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鹿鳴館 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

九子はある時期まで、まったく読書家ではなかった。
高校時代など、ほとんど一冊も本を読まなかったのを自慢にしていたくらいだ。(^^;;

先生に言われてある程度読んでいた小中学生の頃も、あるジャンルの本はまったく読まなかった。
いわく「伝記」と言われる類だ。

どうしてなんだろう。どうしてそんなに抵抗があったのだろう?

伝記というのは、偉人のお話だ。当時から、やはり自分はどう頑張っても偉人にはなれないという自覚があったんだろうか。

ところで大人になってからもそうであるかと言うと、それがまた違うのだ。

「伝記」と名がついていたら、きっと読んではいなかった。
ところがそういう物語は、今や「ノンフィクション」というジャンルになって、名だたる小説家たちがいろいろな人々の一代記を書いている。

山崎光夫先生の「藪の中の家」(芥川龍之介)、「ドンネルの男」(北里柴三郎)、「風雲の人」(大隈重信)などは、作者の筆力に圧倒されながら、ついつい引き込まれて最後まで読んでしまう。
もうこうなると「伝記」の二文字はそれこそ、養老孟子先生おっしゃるところの「バカの壁」であったことがわかるだけだ。
ところが九子にはもうひとつ読書に関する「バカの壁」があった。

それは「戯曲」というジャンルだ。

戯曲、すなわち劇のせりふという形で書かれた本だ。

なぜ、こういう本だとわかると、即、本を閉じていたのだろう。
単純に普通の本と違うから、読みにくいと思ったからだろうか?
劇を見に行く機会などあんまり無いので、敬遠していたからだろうか?


今回この本は、ネットで頼んだ。
「八重の桜」で、反町隆史扮する大山巌(いわお)と捨松(すてまつ)夫妻が完成したばかりの鹿鳴館で結婚披露宴を催したことを知り、三島由紀夫のこのタイトルに食指を動かした。

ところがこれが「戯曲」であったことは、想定外だった。(^^;;
仕方が無いから読んだ。
100ページほどの短編であったことも幸いして、最後まで読んだ。
読んでみたら、さすが、三島由紀夫! 美しい本だった。
この本のお陰で、「戯曲」の壁も取り払われたかもしれない。


三島という人は、やはり大したものだ。
男の中の男のように見えて、女心を熟知し、美しい日本語に長けている。

 

 

清原: 私たちはいつなんどきでももう一度昔の時間を生きることが出来るように、修練をつんできたのですな。私たちが会う。するとその時から昔の時間がはじまる。少しは目まいもするが、それに乗って行けば忽ちらくらく身が運べる。

 

朝子: そうでございましょうか。ふしぎなことにこうしていて、私は少しのぎこちなさもない。自在な思いがいたしますの。 空気が俄かに吸いよくなったような。まるで混雑した息苦しい部屋から、俄かに広い野原へ出たような。・・私たちはどうしてこんなに自然でいられるのでしょう。

清原: あなたは自然な感情からあんまり永いあいだ遠ざかっていたからではありませんか?

朝子: きっとそうですわ。愛が息苦しいものだと思うのは、子供らしい考えですわね。ごらんなさいまし。こんなに久々でおめにかかったあなたの前で、私の手は慄えてさえおりません。却って手がいつもよりもいきいきとして、翼のような気がいたします。

清原: (手をとって)その翼で飛んで行ってはいけませんよ。あなたが飛んで行かなくても、時間のほうが容赦なく飛び去ります。急いで話しましょう。実は私もあなたに、是非会って詫びなければならんことがあった。久雄のことだが・・。

朝子: 久雄!

 

この部分が一番・・と言うわけではなくて、女言葉が大変美しい。
それに、戯曲というに相応しい、動きのある言葉で溢れている。
きっと観客の目を意識した言葉選びがなされているに違いない。


三島と言えば、男色、すなわちホモセクショアルや、自決時の鍛え抜かれた鋼(はがね)のような体に代表される男の中の男というイメージがつきまとうが、実際のところ彼は、まったくの二面性を持っていた。

母方の祖母に溺愛されて、幼い頃は女の子の服を着せられ、姉たちと女の子の遊びしかしたことが無かったそうだ。

彼の巧みな女言葉は、この時代に磨かれたものかもしれない。彼の戯曲への傾倒も、祖母好みのものらしい。


出自と書いて「しゅつじ」と読む。九子も割合最近になって覚えた言葉だが、まあ要するに「生まれ」と言うことだ。

三島の出自は大変複雑だ。

母方の方は、水戸松平家に連なる高貴な生まれであるのに対して、父方は貧しい農家の生まれ。しかも被差別民であるとの指摘もあり、祖父、父が大変優秀で東京帝国大学を卒業したため、高貴な家柄との縁組が実現したのだそうだ。

こういう家に生まれると言うことは、はなはだバランスが悪い。
当然母方の、高貴な血筋の人々との交流が盛んになると思われるが、そうであればあるほど、父方の血筋が取り沙汰されて、それが劣等感として植え付けられる。

三島と言う人は自分の軟弱な肉体に劣等感を持っていて、ボディービルディングに打ち込んで見事に体を鍛え上げたのだと思っていたが、彼の劣等感はもっと別の奥深いところにあったのかもしれない。


折も折、出生時に取り違えられて人生を狂わされたという60歳の男性が取り違えた病院を告訴した。

男性が育った家庭は生活保護を受けるような貧しい家庭で、育った家の兄たちもみな中卒で働き、当然のように男性も普通高校も大学も出ずに働きに出た。

ところが一方の男性の本来の家は大変裕福で、3人の弟たちはすべて私立中高から大学に入り、一部上場企業に勤務している。男性と取り違えられた長男は、今では会社の社長に納まっている。

う~ん。ここまで違うと、心中複雑なものがある。
告訴した男性が「育ててくれた母親には感謝している。」と言っておられるのが、彼の精一杯の育ての親への愛情だろう。

三島の中には、この両方が住んでいる。

件(くだん)の男性は数年前取り違えに気付くまで、じぶんの一生になんの疑問も抱かず、それなりに満足して暮らしていたのかもしれない。

人生、知らない方が幸せってことはいくらでもある。

ところが三島の場合は、現実に、母方と父方にとり繕ってもとり繕えない差異がある。
自分はどちらの側に着くべきなのか。いや、自分はどちらの側に相応しい人間なのか、きっと悩んだに違いない。

ところで三島は言うまでも無く文学の天才だ。学習院高校の頃など、ペンを持つと詩が自然に湧いてきて、詩を書くのに悪戦苦闘している旧友たちの気持ちがわからなくて困ったそうだ。

そんな天才の三島をもってしても超えられなかった劣等感という負の意識。
その意識がどんなに強いものであったかを読み解くうちに、やはりあの病にぶち当たった。

夏目漱石や北杜夫、それに開口健もそうだったという。
そう。躁うつ病である。

三島由紀夫が自決した時の様子は、うつ病の自殺と明らかに違う。
彼は意志を持って自衛隊駐屯地に乗り込み、檄(げき)文を示して隊員たちを扇動し、隊員たちの賛同を得られないと見るや、割腹自殺に及んだ。
どちらかと言うと、非常に陽的な、劇場的な自殺だ。

うつ病患者であれば、もっと人知れず静かに死ぬはずだ。

ここに三島の張り詰められた精神の発露がある。「鹿鳴館」の三島本人の後書きにあるパリやアメリカに雪崩打った時のような高揚した気持ちが見受けられる。

彼がそんな精神の高みの中で事に及んだのであれば、彼はもう本望だったに違いない。

躁状態は、本人にとっては大変幸福な状態だ。
周りから見ればどんなにか迷惑であろうとも、本人は多幸感と万能感の中で、自分の為すべきことを為した幸福に酔っている。

九子自身も躁病は無いが、ウツの前後にハイな時期が短くあるのでなんとなくわかる。

彼はすべての準備を終えて、この日に及んだと伝え聞く。
「豊饒の海」もしっかりと書き終えた。
文学的に行き詰って、書けなくなって・・というのとは違う。


天才三島は、病気の中で劣等感にまみれた己(おのれ)の現実が一時的に見えなくなり、幸福に死んでいった。

凡夫である取り違えられた男性は、思いもよらなかった現実を付き付けられたが故に今の幸福が見えなくなった。
(凡夫と書いたが、天才三島に比べたら・・という意味だ。きっと彼は優秀な人物に違いないし、こういう人生を送らねばならなかったとしたら、きっと誰もが同じ気持ちを持ったはずだ。)

こうしてみると幸福というものは、現実と離れたところにあるものほど大きくてきらきらと光り輝き、現実に近いものほどささやかで他愛ないのか?そして彼らは、現実の中の小さな幸福を見出せなかったから不幸になったのか?

そこそこ今の現実に満足している九子であるから、嘘でも、不幸なんて自分に関係ないさ!と思いたい。
まるで免罪符を持っているとでも言いたげに、ほくそ笑んで・・・。(^^;;


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Hirosuke

三島由紀夫も、でしたか。
それじゃぁ、僕も・・・。

>人生、知らない方が幸せってことはいくらでもある。
  ↓
そうですね。
何も知らずに、何も気付かずに、何も疑わずに。
そうしたら、「何も誰も信じられない。」とは思わなかったでしょうね。

いつか人は必ず往ぬる。
なれば彼の死に様の如く、一旗あげて往ぬると欲す。
一過なる報知でなく、語り継がれる意あり異なる偉人とならむと。

「こんな人生があるのか。」

誰もが、そう、思うでしょう。

by Hirosuke (2013-11-30 20:36) 

北のほたる

“氏より育ち”ーーーオオカミ少女を思い出した。

脳には「新しい皮質」と「古い皮質」が有るようだ。
「新しい皮質」は環境によって作られ、
「古い皮質」は遺伝の影響が大きい。

だからーーー、
家系に左右されること無し。立派な家系でも努力を怠ればばヘンな人。
たとえ家系が優れなくとも新しい皮質の細胞で十分に統御出来るではないか。


1.その人が居ないと困る→「人財」

2.その人は居たほうが良い→「人材」

3.その人は居ても居なくてもいい→「人在」(ただ居るだけ)

4.その人は居ないほうがいい→「人済」(御用済み)

5.その人は死んだほうがいい→「人罪」(周囲に害毒)

こんなことをお釈迦様が申された。

いよいよ師走!
1年の懺悔、いや締めとして心静かに自分ははどの位置かな?
と自問することもよし。


by 北のほたる (2013-12-01 20:48) 

九子

Hirosukeさん、いつもコメント感謝申し上げます。

>三島由紀夫も、でしたか。
それじゃあ、私も・・とは言いたくありません。
コントロールは十分出来ていると思うし、そうでなくてもこれからの薬の進歩に期待したいです。

>いつか人は必ず往ぬる。
なれば彼の死に様の如く、一旗あげて往ぬると欲す。
一過なる報知でなく、語り継がれる意あり異なる偉人とならむと。

hirosukeさんが書かれたんですか?素晴らしいですね。うらやましい!
私は現国以外、古文も漢文も不得手でしたから・・。

誰も三島由紀夫にはなれませんが、自分が生きた証は遺したい。
その気持ちは年を取るほど(^^;;、わかってきますよね。

でも、取り違えられた60歳の男性は本当に気の毒でしたね。
せめて同じような境遇の家に間違えられて欲しかった。


by 九子 (2013-12-02 13:11) 

九子

北のほたるさん、コメント嬉しく拝見しております。
有難うございます。

確かに、氏より育ちとは思いますが、自分がもしこの男性だったら、運命をのろいますよ。
相手は会社社長で、自分は一介のトラック運転手。

中学から家庭教師が付けられれば、どんな才能だってある程度の大学へは進めますもんね。

でも、おっしゃるとおり、どんな環境でも、新しい皮質を耕してやれば立派な人間になれるんですよね。

それにしてもこのお釈迦様の言葉はすごいですね。
人材にこんなに種類があったなんて。

人財は無理としても、せめて人材でありたいと思いますね。

でも仏教の言葉って、厳しいのが多いですね。(^^;;

もう師走かあ。一年一年時間がたつのが短くて・・。
そちらは家の中と外の温度がとても違うと伺いますので、どうぞ風邪など召さぬよう、くれぐれもお気を付けくださいね。
( ^-^)
by 九子 (2013-12-02 13:25) 

伊閣蝶

三島の鹿鳴館、市川崑によって映画化されましたが、丸源がスポンサーであったことから、未だにテレビ放映もなされずビデオかもなされていません。
実に残念です。
それはともかく、三島の自殺は、当時中学生であった私には誠に衝撃的でした。
あの人が一体何を求めたのか、未だに私には分かりませんが、やはり凡夫故の限界、というものなのでしょうか。
by 伊閣蝶 (2013-12-17 23:32) 

九子

丸源って暴力団がらみの右翼組織のことなんですね。
そういう経緯があってせっかくの作品が見られないなんて、大変残念です。

もちろん私にとっても衝撃でした。確か週刊誌で生首の写真まで出ましたよね。

確かに天才のすることはわかりませんが、研ぎ澄まされた感性には耐えられない何か強い刺激とか、逆にそういう感性だったからこそ駆り立てられた激情とかがあったのでしょう。

凡庸でよかった。(^^;;
by 九子 (2013-12-19 00:22) 

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