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贅沢貧乏・・・森茉莉と「生まれ」 [<九子の万華鏡>]

九子が生まれた頃、我が家は今よりずっと裕福で、店を手伝ってくれてた人達も4、5人はいた。

そういう人達の筆頭がきたさんであり、その他の人々も、雲切目薬が復活し、そこそこ有名になって地元のテレビで取り上げられたりしたことがご縁で、またお行き会い出来るようになった。

中には有名な魚沼コシヒカリと同じ水源で作られた美味しいお米を30キロの大入り袋一杯に詰めて毎年送って下さる方も居て、M氏との二人暮らしではそれでほとんど1年間米を買わずにすんでしまうほどだ。

せめてもの恩返しに、お正月くらい美味しいものを食べて欲しいと、九子はネットで海産物を選ぶ。
(あっ、ネットサーフィンし過ぎの目にも雲切目薬ね。(^^;;)

彼は結婚後すぐに奥さんと別れ、以来何十年も母親と二人暮らし。百歳近い病んだ母親を昨年看取るまで、ずっと長い間ひとりで介護し続けた。
 
長野弁で「コツ」と言う。誰でも知ってる「こつ」と違って「コ」にアクセントがある。無骨(ぶこつ)のコツと言えば一番わかって頂けるだろうか。不器用で、意地っ張りで、人の言うことを聞かないという意味。
「あいつはコツだからなあ。」という風に使う。彼もそんな人だ。


イクラを送ればイクラは嫌いだと言われ、カニを送れば調理の仕方がわからないと言う。凍ってるのを外に出して、そっちは寒いだろうから2日も待てばそのまま食べられるよと言ったのに、「焼いて食べました。」と言う返事。
でも、美味しかったと言ってもらえた。

海産物はもういらないと言うので、デパートで手頃な値段の都会のチョコレート菓子を送ったら、はじめて嬉しそうに笑った。

そんな彼らは今も田畑に縛られ、土地に縛られて、遊びになど出かける事のない地味な暮らしを十年一日のごとく続けている。インターネットだって、携帯電話すら無用の生活だ。

こんなに地味で冴えない長野の町へ出てくるのさえ、彼らは一張羅を着こんで、まるで上京する時のような出で立ちなのだ。

いつか畑が忙しくない頃に皆で会いましょうと言いながら、なかなか果たせずにいる。


実はМ氏も子供たちも、彼らとの接し方がわからないという。
九子の接し方はぞんざいだという。

ぞんざいと言われれば、九子も、父母が彼らに対してひどくぞんざいだと感じていた。
何かを差し上げる時も、いつも新しいものでは無かった。開封されていたり、期限が切れていたり・・。
それでも彼らは有り難そうに受け取っていた。

要するに対等ではなかったのだ。主人と使用人という主従の関係。
そういう身分関係が、少なくとも昭和40年頃くらいまでは日本中のあちこちにあった。

父母が、九子が感じていたぞんざいさを自分たちではわからなかったように、九子も、子供たちが感じる九子の中のぞんざいさに気がつかない。そういう環境の中にどっぷりと浸かって生きて来た年月が長かったからだろうと思う。

そりゃあ上を見れば切りがないかもしれないが、少なくとも日本はとても平和で平等な国になった。使用人と呼ばれる人は激減し、どこに生まれても平等に教育を受ける権利に恵まれ、親の職業に関係なく努力すれば東大に誰もが入れる世の中だ。

もちろん現代の我が家では、お客さまに差し上げるものも、かつてうちを手伝ってくれていた人々に差し上げるものも同じである。

そうであっても九子の所作をぞんざいと受け止める家族がいるのだとしたら、それはやはり良くも悪くも九子の「生まれ」のせいに違いない。

 

贅沢貧乏という本を読んで以来、森茉莉さんのファンになった。


贅沢貧乏 (講談社文芸文庫)

贅沢貧乏 (講談社文芸文庫)

  • 作者: 森 茉莉
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1992/07/03
  • メディア: 文庫


森茉莉さんとは、言わずと知れた森鴎外の長女だ。鴎外に溺愛され、自分の事も自分で出来ないお嬢さまだったと言う。
ほら!どこかの誰かとそっくりでしょ?(^^;;
だから九子は茉莉さんに親近感を覚えたんだと思う。

だけど森茉莉さんは想像を越えていた。
彼女はお嫁に行くまで、やかんでお湯ひとつ沸かしたことがなかったそうだ。
誰ですか!私のほうがマシと安堵してる人は・・。(^^;;

それから彼女は19歳の時、長い長い新婚旅行と言えるものの最中に最愛の父親を亡くす。彼女と夫はパリ滞在中だった。
今と違って親が亡くなったからと言っておいそれとは帰れない時代だ。

彼女にとって「パッパ」と呼んだ父は恋人であり、力強い味方であり、全てを赦してくれる万能の神ですらあったかもしれない。そこは九子とはだいぶ違う。(^^;;

結局彼女は2度の結婚に破れ、以降独身を通した。
理由は、要するに彼女に生活能力も、子育て能力も欠如していたためだ。

wikipediaによると、二度目の夫は東北大学の教授だったそうだが、「仙台には銀座も三越も無いから面白くない。」とグチる茉莉さんに、「それなら実家へ帰って芝居でもじっくり見ておいで。」と優しく言い、それがすなわち三行半(みくだりはん)というやつだったそうだ。


森茉莉さんの作家デビューは50代になってからだ。それまでは父鴎外の印税で食べていけたそうだが、いよいよそのお金も入ってこなくなった。
彼女は一時(いっとき)食うや食わずのずいぶん酷い生活をしていたそうだが、室生犀星や「暮らしの手帖」の花森安治氏がよく面倒を見てくれた。

茉莉さんの生活能力が無いのは有名で、室生犀星など彼女の部屋が散らかり放題なのを見て、夜も眠れないほど心配していたそうだ。
犀星先生っていい人!九子の部屋を見ても心配してくれるかしら・・。(^^;;

それにしてもそうやって素人同然でデビューしても、これだけの力量とは、さすが文豪の娘!

九子が凄いと思ったのは、明治の、特に父森鴎外の高貴な格調を引継ぎ、しかも様々な技巧で飾りつくされた森茉莉の華麗な文体だった。
ウイスキーを「ウヰスキー」と書かれるだけでぞくぞくする!まあそんな単純な読み方だったが、彼女の文章には華やかさと独特な香りと、品格があった。

同じように日本語が美しいと言われる川端康成や、いくら万人が評価しても九子が大嫌いな谷崎潤一郎とは明らかに一線を画していた。

だが彼女が住む家は、まるでゴミ屋敷。

ゴミ屋敷・・と聞くと九子はほっとする。まあ、九子んとこはそこまで酷くはない・・つもり。(^^;; 

茉莉さんが育った環境、要するに「生まれ」では、どんな女性も家事上手になる可能性は少ないと思う。
ついでに言わせて貰えば、出来すぎ母が全てやってくれた九子の育ちでも同様だ。

お嬢様さまお嬢さまとかしずかれ、自分は何もしないですべて誰かがやってくれる。そうやって20才近くまで毎日暮らしていたら、それが当たり前だと思い、疑問も抱かずにいても不思議は無い。
そうしたら突然父親が亡くなり、財産も減ったからと言って社会に放り出されてしまう。生きて行く寄る辺が無くなる。

本当はそうならないように、親は子供に生活力をつけさせたいと思うものだろうが、森鴎外という人は違った。ただただ自分の愛情のまま、娘たちを猫可愛がりした。
きっと自分の力で一生お金の苦労をさせないで済むような良い夫に嫁がせるつもりだったのだろう。

茉莉さんは毒舌家でも有名だった。週刊誌に舌鋒鋭く、テレビタレントの批評を書いて、それが人気を博した。
彼女独特の美意識を貫いたこともさることながら、森家に出入りするたくさんの人間たちを小さい頃から観察して、観察眼を養っていたに違いない。

彼女の「生まれ」は変えられない。だからそれによって彼女の身についた価値観が社会一般の常識と照らしてどうやら違うようだと気づいた時、人間は学習して社会に合せようとするか、自分独特の価値観をずっと貫くのか、生き方が分かれるところだと思う。

彼女はもちろん自分を曲げるような人ではない。彼女はありのままの自分をずっと死ぬまで貫いた。

最初のうちはゴミ屋敷に住む変人と彼女を見ていた人たちも、彼女がぶれないので度肝を抜かれた。
「ドッキリチャンネル」(テレビ番組ではなく雑誌の連載)で人気が出たと言うのがその証拠だ。社会の方が彼女にすり寄って来たのだ。
ここまで来れば本物だ。森鴎外のDNAを受け継ぐ者としての面目躍如である。

お嬢さまという立場に生まれると人間弱くなると九子は思っているのだけれど、森茉莉さんは強い!
そう言えばお隣の韓国にナッツ姫とやらがいたけれど、彼女は強いのではなくわがままで物の道理がわかっていなかっただけだ。


19歳で父親を亡くす。それも今まで全てを与えてくれていた理想の恋人であった「パッパ」が突然居なくなる。
そして自分は父の愛した欧羅巴(ヨーロッパ)にいて、死に目にも会えなかった。
彼女が以来、父親を神格化し、理想化して行ったとしても無理はない。

本当に気の毒な身の上ではあったが、彼女の才能はお陰で花開いた。
これが森鴎外が長生きして、潤沢な印税で食べていかれる身分であったなら、森茉莉さんみたいな人が物書きを職業にしようとは考えられない。
若い頃からの美食で肥やした舌で、それだけは得意だったと言う大好きな卵料理でもたくさんこさえて、何もせずに優雅に生きて行く方がもしかしたら茉莉さんらしかったのかもしれない。


さて、森茉莉さんのは贅沢貧乏。我が家のは子沢山貧乏の上に、なんと言ってもビンボー神さん(M氏とも言う)のご光臨による多大な影響。(^^;;

森茉莉さんには比べるべくも無いけれど、日頃娘たちに「ママはお嬢さまだから・・」と言われてる九子も、8年前に父母を亡くしてからもなんとか独り立ちして薬局やっておりますので、世の中のお嬢さま方、あなたも大丈夫です!どうぞご心配なく! ( ^-^)

★ブログ「ママ、時々うつ。坐禅でしあわせ」 頑張って更新中です。是非お読みくださ      い。(^-^)


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言葉の力・・・その2 [<九子の万華鏡>]

言葉の力について何度も書いている九子は、もしかしたら言葉で失敗をしたことが無い・・などと思われているのだろうか?
まったくもってとんでもない勘違いである。

もちろんそうならないように、最大限の注意は払っているつもりではいる。
ところがこの九子と言う御仁、生まれながらの注意力散漫人間で、九子の注意力の網とやらは、まさしく網やらざるの類で、そこここに穴がいっぱい開いているのである。


一応は真面目で正直な日本人として、誰かを誹謗中傷するような言葉は決して使うまいと思ってはいる。

ところが時として、そういう言葉以外の、得てして感情も、気持ちも表さないはずの名詞が、時として誰かの感情を逆なでし、長年の友情にひびを入れてしまったりするのに気がつかない。


これは非常に怖い。


怒りの感情の中で投げかける一言は、たいていの場合、相手も自分も熟知していて発せられることが多い。
二人ともヒートアップして、ついつい売り言葉に買い言葉・・みたいな形だろうか。
そういう言葉は銃や刀。見るからに恐ろしげな目に見える武器である。
自分でも言葉を武器として使っている自覚がある。


ところが何気ない一言で相手を傷つけてしまう場合は、言う方はその一言の威力に全く気づかない。そもそもその一言が相手を傷つけているという自覚すらない。

そういう意味で、その一言は「地雷」である。見えない分だけ性質が悪い。

歯科医師国家試験には、今でも俗に「地雷」と言われる問題があるのだと言う。
その他の問題がいくら出来ても、その問題で間違えたら即、落第が決まる。

地雷はどこにあるかわからないから、尚更不気味である。


つい最近、九子ははからずも地雷を踏んでしまった。
うつ病持ちの反芻(はんすう)人間として、どうもその事が頭を離れず引っかかっている。


ずっと長い間親しくしていた彼女である。

悪いことにそれは、九子の不得手とするケータイメールで起こった。

九子はケータイメールが嫌いだ。
何度も言うが、どうして「おはよう」の「お」と書く時に、5回もボタンを押さねばならないのだろう?
その上、カタカナや数字を書くたびに、文字入力ボタンを押して設定し直さなければならない。

九子はおっちょこちょいなので、5回押すべきボタンが行き過ぎて、6回、7回押してしまう。
そうなるとまた、最初からやり直しではないか!


これでは九子の好きな長いメールなどどうやっても無理だ。

だから九子はケータイでも相手のEーメールアドレスを聞いておいて、パソコンからケータイに打つのを習慣としている。


ところが彼女はパソコンからのメールを受信しない設定にしてあって、いつもメールが戻ってきてしまう。

仕方が無いから彼女に限ってはauで言うところのCメール、要するにSMS(ショートメールサービス)というのを使っていた。
最近になって制限文字数がいくらか増えて、一行くらいは長く書けるようになった気がする。


ケータイメールに慣れている彼女からは、九子が1通書く間に3通も4通ものメールが来る。

つまり九子は少なからず焦ってしまうわけだ。

そういう中で事件は起こった。


今回九子に「自覚」が無かったかと言えば、そうではない。
もしかしたらこんなこと言ったら悪いかな?とは一瞬思った。

でもそれがいったい相手にどの程度の影響を与えるのかまではわからなかった。
軽いジョークのつもりで書いてしまった。


それまで言葉のラリーのように続いていたC-メールがぷっつり途切れた。
それでも最初はわからなかった。
彼女寝ちゃったのかな?くらいにしか考えなかった。


結局九子は寝る間際にお詫びのメールを入れることにした。「変なこと書いちゃってごめんね。」
でも返信は来なかった。それっきりである。

彼女は九子にとって大切な人なので、九子は謝り続けると思う。

そして彼女はさっぱりとした気性の持ち主なので、きっとしばらくしたらけろっとした顔で赦してくれると思う。
でもきっとこの事を忘れはしないだろうと思うけれど・・・。


こういう事って、きっと皆様も経験がおありだろう。
こういう時、言葉の強さ、言葉の威力をひしひしと感じさせられる。

短文で一言二言、その場の気持ちを伝えるツイッターというサイトで、得てして炎上が良く起こるというのはわかる気がする。

メールならば短いながらも読み直しをするから、後から自分で訂正が出来る。

ところが短文メールやツイッターであれば、そこまで考えることなしに送信ボタンを押してしまう。


長年の友達が言葉一つで別れてしまうということだってよくある話だ。


言葉は独り歩きする。これもまた事実だ。

たとえば誰かが一言「今私、○○さんとうまく言ってないの。」と言ったとしたら、その言葉は驚きとともにあなたの心に刻み付けられる。

もしもその後、○○さんとの仲が元通りに修復されようとも、言われた人間が驚きと共に心に刻んだ言葉はなかなか消えない。
「あの人と○○さんは、うまく行っていないんだ。」という印象ばかりが一人歩きする。


日本人はあまり怒りの感情を面に表さないから、笑顔で受け答えしている言葉の中にどんな爆弾が潜んでいるかわからない。

たまにごく親しい仲だと、「あの時あなたにこう言われて、実は私傷ついたのよ。」と言ってくれる人もいて、そうしてその言葉が、「えっ?そんなことが?」と思うほど自分にとっては思いがけない言葉であったのに愕然としたりする。
それでもそういう事を言ってくれる人は、友人であれ身内であれ、本当に有難い。


あなたが傷ついたのが、その人の言葉の根幹であるのか、それとも人づてに聞いたニュアンスの部分なのかを見極めるのも大事なことだ。

たとえば「・・つける」という言葉。
「言う」よりも「言いつける」の方が、「叱る」よりも「叱りつける」の方が、「送る」より「送りつける」の方が、強い意志、それもやや否定的な意志を感じさせる。

当の本人は単純な意味で使ったのに、その言葉を仲介した人が悪気も無く否定的なニュアンスを含んだ言葉に翻訳してしまう場合だってある。
だけどそれが誰の意志なのか、そもそも意志などあったのか、見極めるのは本当に難しい。


九子はこういう事があると自分の言葉が不安になる。

たまに誰かが「九子さんが書く文章にはエネルギーがある。」などと言ってくれる。
ふだんはとても嬉しい一言なのだが、こんな一件があると、自分の言葉は人を傷つけやすいのかしら?と心配になってくる。


「どうしたら人を傷つけずにすむか?」この大問題を解決するのに、身近に大変良いお手本がいたのに気がついた。
M氏である。(^^;;


M氏には、そのいつもにこにこした風貌からか、あまり敵が居ない。

その上、あまりNo!をいう事も無い。
会の役員やら、町の役員やら、お金にならない用事ばかりを引き受けて本業がおろそかになっても、九子から言わせるとどうでもいいような用事にいそいそと出かけていく。
休みが出来て喜ぶのは彼の職場の女の子たちだけだ。

本業がおろそかになるって事は、お金が入ってこないということだ。
彼はそういう事には頓着しない。彼は生まれてからずっとビンボーだったからだ。(^^;;


そんな彼の言葉がどんなかと言えば・・・・。

まあ、とりあえずは温厚この上ない。
基本的にはおしゃべりなので、九子が怖い「話の間」とか、沈黙とかいうものを上手に埋めてくれる。これは有難い。

だけど九子に言わせると、「えっ?なんでこの展開でそんな話を持ち出すの?」という事も多い。
まあ、九子のように「これ、言っていいかな?悪いかな?」と考えてるうちに沈黙がやってくるよりもそりゃあずっといいのだが、言ってしまえばくだらない、つまらない話もかなりの部分を占める。(^^;;


でも、彼の言葉で傷つく人間は少ない。

う~ん。人を傷つけなくなかったら、どうでもいいくだらない話をすればいいのかな?
そうすればみんな、話半分にしか聞いて居ない訳だから、傷つきようが無い。

M氏の話は、どうでもいい話と、少しばかりのうんちくと、自信たっぷりに話すのでついつい信じてしまう持論から出来ている。あっ、彼の名誉のために付け加えると、たまに高尚な話もある。(^^;;

それともう一つ、九子が感じてることがある。

自分が傷ついたと感じる言葉を思い出すと、それは自分の中のコンプレックスと無縁ではないことが多い。
コンプレックスを無くすこと!それが傷つかなくなる近道かもしれない。


おっと!傷つかない方じゃなくて、人を傷つけない言葉の話はどこに行った?

それは、凄く難しい。とっても難しいと思う。
なぜなら、言葉と言うものは、人によってその意味するところが僅かずつ違っているからだ。
今までその人の人生の中でこういう風に使ってきたその言葉を、人によって僅かずつだが受け取り方に差があるその言葉を、どういう場面で、どういう意図で、どういう強さで使うのか。

それを瞬時に計算して、的確な言葉を選べるほど人間は利口ではないと思う。


とりあえずは注意すること。送信ボタンを押す前にもう一度読み返すこと。
それでも地雷は排除できない。

地雷を踏んだら詫びること。相手にとってどうするのが一番良いのかを考えること。

時期もある。相手の怒りの強さもある。

だけど、言葉で傷ついた相手の心を癒すのも、また言葉なんだろうなと思うと、少しだけ灯りが見えて来る気がする。

( ^-^)

 


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笹井氏の死 [<九子の万華鏡>]

今回は元気な日記を書く予定だったのだけれど、やっぱりこの事件については書かずには居られない。
理化学研究所CDB(発生・再生科学総合研究センター)副センター長笹井芳樹氏の自死についてだ。

事件の一報が入ってきた時、九子は一瞬ぼんやりしてしまった。
そして次に頭に浮かんだのは、セウォル号の海難事故が起こった時に韓国の人々が口にしたという「私たちの国はまだ三流国家だったのか?」という嘆きの言葉。
その言葉をそのまま日本の医療体制というのか、特に理研という半官半民の大会社のあまりにも稚拙な対応に対して投げかけたいと思った。

かなり年配のセンター長は、笹井氏が10日ほど前から、心身ともに疲労困憊の様子であったことを認めた。同じことは、複数の研究所員たちも口にした。
一人一人が認識していたという笹井氏から発せられていた重大な赤信号を重く受け止め、彼を休ませるなり、医者に連れて行くなり、手を差し伸べ、目に見える行動に移した人間が居なかった。
もし誰か一人でもそれが出来て居たとしたら、きっと状況は大きく変わっていたはずだ。

笹井氏もそうだが、研究チームには医者の資格を持つ人間がたくさん居たのだと思う。もしかしたら笹井氏が医師であったことが、そうでない研究者に、忠告めいた助言をするのをためらわせてしまったのだろうか。
だけど集まっているのは日本一の優秀な頭脳たちなのだから、うつ病の知識くらい最低限持ち合わせていて欲しかった。


小保方氏のSTAP論文が世に出た時、叩かれ始めた時、検証実験が始まった時、いつも笹井氏は小保方氏の傍らに居た。

ライバルの山中教授がips細胞でノーベル賞を取り大きく水を開けられてしまった笹井氏は、科学の根底を覆し、人類の夢に大きく近づくSTAP細胞の存在に賭けていたのだろう。

大変な期待を込めて小保方氏を「僕のシンデレラ」と呼んでいたという証言もある。
STAP細胞の論文に改ざんがあったことを示されても、終始笹井氏はその存在を信じ、小保方氏をかばい続けた。まるでSTAP細胞を護ることそれだけが自らの存在証明であると言わんばかりに・・。


「陽性かくにん!よかった。」 ある日の小保方氏の実験ノートだ。
こういう記述がほとんどであったなら、たった2冊!と批判された実験ノートがたとえ10冊あったとしても、実験の不正を疑われた時にデータの信憑性の証明には成り得ない事は誰の目にも明らかだ。

笹井氏が小保方氏に実験ノートを提出させることはなかった。
研究者というのは信じ込みやすい人々で、相手が同僚であれば、よもや研究者としてのスキルを欠いているなどと疑うことはないらしい。

ましてや小保方氏の経歴を見れば、錚々たる人々のもとで研究を続けている。

もう一つ。研究者というのは権威主義者で、その論文を推薦しているのが誰であるかというのがその論文の信用に大きく関わるのだそうだ。
ネイチャーに小保方氏の論文が取り上げられたのも、共著者にあった笹井芳樹という世界的に著名な名前のお陰だったと言う。

世界的な権威者バカンティ教授の下で研究していた人が、そんな稚拙なノートの書き方しか出来ないなどとは、笹井氏には想像だに出来なかった事だろう。


一方でライバルと目された京都大学の山中伸弥教授の活躍。山中教授本人だけではなく、西の京都大学に対する東の理研、もちろん山中教授のライバル笹井氏を擁する理研という対立の図式も彼を苦しめた。

辛かっただろうなあ、笹井さん。
悪意があった訳ではないだろうが、小保方さん、罪な事をしてくれたなと、しみじみ思う。


この間どこかのテレビが取り上げていたのが、アメリカで起きたいじめによって美人の高校生が自殺した事件だった。それによると、アメリカでもいじめは多く見られるのだが、それによって自殺を選ぶ生徒というのは珍しいとのことだった。


現在アメリカの大問題は肥満なのだ。
要するにジャンクフードしか摂取できない貧困世帯の問題も深刻だ。ただ、自殺という選択肢は多くは無い。
日本の何倍ものストレス社会において、しかも銃という武器が呆れるほど簡単に手に入る国において、自傷や自殺による死亡が割合で行けば日本の半分というのは驚きだ。


もしかしたらアメリカ人は、アルコールの過量摂取や無茶食いや無茶飲みという方法により、脇目もふらずに巨大なストレスを発散しているのではあるまいか?
なりふり構わずひたすら飲み、食うという行為によって、刹那的に満たされない心を満たそうとする。


それに引き換え日本人は、「命は地球よりも重い!」とか口では言っておきながら、いざとなると命よりも重いものをたくさん抱えていることに気づく。
腹切り、自決、玉砕・・と連なる何より名誉が重んじられるDNAを、知らないうちに背負わされているのではないだろうか?

暴飲暴食は卑しいこととなんとなく刷り込まれているから、日本人はきっとアメリカ人ほど肥満にはならない。もちろん体質や食事の違いもある訳だが、ある程度太ると歯止めが利いてダイエットに向かいだす。

きっと私たちはいつでも美しくありたがる民族なんだと思う。
もちろん見た目ばかりか、人を騙さないとか、道徳心が高いという、心の美しさも大切にされている。

アメリカ人のように「なりふり構わず」というのは、人目を気にする日本人にはなかなか出来ないと思う。

だけどストレス回避の選択肢は多いほど良い訳だから、それが出来ずに自殺が多い日本よりも、何でもありでも自殺が少ないアメリカの方が良い。

それから、日本で多い金銭トラブルによる自殺も、アメリカではそんなに多くはないらしい。

そもそも悪名高き「連帯保証人」などというシステムが無い。他人が借りた金を赤の他人が払わされるなんて、合理的なアメリカ人が納得するはずが無い。

自己破産を何度でも繰り返しながら、図太く生きてる人々がほとんどで、そもそもアメリカ人の思考回路に「金を返すために死を選ぶ」というのは無いのだそうだ。


こうしてみるとアメリカと言う国に自殺が少ないのは、常に敵に囲まれて自分の身を銃で必死に護りながら生きて来た歴史と無関係ではないと思う。
なりふり構わず、とにかく生きること!それが彼らの正義だった。

海に囲まれた平和な島国日本では、生に執着することが大罪だった時代もあった。そういう時代が長かった。


笹井芳樹氏は、誰がどう考えても重度のうつ病だった。自死というより、病死と言う方が正しいかもしれない。ただ、いくらでも打つべき手はあった。
彼はずっと辞意を表明していたが受け入れられなかった。最後の10日間は、そんな状態でも毎日出勤していたという。

一方の当事者のバカンティ教授は1年間の休養を申し出て受理された。


やり直しが利かない社会と、何度でもやり直せる社会。
その差はあまりにも大きいと思う。


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「名」を遺すと言うこと [<九子の万華鏡>]

連休の最中、痛ましい海の事故が起こった。

長野県上田市から新潟県の海岸へ子供連れで遊びに行った二家族。
二家族は兄弟で、従兄弟にあたる子供たち3人を波打ち際で遊ばせていた。

そこに突然大きな大きな3メートルを越える波が押し寄せる。一説によれば離岸流(りがんりゅう)と呼ばれる、人や物を沖へ沖へと追いやる波だそうだ。
若い父親は、慌てて海に飛び込んだ。

それを見ていたたまたま魚釣りに来ていた27歳の若者が、海に入ろうとする母親たちを押しとどめて、「俺が行くから」と言って海に飛び込んだ。

そして五人は、誰一人生きて戻ってこなかった。


翌日の信濃毎日新聞の朝刊に亡くなった27歳の若者のお父さんの言葉が大きく出ていた。若者は長野市民だったのだ。

「子どもたちを助けようとしたのは、よくやったと言ってやりたい。」声を振り絞るようにそうおっしゃったそうだ。

父親は奇しくもM氏と同じ年だった。27歳の息子といえば三男Yと同じか・・。


父親としたら、そう言うしかなかったのだろう。

もしも母親なら、絶対にそんなことは言わない。
「どうして死んじゃったの?そんなことしなくても良かったじゃない!そんなことしてくれるより、無事な顔が見たかったよ。」

これがきっと全ての母親の本音だ。
子孫を残すという人間の本能により積極的に与(くみ)している母親にとっては、自分のDNAを絶やすなんて耐え難いのだ。

ほとんどが80代90代のおくやみ欄にただ一人、「27歳」の文字が痛々しい。


父親は、報道によって多くの人々に息子の名と彼の功績を伝えられた事が、彼の生きた証だと思っている。いや、無理やりそう思い込もうとしている。
これはつまり日本の男の、武士(ますらお)としての生き様に通じる。

武士の一生は、太く短く・・であったに違いない。
不名誉なことは、万死に値した。

死というものの意味が、それだけ軽かった。
と、言うよりむしろ、護るべき名誉がそれだけ重かったわけだ。

そういう武士たちの世の中が長かったことが、もしかしたら日本人のモラルの高さに貢献しているのだろうか?


「御家断絶」という言葉に代表されるように、「家」を長く存続させることは難しかった。

もちろん現代と違い生まれてすぐに亡くなる子供も多かったし、さまざまな病気によって人間の寿命も短かった。
その上名誉を重んじて切腹する侍が多ければ、「家」の寿命も更に短くならざるを得ない。

当時「死」というものは、確実に現代よりも人々の近くに存在した。

そういう世の中だったからこそ、「名を遺す」ということが尊ばれたのか?
「名誉」と言う言葉に、それが如実に顕れている。名の誉(ほま)れ。

「名」というものは、命と同じだけの、いや、命に勝る価値があったのだ。


「細く長く」を家訓とする我が家は、家訓どおりにのらりくらりと時代を生き抜き(^^;;、九子で18代目に至った。
古い店を案内していると、お客様から激励のお言葉を頂く事が多い。

「どうか、頑張って長く続けて下さいね。」

いつも大変有難く拝聴しているが、これもきっと「家」が18代続くということが容易ではないことを皆様がご存知だからに違いないと思っている。

そして、たいしたことは何もやってない九子であっても、長く続いているということひとつで信用してもらえるのは、これはもう「家」のおかげ以外の何物でもない。


事故のニュースをもうひとつ。

韓国のフェリーが沈没して300人を超える人々が亡くなるという痛ましい事故からもう一ヶ月近くが過ぎようとしているのに、連日テレビは手を代え品を代えて事故関連の話題で花盛りだ。
隣の国の事故でしょ?なんでそんなに報道したがるの?それほど日本は平和で、ニュースが無いの?

報道で明らかにされるのは、韓国と言う国のあら捜し。

そりゃあ九子だって、韓国が好きかと聞かれたらう~んと考え込む。(^^;;
だけどその九子をして、ちょっとおかしいんじゃないの?と言わせるほどの報道の過熱ぶりである。


この事態を、立場を変えて考えてみたらどうだろう。

対比するのが土台無理なのはわかっているが、東日本大震災の時に原発で起こっていたことやそれに対する政府の対応の不手際なんかを、もしも連日のように韓国のテレビが報道していたとしたら・・。
やっぱりそれは日本人として面白くない。

自分でわかってることを他人から、それも敵対関係にある人間から指摘されるのは誰でも嫌だろう。

だったら国同士だって同じことだと思う。


韓国にはもう勝てないからあら捜しするしかないの? 日本って国は、そんなに落ちぶれちゃったの? 日本人って、そんなに情けない民族だっけ?


取り上げているのはほとんどが民放と呼ばれる民間放送局だ。要するにコマーシャル料で食べてるところだ。

韓国のダメなところを取り上げると、何より大事な「数字」、つまり視聴率が上がるのだろうか?
そうだとしたら、視聴者の責任でもある訳だけれど・・。

どうあっても数字を上げたい一心で数字が上がりそうな報道を・・と言うのであれば、それは放送局側のろくでもない思惑だ。


いろいろな報道には裏があり、意図があり、もしかしたら策略まであるというのは、情けないが事実のようである。


たとえば、このニュース。無料アプリで毎日配信される週刊誌閲覧サイトの見出しに載っていた。

「世界の人たちが好きなのはこの国だった。日本、韓国、中国。驚きの結果」という、まあ九子が喜んで覗きそうなタイトルだ。(^^;;

それによるとこの三カ国の中で世界の人々に好かれているのは日本がトップ。それも驚きの9割越えという結果が出ていた!

確かに最初、九子は喜んだ!
M氏に誇らしげに見せたくらいである。(^^;;

だけど、ちょっと待って!
いったいこれは、誰がどうやって調べた結果なのだろう?


最初に書いてあった。そうか!これは緊急アンケートなのである。それによると対象者は世界25カ国103人。それらはすべてそれぞれの国と特別な関係にある人々は除外した結果だそうである。

緊急アンケートなら103人でも仕方ないのか。だけど九子と違って友達多い人なら、103人くらい、友達かき集めればアンケート成立しちゃうんじゃないの・・って話である。
それにいくら配慮したと言っても、日本の雑誌社(週刊現代)のアンケートとわかった時点で、日本に好意的な答えをするんじゃないの?

このからくりがわかる前、九子はこの結果をそのまま日記に書いて「日本も大丈夫!」って言おうと思っていた。そのくらいびっくりしたし、嬉しかったのだ。(^^;;
だからこの調査の分母の異常な少なさがわかってたちまちがっかりしたし、少々腹立たしかった。

そんな緊急にアンケートしなくても、しっかり時間をかけて「本当のところ」を伝えて欲しかった。

まあでもこれは記事の最初にちゃんと明示されていた訳で、記事としては及第点だ。

ただ、九子みたいに最初記事を信じて狂喜乱舞して、サンプル数の少なさにがっかりして心不全など起こす人が居ないことを願う。(^^;;

・・・とまあいろいろ悪口を言ったが、ネットで読む「現代ビジネス」は面白くてタメになるサイトである。九子は信用もしている。
言わんとしたことは、出版社も読者も、記事の出所や取材方法にはいつも気を配って、出来るだけ正しい情報を集めたいと言うことだ。


ところでテレビの報道番組で「中国に足りないものはなんでしょう?」と聞かれて「時間」と答えた人が居て、九子は思わず膝を打った。

その通り!中国も韓国も、いろいろなひずみが出ているのは、成長を急ぎ過ぎているからだと思う。

日本がこうなるまでに、戦後70年かかっている。それでもまだまだ足りないこともたくさんある。

それが、たかだか2~30年で、中国に至ってはたかが十数年で力を付けて来た。
あんなに大きな国の全部がたった十数年で変われる訳が無いのだ。

韓国も中国と同じく、まだまだ時間が足りないと思う。国が熟するには時間が必要なのだ。

それでも、韓国の人々の努力は大したものだ。
生まれた時から競争競争と追い立てられ、膨大な時間を知識を詰め込むことや、はたまた男の子なら兵役と言う名の訓練に駆り立てられ、その上英語も堪能だ。

九子は自分が努力出来ない人間だから、努力する、努力出来る人々を尊敬する。
努力は必ず実を結ぶ。
日本がその努力と勤勉さで世界を驚かせたように、韓国という国もいづれ日本を追い越し追い抜いていくのだろう。

そうされたくなかったら私たち日本人も彼ら以上に努力しなければならない。
父母たちの時代戦後70年間の努力の上に胡坐(あぐら)をかいて、遊び呆けていたらきっと日本は滅びる。


9割とは行かなくても日本を好いてくれてる人が多いのであれば、それは即ち私たちの力量ではなくて先達(せんだち)たちの努力なのだ。
彼らがこつこつと努力し、築いて来た結果なのだ。

日本人は嘘をつかない。日本製品は優秀だ。日本の文化はクールだ。
日本に来たことも無い外国人が日本をそう評してくれる。

それが日本に冠された「名」である。
日本はただの日本ではなくて「日本」なのである。

日本が「日本」になるためには、何十年と言う先輩たちの努力が必要だった。
そしてそれを維持して行くには、それを上回る努力で私たち一人一人が結果を出すしかないのだと思う。

まずは「名」を覚えてもらって、その「名」が付くものの性能が常に一定していることをわかってもらい、それで始めて人は信用してくれてその「名」を選んでくれる。
「名」は「ブランド」と言い換えるとわかりやすいかもしれない。

信用とは、そういうことだ。長い年月をかけて、やっと培われるものだ。
そしてその長年の努力が、たった一度のあやまちによって費えてしまう危ういものでもある。

命は儚いが、「名」は長く続くことを知っていたであろう冒頭の父親の気持ちが、こう考えてみるとやっと少しわかってきた九子である。


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言葉の壁 [<九子の万華鏡>]

「だからさあ、ママおのぼりさんみたいにうきうきしちゃってるわけよ。」
娘と、例のドイツ行きの話題で盛り上がってた時、電話口でこう言いながら九子は考えた。

あれっ?おのぼりさんって言葉、この頃あんまり使わないけど、彼女に通じるかしら?

我が家で一番若い彼女が言った。「わかるよ。田舎から都会に出て行った人の事でしょ?」
彼女に通じたということは上の4人にもおのずと通じるはずだ・・と、胸をなでおろす。

それでも電話のたびに一応子供たちに尋ねてみた。
みんなすぐにわかった。ただ、そこにはある共通点があった。
おじいちゃん、おばあちゃんがよく使っていた言葉だから・・ということだ。

つまり、三世代同居のうちの子供たちは知っていたけれど、核家族で育った子供たちはどうなんだろう?

考えてみると「おのぼりさん」には田舎に住む人々への差別的なニュアンスが含まれる。

上野駅が地方に住む人々の夢と憧れの終着点だった頃、幼かった九子もよく父や祖父に連れられて何時間も汽車に乗り、東京の親戚のうちに連れて行ってもらった。

九子が当時乗ったのは今でこそSLと呼ばれてもてはやされる蒸気機関車の筈だったが、そんなものに興味がない九子は、いつもしかめっ面をしていた。

座席に付くと父や祖父が、一目見てきれいじゃなさそうなたぶん金属製の冷たい汽車の床の上に新聞紙を広げ、靴を脱いでその上に乗るように言うのだが、せっかくの白い靴下が新聞紙のインクのせいか、それともSLが噴き出す煙のせいかで黒くなってしまうのが嫌だったのだ。

そう。当時、汽車に乗るということは、黒い煙を浴びなければならないということを意味していた。

迷子にならないようにしっかりと手を繋がれて上野駅のホームに降り立つと、ボーっと耳をつんざく蒸気の音がして、どこか錆臭いような鉄のにおいが鼻をつき、たまり水に誰かが落とした新聞紙がはりついていたりしていて、東京に着いたという嬉しさを半減させる。

あの頃、確かに上野駅には貧しい身なりの人々がたくさん居た。
せっかく長時間の不快な人いきれから解放されたばかりなのに、またしても周り中どこか泥臭い人々の群。

九子の中で上野と言う駅は、綺麗な都会と汚らしい田舎の交差点だった。


あれからもう50年。どこへ行ってもこざっぱりとした身なりの人々が駅を行き交う。
掃除の行き届いた電車で服を汚す心配もなく、皆が日本中を快適に移動する。

全国津々浦々同じような大企業が画一的な店舗を作っているのを見る時、都会と地方との生活水準の差は確実に縮まったと思う。
「おのぼりさん」なんて言葉はもう用済みになってしまったのかもしれない。

「おのぼりさん」が死語であるかどうかはともかく、たかだか数十年で通じない言葉がたくさんあるのにびっくりさせられる。
同じ国に住み、同じ言語を使っていても、言葉の壁は世代の壁、文化の壁なのだなあと痛切に感じさせられる。


ところで冒頭の会話だが、30年ぶりの海外旅行にうきうきした九子が何をしたかと言うと、また別の文友(ふみとも)にドイツ旅行を吹聴したという話である。

娘には吹聴と言ったが、実はそうではない。

文友はこれも父が知り合いになったオーストラリア人で、素敵な女流画家さんである。

「30年ぶりの海外旅行先にあなたのところを真っ先に選ばないでごめんなさいね。実はこれには理由があって、ドイツの文友の奥さんと子供さんが大病を患っているの。だから、すぐに会いに行きたかったの。数年後には絶対にあなたのところにも行くから、今回は失礼するわね。ごめんなさいね。」というのを伝えたいという、まったくもって日本人的な気配りのメールだった訳なのだ。(^^;;

ところがそれを出してしまってから、また細かいことが気になった。

日本語では誰かが大病を患ったりすると「実は、あんまり良い話じゃないんだけど・・。」という言い方をする。

九子もドイツの文友の奥さんの病気の話を始める時、日本語にとらわれて"It's not a good story."と書いてしまったのだが、考えてみるとそういう状況でも彼らが海外から何十年ぶりに渡航する友達を受け入れてくれたというのはとても嬉しい話だし、彼らの美しい心根が伝わってくるようである。そうしたらこれは十分にgood storyである。
九子は”It's not a good story."ではなくて、" It's not a happy story."と書くべきではなかったか?

これもよく考えてみると、私たちは、「良い」という言葉を実にいろいろな場面で使う。本当は幸福なとか、幸運なとか、美しいとか、めでたいとか・・、そんな言葉がふさわしい場面でも「良い」の一言で済ましてしまうことがある。


ところが、西洋文化では、とりわけキリスト教文化では、「良い」は善悪の善ときっちり決められているのではないか?
すなわち「悪」に対するものとして「善」があり、だから九子が思わず使ってしまった "not good" は、すなわち「悪」として捉えられてしまう。


そうすると、ドイツ人家族の善良なもてなしのうるわしさや、それに感激した九子の気持ちが十分に伝わっていないのではないか?

その点病気は常にunhappyであるから、上の場面で十分通用する。ああ、やっぱり”happy" と書くべきだった。
(と、九子はいつでもこんな些細なことに気をもんでいる典型的な日本人なんである。(^^;;)

そう。ここでもやっぱり言葉の壁だ。
もちろん九子自身の英語力の壁もあるが、日本と西洋の宗教を含めた文化文明の壁の力が大きいように思う。


「良い」という言葉に多種多様な意味を持たせるのは、東洋の、そして仏教の曖昧、混沌の文化なのかもしれない。
そして、「良い」と「悪い」はきっちりと際立たせる西洋のキリスト教文化。

幼稚園児でも知っているgood グッドとbad バッドに、それだけの違いがある事を認識するのは、また認識すべきなのは、社会を作る大人の役割なのかもしれない。

 

この間のテレビで、なぜ日本人は英語が下手なのかというのをやっていた。

九子もつい先ごろまで、英語のスペシャリストたちがこぞって「英語力よりもまず日本語力」と言うのを聞いてから、そんなに早期に英語教育を導入しなくてもいいのかと思っていたのだけれど、例の韓国船沈没事故で「韓国がアメリカの救助船を要請して、安倍総理の申し出を断ったのは、日本とは言葉が通じないからだ。」という韓国側の返答に思わずぞっとした。

九子は何もパククネ大統領の言葉の裏にあるものに興味があるわけではない。だけど確かに危急の時に、自衛隊の英語が米軍に伝わらず、韓国軍と米軍だけの意思疎通がしっかりとしていたら、いったい何が起こるのだろう?
ちょっと笑い事では済まされない事態が起こりはしないだろうか?

そう考えた時、やっぱり日本人の英語力は、せめて普通の人が簡単な受け答えが出来るレベルまでにしておかないといけないんじゃいか?と、強く思った次第である。

番組の中で紹介されていたのは、フィリピンの小学校だった。
特徴的なのは、小学校一年生から英語の教科書を使っていて、先生も英語で教えていることだった。

番組の中で述べられていて象徴的だったのは、日本では日本語の言語レベルが高いので大学生用の教科書まで日本語で書かれているが、世界の他の国々はそうではない。
自国の言語では高度なレベルのものは教えられないので、英語の教科書を使う国がたくさんある。いや、そういう国が大部分なのだそうだ。

要するに彼らは必要に迫られて英語を学習する。
ところが日本は、日本人だけの世界で、日本語を極限まで発展させ、日本語だけで事足りる社会を作り上げてしまっている。

なんだかこれこそ、日本=ガラパゴスそのものなんじゃないの??(^^;;

だけど、確かに英語の教科書を使い、英語で教えるというのは効率的だ。
九子が考えるに、とりあえず小学校の「理科」の時間を英語で教える時間にするのはどうだろう?

だって、算数じゃ専門的過ぎるし、社会科は難しそうだし、国語はもちろん国語力を伸ばさなくちゃいけないし、理科なら日常会話に使えそうな言葉も良く出てくるし、目で見てはっきりとわかる学問だから、言葉に頼らなくても大丈夫じゃないかなあ?

第一、英語の教科書を小さい頃から読み慣れていたら、英語に違和感がない。

読書力は努力なくしてはなかなか身に付かないから、薄い教科書を精読するだけの中学高校英語ではとても無理!一日に何十ページ、いや何百ページも読み進められなければアメリカで大学生にはなれないだろう。

小学校で英語の教科書のたとえ100ページに満たないページ数であっても、三学期までには必ず終わる訳だから、全てが英語で書かれた教科書を一冊読み終えたという満足感はとても大きいと思う。
速く読めるようになれば、その分速く聞くことも出来るという。

結局、言葉の壁は、心の壁なのだ。
おもてなしの心だって相手に伝わらなければ意味がない。

そりゃあ何ヵ国語も話せたら素晴らしいけど、とりあえず東京オリンピックまでに世界で一番多くの国の人々に使われている英語を可及的速やかにかつ効率良く身につけたい!


もちろん言葉でわかりあえない事だってある。

その筆頭がこじれにこじれてしまった隣国との関係かもしれない。

だけどそういう時でも、いや、そういう時だからこそ、お互いの言語を知っているといいのかもしれないのだが・・。


九子はどうしても中国語や韓国語を習う気になれない。それがすなわち九子の「バカの壁」である。

こっちの方はその気になりさえすればすぐにでも無くなる気はするんだけど、どういう訳か、いつまで経っても無くならない高い高い、高~い壁。(^^;;


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叶わなかった武勇伝   後編 [<九子の万華鏡>]

前回より続く

二人は九子の言うがまま、水を抱えこんで頑張った玄関マットと廊下、そして肝心の水が出っぱなしになった水道栓、また外に出て水道の元栓・・と次々に見て回った。
そして「ああ、ここですね。そうですよね。ほとんどどなたもいらっしゃらないお宅では、ちょっと気がつきませんよね。」とか、「それでもこの冷蔵庫を開けに、どのくらいの頻度でおいでになるのですか?」とか、なるべく当たり障りの無い話をし続けた。
そして、何枚も写真を撮った。

結論はやっぱりこうだった。

「う~ん。そうですねえ。大変申し上げ難いのですが、やはりこの状況を見て、こちらのお宅だけ特別にご事情をおくみしてご請求を肩代わりするとか、減額するというのは難しい状況かと思います。」
「ちょろちょろ出ていたんじゃなくて、ほとんど全開になっていた訳ですよね。う~ん。それはやっぱり、何かの弾みで自然にそうなったとは考えにくい状況ですしねえ。」

「そう言われても、自分が使った訳でもないのにこんな額をお支払いするなんて、納得出来ません。だって、知らなかったし、誰も知らせてくれないんだから、不可抗力でしょう?」となおも食い下がる九子に、K課長は

「お気持ちは十分にお察しします。もしも同じことが私に起こったら、私だって腹立たしいですよ。でも、本当に申し訳ないのですが、水道の元栓メータを通ってから先の水道料金は、各ご家庭にご負担いただくというのが原則となっておりまして、唯一の例外が漏水、つまり水道管の破損等で水が漏れて修理業者さんが修理に来られた証明書がある場合だけ・・ということになっている訳なのです。  

実はこういう事例のほとんどが、空き家や、普段人の出入りがほとんど無い場所で起こっておりまして・・・。中には50万、100万という法外な料金になってしまったお宅もあるんですよ。ええ、工場とかではなくて、普通のお宅です。 」

最後の話を聞いて、九子はびっくりする。「え~っ?そんな金額を皆さんお支払いになるのですか?」

「ああ、さすがに100万円の方は裁判を起こされて、10分の一に減額してもらっったそうですが・・。」(それだって10万円だ!)   


う~ん。敵もさる者である。

5千円が5万円になったから頭に来るのであって、10万や50万、ましてや100万円請求されていた可能性もあった?と考えれば、5万円ならまだまし!みたいに思えてきてしまう。  

まあそれにしても、例のセリフは言ってやらなくちゃ、一矢を報いたことになんないよ。
でも、結局、九子はこんな言い方しか出来なかった。そもそも、ここは市役所じゃなくて、我が家なんだから・・。

「私、本当は、市役所に乗り込んでくつもりだったんですよ。それでね、もしも5万円払わなくちゃいけない場合は、課長さんから現金で5万円お借りして、それを集金の人に10ヶ月かかって1万円づつ5回払いでお支払いしようかと・・。」

一矢を報いるはずの一言を、二人は一笑に付した。

「ああ、そんなことなさらなくても、口座にお金が無ければ引き落とせませんからね。余計な金額を入れて置かれないように、下ろしてしまわれたらいいんですよ。」

なんと!敵に塩を送るとは!あくまでも親切ないい人のK課長である。


ところが我が家の通帳にはやむなき事情があった。
水道料が下りてる通帳は引き落とし専用の通帳で、そこから現金を下ろすことなど無い訳だからカードなど作って無いし、印鑑だって何十年前に作ったままで、どれだか忘れてしまった。
前回入金してからかなり時間が経っているし、てっきりあと数万円しか残っていないものと思って安心していたのだが....。

ところが記帳してみてびっくりした!かなりまとまった金額が記載されていたのだ!

M氏だった!久しぶりに満期になった預金を、よりにもよってこの通帳に入れたのだという。カードも印鑑もない以上、このままにしておく他は無い。
まったくビンボー神は、やっぱり余計なことをする。(^^;;   

そのせいで、数日後に迫った引き下ろし日には、しっかりと51000円也がこの通帳から下りてしまうことが決定した。

K課長と白マスクの二人は、最後まで物腰柔らかく、丁重にお辞儀をして帰って行った。

あ~あ、なんだか疲れたなあ。
それにしてもあの二人はいったい何者だったのだろう?
なんのために、来なくてもいいこの家にのこのこやって来たのだろう?


考えてるうちに、ふっとある考えが浮かんだ。
あっ、きっとそうだ!!


彼らは事情を聞きに来た訳だけれども、議論をしに来たのではない。
なぜなら結論はもうとっくに決まっていたからだ。「金額は全額お支払い頂きますよ!」

彼らの丁寧な物腰、穏やかな話し方、共感しているそぶり・・。(と言ったら悪いが...。)
それらすべてのものは、九子の怒りのエネルギーをガス抜きするためではなかったのか?


どこかで読んだが、日本人は相手の考えを変えさせようとして議論する訳 ではないそうだ。
欧米人の議論では、相手の考えを変えさせてはじめて議論の意味がある訳だけれど、日本人はそうではない。

日本人の議論で一番重要なことは、相手に、自分が誠実で、信ずるに足る人間であることをアピールすることだという。
だから、必ずしも、相手が自説を曲げなかったからと言って、その議論が失敗だったことにはならないのだそうだ。

長野市水道局の彼らは誠実だった。同情的だった。物腰柔らかく、穏やかだった。いい人だった。

「誠実さ」が何より好きな日本人の私たちは、「誠実さ」を見せられると心が和む。
誠実な人々を見ているうちに、だんだんこちらの怒りはおさまってくる。

そして、相手が「誠実」であれば、こちらも「誠実」に対さないといけないという強迫観念に似たものが心の底から湧き上がり、良心的な対応がなされる訳である。

いつも言うように笠原十兵衛薬局のお客様の大半はそんな愛すべき典型的日本人で、あるお客さま曰く「だって物を買ってお金払わないなんて気持ち悪いじゃない!」と、95%近いお客様が後払いでもしっかりとお支払い頂ける。

クレーマーと呼ばれるほんの一握りの人々を私たちは皆忌み嫌う。
自分がそうであってはならないという意識が、普通の人々の良心を支えている。

そうか!彼らの狙いはそれだったのだ。

もちろん彼らは誠実に話を聞くためだけの目的で来てくれたのだろうし、彼らの態度に何の他意も、もちろん悪意も無かったことは間違いない。

でも彼らはきっと学んでいる。幾多の事例から・・。
特に冬場になるとかなりの頻度で起きるであろうこういう超過請求に、冷静さを失って怒りの電話をかけてくる何百人もの人々。

そういう人々と電話で話をし、実際に会って、そして学んだのだ。
こういう場合はどういう風に対処すればよいのかを・・。

もしかしたらさっきの話はマニュアル通り?
そんなことを考え始めるとさすがに忌々しいが・・。(^^;;


彼らは良く知っていた。私たち日本人の怒りのエネルギーは、理論整然と説得するよりもむしろ、誠実な態度で心を寄り添わせ、共感することで消失して行くことを。
私たちが、知の世界の住人というよりも、情の世界の住人であることを・・。


例えば、以前にも書いた選挙の時。
私たちは候補者の政策で選ぶというよりも、人柄が良さそうだからとか、何かの時に世話になったからとか、そういう情の部分で選ぶ事が多いのではないだろうか?
つまり本来の政策の良し悪しなど全く判断する必要が無くて、ただただ義理人情のお付き合いの長さ、深さだけで意中の人を決定してしまう。


この国で一番楽に生きようと思ったら、なんでも皆がする通りを真似して、一切反論もせず、人と違うことは謹んで、流されて生きることだ。
そうしている限り、頭を働かせる必要も判断する必要も全く無くなって、この国では安心して生きていられる。

だからきっと私たち日本人は、今まで考える機会が少なかったのだと思う。一番楽なのが、人の真似をして、いろいろな判断をする必要のない生き方だったのだから。


でもこれからは違う。世界は狭くなり、日本人は日本人だけで生きている訳ではない。
嫌な相手とも付き合わねばならない。

人のよい日本人相手ならそれで済んでいた「相手に誠実さを見せる事により信頼を得る」 やり方も、「誠実さ」イコール「単なるバカ」としか考えない人々の前では、意味が無いどころか逆効果だ。


日本人よ、賢くなれ! 知識を増やせ! もっと頭を使え! どちらか一方を選択せよ! 一人で考えよ!

だけど小賢しくなるな!悪賢くなるな!

えっ?薬剤師としてのお勉強すら怠けてる九子さんに言われたくないって?

ごもっとも、ごもっとも!! (^^;; (^^;;


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夢とうつつ [<九子の万華鏡>]

音をいくつ紡いだら、言葉になるのだろうか?

例の「現代のベートーベン」騒動のあいだ、九子はぼんやりとこんなことを考えていた。

音の紡ぎ方と言ってもいろいろある。単純な音階を長くつなげる電池の直列つなぎみたいな紡ぎ方(メロディーライン)もあるだろうし、交響曲のようにあらゆる楽器を総動員する並列つなぎもあるだろう。

もちろん紡ぎ方の上手下手でも異なるし、音だけですべての言葉を紡げる訳でもない。


ただ一音だけでは無理に違いないと言うことは、誰もが容易に理解する。
ド、ミ、ソというのは、ただの音でしかないのだから・・。

では音二つ、ドレ、ミファ、ソラと言ったらどうだろう。
それでもちょっと無理っぽい。

そんならミソ、ソラ、シミではどうか?
味噌、空、染み(なんだか美しくないなあ。(^^;;)

もちろんこれは単なる言葉遊びであり、音が表現するものとは全くの別物だ。

素人の九子が考えたことは、長い曲より短い曲、多い音より少ない音で言葉が表せたら、それは優秀な作曲家が紡いだ名曲ってことになるんじゃないの?と言うことだった。

「16小節のラブソング」と言う歌を、スタイリスティックスという裏声の美しい黒人コーラスグループが歌った。

「恋」という言葉は、16小節で伝わるのか!

それならば、「愛」は?それならば「夢」は? それならば「希望」は?


さっき一音では伝わらないと言ったけど、よく考えてみるとトランペットの一音で「哀愁」を伝えることが出来るし、バイオリンの一音で「悲哀」も表現できる。
楽器独自の音色が持つ味わいみたいなものがあるのかもしれない。

でもこういうことって、「思い込み」に支配されてる部分もかなりありそうだ。
「哀愁のトランペット」などという言葉がいつのまにか刷り込まれて、実際以上にトランペットの音を悲しく感じさせているかもしれない。
あなたの知性はそんな風に、感性に横滑りしてはいないだろうか?


結局のところ、音はいくつ紡ぐと言葉になるか?と言うのは愚問なのだ。

音の数が決めることではなくて、音の持つ味わいが決める。
もっと言ったら、聴き手個人の受け止め方によっても違うし、何より音を紡ぐ人々の思い入れの強さによって決まるもののようだ。


件の作曲家?さんのHIROSHIMAという曲を始めて聞いた時、九子はなんだかぞっとした。これは原爆のおぞましさも含めて、いい意味の「ぞっ!」だった。
九子はさっそく、第一楽章、第二楽章、第三楽章の順番に聞けるように、わざと第三楽章からyoutubeに曲を収めた。

九子の理解はこうだった。第一楽章は、のどかで平和な戦前の広島の風景そのもの。ところで第二楽章で突然悪魔の兵器が降って来る。人々は血みどろで逃げ惑い、地獄絵図が広がる。
とにかく第二楽章の不協和音の響きは、原爆と関連づけるにはぴったりのように聞こえた。

そして九子は思った。
「さすが被爆2世!DNAに残っているのかもしれない原爆の原風景が、彼にこの曲を書かせているんだわ!」

現代のベートーベンが作ったはずのHIROSHIMAは、九子の中でもう広島の原爆ドームそのものであり、人々のうめき声であり、60数年前の日本の悲劇の象徴としてしっかりと刻まれてしまった。
つまり九子の中で、HIROSHIMAという言葉が、これらの音たちで見事に紡がれた訳だ。

ところが本来の作曲者さんの証言によると、HIROSHIMAは、別のタイトルですでに発表されていた曲の焼き直しなのだそうだ。

HIROSHIMAという言葉を紡いだはずの音たちは、さぞや居心地が悪かろう。


考えてみるとクラシック音楽にはタイトルが無くてピアノ協奏曲何番とか、番号のみで表されているものが多い。
なまじ言葉でタイトルが付いてしまうと想像力が限定されてしまうからそうするのかと思ったが、もしかしたらこんな事件が昔もあったのかも知れず、そうなれば、なんの責任も無い音たちが
人間たちの勝手な解釈で傷つくのを防ぐため・・・だったんだろうか?

そして現代のベートーベン氏は、いつかは醒める夢の中に、どんなうつつを溶かし込んだというのだろう? 

 

事件が発覚する前の日曜日、九子はM氏と映画を見に行った。
 

 「かぐや姫の物語」伊閣蝶さんのブログを見て、是非とも行きたくなったのだ。
伊閣蝶さんは音楽一般、特にクラシック音楽に大変通じていらっしゃって、「かぐや姫の物語」の久石譲氏の音楽を褒めていらしたので、それも聴いてみたかった。

実は久石譲氏は長野市の隣、中野市の出身で、こんど新しく出来る長野市民会館の総監督に就任が決まっている。
これで長野も遅まきながら文化都市の仲間入りが出来るのかしら?


本当のところ、九子はジブリ映画は苦手である。
想像力というものが欠如している九子には、子供たちがわくわくするほど面白いと言う宮崎作品にあまり面白さを見出せないでいる。
もしかしたらそれは、九子がゲームに面白さを見出せないのと同じ理由なのではないかと思っている。

現実に無いものに面白みを見出せない・・とでも言うのかしら?
九子にとっては、現実と等身大の男や女たちの心の中を覗き込み、追体験する読書やドラマの方がより興味深いのだ。

ただ、かぐや姫の物語は誰もが知っているおとぎ話だからか、全く違和感無くすっと話に入って行けた。


アニメとは言いながら、どこか懐かしさを感じる昔ながらの日本の風景。潔いまでに単純化された線の艶っぽさ、そして色の美しさ。
すべては昔から語り伝えられたかぐや姫の物語だ。


ただ一つ問われるのは、かぐや姫が月から地上にやって来た意味。
彼女は、彼女の一念で地球にやって来たのだという。

平和そのもので、病も老いも死も苦しみも無い月の世界から、なぜ?


物語の最後、月からのお迎えが姫を連れに来る場面。
久石譲氏のなんとも不思議で印象的な音楽が流れる。


この音楽は多くの人の心を捕えるようで、伊閣蝶さんも触れていらっしゃるし、中には暗譜したものを演奏してyoutubeに載せてらっしゃる人もいる。


おかげでここに再現できる訳だが、まさにこの通りの音楽だったと九子は思う。


雲に乗ってやってくる仏様の一団を連想するような月からの使者たちが、人間どもの急ごしらえの旧式な武器や仕掛けの類をやすやすと破って進んでくる。
かぐや姫は宮殿の奥深くかくまわれているのだが、使者たちは武器の一つも使うことなしに、まさに人間どもを惑わす様にして姫を月へ連れ帰る。


この場面を見て九子が連想したのは「ハーメルンの笛吹き男」だった。
そう。町の子供たちが笛を吹く男に惑わされて行方不明になったあのお話だ。

音も無く擦り寄ってきて人間どもを目眩(くら)まし、腑抜けにする抗(あらが)えない力。
そんな麻薬のような力を連想させるのがこの曲なのだ。

実は九子は、もしもこの曲でなかったらどの音楽が似合うだろうかという事も考えた。

攻め入ってくるのだから、マーチがいい。
そして「ラヴェルのボレロ」を思い浮かべた。
「チャン・チャ・チャ・チャ・チャン・チャン・チャン・チャン」というマーチのリズムがぴったりな気がした。

でも考えてみると、月の軍団は影の軍団だ。
太陽を陽としたら、月は陰だから、実像ではなくて、虚像の世界なのだ。
「平和そのもので、病も老いも死も苦しみも無い月の世界」というひとつ取ってみても、生々しさの無い幻の世界だ。

だから音も無く静々と・・という感じになるはずなのだけれど、そうなるとどうも少し違う気がする。「ひたひたとしのびよる」にはボレロではちょっと重くないか?

そして久石譲氏の方を聞いてみたら・・・、やっぱりぴったりする。

底抜けの明るさの中に潜む不気味な危うさ・・みたいな。


さてさて、お話はまた現代のベートーベンに戻る。

「現代のベートーベン」という言葉を剥ぎ取られた被爆二世には、もはや音は紡げまい。
そもそも紡いだことすらなかったそうなのだから・・。

18年間彼の幽霊のごとく、影のごとく、ただ自分の曲が世に知られるのみを励みに音を紡ぎ続けた作曲家は、辞表を出した大学で、学生たち9千名分もの嘆願署名をもらって復職となるらしい。

真面目にきっちりとした仕事をしてそれだけ学生に愛されていた先生なのだから、罪滅ぼしが済めばまたこんどは本名で堂々と世の中に打って出ればいい。

もともと彼は目立たないところで、少ない分け前でこつこつと努力を重ねた。

いつでも努力した者が報われる社会であって欲しいと切に祈る。

夢の世界を飛び出して、現(うつつ)の世界で十数年を暮らし、再び夢の世界へ旅立ったかぐや姫。

もしも月の世界に音が届くとするならば 、両方の世界で酸いも甘いも噛み分けた彼女に、虚実入り乱れた交響曲「HIROSHIMA」と「現代のベートーベン」騒動はどんな風に届くのだろう?


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女は嫁に行く [<九子の万華鏡>]

内向きと言われる昨今の日本人だが 中には勇猛果敢に世界に繰り出す人もいる。  

その代表格が『グッと!地球便 ~海の向こうの大切な人へ~』という番組で取り上げられる人々だろう。グッさんこと山口智充が、海外で一人住み、現地で修行しながら自分の夢を叶えようとする日本人たちに、それが地球のどこであろうと家族からの手紙やプレゼントを届けるという企画だ。

両親からの思いのこもったちょっとした一品に涙する若者たちを見るのはいいものだ。

そればかりではなく、日本から何万キロも離れた地球の上で、それぞれの情熱を傾けて立派に生きている日本人が居るという事実を教えてもらうと、日本人もまだまだ捨てたもんじゃないという気がして嬉しくなる。

この頃「こんなところに日本人!」という番組も現れて、こっちの方も結構人気があるらしい。
こちらはタイトルそのものズバリで、アフリカだとか、中南米だとか、アジアの山の中だとか、びっくりするような僻地に暮らす、多くは現地の人と結婚してその土地に住む日本人を紹介する番組だ。

どちらの番組を見ていても、女性のほうが圧倒的に数が多いのに驚く。
隣で見ているM氏が「やっぱり女性は強いよなあ。男はとっても敵いませんよ。」と諦めたようにのたまう。

昔の言葉で「戦後強くなったのは女と靴下」というのがある。
確かに戦前の絹の靴下は破れやすかったが、ナイロン製は丈夫である。
でも「女性」のほうは、本当にそうだろうか?

九子は思う。
女には、太古以前の昔から、「嫁に行く」というDNAが組み込まれているのではなかろうかと・・。
だから女性は、強くなったのではなくて「昔から強かった」のではないかと・・・。

よく娘を嫁がせる父親が「娘は嫁に行っちまうからつまらない。」と嘆くが、まったくその通り。

年頃になり、好きな人が出来れば、山を幾つも越え、時には大海を幾つも越えたところへさえも、愛する人への愛情ひとつを携(たずさ)えて鳥のように羽ばたいて行く。

もちろんお婿さんに来る男だってあるけれど、普通の場合男の子は、特に長男と生まれたからには、家を守り、名前を継ぎ、墓を守り、両親の面倒を見るために性懲りもなくその土地に居座り続ける。

いくら東京で有名大学を出て、憧れの職場に就職し、人も羨む生活をしていても、親が老いたと聞けば田舎に戻り、東京の職場とは似ても似つかぬ就職先に甘んじて、その後の一生を過ごす人々を何人も見てきた。

そういうのが嫌だからと、最初から地元の会社しか受けない若者も多い。

そういう男たちが多いのは、彼らが従順だからだろうか?
それとも、あまりにも長い間、両親や世間から「家を守る責任」を問われ続けて来たからだろうか?

よく「男は社会に出、女は家を守る」と言い慣らされてきたけれど、本当の意味で家を守るのは男の仕事で、女はどこへやら飛び去ってしまうのが常ではないだろうか?

とにかくそういう男たちがやすやすとその土地を離れるという可能性はまず無いと思う。

ところが女の子は違う。

親たちだって「娘は嫁に行っちまうもんさ。」と、最初から女の子がその土地に留まることを想定していない。

土地どころか、苗字さえ、変わるのが当たり前だと思っている。
「お前の名前はあんまり字画が良くないらしい。まあ、そのうち苗字が変われば良くなるかもしれないよ。」

娘たちにとって、羽ばたいた先が日本の隣の町だろうが、見ず知らずの外国の都市だろうが大した違いはない。どちらにしても縁もゆかりも無い知らない場所だ。

そして彼女たちは瞬くうちにあちらの社会に取り入って、友人を作る。居場所を作る。異文化に馴染んで、根を張っていく。

以前九子父の入院風景でも書いたけれど、この辺りはきっと男性には不得手な分野に違いない。会社という枠を離れると、とたんに貝のように自分の殻に閉じこもる男性たちが多いようだ。

どうしても女の子を手元に置いておきたければ、そうする手段が無いわけではない。

九子みたいに、なんにも出来ない娘に育て上げることだ。

娘に手出しさせずに、すべてを母親がやってやる。
娘は母親が居なければ何も出来ないから、怖くてとてもお嫁なんかにはいけない。

結婚する時女中を一緒につけてよこす・・などという話はもう過去の時代の遺物で、いくらなんでも母親が娘と一緒にお輿入れなど出来るはずが無い。

九子の父のように「うちの娘は嫁にやるように育てては居ません。」の一言で、すべての縁談を切り捨てて、ひたすらお婿さんが来てくれるのを待てばよい。

そう!そうして来てくれたのがM氏なのである。( ^-^)

よく考えてみると「縁談」という言葉自体がもう死語になりつつあるのかもしれないが・・。

 

これはある長いこと続く薬屋の話である。

薬屋を継ぐのに必要な学問を積んだ上の娘は、日頃よく言っていた。
「私が必ず薬屋を継ぐからね。いつか必ず戻ってくるからね。」
この言葉を聞くたびに、母親は安心しきっていたものだ。

下の娘は最初から、家を継ぐ気などさらさら無かった。
同じように学問を積んだ二人の娘だが、この時点でちゃんと棲み分けは出来ていた。たった一年前の話である。

ところが何やら様子が変わってきたのは去年の暮れ頃か・・。
上の娘に好きな人が出来た。どうやら彼女、彼氏にぞっこんらしい。
就職先までその人の居る県に決めてきた。

「あのさあ、うちに帰って来るって話、私が50歳の頃でもいいかなあ?」
(その時母親は80代になりますが、それまで店を一人でやりなさいって事?)
 
「名前継ぐのは私って選択肢もあるよね?」

(彼が名前変えるの嫌がってる? 女性じゃダメなのよ、残念ながら・・。)

 

そして、とどめは、「家継ぐのって、何も私じゃなくていいよね。登録販売士の資格取れば薬剤師じゃなくたって、家伝薬売るだけなら誰でも出来るわけだから、責任は兄妹5人で分けようよ。」


まるで「関白宣言」の浮気のくだりのような変わりようではないか!(^^;;

今日のタイトルはあくまで「女は嫁に行く」・・つまり、女というものは、嫁に行くものだ・・ということ。

決して「(うちの)娘が嫁に行く」って話ではありませんから、なるべくそうならないように努力しますから、誤解のありませんように。

まだまだこの先、紆余曲折があるでしょう。
大丈夫!そんなに簡単に嫁には出しませんから・・・。

・・・・っていつまで言っていられるかなあ。 (^^;;

 


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義兄のこと [<九子の万華鏡>]

ウツ明けは、思いっきり弾けた日記を書きたかった。皆様にたくさん笑って頂けるような・・・。

それがそういう訳には行かなくなってしまった。

7月のはじめ、M氏のお兄さんが亡くなった。M氏と10歳違いのたった一人だけの兄。肺がんだった。

折りしもM子が2ヶ月間の調剤実習で長野に帰省中。たまたま義兄の入院中の病院に配属されていて、名前で途中から気づいた彼女が「今日はおじちゃんの処方箋を調剤したよ。」なんて言っていた。
その頃はまだまだ義兄も元気で、酸素は吸っていたけれど普通に話が出来た。

大きな大きな義兄だった。
体格もM氏より一回りも大きく、毎日ゴルフに行ってもびくともしない体力の持ち主だった。

地元の国立大学の工学部を出て、N電子工業の創成期、従業員20人ぐらいの時に入社して、現在は600人の大企業に育て上げたのは義兄と現在の社長の力だと言われる。
社葬にしたいと申し入れがあったが、義姉が断固として断ったのだそうだ。

その義兄と義姉に、我が家の5人の子供たちは本当にお世話になった。

我が家の子供たちも5人兄妹だが、M氏自身も5人姉弟の末っ子だ。
姉が3人いるから、たった二人の男兄弟である兄とは、10才年が違っても小さい頃から仲良しだった。

今考えても本当に申し訳ないが、M氏は土曜日の午後になると、大好きな兄に会いに実家へ帰ってしまう。一人で帰るならまだしも、最後は5人に増えた子供たちを毎週連れて帰るのだ。

そして義兄とM氏は二人で近くにあるパチンコ屋へ行って、ずっと帰って来ない。
今でも「嫁の鑑(かがみ)」と称えられている義姉が、その間文句も言わず子供たちの面倒を見続けてくれていた。

義兄は大変手が器用で、子供たちに手巻き寿司だの手打ちうどんだのを作って食べさせてくれた。「おじちゃんのうどんやお寿司」でみんな大きくなった。

義兄夫婦に娘は居なかったので、N子、M子が立て続けて生まれた時は羨ましがられた。

九子は、今考えても強運だと思うが、N子が生まれて何ヶ月目かで風疹にかかった。これがあと数ヶ月早かったらN子は無事に生まれてこなかったかもしれない。

感染を恐れてN子は義兄のところに預かってもらう事になった。

娘が欲しかった義兄は大喜びでN子をお風呂に入れてくれ、次の日もそれを楽しみに会社から急いで帰ってきたら、何日もでは申し訳ないと母が連れて帰った後で、義兄はすごくがっかりしていたのだそうだ。

義兄もM氏も、人の良さでは甲乙付けがたい。
義兄は怒った顔など考えられないくらいいつもにこにこしていたが、ただ仕事の場では違っていたと言う。

瞬間湯沸かし器というあだ名がつくほど短気な怒りん坊だったそうだ。ちょっと想像がつかない。仕事となると厳しかったんだろう。

その点M氏はいつでもどこでも誰の前でも、おんなじようににこにこしてくれていて大変有難い。
彼の顔が曇るのは、身体の不調がある時だけだ。

こういうのを心配性と言うのか、すぐに最悪の病名を想定して医者にかかっては「なんともありませんよ。」とか、「気のせいじゃないですか?」と言われて、すごすごと帰ってくるのだ。(^^;;


義兄がまさかの危篤状況に陥ってしまった時、子供たちはみんな大慌てで病院にかけつけてくれた。お風呂に入れてもらった記憶などもう無いだろうが、一番遠い関西の町からN子も高速バスで帰って来た。

N子とM子は早速おじちゃんの病室に行き、意識の薄れかけた義兄の足を二人でさすった。

九子はその時「敵(かな)わないなあ。」と内心思っていた。

彼女たちはそれこそ物心つかない頃から、義兄と密な接触をしていた。
抱っこしてもらう、おんぶしてもらう、遊んでもらう。

彼女らの記憶の中にはおじちゃんの温かみが皮膚感覚として鮮やかに残っているはずだ。

翻(ひるがえ)って九子はどうかと言えば、義兄と会うのは年に数回。もともとが「犬の話」に書いたとおりの淡白な性質である。

その上、出来すぎ母になんでもやってもらって育ってしまったから、なかなか自分から手が出せない。

その時も九子は、義兄の指に挟まれた血中酸素計測器をどうしても動かせないで居た。家族でもない自分が勝手に動かしてしまって果たしていいものかどうか、躊躇していた。

動かしていいに決まっていた。忙しい義姉の手を煩わせる前に、九子が出来る事を何でもしてあげるべきだった。でも九子がしたことは、「お義兄さん、これ誰かに動かしてもらって下さいね。」と、かろうじて意識のありそうな義兄に伝えただけだった。


考えてみると一人っ子だった九子は高校、大学時代とずっと兄という存在に憧れを持っていた。
初デートの相手に「お兄ちゃん」と呼びかけて顰蹙(ひんしゅく)を買ったこともある。

考えてみたら九子が「兄」と呼べるのは、義兄だけだったのだ。
特に若い頃は、14歳も年の違う兄は、兄と言うよりオジサンのようで、兄貴という感覚にはほど遠く、申し訳ないが一度も学生時代のような憧れを持って見たことが無かった。


その頃は坐禅に出会う前でもあり、人がなんとなく怖かった。
優しい中にもどこか鋭い義兄の目もどこと無く怖い気がして、距離を感じてしまっていた。

坐禅と出会ってから人が怖いと思うことも、自分の居場所が無いと感じる事もぐっと減ったし、義兄の笑顔はそのまま笑顔として受け取れるようになったのだけれど、やっぱり「兄貴」と感じることはなかった。

義兄に危篤になられてみてはじめて、彼だけがこの世で九子が兄と呼べるたった一人の存在だったこと。九子はその兄に対して最後まで甘え切れなかったという事実を思い知らされた。

仕方が無い。一人っ子の九子は、子供たちが当たり前のように感じている兄弟姉妹という感覚すらも皆目わからないのだから・・。

目の前にいるN子とM子は違った。おおっぴらに涙を浮かべながらM氏に似て色白な義兄の足を必死でさすっている。
義兄の足は筋肉質で、これが死に行く人の足かと不思議に思うほどだ。

彼女たちにはおじちゃんとの長いつきあいがある。
おじちゃんに抱いてもらい、背負ってもらい、話しかけてもらい、食べさせてもらい、育ててもらった。

そういう密な時間を過ごしてきたからこそ、足をさすると言う動作が自然に出来た。

九子は自分の来し方を考える。
性格とは言いながら、あまりにも自分の手足を動かさない人生だった。

田舎の町で、男の子たちと野山を駆け回って育ったという出来すぎ母を羨ましく思う。
母ばかりではなく、小さい頃泥んこになって遊んだ経験を持つ人々に憧れる。

野山には美しい花が咲き、蝶や鳥がいる。青い空と白い雲と緑の大地がある。
毒のある植物もある。おぞましく嫌らしい虫もいる。たわわに実った木の実をついばむ鳥もいる。そして、雨の日もある、雪の日もある。

そういうものをしっかりと自分の目で見て心で受け止め、美しいと感じ、面白いと感じ、疎ましいと感じ、またすぐ次の光り輝くものに興味が移っていく自分になってみたかった。

この手でつかみ、この手で取り、この掌に乗せ、この目で観察し、この手で触れ、実際に感触を確かめてみたかった。

日が暮れるのも忘れて遊びに熱中した・・などという体験を一度でいいからしてみたかった。

母が見ているから手を伸ばし、先生に言われるから触ってみて、宿題に出されたから絵を描く・・ということでは無しに、自分の興味の赴くままにやってみたかった。

そして何より、「自分」なんてものに気が付く前に・・・。

もしそれが出来ていたら、自分の対する相手との距離感をつかみ間違うことは無かったように思う。

たぶんいつも、遠すぎるのだ。そしてたまあに、近づきすぎる。

もちろん今の自分の性格を否定するわけではない。
だけれども、もしもこれから子供を育てる世代の方が読んで下さっていたとしたら、どうか子供の興味や、やりたい気持ちや欲求を摘んでしまわないようにして欲しい。

最初からあれはダメ、これはダメ、こうしなさい、ああしなさいと指示をして、指示待ち人間を作らないで欲しい。

なるべく親は手を出さず、子供にやらせるようにして欲しい。

きっとその方が、子供は社会に順応し易い。人生を楽に送れる。

親は自分に無いものを子供に求めたがる。
九子の場合は有難い事に、少なくとも娘たちの性格は九子に似ていない。
それでいい。それでよかった。

だが、出来すぎ母の場合は、もっと自分に良く似た娘に九子を育てて欲しかった。彼女の世の中の面白がり方を、もっと九子に伝えて欲しかった。

もちろん母の罪ではない。楽に流れてそれをわかろうとしなかった九子のせいだ。

死に行く人の枕辺でこんなことを考えてるなんて、やっぱり九子はどうかしている。

 

義兄の葬式は盛大だった。会社の中堅どころの男性社員が何人も人目も憚(はばか)らず泣いているのも見たし、娘のように若い女性社員もほとんど、目を真っ赤に泣きはらしていた。

近所で仲人をしてもらった人たちも、単なる仲人ではなくて「親分子分」の間柄というのになるのだそうで、それはもう親子と同じ付き合いなのだそうだ。

だから「おとうさん」の死を子供のように悼んでいた。

義兄と言う人はこうやって心の底から皆を愛した。皆に尽くした。
だからこそ、こうして皆に惜しまれる。


せめてあと10年・・と考えない訳ではないけれど、義兄の充実した人生の濃さを思う。

 

 

 

 


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「言の葉」について [<九子の万華鏡>]

九子のうちの庭には「タラヨウ」という木がある。ちょっと珍しい名前の木で、植物にもてんで興味の無い九子がその名前を覚えているのが不思議な感じがするのだけれど (^^;;、 その木の名前を教えてくれたのは九子のおじいちゃん、16代の十兵衛さんだった。


16代はとても手が器用だった。達筆だったので、毛筆でさらさらと美しい文字も書けたし、いろいろな物を上手に手作りしていた。

着物の裾をひょいと端折(はしょ)っては、庭の生垣やら、朽ちかけた井戸のふたなんかを新しくコンクリートで作ったりしていたおじいちゃんの姿が幼心にも目に焼きついている。

「九子や、この木はねえ、タラヨウと言ってな、昔はこの葉っぱの裏に字を書いて、手紙の代わりに使っていたんだよ。」

今では我が家の庭の主みたいになっているその木は、きたさんがうちに働きに来た頃はまだまだちっぽけな細い、若い木だったそうだ。

たぶん雪が融ける3月頃に芽が出て、5月になると黄緑色の花が咲き、庭一面に黄色い粉雪が降ったみたいに小さな花が散りこぼれ、そのあとに、花の生まれ代わりみたいな緑色の小さな実がびっしりとつく。

その実が夏までかかって大きくなり、秋になると固く密に連なった朱色の房になって、枝が折れそうなくらいに重たくなる。それが冬になるとますます赤くなり、九子は高価な万年青(おもと)を買う代わりに、お正月飾りに使ったりしていた。(^^;;

それがここんとこ異変が続いた。秋になっても里山に食べるものが見当たらなくなったせいか、鳩が大量にやってきては、それこそ実を根こそぎ食べてしまう。

赤い実をたらふく食べた鳩は、おびただしい量の赤いふんをする。容赦なく根こそぎ食べられたタラヨウは、次の年は実を結ぶことは無い。その次の年になって ようやくまた実を付け始める。

こんな食べ方してバカだなあ、鳩は。少しずつでも残しておけば次の年にも実がなるかもしれないのにと思うのは人間さまの勝手。鳥はもっぱら柿の木のてっぺんに人間さまがわざわざ残してやった柿の実までも、ただただ食い尽くすだけ......。


タラヨウの葉っぱは、表側は濃い緑色で光沢のある、ツバキやヒイラギの葉っぱみたいな感じ。裏側は黄緑色で、表側に比べて肉厚で、組織が柔らかく、なるほど、ここに固いもので文字を書くと、えぐられた部分が変色して、いつまでも文字として残る。
大きさも、長さは指先から掌いっぱいほど、幅は人差し指から小指までほどあるから、ちょっとした手紙文を書くには、まことにうってつけである。

「言の葉」という言葉が使われている二つの曲がある。柴崎こうの「月のしずく」と平原綾香 の「シチリアーナ」だ。
              

「月のしずく」  柴崎幸

作詞:Satomi
作曲:松本良喜


言(こと)ノ葉(は)は 月(つき)のしずくの恋(しら)文(べ)
哀(かな)しみは 泡沫(うたかた)の夢幻(むげん)
匂(にじ)艶(いろ)は 愛(あい)をささやく吐(と)息(いき)
戦(いくさ) 災(わざわ)う声(こえ)は 蝉(せみ)時(し)雨(ぐれ)の風(かぜ)
時間(じかん)の果(は)てで 冷(さ)めゆく愛(あい)の温(ぬ)度(くもり)
過(す)ぎし儚(はかな)き 思(おも)い出(で)を照(て)らしてゆく
「逢(あ)いたい…」と思(おも)う気(き)持(も)ちは
そっと 今(いま)、願(ねが)いになる
哀(かな)しみを月(つき)のしずくが 今日(きょう)もまた濡(ぬ)らしてゆく
下(か)弦(げん)の(つき)月(つき)が 浮(う)かぶ
鏡(かがみ)のような水(み)面(なも)
世(よ)に咲(さ)き誇(ほこ)った 萬(まん)葉(よう)の花(はな)は移(うつ)りにけりな
哀(かな)しみで人(ひと)の心(こころ)を 染(そ)めゆく
「恋(こ)しい…」と詠(よ)む言(こと)ノ葉(は)は
そっと 今(いま)、天(あま)つ彼(か)方(なた)
哀(かな)しみを月(つき)のしずくが 今日(きょう)もまた濡(ぬ)らしてゆく
「逢(あ)いたい…」と思(おも)う気(き)持(も)ちは
そっと 今(いま)、願(ねが)いになる
哀(かな)しみを月(つき)のしずくが 今日(きょう)もまた濡(ぬ)らしてゆく
下(か)弦(げん)の月(つき)が 謡(うた)う
永(えい)遠(えん)に続(つづ)く愛(あい)を…

 「シチリアーナ」     平原綾香
作詞:平原綾香
作曲:O. Respighi

静かな今日の終わり
最後に触れたぬくもり
自分だけが変わりゆく
いつもと同じ月夜

震えた裸の空恋しき色染めてゆけ
月の欠片降るとき
まるい世界が終わる

誰がための自分ですか
風は何も答えない
枯れ果てた言の葉が
ただ彷徨うだけ

舞い上がれ 舞い散れ
遠い場所へ飛べるなら
ぬぐい去れ 遥かへ
忘れられないあの頃へ
歌い舞い踊れ
未来などいらない
ただあなたがほしかった


この世界の続きは
たったひとつですれ違う
争う事をやめない
ものではないはず

私の髪を乱す
すべてに触れた風よ
もう二度と会えないのに
願うのはなぜ

舞い上がれ 舞い散れ
遠い場所へ飛べるなら
ぬぐい去れ 遥かへ
忘れられないあの頃へ
歌い舞い踊れ
未来などいらない
ただあなたがほしい

未来などいらない
ただあなたがほしかった

舞い上がれ 舞い散れ
この風は決して消えない

 

二つの曲ではもう一つ、「月」も共通している。

タイトルでもある「月のしずく」は、哀しみを癒してくれるしっとりとした薬液のようなもの・・として歌われる。こういう歌われ方が割りに一般的な「月のしずく」のイメージかもしれない。

一方平原綾香は、「月の欠片(かけら)降るとき まるい世界が終わる」と歌う。凄い!と九子は思う。たぶん九子なら、月の欠片の降り方だとか、色だとか、降ってくる月の欠片にしか思いが及ばない。ところが平原綾香は、月の欠片が降ったなら、まるい世界が終わってしまうと、視野がまるで大局的なのだ。

「言の葉」の定義とはいささか異なるのかもしれないけれど、九子は「言の葉」とは、書きつけられた言葉であると思う。あまたの言葉の中から、その人が選んで書き留めた特別な言葉であると思う。

「月のしずく」を作詞したsatomiさんと言う人は おしゃれな遊び心のある女性だと思う。
恋文を「しらべ」と、匂艶を「にじいろ」と読ませるあたり、タダ者ではない才能の持ち主だと思う。

ただ言の葉と言う言葉の使い方においては、やはり平原綾香に軍配を上げたい。彼女の詞の中でのみ、言の葉は木の葉と同じく、舞い散り、枯れ果てるものだからである。
言葉を言の葉にする、つまり特別の意味を持つものとして何かに書き留めてどこかにしまっておくならば、言葉は流れていかずにそこに留まる。ただし、或る一定時間のあいだには、留まりきれずに「朽ちていく」。

その言葉を誰かに言われた、あるいは自分が言い放った時の激情は、とりあえずそこに留まる。

でも長い時間が経つうちに、書かれた言葉の持つ意味そのものは変らなくても、こちらの心情の方がだんだんに変遷していく。

その言葉を始めて聞いた時から今までの、自分の心の移り変わり。   。
まるで鮮やかなタラヨウの葉が、だんだんに黄ばみ枯れ果てて行くように・・・。

この「朽ちていく」感じは文字通りの葉っぱの手紙ならば一番わかると思うけれど、紙に書いた手紙であっても長い年月が経つうちには同じことだろう。平原綾香の「シチリアーナ」では、このあたりの表現が巧みだと思う。

 

 

ことさら「言の葉」の形を求めずとも、言葉の力は激烈だ。

誰かの口から出た激情剥き(むき)出しの言葉は、漂(ただよ)って別の誰かの胸に突き刺さる。言葉は、その、別の誰か以外の人の記憶からはたちどころに消えてしまって、「朽ちる」どころか留まることさえない。

たった一人の胸の中で、言葉はいつまでも赤い血潮をたぎらせながら何十年も疼き続ける。その人の心の中で、別の意味でその言葉は「朽ちる」ことはない。九子にも実は覚えがある。

心に突き刺さる言葉が、言葉を発した人の意図したものである場合は割合に少ないのかもしれない。

何気なく言ったつもりが、たまたま相手の事情や心情、怒りやコンプレックスなどを逆なでしてしまったとか、何かに捉われていて相手の気持ちまで配慮する余裕が無かったとか・・。

だから、その言葉を言った人と言われて傷ついた人の受け取り方は天と地ほどにも違う。言った本人は言った事すら覚えていないが、受け取った方は松の廊下みたいに(古!(^^;;)一生忘れない。

いっそのこと、忘れようったって忘れられない問題の言葉を「言の葉」にして、タラヨウの葉っぱの裏にでも刻んでみようか。何度も見てると慣れて平気になるかもしれないし、案外それ自体はどうってことない言葉だってことがわかるかもしれない。ショック療法って意味もあるし・・。(^^;;

ところがこの頃九子はようやく気がついた。タラヨウの葉っぱは割合に足が早い。枝から離れて三日四日で、すぐに葉っぱが茶色くなってしまうのだ。

茶色くなって消えたら書き、消えたら書きしているたびに、慣れるどころか怒りはさらに増幅し、とんでもないことになりそうな気配だ!(^^;;


それより何より、自分が投げた言葉のナイフで傷つけてしまった大切なあの人の心をどうしよう。
出来る限りの手段は尽くしてもうまくいかなかった時には、ただただ祈って、待っているしかないのだろうか。
あの人が自分から、閉ざしていた心の扉を開けてくれる時が来るまで・・・。

 

 

 

 


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