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薬剤師のピンキリ [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]

薬剤師会からのファックスが入る前に最初に気づいたのはM氏だった。

彼にはお悔やみ欄をつぶさに見る癖がある。


 

「おい、薬剤師さんがえらい若くして亡くなってるぞ!知ってるか?」


彼が告げた名前は、私の薬大の同級生で、同じく同級生の小、中と九子と同窓だった彼と結婚して、遠くから嫁いできた彼女だった。


 

彼女は一人っ子。さぞやご両親様は寂しい思いをなさっただろうと思う。薬剤師にまでした一人娘が遠くへ嫁に行ってしまうのだから・・・。


 

何度も言うけれど、大学時代の九子は友達もいないどころか、他人が怖くて仕方の無い未熟な娘だった。だから彼女とも、後に彼女のご主人になる彼とも、そんなに深く話したことはない。


 

ただ彼らはクラスの中でとても目立った。


彼はウエーブのかかった長髪にバンダナ、そしてタンクトップにジーンズの出で立ち。いかにも自動車部という風体だった。軽音(軽音楽部)と掛け持ちもしていたんじゃないのかな?


 

彼女の方はそんなに派手な身なりではなかったけれど、九子の記憶の中で彼女は細長い指で器用にタバコを吸っていた。


 

そんな二人が卒業し、結婚して長野へ戻って来て、彼が長野市薬剤師会に取り込まれて保険部長になった時はびっくりした。


あの時の長髪やタンクトップの挑発的な彼はまったく影を潜め、きちんとした身なりの老成した薬剤師然としてしまったからだ。


 

彼の家はもともと薬局で、お母上さまは私の母と薬専同級生だ。


薬局はもともと日赤の目の前に立っていたのだが、日赤移転に伴って新しい日赤のそばに新店舗を作った。


 

そして、新たに薬剤師も数人雇って、大きな調剤薬局をしていた。


 

その頃からか、彼女が度々薬剤師会で発言したり、プレゼンテーションをしたりする姿をみかけるようになった。


実は九子は、彼女がまだ九子に毛が生えた程度の薬剤師さんだと思い込んでいた。


子供だって小さいし、まだまだでしょ!


 

ところが彼女はその頃から、確実に実力を溜め込んでいたのだった。


我が家の何十倍、いや何百倍もの処方箋を扱い、たくさんの患者さんに接することによって、本来の薬剤師が身に着けなければならないスキルと患者さんへの心遣いを。


 

残念ながらその後彼と彼女は別れてしまう。ちょうどお子さんが独立するのを待っていたように。


 

そんな頃、九子は偶然彼女に出会った。薬剤師会の会合以外、卒業してから口を利くのは初めてだったかもしれない。あれは確か、どこかのスーパーの入り口の階段のあたり。


 

どんな話をしたのかつぶさに覚えているわけではないが、彼女のこんな言葉が印象に残った。


「私はねえ、この仕事をしたことが自分が成長出来た原因だと思ってるの。私を変えてくれたのは今の薬剤師の仕事ね。」


 

凄い!凄すぎる!


薬大で同じ時間を過ごしてから30年で、人生ここまで差がついてしまうのだろうか?


 

かく言う私は雲切目薬の売り子。たまに処方箋は来るけれど、薬の用意も少ないし、出来たら処方箋など来て欲しくないのが本音!


 

ところが彼女は処方箋調剤が生きがいなのだ!






薬大の同級生という立場上、彼女のお通夜に行ってみた。


やつれた感じのしない穏やかなお顔だった。


 

先輩薬剤師の話を聞く限り、事情はこんな風だった。


 

ある薬剤師さんが、もう年でもあるので、自分の薬局をすべて居抜きで買ってくれる人は無いかと探していた。そこに手を上げたのが彼女だった。


彼女はきっと薬剤師生活の最後に自分だけの店を持ちたかったのだと思う。


 

その薬剤師さんもいい人に買ってもらえると喜んでいたそうだ、


話が本決まりになって、さあいよいよというところで、突然彼女の側からキャンセルがはいったのだそうだ。それが3ヶ月ほど前。


 

何が起きたのかさっぱり知らされないまま、その人は落胆していた。せっかくよい条件で薬局が譲渡できると喜んでいたのだから・・。


 

そして1月のはじめ、彼女の訃報が届いたというわけだ。


 

彼女は肺がんだったのだという。


大学時代にタバコを吸っていた彼女を思い出した。


その後も吸っていたのだろうか?


 

すぐに失礼するつもりが、先輩薬剤師さんと話し込んでいて中座の機会を失ったまま納棺式に立ち会うことになった。


 

彼女の家は浄土真宗で、亡くなると同時に極楽に行けるという教えなので、お棺の中に旅支度と言われる装束を入れなくても良いのだという。


 

そして最後に故人の一番好きだったものを入れる段になり、お嬢さんが大切そうに入れたもの。


それはきれいにたたまれた白衣と、薬剤師のIDカードだった。


 

A子さん、あなたの人生を顕すものは、たった一つ。


薬剤師の仕事着は、燦然と光り輝くあなたの勲章!


 

 


正反対のものを表す言葉にいくつかある。


ピンとキリは良く使われるが、どちらが良くてどちらが悪いのかいまひとつ釈然としない。


 

では月とスッポンならわかりやすいだろうか。これもまあ、今の世の中ならスッポンも高級品だから、昔ほどの差は無い気がする。


とにかく同じ丸いものでも天井の月と泥の中のスッポンということで比べられたみたいだ。


 

同じ薬剤師免許を持っていても月はA子さんで、九子はスッポンだ。


スッポンの証拠に、九子は泥のように眠るのが何より大好き!(^^;;


 

泥の中のスッポン九子は、月を見上げて語りかける。


 

「ねえ、Aさん。あなたのことなんか全然羨ましく無いわ。(負け惜しみ(^^;;)


 出来る薬剤師ってさぞや忙しい人生だったでしょう。


 あなたはそれが生きがいだったのね。


 でも私は違う。


 

 不器用で、そそっかしくて、調剤薬局じゃあ使い物にならなかった薬剤師だから、調剤なんか最小限で、一枚の処方箋すごく時間かかって調剤して、それでもまだ間違えたりして・・。


 

でも出来すぎ母は、きっとそんな私のために雲切目薬遺して行ってくれたんだと思う。


これがあるおかげで、そんなに一生懸命調剤しなくてもそこそこお金は入ってくる。


 

知ってるわ。私が特別運が強いということ。


それをわかった上で、敢えて言いたい。


 

Aさんが薬剤師の仕事によって成長したように、九子だって少しは成長したんだから。


成長がまったく見えないって?


まあまあ・・。(^^;;


 

九子はね、あなたと机を並べていた頃、とっても不幸だったの。


無理やりにこにこしていたの。自分の不幸を悟られないように。


 

そして坐禅(座禅)に幸せをもらったの!!


今は本当に明るくなったわ。」


 

坐禅(座禅)のブログも御覧くださいね。(^-^)


 


彼女に心よりのお悔やみをもうしあげます。


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再び、三たび 長野と松本 [<九子の万華鏡>]

このところ用事があって何回か義姉の住む松本に赴くたびに、ああ、やっぱり松本には敵わないなあと思うことしきりだ。


もうそんなこと何十回も思った!


仕方ないよ。長野は門前町で松本は城下町。


お殿様を守り立てて参勤交代の折などに他の藩主よりもみすぼらしく見えないように、人々がこぞって知恵を絞り、高価な着物や生活用品を作り出した。

その結果、物は豊かになり、町は栄え、文化が広まった。


ところが善光寺のお上人さまやお管主さんは贅沢なんてしないもの。衣食住だって質素を旨としてきらびやかどころじゃない。


長野の町にいわゆる町人文化が栄えなくても、そりゃあしかたないんじゃないの?

そういって長いこと言い訳してきた。


ところがここへ来て、そうじゃないんじゃないの?と思うことが次々起った。


一番衝撃だったのは、松本に県下最大級のイオンモールが出来たことだった。

長野にはbigと呼ばれる小店舗があるばかりだ。


モールは義姉の住むすぐそばなので外からだけ眺めてみたが、すごい広さだ。

そしてここには広い音楽ホールにもなる多目的会場も作られていて、さまざまな目的に利用が見込まれている。


なぜ人口の多い県庁所在地の長野ではなく松本に?という話になる。


実はもう十年も前に長野にイオンモールを作る話が浮上した。

ところが時の市長さんが、そんなところに大きなものが出来たら市内の業者は皆つぶれてしまうと怖れた結果、イオンを締め出すことになった。


ところが松本はそれを受け入れた。市内の業者に大きな影響が出るだろうことはもちろんわかりきってたはずだ。


でも彼らはきっと、自分たちの努力で大きな施設と上手に棲み分けが出来ると考えたのだろう。そしてそうする自信もあった。


とりあえず今は彼らの目論見どおり動いている。イオンモールは都会からのたくさんのしゃれた店と、地元には無い珍しい飲食店が軒を連ね、たくさんの人々で賑わっている。

そして松本の町に昔からあったさまざまな専門店と共存している。(ように見える。)



これを見たとき、九子は考えた。

街って言うのは、人が作るものなのだと。

その街に住む人々のエネルギーと気合と意気込みとが、街を次々変えて行くものなのだ。


長野の人間は、きっと変化を拒むのだろう。

というか、変化が怖いのか?

とにかく地味で、保守的で、千年一日の如く同じように暮らしていくことが安心なのだ。

だけど「人だけは良い。」と言われていて、そこだけがせめてもの誇りだった。


ところがこれもだいぶ怪しくなった。


松本山雅というサッカーチームのことは皆さんご存知だと思う。元Jリーガーの松田選手が練習中に急死されたことでも有名になった。


数ヶ月前、山雅のスタジオが使えなくなり、長野パルセイロが本拠地としている長野市のグランドを今期初試合をするグランドとして使わせて欲しいという申し出が松本山雅から加藤市長のところにあったそうだ。


ああ、いいんじゃないの?使わせてあげれば!

ところが市長の歯切れは悪かった。


結局彼が言ったことはこうだった。

「こちらのグラウンドも台風の被害で芝がやられてしまっていて修理にどのくらい時間がかかるかわからない。だから答えは保留にさせて下さい。」


何?それ?

本当に貸す気があるなら「私の一存でその時までに必ず間に合わせますから。」と言って、握手でもすべきだよねえ。意地悪してると取られてもそれまでだ。


結局松本山雅の今期初試合は、山梨県ですることになったのだそうだ。


へただなあと思う。加藤市長だってこんな簡単なことで男を上げて、長野と松本が少しでも仲良くなるチャンスだったじゃない!

これでまた長野の人間は底意地が悪いなんて言われかねない。



会社のトップ、コミュニティーのトップ、そしてむろん国のトップは本当に自分の言動に注意して欲しいと思う。


彼らの言動は、もう彼ら一人のものではない。

それを言った、した人間が、すべての組織の人間を代表していると思われてしまうから。



先日中国人の女の子が二人、雲切目薬を買いに来た。中国人と言われる前は、上手に日本語を話すし、日本人だと信じて止まなかった。

だから普通の速度で普通と同じように古い店の説明した。それでも彼らはちゃんと意味を理解してくれたと思う。


でもちょっとしたアクセントが独特だったので聞いてみた。

すると、千葉大の留学生で、日本に来て2年半程だという。


はっきり言って、悪い意味での中国人らしさはまったく無かった。物静かな、「すみません。」をよく使うかわいらしい学生さんたちだった。


九子の中にあった典型的な中国人像は崩壊した。「こんなおとなしい中国人もいるんだなあ。こういう人たちばかりなら、お友達になれそう!」


人間の判断力なんていい加減なもんだ。結局自分の経験の範疇を一歩も出ない。



こんな長野市だけれど、たまには好きだと言って何度も訪れてくれる人もいる。

子供が大学で二年間いたけれど(信州大学教育学部と工学部の学生は松本で二年間、長野で二年間を過ごす)長野がとても気に入ったと言ってくれる人もいる。

そんな時は自分が誉められたように嬉しい。



ああ、そうか!

実はこの頃九子は段々とこの長野市に愛着が湧いてきた。

母親が出来の悪い子どもを可愛がるように、なんともパッとしない我が長野市に愛おしさを覚えるようになった。


年とったせいかしらねえ。(^^;;


そして思いついた。


長野市は九子に似てるんじゃないかしら?

何よりエネルギーが無いところが。(^^;;


保守的で新しい何ごとかをやり遂げようという意気込みの足りなさ。

出来るならば難しいことは目をつぶってる間にどうか頭の上を通り過ぎてて欲しいと思うところ。

そして、まあ住んでて困ることもなし、そこそこの物はなんでも揃うのだから、

目くじらを立てる必要もないでしょう・・という向上心の欠如。(^^;;



それでもこれでも、長野市にはたくさんの人が来て欲しい。

期待が大き過ぎなければ、そこそこ見るべきところも美味しい食べ物もある。

負けゆく者の美学もある!(たぶん)    


そして忘れずに正真正銘の長野市民九子に会いに、雲切目薬の笠原十兵衛薬局まで足をお運び下さいね。(^-^)       


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佐渡裕が長野にやってきた! [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

う〜ん、これを書こうか少々迷った。

だって「指揮者村中大祐氏いのち!」のブログを書いてから間が無いからだ。


Mu-ranさん! 例によって音楽のことはまったく良くわからない九子のことゆえ、中身に音楽的要素はさっぱり・・のブログですからどうかご安心を!(^^;;


佐渡裕が長野に来るのは十数年ぶり。そして、かつて高校の管弦楽部でトランペット奏者だったM氏が珍しく行きたがった。


タクシーの運転手さんがふるっていた。


「お客さん、どちらまで?」と聞かれて、文化会館までと答えると「今日は誰が来るんです〜?」


「あっ、佐渡裕です。」と答える九子に、微妙な間が待っていた。

中高年の夫婦連れが二人そろって一体何見に行くの?みたいな、いぶかしげな感じ。

だから九子は重ねていった。「佐渡裕。指揮者の佐渡裕と彼のオーケストラです。」


運転手さんはほっとしたような、あっ、そうか!とも思えるような答え方をした。

「あっ、佐渡裕!ああ、あの指揮者のね!」


もしかしたら佐渡裕と言う名前を聞いて、一瞬運転手さんは演歌歌手でも想像したのかしらん。

そうだよね。演歌歌手にはどんぴしゃりな名前だ。(^^;;


「それで演目は何です?」


「えっ?演目?」なんだっけ?佐渡裕、佐渡裕ばっかりで、演目なんか良く見なかった。(^^;;

あわてて広げたリーフレットにもクリスマススペシャルと書いてある他はようわからん。


運転手さんは続けてこんなことを言った。「日本のオーケストラの切符は高すぎるよね。二人分で一万4千円?ヨーロッパじゃあ2、3000円だってね。そのくらいじゃなきゃ行けないよね、庶民は。みんなで楽しめなきゃつまんないよね。」


良くご存知ですね、という九子に、彼はこう言った。


「僕はそんなに詳しいわけじゃないんだけど、テレビでね、BS見てると良く出てくるのよ、そんな話が。」


「BSですか?ずいぶんしぶい番組を見ていらっしゃるんですね?」と言うと、


「僕んとこ山の方なの。地上波の電波がうまく来ないから、地域によっちゃあ、BSしか映らないの。だからNHK受信料払わなくていいんだよ。」 あらまあ!


運転手さんの話を聞いていると、BSも今度見てみようかと言う気分にさせられた。



何度も書きたくないが、長野市は文化が不毛であると良く言われる。


そんな長野でも地元生まれ地元育ちのピアニスト山本貴志氏の世界的活躍や、隣の中野市出身だが、ジブリ映画の音楽監督として有名になり、今や世界的活躍の長野市民芸術館総監督・久石譲氏などの出現は、長野市民に希望を与えてくれる。


それでも佐渡裕ともなるとどこからともなく人が現れ、満席とは言わないまでも9割がた席は一杯になった。


佐渡裕氏もかつてブラスバンドをやっていたらしい。そのせいでか、彼のオーケストラ「シエナ」にはバイオリンが無くて、弦楽器はコントラバスひとつ。よりブラスバンドに近い構成になっている・・ということを、九子はM氏から教わった。


佐渡裕氏は長身で、ルパン三世と見間違うほどの細くて長い足を持っている。

あの細さで、時には1万人の合唱団の第九を指揮するのは荷が勝ちすぎないかと思うほどだ。


今日の演目はクリスマス特集で大曲は少なく軽めだったと思う。しかし韓国人歌手のキュウ・ウオン・ハンの歌は秀逸だった。佐渡氏と、彼がキュウちゃんと呼ぶキュウ氏は、パリ時代に同じ釜の飯を食った仲なのだそうだ。まあキュウコのキュウつながりでもあるし、彼の歌には★★★かな?(^-^)


さて、そろそろあの時間の到来だ。


そう。佐渡裕の真骨頂?

会場に集まった観客たちがそれぞれもち寄った楽器をかかえてステージに登る。


九子はちょっと心配になった。ここは恥ずかしながら文化不毛の長野市である。

クラシックコンサートにこれだけの人数が集まったことだけでも驚きなのに、

楽器を持ってステージに上がる人なんて、何人居るんだろう?

ちょぼちょぼとしか集まらずに佐渡さん困るんじゃないだろうか?


ところがそんな心配は無用だった。

まあ一体彼らはどこにあんな楽器を隠し持っていたんだろう。

中には巨大なチューバを持ってる人もいる。


来るわ、来るわ。九子の心配をよそに、ステージは立錐の余地もないほどに。   

その上なんと!中学生くらいの男の子と女の子は、指揮棒を持って佐渡裕に迫る。

「あっ、指揮者もいるのかあ。オレここに居たらじゃまね。」と、すごすごと指揮台を降りる佐渡裕氏。


演奏が始まった。「星条旗よ永遠なれ」。急ごしらえの素人合奏団が奏でる誰もが知ってる佐渡とシエナの代表曲。もちろん指揮者は中学生カップルた。 


演奏だって大したものだ。何より彼らの熱気が凄い。夢の舞台で一世一代の瞬間だ。

この音を記憶に残して欲しいと、一人一人の上気した顔が輝く。


わあ、すごいよ~。長野市だってやるもんだねえ。あんなにたくさんのクラシック人口が育っていたとはねえ・・。


九子とM氏も熱い思いで聴き入る。



うん?その考えは突然稲妻の如く去来した。

ああ、思いつかなきゃ良かった!そうしたらもっと幸せでいられたのに・・。

でも一度気づいてしまったことを気づかなかったことにはもはや出来ない。


果たして、このステージ上の人々は長野市民ばかりであろうか?

もしかしたら、上田!いや、松本!!


クラシックの、いや文化の先進地として鳴り響く松本や上田。

佐渡裕のためならどこへでも足を運ぶ面々がたくさん居るはずだ。


そういう人がほとんどなら、わかる!この熱気!この活気!


九子は係りの人に聞きたかった。今日来た人たちは、いったいどこから来てますか?

長野市の人は何割ですか?もちろんそんなことに答えてくれる人は居ない。


長野市民よ。せめて半分、いや、三分の一、いや四分の一でいい。

満員の客席を埋め、楽器を持ってステージに立っていて欲しかった!


いや、せめて祈ろう!

佐渡裕を聴き、ステージに上る人々にあこがれて、音楽の海に漕ぎ出す人々が僅かずつでも

増えることを!


Mu-ranさんこと、指揮者の村中大祐氏は言った。


「響きを愉しむ」いうのは誰にでもできるようだが

これが日本人にとっては意外に難しいのではないのか?

 

愉しむためには

「自分に合った」言葉の響きを

選び取る作業が必要になる。

 

多分この辺りで差が出るのだろうが

日本人は自分だけの選択をすることが

異常なくらい下手くそ。

 

他人のフリを見てから動く体質は

こういうところにも表れると思うのだが

やはり「自分だけの価値を選び取る」ための教育が

そもそもできていないようなのだ。

 

じゃあ、自分に正直になるにはどうすりゃいいか、って?

 

そりゃあ、音楽を聴くことさ。


これなら出来る!これから始めよう、長野市民よ


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Expediaは返金に応じてくれなかった!・・でも悪いのはきっとExpediaじゃない・・ [<英語の話>]

Expediaは返金に応じてくれなかった!

こういう結果が待っていようとは夢にも思わなかった。結構多くの方が読んでくださる「Go to Gateが返金に応じてくれた!」同様に、良いお知らせが出来るとばかり思っていた。


ただ、自分の中で、アメリカの大手旅行会社Expediaに対する恨みつらみはおどろくほど無い。反対に絶望的に大きな障害として横たわったのは日本のシステムの何たる!内向きさ加減と、融通の利かなさだった。


それから九子の弱腰というか、すぐに諦める執着の少なさ。お金のためならどんなことでもするぞ!っていう中国人のバイタリティーは九子の中には皆無なのだ。
まあ、これでいい勉強させてもらったと思って、この程度のお金のことは諦めよう! 日本人がよく口にするこの言葉。世界中の人の中では少数派なのかもしれないと思う。


話は1年も前にさかのぼる。M氏とM子が当時オーストラリアにいた次男Sを訪ねた時の話だ。


何しろ時間の少ない駆け足ツアーのことだから、効率よく回ることは重要だ。
メルボルンのツアーで、一日で西海岸のグレートオーシャンロードとペンギンが夜よちよち海岸に上がってくるところを見に行けるという弾丸ツアーがあった。
迷わずこれに申し込んだのだが、このツアーが人数が少なくて不成立になり、行けない事になった。
キャンセル申請はすぐに受理され、お金は返金された。


でもどこかでまだ同じようなツアーはやっていないものか?
必死で探して見つけたのがExpediaがやっていたツアーだった。

お金も違う、ツアーの時間もわずか違っていたので、まさかこれが同じツアーだとは思いもしなかった。


Expediaに入金した。その次の日くらいか? キャンセルの通知が来た。
最初の会社のツアーとExpediaのツアーは同一のもので、最初の会社のがキャンセルになれば、自動的にこのツアーもキャンセルになりますと言われた。

それならそういうことサイトに一言書いてくれてもよかったのに・・。

その時はメールですべての手続きをしてくれた。


ただ、そこに落とし穴があった。最初払い込んで早々に返金してくれた会社も、言ってみれば大会社Expediaの子会社みたいなものだったのだ。

その辺の事情は何回もメールに書いたはずだったのだが、とにかくお金を返して欲しいのが2回目に払い込んだExpedia本社だというのがなかなか伝わらない。


そのうち、キャンセルに関してはメールではなく電話をかけて下さい!となった。

う~ん、困った。英語の聞き取りがいまいちの九子にとって、これはハードルが高い!
でも、それしかないとなれば、ドキドキしながら電話した。


サポートチームは皆、押しなべて優しくて協力的だ。こちらの幼稚園程度の英語でも(^^;;、ちゃんとわかろうとしてくれる。
この時は2度ほどの電話(アメリカ国内からは無料だが、日本からは国際電話料金だ!)で、返金の約束が取れた。


これで安心してしまった!Expediaが電話の後も、子会社の最初の会社が払っているのだからそれでいいと思い込んでいた証拠のメールが届いていたのに気づかなかった。


薬局のメールは毎日必ず開くが、個人的なGmailはなかなか開かないこっちの事情も手伝って、このメールに気づかなかったのは迂闊だった。
その上通帳のチェックもいい加減だった。その挙句、1年近くも経過してから気が付いて返金要求を再びすることになってしまった。


今回もメールから始めたが、やはりその件は是非とも電話でと言われる。
彼らはとにかくフレンドリーだが、やたら待たされる。一回の電話で20~30分はざらであるが、これは国際電話なのだ!

電話のやり取りは5回ほどして、彼らの主張は一貫していた。
とにかくExpeiaが返金していない証拠をクレジット会社または銀行で証明して欲しいというものだ。

最初は口頭で、次はクレジット会社からの請求書過去一年分再発行してもらってPDFにして送ったが、日本語だからわからないと言われる。
まあ、そりゃそうでしょうと九子も思う。
だってそれがもし中国語だったら、いくら数字とアルファベットが書いてあっても自分でも戸惑うだろうと思うから。


今回アメリカへ電話してみて、アメリカの企業は一本の電話は一本の電話が終了するまでの間に解決したがっているんだと初めてわかった。
その証拠がサポートの一人の「僕が日本の銀行に直接電話して話をするから、電話番号教えて!」という言葉だった。

九子はそれはたぶん無理だろうと言った。英語の達者な人が、そんなやたらに居るはずが無い。


彼らが欲しがっているのは証明だった。送られたこのPDFが正しいものだという、社名のある便箋に「Expediaから○○あての返金はまだされていません。」という一言と役職名と署名があったらすぐにでも返金してくれると言う。

ああ、良かった!簡単な話だ!

ところが、そう思ったのが間違いだった!!


ゆうちょ銀行からイオンクレジットに相手を変える。
イオンクレジットは例の昨年11月から一年分の請求書再発行をしてくれたところだ。

ところがこの件になると、頑として聞いてくれない。
こちらとしてはそういうことをした例が過去には一度もありません!の一点張りで、てこでも動かない頑固さだ。


「いや、あちらが要求しているのは単純にあなた方が出してくれた請求書が正しいという証明だけなんです。あなた方にExpediaと交渉をして欲しいとお願いしているわけではなくて、その段階はもう終わっていて、それがあれば返金してくれると言ってくれているのに、あなた方がどうしても出せないというなら、私は日本の企業に裏切られたことになります。そもそもそちらで出された請求書は正しくないってことなのですか?」


「そういうことではありません。とにかく今まで一度もそういう書類をお出ししたことはないので、それ以上のことは出来ません。」

この部署はクレジットの未払いなどに対応する部署なのだろう、理詰めでものを言う固い印象の女性が多い。


もしも、英語で「証明書」という書式を作っておけば、九子だけじゃなく、困っているたくさんの日本人を救えるかも知れない。
日本語の書類に、こういう英語の一枚をつけ加えるることによって相手が信用してくれるんだったら、それって作っておくべきじゃないの?

九子は対応してくれたどこの組織にもこの主張をし続けたが、誰一人として真剣に取り上げてくれる人は居なかった。


まだまだ九子は諦めない。

イオンの英語のwebsiteで、問い合わせ欄に英語で問い合わせる。
とりあえず英語の達人ばかりが居る部署だろうから、Expediaの誰かが直接電話して来ても上手に対応してくれるだろうから、そちらの電話番号を伺いたいと書いた。

ところが!!

日本語で返事が来て、あろうことか、これ以上の対応は例の固いお姉さまばかりの部署でして下さいというつれない返事!!
その部署でいくら言っても聞いてもらえなかったって書いたのに、読んでくれてないの?


イオンさんさあ、世界進出してるわけでしょ?旧態依然とした日本のやり方で大丈夫なの?

だけど世界の企業は、少なくともアメリカの企業は日本の何倍ものスピードで回っている。
日本だけが、英語はわかりません!前例がありません!で大丈夫なんだろうか?

あの英語ぺらぺら部署の人たちは、少なくとも世界標準で仕事しているんだよね?そうじゃなくちゃ世界のスピードに勝てないもの。


イオンクレジットの対応には本当にがっかりした。
だけど、まだまだ諦めないぞ!


九子は突然「銀行協会」という言葉を思い出した。たぶん銀行にはそれを束ねているおおもとの組織があるはずだ!そこに電話してみたら、「日本クレジット協会」というところもあるという。「そちらにかけられることをお勧めします。」と言われてかけてみる。


そこで消費者相談専用電話を教えられ、海外でのトラブルなら越境消費者センターに相談することを進められ、ここの入力フォームから相談してみた。


う~ん。確かに親切だった。
ただ、サイトにも謳っている通り、ここが九子に代わってExpediaと交渉してくれるわけではない。あくまでもアドバイスをしてくれるだけなのだ。


しかも政府の機関だから、「イオンクレジットの姿勢はおかしい!」と訴える九子に対し、「イオンクレジットの対応に問題はない。」という立場なのだ。


ここで言われたのは、Expediaに「払ったのなら払った証拠を出して欲しい!」と迫ること。
証拠になるから電話ではなくてメールなどの書面でのやり取りを要求する。
のふたつ。


言われた当初は再度戦おうと思っていたが、毎日のなんやかんやに囚われてるうちにだんだん気持ちが萎えてきた。
こういう時いつも九子の強気を阻むのが、自分にはうつ病の持病があるという事実。

もうすでに2万円強の電話代を払っているのに、更に国際電話して、不慣れな英語で要求して交渉するの?
無理は禁物だよ。うつでも来たらつまんないじゃない!
5万円なんかもうどうでもいいよ。

だんだんそういう声無き声が、九子の心の中で大きくなった。


そういうわけなのだ。もしもまだまだ交渉を続けたら、Expediaはお金を払ってくれたかもしれない。
あちらサイドからすれば、「珍しく日本人が幼稚園児みたいな英語で電話かけてきたけれど、結局あきらめたのかな?」というところだろうか。
そう。今回のことで、日本人がこういう要求をするケースは非常に少ないらしいということもおぼろげにわかった。


今回は、Expediaに負けた気がしない。むしろ彼らはよくやってくれた。
負けたのは、日本のシステムだ! 旧態依然とした何十年も変わらない頭の固いやり方だ。

確かに消費者を助けてくれる駆け込み場所はどこにでも作ってある。相談に丁寧に応じてもくれる。

日本人としては頼もしい。だけど最後の最後に足をすくわれる。そんな気がした。

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ブログがもたらす不思議な出会い [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

 

ブログをはじめてもう15年近くなる。訳もわからず始めたが、「ブログを書いてて本当に良かったな!!」と思う瞬間は少なからずある。

 

先日mu-ranさんこと指揮者の村中大祐氏がご家族と善光寺を訪ねられたとき、お行き会いする機会を得た。

mu-ranさんとは最初書いていた「マイぷれす」というブログサイトが無くなって、so-netに移ってすぐからのお付き合いだ。

 

思えばブログというものが存在しなければ、絶対に!mu-ranさんと九子の接点は無かったはずだ。

片や、世界を股にかけて大活躍の指揮者さん。九子は一生のほとんどを長野で暮らす、雲切目薬の売り子としてしか生きていけない落第薬剤師。

 

こういう出会いは今の時代そんなに珍しいものではないのかもしれないが、Facebook Twitter Instagram と言った言葉以外のものを重視する種々のSNSとブログには違いがあるように思う。

 

九子のブログも割合文章が長いが(^^;;、せいぜい10000字でしかも更新は月に2回ほどだ。

ところがmu-ranさんは、この頃、主にメルマガで書いておられるようだが、ほぼ毎日、最低10000字、時には

20000字近いのを書かれる。まずはそのエネルギーに脱帽!

 

そしてそれを可能にするmu-ranさんの多彩な人々との交流と、異国でのめざましい活躍!

 

指揮者村中大祐氏をご存知ない方には、彼の公式ホームページから、プロフィールをご覧ください。

 

日本で出光賞その他、ヨーロッパで数々の賞を総なめにしても、日本の音大を出ていない(東京外語大でドイツ語を学ばれ、ウイーン国立音楽大学で音楽を学ばれた)のがネックになって、学閥の壁に阻まれ、いや、そればかりではなく、きっと古い体質の業界の中で才能を妬まれたりもされたんだろう、村中氏は日本ではなく、20年にもわたり、ヨーロッパに拠点を置かれて活躍される。だから残念ながら、日本での知名度はそこまで高くない。

 

村中氏は5ヶ国語を操る語学の天才でもあるが、彼のブログを見てまず驚かされるのは、その記憶力の確かさともの凄さだ!

人の名前、場所の名前、曲の名前を正確に記憶する!しかも忘れない!

当たり前に思われる方もおいでかもしれないが、ああ、あの人!ここまで出てるんだけど誰だっけ?の九子(^^;;にとっては、それだけでもう羨望の的だ!

 

村中氏の20年間におよぶヨーロッパ諸国でのさまざまな人々との交流がいかに実り豊かなものであったかは、メルマガに詳しい。どうぞ皆様も読者になって、本物のヨーロッパが薫り立つような.楽しさを満喫してほしい。

 

 

たとえばビリージョエルの弟が指揮者になってウイーンに居るそうなのだが、彼とお昼を一緒に食べながら「実はこれから兄貴の伴奏でアメリカに行くところなんだ。」なんて話がさらっと出てきたりする。

あれっ?これはニュースレターに出てくる話だったかな?

 

もちろん村中大祐氏がチャールズ皇太子の前で、皇太子の英国室内管弦楽団の指揮をして「イギリス室内管弦楽団 国際招聘指揮者」に認定されている話はつとに有名だ。

 

 

そんな村中大祐氏と彼のオーケストラAfiAの演奏会(いつも東京の紀尾井町ホールで開かれる)に九子とM氏は何度か伺っている。

 

村中氏の素晴らしさは、九子のようなまったくこれまでクラシック音楽と程遠い生活をしてきた門外漢でも、むしろそういう人たちを大事にしてくれるということだ。

 

村中氏は言う。

「だから音楽を聴くあなたにも、あなたにとって「どう感じられるか」や「つまらない」「おもしろい」を語ってもらいたい。自分なりの感覚で「感じて」もらいたい。」

それだから、九子のような何もわからないずぶの素人が大威張りで聴けるのだ。

 

「自分の判断の軸を作る前に

他人の意見を頼りにしすぎると
必ずコンプレックスが生まれます。
 
多数派が正しいことを前提に
ものを考えると
必ず「あなたが間違い」になります。
 
あなたは違う人間だから
違う答えが見つかるはずなんです。
あなたが見つけた答えがホンモノなんです。」

 

何もわからないこともさることながら、いつも言ってるように九子は普通の人が普通に出来るいろいろなことが出来ない困った人間なのだけれど、村中氏はそういう人々にも優しい。

 

実際の村中氏の言葉となるが、

 

「僕の周りには不器用な人、出来ない人が多いんですよ。そういう人は出来ないことを補って余りある他人と

 

違う特殊な才能を持っているものなのですよ。」

 

これは次のメルマガの言葉からも伺える。

 
 
「1.強いアタマを持つこと。器用にたちまわらないこと。
  ? 不器用こそ真なり。
 
2.人のやり方を真似ないこと。つまり「自分のやり方」を作ること。
  ? 自分の弱みこそ強みとする
 
3.3.常に「自分のやり方」を信じること。(これは後になって必要と感じました。

 自分の方法論を持たないと、オリジナルではいられないからです。)
  ? 人の言うことに惑わされない。決定は自分でする。
 
私はこの3つだけを守ってきました。」


「不器用こそ真なり。」なんて言われると、なんだか九子が凄い人になったような気がして、とても嬉しい。

こんな風に、村中大祐氏のブログには彼の生き様が色濃く現れている。

 
ヨーロッパで長く暮らした村中大祐氏だからこそ言える、これからの日本に対する提言も多い。

「まずシガラミから、自由にならないと。
 
  シガラミとは「思い込み」です。
  ひとから与えられた価値観です。」
 
「響きを愉しむ」いうのは誰にでもできるようだが
 これが日本人にとっては意外に難しいのではないのか?
 
 愉しむためには
「自分に合った」言葉の響きを
 選び取る作業が必要になる。
 
 多分この辺りで差が出るのだろうが
 日本人は自分だけの選択をすることが
 異常なくらい下手くそ。
 
 他人のフリを見てから動く体質は
 こういうところにも表れると思うのだが
 やはり「自分だけの価値を選び取る」ための教育が
 そもそもできていないようなのだ。
 
 じゃあ、自分に正直になるにはどうすりゃいいか、って?
 
 そりゃあ、音楽を聴くことさ。
 
 自分に気持ちいいものを選び取ることが
 きっとできるようになる。
 
 私たち音楽家は
 きっとそういう仕事をすべきなんだ。
 音楽はそういうことのためにもきっと役に立つのだから。」
 
 いかがでしょうか。ずしっと何か響きませんか?
 
最後に大事なことを言い忘れました。

指揮者村中大祐氏のブログは、音楽家のブログです。だから九子のように、この作曲家、
名前だけ知ってるけどどんな曲なのかはわからないという初心者の人にも、この作曲家の
音楽のことをもう少し掘り下げて知りたいという人にも、とても楽しく読み進むうちに、
いつの間にかうん蓄が増えて行き、音楽を好きになるきっかけになること請け合いです!!!

まずはメルマガで、ほとんど毎日のように配信される村中大祐氏の元気になる言葉たちの

数々を読んでみましょう!

次にはあなたの「お気に入り」に、村中大祐とオーケストラAfiA、加えてみませんか?(^-^)
 


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五輪真弓 45周年記念コンサート in 松本 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

たいてい大物アーティストは松本に来る。
郷ひろみや、このあいだの五島みどりは、松本から長野にまた戻ってきてくれたが、まあ松本でいったんコンサートをやってみたアーティストは、きっと次も松本で・・と思うだろう。

何しろサイトウキネン改めセイジオザワフェスティバルを長年支えてきた土地柄だ。松田選手が最後に属した松本山雅の熱狂的なファンがたくさんいるところだ。

それだけのエネルギーを爆発させ、一致団結し持続させていく力!残念ながら、敵わないなあと思う。こういうところが長野の人間はあっさりしすぎているのだ。

まあそれはともかく、五輪真弓。さすがだった!
思えば絶頂期の彼女のコンサートに行ったことは無かった。
出来すぎ母が晩年、彼女のCDを良く聴いていた。

「恋人よ」が中国でも評価されて、かの国でもカリスマのごとき人気だったことも承知していた。
でもわざわざ上京までしては行かなかったと思うが、松本だ。
松本に来てくれる!アッシー君M氏の同意も得た!(^^;;

オペラグラスに映った五輪真弓は、まるで小さな女の子のようだった。
最初の一、二曲は声の出もあまり良くなくて、本当にこれが五輪真弓?と正直思った。
なぜだろう?なぜこんなに違和感があるのか?

理由はすぐにわかった。
おかっぱに切った髪と、人のよさそうな笑顔がその原因だった。
思っていたより彼女は、とても小柄な人だったのだ。

絶頂期の彼女は笑わなかった。
背中まで伸びた長い髪と、背筋をまっすぐにして歌う贅肉のない骨張った身体が彼女をとても大きく見せ、「笑わない」という印象も、もしかしたら彼女の全身から発せられていた「堅い」「動じない」「揺らがない」意志のようなものが、勝手にそう思わせていただけなのなのかもしれない。

彼女のコンサートのすべてをアレンジするのが、彼女のご主人なのだそうだ。そのご主人の話をされる時はなおさら大きな笑顔になられた。

そうか。彼女は45年間の間に、恋をして、家庭を持ち、魂の安らぎを得て、いい意味で丸くなられたのだなと思った。

そんな穏やかな五輪真弓を堪能しながら今日のコンサートは終了するのだなと思っていたところへ、驚きのクライマックスが訪れた。

「少女」「恋人よ」「Born again」「花のように」と続く大団円だ。

「少女」は若き日の五輪を代表する曲と言われていたが、その歌詞をよくよく噛み締めて聴くことは無かった。彼女いわく、20歳で作った曲だという。

聴き始めてびっくりした。
たいてい20歳の女の子が「少女」という歌を作ったと聞けば、きっとそれは自分を題材にして書いたのだろうと思う。

その前に彼女は、自分には兄と姉がいて、三人兄妹の一番下だったと語っていた。エピソードも温かい家庭を想像させられた。

ところが「少女」には兄姉の影は無い。それどころか、家族団らんもない。
一人ぼっちの、言ってみれば九子の小さい頃のような、ここだけは絶対に違うが、鋭い感性を持って人生を達観した少女が、あたたかい陽のあたる真冬の縁側でぼんやりと坐っている。

少女の達観は、最初はつもった白い雪がだんだんと解けていくのを眺めながら、夢がこわれていくように感じている。
その次は仔犬たちが年老いていく姿を悲しみながら、夢が風の中で褪せて消えてしまったと捉えている。
そればかりか少女は、あたたかい陽のあたる真冬の縁側というありふれた日常に身をおきながら、自分もいつか木枯らしが通り過ぎる垣根の向こう側に行くことを、つまり自分自身もいづれ老いて死んでいく身であることをしっかりと見据えているのだ。

正直鳥肌が立つのを覚えた。

20歳でこの歌詞を書いた老成した女の子はそれからどう生きていくのか?果たして幸せに生きられるのだろうか?

「少女」「恋人よ」「Born again」「花のように」
クライマックスがこの順番であったことが大いなる救いだった。

誰もが知る五輪真弓の代表曲「恋人よ」は、「少女」が結ばれない恋をして苦しんだことを教えてくれた。
苦しんだけれども、「あの日の二人は宵の流れ星、光っては消える無情の夢」であったと、かけがえのない大切な思いを彼女は胸に刻み込んだはずだ。

「Born again」も「花のように」も、命と希望の歌だ。
「命はどこに旅立つのか、この身が風に散っても愛した心は永遠に」
「たとえ短い命でも愛する人を思えばその時を捧げたいすべて」

やわらかく優しい最後の二曲のおかげで、聴衆の心は安堵と喜びにあふれる。
ああ、あの感受性の強い、生きていくのが辛そうだった20歳の女の子も、温かい家庭と穏やかな日々に恵まれたのだな。
五輪真弓の人生は、才能や成功による喜びは無論だが、なんていうことの無い日常生活の平凡な喜びにも溢れたものだったんだな。

笑わなかった五輪真弓の現在の満面の笑みは、今まで見たどのステージに立っていたアーティストの誰の笑みとも違う穏やかさで、幸せのありかを見せてくれていた。
 

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ジョニーへの伝言は一番よく出来た歌詞なのか? [<九子の万華鏡>]


先日NHKテレビで昭和の歌謡史の3時間特別番組をやっていた。
九子は最後の50分くらいしか見なかったが、阿久悠さんの歌詞が取り上げられていた。
その時阿久悠さんご本人が映って、「ジョニーへの伝言」、それと表裏をなす「五番街のマリーへ」、このあたりが自分ではナンバーワンの出来映えだと思うとおっしゃった。


え~???
九子はどうも腑に落ちない。


ジョニーもマリーも軽いと思った。
阿久悠なら、「舟唄」とか、奇しくも番組の最後を飾った「冬の蛍」とか、もっと重厚なのがたくさんあるでしょ?


「冬の蛍」は凄い迫力だった。詞の壮絶さもさることながら(九子は今日はじめて詞をよく読んだ。)、「北の蛍大合唱団」という合唱団がわざわざ結成されていて、中高年の男女の弾まない歌声が絶妙だった。


こっちの方が断然いいよ。ちょっと女には書けない歌詞だ。
「もしも私が死んだなら、胸の乳房をつき破り、赤い蛍が飛ぶでしょう。」


乳房を持ってる女には、それがまあ誰かさんのみたいにとりあえず乳房と呼べる代物でさえある限り(^^;;、少なくとも九子には書けないと思った。
生々しすぎない?特に小林麻央さんの悲報なんかあったあとには・・・。


こんな凄い詞があるのに、なんでジョニーやマリーなんだろう?


高橋真梨子は阿久にこう言われたそうだ。
「ちっちゃく歌わないでね。日本の歌じゃないからね。」


さすが!と思ったのは、高橋真梨子は「今度のバスで行く。西でも東でも。」


というその一行を読んで、それが外国であることを瞬時に悟ったという。


「ジョニーが来たなら伝えてよ。2時間待ってたと。
割と元気よく出て行ったよとお酒のついでに話してよ。
友達ならそこのところ、うまく伝えて。」


外国の話と言いながら、ずいぶん日本人的じゃあないだろうか?
2時間も待って普通なら嫌味のひとつも言いたいところなのに、そこは耐える女、可愛い女。
彼の友達に「元気そうだったよ。」と伝言するように言って、泣き出しそうな心をひた隠しにして去っていく。


彼の友達は彼女の切ない心がわかるほど敏感なやつなのだろうか?
そして肝心の彼の心は?


ただ、こういう心の襞を描いた歌なら、良い曲がもっといっぱいある。
たとえば中島みゆき。彼女の詞はそういうので溢れている。彼女はきっとそれだけ複雑な内面を持っているのだと思う。
前も書いたかもしれないが「悪女」なんかその際たるものだ。


彼の心が自分からもう離れてしまったことを察した女が、夜遊びをして、実はホテルのロビーやら深夜映画館やらで無理やり一人で時間をつぶして、男と遊んでる振りをして、彼の心がますます自分から離れて行くように仕向ける。


これなんかもう名人芸と言っていいと思う。
ここまでのことをされて、彼女の本音がわかる男がいたら、これも名人級だと思う。


中島みゆきという人は、その才能に脱帽した人がたくさんいるらしい。
一番有名なところでは「さだまさし」。
さだまさしの詞も一世を風靡したが、中島みゆきだけにはどうしても勝てないと言っていた。


話をもとに戻して、なぜ阿久悠はジョニーとマリーを一番として挙げたのか?


そもそも「五番街のマリーへ」が「ジョニーへの伝言」のアンサーソングなのかどうかはよくわからない。
でもそう考えると腑に落ちる。
と言うよりも、そう考えてみたいと思わせる。


ひとつ齟齬があるとすれば、マリーはジョニーと別れて、今度のバスが行く方に西でも東でも行くと言い、さびしげな町に着いた。


ましてやそれが外国であるならば、バスの終着点まで、ジョニーの匂いのしない遠い遠いところまで乗っていきそうな気がする。


ところがマリーが住んでいた五番街は、「近いけれどとても遠いところ」なのだそうだ。


そこのところが少しだけ違和感がある。


テレビに出てきた阿久悠は、かなり晩年だったように思う。
年をとると、九子なんかもよくわかるが、こってりした食べ物よりもあっさりしたものを好むようになる。


その上、若かりし頃の思い出がますます輝いて見え出すので、かなわなかった恋の話やら、初恋の物語なんかをいつもに増して美しく思い出す。


好きという気持ちを素直に言えたら今頃いっしょに暮らしていたかもしれない人。お互いを思いやるがゆえに「好き」を言いそびれてしまった人。


もう決してもどらない「若さ」がそうさせた運命。


阿久悠という稀代の才能が、どんな力強い作品も書けた人が、最後に「一等賞」に挙げた二作。


阿久悠も年のせいでステーキよりもお茶漬け好きになっただけ・・なんて言わないよ。(^^;;


自分の心の片隅に住んでいる昔の恋人をちょっとした拍子に思い出して、ただただ相手を思いやって人づてに尋ねる。今ではほとんど使われなくなった「伝言」という確実性の薄い伝達手段で、更に人に頼んで昔の恋人の消息を尋ねる。
もしも幸せにしていたら、それでいいんだ、何もしないで!


酸いも甘いもかみ締めた阿久悠が、最後にたどりついた理想郷。


当時でももうコンピューターは多くの人が使っていただろうし、確実に消息を求める手段はいくらでもあったはず。


それを敢えてあいまいにしておく気配り、そして愛情。


外国が舞台といいながら、極めて日本的な、日本人的なジョニーとマリー。


阿久悠さんは、日本にあいまいさの無い社会が到来することを予見していたのかな?


だから、ジョニーとマリーにあいまいな日本人の美意識を表現させたのかな?


GPSがあなたのいる場所を突き止め、コンピューターがあなたの預金残高までもを言い当てる社会。
世界の人々にはあんまりわかってもらえないあいまいさの中にある優しさや美しさを、せめて日本人のあなたならいつまでも分かっていて欲しい。分かり合いたいものだ。
そういうメッセージだったかもしれない。


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メインブログが変わります!!

九子の夢の「坐禅の本」の出版のため、「九子のダメ母の証(あかし)日記」はいったんお休みとし、


少しはまめに、と言っても私のことですから(^^;;週1の更新目指して頑張ります!


引き続きよろしくお願いします。<(_ _)>


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まちの翼・・・・・SBCテレビ(ネットテレビ)出演のお知らせ [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]

大変急なお知らせで失礼します。

7月2日日曜日SBC信越放送お昼11時24分から3分間のテレビ番組「まちの翼」で、雲切目薬と、ついでに私が取り上げられます。

地元放送ですが、「まちの翼」で検索して頂くと、そのうち今回分が見られるようになるようです。youtubeに載るのかな?


もしよかったら、ご覧下さい。(^-^)

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午後零時のシンデレラ [<正統、明るいダメ母編>]


意味ありげなタイトルにつられて来て下さった方、申し訳ない。<(_ _)>
面白くも無いウツの話である。6月1日から、きっちりと九子はウツだ。

5月30日。九子は嬉々として両国駅に降り立った。
数年に一度のハトコ会。今年は両国から水上バスに乗り、浜離宮を見て銀座に向かいおいしいランチにありつこうと言う訳だ。

生まれて初めての両国駅には、巨大な横綱の額と、たくさんの力士たちの手形が飾られている。
九子みたいなケータイオンチでも、ここで写真とらないのは日本人じゃないでしょみたいな気にさせられて、思わずぱちりとしてしまう。

水上バスとは言え昔の釣り船をイメージしていたら、ガラス張りの立派なクルージングボート。これなら水がかかる心配も、日焼けの心配も無い。

スカイツリー、屋上のえもいわれぬ形のオブジェで有名なアサヒビールの建物、フジテレビの球体の建物などが次々に視界を流れるが、いまいち印象が薄いのは何年ぶりかのおしゃべりに夢中だからだ。(^^;;

浜離宮で船を降り、ほんの10数分縦断すれば、もう銀座。
浜離宮の、盆栽を十倍に拡大したようなあの松だけは、もう一度しっかり見てみたかった!
ずんずん進む面々にちょっと待って!写真がとりたい!と言えぬ日本人九子。

虎夢という店で創作料理のランチ。コースメニューは4000円弱。
グリーンピースの甘くないアイスクリームが印象的。

銀座の喫茶店で最後の二次会というので、言われるままに追いて行き、テーブルに坐ったところで1時間時間を間違えていたことに気づく。3時のつもりがもう4時!

あら、大変!肝心要の用事をするにはぎりぎりの時間帯!

あわてて地下鉄に飛び乗ったら、乗ってはいけない急行で、乗り越してタクシーにお守りされながらもなんとかぎりぎりセーフで飛び込み、会いたい人には会えずとも、案内してくれた人に思いのたけを話せて、願いのほとんどは成就!


なんでこういうパーフェクトな一日がウツにつながるの?
九子もさっぱりわからなかった。

あっ、あれだ!
上京の前日九子はプールからの帰り、普段よりもずいぶん疲れた。
そして明日の用意をするべく乗り換え路線だの地図だの調べていたのだが、ひどい頭痛で寝込みたいほどだった。

風邪の時にはPL顆粒!九子の特効薬。まず9割9分これを3,4回飲むうちには九子の風邪は治ってしまう。
(ちなみに風邪と聞くとこの薬しか出さないと言われてやぶ医者扱いされてる先生もいる。)

ドタキャンも考えた上京も、おかげで無事一日終了した。
もちろん食事の度ごとにPL顆粒は飲みながらだったが・・・。

そう。それがいけなかったのだ。

どこにも落ち込みや不安材料やストレスが無くても、身体を無理したり疲れさせるとウツが来る。そしてたまたま今は、ウツ最頻発の6月だったという訳だ。

午後零時のシンデレラ九子は、M氏を送り出してから、すやすやお休みする。
今日みたいに雲切目薬の注文の電話が一本も無い、店にお客さんが一人も来ない日が理想だ。

電話が鳴り、お客さんが見えたら、終わるが早いかまたベッドにもぐりこむ。
なぜと言われても困る。ただただ横になりたいのだ。

ところが不思議なもので、午後零時を過ぎると、身体が楽になる。さほど横になりたいと思わなくなる。
だからまあなんとか普通に近い生活が出来る。

午後零時のシンデレラと書いたけど、よく考えてみたら眠り姫かしら?
姫ってのも図々しかったかしらねえ。(^^;;

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