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想いを伝えるということ [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

何気なく聞いていた綾香の曲に、迂闊にも涙がこぼれた。
綾香の曲というのは正確ではないかもしれない。
作詞作曲は中島みゆき。原曲も中島みゆきさんだ。
「空と君のあいだに」ドラマの主題歌にもなった有名な歌だ。
https://www.youtube.com/watch?v=27ieR6fe7bc
(ちょっと前までyoutubeで見られたのですが、今は見られません。)
 
中島みゆきが歌った時は、泣かなかった。
中島みゆきはきっと女々しいのが嫌いな性格のだろう。
哀しい時にも強がってしまう女の性(さが)を、さらっと歌って聴かせる歌手だ。
いい意味でも悪い意味でも彼女は鼻っ柱が強い。
自分でも泣かないし、聴いてる側に泣く事など望んでいないのかもしれない。

綾香がこの曲を歌うのを始めて聴いた。
歌のうまい人だなあという印象はずっと持っていたが、今まで積極的に聴こうとは思わなかった。

ところがyoutubeからこの曲が流れたとたん、手が止まった。
小さい男の子が出てくるビデオも良かった。(この子はママ友バトルを描いた『マザーゲーム』に出て来た主人公の息子役の子?)

「君が涙の時にもボクはポプラの枝になろう」で始まる男の純粋な愛情が、「君が笑ってくれるなら、ボクは悪にでもなる。」という危なげなものに変わろうとしていても、それでも一人の女を一途に愛する男の情念がずんと伝わってきてなんだか泣かせた。

その時、心を揺さぶられる何かというのは、もしかしたら歌い方にあるのではないかと思った。

綾香さんは、口を大きく開けて言葉を丁寧に発音して歌う人だ。
でも時に、耳にささやくような感じで「想いを吹き込む」といった歌い方をすることがある。
言い方は変かもしれないが、口をとがらせて、漏斗(ロート)で想いを直接注ぎ込むような、そんな歌い方だ。
こういう歌い方をする人は、皆、歌の上手な人ばかりだ。
例えば、平原綾香もしかり。平井堅もしかり・・。

これは、自分の胸の中に溢れる想いを絞り出すような、移し込むような歌い方をすることによって、相手により深く、より直接に想いを届けたい気持ちの表れなのだと思う。
そうした方が胸の想いがより伝わりやすくなるのかもしれない。

もちろんこう言うからには、心というものが脳の中にではなくて、胸先三寸にあるという前提でなければならないのだけれど・・・

歌における言葉の力は絶大だ。たいてい九子が好きになる歌は、曲もさることながら詞のうまさが際立っている。

でも反対に、歌は詞にがんじがらめになる。
力のある作家が作り、うまい歌手が魂を注ぎ込むようにして伝えてくれるその情景は、聴く者すべての心にいとも巧妙に、いともやすやすと刻みつけられるけれど、その情景に縛られるが故に、自由な想像を差し挟むというのは難しいのかもしれない。


so-netブログ仲間であるmu-ranさんこと指揮者の村中大祐氏と彼のオーケストラAfiAのコンサートをM氏といっしょに聴きに行った。六月の、雨の中だった。
 
紀尾井町ホールは、それほど大きくないながら、惜しみなく木を使って作られた贅沢なホールだ。
ホールには濡れた傘の持ち込みも制限されて、楽器の響き方や音色に影響しないような配慮がなされている。
こんなところにも音のプロを自認する人たちのプライドが感じられる。

ゲネプロと呼ばれる直前のリハーサルも見られる切符を、この時とばかり買ってみた。

指揮者が、コンマスというオーケストラの中心人物、(たいていはバイオリン奏者さんみたいだが)と交わしているやり取りを聴きながら、直前まで曲の進行を詰めている様子が興味深かったり、会場のいろいろな席に移動して聴くことが出来るので、ふだんのコンサートではわからない音の響き具合や、演奏家たちの息づかいみたいなものが聞こえるようで楽しかった。

ゲネプロ付き切符を買うと、オーケストラの音を間近に聴きながら関係者以外お断りの部屋でお茶もいただける。そして「リハーサルより何倍もうまく行く本番の話」など、樂祐会(後援会)事務局長さんからうんちくが聞けるのがまた楽しい。

この回は、ちょっと特別の趣向があった。客席の左右のギャラリー席になんと!小さいお子さん、それも、まだまだ赤ちゃんが何人もいた!

関西生まれの村中大祐氏の活動を、同じく関西に拠点を置く㈱ミキハウスの社長さんが応援していらして、この赤ちゃんとお母さんを招いたコンサートが実現したらしい。

そして始まってみると、この赤ちゃんたちが大活躍だった。

最初は正直、どうなることかと思った。
ハッキリ言うと、音の切れ間で会場が一瞬シンとした時や、「ここだけは静かにして欲しかった。」というところに限って、まるで掛け声みたいな泣き声が聞こえるのだ。
ピッタリはまって聞こえるのは、まあ、見事と言う他はない。
「ナリコマヤー」とか、「ナカムラヤー」みたいな感じ。

だがそれよりも秀逸だったのは、そんな事はどこ吹く風と演奏を続ける指揮者とオーケストラ。
自分の音に集中しきっていて微動だにしない。

なるほど、そういうものなのだな、プロ根性というのは・・。

九子が感心している間に、曲はどんどん先に進む。
そしてあれっ?と思った。

さっきまであんなに気になった赤ちゃんたちの声がしない!
どうしたんだろう。みんないっせいに寝ちゃったのかな?

幕間になって村中大祐氏が挨拶される。
「子供たち、みんな静かに聴き入ってくれてましたね!」

えっ?そういうこと?赤ちゃんが静かになったのは曲に聴き入っていたからなの?
本当にぴったりと泣き声がしなくなってしまった。最初は聴き入り、そのうちそれが子守唄になって、すやすや寝てしまったということなのか?

よく聞く話が、赤ちゃんはずっと長いこと聞いていたお母さんの鼓動のリズムがお気に入りで、この音を聞かせてやるとやすやすと眠りにつくということ!
コンサートの途中、赤ちゃんの脳の中で、きっとこれに近いことが起こったのかもしれない。

もちろん赤ちゃんが感じていたものは、心地よさだったのだろう。
なんだか変てこなところに連れてこられて、聞いたことの無い音がする。だから最初は不安に思って泣いていた。
ところがだんだん、その音を聴くのが気持ちよくなってきた。気持ちいいから静かになった。眠くなった。


オーケストラに人々が興奮する理由はいろいろあると思う。
音楽の大天才が心血注いで作り出した大曲を、才能ある奏者が技巧を凝らして奏でるから・・。
その人は超一流の弾き手であり、世界で活躍する有名な奏者だから・・。
つまり類まれな才能と努力で競争を勝ち抜き、一等賞を取った人が、楽聖が紡いだ曲を名器と言われる高価な楽器を使って、この世のものとも思えない音を生み出すから・・。

凡人はこんな風にあれこれ頭で考える。
だけどきっと、そうじゃない。

村中大祐氏のコンサート資料に、80歳を超えられた老婦人の感想がはさまれる。
「音の美しさに、いつの間にか涙が流れていたのよ。」

言葉という伝達手段を持たないクラシック音楽の最高の聴き方がこれなのかもしれない。
片や赤ちゃんが泣かなくなり、片や老婦人が泣ける話だが、根っこにあるものは同じだと思う。

指揮者も楽団員も、自分が楽譜から読み取った最高の音を、聴衆一人一人に精一杯届けようとする。
そのために血の出るような努力をする。
もちろんそんなことおくびにも出さずに、あっさり、楽々と、楽しげに弾く。

コンサート会場を埋めるのは音だけじゃない。そこここに、音楽家たちの熱い想いが色付いた木の葉のように輝いている。
言葉の無いところにさまざまな言葉を感じ取る日本人は、もしかしたら世界一クラシック音楽を愛でる素質があるのかも知れない。

では聴衆はいかにあるべきか?
きっと難しい知識は要らない。もちろん知識があった方が理解は広がるのだろうけれど・・。

だけど理解じゃない。赤ん坊が泣き止んで、大人の目から自然に涙がこぼれるのは、理解したからじゃない。

音のありったけを感じる。体中の細胞の一つ一つで感じ取り、味わい尽くす。
身で、心で咀嚼して、最高に楽しむ。そして夢見心地になる。

素晴らしい音楽を有難う!
お返しに、手が痛くなるまで拍手をする。

曲名も作曲者もすぐに忘れてしまう九子はいつになってもクラシック通なんかになれないけれど、ああ、良かった!また聴きに来よう!と、心満ち足りて帰路に着く。

それで、それだけで充分なのじゃないかしら?

指揮者村中大祐氏のコンサート、次は12月11日金曜日夜、東京の紀尾井町ホールであります。
あなたも一度是非いらしてみては?( ^-^)

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