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美人とイケメン [<九子の万華鏡>]

九子が通ってるスイミングのメニューににアクアビクスという水中体操があることは前にも書いたけど、そのクラスのインストラクターの一人が若い男性で、ずいぶんのイケメンであるらしい。


近視の九子のことゆえはっきりとは見えないのだが、色白でしゅっとした顔の、岡田将生くんタイプ!!


気の毒にねえ。彼がもしも都会のジムのインストラクターであったなら、派手なマダムからいろいろプレゼントされてちやほやされていただろうに・・。


もちろん九子はそんな軽々しくもイケメン先生の授業なんてとらないよ。

そもそも足が腫れてから、エアロビクスみたいな運動量の多いものは避けてひたすら水中ウオーキングに専念しているのだから・・。


だけども気になってちらちらっとは見ているよ。

プールの隣のジャグジーに浸りながら、何気なく横顔を眺めたり・・。


このあいだなんかスケジュール表をしげしげと見てしまった。

あの先生は週末以外はほとんど授業がない!

もしかしたら信州大学の学生アルバイトさんだろうか?

プールだけじゃなくてジムでも教えてるんだあ、エアロビクス!

へえ~っ!


と、まあ、かなりの熱の入れようで・・。(^^;;


人間どう考えても美しく生まれてきたほうが得だ!


このあいだの北朝鮮の金与正キムヨジョンだってそうだ。

北朝鮮のイバンカトランプなんて持ち上げられてたけど、彼女たちが月並みな容貌であったならば、きっと誰も注目しなかっただろう。


彼らは書記長、大統領のメッセンジャーだから、別にそれはそれでよい。

麗しい女性たちに与えられた歴史的な役割であり、別に珍しくもなんともない。


九子は安倍晋三首相が首相になった当初、なんて美男子な政治家だろうと思った。

背も高いし、品のいい顔立ちで、さすが家柄の良さを感じさせる。


それと同様に文在寅ムンジェインという人が韓国大統領になった時も、近年の中ではなかなかりりしい顔立ちの韓国大統領だと思った。


ただ国を背負って立つ人の場合は、顔の美醜などすぐにどうでもよくなってしまう事に思い至った。


そもそも美しい人間を人々はなぜ尊び敬うのだろうか?


そう言ってしまえば実もふたもないが、美しいものは極めて珍しいからだと思う。


珍しいと言えば奇形の動物もまた珍しい。

白いトラ、白いライオン、白いカラス、ピンクのイルカ、青いカエル、などなど。

それらは突然変異で生じた個体だから、子供が生まれる確率は低いし、目立つので敵の餌食になって長生き出来ない可能性も高い。


美しい人間だけが正常の範疇であり、かつそばに置いてめでるのにはふさわしい状態を長年保っている。


美しい物、人を見るというのは、快楽につながるのだと思う。

おぞましいものは見たくない。生理的に不快になるからだと言うのと同じ理由で、

人間は本能的に美しいものを見たい、触れたい、そばに近づきたいのだと思う。



九子は今日、その先生の顔をジャグジーからだけじゃなくて、隣のプールから、かにさん歩きしてまじまじと見た。(まじまじとではあっても、近視ではある。)

あれっ?と思った。

こんな顔だっけ?

岡田将生くんとは似ていない。頬骨が出すぎている。これじゃあ岡田将生というより、どっかの芸人さんみたい!


気持ちがスーッと引いていった。

なあんだ!ときめいて損した!!(^^;;



これが美男美女が持つ宿命!!

いつか飽きられ、絶望される運命!



それでもやっぱり、どうぜ生まれるなら美男美女に生まれたかったわねえ。(^-^)


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再び、三たび 長野と松本 [<九子の万華鏡>]

このところ用事があって何回か義姉の住む松本に赴くたびに、ああ、やっぱり松本には敵わないなあと思うことしきりだ。


もうそんなこと何十回も思った!


仕方ないよ。長野は門前町で松本は城下町。


お殿様を守り立てて参勤交代の折などに他の藩主よりもみすぼらしく見えないように、人々がこぞって知恵を絞り、高価な着物や生活用品を作り出した。

その結果、物は豊かになり、町は栄え、文化が広まった。


ところが善光寺のお上人さまやお管主さんは贅沢なんてしないもの。衣食住だって質素を旨としてきらびやかどころじゃない。


長野の町にいわゆる町人文化が栄えなくても、そりゃあしかたないんじゃないの?

そういって長いこと言い訳してきた。


ところがここへ来て、そうじゃないんじゃないの?と思うことが次々起った。


一番衝撃だったのは、松本に県下最大級のイオンモールが出来たことだった。

長野にはbigと呼ばれる小店舗があるばかりだ。


モールは義姉の住むすぐそばなので外からだけ眺めてみたが、すごい広さだ。

そしてここには広い音楽ホールにもなる多目的会場も作られていて、さまざまな目的に利用が見込まれている。


なぜ人口の多い県庁所在地の長野ではなく松本に?という話になる。


実はもう十年も前に長野にイオンモールを作る話が浮上した。

ところが時の市長さんが、そんなところに大きなものが出来たら市内の業者は皆つぶれてしまうと怖れた結果、イオンを締め出すことになった。


ところが松本はそれを受け入れた。市内の業者に大きな影響が出るだろうことはもちろんわかりきってたはずだ。


でも彼らはきっと、自分たちの努力で大きな施設と上手に棲み分けが出来ると考えたのだろう。そしてそうする自信もあった。


とりあえず今は彼らの目論見どおり動いている。イオンモールは都会からのたくさんのしゃれた店と、地元には無い珍しい飲食店が軒を連ね、たくさんの人々で賑わっている。

そして松本の町に昔からあったさまざまな専門店と共存している。(ように見える。)



これを見たとき、九子は考えた。

街って言うのは、人が作るものなのだと。

その街に住む人々のエネルギーと気合と意気込みとが、街を次々変えて行くものなのだ。


長野の人間は、きっと変化を拒むのだろう。

というか、変化が怖いのか?

とにかく地味で、保守的で、千年一日の如く同じように暮らしていくことが安心なのだ。

だけど「人だけは良い。」と言われていて、そこだけがせめてもの誇りだった。


ところがこれもだいぶ怪しくなった。


松本山雅というサッカーチームのことは皆さんご存知だと思う。元Jリーガーの松田選手が練習中に急死されたことでも有名になった。


数ヶ月前、山雅のスタジオが使えなくなり、長野パルセイロが本拠地としている長野市のグランドを今期初試合をするグランドとして使わせて欲しいという申し出が松本山雅から加藤市長のところにあったそうだ。


ああ、いいんじゃないの?使わせてあげれば!

ところが市長の歯切れは悪かった。


結局彼が言ったことはこうだった。

「こちらのグラウンドも台風の被害で芝がやられてしまっていて修理にどのくらい時間がかかるかわからない。だから答えは保留にさせて下さい。」


何?それ?

本当に貸す気があるなら「私の一存でその時までに必ず間に合わせますから。」と言って、握手でもすべきだよねえ。意地悪してると取られてもそれまでだ。


結局松本山雅の今期初試合は、山梨県ですることになったのだそうだ。


へただなあと思う。加藤市長だってこんな簡単なことで男を上げて、長野と松本が少しでも仲良くなるチャンスだったじゃない!

これでまた長野の人間は底意地が悪いなんて言われかねない。



会社のトップ、コミュニティーのトップ、そしてむろん国のトップは本当に自分の言動に注意して欲しいと思う。


彼らの言動は、もう彼ら一人のものではない。

それを言った、した人間が、すべての組織の人間を代表していると思われてしまうから。



先日中国人の女の子が二人、雲切目薬を買いに来た。中国人と言われる前は、上手に日本語を話すし、日本人だと信じて止まなかった。

だから普通の速度で普通と同じように古い店の説明した。それでも彼らはちゃんと意味を理解してくれたと思う。


でもちょっとしたアクセントが独特だったので聞いてみた。

すると、千葉大の留学生で、日本に来て2年半程だという。


はっきり言って、悪い意味での中国人らしさはまったく無かった。物静かな、「すみません。」をよく使うかわいらしい学生さんたちだった。


九子の中にあった典型的な中国人像は崩壊した。「こんなおとなしい中国人もいるんだなあ。こういう人たちばかりなら、お友達になれそう!」


人間の判断力なんていい加減なもんだ。結局自分の経験の範疇を一歩も出ない。



こんな長野市だけれど、たまには好きだと言って何度も訪れてくれる人もいる。

子供が大学で二年間いたけれど(信州大学教育学部と工学部の学生は松本で二年間、長野で二年間を過ごす)長野がとても気に入ったと言ってくれる人もいる。

そんな時は自分が誉められたように嬉しい。



ああ、そうか!

実はこの頃九子は段々とこの長野市に愛着が湧いてきた。

母親が出来の悪い子どもを可愛がるように、なんともパッとしない我が長野市に愛おしさを覚えるようになった。


年とったせいかしらねえ。(^^;;


そして思いついた。


長野市は九子に似てるんじゃないかしら?

何よりエネルギーが無いところが。(^^;;


保守的で新しい何ごとかをやり遂げようという意気込みの足りなさ。

出来るならば難しいことは目をつぶってる間にどうか頭の上を通り過ぎてて欲しいと思うところ。

そして、まあ住んでて困ることもなし、そこそこの物はなんでも揃うのだから、

目くじらを立てる必要もないでしょう・・という向上心の欠如。(^^;;



それでもこれでも、長野市にはたくさんの人が来て欲しい。

期待が大き過ぎなければ、そこそこ見るべきところも美味しい食べ物もある。

負けゆく者の美学もある!(たぶん)    


そして忘れずに正真正銘の長野市民九子に会いに、雲切目薬の笠原十兵衛薬局まで足をお運び下さいね。(^-^)       


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ジョニーへの伝言は一番よく出来た歌詞なのか? [<九子の万華鏡>]


先日NHKテレビで昭和の歌謡史の3時間特別番組をやっていた。
九子は最後の50分くらいしか見なかったが、阿久悠さんの歌詞が取り上げられていた。
その時阿久悠さんご本人が映って、「ジョニーへの伝言」、それと表裏をなす「五番街のマリーへ」、このあたりが自分ではナンバーワンの出来映えだと思うとおっしゃった。


え~???
九子はどうも腑に落ちない。


ジョニーもマリーも軽いと思った。
阿久悠なら、「舟唄」とか、奇しくも番組の最後を飾った「冬の蛍」とか、もっと重厚なのがたくさんあるでしょ?


「冬の蛍」は凄い迫力だった。詞の壮絶さもさることながら(九子は今日はじめて詞をよく読んだ。)、「北の蛍大合唱団」という合唱団がわざわざ結成されていて、中高年の男女の弾まない歌声が絶妙だった。


こっちの方が断然いいよ。ちょっと女には書けない歌詞だ。
「もしも私が死んだなら、胸の乳房をつき破り、赤い蛍が飛ぶでしょう。」


乳房を持ってる女には、それがまあ誰かさんのみたいにとりあえず乳房と呼べる代物でさえある限り(^^;;、少なくとも九子には書けないと思った。
生々しすぎない?特に小林麻央さんの悲報なんかあったあとには・・・。


こんな凄い詞があるのに、なんでジョニーやマリーなんだろう?


高橋真梨子は阿久にこう言われたそうだ。
「ちっちゃく歌わないでね。日本の歌じゃないからね。」


さすが!と思ったのは、高橋真梨子は「今度のバスで行く。西でも東でも。」


というその一行を読んで、それが外国であることを瞬時に悟ったという。


「ジョニーが来たなら伝えてよ。2時間待ってたと。
割と元気よく出て行ったよとお酒のついでに話してよ。
友達ならそこのところ、うまく伝えて。」


外国の話と言いながら、ずいぶん日本人的じゃあないだろうか?
2時間も待って普通なら嫌味のひとつも言いたいところなのに、そこは耐える女、可愛い女。
彼の友達に「元気そうだったよ。」と伝言するように言って、泣き出しそうな心をひた隠しにして去っていく。


彼の友達は彼女の切ない心がわかるほど敏感なやつなのだろうか?
そして肝心の彼の心は?


ただ、こういう心の襞を描いた歌なら、良い曲がもっといっぱいある。
たとえば中島みゆき。彼女の詞はそういうので溢れている。彼女はきっとそれだけ複雑な内面を持っているのだと思う。
前も書いたかもしれないが「悪女」なんかその際たるものだ。


彼の心が自分からもう離れてしまったことを察した女が、夜遊びをして、実はホテルのロビーやら深夜映画館やらで無理やり一人で時間をつぶして、男と遊んでる振りをして、彼の心がますます自分から離れて行くように仕向ける。


これなんかもう名人芸と言っていいと思う。
ここまでのことをされて、彼女の本音がわかる男がいたら、これも名人級だと思う。


中島みゆきという人は、その才能に脱帽した人がたくさんいるらしい。
一番有名なところでは「さだまさし」。
さだまさしの詞も一世を風靡したが、中島みゆきだけにはどうしても勝てないと言っていた。


話をもとに戻して、なぜ阿久悠はジョニーとマリーを一番として挙げたのか?


そもそも「五番街のマリーへ」が「ジョニーへの伝言」のアンサーソングなのかどうかはよくわからない。
でもそう考えると腑に落ちる。
と言うよりも、そう考えてみたいと思わせる。


ひとつ齟齬があるとすれば、マリーはジョニーと別れて、今度のバスが行く方に西でも東でも行くと言い、さびしげな町に着いた。


ましてやそれが外国であるならば、バスの終着点まで、ジョニーの匂いのしない遠い遠いところまで乗っていきそうな気がする。


ところがマリーが住んでいた五番街は、「近いけれどとても遠いところ」なのだそうだ。


そこのところが少しだけ違和感がある。


テレビに出てきた阿久悠は、かなり晩年だったように思う。
年をとると、九子なんかもよくわかるが、こってりした食べ物よりもあっさりしたものを好むようになる。


その上、若かりし頃の思い出がますます輝いて見え出すので、かなわなかった恋の話やら、初恋の物語なんかをいつもに増して美しく思い出す。


好きという気持ちを素直に言えたら今頃いっしょに暮らしていたかもしれない人。お互いを思いやるがゆえに「好き」を言いそびれてしまった人。


もう決してもどらない「若さ」がそうさせた運命。


阿久悠という稀代の才能が、どんな力強い作品も書けた人が、最後に「一等賞」に挙げた二作。


阿久悠も年のせいでステーキよりもお茶漬け好きになっただけ・・なんて言わないよ。(^^;;


自分の心の片隅に住んでいる昔の恋人をちょっとした拍子に思い出して、ただただ相手を思いやって人づてに尋ねる。今ではほとんど使われなくなった「伝言」という確実性の薄い伝達手段で、更に人に頼んで昔の恋人の消息を尋ねる。
もしも幸せにしていたら、それでいいんだ、何もしないで!


酸いも甘いもかみ締めた阿久悠が、最後にたどりついた理想郷。


当時でももうコンピューターは多くの人が使っていただろうし、確実に消息を求める手段はいくらでもあったはず。


それを敢えてあいまいにしておく気配り、そして愛情。


外国が舞台といいながら、極めて日本的な、日本人的なジョニーとマリー。


阿久悠さんは、日本にあいまいさの無い社会が到来することを予見していたのかな?


だから、ジョニーとマリーにあいまいな日本人の美意識を表現させたのかな?


GPSがあなたのいる場所を突き止め、コンピューターがあなたの預金残高までもを言い当てる社会。
世界の人々にはあんまりわかってもらえないあいまいさの中にある優しさや美しさを、せめて日本人のあなたならいつまでも分かっていて欲しい。分かり合いたいものだ。
そういうメッセージだったかもしれない。


★ ブログ「ママ、時々うつ。坐禅でしあわせ」 頑張って更新中です。是非お読みください。(^-^)

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ぶっこみジャパニーズ [<九子の万華鏡>]

このところニッポン礼賛番組が花盛りで、見るとなんだか逆に情けなくなって消してしまうのだが、この番組はついつい最後まで見てしまった。

寿司職人、剣道の達人、歌舞伎女形が海外で誤って伝えられてる日本文化の本筋を教えに行く。
歌舞伎女形なんて特に凄い!達人があの坂東玉三郎を髣髴とさせる市川春猿改め河合雪の丞だなんて・・・。
それこそプロ中のプロだ!

最初はロシアのお寿司屋さん。出来上がった寿司をてんぷらよろしく揚げてしまったり、サワークリームソースやチーズソースでアレンジしたなんともとんでも寿司を作っている。

その寿司屋に、寿司の達人が2日間修行に行く。達人だとは微塵も匂わさず、若い職人の言うとおりに得体の知れないやり方を教わったとおりに真似をする。

二番目はモロッコの剣道道場。剣道と一緒に空手やキックボクシング?みたいなものも教えているらしい。
初めて知ったが、剣道の試合では技が入った時に「面」とか「胴」とか決まった部位を大声で叫ばないと点数にならないらしい。

その道場では、胴を打ちながら「メ~ン」と言っていた。胴も小手も無し。「メン」しか知らないのだろう。
川の中に入って何かを唱える修行も、きっと日本の達人にはばかばかしいはずだが、達人は一生懸命やっていた。

三番目はノルウエーの、はっきり言えば歌舞伎パブ。よくも市川春猿ともあろう人があんなところへ行ったなあ思う。
ニューハーフみたいな男たちがしきりに扇をくゆらせて踊る。
あんまり修行らしきものもなかったせいか、リーダーの男性がエステで美顔術を施されるところなどが大写しで映し出された。

どこの場合でも、修行に入ったはずの三人の見習い、実は達人が、急に二日間で日本に帰ると言い出す。

そして別れた後、三日目には、本場日本からそれぞれの技の凄い達人が来るのだという広告が周知徹底されていて、店や道場関係者はもちろん、たくさんの人々が方々から詰め掛けて来る。

もちろん主役はあの達人たちだ。

さて、どんなことになるのだろう?

九子が思ったのはこうだ。彼らはいくら自己流とはいえ、大きな店や道場を構え、曲がりなりにもプロとして、お金を取ったり教えたりする立場にあるのだから、日本から本物が行ってそれを誇らしげに見せ付けたら彼らのプライドはずたずたに傷つけられるに違いない。

そうなった時、彼らはどうするのだろう?
怒り出す人が続出したら、どうなのだろう、テレビ的には?

ところが、あら、不思議!!
三組どこをとっても、素直に自分たちの非を詫びて、「日本の技術は素晴らしい。これからこの通りにしていくよ。」と号泣せんばかりの喜びようなのだ!

自分たちが間違っていた事を素直に認めてプロの技を評価する姿勢が本当にすがすがしい。九子は「なんていい人たちなの!」とその真摯な態度や謙虚さにいたく感激した。


「羞恥心」やら「恥」の文化とは、日本人を表す象徴のようになっている。
こういう時に「恥をかかされた」と思うのは、もしかしたら日本人だけ、あるいは日本人がとりわけ強いのかもしれない。

欧州の人々は今までの自分たちのやり方にそれなりの自信があったのだろう。だから「恥」とは決して思わず、自分たちのやり方で最善を尽くしていたと素直に思えるから、本物を受け入れる強さがあるのかもしれない。


日本人が言う「恥」とはなんなのだろう?
誰に対して恥ずべしと思うのだろう。
師あるいは、自分の行くべき「道」に対して、まだまだ未熟で恥ずかしいと思うのならよい。
ところが、こんな失敗をして他人にどう見られるか、
人様になんと言われるか、無様だ、情けない。
そんな人が大多数なのではないだろうか?

世界の中で長い間活躍していらっしゃる指揮者のmu-ranさんこと村中大祐氏がいつか、言い方は少し違っているかもしれないが「日本人には他人が常に介在している。」というようなことを書いておられた。いや、「他人が入り込みすぎる。」だったかな?

とにかく日本の中で生活しっぱなしの我々には、なかなか言えない言葉だろう。まさに言い得て妙だ。
この国で育ち、この国で生きている私たちが、他人の目を全く無視することは難しい。
だけどそれに振り回されず、自分の思い通りに生きていくことが特にこれからの時代大切なんじゃないかな?


市川春猿改め河合雪之丞、本当にきれいだった!
背骨をくぼませると肩が小さく見え、 男性より小柄に見える
なで肩に見せるようにあごを引いて首をもたげる。
女性よりも女性らしい艶姿だ。

一瞬で着物を着替える早着替えの技も見せてくれたが、それには二枚の着物を合わせているとじ糸を一瞬にして断ち切る裏方さんの存在が不可欠だそうだ。

彼らは、主役に影のように寄りそう他人だ。
己の存在を抹消して、自己主張は決してしない。
自分を100%殺し切ってる人たちだ。


自分と他人。日本人として生きる以上、どうやっても折り合いをつけなければならない二つの存在。
これからの時代、以前よりは自分中心に舵を切り、かと言って、周りへの配慮も怠らず・・・。


あ~あ、どうやってもニッポン人から抜け出せない九子である。

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区長のお仕事 [<九子の万華鏡>]

どうもこのところ愚痴っぽい話題が続いて申し訳ない。
が、やっぱりどっか変!と思う思いを綴ってみたい。

皆様は、自治会の役というのをなさっていらっしゃるだろうか?

都会はそんなの無いのかな?みんな忙しいのだから・・。

長野のような田舎だと大小さまざまな町に区長さんがいて、区長を補佐する役職がいろいろある。
区長と言っても東京の区長とは大違いで、ドン内田氏など居るはずがないし、選挙で選ばれる訳でもない。第一無給なのだ。

本来田舎町の区長は、当然市の職員がするべき用事を代わりにしているのだという声もある。

とにかく忙しくて無給だから、たいていは退職後の男性がなって、中には10年以上させられてる人もいる。

わが町は全部で14戸。住民の数にして30人を割っているという小さな町だ。(アパートを除いて)
若い人が少ないのだから子供の居る家族はたった1軒で、もうとっくに育成会は自然消滅した。

そこへ持ってきて町の役の数というのは大きい町でも小さい町でもあんまり変わらないから、この少ない人数で役を割り振るとほとんどの人が何らかの役を担うことになる。

九子は何年か前、名前も忘れたお役をひとつ区長さんから言い付かった。区長さんから言われたのは「何しろ名前だけ書かせて下さいよ。行かなくたっていいんだから。」だった。

だから九子はその通りにした。会合の連絡が入っても「私は名前だけと言われているので出席出来ません。」で1年だか2年だか通した。

だって、会合は昼間だよ。九子の薬局は九子ひとりっきりしかいないんだよ。店を閉めてまで行くような用事なの?

何度目かの会合の連絡の時に「夜の会合なら参加出来ます。それともこんなご時勢ですから、ネット会議ならいつでも参加します。」と言った覚えがある。

もともとが市の職員さんのお手伝いのために、長野市の経済活動を沈滞させるなんておかしいじゃない!!
頭脳明晰な人々が公務員さんになるのだから、ネット会議の一つや二つ、企画出来ないなんて変だよね。

とにかく何の用事だかわけわかんないもののために、仕事を放り出してまでする人の気が知れない。

と、常々思っていた九子であるが、その九子が理解不能の人がごくごく身近に居た。
M氏である。そしてM氏が4月から区長になった。

彼がビンボー神であることは周知の事実だ。自分で言ってる位だから自覚もある。
人がいい。人が良すぎる。こんな高いお金じゃかわいそうだというんで、近隣の歯科医院よりかなり安く治療する。

なぜ安くなるのか。それは、保険請求すべきところを保険請求しないからだ。やった仕事を申告しない。請求しない。
いつもは過剰請求をあばくのが仕事の保険指導員さんに「これもあれも請求できますよ。先生は金儲けが下手ですね。」と呆れられるほどだ。
その挙句、開業以来三十有余年、患者さんの数はかなり多いほうなのに、開業時の借金をまだ抱えている。

その彼が、町の役員の仕事に組み込まれた時、いつかはこういう日が来るだろうことは予想していた。

彼は何しろ真面目である。
言われたことはちゃんとやる。言われないことまで、自分で仕事を作って黙々とこなす。

彼は普通だったらもう定年の年だ。幸か不幸か歯医者に定年はないから、まああと10年は勤められる。
いや、あと10年勤めないと借金が返せない。

それなのに、仕事を休んでまで昼間の会合に出ようとする。
そのうちに、かつての九子みたいにずっと出ない人の代わりに会合に出るつもりとまで言い出した。
冗談じゃない!何日休んだら気が済むの?

「お願いだから昼間の会合は休んでね。区長のほかに、善光寺の役だってあるんだから、そんなに休んじゃ何年経ってもお金返せないよ。」と九子。

「まあ善光寺はともかく、町の仕事はなあ、九子、お父さんが市会議員の選挙で町にいろいろ手伝ってもらったお礼の意味もあると思っているんだよ。」とM氏。

どこまでも正攻法で攻めてくる。

そのパパが心配してたのは「Mさんは人が良すぎて金儲けがへたで困ったもんだ。」だったんだけど・・・。(^^;;

区長の仕事のほとんどがまだ始まっていない今この時から、結婚してから40年近く、ほとんど喧嘩もしないで仲良くやって来たM氏と九子にどことなく風が吹いている。すきま風とは言わないが、ちょっと見たことの無い方向から吹いてくる風だ。

まあでも心配御無用!
うん十年前に喧嘩した時は修復に一日かったのが、今ではもう瞬時だ。
これを時の流れと言うのかしらん。昔、ママとけんかした時とおんなじだ。


タイトルを見て、区長の仕事が羅列してあると思って読みに来て下さった方々、申し訳ありません。
試しにググって見たけど区長の仕事が何なのか、それでもさっぱりわかりませんでした。
九子に言わせると「何でこんな事するの?何の意味あるの?」と思うことばかりだけれど、M氏にとっては町を運営するために大切な仕事らしいです。

区長の仕事、自治体の役員の仕事、あなたの町ではどうですか?

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彼女とお嫁さん [<九子の万華鏡>]

なぜか九子は「いい人」に見られるらしい。
いつも「そんなんじゃないんだぞ!」と思うけど、なかなか言えない。
だから今日は思いきってブラック九子の話をしようと思う。

九子にはどうしても好きになれない人が居る話は何度か書いた。
その人から言われたその言葉を、その痛手を、その衝撃を、忘れられずに何十年も経った。
それなのにその人は謝りもしない。
謝るどころか、言ったことさえ忘れていて九子に馴れ馴れしい。
それがまたなおさら腹立たしい。
この人は嫌な人だが、普通の人だ。

これから書くのは「境界例」あるいは「ボーダーライン」という症状を持つ人だ。
聞き慣れない人はググって欲しい。

それから、このブログの左欄を下の方にたぐると検索窓がついている。
そこに「境界」という単語を入れると境界例とかボーダーラインについての話が出てくる。

実は下のブログの終わりのほうに出て来る「彼女のお嫁さん」が九子が赦せないもう一人の人なのだ。


最近、「彼女」が亡くなった。70代、まだまだ若かった。
何も出来ない(何もしない?)「お嫁さん」に代わって、子供たちに三度三度ご飯を食べさせ、日常生活の一切合財の面倒を見てやり、そして九子がはじめて会った子供たちは、素直にすくすくと育っていた。「彼女」が「お嫁さん」の代わりに育てた子供たちだ。
長い間、「彼女」が家庭の太陽だったに違いない。


本当の事を言おうか。九子は「彼女」のおとなしくて優しすぎる息子にも腹が立っていた。
いくら「お嫁さん」に境界性人格障害という障害があろうと、どうしてもっと別の医者にかからせて、きちんとした生活を送らせなかったのか?

まともな医者なら、「お嫁さん」にあんな自堕落な生活はさせない。
言われるままに睡眠薬をたくさん出して、夕方まで寝ているようなことはさせない。
いくら「お嫁さん」が拒んでも、きちんとした病院のしっかりした精神科医に診せるべきじゃなかったの?

そうしたら「お嫁さん」だってあんなに一日中寝ているようなことは出来なくなって、「彼女」はきっともっともっと楽に過ごせたんじゃないの?
「お嫁さん」の言うなりで、一人、お母さんが苦労してるなんて、お母さん可哀想じゃない!!

でも、こういう事ってなかなか言えない。息子や「お嫁さん」が居ないところでなら、九子は何万回も言っている。
だけどいざ本人を目の前にしてしまうとねえ。

もしも九子がもっと近い親戚なら、言って良い立場に居たら、言っていたかもしれない。
ちょっと九子がハイテンションな時になら、ものの弾みで言っていた可能性もある。
でも「お嫁さん」とは、「彼女」のお葬式まで、数えるほどしか会ったことはなかったのだ。

M氏の親戚はみんなM氏に似て人が良い。
「お嫁さん」に一番腹を立ててるように見えたその人も、結局笑って「お嫁さん」からのお酌を受けた。
「お嫁さん」は人前に出ると別人みたいに明るくなって、出来たお嫁さんを演じる。
それに騙された訳じゃなかろうが、その人は何も言わなかった。

その人は一番「彼女」に近しくて、「彼女」の「お嫁さん」に対する愚痴の聞き役だった人だ。
その人がお嫁さんに一言も言わない以上、九子なんかが言える立場ではない!
九子もその人と同じように何事も無く会釈して、注がれるままに「お嫁さん」からウーロン茶を注いで貰った。
「お嫁さん」のお父さんならどうか?
実は通夜振る舞いで隣の席が「お嫁さん」のお父さんだった。
何か言いたかったけど、穏やかなお父さんを前にするとやっぱり何にも言えない。
だいいち、彼に大きな責任があるって決まったわけでもない。
(境界例は、育ちの中に問題を抱えた人が多いと言われます。)


実は「彼女」の見舞いに最後に病院に言った時、「彼女」の優しすぎる息子と、遠くに嫁いだ人の良い娘も病室に居た。
その場には居ない「お嫁さん」の話が出た時、どんな悪口が飛び出すかと思いきや、二人はなんと!笑っていた。
「お嫁さん」がどんなことをしようとも、受け入れてるよという笑顔だった。

もしも九子が「彼女」の娘だったらどうだろう。
お嫁さんに掴みかかって、「あんたがママを殺したのよ!」と修羅場を演じていたに違いない。

どうして「彼女」の息子と娘は、あんな「お嫁さん」を赦して、こんなにも優しくなれるのだろう?

「北風とお日様」の話は本当だなあと思った。
私はとてもじゃないけれど、あの二人の真似は出来ない。
さすがにM氏に近いDNAだ。

九子は打ちのめされた。
自分のちっぽけさを思った。
まだまだだな!私!
卑しくも仏教徒なのにね・・・。

一旦はそう納得したはずの九子だったが、悟っていない九子はまたあれこれ考える。

だけどあったかいお日様みたいな人々の中で、「お嫁さん」は何の苦労も無く、好き勝手にこの二十何年やってきたんだよねえ?
「お嫁さん」が楽してた分、「彼女」はずっと無理をして、ストレスを貯めて、早死にしちゃったんじゃないの?
それってすごく不公平だよねえ?

北風とお日様の話は、お日様のあったかさが身にしみて、それに感謝出来る人には有効だけれど、そのあったかさに慣れ切って、それが当たり前だと思ってる人にはなんの効果もない。


お日様の暖かさに慣れきっていた「お嫁さん」は、「彼女」が亡くなってから一生懸命頑張って早起きして家事をしているって聞いた。
「やれば出来るんじゃない!」と、性悪九子はついついそう思ってしまうのだけれど、「彼女」の優し過ぎる息子は、そんな「お嫁さん」が無理をして、また具合が悪くならないかと心配しているそうだ。

九子は遠慮がちな日本人だし、「お嫁さん」の前でどうしても本音を伝える事が出来ない。
でも九子が考えたことは、「彼女とお嫁さん」を知る多くの人の想いだと思う。


「お嫁さん」の息子たち、本当に良い子に育ったね。
でもあれは、「彼女」のお陰だよ。
それを忘れちゃだめだよ。
「彼女」がしてくれたことの大きさを、ずっと噛み締めてね。
せっかくそこまでになった子供たちを、これからもまっすぐに育ててね。


この日記は、「お嫁さん」に読んでもらうつもりで書きました。
北風もたまには必用だからね。

優し過ぎる息子と遠くへ嫁いだ娘へ!
あなた方の赦す力と器の大きさには本当に驚かされます。
いつの日か、お嫁さんもあなたたちの温情を受け止めて、変わってくれるといいね。

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成宮寛貴は今どこに? [<九子の万華鏡>]

能界というところは、よほど魅力があるに違いない。
その頂点に立つために多くの人が競い合い、おおよそそのトップというのがテレビの視聴率などという得体の知れない化け物によって決められるものであったとしても、自分の顔が、名前が、能力が、不特定多数の人々に知れ渡ることに喜びを感じるあまたの人間たちがこの世から無くならない以上、きっとこれからもずっと存続し続けるのだろう。

テレビはいつまで続くのだろう。かつて昭和の時代に、家族がお茶の間でちゃぶ台を囲んで揃ってご飯を食べ、その隣にテレビがあったあの頃が、きっとテレビの黄金期だったのではないか。

お茶の間というのは、もはや死語に違いない。
家族団らんは疎遠となり、塾に、習い事に忙しく、丸いちゃぶ台など知らない世代の子供たちが、親兄弟ではなくゲーム機やスマホに向かって話しかけ、一人わびしく孤食をするこの時代に、テレビの役目とは一体何なのだろう?

「相棒」の甲斐亨役でおなじみの、そして九子が密かに見ていた不倫ドラマ「不機嫌な果実たち」でも色男を好演した成宮寛貴が、自らの意思で芸能界を去るのだという。

いや、「フライデー」の威力は大したものだ。今回はお得意の隠し撮りではなく、売り込んで来た人間が居るようだ。
確かにあの写真は本人によく似ていた。本人が逃れられないと思ったのもわかる。

それでもプロダクションとしてはそうではないと否定するだろう。金の力で、法の目をかいくぐって、成宮寛貴という商品を守る術はいくらでもあったはずだ。

ところが今回成宮くんは、あの年代にしては達筆な走り書きで、万感の思いを綴ったであろう書置き一枚を残し、誰にも言わずに何処へか姿を消してしまった。

後に残ったのは、この一件が無かったらきっと表沙汰にはならなかったであろう彼の性癖と、コカイン疑惑、そして母子家庭で育ち、14歳で母と死別した後、6才下の弟を大学に出すため、自分は中卒で身を粉にして働いたという思いがけない生い立ちだった。

この生い立ちには泣かされた。こんな豊かな時代に、しかも美しい顔立ちに生まれついた幸運な青年が、その美貌を生かして芸能界の頂点にたどり着いた俳優が、そんな不遇な青春時代を送り、自分の果たせなかった夢を弟に託して弟を大学に進ませるために脇目もふらずに働いていただなんて・・。

いじめも受けていたという彼。その彼をたまたま癒してくれたのが、ゲイが集まる新宿歌舞伎町だったと言う。
肉体労働に明け暮れる毎日に堪え切れず、ふっと魔が差したように都会へ出た時、住み込みで雇ってくれたのが新宿二丁目のお店だったそうだ。
美少年がいると評判になり、宮本亜門に紹介されて、それが彼の俳優としての出発点にもなった。

成宮くんは薬物疑惑に関してはほぼ何も答えていない。ただただ「絶対知られたくないセクシャりティーの部分」が暴露されてしまったから、もう堪えられそうにないと言うばかりだ。
「絶対知られたくないセクシャりティーの部分」とは、誰が考えても「同性愛」という答えに容易にたどりつく。
新宿2丁目で働いていた過去が影響したのかはわからない。だけどそれが、そこまでして隠したいものなのだろうか。

ただ、もしかしたらと思い当たる節が無いでもない。
テレビで見るゲイの人達の特殊さだ。

ゲイと言うより、オネエと言うのだろうか。
異常にテンションが高くて、見ているだけでこちらのエネルギーを吸い取られそうな気がする。
彼らは元々男性なのだから、生まれつき大きなエネルギーを持っている。そのエネルギーで一秒でも長く画面に映るように、しゃべりが視聴者に届くように、けたたましく騒ぎ立てる。
九子は彼らが嫌いと言ってる訳じゃない。言ってること面白いし、ついつい見てしまう。だけど違和感があるのだ。
なぜかオネエタレントと言われる人々は、判で押したようにこういうタイプの人たちだ。

九子が一番気になるのはその言葉づかい。
「ねえ、アンタさあ」が彼らの決まり文句だが、決して聞いていて心地よい言葉ではない。
そもそも「アンタ」って、女性が公で普通に使う?
「アンタ」を使うのは、相手を見下してる時だけじゃない?

新宿2丁目のゲイの人たちは、昔からみんなこんな言葉遣いだったのだろうか?
オネエタレントたちはそれを踏襲しているだけなのだろうか?

考えてみるとゲイという言葉は、英語のgay(陽気な)から来ているという。
そう思えば、彼らのハイテンションもわかる気もする。

とにかくゲイ=オネエという受け止められ方が出来てしまっているとしたら、彼らと一緒にされたくないという思いはわかる気がする。
佐藤かよさんだっけ?ああいう可愛らしい女の子がステレオタイプとして広く受け止められていたならば、もっと普通のゲイたちがゲイ代表としてテレビに出ていたら、もしかしたら成宮くんもそんなに秘密にして抱え込まなくてもよかったかもしれないのに・・・。

役者成宮寛貴に多大な影響を与えたとされる演出家蜷川幸雄氏が、成宮くんのことをこう評していると言う。

「毒と華は紙一重、それが同居している役者。」

また、『蜷川幸雄の稽古場から』(ポプラ社)に、蜷川から成宮への言葉も掲載されている。

『若いときに苦労してきた子だから、他の俳優にはないような、ある種のいかがわしい匂いをつけて出てきたんだよね。それを清算しようとして、ちょっとスクエアな俳優になろうとしているのかな。それがうまくいっている作品もあるんだけど、ほかにはいない、異色の俳優のままでいいじゃないってぼくは思うわけ。「成宮、軌道修正しなくていいよ」って。(中略)「たとえばアラン・ドロンみたいに、複雑な影のある役者になればいいじゃないか。あるいは歌舞伎の色悪のような。せっかくのその匂いを、成宮、消さなくてもいいんじゃないの」って、俺は思うわけ。それは成宮に対する最大の助言だね。この国の芸能界で長生きするには、必要なことなのかもしれないけど、「成宮、お前、せっかく持っているものなのにもったいないな」ってね』


成宮くん、今どこにいるの?
あれだけの艱難辛苦をくぐり抜けてきた人なのだから、よもや命を粗末にするなんてはずは無いと思うけど・・・。
ゆっくり休んで、じっくり考えて、いつかまた日本の芸能界に戻って来てください!

 

★ブログ「ママ、時々うつ。坐禅でしあわせ」 頑張って更新中です。是非お読みくださあ~い。(^-^)


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韓国がノーベル賞を取れない理由?? [<九子の万華鏡>]

そろそろノーベル賞の授賞式が始まるらしい。
今年も大隅教授が受賞されて、このところ

日本人は鼻高々だ。

毎年ノーベル賞の時期になるとお隣韓国ではこんな話題で盛り上がり、ブログが炎上したりもするのだそうだ。
日本はこんなにたくさんのノーベル賞を取ったのに、なぜ韓国は取れないのか?という書き込みである。
常に日本のノーベル賞受賞を意識し自国が取れないことに悩む韓国人の症状をノーベル症」と呼ぶこともあるのだとか

人の事なんてどうでもいいでしょ?!!と思いながらついついメルマガのタイトルをクリックしてしまう九子。(^^;;
書いているのは黄文雄氏。台湾生まれで日本に帰化された方だ。

 


私の持論...と但し書きをつけて書かれていることはつまり、こういう事だった。


日本語は中国から入った漢字だけではなく、自らひらがな・カタカナを創出した。表意文字である漢字と表音文字である仮名を組み合わせることで、複雑な思考や感情をきわめて的確に表現することができるようになった。外来語についてもカタカナでその音をそのまま表記できる。



表音文字と表意文字をあわせて使用するということは、きわめて複雑な言語体系である。
そのような複雑な言語を通してでしか、海外、とくに欧米の最新科学や哲学を理解し、さらにそれを和製漢語として翻訳することはできなかったのだ。

日本に留学した魯迅は、日本語による読み下し文によって、それまで漢文では理解できなかった四書五経の内容をようやく理解できたそうだ。
明治維新後、欧米の科学や哲学を学んだ日本は、その概念をうまく日本語に翻訳し和製漢語を作り出した科学、哲学、文化、物理、化学、原子、臣下、改革、進歩、共産主義……などは日本人が作り出した言葉だ。現在の中国語における熟語の7割はこうした和製漢語であり、これがないと中国語は成り立たないとも言われている。「中華人民共和国」という国名自体、「人民」も「共和国」も和製漢語だ。

中国語・漢語だけでは、近代を理解するための概念を説明、表現することができなかったわけだ。

日韓合邦時代、日本は朝鮮半島にハングルを広めた。それまで朝鮮の両班(貴族階級)たちは宗主国の文字である漢字を尊び、ハングルは愚民が使うものだとして侮蔑していたため、ハングルはほとんど使われなくなっていたが、日本は国民教育の観点からハングル(諺文)の普及を目指し、漢文との併用を推奨した。ハングルは基本的に表音文字だから、いわば日本のように漢字と仮名を組み合わせるようなものだった
ところが戦後、韓国では民族意識の高まりから、漢字を追放し、ハングルだけを使用する動きが強まった。1948年にはハングル専用法が制定されて公文書はハングルのみに限定され、朴正熙政権では学校教育から漢字が追放されるようになった。


韓国が日本統治時代に日本が行った漢字導入を嫌い、いわばひらがなだけのハングル文字のみ採用した結果、表現が単純になってしまった。

やはり言語的な影響が強いのだと思います。(要約)




へえ~、中国で使われる熟語の7割が日本人が作った和製漢語だなんて、ビックリだ!
当たり前に使っている日本語がそんなに複雑な言語であることも、ましてやノーベル賞を取るだけの学力を維持するために必要であったとも思えないのだけれど、まあ、直接の原因かどうかはさておき、間接的には影響があったのかもしれないと思わせる。

でも反面、欠点もある。思い出したのは、日本人が英語が出来ない訳。
アジア諸国では自国の言葉ではどうしても表現出来ない言葉があまりにも多いがために、英語のテキストを導入し、小さい頃から学校で英語に馴染むが故に、英語が出来るようになるという。

日本語でなんでも表現できるせいで、英語を導入する必要が無く、結果日本人の英語は何年やっても上達しない。

必要とされないことは廃れていくという良い例が、日本の着物文化だろう。
日本女性は着物を着なくなり、「始末する」という言葉も日常から遠くなり、その結果、器用さも、握力も、家事力もすべてなくしたのではないか?

実は九子が密かに尊敬する女性が居る。
80歳になろうとするご年齢でありながら、いつもきちんとおしゃれをされ、家事全般をすべてこなされ、長い間ずっと一人で家を完璧に守っていらっしゃった。
その女性が手を差し出されて握手してくださるというので握手してみて驚いた。病後でいらっしゃるというのに、なんという強い握力!!

完璧に九子の負けだった。

彼女は和服を着られる。それだ!と思った。
毎日の家事もさることながら、昔の女性は良く手足を使った。
着付け教室で習ってもうまく出来ない着物の着付けを、女性たちは毎日のくり返しでいつの間にか覚え、楽々と着物を着こなしていた。
絹で厚く織られた帯を締めるのに強い力が必要なのは、着付けをしてくれる美容師さんが息を切らし、額に汗を浮かべて締めているのでもよくわかる。

昔の女性が誰でも当たり前に出来ていたあれやこれやを、私たちは機械にまかせ、人にまかせ、ややこしいことは忌み嫌い、楽に流れた。
特に毎日の家事をおろそかにしている九子の握力は、毎日をきちんと生きて来られた美しい目上のご婦人にあっさりと負けてしまった。

ところでみなさまは着物を畳んだことがおありだろうか?
九子もさすがに着るのは出来ないが、畳むだけならなんとか出来る。

着物をたたみながら、これはまさに日本文化だと思った。
西洋人なら、ひたすら左右対称に畳むのだと思う。
だが着物は違う。

西洋人の畳み方は、まさに温泉の寝巻きのゆかたのたたみ方なんじゃないかな?
内側から袖に腕を通してぱたんと身体の前で合わせ、そのまま腕を抜いて袖を同じ方向にたたみ、上から三回くらい折る。
子供でも出来る一番簡単な着物の畳み方だ。
これだと着物を畳に置くことなくすらすらと畳める。

ところが本式の畳み方は違う。
 

必ず着物を畳の上に置く。

ここで言われているところの2番目と3番目がひどく不思議な気がする。
2番は襟と襟とを合わせていて、しかもそれは真ん中に来ない。

三番はもっと不思議で、半分に折るという常識を覆して、合わさっていないものを無理やり合わせている感じがする。
だけど最後はきれいな縫い目どおりの畳み方になる。

もちろんこれは、着物を裁って、縫った昔の日本人が考えたしまい方なのだろうが、さぞかし賢い人だったのだろうと思う。
幾何学なんてものを超越して、頭の中で空間を理解していたのかもしれない。

着物は織るのも、染めるのも、それから帯を結うのも、物凄い技術の塊だ。
着物に限らず袴だって、それはそれは凄い。

M氏は善光寺の用事や祭のために、一年に一二度袴をつける。
器用なM氏は何でも自分でやってしまい、九子の出番は帯の後ろに三味線のバチみたいな形をしたヘラを差し込むだけだが、
帯の細い紐がM氏のいい頃加減につき出たお腹の上できれいに十文字を描くように結ばれるのを見ると、いつもああ、いいなあと思う。
(M氏じゃなくて、袴が・・・。(^^;;)

着物文化をこのまま廃れるままにしてしまうのは本当に切ない。
歩くたびに伝わる絹磨れの音。紐を縛る時、帯を結う時の緊張感。そして、絹の匂いとナフタリンの匂いが混ざり合ったような懐かしい香り。
着物とはほとんど無縁に過ごして来た九子だって、いや、だからこそ、娘の時代にも母が残してくれた手を通したことも無い着物たちが、立派に生き延びてくれることを願っている。


必要としないものは廃れる。
ノーベル賞の話も、着物の話も、そんなことを持ち出さなくたって、九子はちゃんと知っていた。

出来すぎ母に何でもやってもらって育った一人っ子の九子の手、そして足。
母が全部してくれるから、自分では何もしなくていい。する必要が無い。

友達も居ず、外遊びも大嫌いだったから、疲れるほど歩きまわったり、汗が出るほど走ったりの経験はごくわずか。
そうして物心付く頃には、友達よりも動かすのが遅く、不器用で、思い通りに動かない手と、すぐに疲れる足になっていた事を・・。

あああ、この際、日本の着物文化をどうこうするなんて壮大なことはどうでもいいから、九子のこの怠け切った手足と、疲れきった頭を一瞬のうちになんとかして欲しい!!!

えっ?それが出来たらノーベル賞ものだって?
おあとがよろしいようで・・。(^^;;

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民度一位の国、日本 [<九子の万華鏡>]

いつだったかBSチャンネルを回していてこの番組にめぐり合った。
 
近衛秀麿さん。 
近衛さん・・であるからして、お偉い方である。
当時の近衛文麿首相の弟さんだそうだ。

その弟さんが音楽の道に進み、ヨーロッパに移り住んだ。
そして戦争が始まり、ドイツによるユダヤ人の迫害がひどくなった時、数十人の音楽関係者を日本に逃がしたり、金品の援助をおこなったりして命を救ったというものだ。

皆さんもそうだろうが、九子も真っ先にあの人を思い出した。
そう。日本のシンドラー杉浦千畝氏だ。

杉浦が駐リトアニア大使だった時、日本に渡るビザを書いて数千人のユダヤ人の命を助けた話はつとに有名だ。

じゃあ一体、近衛秀麿と杉浦千畝はどっちが偉いんだろうか?
偉いって意味は、人間としてってことだ。

答えは直ぐに出る。
やっぱり杉浦千畝だろう。

もちろん助けた人数とか全然違う。
でも、それを除いても、杉浦千畝氏に断然軍配が上がると思う。

答えは、そうした時に自分に降りかかってくる危険の違いだ。

近衛秀麿氏は、なんと言っても首相の弟君だ。
言ってみれば内田康夫の人気シリーズで、警察庁刑事局長浅見陽一郎という兄貴を持つ浅見光彦みたいなものだ。
困ったら兄の名前を出せば、まわり中平身低頭で、掌を返したように扱いが良くなる。

当時のヨーロッパであっても、とりあえず日本の首相の弟であれば、何をしようとひどい扱いはされないだろう。
そんなことが表沙汰になれは国益に関わってくるからだ。

そうい う事がわかっていての人助けなら、彼の立場であればより簡単に出来るはずだ。
もちろんそれだからと言って、彼の勇気や行いの立派さを微塵も損ねるものではないのだが。

杉浦の場合は、国の命令に背いての単独行動だった。
あとになってどんな処分が下るかは全くわからないどころか、死刑になる可能性だって大有りだった。

自分が死ぬかもしれない時に、正しい行為が出来る。これぞまさしくリーダーの力量だと思う。

なんだかこの頃お隣の国が騒がしい。
大統領の一友人であるその人が、国の政(まつりごと)に口を出し、自社に利益誘導して多額の金を奪い取っていたという疑惑である。

ただでさえ、一握りの財閥企業に入れるのと入れないのとではその後の人生が天と地ほどに違うといわれ、そのわずかの可能性をかけて熾烈な競争が繰り返されるというお国柄だ。
庶民がそれだけの苦労をして勝ち取る特権を、労せずして手に入れる人間が居る。
しかもその人から、「能力ない親を恨め。金も実力のうち。」などと言われたとすれば・・。
大衆の怒りの程はわかる気がする。

韓国と言う国が大統領制を敷いてからまだ数十年であるというのを聞いて、なるほどと思った。

日本も確かに明治以来はたかだか百数十年だ。
ただその前に、長い平和な江戸時代があった。鎖国をし、諸外国に門を閉ざしてはいたが、天変地異や内乱はあったとしても、日本中が戦場になるようなことは無く、そういう平和の中で、文化も栄え、教育も浸透していった。

明治に入ってから日本に来航した西洋人が、どんな田舎の貧しい家の子供でも読み書きが出来るのにびっくりしたという話はよく聞く。

国が戦争の最中であったら、文化も教育も二の次になる。
日本の国がここまで栄えて先進諸国の仲間入りが出来たのも、何百年も続いた平和な時代があったからではないのか。

それでもこれでも、日本の津々浦々までとりあえずは働く場所があり、街中にコンビニは溢れ、人々は外食に行って貧乏人も金持ちも同じ物が食べられる。
イギリスの貴族が食べる物は庶民とはかけ離れているのだそうだ。

そういうことが当たり前ではない国の人から見れば、日本と言う国はどんなにか羨ましく映るだろう。

でも今の日本の繁栄は全て過去の遺産だ。これからも長い間平和な日々が続くかどうかは、われわれの努力次第だろう。

民度っていうよくわからない言葉があって30年も日本が一番という結果らしい。
金や権力で動かない。正しい道をこつこつと歩む。
国の成熟度ってあんがいそういうところにあるんじゃないのかな?

と、平和の大事さという結論で落ち着いたと思ったら、またまた痛ましい事件があった。
民度世界一の国の有名大学の優秀な学生が、南米コロンビアで撃ち殺された。

彼は将来世界で仕事をするのを夢見て、大学を一年間休学し、世界一周旅行の最中だったそうだ。
そのために居酒屋でアルバイトをして費用も自分で貯めた。
世界と言ってもニュースで取り上げられることの少ない貧しい国ばかりだったと聞く。

ケータイやパソコン、カメラなどを盗まれて、追いかけたところを銃撃された。
目的を果たすまであと3ヶ月。今まで撮り貯めた貴重な資料がどれだけ大切であったかは痛いほどわかる。
追いかけるな!と言っても無理な話だったかもしれない。
でも追いかけなかったら、命は取られずに済んだのではないか?

そういう時、平和な日本で生まれ育ったことが足かせになる。
身の危険が迫るなどと言うのは、この国では夢の中の話だ。

危険な状態で身を守る教育とか、対処の仕方などというのは実際特別な職業の人しか知らないのではないか?

自衛隊がいよいよ戦地に赴くのだそうだ。
彼らだって、平和な日本で育った若者だ。いざという時、本当に自分を守れるのだろうか?
稲田防衛大臣には母親の立場として是非とも言ってもらいたかった。
「あなたがたは決して死んではいけません。あらゆる武器を使って身を守り、何があろうとも日本に生きて帰ってきてください。」と。

オーストラリアで放浪の旅を続ける次男がいつも言う。「オレは好きでここに居る。事故に遭おうが野垂れ死にしようが、それはオレの人生だから、オレは満足だ。」

コロンビアで亡くなった一ツ橋大生のご両親も、こう思っていらっしゃるのだろうか?

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人をだますということ [<九子の万華鏡>]

ショーンというちょっと品の良い響きのある名前を持つ人は、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの息子のショーンレノンくらいしか思い浮かばなかった。
それがこの頃この人の事が連日マスコミに取り上げられている。ショーンさん。いや川上氏と呼ぼうか。

ショーン・マクアードル・川上氏。まあ男前の、声はとってもセクシーな男性で、その上問われたことに対して的確に答えることが出来る。
あんまり見た目ぱっとしない評論家さんに出てもらうよりもお茶の間受けするということで、彼の出場回数は増えて行ったのだと思う。

そもそもこういう事が問題になるのは、テレビに出てる有名人に限られる。
九子が、実は東大卒なのよなどと言ってみても、誰も信じないし、間違って信じてくれる人が居ても世の中にはなんの影響も無い。
たぶん大多数の人は、権威ある人の言葉の方をより信じる。
たとえばテレビで芸人さんが言う意見よりも、大学教授が言った意見のほうが真実に近いとほとんどの人が思うだろう。
川上氏がしてしまった学歴のウソで(英語では’academic fraud’と言うそうだ。)彼の責任を追及したい人たちが一番怒っているのはそこだと思う。

アメリカの大学を出て、ハーフのイケメンで、たくさん勉強して物事を良く知ってると思ったから彼のいう事を信じて聞いていたのよ。
大学も中退で一般人と同じレベルの人なら、全然説得力無いじゃない!

こうしてみると学歴というのは案外いろいろなことを左右するようだ。
学歴の高い人の言葉を信用する風潮は、学歴の高い人そのものを崇め、無批判に賞賛することにも通じているのかもしれない。

上でショーンさんと書いたが、日本語は良く出来ていて、さんづけするという事は、九子の中で川上氏の印象がさほど悪くないという事を示している。

じつはこれには理由があった。
騒動の最初の頃は九子も「えっ?そんなことしたの?」と川上氏のことをさげすむように眺めていた。

ところがある日、この人が登場したのだ。脳生理学者の茂木健一郎先生だ。
茂木教授は「僕は学歴なんかにこだわらない。」と言い、川上氏の事を尊敬を込めて
「お仕事でご一緒した時、その素敵なお人柄に魅せられましたし、そのさまざまな問題についての見識も、素晴らしいと思いました.」と評価した。
この一言で、九子はすっかり茂木教授が大好きになってしまった。
「人は偉くなればなるほど自分の現在の地位に固執して事なかれ主義に陥っていくのに、矢面に立たされている川上氏を擁護するなんて、なんて男らしい人だろう!」
人と同じ意見に安住したがる日本人の中で、人と違う意見を言う。それも、叩かれてる人の肩を持つなんて。

茂木教授は自分の目の確かさに自信があるのだろう。
その反面自分の目に、つまり自分の判断に自信の無い日本人があまりにも多い。
だから右といわれれば右へ、左といわれれば左に流されてしまう。
茂木教授の友人になれたらどんなに幸せだろう。
一旦彼の信用を勝ち得たなら、彼はどこまでもあなたを信じてくれる。
そしてあなたが苦境に立った時、きっとあなたに手を差し伸べてくれる。

茂木先生が信じてる人なら、九子も信じる!
(大多数の日本人と同様に、唯々諾々と権威にひれ伏す九子。(^^;;)

川上氏が長年やってたラジオ番組を降板する時に、こんな時にも自分を励ましてくれる多くの友人たちに感謝の言葉を涙ながらに語ったというのも九子の琴線に触れた。

 
そもそもウソって何だろう。良くないことは知っている。だけど世の中からウソが無くなることはない。
だって仏さまだって「嘘も方便」って言っているんだから。
結局は性質(たち)の良いウソか、悪いウソか、もっと言えば許せるウソか許せないウソかという事になる。
許せる、許せないは結局のところ、ウソをついたのは誰なのかという事にも大いに関係する。
友だちだから許せるのか、友だちだからこそ許せないのか。

 
最近、こんな事があった。
facebookで名前占いを紹介された。
九子も早速やってみた。

結果はと言うと。
えっ?マジで?
なんだか凄いことになっている。

結果そのものよりも欄外にあったこの言葉が九子を有頂天にさせた。
「あなたは高度に発達した素晴らしい人格を持っています。こんなに多くのポジティブな要素があるのはめずらしいことです。最もダメな要素さえもあなたをとても魅力的に見せ、格別で勇ましい人生を生きているように見受けられます。あなたを模範にしている人は多いので、今のままでましょう。結果をすぐにシェアして、みんなも自分の長所と短所のナンバーワンはどれか分かるようにしましょう!(原文のまま)」

ね?これだけ見れば、九子がいかに特別な人間なのか、九子が天にも昇る気になったってのもわかるでしょう?
ところがここにウソがあった!
九子はM氏をはじめ、家族全員の名前を次々と入れてみた。
枠の中の性格は、それぞれそれらしいものが出て来たけれど、九子が喜んだ枠外の言葉は、全員同じだった。
つまり九子は「高度に発達した素晴らしい人格を持っていて、こんなに多くのポジティブな要素があるのはめずらしい」という言葉で、自分は特別な人間だと言われたと思った。
ところが誰がやってもその言葉が必ず出てくるのであれば、それはもう特別でもなんでもない。 九子は騙されたのだ。
だけどこの事実を知らない限り、この占いは人を傷つけるものでもなく、むしろ人に勇気を与え、幸せな気持にさせるものだ。

ウソの怖さがここにある。

川上氏の学歴詐称騒動はそろそろ下火だろうと思う。
次のターゲットの乙武洋匡氏が躍り出て来たからだ。
サンキュー、センテンススプリング! 
川上伸一郎氏の再出発を祈る。

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