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井形慶子著「イギリス流と日本流 こだわり工房からの贈り物」に書かれなかった祖母すゑさんの話 [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]

☆10月の末に発刊された井形慶子さん著「イギリス流と日本流 こだわり工房からの贈り物」という本の中の日本編トップの第7章に「女たちが作った一子相伝の目薬」ということで雲切目薬が取り上げられました。

たまたま九子は軽症ウツの最中でしたので、正式にお知らせするのが遅れてしまい、申し訳ありません。

井形さんは470年、と言っても九子が知るのはわずか100年に満たない雲切目薬の歴史の中で、その肝心肝要なところを上手に取り上げて本にして下さいました。心から感謝申し上げます。

「九子のブログ」にまで触れて頂きましたので、万が一御本からこのブログにおいで頂いた方もおありかと思いまして、本日は彼女の本の続編のような、彼女にお話し切れなかった九子の祖母すゑさんのお話をしてみようかと思います。

イギリス流と日本流 こだわり工房からの贈り物 心豊かに暮らすための12のリスト

イギリス流と日本流 こだわり工房からの贈り物 心豊かに暮らすための12のリスト

  • 作者: 井形慶子
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2012/10/19
  • メディア: 単行本

 

16代笠原十兵衛夫人すゑさんのことは今まであまり書いたことが無かった。
九子の祖母すゑさんは、九子が8歳の時に亡くなっているし、亡くなる前も長いこと喘息で臥せっていて、あまり顔を合わせることが無かった。

いきおい記憶もおぼろげで、おばあちゃんと一緒の記憶と言ったら、3~5才の頃に宇奈月温泉に連れて行ってもらって、トロッコ列車に乗せてもらったことが最大限に華々しい思い出で、あとは、夜、家からほんの数百メートルのところに当時はじめてアーチ型の商店街のネオンサインが灯って、それを着物姿のすゑさんにおぶわれて見に行ったようなはかない記憶くらいしかない。

九子にはすゑさんよりもずっと近しい人がいた。「あうわん」という呼び名がついた、すゑさんよりも十以上若い、言ってみれば九子の乳母さんみたいな人だ。

母は忙しかったので、九子は四六時中「あうわん」に世話をしてもらっていた。
「あうわん」という呼び名は九子がつけた。赤ん坊が母親を「うまうま」から「まま」と呼び始めるように、幼い九子がいつとはなしに彼女を「あうわん」と呼び始めたのを、大人たちも真似して「あうわん」と呼んだ。

彼女は東京から疎開して来たおしゃれな人で、当時我が家のすぐ裏側に住んでいた。
痩せてとがった体つきのすゑさんとは対照的に、ふくよかな体型の色白な人だった。
そして世話好きな人情家でもあった。

「あうわん」はすゑさんのお供係りもしていたので、宇奈月温泉には「あうわん」も同行した。
いつでも「あうわん」と一緒の九子には、せっかく一緒に行ったすゑさんの記憶は薄い。


そういえばすゑさんに、近くの映画館に映画を観に連れて行ってももらったことがあった。

当時わずか5歳くらいの九子は、一丁前に「ユウチャン、ユウチャン」と呼んで、石原裕次郎がひいきだった。(^^;;

後から考えたら、あれはきっとすゑさんか、「あうわん」か、お兄さん店員のイケちゃんか、当時18歳くらいだったお手伝いのハルミさんの影響だったに違いない。

当時は九子のまわりに、たくさんの大人たちがいた。そして九子はいつの間にか、いろんなことを自分でやらないで大人たちにやってもらう癖がついてしまっていたのだと思う。


すゑさんが美人だったのは誰もが知るところだ。
海底から金貨を引き上げて有名になった賢造さんの奥さんYさんに言わせると「マリーネ・デートリッヒ似の美人だった」ということになる。

それが父の言葉を借りると「まあ、色は黒かったけれどな・・・。」になり、さらには、「おやじさん、顔ばっかりに惚れて結婚したんで、あとになってえらく後悔してたんだぜ。」となる。

父の話ばかりを聞かされて育った九子は、気の強いすゑさんが、芸者さんにモテて甘い顔をしていた16代十兵衛さんを頭ごなしに叱っていて、十兵衛さんは頭を抱えてすゑさんの怒りがおさまるのをこらえていたという光景ばかりが浮かび続けていた。


ところがある時、我が家の歴史の語り部であり、井形さんの本では「庭の掃除をしてくれている86歳のお手伝いさん」として登場するきたさんが、まったく違う話をしてくれた。

「おばあちゃんはねえ、本当に働き者だったんだ。真面目で、っていうよりも生真面目で、曲がったことが大嫌いで・・。きっと真面目過ぎたんだなあ。

俺はさあ、おばあちゃんに銀行の通帳を作ってもらって、節約してお金を貯めなさいと教えてもらったんだ。おかげで店を持つことも出来た。有難かったなあ。

おじいちゃんは当時、長野市の市会議長なんていっても「名誉職」って言って無給だろう?
それなのに毎日のようにお客さんは何人も来るは、その度に西洋料理やうなぎや、そばや、天ぷらや田楽や、取り寄せては食べさせていたんだから、いくら雲切目薬が売れたって足りないくらいお金がかかったんだよ。

その上、選挙は今よりずっと大変だった。酒の接待なんか当たり前だった。おばあちゃん、本当に朝早くから夜寝るまで良く働いたんだよ。
あんなに美人でも、自分の着物なんかほとんど買わずに、ふだんは継ぎの当たった地味な着物を着て、贅沢な着物なんかそう何枚も持っていなかった。

おばあちゃんはねえ、真面目過ぎたから病気になったんだと思うよ。
喘息もそうだが、うつ病にさあ。」


そうなのだ。九子のウツはすゑさんにつながる。
父はじめすゑさんの3人の息子たちも、九子の5人の子供たちも、誰も、家系でうつ病は他に居ないのに、ただ一人、九子だけがウツを継いだ。


すゑさんが真面目過ぎたという話は、その通りだと思う。

九子の記憶の中で、雲切目薬の成分表には載っていない高価な金箔を惜しまず入れていたのはいつもすゑさんで、母恭子が入れていた記憶は無い。

ひょっとしたら母もちゃんと入れていたのかもしれない。でも、そうでなかった可能性も感じさせるところが母にはあった。

利に聡い人だったからだ。(^^;;

すゑさんはその点、杓子定規に、疑問も抱かず入れていたのだと思う。何しろ真面目を絵に描いたような人だったそうだから・・。

確かにそういうのをうつ病になり易いタイプ、「うつ病親和性性格」と言うらしい。

もっとも、きたさんは九子の病気をおばあちゃんと同じなどとは絶対に信じちゃあ居ない。
「おばあちゃんのはよっぽどひどかったさあ。ぜんぜん違うよ!」


もちろん九子とて、どうせ継ぐならすゑさんの美貌とか、勤勉さとかをなぜいっしょに継がなかったものか、それらのどちらかでもを継いでいたなら、合わせ業(わざ)でウツがあってもまあ許せたのになあ・・と、考えてもしようもないことを考えたりする。

すゑさんのウツはきたさんの言うように過酷だった。
母も祖母が何度も庭の井戸のつるべのところで首を吊ろうとしていたのを、すんでのところで制した事があったそうだ。

当時ウツに有効な薬はまだ何も無かった。トリプタノールも、トフラニールも、アナフラニールもリーマスも、日本で認可されたのはすゑさんが亡くなる少し前の頃だ。

療法と言ったらただひとつ、電気ショックだけだった。
脳に軽い電流を流す衝撃を伴う治療法で、現在も薬の効かない難治性のウツ病には使われている。

すゑさんは、それをとても嫌がったと言う。
無理も無い。聞いただけでも恐ろしい。
それをウツが来るたびに何度もされるのだから、怖さ、痛さがわかる分だけ尻込みするのはよくわかる。

長野では当時まだ電気ショックをしてくれる病院が無かったので、すゑさんは次男のK叔父さんが勤めていた東京の日本医大の病院に通った。

その時いつもすゑさんに付き添っていたのが16代十兵衛さんだったのだという。

きたさんの話ではおじいちゃんはすゑさんにこう言ったのだそうだ。

「おまえが死んでしまったら、おれはどうやって生きていったらいいんだ!
おれがついてるから、大丈夫だから、頼むから治療を受けておくれ!」

この16代十兵衛おじいちゃんとすゑさんの件(くだり)になると、きたさんは決まって声を詰まらせ、恥ずかしそうに涙を拭いて、「いや、今日も長居しちまったな。」と言って席を立ち、話半ばで帰っていく。

さすがに年とともに繰り返しが多くなったきたさんの昔話だけれど、そんな訳でこの話はいつでもここでおしまいで、ここから先は聞いたことが無い。

 

すゑおばあちゃんが亡くなった時、十兵衛おじいちゃんは九子の所に来て「おばあちゃんがちんぷなさったんだよ。」と言った。なぜだかひどくその言葉だけが頭に残っている。

ちんぷってどんな漢字だろう?そしてどういう意味だろう?
今で言うありきたりと言う意味の「陳腐」という言葉に、死ぬという意味があるのだろうか?
それに確かに「なさった」という敬語がついていた。

意味はわからなくても、おじいちゃんにとっておばあちゃんは、誰より大切な人だったんだろうとなんとなく思う。


美人薄命とか薄幸の佳人とかよく言われる。
喘息やうつ病で長く病んでいたすゑおばあちゃんには長いことそんなイメージがあったのだけれど、きたさんの話でそうじゃなかったことがわかった。

すゑさんは、確かに苦労の多い人生だったかもしれないけれど、十兵衛おじいちゃんに愛されて、護られて生きてきた。

女の人生にはたった一人、中には二人も三人もの人もいるだろうけれど、その時々にはたった一人だけ、命懸けで護ってくれる男が居たならば、彼女の人生は決して不幸ではないと思う。

仏壇の上にかかる16代十兵衛おじいちゃんの写真の隣のすまし顔のすゑおばあちゃんの顔。

九子にうつ病があることがわかってから、不思議とすゑさんには親しみを感じるようになった。
特にウツが来た時は、おばあちゃんの顔が見たくなる。
「薬も無い頃、辛かったね。すゑおばあちゃんは我慢強かったね。よく頑張ったね。」

そうするとすゑおばあちゃんが、口元を少々緩めてこう返す。
「あんたはいいねえ、いい薬があって。それにMさんも優しいし・・。
 雲切目薬のこと、頼んだよ。私もおじいちゃんも、パパもママも応援しているからね。」

 


雲切目薬を作り続けてきたのは代々の笠原十兵衛ではなくて、その妻たちであった。

要職につくことの多かった十兵衛に代わって、「目がつぶれるほど沁みる」と言われた元祖雲切目薬で万が一の事故があった時に十兵衛に責任が及ばないように、妻たちが黙々と何千何万と言う数の雲切目薬を作り続けた。
それは井形慶子さんではないが「女たちの一子相伝」とも言えるものだった。

元祖雲切目薬は祖母すゑさんから母恭子へと伝授された。だが、母恭子から九子へは、伝授される前に製造中止が決まってしまった。

それは今考えると、我が家にとってはもちろんのこと、日本中の人々にとって大変幸運なことだった。
九子が万が一目薬を伝授されて作らなければならなくなっていたとしたら、それこそ雲切目薬は、なんらかの事故のために今頃存続してはいなかったと思われるから。(^^;;

九子に出来るのは、元祖雲切目薬の最後の生き証人として、祖母や母の苦労を世の中の人々に伝えることだけだ。

苦労だけではなくて、彼女たちの何気ない日常のほっこりとした幸せや、飾らない笑顔のひとつずつでも感じ取って頂けたら幸いに思う。


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伊閣蝶

お祖母様のお話と、雲切目薬のこれまでの歴史、感動しながら一気に拝読しました。
数々のご苦労もさることながら、「万が一の事故があった時に十兵衛に責任が及ばないように」という下りにはさすがに涙を禁じ得ませんでした。
ただひたすら圧倒される想いです。
世の中を誠実に真面目に生きることの素晴らしさを再確認させられました。
by 伊閣蝶 (2012-11-26 23:49) 

Cecilia

「イギリス流と日本流 こだわり工房からの贈り物」、リンク先から中身検索させていただきました。雲切目薬のところはもちろんですがほかのものも面白そうなので是非読みたいと思いました。すぐには読めないかもしれませんが読んだらご報告しますね。
乳母さんのような方がいらっしゃったなんて九子さんは相当なお嬢様でいらしたのですね。
by Cecilia (2012-11-27 10:55) 

九子

伊閣蝶さん、こんばんわ。
いつもいつももったいないようなコメントを頂戴し、心より感謝申し上げます。

>世の中を誠実に真面目に生きることの素晴らしさを再確認させられました。

こうおっしゃってくださるのは何より嬉しいし、伊閣蝶さんご自身の生き方を反映されていらっしゃるのだと思います。

祖母ほど真面目ではありませんが、母ほど要領が良くないので、どちらかというとこの頃は祖母の生き方に共鳴したりしています。

これからもどうぞよろしく!( ^-^)
by 九子 (2012-11-27 22:06) 

九子

ceciliaさん、こんばんわ。
えっ?本を買って下さるのですか?すごい!嬉しい!

自分とこ以外、よそはあんまり読んでいないひどい読者です。(^^;;

>乳母さんのような方がいらっしゃったなんて九子さんは相当なお嬢様でいらしたのですね。

滅相も無い!!田舎の商家の家付き娘だっただけで、そんな品のいい育ちをしてはおりません。

でも今から考えると、子供時代はたくさんの大人たちに囲まれ、中学、高校になっても大人3人分以上の働きをする出来すぎ母に育てられた訳ですから、何も出来ないオジョーサマになるべき環境は十分ありました。

何も出来ない母親を、娘たちは「ママはオジョーサマだから・・。」と呆れてはいます。(^^;;
by 九子 (2012-11-27 22:15) 

moz

歴史の重み、代々秘伝の目薬を守られてきた重みを改めて聴かせて頂きました。ご主人たちだけでなくて、それを実質しっかりと支え続けてこられた代々の奥さんたち、ご苦労もとても大きなものだったのですね。
九子さんのお祖母様も。そして、やっぱりどこかにていらっしゃるのでしょうか?
うちはこんなにすごいお祖母ちゃんではなかったですが、やはりとても懐かしい思い出があります。時々、思い出します。夏休み、よく一人でおばあちゃんのところ、諏訪にあそびに行っていました。
お話を読ませていただいて祖母のことまた思い出しました。 ^^
by moz (2012-12-12 05:57) 

九子

mozさん、こんばんわ。コメント有難うございました。( ^-^)

mozさんのおばあちゃまは諏訪にいらしたのですね。
長野県では一番寒い地方の諏訪に住む人はとても働き者で少々気が強いということになっています。寒い中をのんびりしていたら凍って(長野の方言で凍みる(しみる)と言います。)しまうからだそうです。

だからきっと働き者のおばあちゃまでいらっしゃったと思いますよ。( ^-^)

昔の人にはどうやったって勝てません。どんどん小粒になっていくような・・。

諏訪の花火、一度見たいのですが、宿がなかなか取れません。
mozさんも諏訪にいらっしゃることおありでしたら、是非善光寺まで足をお伸ばしくださいね。( ^-^)
by 九子 (2012-12-12 22:33) 

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