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出会いの不思議 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

人は皆、毎日必ずと言っていいほど誰かに会っている。
人だらけの都会に住めば特に、誰かとすれ違わずに一日を送ることは不可能に近いだろう。
でもそうやってすれ違うことを、「出会い」とは言わない。

「袖摺りあうも多生の縁」という言葉がありながら、袖が摺りあっただけでは縁は生まれないのだと思う。
満員電車で袖すりあっても誰も何も言わないだろうが、ごめんなさい、すみませんと会釈するのか、なじって荒々しい言葉を投げつけるのか、そういう次の一手があって初めて、「ご縁」が始まる。

考えてみるとネットで行き交う何億人の人々の中で交流が始まるということも現代の袖の摺りあいではなかろうか。

結婚するなどと思いもよらなかった息子が、縁によって結ばれた。
彼と彼女が出会った不思議さを考えると、確かに「ご縁」というのはあるのかな?と思う。

一年以上前の文藝春秋に(週刊文春じゃありません。(^^;;)、高倉健さん追悼の記事が載っていた。書いたのは沢木耕太郎氏。ノンフィクションライターとして著名な方である。

沢木氏は当時モハメット・アリの試合をつぶさに見ていて、アリの引退試合になるだろう今回の試合は、若く勢いのある相手に初めてのノックアウトを浴びるかもしれない、そんなアリを見たくないという気持ちがあって、ラスベガスで行われる試合のチケットを取るのをためらっていたそうだ。

そのうちにやはり見ておきたくなってアメリカ在住の知人に頼んだところ、チケットは3万枚のうち29997枚が売れてしまい、とてもじゃないが手に入る状況ではないという。
モハメッド・アリ氏の訃報が最近届いたばかりだが、彼が当時いかに人気のあるボクサーだったかがこれでわかる。

それでもなんとかと更に知人に頼み込むと、すでにチケットを手に入れていたある人が「そういう事情なら自分が見るよりもその人が見たほうが役に立つと思う。」と快く譲ってくれたのだそうだ。

その「ある人」こそが誰あろう高倉健さんだった。

沢木氏はせっかくの試合をみられなくなってしまった健さんのために、結局はアリがテクニカルノックアウトで敗れた試合の一部始終を夜中から明け方までかかって、健さんに長い長い手紙でしたためた。

それが高倉健と沢木耕太郎との出会いだった。
健さんはその手紙を読んで、沢木氏からの仕事の依頼ならどんなことでもするから、いつでもあけるから絶対に断わらずに受けるようにと事務所に伝えた。

ある時はラジオ出演の依頼にも快く応じ、テレビ局ならいざ知らずラジオ局では自分のギャラはとても出せないだろうからタダで良いと金を受け取らなかった。

沢木氏の娘さんがまだ小さい頃アパートに突然健さんが立ち寄り、手作りらしい鞄を手渡すと、風のように去って行ったこともあるという。
沢木氏の鞄が古ぼけて破れかけていたのを前にあった時に見ていたのかもしれない。

その後ごくたまに、ホテルの喫茶室で、酒が飲めず甘党の健さんにあわせてアップルパイとコーヒーで、たわいの無い話をするようになった。

ある時仕事の話になり、実は今ロバート・キャパの伝記を訳していると言う沢木氏に健さんは「キャパっていうのは、どういう人なんですか?」と尋ねて来た。

それに対し沢木氏はこんな風に語った。

<原文のまま>

スペイン戦争が終わり、しばらくアメリカへ行っていたが、第二次世界大戦が勃発し、キャパはヨーロッパに渡り連合軍に従軍して写真を撮るようになる。その時ロンドンで美しい女性と恋に落ちる。
アメリカ戦線から戻り彼女と再会すると、キャパはホテルに高価なシャンパンを用意して楽しい夜を過ごそうとする。ところが、戦線の状況が急変するや、美しい恋人と飛び切りのシャンパンを残したまま戦場に向かってしまう・・・。

 私がそこまで話すと、その説明を黙って聞いていた高倉さんがつぶやくように言った。
「どうしてなんでしょうね。」
私は意味がうまく取れなくて訊き返した。
「えっ?」
「どうして行っちゃうんでしょうね。」
「・・・・・・・・・」
「気持ちのいいべッドがあって、いい女がいて、うまいシャンパンがあって・・・。どうして男は行ってしまうんでしょうね」
 私がどうとも反応できなくて黙っていると、高倉さんが独り言のようにつぶやいた。
「でも、行っちゃうんですよね。」
 そこには複雑な響きが籠もっているように思えた。そして、私は思ったものだった。高倉さんも、どういうかたちかは正確にはわからないが、かつて「行ってしまった」ことがあったのだな、と。


沢木耕太郎氏、恐るべし!
健さんの一言で、そこまで読み取る?
あっ、そうか。
健さんが、あの映画の朴訥とした独特の語り口で肩なんぞ丸めながらこのセリフを言えば、自然に伝わっちゃうものなのかもしれない。

そして沢木氏は昭和22年生まれ。きっと高倉健と江利チエミの結婚と離婚の顛末を熟知していたのだろう。

江利チエミと言う人を九子は良く知らない。美空ひばり、雪村いづみと三人娘と言われていたことは承知しているが、どちらかと言うと三人ともそんなに好きではなかった。ファンの方には大変申し訳ないが、三人とも勝気で、あけすけで、品がない気がした。九子がその頃、勝気な人が苦手であったためかもしれない。

高倉健があまた出会ったであろう共演相手の美貌の女優を差し置いて、愛嬌はあるが美人とは言いがたい江利チエミを妻に選んだということ。
それはまさに、健さんの感性だったに違いない。
健さんは何よりも感性を重んじる人で、感性を常に高めておくための努力を惜しまなかったということだ。

離婚は望まなかった健さんだが、家族の金銭問題が高倉健にまで影響するのを怖れた江利チエミが離婚を強く言い張った。
彼女ならそうするかもしれない・・というくらいは想像がつく。

それが健さんの「行ってしまった」負い目だったのかどうかはわからない。でも高倉健は、彼女亡き後、途切れることなく命日に墓参りを続けていた。


出会いの話をしているつもりが、いつのまにか別れの話になってしまった。
出会いと別れは裏表。出会いが「ご縁」であるならば、別れもまた「ご縁」なのだろう。

「ご縁」つまりは仏様の、神様の、キリスト様のお導きと思えれば、相手に対する恨みつらみも薄まって、お互いの幸福を祈って穏やかに別れる事が出来るのかな?

結局夫婦どちらかが人間的に出来ていて、その出来てる人の努力で結婚生活という危ういものは成り立っているような気がする。
「結婚は毎日の辛抱だ。」とM氏が言う。 「こんな楽チンな毎日は無い。」と九子が言う。
我が家ではM氏と九子いったいどちらが出来た人なのか?
もうお分かりですね。(^^;;


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