So-net無料ブログ作成
検索選択

カゲロウのカゲ [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

思えばこの本は数奇な運命を辿った。
「第五回ポプラ社小説大賞」などと銘打たずに俳優水嶋ヒロが書いた本とだけ言えば、その目新しさだけで同じような部数はやすやすと売れていただろうと思う。

KAGEROU

KAGEROU

  • 作者: 齋藤 智裕
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2010/12/15
  • メディア: 単行本
この本の大騒ぎがあってからもう5年も経つのか.
つくづく月日が流れるのは早い。

古本屋の下の棚に並んでいる背表紙の行列の中で、その本は目立たずに埋もれていた。
白い表紙に小さく細いKAGEROUの文字。一番上でちょうど小池百合子氏が選挙の時に巻いていた鉢巻の色とおんなじ正十字がひっそりと光っていた。 九子の目に止まったのはまさにそれだった。

アマゾンでこれでもかと酷評されているのは知っていた。
この本を選ぶ時、「いったいどのくらい酷い本なのか確かめたい。」という面白半分があったことも認める。
それでもこれでも文学賞の大賞を取った本なのだから、何が共感されて、どこが批評されているのか、それを知りたいと思った。


読み出してみてあれ?と思った。
「なんでこんなに酷いこと言われてるの?悪くないよ。悪くないどころか、面白いよ。」

アマゾン評から羅列してみる。
>文章力や語彙力は新人という点を考慮しても、商業作品として出版するに値しない。

>アマチュアらしさがそこかしこに表れていて、この本は自費出版だったのかと思わず錯誤してしまう。

>ただしこれを文学として見ているのであれば、三流以下。

>質より量という言葉があるが、文章量が少なく、質も低い。

個性がなく、読み終わって充実感がない。

最初の方はほとんどがこんな感じ。
これでは著者としてもさぞや辛かろう。
ようやくしばらくすると、「割りによかった。」コメントも出てくるようになる。

九子は最後まで面白く読んだ。

文章力も、語彙力も、水準以上だと思った。
もっとも「誰かの手が入ってここまで。」と言い切る人も居るには居たが、それは確かめようが無い。

タレントの本という事でピース又吉の「火花」と比べるコメントも多かった。

もちろん「火花」とは違う。ジャンルが全然別だと思う。

「火花」の作者又吉直樹は、もともと心の声に耳を傾けるタイプの人。情念の人。つまりは根っからの文学者なのだ。
ところが斉藤智裕は、そこのところが抜け落ちている。
彼が幼少時代を海外で過ごした影響か、サッカー選手だったからか、じめじめと自分の心と葛藤するような習慣はほとんど持ち合わせていないと思われる。
だから、KAGEROUに心理描写を期待しても無理だし、その分あっさりとしたSF小説のような色彩の物語が出来たのだと思う。

KAGEROUは、こんな風にはじまる。

 
 何十万という人間がひしめき合って暮らすこの街で、誰もいない暗くて静かな”寂しい場所”を見つけるのは至難の業だ。しかしヤスオが見つけたこの場所は、奇跡的にその条件をほぼ完璧に満たしていた。 
 そこは三年ほどまえに倒産して廃墟と化した古いデパートの屋上遊園地だった。
ところどころに剥がされてコンクリートの地肌がむき出しになった人工芝の上で、引き取り手もないまま野ざらし状態で放置された遊具や、動物をかたちどった電動式の乗り物が夜露に濡れて薄ぼんやりと光っている。
 その様子はまるで、かつてこの場所で遊んでいた子供たちの墓標のようだ。
 周囲に張り巡らされた転落防止フェンスの向こうの闇空に、ヤスリで削ったような細い三日月が張り付いている。風はほとんど吹いていない。
 死ぬにはまさにおあつらえむきのシチュエーションだ。

文学賞を取った小説として、違和感無く読める冒頭だと思う。


この場所から身を投じようとしていたヤスオが、謎の男キョーヤに助けられる。キョーヤはある組織に属する人物で、死にたがっている人間にとりあえず自殺を思い留まらせ、それでもまだ死にたい人間には、その人間の臓器を必要としている人間に移植し、遺族に報酬が支払われる契約を結ばせる仕事をしている。

最後まで、物語としての齟齬は無かった。
違和感があるとすれば、帯のこの文章だ。

第五回ポプラ社小説大賞受賞作

著者・斉藤智裕が、人生を賭してまで
伝えたかったメッセージとは何か?
そのすべてがこの一冊に凝縮されている。
小説の新たな領域に挑む話題作、ついに刊行! ポプラ社

裏帯となるとさらに凄い。
哀切かつ峻烈な「命」の物語。

まったく内容と合致しない。この物語にそこまでの重みは無い。
そもそも著者がそこまで考えて書いたのか。

この帯を信じて読み始めた読者が、次々と落第点をつけているのだとしたら頷ける。
売らんかな!が昂じてこの帯を付けたとしたら、非はポプラ社にある。
帯を読んで本を買う人に対する冒涜だ。

水嶋ヒロにも落ち度がある。
少なくとも小説家になる!と豪語して芸能界を去ろうとした以上、何作も書けるだけの才能は当然求められる。
それもSF小説に近い形であるならば、構想が次々と湧いてくるようでなければ小説家をかたる資格は無い。

ブログ友達のりんさんは、それこそ毎日のようにSF風ショートショートを綴っておられる。その努力が実って、大賞も何度も受賞され、大御所と言われる作家さんに
激励されたりもしている。
そこまでの努力があって初めて、作家と呼ばれる資格が出来るのに・・・。


「カゲロウ」を仕掛けたのはポプラ社側だったか、水嶋ヒロ側なのか。
明らかな事は、「ポプラ小説大賞」はもうこの世から消えうせ、水嶋ヒロもテレビで見る回数が極端に減ってしまったという事実だ。
カゲロウのカゲの部分は暴かれて消えた。仕掛けた側も仕掛けにおめおめと乗った側も、信用と言う大切なものを失って、今まさにその痛みに耐えていることだろう。


物語にそぐわないからと批判の多かったおやじギャグ。帰国子女の彼には、どこかつぼにはまる面白さがあったのかもしれない。




だからそれっぽく言ってみよう。



カゲロウからカゲが消えてロウだけ残った。
作家として労(ロウ)を厭わず書き続けるも良し、役者として老(ロウ)練な演技をするも良し、はたまた朗(ロウ)ろうと歌ってみるのも良し。



カゲロウは4日しか生きられないが、あなたの人生はまだまだ長い。


掛け違ったボタンの事など服ごと忘れて、綾香さんと才能を競い合うくらい、これからも活躍して欲しいと思います。









nice!(10)  コメント(8) 
共通テーマ:芸能