So-net無料ブログ作成
検索選択

「困った人」とどう付き合うか [<九子の万華鏡>]

先日は「サイコパス」の話をしたし、そのちょっと前は「困ってる人」を取りあげた。

今回は正真正銘の「困った人」の話をしようと思う。

九子はいつも言う通りダメ薬剤師であるので、薬剤師会の講習会、しかも土曜日の午後2時からなどという、一人でやってる薬局の人はお店閉めて来てくださいねというお話にはとても乗れないと思っていた。
ところが今回、いの一番に乗ったのである!( ^-^)

何しろ講師が精神科医の春日武彦先生だ。 薬局なんかいつだって閉めちゃうもんね。(^^;;

九子の中で春日先生はずうっと、ものわかりのいい新しいタイプの精神科医だ。

もう15年前くらいになろうか、まだ九子自身も自分の病気を知らず、ただ確実に何らかの心の病なんだろうとは思っていた頃、そして「うつ病」という病気に世間の偏見があった頃、別冊宝島の「ココロの薬とつきあう本」で林公一先生なんかと一緒に対談されていたのが春日武彦先生だった。

「ココロの薬」とつきあう本―安定剤飲みますか?仕事やめますか? (別冊宝島 (432))

「ココロの薬」とつきあう本―安定剤飲みますか?仕事やめますか? (別冊宝島 (432))

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 1999/04
  • メディア: ムック

当時まだ黎明期だったインターネットの情報を取りあげたり、うつ病の人の体験談やアメリカの代表的な抗うつ薬SSRI(セロトニン再取り込阻害薬)のプロザックの話、やっと出始めた日本のSSRIの情報などがわかりやすく書かれていた。

林公一先生のサイトは今でも九子が大いに参考にさせて頂いているのだけれど、正直言って林先生は少々怖い。(^^;; 
だけど春日先生は、いろいろな著書を拝見してもなんとなく優しそうで頭が柔らかそうな感じがした。

当日春日先生は、白黒チェックの厚手のフランネルシャツに黒のジーンズ、革のスニーカーといういでたちで現れた。
昭和51年生まれ。M氏と同じ年だった。

案の定、会場は「先生の御本をたくさん読ませて頂いて、ぜひ本日は直接先生の講演をうかがいたかった。」などという医療関係者であふれていた。もちろん九子もその一人だ。( ^-^)
(もっとも医療関係者という自覚は最初から欠如しているが・・。(^^;;)

演題は「対応困難な患者の理解と対応・・・パーソナリティー障害を中心に」であった。
要するにクレーマーとか、病院ならモンスターペーシャント、学校ならモンスターペアレントというような困った人たちに対してどういう風に対応すべきかという事だ。


パーソナリティー障害というのは要するに人格障害のことだ。カタカナにすることで響きを柔らかくしているらしい。

クレーマーと言う程度の「困った人」たちは、人格障害の中でも要するに境界例とかボーダーラインという言葉で言い現される「境界性人格障害」の人々が多い。

もちろん彼らは「死んでやる!」と叫んでビルの3階、4階あたりから飛び下りて(助かるぎりぎりの線らしい。)勢いで本当に死んでしまうことはあっても、本気で人殺しをすることはない。

つまり社会に危害を及ぼす人々ではないが、その人が一人居るおかげで仕事が進まなかったり、誰かのストレスが高まったり、みんなが振りまわされたり、つまりは、はた迷惑な人たちと言う事になろうか。

「境界性」と言う言葉は、神経症とも統合失調症とも鬱病とも言えない境界線上の人々ということらしい。

今流行の「新型うつ病」(林公一先生おっしゃるところの「擬態うつ病」)も多くはこれに含まれる。

人格障害、要するに性格の偏りである以上、薬もカウンセリングも入院も、実はあまり役に立たない。つまりは治らない。だから精神科医泣かせであるらしい。

九子の主侍医のT先生も、いつだったかクリニックの大ガラスを境界例の人に壊されたと渋い顔をしていらした。

T先生のような良心的な精神科医ほど境界例の人がわんさと詰めかけて困らされる事が多いようだ。


「困った人」の特徴をあげると、プライドが大変に高くて自分は特別扱いされて当然と思っていること、思い込みが強くて自分の思う通りにならない時に「こういうことは時々誰かにたまたまあるさ。」と考えることが出来ないこと、常識とかアタリマエがわからないこと、そして怒りっぽくてキレやすいと言う事、それとよく言われる見捨てられ不安・・という事らしい。

先生の講義で笑ってしまったのだけれど、こういう人たちというのは普通の社会に居ると困りものなのだけれど、そういう人々が生き易い世界というのも実際あるらしい。

たとえば銀行員なら困るけど、暴力団ならOKとか、事務員じゃあ使えないがキャバクラなら大丈夫とか。(^^;;

美貌と才能と腕力があれば生きていける世界、つまりは芸能界や風俗や暴力団は人格障害の人たちの溜り場!
なるほど!それっぽい人達が多い気がする。

それと、たとえば企業やお役所の上の方の人になればなるほど「困った人」であっても目立たないらしい。
先生が例をひいたのは作家から大都会の首長になったあの人のことだった。(^^;;


それではこういう困った人たちにはどうやって対処したらいいのか。

まず、曖昧な態度は禁物ということ。

だがここで難しいのは、いきなり「ダメです!」と応ずるのは愚の骨頂ということだ。
彼らの怒りに油を注いでとんでもないことになる。

言い負かす、つまりは相手を論破するのもダメで、そうすると更にいきり立ってまた別の議論をふっかけられたりする。

要はこちらも時間をかけてじっくりと構え、のらりくらりと、ある時はぬけぬけと、相手の攻撃をかわして行く事が望まれる。春日先生は2時間くらい相手をすると向こうも疲れて帰って行くとおっしゃってた。
何たるエネルギー!

相談の最初はあくまでも低姿勢に。彼らの怒りをガス抜きする必要が在るので、「拝聴する」という態度が大切だそうだ。

くれぐれも彼らの挑発に乗ってこちらまで興奮してしまわないように。そして彼らのペースに引きずられたり、絶句したり、慌てたり、おどおどしたりはこちらの敗北である。

大事な事は態度はソフトに言葉は優しく。だけど、出来る、出来ないはきっぱりと。はっきりと。

かなり難しそうだが、一例をあげればこんな風だ。

「それはお困りですねえ。わたしが何とかしてあげられるならよかったのですが・・・。残念です。」
芝居っ気たっぷりに「私も悔しいですよ。」などと付け加える事も可能だ。

声は小さく低めに。これによって相手との距離が近づいたという感じを向こうに持ってもらえるそうだ。

相手の話の中の感情の部分をくりかえす事も有効。
相手が「むかついた。」と言ったところで、「むかついちゃったんですか。それはそれは・・」みたいに。
(でもこれって言うタイミング間違えると却って相手を怒らせちゃって逆効果かも・・・。(^^;;)

これは確か、子供を叱らないで自分で気付かせるためにも有効な心理的プロセスだったような・・。
子供の言ったことを親がただただ繰り返す。「そう。悲しかったんだね。」「ああ、泣きたかったのね。」「すごく嫌だったんだね。」という風に、子供の気持ちにより添う。

相手の気持ちにより添うという事で、困った人たちもある程度感情を和らげてくれるらしい。

時にはメモを取ったりして、誠意を持っている事を示す。

とにかくアタリマエがわからない彼らに、「世間の常識」を教えてあげるという態度も重要。
「言わずもがな」や「暗黙の了解」も彼らは全然理解していない。

組織に属している人ならば困った人たちは権威に弱いので、時には上の人にお出まし頂いて話を聞いてもらうことが有効なこともあるそうだ。


パーソナリティー障害の見分け方としては、なるべく多くの回りの人たちに彼らの評判を聞いてみて、その人の評価の振れ幅が極端に大きければ疑ってみるという事らしい。

肝心の「困った人たち」が生まれる原因についてのお話はなかった。
もちろんそれは今回の講演の目的ではなかったからだろうが、やっぱり春日先生にうかがってみたかったと思う。

ダイアナ妃がそうだとか、尾崎豊がそうだとか言われるが、「境界性人格障害」は最近わかった症例という訳ではなく、古いところでは太宰治なんかがそうだと言う。

お金が在るのに給食費を払わないなんて昔は考えられなかったから、昔と比べて増えて居るんだろう。


こうやって聞いてるうちになんか九子はムカムカして来た。
だってみんなこんなに「困った人」に困らされて居るのに、彼らはちっとも困ってないんだよ!
この対処法じゃあいくらなんでも弱腰というか、下手に出過ぎてるんじゃない?
案外彼らは今まで困らされたことが無いから、逆に困らせてやればわかるんじゃないの?


そうしたらこないだ偶然、テレビでそういう場面をやっていた。
出て来たのはお金はあるはずなのに税金を長い間滞納してる人を自治体が強制的に徴収してる場面だった。

最初に出てきた男性は、給料が滞っていてとても税金が払えないと言っていたのに、職員が最後の手段として滞納者の車のタイヤにストッパーみたいのを付けて、払うまで車を動かせなくして、期限までに払わなければオークションにかけると言うと、彼は慌てて現金を出してきた。

ちなみに例として画面に出てきたベンツは、そうやってオークションにかけられて80万で落札されたものらしい。
何百万、いや数千万のベンツが80万で売られちゃうとしたらやっぱりちょっと考えるよね。

その次に出てきた女性は、「うちにはお金なんてありません!」とヒステリックに騒ぎたてていたのに、豪華なジュエリーをオークションにかけると言われて、20万もの現金をどこやらから出してきた。
(う~ん、ジュエリーかあ。九子もわかるな、その気持ち!(^^;;)


実は九子の回りにも「困った人」とその人に振りまわされてる家族が居る。
彼女のお嫁さんが「困った人」なのだ。

彼女の息子さんもそういう人をつきあってる間に見抜けなかったものかと思ってしまうけれど、それはとても難しいらしい。
彼女のお嫁さんは今でも、人前ではとても明るいいいお嫁さんだからだ。

家事一切を彼女に任せて、お嫁さんはほとんど一日中具合が悪いと言って寝ている。
その癖、ディズニーランドや旅行には大はしゃぎで出かけて行く。

そして疲れて帰ってきて、更に具合が悪くなる。

お嫁さんはリストカットや、ひどい時には二階から飛び降りたりするので、彼女は目が離せない。

上の子はもう高校生になる。彼女が世話を焼いてやらなければ、子供たちはいったいぜんたいどうなっていたのだろう?

彼女ももういい歳だ。倒れて脳の手術も受けた。
その彼女がなんにもしないお嫁さんのために今日も2階へ食事を運んでいる。

本当に彼女が気の毒だ。
そしてなんか変だよねえ。


困った人たちは実に巧みだ。
弱いところを突いてくる。優しい人に甘えてくる。

だから私たちはもうちょっとずつ強くならなくてはならない。
春日先生みたいに辛抱強く耳を傾ける強さと、そしてきっぱりと出来ないことは出来ないと言い張る強さを持たなければならない。

「Noと言える日本」、確か春日先生に「困った人」と言われた作家さんがが書いた本だったよね。(^^;;

「NO(ノー)」と言える日本―新日米関係の方策(カード) (カッパ・ホームス)

「NO(ノー)」と言える日本―新日米関係の方策(カード) (カッパ・ホームス)

  • 作者: 盛田 昭夫
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 1989/01
  • メディア: ハードカバー

もっともこれは私たちより、どっかの国の政治家さんたちに、特に口を酸っぱくして言っておきたい事なんだけど・・。(^^;;

 

 


nice!(20)  コメント(10)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

さらば、マイぷれす [<その他>]

無料ブログサイト「マイぷれす」がこのたび9年にわたるサービスを終了することになった。

九子は2003年10月にブログを始めている。マイぷれすが始まって半年ほどで書き始めた事になる。
こう見えても割合年季は入っているのだ。( ^-^)
ただ更新のペースがいかんせん長すぎる。(^^;;

でも最初の頃は、きちんきちんと三日に一度更新していた。

そもそも「九子のダメ母の証(あかし)日記」というタイトルに忠実に、今日はこんなドジをしましたというのをずっと書き続けて、1年経ったら止めるつもりだった。

マイぷれすに書いた紹介文はこうだった。


<マイぷれすの紹介文>

登場人物 九子、5人の子供達(上から順に R、S、Y、N子、M子)
M氏・・・九子の夫くん、九子の両親、他


実は3男2女の母である九子はしかし、出来過ぎ母になんでもやってもらって育ってしまった一人娘ゆえ、トロくてなんにも出来ない落第母である。

子供を産んでからも事情は変わらず、大変なところはみんなやってもらう「生むだけ母」でもあった。でも今振り返ってみると、「ダメ母で良かった!」と思う。そんな思いを書いたのが笠原十兵衛薬局のHPにある「ダメ母のすすめ」だ。

ところがここでちょっとした誤算があった。世の薬剤師方がよほど優秀なせいだろう。「いやしくも薬剤師の九子さんが、そんなにトロい訳ないじゃない。信じられないわ。」という反応である。

そこで、いくらなんでも薬局のHPにはあぶなっかしくて載せられないことを、この日記に書いて行く事にした。要するに九子のドジ日記である。多分すぐにでも種切れでおしまいになることを信じたい。

尚、もし暇と興味がおありなら、坐禅とうつ病の話に出てくる笠原十子と朝原九子の証言もついでに読んで頂くと、こういう人間が育ちあがった訳がわかるかもしれない。

そもそも、ダメ母の前はダメ人間。根暗のダメ人間から明るいダメ母へ。華麗なる変身を遂げたその理由は・・・・?とにかく読んで見てね。( ^-^)

あっ、初めて告白しますが、十子ちゃんというのも私のことですからね。( ^-^)


当時はまだ長男が二十歳で末娘が小6の頃。九子もしっかり母親だった訳だ。(^^;;

九子は何度も言うように薬局の一人娘に生まれたからしかたなく薬大へ行ったが、頭の中は生っ粋の文科系だ。

友人は少なかったが(^^;;、でも手紙やメールは毎日のように書いていた。
九子の文通相手の中には、御年90歳の村井昌治先生もいらした。”The Falk Tale of Shinano”「信濃の民話」を英訳された英語の大家だ。こういう地元の有名人とは、たいてい父を通して知り合った。

とは言えまとまった文章を書くのは毎年の年賀状に頭を絞るくらいで、あとは子供たちの文集や活禅寺の機関紙の原稿を頼まれた時くらい。

正直、こんなに長く書き続ける事になろうとは思っても居なかった。

ちょっとした転機になったのは最初の頃に書いた「銀杏談義」だろうか。ダメ母日記だけじゃなくて、こういうのもいいかな?と思い始めた。

書き進めるうちに、自分は書く事が好きなんだという事を再認識し、我ながら上手に書けた時の喜びを体験し、際限なくとは言わないがこれからもまだまだ書けるかもしれない・・・などと夢を持っている。

こうやって書く機会と書く場を与えてもらったからはじめてわかったことだった。


考えてみると九子は小さい頃からずっと一人ぼっちだった。もちろん両親にも祖父母にも十分すぎるほど可愛がってもらったが、友達と遊ぶと言う経験が少なくていつも家の中に居たので、テレビを見る以外は一人の時間が長かった。その上、手足を動かす事は大嫌い。根っからの怠け者なのである。(^^;;

そうなるとおのずと頭の中で考えをめぐらすしかない。とは言え、決して創造的な頭の使い方ではなく、
考えても考えても大して役に立たない事を考えるだけ。(^^;;

そういう言わば妄想癖は、九子が覚えている限り小学校低学年にはもう出来上がっていた。

友達の居ない九子ちゃんは、一人教室に残ってガラス窓から校庭で遊んでいる友達をじっと眺めていた。時折先生に促されて仲間に入る事はあっても、九子は決して楽しんでなどいないのだ。
そうすれば先生が誉めてくれるだろうと思うだけで、なわとびもドッジボールも鉄ぼうも鬼ごっこも、はっきり言って何が楽しいのか全然わからなかった。

こういうのって「自律性」っていうんだよね。自分のやりたい事がわかっていて自分から行動を起こす力。
自分から遊べる子供の自律性は高い。
いつも出来すぎ母の指示待ちをしていた九子の自律性は極端に低かった。

中学、高校と進んでも、事情はほとんど変わらず。
同じ班の子たちや同じ部活の子たちとはそこそこ楽しくやっているが、学校を離れたらもうそれまで。
何しろぬくぬくのお家が大好きだったから。( ^-^)

あっ、高校時代はそれでも割合楽しかったかな?優等生を脱する覚悟ができたからね。( ^-^)

その高校時代に、一年間だけ教えてもらった国語の先生が九子に自信を与えてくれた。

そもそも九子は国語の勉強をほとんどしたことがなかった。テストの前は漢字練習を20分ほどするだけ。
自慢じゃないが高校時代、本も一冊も読んだ事が無かった。まあ、国語は入試に関係ないやと思ってたのかもしれないけど・・・。

それでも3年間、どういう訳だか国語の成績は常に10だった。
必死に勉強するのに、どうやったって万年9の英語とは対照的だった。

ある時先生が絶対に90点を取れない様に作ったというテストで、九子は一人90点を越えた。その時先生は「このテストで90点を越えた奴は天才か気違いだ!」と言われた。

ブログを始めて、この世の中には天才か気違いがそこらじゅうに溢れていることを知った。
それでもへこたれた時にはその言葉をよりどころとしている馬鹿な九子である。(^^;;

それに、今になるとやっぱり努力して勉強したことのほうが役に立っていることがよくわかる。
必死で覚えた英語の知識は今でも十分通用するが、ほとんどすべてを勘に頼っていた国語のノウハウは、娘や息子に教えようったって伝わらない。(^^;;


そんな訳で万が一九子に国語力があったとしても、書く材料がなければ書き続けることは出来ない。
ある日ふと、もしかしたら九子に染み付いた役に立たない妄想癖が書く材料の調達に寄与しているのかもしれないと思った。

いつも言うけど、九子に友達が少ないのはきっと一人でも十分楽しいからだ。
考え事をしているとすぐに時間が経ってしまう。

考え事のその上に、過去を反芻する癖もある。
楽しかった事、どきどきした事、悲しかった事、ああすれば良かったなあと思う事、そういう事を思い出してはにやにやしたり、はらはらしたり、無念に思ったり・・・。

そんな事、何度考えても未来にはつながらない。わかっちゃいるけどやめられないのである。
そんな中でたまには一つ一つの経験を普遍化して考えをまとめる事もあった。

無駄と言えば無駄な時間の使い方なのかもしれないけれど、ブログを書き始めてからその無駄な時間に価値が在ったような気がしてきた。

そんな気持ちを後押ししてくれたのが、「人生のほんとう」などの名著を何冊も残され、若くして病死された池田晶子さんのこんな言葉だった。


「私は、ひとりでいることがまるで平気、むしろその方が好ましいのですが(中略)、ひとりで自分を味わい、思索することの面白さ、一度これを覚えると、他人との関係にはさほど執着しなくなるようです。いや、むしろ逆に、孤独の豊かさを知っているからこそ、他人との関係も本当に楽しむことができるようになると言えましょう。
なぜなら他人との関係とは、その他人の中に自己を見ることに他ならないからです。自己認識が深いほど、関係は深く充実したものになるはずです。(略)」  

<死とは何か>より

もちろん九子の場合は池田晶子さんのような崇高な孤独ではありえない訳だが・・。(^^;;


マイぷれすは小さいブログサイトだったが、創生期からある正統派で良質なブログサイトだった。
そしてなぜか検索に良く引っかかった。

ブログを続けるうちに、以前はほとんど検索に引っかからなかった「雲切目薬」が上位に出てくるようになった。
「疲れ目 目薬」でも「かすみ目 目薬」でも100ページめくってもダメだったのに、2ページ目くらいに「雲切目薬」を発見した時は嬉しかった。( ^-^)

ダメ母、ダメ薬剤師のブログという性質上さすがに薬局のホームページからは表立ってリンクしていなかったが(^^;;、ブログの方からは薬局に積極的にリンクしていたのが功を奏したらしかった。

「九子」と検索すると、一番最初に出てくるのがマイぷれすのブログだ。この順位はリンクされてる薬局の順位にも当然影響し、Google adwardsというおこずかい程度の金額で出来る検索広告でも表示位置を押し上げる。

現在Googleで「花粉症 目薬」と検索すると上か右側の一番わかりやすい位置に表示されるはずの「雲切目薬」のリンクも、もしもマイぷれすが消えてしまったらどうなってしまうんだろうかと少々心配になる。


いずれにしてもマイぷれすはあと10日ほどで消えてしまう。
マイぷれすでブログを始めてよかったと、今、心底そう思う。

孤軍奮闘の管理人のサンドさん、長い間ご苦労様でした。m(_)m



★九子のダメ母の証(あかし)日記はこれからもso-netで「九子のダメ母の証(あかし)日記 in so-net」として、まだだらだらと(^^;;書いていく予定です。


nice!(24)  コメント(12)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog