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卒業ということ [<学校の話、子供たちの話>]

3月18日。最後の娘の最後の卒業式のため、M氏と二人で上京した。
M氏が卒業式に来るのはN子の時以来。

男の子の時は「お前、行って来い!」の一言だったのに、娘となったら「オレが行かなきゃなっ!」ってのはどうなってるの?(^^;;

華やかな袴姿は予想通りでも、N子の時にあった有名ホテルでの謝恩会などは一切無く、学食で保護者を交えた立食パーティーという地味さ加減は今時なのか?

九子の時は40年近く前だけどちゃんと謝恩会あったよ。燃える前のホテルニュージャパンで。

先生によると「学生さんからお金を出して頂く謝恩会ではなくて、大学側からのささやかな気持ちということです。」との答え。
学生さんは神様ってことなのかしらねえ。

もうこれでしばらく来ることもないと思えばつい買いたくなる母校の名前を冠したクッキーやお饅頭。
世話になった人に配る前に、デジカメに納めて気分はすっかり食べたつもり。
たしかにこんなの昔は無かった!

ああ、やっとこれで学費と言うものを出す心配はなくなった!
まあ学校を出たからと言って、心配の種が減る訳じゃなく、いつまで経っても親と言うものは安心する暇が無いことは、上の子たちで身にしみているんだけど。(^^;;

それにしても振袖に袴という卒業式の定番衣装は、いつ見ても華やかで楽しい。
この日本国ならではの伝統の衣装を、もっと気楽に、普段の日に大学構内なんかで見かけるように出来ないものか?
着物文化が廃れかけてる今日、身体を締め付けないでゆっくり一人でも着られて、洗える形状記憶の袴でも作れば、それをAKBにでも揃って着せて歌わせれば、スカート感覚で袴が蘇るのじゃないかしら?


と、話はAKBに移る。(^^;;
AKBにそんなに興味は無いけれど、秋元康と言う人は凄いと思う。

うたまっぷで改めて全曲を見てみたら、500曲以上の全ての歌詞を秋元康が担当している。
AKBの歌は、ある時期これでもかとばかり量産されていた。季節ごとに一曲みたいな年も確かあったはず。

改めて読んでみると、カチューシャだのフォーチュンクッキーだの、確かに10代の女の子の日常には身近かもしれないけれど、今までの常識から言ったらおよそ歌詞にならないような言葉から広がっていく世界の広さに驚くばかりだ。

それにタイトルのつけ方も自由自在ですごいインパクト。
「アボガドじゃねーし」、「キスして損しちゃった!」、「小池」「花と散れ!」などなど。
それらのひとつひとつに印象的な物語があって、読んでいるとついつい引き込まれる。

秋元康と言う人は、もしかしたらひとつの言葉が頭に閃いたら、それを元にお話を考えるタイプの作詞家なのかもしれない。

秋元康はAKBのメンバーに尊敬を込めて「先生」と呼ばれているらしいけれど、確かに彼の詞には10代の女の子がなるほど!と思うメッセージが、彼女たちの言葉で書かれていて興味深い。
年端のいかない娘たちは、年上のおじさんからの人生の警句を、身近な言葉で書かれたかけがえの無いものとして有り難く受け止めるのだろう。
彼の歌詞には、九子と5つ6つしか違わない50代のおじさんが書いたもの・・・とは到底思えない最新の流行語が盛りだくさんで、だから娘たちに受け入れられるのだと思う。

その上、あの年でどうしてこんなに若い女の子の気持ちがわかっちゃうんだろう?と思える歌詞の展開。
特にAKBのメンバーが皆「会いに行けるアイドル」として結成されているので、つまりちょっと可愛い普通の女の子という前提で、普通の女の子として当たり前に持っているコンプレックスなんかを前面に出して詞を作っている。

上にある「アボガドじゃねーし」っていう歌は、イチゴやバナナやりんご、可愛らしい果物の中に混ざってるアボカドは、なんだか可愛い子たちに囲まれた私みたい・・という歌詞だ。
これは今までのスター歌手ではなかなか出来ない設定かもしれない。
彼は絶対にストーリーテラー( a storyteller)だ。それを短く縮めると歌詞になるのだろう。


そんな凄い才能の秋元康が、世の中を変えたのではないか?と思うことが二つある。

もちろん一つ目はAKBの総選挙のことだけれど、それ以前は総選挙と言えば、もちろん衆議院解散後の総選挙だけを指していた。
ところが今では「総選挙」と検索すると、AKBの選抜総選挙の方が上に出てくる。

ファン投票で中心メンバーを決め、ファン投票は一人一票のはずが、投票券付きCDを買うことで一人何回でも投票できるというのは、言ってしまえば「あざとい」とも思うけれど、そもそもこのシステムを「総選挙」と称したことは一番のあっぱれかもしれない

首相を国民投票という形で選ぶことの出来ないこの国では、唯一と言っても良い直接の民意が一番近い形で反映される選挙なのかもしれない。
お祭り騒ぎと言えばそれまでだけれど、会いにい行けるアイドルの運命をこの1票が握っていると思い、中には何百万円の大枚をはたいてCDを買って投票する人達の気持ちが、ファンであるならばわからないでもない。

そしてもう一つ。それが「卒業」だ。
もしかしたら秋元康の前にも「卒業」はあったのかもしれないけれど、当時芸能界から去る人はみんな「引退する」と言われた。
言葉どおりいったん芸能界を去った人は、二度と芸能界に戻ってこないことが多かった。

AKBを去る人は、「卒業する」と言われ、卒業のセレモニーがあって、卒業後は、新たな形で芸能界に羽ばたいていく。
確かに「卒業」とは言い得て妙だと思う。

ひとつの段階を卒業して更に高みを目指していく。
この人生の「卒業」と言う概念を、人と人との別れの際にもっと積極的に使うようにしたらどうだろう?

たとえば、恋人との別れ。
九子はそんなに経験無いけど(^^;;、その辛さはわかるような気がする。

今まで共通の時間を過ごしていた相手が去っていく。去っていく相手は、基本的には追ってはいけないと思う。
今まで同じ時を刻んでいた二人の時間にずれが生じたのだ。もう二度と、重なり合うことはない。
こういう時こそ「卒業」と言う言葉を使うべきではないか。

「彼と別れた。」と言うよりも、「私は彼から卒業した。」と言ったほうが、自分の成長を伝えられる。自分を誇らしく思える。
あなたは彼にさまざまなものをもらった。夢も、希望も、優しい言葉も・・・・。
それらの全ては、あなたの心の真ん中にあって、今もあなたを温め続けてくれる。

それがあれば、それがあるからこそ、あなたはこれからも強く生きていける。
そう思えたら、あなたは彼に感謝しこそすれ、決して憎むことは無い。


辛い思い出だって時の流れの中で小さな記憶のひとかけらになってくれるものなら、まだ痛みがあるうちに「卒業」と思い込んだほうが、開き直った方が、辛い時間が少なくて済む。
「もう卒業だね。」と言って、きれいさっぱりと別れよう。

そう。あなたは彼から卒業したのだ。
彼もそう思ってくれるならばもっと嬉しい。

ところが実際はこんな風にうまく行かない。
きっと自分の卒業と相手の卒業が、「何月何日が卒業式」というような具合にピッタリ合わないからだと思う。
自分はもう卒業式だと思っているのに、相手は極端な場合には、これが入学式だと思っていたりする。

もしかしたら憎み合って別れる二人は、卒業式の日程がお互いかみ合っていないのかもしれない。
別れても友達付きあい出来ている二人は、上手に並んで蛍の光を聴けたのかもしれない。
離婚でもめてる有名人カップルなんかもうまく行かなかったクチ。
ストーカーになる不届き者は、卒業留年組だろう。

卒業は独り立ちであり、巣立ちだ。
誰にも頼らず一人で歩いていくことだ。

いつも親がかり、家族頼みばっかりだった九子が偉そうな事言っても全然説得力ないけれど(^^;;、あなたも大事な誰かさんと辛い別れをする時は、しゃんと背筋を伸ばして前を向き、一人っきりの卒業式をしてみるのもいいかもしれません。
( ^-^)


善光寺ご開帳のため4月5月は更新が滞りがちになるかもしれません。ご理解下さい。


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