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まちの翼・・・・・SBCテレビ(ネットテレビ)出演のお知らせ [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]

大変急なお知らせで失礼します。

7月2日日曜日SBC信越放送お昼11時24分から3分間のテレビ番組「まちの翼」で、雲切目薬と、ついでに私が取り上げられます。

地元放送ですが、「まちの翼」で検索して頂くと、そのうち今回分が見られるようになるようです。youtubeに載るのかな?


もしよかったら、ご覧下さい。(^-^)

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午後零時のシンデレラ [<正統、明るいダメ母編>]


意味ありげなタイトルにつられて来て下さった方、申し訳ない。<(_ _)>
面白くも無いウツの話である。6月1日から、きっちりと九子はウツだ。

5月30日。九子は嬉々として両国駅に降り立った。
数年に一度のハトコ会。今年は両国から水上バスに乗り、浜離宮を見て銀座に向かいおいしいランチにありつこうと言う訳だ。

生まれて初めての両国駅には、巨大な横綱の額と、たくさんの力士たちの手形が飾られている。
九子みたいなケータイオンチでも、ここで写真とらないのは日本人じゃないでしょみたいな気にさせられて、思わずぱちりとしてしまう。

水上バスとは言え昔の釣り船をイメージしていたら、ガラス張りの立派なクルージングボート。これなら水がかかる心配も、日焼けの心配も無い。

スカイツリー、屋上のえもいわれぬ形のオブジェで有名なアサヒビールの建物、フジテレビの球体の建物などが次々に視界を流れるが、いまいち印象が薄いのは何年ぶりかのおしゃべりに夢中だからだ。(^^;;

浜離宮で船を降り、ほんの10数分縦断すれば、もう銀座。
浜離宮の、盆栽を十倍に拡大したようなあの松だけは、もう一度しっかり見てみたかった!
ずんずん進む面々にちょっと待って!写真がとりたい!と言えぬ日本人九子。

虎夢という店で創作料理のランチ。コースメニューは4000円弱。
グリーンピースの甘くないアイスクリームが印象的。

銀座の喫茶店で最後の二次会というので、言われるままに追いて行き、テーブルに坐ったところで1時間時間を間違えていたことに気づく。3時のつもりがもう4時!

あら、大変!肝心要の用事をするにはぎりぎりの時間帯!

あわてて地下鉄に飛び乗ったら、乗ってはいけない急行で、乗り越してタクシーにお守りされながらもなんとかぎりぎりセーフで飛び込み、会いたい人には会えずとも、案内してくれた人に思いのたけを話せて、願いのほとんどは成就!


なんでこういうパーフェクトな一日がウツにつながるの?
九子もさっぱりわからなかった。

あっ、あれだ!
上京の前日九子はプールからの帰り、普段よりもずいぶん疲れた。
そして明日の用意をするべく乗り換え路線だの地図だの調べていたのだが、ひどい頭痛で寝込みたいほどだった。

風邪の時にはPL顆粒!九子の特効薬。まず9割9分これを3,4回飲むうちには九子の風邪は治ってしまう。
(ちなみに風邪と聞くとこの薬しか出さないと言われてやぶ医者扱いされてる先生もいる。)

ドタキャンも考えた上京も、おかげで無事一日終了した。
もちろん食事の度ごとにPL顆粒は飲みながらだったが・・・。

そう。それがいけなかったのだ。

どこにも落ち込みや不安材料やストレスが無くても、身体を無理したり疲れさせるとウツが来る。そしてたまたま今は、ウツ最頻発の6月だったという訳だ。

午後零時のシンデレラ九子は、M氏を送り出してから、すやすやお休みする。
今日みたいに雲切目薬の注文の電話が一本も無い、店にお客さんが一人も来ない日が理想だ。

電話が鳴り、お客さんが見えたら、終わるが早いかまたベッドにもぐりこむ。
なぜと言われても困る。ただただ横になりたいのだ。

ところが不思議なもので、午後零時を過ぎると、身体が楽になる。さほど横になりたいと思わなくなる。
だからまあなんとか普通に近い生活が出来る。

午後零時のシンデレラと書いたけど、よく考えてみたら眠り姫かしら?
姫ってのも図々しかったかしらねえ。(^^;;

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プールの風景 [<正統、明るいダメ母編>]

あなたは友達を作るのが上手な方?それとも苦手?
そんなこと長いこと考えたこと無かったが、ここへきて少し考え始めている。

確かに5人も子供が居る割には「ママ友」というのはほとんど出来なかった。
その場その場で話す仲間は居た。それで良いと満足していた。

思えばあれは大学の頃だ。思いを寄せていたクラブの先輩に「九子ちゃんは誰にもにこにこして るけど、なかなかそれ以上入って来ないね。」と言われた。

入ってくる? どこへ?どうやって?まったくわからなかった。

今にして思えば、九子の付き合い方は浅いのだろう。もしかしたら九子の周りには壁のようなも のが取り巻いていて、私からも友達からもそれが邪魔になっているのかもしれない。

でもまあそれで長い間やってきたのだから、それでよし!と思っていた。
これは一人っ子で育った九子の癖みたいなもんなんだから、仕方ないよ。

ところがここへ来て、ちょっと雲行きが怪しい。


今ではもうジムの方は見向きもせず、水中ウォーキングだけやるつもりでプールを選んだ。でも 歩いてばかりではなんだかつまらない。
そこで軽快な音楽がかかる30分間の水中エアロビクス教室に誘われ、月、木で参加するように なった。


参加者はほとんど同じメンバーだ。
その参加者たちと、どうもしっくり来ない。(気がしている。)

彼らは長年プールに来ているベテランのようだ。彼ら同士は打ち解けて話している。

九子は最初でちょっとつまずいた。
水泳は基本、個人プレーと認識していたので、先生とは挨拶していたが、彼らに挨拶することは 無かったのだ。
いわゆる新参者の仁義の切り方に問題があった。

もうひとつマズかったのは、お風呂の中でタオルで顔を隠していること。
これには理由があって、熱湯の中やサウナに顔をさらしていると顔が真っ赤になってひどいと湿 疹が出来る。
だから九子はいつも冷水でぬらしたタオルで顔を覆っている。

何か話しかけてくれようと思っていても、これではこちらから拒絶していると思われたって仕方 がない。

受け入れてもらっていないなという感じを受け出してから、なるべく挨拶を欠かさずするよう にした。すると一人二人挨拶を返してくれる人が現れた。一人は気兼ねなく話してもくれる。

すると残るはあと3人くらいかな?

そのうちの一人は長野では珍しく外人さんだ。最初のときに「どこから来たの?」と声をかけた が、その時から拒絶反応を示された。こういう反応は初めてなのでびっくりしたが、まあ仕方が ない。

別に一生に関わる事ではなし!最後まで話が出来なくたって、エアロビクスの効率が悪くなる訳 でもない。

みんな健康のために、自分のために来ているのだから、そんなに仲良しになる必要なんてないよ ね。

でもそこは、良いカッコしいの、気にしいの九子である。せっかくご縁があったのだから、たま には話だってしたい。

そういう気持ちからどうしても離れられないのが、九子という人間なのだ。
そしてそれが気になり始めると、そればっかりを考え始める。

今日あの人に挨拶したけれど無視された。わざとだろうか?単純に、聞こえなかっただけだろう か?

あの人は今日、挨拶を返してくれた。初めてだ! ラッキー!

九子の関心は、そのうちプールの外まで及ぶ。


あっ、あそこに居るママ友らしき若い三人組!
今日も何やら声高に話し込んでいる。いつものことながら、何のためにプールに来てるのかな?

もちろん話しちゃいけない理由は無いけれど、あんなに長時間、プールも入らないで何話してる の?毎日のように会って、よくもまあ話が尽きないわね。

話の様子じゃ、彼らは毎日ほとんどの時間を一緒に過ごしているらしい。
ああいうのがママ友だって言うのなら、九子はママ友なんて居なくて良かったよ!
だってあれじゃあ、月謝の無駄!時間の三分の一くらいしかプールに入っていないんだもの。

いやだねえ、ああいうのって。あの真ん中の人がお局さまだよ。いつも仕切ってるし、なんだか 怖そう!


その時だった。「おーい、そこの人!ちゃんとやってる?」と珍しく強い調子の先生の声!

ふっと我に返る九子!

そっ、そうか!また考え事してたんだ!
集中力の乏しい九子がいつも陥る自分だけの妄想の世界。

今はエアロビクスの授業の最中。九子がぼーっと考え事してるの、先生にはみんなお見通しだっ たんだ!


結局、月謝の無駄使いを一番してたのは果たして誰??(^^;;

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ぶっこみジャパニーズ [<九子の万華鏡>]

このところニッポン礼賛番組が花盛りで、見るとなんだか逆に情けなくなって消してしまうのだが、この番組はついつい最後まで見てしまった。

寿司職人、剣道の達人、歌舞伎女形が海外で誤って伝えられてる日本文化の本筋を教えに行く。
歌舞伎女形なんて特に凄い!達人があの坂東玉三郎を髣髴とさせる市川春猿改め河合雪の丞だなんて・・・。
それこそプロ中のプロだ!

最初はロシアのお寿司屋さん。出来上がった寿司をてんぷらよろしく揚げてしまったり、サワークリームソースやチーズソースでアレンジしたなんともとんでも寿司を作っている。

その寿司屋に、寿司の達人が2日間修行に行く。達人だとは微塵も匂わさず、若い職人の言うとおりに得体の知れないやり方を教わったとおりに真似をする。

二番目はモロッコの剣道道場。剣道と一緒に空手やキックボクシング?みたいなものも教えているらしい。
初めて知ったが、剣道の試合では技が入った時に「面」とか「胴」とか決まった部位を大声で叫ばないと点数にならないらしい。

その道場では、胴を打ちながら「メ~ン」と言っていた。胴も小手も無し。「メン」しか知らないのだろう。
川の中に入って何かを唱える修行も、きっと日本の達人にはばかばかしいはずだが、達人は一生懸命やっていた。

三番目はノルウエーの、はっきり言えば歌舞伎パブ。よくも市川春猿ともあろう人があんなところへ行ったなあ思う。
ニューハーフみたいな男たちがしきりに扇をくゆらせて踊る。
あんまり修行らしきものもなかったせいか、リーダーの男性がエステで美顔術を施されるところなどが大写しで映し出された。

どこの場合でも、修行に入ったはずの三人の見習い、実は達人が、急に二日間で日本に帰ると言い出す。

そして別れた後、三日目には、本場日本からそれぞれの技の凄い達人が来るのだという広告が周知徹底されていて、店や道場関係者はもちろん、たくさんの人々が方々から詰め掛けて来る。

もちろん主役はあの達人たちだ。

さて、どんなことになるのだろう?

九子が思ったのはこうだ。彼らはいくら自己流とはいえ、大きな店や道場を構え、曲がりなりにもプロとして、お金を取ったり教えたりする立場にあるのだから、日本から本物が行ってそれを誇らしげに見せ付けたら彼らのプライドはずたずたに傷つけられるに違いない。

そうなった時、彼らはどうするのだろう?
怒り出す人が続出したら、どうなのだろう、テレビ的には?

ところが、あら、不思議!!
三組どこをとっても、素直に自分たちの非を詫びて、「日本の技術は素晴らしい。これからこの通りにしていくよ。」と号泣せんばかりの喜びようなのだ!

自分たちが間違っていた事を素直に認めてプロの技を評価する姿勢が本当にすがすがしい。九子は「なんていい人たちなの!」とその真摯な態度や謙虚さにいたく感激した。


「羞恥心」やら「恥」の文化とは、日本人を表す象徴のようになっている。
こういう時に「恥をかかされた」と思うのは、もしかしたら日本人だけ、あるいは日本人がとりわけ強いのかもしれない。

欧州の人々は今までの自分たちのやり方にそれなりの自信があったのだろう。だから「恥」とは決して思わず、自分たちのやり方で最善を尽くしていたと素直に思えるから、本物を受け入れる強さがあるのかもしれない。


日本人が言う「恥」とはなんなのだろう?
誰に対して恥ずべしと思うのだろう。
師あるいは、自分の行くべき「道」に対して、まだまだ未熟で恥ずかしいと思うのならよい。
ところが、こんな失敗をして他人にどう見られるか、
人様になんと言われるか、無様だ、情けない。
そんな人が大多数なのではないだろうか?

世界の中で長い間活躍していらっしゃる指揮者のmu-ranさんこと村中大祐氏がいつか、言い方は少し違っているかもしれないが「日本人には他人が常に介在している。」というようなことを書いておられた。いや、「他人が入り込みすぎる。」だったかな?

とにかく日本の中で生活しっぱなしの我々には、なかなか言えない言葉だろう。まさに言い得て妙だ。
この国で育ち、この国で生きている私たちが、他人の目を全く無視することは難しい。
だけどそれに振り回されず、自分の思い通りに生きていくことが特にこれからの時代大切なんじゃないかな?


市川春猿改め河合雪之丞、本当にきれいだった!
背骨をくぼませると肩が小さく見え、 男性より小柄に見える
なで肩に見せるようにあごを引いて首をもたげる。
女性よりも女性らしい艶姿だ。

一瞬で着物を着替える早着替えの技も見せてくれたが、それには二枚の着物を合わせているとじ糸を一瞬にして断ち切る裏方さんの存在が不可欠だそうだ。

彼らは、主役に影のように寄りそう他人だ。
己の存在を抹消して、自己主張は決してしない。
自分を100%殺し切ってる人たちだ。


自分と他人。日本人として生きる以上、どうやっても折り合いをつけなければならない二つの存在。
これからの時代、以前よりは自分中心に舵を切り、かと言って、周りへの配慮も怠らず・・・。


あ~あ、どうやってもニッポン人から抜け出せない九子である。

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区長のお仕事 [<九子の万華鏡>]

どうもこのところ愚痴っぽい話題が続いて申し訳ない。
が、やっぱりどっか変!と思う思いを綴ってみたい。

皆様は、自治会の役というのをなさっていらっしゃるだろうか?

都会はそんなの無いのかな?みんな忙しいのだから・・。

長野のような田舎だと大小さまざまな町に区長さんがいて、区長を補佐する役職がいろいろある。
区長と言っても東京の区長とは大違いで、ドン内田氏など居るはずがないし、選挙で選ばれる訳でもない。第一無給なのだ。

本来田舎町の区長は、当然市の職員がするべき用事を代わりにしているのだという声もある。

とにかく忙しくて無給だから、たいていは退職後の男性がなって、中には10年以上させられてる人もいる。

わが町は全部で14戸。住民の数にして30人を割っているという小さな町だ。(アパートを除いて)
若い人が少ないのだから子供の居る家族はたった1軒で、もうとっくに育成会は自然消滅した。

そこへ持ってきて町の役の数というのは大きい町でも小さい町でもあんまり変わらないから、この少ない人数で役を割り振るとほとんどの人が何らかの役を担うことになる。

九子は何年か前、名前も忘れたお役をひとつ区長さんから言い付かった。区長さんから言われたのは「何しろ名前だけ書かせて下さいよ。行かなくたっていいんだから。」だった。

だから九子はその通りにした。会合の連絡が入っても「私は名前だけと言われているので出席出来ません。」で1年だか2年だか通した。

だって、会合は昼間だよ。九子の薬局は九子ひとりっきりしかいないんだよ。店を閉めてまで行くような用事なの?

何度目かの会合の連絡の時に「夜の会合なら参加出来ます。それともこんなご時勢ですから、ネット会議ならいつでも参加します。」と言った覚えがある。

もともとが市の職員さんのお手伝いのために、長野市の経済活動を沈滞させるなんておかしいじゃない!!
頭脳明晰な人々が公務員さんになるのだから、ネット会議の一つや二つ、企画出来ないなんて変だよね。

とにかく何の用事だかわけわかんないもののために、仕事を放り出してまでする人の気が知れない。

と、常々思っていた九子であるが、その九子が理解不能の人がごくごく身近に居た。
M氏である。そしてM氏が4月から区長になった。

彼がビンボー神であることは周知の事実だ。自分で言ってる位だから自覚もある。
人がいい。人が良すぎる。こんな高いお金じゃかわいそうだというんで、近隣の歯科医院よりかなり安く治療する。

なぜ安くなるのか。それは、保険請求すべきところを保険請求しないからだ。やった仕事を申告しない。請求しない。
いつもは過剰請求をあばくのが仕事の保険指導員さんに「これもあれも請求できますよ。先生は金儲けが下手ですね。」と呆れられるほどだ。
その挙句、開業以来三十有余年、患者さんの数はかなり多いほうなのに、開業時の借金をまだ抱えている。

その彼が、町の役員の仕事に組み込まれた時、いつかはこういう日が来るだろうことは予想していた。

彼は何しろ真面目である。
言われたことはちゃんとやる。言われないことまで、自分で仕事を作って黙々とこなす。

彼は普通だったらもう定年の年だ。幸か不幸か歯医者に定年はないから、まああと10年は勤められる。
いや、あと10年勤めないと借金が返せない。

それなのに、仕事を休んでまで昼間の会合に出ようとする。
そのうちに、かつての九子みたいにずっと出ない人の代わりに会合に出るつもりとまで言い出した。
冗談じゃない!何日休んだら気が済むの?

「お願いだから昼間の会合は休んでね。区長のほかに、善光寺の役だってあるんだから、そんなに休んじゃ何年経ってもお金返せないよ。」と九子。

「まあ善光寺はともかく、町の仕事はなあ、九子、お父さんが市会議員の選挙で町にいろいろ手伝ってもらったお礼の意味もあると思っているんだよ。」とM氏。

どこまでも正攻法で攻めてくる。

そのパパが心配してたのは「Mさんは人が良すぎて金儲けがへたで困ったもんだ。」だったんだけど・・・。(^^;;

区長の仕事のほとんどがまだ始まっていない今この時から、結婚してから40年近く、ほとんど喧嘩もしないで仲良くやって来たM氏と九子にどことなく風が吹いている。すきま風とは言わないが、ちょっと見たことの無い方向から吹いてくる風だ。

まあでも心配御無用!
うん十年前に喧嘩した時は修復に一日かったのが、今ではもう瞬時だ。
これを時の流れと言うのかしらん。昔、ママとけんかした時とおんなじだ。


タイトルを見て、区長の仕事が羅列してあると思って読みに来て下さった方々、申し訳ありません。
試しにググって見たけど区長の仕事が何なのか、それでもさっぱりわかりませんでした。
九子に言わせると「何でこんな事するの?何の意味あるの?」と思うことばかりだけれど、M氏にとっては町を運営するために大切な仕事らしいです。

区長の仕事、自治体の役員の仕事、あなたの町ではどうですか?

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彼女とお嫁さん [<九子の万華鏡>]

なぜか九子は「いい人」に見られるらしい。
いつも「そんなんじゃないんだぞ!」と思うけど、なかなか言えない。
だから今日は思いきってブラック九子の話をしようと思う。

九子にはどうしても好きになれない人が居る話は何度か書いた。
その人から言われたその言葉を、その痛手を、その衝撃を、忘れられずに何十年も経った。
それなのにその人は謝りもしない。
謝るどころか、言ったことさえ忘れていて九子に馴れ馴れしい。
それがまたなおさら腹立たしい。
この人は嫌な人だが、普通の人だ。

これから書くのは「境界例」あるいは「ボーダーライン」という症状を持つ人だ。
聞き慣れない人はググって欲しい。

それから、このブログの左欄を下の方にたぐると検索窓がついている。
そこに「境界」という単語を入れると境界例とかボーダーラインについての話が出てくる。

実は下のブログの終わりのほうに出て来る「彼女のお嫁さん」が九子が赦せないもう一人の人なのだ。


最近、「彼女」が亡くなった。70代、まだまだ若かった。
何も出来ない(何もしない?)「お嫁さん」に代わって、子供たちに三度三度ご飯を食べさせ、日常生活の一切合財の面倒を見てやり、そして九子がはじめて会った子供たちは、素直にすくすくと育っていた。「彼女」が「お嫁さん」の代わりに育てた子供たちだ。
長い間、「彼女」が家庭の太陽だったに違いない。


本当の事を言おうか。九子は「彼女」のおとなしくて優しすぎる息子にも腹が立っていた。
いくら「お嫁さん」に境界性人格障害という障害があろうと、どうしてもっと別の医者にかからせて、きちんとした生活を送らせなかったのか?

まともな医者なら、「お嫁さん」にあんな自堕落な生活はさせない。
言われるままに睡眠薬をたくさん出して、夕方まで寝ているようなことはさせない。
いくら「お嫁さん」が拒んでも、きちんとした病院のしっかりした精神科医に診せるべきじゃなかったの?

そうしたら「お嫁さん」だってあんなに一日中寝ているようなことは出来なくなって、「彼女」はきっともっともっと楽に過ごせたんじゃないの?
「お嫁さん」の言うなりで、一人、お母さんが苦労してるなんて、お母さん可哀想じゃない!!

でも、こういう事ってなかなか言えない。息子や「お嫁さん」が居ないところでなら、九子は何万回も言っている。
だけどいざ本人を目の前にしてしまうとねえ。

もしも九子がもっと近い親戚なら、言って良い立場に居たら、言っていたかもしれない。
ちょっと九子がハイテンションな時になら、ものの弾みで言っていた可能性もある。
でも「お嫁さん」とは、「彼女」のお葬式まで、数えるほどしか会ったことはなかったのだ。

M氏の親戚はみんなM氏に似て人が良い。
「お嫁さん」に一番腹を立ててるように見えたその人も、結局笑って「お嫁さん」からのお酌を受けた。
「お嫁さん」は人前に出ると別人みたいに明るくなって、出来たお嫁さんを演じる。
それに騙された訳じゃなかろうが、その人は何も言わなかった。

その人は一番「彼女」に近しくて、「彼女」の「お嫁さん」に対する愚痴の聞き役だった人だ。
その人がお嫁さんに一言も言わない以上、九子なんかが言える立場ではない!
九子もその人と同じように何事も無く会釈して、注がれるままに「お嫁さん」からウーロン茶を注いで貰った。
「お嫁さん」のお父さんならどうか?
実は通夜振る舞いで隣の席が「お嫁さん」のお父さんだった。
何か言いたかったけど、穏やかなお父さんを前にするとやっぱり何にも言えない。
だいいち、彼に大きな責任があるって決まったわけでもない。
(境界例は、育ちの中に問題を抱えた人が多いと言われます。)


実は「彼女」の見舞いに最後に病院に言った時、「彼女」の優しすぎる息子と、遠くに嫁いだ人の良い娘も病室に居た。
その場には居ない「お嫁さん」の話が出た時、どんな悪口が飛び出すかと思いきや、二人はなんと!笑っていた。
「お嫁さん」がどんなことをしようとも、受け入れてるよという笑顔だった。

もしも九子が「彼女」の娘だったらどうだろう。
お嫁さんに掴みかかって、「あんたがママを殺したのよ!」と修羅場を演じていたに違いない。

どうして「彼女」の息子と娘は、あんな「お嫁さん」を赦して、こんなにも優しくなれるのだろう?

「北風とお日様」の話は本当だなあと思った。
私はとてもじゃないけれど、あの二人の真似は出来ない。
さすがにM氏に近いDNAだ。

九子は打ちのめされた。
自分のちっぽけさを思った。
まだまだだな!私!
卑しくも仏教徒なのにね・・・。

一旦はそう納得したはずの九子だったが、悟っていない九子はまたあれこれ考える。

だけどあったかいお日様みたいな人々の中で、「お嫁さん」は何の苦労も無く、好き勝手にこの二十何年やってきたんだよねえ?
「お嫁さん」が楽してた分、「彼女」はずっと無理をして、ストレスを貯めて、早死にしちゃったんじゃないの?
それってすごく不公平だよねえ?

北風とお日様の話は、お日様のあったかさが身にしみて、それに感謝出来る人には有効だけれど、そのあったかさに慣れ切って、それが当たり前だと思ってる人にはなんの効果もない。


お日様の暖かさに慣れきっていた「お嫁さん」は、「彼女」が亡くなってから一生懸命頑張って早起きして家事をしているって聞いた。
「やれば出来るんじゃない!」と、性悪九子はついついそう思ってしまうのだけれど、「彼女」の優し過ぎる息子は、そんな「お嫁さん」が無理をして、また具合が悪くならないかと心配しているそうだ。

九子は遠慮がちな日本人だし、「お嫁さん」の前でどうしても本音を伝える事が出来ない。
でも九子が考えたことは、「彼女とお嫁さん」を知る多くの人の想いだと思う。


「お嫁さん」の息子たち、本当に良い子に育ったね。
でもあれは、「彼女」のお陰だよ。
それを忘れちゃだめだよ。
「彼女」がしてくれたことの大きさを、ずっと噛み締めてね。
せっかくそこまでになった子供たちを、これからもまっすぐに育ててね。


この日記は、「お嫁さん」に読んでもらうつもりで書きました。
北風もたまには必用だからね。

優し過ぎる息子と遠くへ嫁いだ娘へ!
あなた方の赦す力と器の大きさには本当に驚かされます。
いつの日か、お嫁さんもあなたたちの温情を受け止めて、変わってくれるといいね。

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九子ジムに行く その② ・・・・・ジムと水中エアロビクス・・・・・ [<正統、明るいダメ母編>]


医者から正式にOKが出たので大威張りで通い出したプールとジム。
とりあえず水中ウォ-キングを主眼に考えていた九子だったが、トレーナー氏が「痛くないならやってみませんか?」と言うので、生まれて初めてジムとやらを覗いて見ることに・・。

まずはその熱気にびっくりする。ランニングマシーンとサイクリングマシーンが各20台ほどとその他もろもろが並ぶ部屋には、老若男女というよりも、ほぼ中高年の男女が、ほとんど空いてる機械が無いほどに、黙々と運動を続けている。
自分の「メニュー」と言うそうだが、そんなメニューは食べる気も起きない九子と違い、彼らはメニューに従ってストイックに自分の筋肉と対峙する。


どうにも冴えない長野市の悪口ばかり言っている九子だが、長野にだっていいところはたくさんある。
とりあえず都会にあるものはなんでもある。しかも利用する際の混雑やら競争といったことはほとんど考えなくていい。
都会の人気のラーメン屋みたいに行列しなければ入れないこともほとんどないし、どこへ行こうがたいていの物は待たずに使える。
こういう生活に慣れてしまうと、たまに都会に出た時、人の多さと彼らのエネルギーに圧倒される。

九子が買った夜8時以降11時までのみ施設を利用出来るお得割引券だと、ロッカールームやプールがすきずきしていて広々と使える。
昼間の方が子供たちのスイミング教室があったり、退職後の悠々自適の人々が朝からお弁当を持って一日中居たりするので混んでいるのだそうだ。

とりあえず九子の場合、サイクリングはレベル1でも5分しか続かないからレベル1で10分が目標。
「マシンは一人60分までとし、それ以上になったら次の方にお譲り下さい。」とマシンの横に注意書きがしてあるが、いったいどこのどいつがこんな機械を1時間も占領するんだ!!!

「えっ?膝が痛い時にジム?よくトレーナーが許したわねえ。オーストラリアじゃあ水中ウォークだけよ。」
次男がお世話になったオーストラリアの友人の一言にひるんのだが、まあこの程度ならジムやってるうちに入んないよね。(^^;;

実は九子の体型は、あれだけの怠惰な生活にもかかわらず、ぴたりとすべてが標準だった。
「理想的ですね!筋肉量も普通にあるようです。」と言われて、そんならやる必要もないかと一瞬思ったのだが・・・。
ところが左右のバランスが悪い。重心が右に偏っている。考えたらいつでも右側の歯だけで噛んでいるのもそのせいか。だから左側が弱い。

最初と最後の血圧や心拍数の測定と、ビデオを見ながらのストレッチ運動も欠かしてはいけない。
まあとりあえず、続けなくっちゃね。

ジムがすんだ後に、隣の扉を開けるとプールが待っている。ジムに比べると驚くほど人が少ない。
ウォーキングプールは二つある。25mプールにもウォーキングレーンがあるのだが、深そうでしり込みしていたら神出鬼没の隣の八百屋のおじさんが「こっちの方があったけー(温かい)ぞ。深さだって10センチしか違わない。」と教えてくれた。
おじさんは膝の手術をしてから今年でウォーキング暦2年だそうだ。

おじさんが余計なお世話で先生方に九子を紹介してくれたりなんぞするものだから、九子はもののはずみで水中エアロビクスとやらをする羽目になった。

実は九子、スポーツはからっきしダメだったが、リズム感は良いとダンスを褒められたことはあった。とんでもない昔の話である。


ところがこれがなかな難しい。水の抵抗があるわけだから地上のようには動けない。

インストラクターは娘ほどに若い女の先生だ。なんでもキックボクシングの日本チャンピオンだったこともある凄い先生らしい。

最初はいいが、人間だんだん疲れてくるといらいらしてくる。その上九子は非常に疲れやすい。(^^;;

「先生だけ地上で踊っておんなじようにしなさいと言われてもねえ。それと、向かい合ってると右と左は逆なのよ。右足指しながら左と言われてもねえ。いったいどっちを動かせば良いわけ?」
とげとげしく心の中で毒づいていたら、「ほら足が逆!ここから水の中はよく見えますよ!」と指を差された。(^^;;

30分のレッスンが終わる頃には水の中なのに身体が熱くなっていた。確かに今まで1ヶ月通って、初めての経験だった。
そもそも九子は始めた最初の日に買った350mlのお茶に手をつけていなかった。それだけ汗もかかず、運動らしい運動もしなかったと言う訳だ。 この日始めて100mlほどお茶が減った。

プールの合間には、サウナで暖を取る。プールに浸かりっぱなしだと、いくら最後にお風呂を浴びても朝方こむら返りが起きる。
これはこの一ヶ月で学習したことだ。だから九子は誰も居ないサウナで、ベンチに足を伸ばしてくつろいでいた。
暑いと顔が真っ赤になるのは昔からだが、この頃はそれがアレルギーみたいにひどくなって湿疹ができたりするので、冷たい水で冷やしたタオルで顔を覆いながら・・・。
だから九子がここにいることは誰にもわからないはずだった。

そこへ入ってきて九子に声をかけてくれたのがさっきのエアロビクスのM先生だった。
「身体痛くなかったですか?無理しないで下さいね。」九子と知って声をかけて下さったらしい。

初めての人には誰にもこうして声をかけてくれるんだろうか?でもなんだか嬉しい。
話はついにプライベートにまで及び、まだ20代独身とばかり思っていた先生が実はそれより10歳も年上で、しかもママさんであること。
勧められて空手を始めたのがきっかけで、キックボクシングにのめり込んだことなど、最初から友達だったみたいに話してくれた。

さっきまで悪態ついてた九子はもうどこにもいない。
「この人はいい人だ。」と思い込んだら、その人を信じる。最後まで信じる。
それが九子なのだ!それが日本人なのだ!(^^;;


膝が痛くなったお陰で、九子の日常が変わった。
そもそもおおよそ2時間ちょっとの時間を割く事が出来たというのが驚きだ。
もともとちんたら生活している自覚はあったのだが、いったいこの時間を今まで何に使っていたのよ?と九子さんに聞いてみたいくらいだ。(^^;;
4月からは法人会員というのになれるので、息子や娘が帰省した時にいつでもジムやプールやお風呂が使える。これは有り難い!
M氏までもがジムに興味を示しだした。すべて法人会員のカードひとつでまかなえる。

結局九子はしばらくプールのみに通うことにした。

還暦を過ぎた九子の目の前に横たわるのは棺おけの蓋と焼き場の扉ばかりと思いきや、意外にも未知への扉も開けそうだ。

まあ最悪、自分の足で歩けること。人様のお世話にならぬこと。
それが出来たら九子は充分満足だ!
さあそのために、生来の三日坊主は返上して、せいぜいプールに通わなくっちゃ!(^^;;

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九子ジムに行く ① ・・・・ペッパー君のいる整形外科・・・・・ [<正統、明るいダメ母編>]

まさか九子の人生で、死ぬほど嫌いなスポーツを、それまた無理やり、その上大金をはたいて、やらされる羽目になろうとは思いもよらなかった。

ある日突然、正座ができなくなったのだ。
正座は、大本山活禅寺では基本中の基本だ。

思えば大晦日二年参りに行った日にいつもよりも座り難くて違和感は感じたが、小一時間足をもぞもぞさせながらだがなんとか正座することは出来た。

ところがそれから2週間ほどして、正座できなくなっているのに気がついた。
もしかしたらどかっと降った雪片付けをさんざんやらされたせいか、帰省した娘たちの布団敷きのせいかといろいろ考えたが、どちらも雪国の主婦であればみんなやってることなのだ。(^^;;

医者に行くよりまず先に、これはプールで水中ウォーキングをしなければならぬとけなげにも思い立った。
子供たちのお供でさんざん通ったプールだが、その後十何年か経つうちにはジムも備えてぴかぴかに新しくなり、そしていつの間にか真新しかった施設もまたぞろ年季が入ってきたという成り行きだ。
そうだよねえ。九子も年取るわけだ!

入り口のお姉さんに相談し、「膝が痛いならまず整形外科へ行ってみてください。」と反対に教えられる。

彼女の言葉どおり 近くの整形外科に行く。
こちらも時は普通に流れ、大先生から若先生の代になり、建物もすっかり新しくなって機械がたくさん並び、どこかのジムみたいに見える。

若先生に「『変形性膝関節症



ですね。」と即断され、何の準備も無く膝の水を抜かれる。
何しろ突然なのだ。痛い!という暇も無いあざやかな手口。

一週間に一度水を抜きに行くこと。
なるべく頻繁に電気治療器をかけてもらいに行くこと。
毎日湿布を貼ること。
朝夕膝の体操をすること。
それがすべてだ。
そしてプールの運動は膝に負担がかからないからOKだそうだ。

そうそう、整形外科の入り口に意外なものが居た。
人型ロボットペッパー君だ。
アイコンタクトが出来ると「こんにちわ。今なにしてんの?」と声をかけてくる。

九子は本当のところはプールに備えて買った防水のMP3プレーヤーで、ダウンロードしたpodcastのバイリンガルニュースを聞いていた。
バカ正直な九子はそう答えねばと思った。
でもそれを声高に言うのはなんとなく憚(はばか)られたので(OH!日本人!)小さい声でもぞもぞ言った。
ペッパーには声が届かなかったらしく、「今何してんの?」を繰り返した。
答えをためらって、九子はペッパーを無視した。

そのうち彼、今度は質問を変えて「今楽しい?」と聞いてきた。
「楽しいよ。」と答えた。

人間同士の会話だって、これだけでおしまいになっちゃうよねえ!
なんでもっと会話を長く続けさせる話題をふってくれないのかなあ?

それで九子は反対に尋ねた。
「君は楽しいの?ひとりぼっちで、あんまり楽しくなさそうだけど。」
受付のお姉さんがそれを聞いて苦笑している。

ペッパー君の答えはこんなだった。「人、それぞれじゃない?」

こんなに賢いペッパー君だが、どう考えても彼の活躍の場は少なそうだった。九子はもう10回もクリニックへ通っているが、誰一人としてペッパーに話しかける人を見たことが無い。

ペッパー、君は来るところを間違えた!
君は同じクリニックでも、小児科のクリニックへ行くべきだった。
子供たちなら目を輝かせて我先に君と話したがっただろう。
それとももっと自分の感情を表に出す国のクリニックに立つべきだった。
アメリカ、中国、ラテン系。
そうすれば君は物凄い人気者で居られたことだろう。

雪深い長野の老人クリニックでこれから何年を過ごすのか知らないが、喜ぶべきは君が人間と違い、一人ぽっちでも落ち込んだり、行く末をはかなんだりすることが無いということだ。


湿布2週間分の処方箋をもらい、近くの薬局へ湿布を貰いに行く。
なぜ笠原十兵衛薬局で調剤しないかって?

いくらなんでも九子だって、湿布を出すだけの処方箋なら苦も無く出来る。
物理的には出来るのだが、自分の処方箋は自分で調剤出来ないことになっている。
必ず他の薬局へ持っていかなければならない。(薬局に二人以上薬剤師がいれば、もう一人の薬剤師が調剤すればいいのだが。)
これはなんでも、医者が自分の身体を自分で診察出来ないと同じ理由なのだそうだ。
一体どこがおんなじなんだ!!!

九子はまじめに2週間以上クリニックに通った。うち3日、湿布を貼り忘れた。
右膝に電流をかけに行くのは、クリニックの休日の水曜日と土日を除いてほとんどすべて行った。
九子にしてみたら本気で通った。
だけどまだ膝が痛くて正座出来ないし、気がついてみれば膝の屈伸に思いのほか時間がかかる。
一体いつまで行けば治るのだろう?

そしてもう一度考えた。
本当に膝は元通りに治るのだろうか?

年をとるという事は、元に戻れなくなる可能性が増えるという事。
若いときは何かあっても、治療すれば、時間が経てば、大半の事は元通りになると信じられた。
だけどそうじゃない可能性も大いに考慮しなくちゃ!

政府に言わせると75歳からが高齢者ということになったそうだ。
なるほど見かけが若いスーパーおじいちゃん、おばあちゃんが増えたから、75歳は妥当に思えた。
膝が痛くなるまでは・・。

膝の痛みにも2種類あって、九子みたいに使わなさ過ぎでなるのと、使い過ぎでなるのと両方あるそうだ。
備わった能力をみすみす使わずに老朽化させるのは確かにもったいない気がするが、それは九子が選んでそうした事だから甘受する。

そこ行くとペッパー君は気の毒だ。少なくとも彼の意志とは関係なく連れて来られた彼の能力の千分の一も一万分の一も使えていない環境で、電気コードに縛られて自由に動くことも出来ずに、地味で真面目な老人たちに見向きもされず、世の中から忘れさられたように生きて行くのだろう。

この際九子は早いとこ高齢者になりたい。
ジムへ行かないと歩けなくなるぞと言われる事も無く、仕事が遅いと文句言われることも無く、年よりだから仕方ないわなあと思って貰える。

可愛いおばあちゃんと言ってもらうことも、あの人みたいに美しく老いたいと尊敬のまなざしを向けられたいとも思わず、何もかもすっ飛ばしてよぼよぼのおばあちゃんになり、大好きなお昼寝を一日中決めこんで、文字通り「寝たきり」になる。そしてたまにブログを書く。そうやってお迎えの来るのを待つ。

医者やプールに行くので道々いつもより余計にどうでもいいこと考えているせいか、ついそんなことを思ってしまう九子だった。(^^;;








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雪かきをしながら考えたこと [<坐禅、仏教、お寺の話>]

このところの大雪で骨がきしみそうに連日雪かきをさせられている。


雪かきと言う単純作業は、九子のような集中力の乏しい人間にとっては恰好の頭の働かせ時。

逆に言えば考え事していたって難なく出来てしまうおいしい仕事と言う訳だ。


九子の家の裏には狭い川がちょろちょろと流れている。

川があると無いでは大違い。

雪かきの時にはこれが大活躍なのだ。


川が無ければ雪を山にして積み上げるしかないから、雪の山のせいで道が狭くなる。

もちろん町中の人々が(九子を除いて(^^;;)働き者という事情もあるが、隣の町に比べて小さなわが町はいつでも道路に雪が無くて快適だとドライバーには評判らしい。


雪ダンプで運んだ雪を、町中の人がこぞってこの川に投げ入れる。

新雪の真っ白い雪ばかりではなく、下の方で凍りついて黒くなった塊の雪もどんどん投げ入れられるから、狭い川はすぐに雪で一杯になる。


そのうち雪が川を堰きとめて、雪の上まで水がかぶさり、しばらく淀んだようになる。

これは大変だと思っていると、二三度雪を運んできた頃にはもう、川は雪の山の下に見事に行き先を見つけ出して流れ始めている。


こういう時、水はタフだなと思う。


九子が坐禅を習った大本山活禅寺の無形大師に、「水の如くあれ」と教えられた。

水は暑くなれば水蒸気となって霧散し、寒くなれば氷となって固まる。

だが、形は変わろうともその本質は決して変わらず、いつかまたもとの水に帰る。

そして水は器によって変幻自在に姿を変える。

水の如く、柔軟な生き方をしても、その真髄は変えるなという教えか。


考えてみると九子は、言われなくたってそれを実践してる。

理不尽な目に合うとすぐに頭から湯気を出してカッカと熱くなり、うまく行かなくなるとすぐにへこんで固まって氷になる。

器用じゃないから、器によって形を変えるってとこだけは出来ないけど・・・ってそういう問題か?(^^;;



川に続く道は狭い。人二人がやっとすれ違う程度。だから雪ダンプを持ってる時は、どちらか一方が待って道を譲る。


たしか数年前までは、中学生も高校生も挨拶をしてくれたものだった。待っててくれて有難うの意味で「すみません。」と言うと、あちらからも「すみません。」が返って来た。


あちらの「すみません。」に対して、「こっちこそすみません。」と言う。

満員電車で靴を踏まれて、踏まれた方が謝る日本人という訳だ。


ところが今年はそれが無い。3日間のうちのたった一日、こちらが待っていてあげるとたった一人が「すみません。」を言って通って行った。嬉しかった。しかもそれは九子の母校の子であった。


「すみません。」は日本人の魂だと思う。良かれ悪しかれ、九子の世代の人々の大多数が一日のうちに何回も何十回も使い続けて来た美しい言葉だ。


待たせてごめんなさい、やってくれて有難う、わざわざ面倒かけて(時間を割いて)ごめんなさいね、気を遣ってくれて有難う、などなど。


要するに日本人独特の「思いやりの心」ってやつだ。

あまのじゃくな九子とすれば、思いやりだのおもてなしだの、あんまり声高に言われると、「何よ、それ!」って気にもなるのだけれど。(^^;;


でもそれは、見えないものを見る力だ。

声に出して言われなくても、相手の事を想像する力だ。


日本人が美徳とするこの力を全く理解しない人々が世界中には多くいる。

世界中を見回さずとも、ほんのお隣だってそうだ。


自分には一切非が無くて、相手がすべて悪い。

すみません、ごめんなさいと言った途端に、それ見たことかと追求されたら、そしてそういう事を何百年、何千年と繰り返してきた人々が私たちの10倍以上も住む国と付き合い続ける事を考えると

とても気が重い。

だけど付き合わなきゃならない。


水の話に戻るけれど、水は一番低いところを流れる。

「水の如く」と言う言葉には、きっと無理をしないで楽な方に流れよという意味も含まれている。


日本人は日本人のままでいい。

無理して強くなって大陸の真似などしなくてもいい。

靴を踏まれて「ごめんなさい。」というお人よしでいい。

だってどこかの国を真似て強くなろうとしたって、何百年も養った真面目で人のいい性格がそうそう変われる訳が無い。


強くなるのは政治家だけ。政治家には目いっぱい強くなってもらって、国家を守ってもらわなくっちゃ。


水はタフだ。氷をも、岩をも砕く。

水になればいい。

真面目なところも、正直なところも、そのままを押し通して、突き進めばいい。


ずるがしこくなるな。計算高く生きるな。

持っている純粋さのそのままで押し通せ。


無形大師の「水の如く」。

日本人が自信を失っている今だからこそ、知って欲しいと思う。





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2017年年賀状 [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]

  悠也結婚式カサハラ家族.jpg
明けましておめでとうございます。
旧年は我が家にとって嬉しい年でした。
6月に三男Yが結婚しました。
豪州放浪の旅を続ける次男Sを訪ねて、8月は九子とN子が、11月にはM氏とM子が渡豪しました。この時を逃せばもう行く機会は無かろうと危惧したからです。
わずか数日の滞在でも、雄大な自然と優しい人々やコアラに癒された、散財に見合う有意義な旅でした。
今年は長女N子の結婚式が続きそうです。
遠方での挙式となり、金離ればかり良くて蓄財の才に乏しい両親は、新たな散財に頭を抱えております。
今年もよろしくお願いします。
平成二十九年 元旦

登場しなかった長男Rもお嫁さんと二人、穏やかに暮らしています。


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正月にふさわしい話題を探していたら、例によって文藝春秋のこんな記述にほうっと思った。
演出家鴨下信一氏の筆による。

斉唱は正しくは合唱と同じではない。合唱は声部がいくつかに分かれていて違うメロディーを唱うのだが、斉唱はたった一つの同じ旋律を唱う。

 
父も、九子自身も、子供たち全員も信州大学の附属小中学校に通ったので、入学式や卒業式の折の君が代斉唱は当たり前のことと思っていた。
何しろ国立大学の附属、つまりは国からお金を貰って運営されている学校だったからだ。

それが長男が県立高校に入学し、その入業式で国歌斉唱の段になった時、こんなアナウンスがはいったのには驚いた。
「思想信条の自由により、歌いたくない方は歌わなくて結構です。」
寄る年波で記憶が定かでないのだが、確かその後に「起立しないで着席していても構わない。」という一文も続いたような気がする。

そんなに多くは無かったと思うが、その通りにする人々が居たのも覚えている。
その時初めて、君が代を歌い、国旗を仰ぎ見ることに複雑な心情を覚える人がいるのだという事に思い至った次第だ。

鴨下氏の言葉に戻るが、

「君が代」がなかなか揃わないと怒りたくなる時があるが、本来前奏がないのだから意外と難しいのだ。
謡の地唄など、よく音高やリズムが合うと思って地頭に聞くと「途中で自然に合って来ます。」とのこと。
なるほど、そういうものか。
「齊」の字は、イネやムギ等の穀物の穂がいっせいに出揃うのがもとの意味だそうな、
気がつけばそろっているのがいいのだ。

穀物にしても人間にしても、育てる人には辛抱が必要だ。
「途中で自然に合って来ます。」とは、なんと経験を積んだ奥深い言葉だろうか。
こういう大らかな気持ちで子供たちを育てたかった。
5人子供を生んだくらいじゃあ、とんでもないけどおっつかない。

結婚は一応人生のひとつのゴールイン。
立派な芽をつけようが貧弱だろうが、葉っぱが緑だろうが黄色だろうが、花が大きかろうが小さかろうが、いちいち威張ったり、おろおろしたりしないで、でんと構えていたかった。
「途中で自然に合って来ます。」と微笑みながら・・・。



タグ:君が代 斉唱
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