だ。」というのは、その後の一生どんなに立派な事をしようとも、死ぬまで付いて回るのだ。

前科者というのははっきりと認定された事実であるから仕方が無い部分もあろうが、ボーダーラインはどうだろう?
精神科の見立てというのは、ご承知の通り科学的な血液検査やCTスキャンなどで結果が出るわけではなく、あくまでも医者の力量で診断されるものだ。

その上典型的な症例の他にも紛らわしい例が多々あるはずで、それらを一括りにして「ボーダーライン」という病名というか障害名が付いた途端に、彼らの一生は
「ボーダーライン即ち、太宰治やダイアナ妃や尾崎豊といった人々に代表される頻繁に騒ぎを起こす困った人たち」という風に括られ、彼ら一人一人の個性や、変わろうとする努力などとはまったく無関係に、イメージだけが一人歩きしていく。
そして一旦浸透した悪いイメージは人々のなかで容易に変わることが無い。

レッテルを貼られた人々の人生はどんなにか苦難に満ちていることだろう。

レッテルというはっきりとした形を取らなくても、人はいつでも、誰かを決めつけ、その人の事をわずか1%も知らないのにざっくりとした固定概念で見てしまう。

そしてそれを、別の誰かにもったいぶって話したりする。
たいていそういうのが広がる1番の理由は、九子も大好きな噂話だ。(^^;;

そうしたらこの前、ガンで倒れられた三笠宮寛仁親王の弟宮、生涯独身を貫かれた桂宮さまの話が出た。
彼もまた悲劇の親王だった。若い頃に脳出血で倒れられ車椅子の生活を余儀なくされた。

それより何よりお気の毒だったのは、学習院大学に通っていられた時、「お前たちは俺たちの税金で暮らしている。」という心無い言葉を殿下に浴びせかけた学生がいて、いたく傷つかれ、自分のように苦しむ人間をもう誰も見たくないと思われて、生涯独身を通されたという。

言葉の持つトゲの威力がわかる。一人の皇族の人生を変えてしまった一言だ。

言葉のトゲならばその人の心に潜んで、その人が言わない限り周知の事実にはならないはずだが、貼られたレッテルは表に出て、皆に知れ渡る事となる。

そもそもレッテルやらラベルやらタグっていうのは、何かを分類するためにある。
だからいつでも誰もが見やすい所に貼られる事になる。

レッテルやタグの魔法に打ち勝つのは、もしかしたら日本人の私たちには難しいのかもしれない。だって私たちは言われたことを基本的に鵜呑みにする人の良い民族だからだ。

そんな信じやすい民族が、いや、だからこそ、レッテルを外す事、ないしはレッテルに誤りがあると考える事に関しては著しく懐疑的だ。

最初に入って来た情報を信じ込み、その情報を信じ続けるのが私達日本人なんだろうか。

話題になった従軍慰安婦問題の最終決着の時、不可逆的と言う言葉が出てきてびっくりした。
あれは劣等生の九子でもわかる化学用語で、九子たちはたしか非可逆的と言っていた。
反応が進んで決して元の状態に戻らないことを言う。
水が氷になるのは可逆的だけれど、鉄が錆びるのは非可逆的だ。

レッテルの内容は実は可逆的なのに、非可逆的と堅く信じて疑わない私たち。
レッテルの内容はともかく、まず柔らかくしておかなければいけないのは、私たちの固いあ・た・ま !

そして噂話もつつしみなさいね、九子さん!(^^;;












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年賀状2016 と、等順和尚  [<坐禅、仏教、お寺の話>]

18歳で進学する時とっくに済んでしまったと思っていた君たちの巣立ち。
休みとなれば帰郷し、まだまだ親の庇護の下だったそれは、巣立ちの予行演習にすぎなかったことにようやく気がついた。

親には見えない輝くものに心躍らせ、目を見開き、時にはそのまばゆさに目をくらませて、親の知らない土地での生活を選んだ君たち。
せいぜい親は経験則を振りかざし、知った風な顔して精一杯の御託を並べるのが関の山。
ああだこうだと言ってみても、たかだか30年長いだけの経験則にさしたる意味があるわけじゃない。

休みには必ず帰ってくると思い込むことも、父母や代理人の欄にハンコをつくことも、もうおしまい。
 
人生を極めることは容易ではないが、少なくとも目一杯楽しんで欲しい。
他愛ない会話に幸せを感じる笑顔あふれる日常であって欲しい。

そしてもしも堪えられなくなったなら、重石も飾りもかなぐり捨てて、
一番大事なものだけ抱えて、上を向いて長野に帰っておいで。
辛抱はもはや昭和の遺物であって、命をかけるような代物じゃない。
辛抱の半分は、きっと見栄やら世間体だったのだから。

人生は何度でもやり直しがきく。それを信じて実践するのが君たちの仕事だ。
君たちの未来が誰よりも幸せで輝いていますように。

親の戯言におつきあい有難うございます。今年もよろしくお願いします。      
                     2016年 正月

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今年は少々趣向を変えて、善光寺第80代別当 等順和尚のことを書いてみようと思う。

実は去年のご開帳中、お陰さまで2回もBSテレビに出して頂いたのだが、そのどちらもが「善光寺七名物」を訪ねる旅だった。
笠原十兵衛薬局の「雲切目薬」は、たぶん現存する中では一番古い七名物と思われるので、どちらの番組でも割合時間を割いて頂いた。有り難いことだ。( ^-^)
 
ところが「善光寺七名物」はいつ頃からあるのか?と聞かれて、はたと困った。
結局どちらのテレビにも答えらしいものが出なかったところを見ると、物を知らない九子はもちろん、誰に聞いても確たる答えを知っていた人は居なかったのだろう。
 
ところが放送が終わってしまってから、ひょんなところから答えを知っている人が現れた。
雲切目薬の古くからのお客様であり、ご祖父様が長野市のご出身という事で長野の歴史をよく研究されているまだお若い方である。
 
その方から「等順和尚」という名前が出ても、九子は言うに及ばず、信徒総代のはずのM氏も、近所のおじちゃんおばちゃんがたも、本当に申し訳ないことながら誰に聞いても首をひねった。

後からわかった事だが、等順さんは「善光寺七名物」ばかりか、7年毎の善光寺ご開帳も最初に開催されていた。

等順さんは1742年生まれだ。
善光寺七名物の中で一番若いと思われる「八幡屋礒五郎の唐辛子」が1736年創業と謳っているので、等順さんが「善光寺七名物」にこれを加えたとしても辻褄は合う。

等順さんは、善光寺百数十人の大僧正のなかで唯一長野市出身の僧侶だと言われる。
実家は大門町というから、善光寺に向かうバスの終点辺りであり、質実ともに善光寺の門前である。

いつも観光客の人並みで賑わう表参道に、九子の知る限り等順さんの生家など見当たらないし、何らかの石碑などにお目にかかったことも無い。

そんな地元の人々にも忘れ去られたような等順さんが、実は善光寺の名声をいやがおうにも高める凄いことをしていた。

1783年に浅間山が大爆発し、ふもとの村では500人だった人口がたった93人になってしまった。
被災した人々は東叡山寛永寺に救いを求めた。

たまたまその前年、東叡山寛永寺護国院の住職から、故郷善光寺の別当大勧進貫主(かんす)に就任したばかりだったのが等順さんだった。
 
自ら被災地に入り、犠牲者名を記録し、毎日、村人と念仏を唱え、死者の回向を30日間行ったと伝えられる。
何もかも無くした人々に白米とお金を与えて労ったという。
『浅間山噴火大和讃』の中で等順さんの活躍は今でも伝承され、しのばれている。

翌年の1784年、等順さんは善光寺本堂で浅間山大噴火被災者の追善大法要を行い、被災地には1,490人の名前が書かれた御経塔婆木が送られた。
また、被災した人々の心の平安を取り戻すため、『血脈譜』とよばれるお守りを大量に配った。

『血脈譜』というのは『融通念佛血脈譜』を簡素化したもので、これを持つだけで阿弥陀仏の直弟子になれると参拝者は有り難がり、また等順さん自ら全国各地を回ってこれを広めた。言ってみれば免罪符みたいなものだ。

「血脈譜」は評判に評判を呼び、等順さんは生涯で約180万部を配布、善光寺信仰の普及に大きな役割を果たしたそうだ。

この話が落語の「お血脈」の題材になったと言われる。
「善光寺縁起」をもとにした話だから、最初の方は若干面白おかしく脚色されているものの大体正しい。
ごうつくばりの月蓋(がっかい)長者が、美しい如是姫の病気をなんとか直して欲しいとお釈迦様にお願いするところから話は始まり、善光寺如来が権力闘争に巻き込まれて難波の堀に沈められてしまうが、本田善光がそばを通るのを見て「ヨシミツヨシミツ」と呼びかけて、善光の背に負ぶわれて信州までたどり着いた。

そして最後の方に出て来る等順さんの「血脈譜」の部分がこの落語のハイライトとなる。

善光寺が人々に与えた「お血脈」のおかげで、この頃地獄に来る人がぐっと減ってしまい、地獄が不景気で鬼どもがほとほと困っていた。

そこで地獄の閻魔大王が一計を案じ、地獄の住人になっていた石川五右衛門を呼び出し、大盗賊に善光寺にあるお血脈をまんまと盗ませようとした。
「お血脈が無くなれば、また地獄に人が戻ってくるだろう・・。」という目論見だ。

ところが、そうは問屋が卸さなかった・・・・・・というお話である。

「お血脈」は、「ご印文」に形を変え、善光寺ご開帳の時には極楽浄土を目指す参拝客が我先にと押寄せた。

我が善光寺の出来事が落語になって人々に伝えられたのは心底嬉しいし、何より等順さんという素晴しい僧侶が地元長野市から出たというのが誇らしい。
そしてそんな偉人がいた事を全然知らなかった九子が恥ずかしい。(^^;;

善光寺には大勧進貫主(だいかんじんかんす)と大本願上人(だいほんがんしょうにん)のお二人の別当がいる。
大本願お上人は代々女性で、天皇家に縁ある方や、身分卑しからぬ方々が任に着かれている。

問題は大勧進貫主さんの方で、せっかくの等順さんみたいな素晴しい見本がありながら、現在の貫主さんは醜聞で新聞や週刊誌を賑わしてばかりいる。

大本願のホームページには第121世鷹司誓玉(たかつかさせいぎょく)上人のお姿とご紹介が大きく出ているのに、大勧進のホームページに、九子の見る限りお貫主のお姿もお名前も無くて、写っているのは小さな後ろ姿ばかりというのは恥ずべき事じゃない?

まあでも、新しい風は吹きつつある。
大勧進には活きのいい新しい副貫主さんがいらして、大なたをふるってくれそうだ。

比叡のお山からいらして、関西ではかつて桂三枝さんといっしょに毎週テレビに出演されて、現在もご自身のラジオ番組まで持っていらっしゃるという変り種、栢木寛照(かやきかんしょう)氏。
まるで三流週刊誌を思わせるウイキペディアの評はいかがなものか?と思うけど、実際はとても穏やかで誠実で気骨のある、腰の低い方です。)
 
 何より、毎年学生たちを何十人も引き連れて、大戦の激戦地サイパンへ慰霊の旅に行かれている。近くの城山小学校の子供たちも毎年何人も行っている。
きっとスポンサーはおいでなのかもしれないが、ほとんどは寛照さんの自腹だと聞く。とても普通の人間に出来る事ではない。

ご活躍に期待しよう。(^^)

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