So-net無料ブログ作成
検索選択
前の10件 | -

五輪真弓 45周年記念コンサート in 松本 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

たいてい大物アーティストは松本に来る。
郷ひろみや、このあいだの五島みどりは、松本から長野にまた戻ってきてくれたが、まあ松本でいったんコンサートをやってみたアーティストは、きっと次も松本で・・と思うだろう。

何しろサイトウキネン改めセイジオザワフェスティバルを長年支えてきた土地柄だ。松田選手が最後に属した松本山雅の熱狂的なファンがたくさんいるところだ。

それだけのエネルギーを爆発させ、一致団結し持続させていく力!残念ながら、敵わないなあと思う。こういうところが長野の人間はあっさりしすぎているのだ。

まあそれはともかく、五輪真弓。さすがだった!
思えば絶頂期の彼女のコンサートに行ったことは無かった。
出来すぎ母が晩年、彼女のCDを良く聴いていた。

「恋人よ」が中国でも評価されて、かの国でもカリスマのごとき人気だったことも承知していた。
でもわざわざ上京までしては行かなかったと思うが、松本だ。
松本に来てくれる!アッシー君M氏の同意も得た!(^^;;

オペラグラスに映った五輪真弓は、まるで小さな女の子のようだった。
最初の一、二曲は声の出もあまり良くなくて、本当にこれが五輪真弓?と正直思った。
なぜだろう?なぜこんなに違和感があるのか?

理由はすぐにわかった。
おかっぱに切った髪と、人のよさそうな笑顔がその原因だった。
思っていたより彼女は、とても小柄な人だったのだ。

絶頂期の彼女は笑わなかった。
背中まで伸びた長い髪と、背筋をまっすぐにして歌う贅肉のない骨張った身体が彼女をとても大きく見せ、「笑わない」という印象も、もしかしたら彼女の全身から発せられていた「堅い」「動じない」「揺らがない」意志のようなものが、勝手にそう思わせていただけなのなのかもしれない。

彼女のコンサートのすべてをアレンジするのが、彼女のご主人なのだそうだ。そのご主人の話をされる時はなおさら大きな笑顔になられた。

そうか。彼女は45年間の間に、恋をして、家庭を持ち、魂の安らぎを得て、いい意味で丸くなられたのだなと思った。

そんな穏やかな五輪真弓を堪能しながら今日のコンサートは終了するのだなと思っていたところへ、驚きのクライマックスが訪れた。

「少女」「恋人よ」「Born again」「花のように」と続く大団円だ。

「少女」は若き日の五輪を代表する曲と言われていたが、その歌詞をよくよく噛み締めて聴くことは無かった。彼女いわく、20歳で作った曲だという。

聴き始めてびっくりした。
たいてい20歳の女の子が「少女」という歌を作ったと聞けば、きっとそれは自分を題材にして書いたのだろうと思う。

その前に彼女は、自分には兄と姉がいて、三人兄妹の一番下だったと語っていた。エピソードも温かい家庭を想像させられた。

ところが「少女」には兄姉の影は無い。それどころか、家族団らんもない。
一人ぼっちの、言ってみれば九子の小さい頃のような、ここだけは絶対に違うが、鋭い感性を持って人生を達観した少女が、あたたかい陽のあたる真冬の縁側でぼんやりと坐っている。

少女の達観は、最初はつもった白い雪がだんだんと解けていくのを眺めながら、夢がこわれていくように感じている。
その次は仔犬たちが年老いていく姿を悲しみながら、夢が風の中で褪せて消えてしまったと捉えている。
そればかりか少女は、あたたかい陽のあたる真冬の縁側というありふれた日常に身をおきながら、自分もいつか木枯らしが通り過ぎる垣根の向こう側に行くことを、つまり自分自身もいづれ老いて死んでいく身であることをしっかりと見据えているのだ。

正直鳥肌が立つのを覚えた。

20歳でこの歌詞を書いた老成した女の子はそれからどう生きていくのか?果たして幸せに生きられるのだろうか?

「少女」「恋人よ」「Born again」「花のように」
クライマックスがこの順番であったことが大いなる救いだった。

誰もが知る五輪真弓の代表曲「恋人よ」は、「少女」が結ばれない恋をして苦しんだことを教えてくれた。
苦しんだけれども、「あの日の二人は宵の流れ星、光っては消える無情の夢」であったと、かけがえのない大切な思いを彼女は胸に刻み込んだはずだ。

「Born again」も「花のように」も、命と希望の歌だ。
「命はどこに旅立つのか、この身が風に散っても愛した心は永遠に」
「たとえ短い命でも愛する人を思えばその時を捧げたいすべて」

やわらかく優しい最後の二曲のおかげで、聴衆の心は安堵と喜びにあふれる。
ああ、あの感受性の強い、生きていくのが辛そうだった20歳の女の子も、温かい家庭と穏やかな日々に恵まれたのだな。
五輪真弓の人生は、才能や成功による喜びは無論だが、なんていうことの無い日常生活の平凡な喜びにも溢れたものだったんだな。

笑わなかった五輪真弓の現在の満面の笑みは、今まで見たどのステージに立っていたアーティストの誰の笑みとも違う穏やかさで、幸せのありかを見せてくれていた。
 

★ブログ「ママ、時々うつ。坐禅でしあわせ」 頑張って更新中です。能天気そのものの九子も、坐禅を知る前はこんなでした!是非お読みくださあ~い。(^-^)


nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

ジョニーへの伝言は一番よく出来た歌詞なのか? [<九子の万華鏡>]


先日NHKテレビで昭和の歌謡史の3時間特別番組をやっていた。
九子は最後の50分くらいしか見なかったが、阿久悠さんの歌詞が取り上げられていた。
その時阿久悠さんご本人が映って、「ジョニーへの伝言」、それと表裏をなす「五番街のマリーへ」、このあたりが自分ではナンバーワンの出来映えだと思うとおっしゃった。


え~???
九子はどうも腑に落ちない。


ジョニーもマリーも軽いと思った。
阿久悠なら、「舟唄」とか、奇しくも番組の最後を飾った「冬の蛍」とか、もっと重厚なのがたくさんあるでしょ?


「冬の蛍」は凄い迫力だった。詞の壮絶さもさることながら(九子は今日はじめて詞をよく読んだ。)、「北の蛍大合唱団」という合唱団がわざわざ結成されていて、中高年の男女の弾まない歌声が絶妙だった。


こっちの方が断然いいよ。ちょっと女には書けない歌詞だ。
「もしも私が死んだなら、胸の乳房をつき破り、赤い蛍が飛ぶでしょう。」


乳房を持ってる女には、それがまあ誰かさんのみたいにとりあえず乳房と呼べる代物でさえある限り(^^;;、少なくとも九子には書けないと思った。
生々しすぎない?特に小林麻央さんの悲報なんかあったあとには・・・。


こんな凄い詞があるのに、なんでジョニーやマリーなんだろう?


高橋真梨子は阿久にこう言われたそうだ。
「ちっちゃく歌わないでね。日本の歌じゃないからね。」


さすが!と思ったのは、高橋真梨子は「今度のバスで行く。西でも東でも。」


というその一行を読んで、それが外国であることを瞬時に悟ったという。


「ジョニーが来たなら伝えてよ。2時間待ってたと。
割と元気よく出て行ったよとお酒のついでに話してよ。
友達ならそこのところ、うまく伝えて。」


外国の話と言いながら、ずいぶん日本人的じゃあないだろうか?
2時間も待って普通なら嫌味のひとつも言いたいところなのに、そこは耐える女、可愛い女。
彼の友達に「元気そうだったよ。」と伝言するように言って、泣き出しそうな心をひた隠しにして去っていく。


彼の友達は彼女の切ない心がわかるほど敏感なやつなのだろうか?
そして肝心の彼の心は?


ただ、こういう心の襞を描いた歌なら、良い曲がもっといっぱいある。
たとえば中島みゆき。彼女の詞はそういうので溢れている。彼女はきっとそれだけ複雑な内面を持っているのだと思う。
前も書いたかもしれないが「悪女」なんかその際たるものだ。


彼の心が自分からもう離れてしまったことを察した女が、夜遊びをして、実はホテルのロビーやら深夜映画館やらで無理やり一人で時間をつぶして、男と遊んでる振りをして、彼の心がますます自分から離れて行くように仕向ける。


これなんかもう名人芸と言っていいと思う。
ここまでのことをされて、彼女の本音がわかる男がいたら、これも名人級だと思う。


中島みゆきという人は、その才能に脱帽した人がたくさんいるらしい。
一番有名なところでは「さだまさし」。
さだまさしの詞も一世を風靡したが、中島みゆきだけにはどうしても勝てないと言っていた。


話をもとに戻して、なぜ阿久悠はジョニーとマリーを一番として挙げたのか?


そもそも「五番街のマリーへ」が「ジョニーへの伝言」のアンサーソングなのかどうかはよくわからない。
でもそう考えると腑に落ちる。
と言うよりも、そう考えてみたいと思わせる。


ひとつ齟齬があるとすれば、マリーはジョニーと別れて、今度のバスが行く方に西でも東でも行くと言い、さびしげな町に着いた。


ましてやそれが外国であるならば、バスの終着点まで、ジョニーの匂いのしない遠い遠いところまで乗っていきそうな気がする。


ところがマリーが住んでいた五番街は、「近いけれどとても遠いところ」なのだそうだ。


そこのところが少しだけ違和感がある。


テレビに出てきた阿久悠は、かなり晩年だったように思う。
年をとると、九子なんかもよくわかるが、こってりした食べ物よりもあっさりしたものを好むようになる。


その上、若かりし頃の思い出がますます輝いて見え出すので、かなわなかった恋の話やら、初恋の物語なんかをいつもに増して美しく思い出す。


好きという気持ちを素直に言えたら今頃いっしょに暮らしていたかもしれない人。お互いを思いやるがゆえに「好き」を言いそびれてしまった人。


もう決してもどらない「若さ」がそうさせた運命。


阿久悠という稀代の才能が、どんな力強い作品も書けた人が、最後に「一等賞」に挙げた二作。


阿久悠も年のせいでステーキよりもお茶漬け好きになっただけ・・なんて言わないよ。(^^;;


自分の心の片隅に住んでいる昔の恋人をちょっとした拍子に思い出して、ただただ相手を思いやって人づてに尋ねる。今ではほとんど使われなくなった「伝言」という確実性の薄い伝達手段で、更に人に頼んで昔の恋人の消息を尋ねる。
もしも幸せにしていたら、それでいいんだ、何もしないで!


酸いも甘いもかみ締めた阿久悠が、最後にたどりついた理想郷。


当時でももうコンピューターは多くの人が使っていただろうし、確実に消息を求める手段はいくらでもあったはず。


それを敢えてあいまいにしておく気配り、そして愛情。


外国が舞台といいながら、極めて日本的な、日本人的なジョニーとマリー。


阿久悠さんは、日本にあいまいさの無い社会が到来することを予見していたのかな?


だから、ジョニーとマリーにあいまいな日本人の美意識を表現させたのかな?


GPSがあなたのいる場所を突き止め、コンピューターがあなたの預金残高までもを言い当てる社会。
世界の人々にはあんまりわかってもらえないあいまいさの中にある優しさや美しさを、せめて日本人のあなたならいつまでも分かっていて欲しい。分かり合いたいものだ。
そういうメッセージだったかもしれない。


★ ブログ「ママ、時々うつ。坐禅でしあわせ」 頑張って更新中です。是非お読みください。(^-^)

nice!(7)  コメント(0) 

メインブログが変わります!!

九子の夢の「坐禅の本」の出版のため、「九子のダメ母の証(あかし)日記」はいったんお休みとし、


少しはまめに、と言っても私のことですから(^^;;週1の更新目指して頑張ります!


引き続きよろしくお願いします。<(_ _)>


nice!(8)  コメント(2) 
共通テーマ:

まちの翼・・・・・SBCテレビ(ネットテレビ)出演のお知らせ [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]

大変急なお知らせで失礼します。

7月2日日曜日SBC信越放送お昼11時24分から3分間のテレビ番組「まちの翼」で、雲切目薬と、ついでに私が取り上げられます。

地元放送ですが、「まちの翼」で検索して頂くと、そのうち今回分が見られるようになるようです。youtubeに載るのかな?


もしよかったら、ご覧下さい。(^-^)

nice!(12)  コメント(1) 
共通テーマ:テレビ

午後零時のシンデレラ [<正統、明るいダメ母編>]


意味ありげなタイトルにつられて来て下さった方、申し訳ない。<(_ _)>
面白くも無いウツの話である。6月1日から、きっちりと九子はウツだ。

5月30日。九子は嬉々として両国駅に降り立った。
数年に一度のハトコ会。今年は両国から水上バスに乗り、浜離宮を見て銀座に向かいおいしいランチにありつこうと言う訳だ。

生まれて初めての両国駅には、巨大な横綱の額と、たくさんの力士たちの手形が飾られている。
九子みたいなケータイオンチでも、ここで写真とらないのは日本人じゃないでしょみたいな気にさせられて、思わずぱちりとしてしまう。

水上バスとは言え昔の釣り船をイメージしていたら、ガラス張りの立派なクルージングボート。これなら水がかかる心配も、日焼けの心配も無い。

スカイツリー、屋上のえもいわれぬ形のオブジェで有名なアサヒビールの建物、フジテレビの球体の建物などが次々に視界を流れるが、いまいち印象が薄いのは何年ぶりかのおしゃべりに夢中だからだ。(^^;;

浜離宮で船を降り、ほんの10数分縦断すれば、もう銀座。
浜離宮の、盆栽を十倍に拡大したようなあの松だけは、もう一度しっかり見てみたかった!
ずんずん進む面々にちょっと待って!写真がとりたい!と言えぬ日本人九子。

虎夢という店で創作料理のランチ。コースメニューは4000円弱。
グリーンピースの甘くないアイスクリームが印象的。

銀座の喫茶店で最後の二次会というので、言われるままに追いて行き、テーブルに坐ったところで1時間時間を間違えていたことに気づく。3時のつもりがもう4時!

あら、大変!肝心要の用事をするにはぎりぎりの時間帯!

あわてて地下鉄に飛び乗ったら、乗ってはいけない急行で、乗り越してタクシーにお守りされながらもなんとかぎりぎりセーフで飛び込み、会いたい人には会えずとも、案内してくれた人に思いのたけを話せて、願いのほとんどは成就!


なんでこういうパーフェクトな一日がウツにつながるの?
九子もさっぱりわからなかった。

あっ、あれだ!
上京の前日九子はプールからの帰り、普段よりもずいぶん疲れた。
そして明日の用意をするべく乗り換え路線だの地図だの調べていたのだが、ひどい頭痛で寝込みたいほどだった。

風邪の時にはPL顆粒!九子の特効薬。まず9割9分これを3,4回飲むうちには九子の風邪は治ってしまう。
(ちなみに風邪と聞くとこの薬しか出さないと言われてやぶ医者扱いされてる先生もいる。)

ドタキャンも考えた上京も、おかげで無事一日終了した。
もちろん食事の度ごとにPL顆粒は飲みながらだったが・・・。

そう。それがいけなかったのだ。

どこにも落ち込みや不安材料やストレスが無くても、身体を無理したり疲れさせるとウツが来る。そしてたまたま今は、ウツ最頻発の6月だったという訳だ。

午後零時のシンデレラ九子は、M氏を送り出してから、すやすやお休みする。
今日みたいに雲切目薬の注文の電話が一本も無い、店にお客さんが一人も来ない日が理想だ。

電話が鳴り、お客さんが見えたら、終わるが早いかまたベッドにもぐりこむ。
なぜと言われても困る。ただただ横になりたいのだ。

ところが不思議なもので、午後零時を過ぎると、身体が楽になる。さほど横になりたいと思わなくなる。
だからまあなんとか普通に近い生活が出来る。

午後零時のシンデレラと書いたけど、よく考えてみたら眠り姫かしら?
姫ってのも図々しかったかしらねえ。(^^;;

nice!(16)  コメント(0) 
共通テーマ:健康

プールの風景 [<正統、明るいダメ母編>]

あなたは友達を作るのが上手な方?それとも苦手?
そんなこと長いこと考えたこと無かったが、ここへきて少し考え始めている。

確かに5人も子供が居る割には「ママ友」というのはほとんど出来なかった。
その場その場で話す仲間は居た。それで良いと満足していた。

思えばあれは大学の頃だ。思いを寄せていたクラブの先輩に「九子ちゃんは誰にもにこにこして るけど、なかなかそれ以上入って来ないね。」と言われた。

入ってくる? どこへ?どうやって?まったくわからなかった。

今にして思えば、九子の付き合い方は浅いのだろう。もしかしたら九子の周りには壁のようなも のが取り巻いていて、私からも友達からもそれが邪魔になっているのかもしれない。

でもまあそれで長い間やってきたのだから、それでよし!と思っていた。
これは一人っ子で育った九子の癖みたいなもんなんだから、仕方ないよ。

ところがここへ来て、ちょっと雲行きが怪しい。


今ではもうジムの方は見向きもせず、水中ウォーキングだけやるつもりでプールを選んだ。でも 歩いてばかりではなんだかつまらない。
そこで軽快な音楽がかかる30分間の水中エアロビクス教室に誘われ、月、木で参加するように なった。


参加者はほとんど同じメンバーだ。
その参加者たちと、どうもしっくり来ない。(気がしている。)

彼らは長年プールに来ているベテランのようだ。彼ら同士は打ち解けて話している。

九子は最初でちょっとつまずいた。
水泳は基本、個人プレーと認識していたので、先生とは挨拶していたが、彼らに挨拶することは 無かったのだ。
いわゆる新参者の仁義の切り方に問題があった。

もうひとつマズかったのは、お風呂の中でタオルで顔を隠していること。
これには理由があって、熱湯の中やサウナに顔をさらしていると顔が真っ赤になってひどいと湿 疹が出来る。
だから九子はいつも冷水でぬらしたタオルで顔を覆っている。

何か話しかけてくれようと思っていても、これではこちらから拒絶していると思われたって仕方 がない。

受け入れてもらっていないなという感じを受け出してから、なるべく挨拶を欠かさずするよう にした。すると一人二人挨拶を返してくれる人が現れた。一人は気兼ねなく話してもくれる。

すると残るはあと3人くらいかな?

そのうちの一人は長野では珍しく外人さんだ。最初のときに「どこから来たの?」と声をかけた が、その時から拒絶反応を示された。こういう反応は初めてなのでびっくりしたが、まあ仕方が ない。

別に一生に関わる事ではなし!最後まで話が出来なくたって、エアロビクスの効率が悪くなる訳 でもない。

みんな健康のために、自分のために来ているのだから、そんなに仲良しになる必要なんてないよ ね。

でもそこは、良いカッコしいの、気にしいの九子である。せっかくご縁があったのだから、たま には話だってしたい。

そういう気持ちからどうしても離れられないのが、九子という人間なのだ。
そしてそれが気になり始めると、そればっかりを考え始める。

今日あの人に挨拶したけれど無視された。わざとだろうか?単純に、聞こえなかっただけだろう か?

あの人は今日、挨拶を返してくれた。初めてだ! ラッキー!

九子の関心は、そのうちプールの外まで及ぶ。


あっ、あそこに居るママ友らしき若い三人組!
今日も何やら声高に話し込んでいる。いつものことながら、何のためにプールに来てるのかな?

もちろん話しちゃいけない理由は無いけれど、あんなに長時間、プールも入らないで何話してる の?毎日のように会って、よくもまあ話が尽きないわね。

話の様子じゃ、彼らは毎日ほとんどの時間を一緒に過ごしているらしい。
ああいうのがママ友だって言うのなら、九子はママ友なんて居なくて良かったよ!
だってあれじゃあ、月謝の無駄!時間の三分の一くらいしかプールに入っていないんだもの。

いやだねえ、ああいうのって。あの真ん中の人がお局さまだよ。いつも仕切ってるし、なんだか 怖そう!


その時だった。「おーい、そこの人!ちゃんとやってる?」と珍しく強い調子の先生の声!

ふっと我に返る九子!

そっ、そうか!また考え事してたんだ!
集中力の乏しい九子がいつも陥る自分だけの妄想の世界。

今はエアロビクスの授業の最中。九子がぼーっと考え事してるの、先生にはみんなお見通しだっ たんだ!


結局、月謝の無駄使いを一番してたのは果たして誰??(^^;;

nice!(11)  コメント(4) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

ぶっこみジャパニーズ [<九子の万華鏡>]

このところニッポン礼賛番組が花盛りで、見るとなんだか逆に情けなくなって消してしまうのだが、この番組はついつい最後まで見てしまった。

寿司職人、剣道の達人、歌舞伎女形が海外で誤って伝えられてる日本文化の本筋を教えに行く。
歌舞伎女形なんて特に凄い!達人があの坂東玉三郎を髣髴とさせる市川春猿改め河合雪の丞だなんて・・・。
それこそプロ中のプロだ!

最初はロシアのお寿司屋さん。出来上がった寿司をてんぷらよろしく揚げてしまったり、サワークリームソースやチーズソースでアレンジしたなんともとんでも寿司を作っている。

その寿司屋に、寿司の達人が2日間修行に行く。達人だとは微塵も匂わさず、若い職人の言うとおりに得体の知れないやり方を教わったとおりに真似をする。

二番目はモロッコの剣道道場。剣道と一緒に空手やキックボクシング?みたいなものも教えているらしい。
初めて知ったが、剣道の試合では技が入った時に「面」とか「胴」とか決まった部位を大声で叫ばないと点数にならないらしい。

その道場では、胴を打ちながら「メ~ン」と言っていた。胴も小手も無し。「メン」しか知らないのだろう。
川の中に入って何かを唱える修行も、きっと日本の達人にはばかばかしいはずだが、達人は一生懸命やっていた。

三番目はノルウエーの、はっきり言えば歌舞伎パブ。よくも市川春猿ともあろう人があんなところへ行ったなあ思う。
ニューハーフみたいな男たちがしきりに扇をくゆらせて踊る。
あんまり修行らしきものもなかったせいか、リーダーの男性がエステで美顔術を施されるところなどが大写しで映し出された。

どこの場合でも、修行に入ったはずの三人の見習い、実は達人が、急に二日間で日本に帰ると言い出す。

そして別れた後、三日目には、本場日本からそれぞれの技の凄い達人が来るのだという広告が周知徹底されていて、店や道場関係者はもちろん、たくさんの人々が方々から詰め掛けて来る。

もちろん主役はあの達人たちだ。

さて、どんなことになるのだろう?

九子が思ったのはこうだ。彼らはいくら自己流とはいえ、大きな店や道場を構え、曲がりなりにもプロとして、お金を取ったり教えたりする立場にあるのだから、日本から本物が行ってそれを誇らしげに見せ付けたら彼らのプライドはずたずたに傷つけられるに違いない。

そうなった時、彼らはどうするのだろう?
怒り出す人が続出したら、どうなのだろう、テレビ的には?

ところが、あら、不思議!!
三組どこをとっても、素直に自分たちの非を詫びて、「日本の技術は素晴らしい。これからこの通りにしていくよ。」と号泣せんばかりの喜びようなのだ!

自分たちが間違っていた事を素直に認めてプロの技を評価する姿勢が本当にすがすがしい。九子は「なんていい人たちなの!」とその真摯な態度や謙虚さにいたく感激した。


「羞恥心」やら「恥」の文化とは、日本人を表す象徴のようになっている。
こういう時に「恥をかかされた」と思うのは、もしかしたら日本人だけ、あるいは日本人がとりわけ強いのかもしれない。

欧州の人々は今までの自分たちのやり方にそれなりの自信があったのだろう。だから「恥」とは決して思わず、自分たちのやり方で最善を尽くしていたと素直に思えるから、本物を受け入れる強さがあるのかもしれない。


日本人が言う「恥」とはなんなのだろう?
誰に対して恥ずべしと思うのだろう。
師あるいは、自分の行くべき「道」に対して、まだまだ未熟で恥ずかしいと思うのならよい。
ところが、こんな失敗をして他人にどう見られるか、
人様になんと言われるか、無様だ、情けない。
そんな人が大多数なのではないだろうか?

世界の中で長い間活躍していらっしゃる指揮者のmu-ranさんこと村中大祐氏がいつか、言い方は少し違っているかもしれないが「日本人には他人が常に介在している。」というようなことを書いておられた。いや、「他人が入り込みすぎる。」だったかな?

とにかく日本の中で生活しっぱなしの我々には、なかなか言えない言葉だろう。まさに言い得て妙だ。
この国で育ち、この国で生きている私たちが、他人の目を全く無視することは難しい。
だけどそれに振り回されず、自分の思い通りに生きていくことが特にこれからの時代大切なんじゃないかな?


市川春猿改め河合雪之丞、本当にきれいだった!
背骨をくぼませると肩が小さく見え、 男性より小柄に見える
なで肩に見せるようにあごを引いて首をもたげる。
女性よりも女性らしい艶姿だ。

一瞬で着物を着替える早着替えの技も見せてくれたが、それには二枚の着物を合わせているとじ糸を一瞬にして断ち切る裏方さんの存在が不可欠だそうだ。

彼らは、主役に影のように寄りそう他人だ。
己の存在を抹消して、自己主張は決してしない。
自分を100%殺し切ってる人たちだ。


自分と他人。日本人として生きる以上、どうやっても折り合いをつけなければならない二つの存在。
これからの時代、以前よりは自分中心に舵を切り、かと言って、周りへの配慮も怠らず・・・。


あ~あ、どうやってもニッポン人から抜け出せない九子である。

nice!(15)  コメント(4) 
共通テーマ:テレビ

区長のお仕事 [<九子の万華鏡>]

どうもこのところ愚痴っぽい話題が続いて申し訳ない。
が、やっぱりどっか変!と思う思いを綴ってみたい。

皆様は、自治会の役というのをなさっていらっしゃるだろうか?

都会はそんなの無いのかな?みんな忙しいのだから・・。

長野のような田舎だと大小さまざまな町に区長さんがいて、区長を補佐する役職がいろいろある。
区長と言っても東京の区長とは大違いで、ドン内田氏など居るはずがないし、選挙で選ばれる訳でもない。第一無給なのだ。

本来田舎町の区長は、当然市の職員がするべき用事を代わりにしているのだという声もある。

とにかく忙しくて無給だから、たいていは退職後の男性がなって、中には10年以上させられてる人もいる。

わが町は全部で14戸。住民の数にして30人を割っているという小さな町だ。(アパートを除いて)
若い人が少ないのだから子供の居る家族はたった1軒で、もうとっくに育成会は自然消滅した。

そこへ持ってきて町の役の数というのは大きい町でも小さい町でもあんまり変わらないから、この少ない人数で役を割り振るとほとんどの人が何らかの役を担うことになる。

九子は何年か前、名前も忘れたお役をひとつ区長さんから言い付かった。区長さんから言われたのは「何しろ名前だけ書かせて下さいよ。行かなくたっていいんだから。」だった。

だから九子はその通りにした。会合の連絡が入っても「私は名前だけと言われているので出席出来ません。」で1年だか2年だか通した。

だって、会合は昼間だよ。九子の薬局は九子ひとりっきりしかいないんだよ。店を閉めてまで行くような用事なの?

何度目かの会合の連絡の時に「夜の会合なら参加出来ます。それともこんなご時勢ですから、ネット会議ならいつでも参加します。」と言った覚えがある。

もともとが市の職員さんのお手伝いのために、長野市の経済活動を沈滞させるなんておかしいじゃない!!
頭脳明晰な人々が公務員さんになるのだから、ネット会議の一つや二つ、企画出来ないなんて変だよね。

とにかく何の用事だかわけわかんないもののために、仕事を放り出してまでする人の気が知れない。

と、常々思っていた九子であるが、その九子が理解不能の人がごくごく身近に居た。
M氏である。そしてM氏が4月から区長になった。

彼がビンボー神であることは周知の事実だ。自分で言ってる位だから自覚もある。
人がいい。人が良すぎる。こんな高いお金じゃかわいそうだというんで、近隣の歯科医院よりかなり安く治療する。

なぜ安くなるのか。それは、保険請求すべきところを保険請求しないからだ。やった仕事を申告しない。請求しない。
いつもは過剰請求をあばくのが仕事の保険指導員さんに「これもあれも請求できますよ。先生は金儲けが下手ですね。」と呆れられるほどだ。
その挙句、開業以来三十有余年、患者さんの数はかなり多いほうなのに、開業時の借金をまだ抱えている。

その彼が、町の役員の仕事に組み込まれた時、いつかはこういう日が来るだろうことは予想していた。

彼は何しろ真面目である。
言われたことはちゃんとやる。言われないことまで、自分で仕事を作って黙々とこなす。

彼は普通だったらもう定年の年だ。幸か不幸か歯医者に定年はないから、まああと10年は勤められる。
いや、あと10年勤めないと借金が返せない。

それなのに、仕事を休んでまで昼間の会合に出ようとする。
そのうちに、かつての九子みたいにずっと出ない人の代わりに会合に出るつもりとまで言い出した。
冗談じゃない!何日休んだら気が済むの?

「お願いだから昼間の会合は休んでね。区長のほかに、善光寺の役だってあるんだから、そんなに休んじゃ何年経ってもお金返せないよ。」と九子。

「まあ善光寺はともかく、町の仕事はなあ、九子、お父さんが市会議員の選挙で町にいろいろ手伝ってもらったお礼の意味もあると思っているんだよ。」とM氏。

どこまでも正攻法で攻めてくる。

そのパパが心配してたのは「Mさんは人が良すぎて金儲けがへたで困ったもんだ。」だったんだけど・・・。(^^;;

区長の仕事のほとんどがまだ始まっていない今この時から、結婚してから40年近く、ほとんど喧嘩もしないで仲良くやって来たM氏と九子にどことなく風が吹いている。すきま風とは言わないが、ちょっと見たことの無い方向から吹いてくる風だ。

まあでも心配御無用!
うん十年前に喧嘩した時は修復に一日かったのが、今ではもう瞬時だ。
これを時の流れと言うのかしらん。昔、ママとけんかした時とおんなじだ。


タイトルを見て、区長の仕事が羅列してあると思って読みに来て下さった方々、申し訳ありません。
試しにググって見たけど区長の仕事が何なのか、それでもさっぱりわかりませんでした。
九子に言わせると「何でこんな事するの?何の意味あるの?」と思うことばかりだけれど、M氏にとっては町を運営するために大切な仕事らしいです。

区長の仕事、自治体の役員の仕事、あなたの町ではどうですか?

nice!(16)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

彼女とお嫁さん [<九子の万華鏡>]

なぜか九子は「いい人」に見られるらしい。
いつも「そんなんじゃないんだぞ!」と思うけど、なかなか言えない。
だから今日は思いきってブラック九子の話をしようと思う。

九子にはどうしても好きになれない人が居る話は何度か書いた。
その人から言われたその言葉を、その痛手を、その衝撃を、忘れられずに何十年も経った。
それなのにその人は謝りもしない。
謝るどころか、言ったことさえ忘れていて九子に馴れ馴れしい。
それがまたなおさら腹立たしい。
この人は嫌な人だが、普通の人だ。

これから書くのは「境界例」あるいは「ボーダーライン」という症状を持つ人だ。
聞き慣れない人はググって欲しい。

それから、このブログの左欄を下の方にたぐると検索窓がついている。
そこに「境界」という単語を入れると境界例とかボーダーラインについての話が出てくる。

実は下のブログの終わりのほうに出て来る「彼女のお嫁さん」が九子が赦せないもう一人の人なのだ。


最近、「彼女」が亡くなった。70代、まだまだ若かった。
何も出来ない(何もしない?)「お嫁さん」に代わって、子供たちに三度三度ご飯を食べさせ、日常生活の一切合財の面倒を見てやり、そして九子がはじめて会った子供たちは、素直にすくすくと育っていた。「彼女」が「お嫁さん」の代わりに育てた子供たちだ。
長い間、「彼女」が家庭の太陽だったに違いない。


本当の事を言おうか。九子は「彼女」のおとなしくて優しすぎる息子にも腹が立っていた。
いくら「お嫁さん」に境界性人格障害という障害があろうと、どうしてもっと別の医者にかからせて、きちんとした生活を送らせなかったのか?

まともな医者なら、「お嫁さん」にあんな自堕落な生活はさせない。
言われるままに睡眠薬をたくさん出して、夕方まで寝ているようなことはさせない。
いくら「お嫁さん」が拒んでも、きちんとした病院のしっかりした精神科医に診せるべきじゃなかったの?

そうしたら「お嫁さん」だってあんなに一日中寝ているようなことは出来なくなって、「彼女」はきっともっともっと楽に過ごせたんじゃないの?
「お嫁さん」の言うなりで、一人、お母さんが苦労してるなんて、お母さん可哀想じゃない!!

でも、こういう事ってなかなか言えない。息子や「お嫁さん」が居ないところでなら、九子は何万回も言っている。
だけどいざ本人を目の前にしてしまうとねえ。

もしも九子がもっと近い親戚なら、言って良い立場に居たら、言っていたかもしれない。
ちょっと九子がハイテンションな時になら、ものの弾みで言っていた可能性もある。
でも「お嫁さん」とは、「彼女」のお葬式まで、数えるほどしか会ったことはなかったのだ。

M氏の親戚はみんなM氏に似て人が良い。
「お嫁さん」に一番腹を立ててるように見えたその人も、結局笑って「お嫁さん」からのお酌を受けた。
「お嫁さん」は人前に出ると別人みたいに明るくなって、出来たお嫁さんを演じる。
それに騙された訳じゃなかろうが、その人は何も言わなかった。

その人は一番「彼女」に近しくて、「彼女」の「お嫁さん」に対する愚痴の聞き役だった人だ。
その人がお嫁さんに一言も言わない以上、九子なんかが言える立場ではない!
九子もその人と同じように何事も無く会釈して、注がれるままに「お嫁さん」からウーロン茶を注いで貰った。
「お嫁さん」のお父さんならどうか?
実は通夜振る舞いで隣の席が「お嫁さん」のお父さんだった。
何か言いたかったけど、穏やかなお父さんを前にするとやっぱり何にも言えない。
だいいち、彼に大きな責任があるって決まったわけでもない。
(境界例は、育ちの中に問題を抱えた人が多いと言われます。)


実は「彼女」の見舞いに最後に病院に言った時、「彼女」の優しすぎる息子と、遠くに嫁いだ人の良い娘も病室に居た。
その場には居ない「お嫁さん」の話が出た時、どんな悪口が飛び出すかと思いきや、二人はなんと!笑っていた。
「お嫁さん」がどんなことをしようとも、受け入れてるよという笑顔だった。

もしも九子が「彼女」の娘だったらどうだろう。
お嫁さんに掴みかかって、「あんたがママを殺したのよ!」と修羅場を演じていたに違いない。

どうして「彼女」の息子と娘は、あんな「お嫁さん」を赦して、こんなにも優しくなれるのだろう?

「北風とお日様」の話は本当だなあと思った。
私はとてもじゃないけれど、あの二人の真似は出来ない。
さすがにM氏に近いDNAだ。

九子は打ちのめされた。
自分のちっぽけさを思った。
まだまだだな!私!
卑しくも仏教徒なのにね・・・。

一旦はそう納得したはずの九子だったが、悟っていない九子はまたあれこれ考える。

だけどあったかいお日様みたいな人々の中で、「お嫁さん」は何の苦労も無く、好き勝手にこの二十何年やってきたんだよねえ?
「お嫁さん」が楽してた分、「彼女」はずっと無理をして、ストレスを貯めて、早死にしちゃったんじゃないの?
それってすごく不公平だよねえ?

北風とお日様の話は、お日様のあったかさが身にしみて、それに感謝出来る人には有効だけれど、そのあったかさに慣れ切って、それが当たり前だと思ってる人にはなんの効果もない。


お日様の暖かさに慣れきっていた「お嫁さん」は、「彼女」が亡くなってから一生懸命頑張って早起きして家事をしているって聞いた。
「やれば出来るんじゃない!」と、性悪九子はついついそう思ってしまうのだけれど、「彼女」の優し過ぎる息子は、そんな「お嫁さん」が無理をして、また具合が悪くならないかと心配しているそうだ。

九子は遠慮がちな日本人だし、「お嫁さん」の前でどうしても本音を伝える事が出来ない。
でも九子が考えたことは、「彼女とお嫁さん」を知る多くの人の想いだと思う。


「お嫁さん」の息子たち、本当に良い子に育ったね。
でもあれは、「彼女」のお陰だよ。
それを忘れちゃだめだよ。
「彼女」がしてくれたことの大きさを、ずっと噛み締めてね。
せっかくそこまでになった子供たちを、これからもまっすぐに育ててね。


この日記は、「お嫁さん」に読んでもらうつもりで書きました。
北風もたまには必用だからね。

優し過ぎる息子と遠くへ嫁いだ娘へ!
あなた方の赦す力と器の大きさには本当に驚かされます。
いつの日か、お嫁さんもあなたたちの温情を受け止めて、変わってくれるといいね。

nice!(11)  コメント(1) 
共通テーマ:健康

九子ジムに行く その② ・・・・・ジムと水中エアロビクス・・・・・ [<正統、明るいダメ母編>]


医者から正式にOKが出たので大威張りで通い出したプールとジム。
とりあえず水中ウォ-キングを主眼に考えていた九子だったが、トレーナー氏が「痛くないならやってみませんか?」と言うので、生まれて初めてジムとやらを覗いて見ることに・・。

まずはその熱気にびっくりする。ランニングマシーンとサイクリングマシーンが各20台ほどとその他もろもろが並ぶ部屋には、老若男女というよりも、ほぼ中高年の男女が、ほとんど空いてる機械が無いほどに、黙々と運動を続けている。
自分の「メニュー」と言うそうだが、そんなメニューは食べる気も起きない九子と違い、彼らはメニューに従ってストイックに自分の筋肉と対峙する。


どうにも冴えない長野市の悪口ばかり言っている九子だが、長野にだっていいところはたくさんある。
とりあえず都会にあるものはなんでもある。しかも利用する際の混雑やら競争といったことはほとんど考えなくていい。
都会の人気のラーメン屋みたいに行列しなければ入れないこともほとんどないし、どこへ行こうがたいていの物は待たずに使える。
こういう生活に慣れてしまうと、たまに都会に出た時、人の多さと彼らのエネルギーに圧倒される。

九子が買った夜8時以降11時までのみ施設を利用出来るお得割引券だと、ロッカールームやプールがすきずきしていて広々と使える。
昼間の方が子供たちのスイミング教室があったり、退職後の悠々自適の人々が朝からお弁当を持って一日中居たりするので混んでいるのだそうだ。

とりあえず九子の場合、サイクリングはレベル1でも5分しか続かないからレベル1で10分が目標。
「マシンは一人60分までとし、それ以上になったら次の方にお譲り下さい。」とマシンの横に注意書きがしてあるが、いったいどこのどいつがこんな機械を1時間も占領するんだ!!!

「えっ?膝が痛い時にジム?よくトレーナーが許したわねえ。オーストラリアじゃあ水中ウォークだけよ。」
次男がお世話になったオーストラリアの友人の一言にひるんのだが、まあこの程度ならジムやってるうちに入んないよね。(^^;;

実は九子の体型は、あれだけの怠惰な生活にもかかわらず、ぴたりとすべてが標準だった。
「理想的ですね!筋肉量も普通にあるようです。」と言われて、そんならやる必要もないかと一瞬思ったのだが・・・。
ところが左右のバランスが悪い。重心が右に偏っている。考えたらいつでも右側の歯だけで噛んでいるのもそのせいか。だから左側が弱い。

最初と最後の血圧や心拍数の測定と、ビデオを見ながらのストレッチ運動も欠かしてはいけない。
まあとりあえず、続けなくっちゃね。

ジムがすんだ後に、隣の扉を開けるとプールが待っている。ジムに比べると驚くほど人が少ない。
ウォーキングプールは二つある。25mプールにもウォーキングレーンがあるのだが、深そうでしり込みしていたら神出鬼没の隣の八百屋のおじさんが「こっちの方があったけー(温かい)ぞ。深さだって10センチしか違わない。」と教えてくれた。
おじさんは膝の手術をしてから今年でウォーキング暦2年だそうだ。

おじさんが余計なお世話で先生方に九子を紹介してくれたりなんぞするものだから、九子はもののはずみで水中エアロビクスとやらをする羽目になった。

実は九子、スポーツはからっきしダメだったが、リズム感は良いとダンスを褒められたことはあった。とんでもない昔の話である。


ところがこれがなかな難しい。水の抵抗があるわけだから地上のようには動けない。

インストラクターは娘ほどに若い女の先生だ。なんでもキックボクシングの日本チャンピオンだったこともある凄い先生らしい。

最初はいいが、人間だんだん疲れてくるといらいらしてくる。その上九子は非常に疲れやすい。(^^;;

「先生だけ地上で踊っておんなじようにしなさいと言われてもねえ。それと、向かい合ってると右と左は逆なのよ。右足指しながら左と言われてもねえ。いったいどっちを動かせば良いわけ?」
とげとげしく心の中で毒づいていたら、「ほら足が逆!ここから水の中はよく見えますよ!」と指を差された。(^^;;

30分のレッスンが終わる頃には水の中なのに身体が熱くなっていた。確かに今まで1ヶ月通って、初めての経験だった。
そもそも九子は始めた最初の日に買った350mlのお茶に手をつけていなかった。それだけ汗もかかず、運動らしい運動もしなかったと言う訳だ。 この日始めて100mlほどお茶が減った。

プールの合間には、サウナで暖を取る。プールに浸かりっぱなしだと、いくら最後にお風呂を浴びても朝方こむら返りが起きる。
これはこの一ヶ月で学習したことだ。だから九子は誰も居ないサウナで、ベンチに足を伸ばしてくつろいでいた。
暑いと顔が真っ赤になるのは昔からだが、この頃はそれがアレルギーみたいにひどくなって湿疹ができたりするので、冷たい水で冷やしたタオルで顔を覆いながら・・・。
だから九子がここにいることは誰にもわからないはずだった。

そこへ入ってきて九子に声をかけてくれたのがさっきのエアロビクスのM先生だった。
「身体痛くなかったですか?無理しないで下さいね。」九子と知って声をかけて下さったらしい。

初めての人には誰にもこうして声をかけてくれるんだろうか?でもなんだか嬉しい。
話はついにプライベートにまで及び、まだ20代独身とばかり思っていた先生が実はそれより10歳も年上で、しかもママさんであること。
勧められて空手を始めたのがきっかけで、キックボクシングにのめり込んだことなど、最初から友達だったみたいに話してくれた。

さっきまで悪態ついてた九子はもうどこにもいない。
「この人はいい人だ。」と思い込んだら、その人を信じる。最後まで信じる。
それが九子なのだ!それが日本人なのだ!(^^;;


膝が痛くなったお陰で、九子の日常が変わった。
そもそもおおよそ2時間ちょっとの時間を割く事が出来たというのが驚きだ。
もともとちんたら生活している自覚はあったのだが、いったいこの時間を今まで何に使っていたのよ?と九子さんに聞いてみたいくらいだ。(^^;;
4月からは法人会員というのになれるので、息子や娘が帰省した時にいつでもジムやプールやお風呂が使える。これは有り難い!
M氏までもがジムに興味を示しだした。すべて法人会員のカードひとつでまかなえる。

結局九子はしばらくプールのみに通うことにした。

還暦を過ぎた九子の目の前に横たわるのは棺おけの蓋と焼き場の扉ばかりと思いきや、意外にも未知への扉も開けそうだ。

まあ最悪、自分の足で歩けること。人様のお世話にならぬこと。
それが出来たら九子は充分満足だ!
さあそのために、生来の三日坊主は返上して、せいぜいプールに通わなくっちゃ!(^^;;

nice!(16)  コメント(2) 
共通テーマ:スポーツ
前の10件 | -