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井形慶子著「イギリス流と日本流 こだわり工房からの贈り物」に書かれなかった母恭子の話 [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]

17代笠原十兵衛の妻、出来すぎ母恭子は、きたさんではないが雲切目薬の中興の祖だった。
母が居なかったら、そして母でなかったら、雲切目薬を今まで存続させることは出来なかった。

実家の 高村薬局を継ぐはずが、面食いが災いして父なんかにフラッとなって、苦労するのは目に見えていたはずなのに我が家にお嫁さんに来てくれた。

尤(もっと)も、笠原家に嫁ぐ人間は多かれ少なかれ仲人さんやら人々の噂に惑わされ、古い家だからよほど財産があると思って来るらしいのだが、来て見て噂とは程遠い家の現状に臍(ほぞ)をかむらしい。
少なくとも母とM氏はどちらもそうであるらしかった。(^^;;

稲荷山(長野県千曲市稲荷山)の野原を男の子たちと一緒に走り回って育った母は、じっとしている事が出来ない性格だった。
手と足と目と耳と口と頭と・・彼女は一度にいくつもの器官を動かした。

九子が中学生頃、最後の、定時制高校に通う学生のお手伝いさんが居なくなり、当時脳溢血で倒れて寝たきりだった祖父16代十兵衛の介護をしながら、年間に三万個という元祖雲切目薬を、たった一人で作り続けたのが母だ。

今と違って介護保険などというものも、やれデイサービスだ、ショートステイだなどというものも皆無の時代だ。
大柄な十兵衛さんをお風呂に入れるのだって、小柄な母一人の手には負えず、きたさんが手伝いに来てくれて廊下の天井に這わせたロープに十兵衛さんがつかまって、風呂場まで歩けない足を歩かせて連れて行ったものだ。

介護する方はもちろん、介護される方だってそれはそれは大変な時代だった。
出来すぎ母が居なかったら・・と申し上げる意味が少しはわかって頂けると思う。

母と九子の生まれる順番が変わっていたとしたら・・・と、九子はおぞましいことをいつも考える。(^^;;
もしもそうであったなら雲切目薬は今頃、絶対にこの世に存在してはいないのだ。

母は何でもござれの万能選手だから、順番が後でも先でもうまくやったに違いないが、九子の場合はどう考えても、今のこの展開でしか出て来てはいけない人間だ。

それなのに、九子の場合はいいとこ取り。自分で何をやったという訳でもないのに、テレビや本に大きく取り上げてもらっている。それもこれも、九子の強運のなせるワザか・・。(^^;;


出来すぎ母が辛くて泣いたのを見たことが無い。思い出の中の母恭子は、いつでも満面の笑みだ。

母にかかると、どんな仕事も喜びの種になるらしかった。
何十工程もある元祖雲切目薬作りを機械一廻しにつき1500本分となると、何十×1500回の手数がかかる訳で、九子には一廻し分すら一生かかっても出来そうに無いが、母はいつでも楽しそうだった。鼻歌まじりに、何の苦も無く、一人、気の遠くなるような作業を続けていた。

元祖雲切目薬の箱を折るくらいは九子も手伝った。「九子は箱を折るのが上手だねえ。」とおだてられて、言われるままに手伝った。

母はきっと人を使うのも上手だったのだと思う。
九子の高校時代の友達も、結婚前のM氏も、「あの頃遊びに行っては目薬作りを手伝わされた。」と口々に言った。

井形慶子さんが取材に見えられた時「母は当時、台所で雲切目薬を作っていることもありました。良い時代でした。」とお話しすると、「まあ、素敵!」と言われた。

素敵・・かどうかはわからないけれど(^^;;、とにかくいい時代ではあった。
元祖雲切目薬は、どんなところで作ろうが、もしもバイ菌が入り込んだとしても、バイ菌がよもや生息出来ないほど酸性が強くて沁みる目薬だったのだ。

昭和60年に薬事法が変わった。

目薬は医薬品であるから、製造する工場は、無菌室を備えた何十億円もする近代工場でなければならず、目薬の成分も厚生省が決める以外の成分を用いる場合には、一成分につき何百例の動物実験をして、有効性を証明しなければならない。

何十億などというお金があるはずもなく、元祖雲切目薬の成分はほとんどすべてが決められた以外の成分だった。

この法律によって、1300種類の家伝薬、民間薬が消えていったという。
その中で、雲切目薬はなんとか生き延びた唯一といってもいい幸運な例だそうだ。

すべては母のおかげだった。
自ら目薬を作ったことの無い父は「まあ、これも時代の流れだ。俺の代で止めにしよう。」とあっさりしたものだった。
それを「それではあまりにももったいない。」と覆して、復活を願って今の会社に相談を持ちかけたのが出来すぎ母だった。

  •  
    井形さんの本に母の俳句が一句出てくる
  • 「向日葵(ひまわり)を咲かせ鍵などいらぬ村」

 

イギリス流と日本流 こだわり工房からの贈り物 心豊かに暮らすための12のリスト

 

イギリス流と日本流 こだわり工房からの贈り物 心豊かに暮らすための12のリスト

  • 作者: 井形慶子
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2012/10/19
  • メディア: 単行本
   
九子が住んでる善光寺近くのこの辺りは治安もよく、八百屋のおじさんがしじゅう目を光らせてくれているせいもあって、夜中にうっかりシャッターを開けっ放しにしていた事もあったし、郵便局に行くのに鍵をかけなくても泥棒に入られたことが無い・・みたいな話のついでに、母の句を思い出したので詠んでみたら、本に載せて下さった。

たぶんこの句も「NHK俳壇」か、鷹羽狩行(たかはしゅぎょう)先生主宰の「狩」かなんかに取り上げられた句だと思う。

出来すぎ母は生涯に3000句近くの句を残した。残った分だけで3000句だ。
始末の良い母は亡くなる数年前に、ぎっしり句が書き込まれた青いノート一冊を残して、自分の句が載った「NHK俳壇」や「狩」などの雑誌をばっさりと捨て去った。

あんなに忙しい生活の中で俳句なんていつ作っていたのかと思う。

母の俳句と社交ダンスは年季が入っている。
どちらも東京の癌研病院に勤めていた時に薬剤部長さんから教えられたものだそうだ。

彼女の俳句にはドラマがある。人間の感情が炙り出されている。悪く言うと皮肉な感じ。
それが凄いと思う。

たとえば、平成2年1月の同人誌に寄せた句を書いてみる。
(これらは特選に選ばれたりした特別な句ではない。)


「冬苺」
冬苺つぶす戦後を生き抜いて

枯芦を折ればぽっきり骨の音

からくりは裏の裏なり菊人形

一件は知らぬ存ぜぬ頬かむり

一茎を矯めつ眇めつ菊花展

夕暮の落葉を急かす珠算塾

外套の衿立て腹の探りあひ

買ふ気などさらさら無くて毛皮展

洒落気など二の次セーター腕まくり

冬灯や昔ながらの理髪店

 

「日本三大車窓」で有名な姨捨(おばすて)の高台にある公園に、たしか「第一回おばすて句会」で一等を頂いた母の句が刻まれている句碑がある。 

「月の出て棚田の水の動き出す」 

 

そういえばNHK俳壇で入選し、鷹羽狩行先生にテレビで寸評を頂いた句もあった。

「風鈴に間といふもののありにけり」


狩行先生は「大変うまい句で、もっと言ったらどこかで見たことのあるような・・。」という意味のことをおっしゃった。

母はこれを聞いて激怒した。「失礼しちゃう!誰かの真似なんかしていないのに!」


この時の母の怒りは筋が通った怒りだったが、実は母は割と気分屋で、理屈の通じないところがあった。

理屈が通じないというのは一番強いのだ。
理論整然とあの手この手で攻めてみても、「ダメと言ったらダメ!」と母に一言言われたら、すごすごと引き下がるしかなかった。

口八丁手八丁のところが母と良く似ていた末娘のM子は、似たもの同士だったせいかよく母と対立しては怒られたりもしたものだから、こういう母のことを「自己中(ジコチュウ)」と批判していた。

ちなみに母は「そのものずばりのB型」で、末娘は「らしくないA型」だ。

「それっぽいA型」の長男も、父母が口げんかしているのを見ては「あれはじいちゃんを怒らすようなことをいつも言うばあちゃんが悪い!」と言った。


子供たちに何と言われようが、母には誰かの役に立とうとする何とも言えない温かみがあった。
それは、頭で考える前に手が動いてしまう温かみだった。

母は誰にでもよく話しかけたし、誰かが困っていると必ず手を貸した。
九子みたいにまず自分の事すらまともに出来ない人間には、母のようにしろと言われても出来ない相談だった。
何人分かの余力のある母だからこそ、人の分まで手を出して、一人娘の分は尚更手厚くして、挙句の果てに一人娘は自分の事も自分で出来ない半人前以下人間になってしまった。(^^;;

 

すゑさんの話のなかで、すゑさんは16代十兵衛さんに護られて生きたと書いたけれど、出来すぎ母恭子の場合は、逆に父17代十兵衛を護り抜いた一生だったと思う。


雲切目薬には、実は日記には書けない秘密の大事件があって、その修羅場で父十兵衛を護り抜いたのも母だった。

母は私という一人娘が出来ると、自分の事を「ママ」と呼び、父のことを「パパ」と呼んだ。
一人娘が孫を産むと、ほどなく「ママ」は「おばあちゃん」に代わり、「パパ」は何のためらいもなく「おじいちゃん」になった。

そう言えば以前

「名前を忘れた女神」というテレビドラマがあって、子供が生まれると「○○ちゃんのママ」としか呼ばれなくなる若い母親たちの葛藤を描いて評判だったが、出来すぎ母は最初から、誰かの母であり祖母であるというだけの存在を受け入れて、満足していたように思う。

母と口げんかばかりしていた父が平成18年4月10日に87歳と一月足らずで亡くなった。
前夜に腹痛を訴えて、自分の足で歩いてM氏の車に乗り込み、救急車ではなかったのでずいぶん病院で待たされた。

痛い痛いと騒いで暴れていて、とりあえず痛み止めの注射をしてもらい、どうやら消化管から出血しているらしいので今日はこのまま入院しましょうと言われて、父を置いて九子とM氏が深夜に家に帰りついた途端に、急変したと電話がかかってきた。

「急変」という言葉が「亡くなった」と同義語であったとわかったのはこの時だった。状態が急に変わったと言う意味だから、危篤かもしれないが当然生きているとばかり思っていた。

心不全だった。


母にはしばらく父が亡くなったことを内緒にしていた。そんなに長時間内緒にもしていられないので意を決して話をすると、母は「まあ、そう。」と言った。
その言葉に込められた母のいろいろな気持ちを察することは出来なかった。

母はかなり弱っていた。
母が父の葬儀に出ることは最初から無理だと誰もが皆思っていた。

母が父に最後に会ったのは、納棺の時。それも遠くの方から眺めただけだった。

 

その夜、九子は母の隣で寝ていた。ついこないだまで父が寝ていた母の左隣のベッドだ。

夜中に母の声で目が覚めた。
母は寝言を言っているようだったが、すごくはっきりした声だった。

「てるちゃん、おじいちゃん、亡くなったんだよ。ついさっきね。私の腕の中で・・・。」

てるちゃんというのは、母のすぐ上のお姉さんの名前だ。どうやら彼女に電話をかけているつもりらしかった。

おじいちゃんというのは、言うまでもなく父のこと。
私の腕の中で・・というところだけが現実と違っている。

ああ、母は父が自分の腕の中で死んでいくことを想定していたのだなあと思った。

父と母は8歳違いだ。
普通に考えたら老いて行く父を元気な母が最後まで看病して、家の布団なり、病院のベッドなりで父を見送る時には、母が枕元の父に一番近いところにいて、頭を抱き寄せていたに違いなかった。

だがその大事な役割を、母は果たせなかったばかりでなく、お葬式に出ることも叶わなかった。
何も言わなかったけれど、母はさぞや無念だったのだろう。


母が亡くなったのは、父が亡くなったのと同じ年の12月6日だった。まるで父を追いかけるようだったし、母は自分がこうと決めたことは絶対に譲らないはっきりしたところがあった。
父が亡くなったのを知った時、母はもう決めていたのかもしれない。


母があちらに行った時、父が母に投げかけただろう第一声が、九子には手に取るようにわかる。

「何やってんだやあ、恭子のやつ!こんな早くにこっちに来ちまって!
 せっかく俺が40年間市会議員をやって貯めた年金を、お前がちゃんともらってやって九子に渡 してやらなけりゃあ、九子のやつがもおらしい(可哀想)じゃねえか。まだまだ孫たちに学費がかかるんだから。まったく、おっとぼけ(ばか)だなあ。」

 もう誰も使わない長野弁で、父はしょっちゅう、母には「九子がもおらしい。」、九子には、 「ママがもおらしい。」と言い続けていた。

ちなみに父は「ど真ん中の、そして陽気で人情家のA型」だった。

 

雲切目薬を作り続けてきたのは代々の笠原十兵衛ではなくて、その妻たちであった。

要職につくことの多かった十兵衛に代わって、「目がつぶれるほど沁みる」と言われた元祖雲切目薬で万が一の事故があった時に十兵衛に責任が及ばないように、妻たちが黙々と何千何万と言う数の雲切目薬を作り続けた。

その中でも一際(ひときわ)、活躍めざましかったのが九子の出来すぎ母、17代笠原十兵衛の妻恭子だった。


16代笠原十兵衛と妻すゑさんのこと、17代笠原十兵衛と妻恭子のこと、九子にとってはそれが元祖雲切目薬の歴史のすべてである。

そして彼らの生き様は、もしかしたらありふれた戦前の日本人の夫婦の典型であったかもしれないし、あなたのお父様お母様、おじい様おばあ様の中に何千何万とあるその時代の夫婦の平凡な話に過ぎなかったのかもしれない。

戦争は彼らの生き方に大きな影を落としたが、彼らの人間性に強さや美しさという魅力も加味した。

戦争やそれに続く逆境を耐え忍んだ彼らの凛とした美しさは、残念ながらただ漫然と現代人のDNAには乗っからない。
苦労の無い時代に生まれた九子から下の世代の日本人には、どう逆立ちしても真似の出来ない部分だと思う。

まあ、それが人生の醍醐味っていうものかもしれないのだけれど・・・。


九子の五人の子供たちのうち、上三人の男どもは早々に「家は継がない。長野には帰らない。」と宣言した。そして下の娘二人が薬剤師になるべく薬学部に通っている。

そして「どこに就職しようとも、いつか必ず長野に帰って来て家を継ぐからね。」と嬉しいことを言ってくれている。
(それが一番楽ちんな道であることは、お気楽母の毎日を良く見ていればすぐにわかる。(^^;;)

「女たちの一子相伝」 形だけはどうやら整いつつある我が家だけれど、さて、どうなりますことやら。( ^-^)


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浅葱

素晴らしいお母様ですね。
そして、そんなスーパーウーマンなお母様の事をプレッシャーに感じず
「すべて出来過ぎ母のおかげ」とさらっと言ってしまう九子さんも素敵です。
私も九子さんのお母様のような女傑になりたいです。
でもせいぜい「猛獣」どまりなんですが。。
願わくば、孫に「ばあちゃん、すげー」ぐらい言ってもらえるといいなぁ。
by 浅葱 (2012-12-12 19:39) 

九子

浅葱さん、こんばんわ。
早々とコメント有難うございました。( ^-^)

ああ、母は私とはあまりにも違いすぎて、敵対して見た事がないのです。いつもべったりと、双子親子でしたっけ?そんな感じ。

浅葱さんなら十分女傑!(^^;;
だって、お料理はプロだし、働きはいいし、なんでも出来る凄いお母さんだもの。( ^-^)

「ばあちゃん、すげー」は浅葱さんなら絶対に言ってもらえるはずですが、まずは孫が出来なくちゃねえ。(^^;;

うちの場合もまだまだ出来なくて楽ちんなんだけど、そのうちまとまってどっと来たらどうしよう!!という恐怖はいつもあります。(^^;;
by 九子 (2012-12-12 22:46) 

扶侶夢

尊敬すべきお母さんですね。そして母親のことをそのように語れる九子さんにも感じ入ります。
私もその内、じっくりと父母の生き様をしたためてみたいです。
by 扶侶夢 (2012-12-13 00:18) 

九子

扶侶夢さん、こんばんわ。( ^-^)
そうですね。母は本当にスーパーウーマンでした。
私じゃなくても誰でも語れると思いますよ。(^^;;
扶侶夢さんご両親さまも、さぞやいろいろな経験を積んで来られたのでしょう。
お話伺うのを今から楽しみにしています。( ^-^)
by 九子 (2012-12-13 20:25) 

伊閣蝶

お母様、素晴らしい方であられたのですね。
おばあさまの記事を拝読したときにも大変感動しましたが、「女たちの一子相伝」なんとも味わい深い表現だなと、感心します。
それを九子さんもしっかりと受け継いでおられること、心より尊敬致します。
by 伊閣蝶 (2012-12-16 23:07) 

九子

伊閣蝶さん、こんばんわ。( ^-^)
素晴らしいかどうかはともかく(^^;;、とにかく働き者でした。根性が据わってましたね。昭和一ケタは強かったです!

いえ、私は何も・・。
娘たちはたまたま何かを感じたのか???のうちに薬学部を選んでくれ、それもこれも強運のなせる業です。(^^;;

尊敬といえば伊閣蝶さんこそなんでもお出来になるではありませんか!
本当に私なんか、いつでも尊敬のまなざしで見上げてしまいます。( ^-^)
by 九子 (2012-12-17 23:02) 

youzi

゚・:,。★\(*'v`*)♪merryXmas♪(*'v`*)/★,。・:・゚
ステキなクリスマスになりますように★
by youzi (2012-12-24 19:59) 

リンさん

お母様の俳句すばらしいです。
私も俳句好きなんですよ。
お母様の足元にも及びませんが…^^
by リンさん (2012-12-25 17:38) 

九子

youziさん、コメント有難うございます。( ^-^)
うっかりしてお返事遅れました。
youziさんは素敵なクリスマスを過ごされましたか?

我が家は相も変わらずM氏と二人だけのクリスマスです。
12月の結婚記念日も忘れてしまうくらい、長く一緒にいることだけで良しとしましょうか。(^^;;

今年の残りと来年が、良い年でありますように!
by 九子 (2012-12-26 21:54) 

九子

リンさん、こんばんわ。
えっ?リンさんも俳句されるのですか!

りンさんの感性と着眼点の良さなら、きっと素晴らしい俳句が出来ると思いますよ。

私なんか作ろうったって出来ないからうらやましいです。

母は今から考えると感性の人だったと思います。計算高い一面のほうが際立ってましたが・・。(^^;;
by 九子 (2012-12-26 21:58) 

youzi

(ノ´∀`)ノ*.゚・。:*:.゚・☆A HAPPY NEW YEAR☆・゚.:*:。・゚.*ヽ(´∀`ヽ)
今年もよろしくお願いいたします。
笑顔がいっぱいの1年になりますように!
by youzi (2013-01-01 15:21) 

九子

Youziさん あけおめメールありがとう(*^^*) 今家族でお温泉に来て、ネクサス7から書いてます こちらこそ今年も可愛いわんちゃんの記事待ってますよ ヨロシクお願いします
by 九子 (2013-01-03 17:08) 

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