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卒業ということ [<学校の話、子供たちの話>]

3月18日。最後の娘の最後の卒業式のため、M氏と二人で上京した。
M氏が卒業式に来るのはN子の時以来。

男の子の時は「お前、行って来い!」の一言だったのに、娘となったら「オレが行かなきゃなっ!」ってのはどうなってるの?(^^;;

華やかな袴姿は予想通りでも、N子の時にあった有名ホテルでの謝恩会などは一切無く、学食で保護者を交えた立食パーティーという地味さ加減は今時なのか?

九子の時は40年近く前だけどちゃんと謝恩会あったよ。燃える前のホテルニュージャパンで。

先生によると「学生さんからお金を出して頂く謝恩会ではなくて、大学側からのささやかな気持ちということです。」との答え。
学生さんは神様ってことなのかしらねえ。

もうこれでしばらく来ることもないと思えばつい買いたくなる母校の名前を冠したクッキーやお饅頭。
世話になった人に配る前に、デジカメに納めて気分はすっかり食べたつもり。
たしかにこんなの昔は無かった!

ああ、やっとこれで学費と言うものを出す心配はなくなった!
まあ学校を出たからと言って、心配の種が減る訳じゃなく、いつまで経っても親と言うものは安心する暇が無いことは、上の子たちで身にしみているんだけど。(^^;;

それにしても振袖に袴という卒業式の定番衣装は、いつ見ても華やかで楽しい。
この日本国ならではの伝統の衣装を、もっと気楽に、普段の日に大学構内なんかで見かけるように出来ないものか?
着物文化が廃れかけてる今日、身体を締め付けないでゆっくり一人でも着られて、洗える形状記憶の袴でも作れば、それをAKBにでも揃って着せて歌わせれば、スカート感覚で袴が蘇るのじゃないかしら?


と、話はAKBに移る。(^^;;
AKBにそんなに興味は無いけれど、秋元康と言う人は凄いと思う。

うたまっぷで改めて全曲を見てみたら、500曲以上の全ての歌詞を秋元康が担当している。
AKBの歌は、ある時期これでもかとばかり量産されていた。季節ごとに一曲みたいな年も確かあったはず。

改めて読んでみると、カチューシャだのフォーチュンクッキーだの、確かに10代の女の子の日常には身近かもしれないけれど、今までの常識から言ったらおよそ歌詞にならないような言葉から広がっていく世界の広さに驚くばかりだ。

それにタイトルのつけ方も自由自在ですごいインパクト。
「アボガドじゃねーし」、「キスして損しちゃった!」、「小池」「花と散れ!」などなど。
それらのひとつひとつに印象的な物語があって、読んでいるとついつい引き込まれる。

秋元康と言う人は、もしかしたらひとつの言葉が頭に閃いたら、それを元にお話を考えるタイプの作詞家なのかもしれない。

秋元康はAKBのメンバーに尊敬を込めて「先生」と呼ばれているらしいけれど、確かに彼の詞には10代の女の子がなるほど!と思うメッセージが、彼女たちの言葉で書かれていて興味深い。
年端のいかない娘たちは、年上のおじさんからの人生の警句を、身近な言葉で書かれたかけがえの無いものとして有り難く受け止めるのだろう。
彼の歌詞には、九子と5つ6つしか違わない50代のおじさんが書いたもの・・・とは到底思えない最新の流行語が盛りだくさんで、だから娘たちに受け入れられるのだと思う。

その上、あの年でどうしてこんなに若い女の子の気持ちがわかっちゃうんだろう?と思える歌詞の展開。
特にAKBのメンバーが皆「会いに行けるアイドル」として結成されているので、つまりちょっと可愛い普通の女の子という前提で、普通の女の子として当たり前に持っているコンプレックスなんかを前面に出して詞を作っている。

上にある「アボガドじゃねーし」っていう歌は、イチゴやバナナやりんご、可愛らしい果物の中に混ざってるアボカドは、なんだか可愛い子たちに囲まれた私みたい・・という歌詞だ。
これは今までのスター歌手ではなかなか出来ない設定かもしれない。
彼は絶対にストーリーテラー( a storyteller)だ。それを短く縮めると歌詞になるのだろう。


そんな凄い才能の秋元康が、世の中を変えたのではないか?と思うことが二つある。

もちろん一つ目はAKBの総選挙のことだけれど、それ以前は総選挙と言えば、もちろん衆議院解散後の総選挙だけを指していた。
ところが今では「総選挙」と検索すると、AKBの選抜総選挙の方が上に出てくる。

ファン投票で中心メンバーを決め、ファン投票は一人一票のはずが、投票券付きCDを買うことで一人何回でも投票できるというのは、言ってしまえば「あざとい」とも思うけれど、そもそもこのシステムを「総選挙」と称したことは一番のあっぱれかもしれない

首相を国民投票という形で選ぶことの出来ないこの国では、唯一と言っても良い直接の民意が一番近い形で反映される選挙なのかもしれない。
お祭り騒ぎと言えばそれまでだけれど、会いにい行けるアイドルの運命をこの1票が握っていると思い、中には何百万円の大枚をはたいてCDを買って投票する人達の気持ちが、ファンであるならばわからないでもない。

そしてもう一つ。それが「卒業」だ。
もしかしたら秋元康の前にも「卒業」はあったのかもしれないけれど、当時芸能界から去る人はみんな「引退する」と言われた。
言葉どおりいったん芸能界を去った人は、二度と芸能界に戻ってこないことが多かった。

AKBを去る人は、「卒業する」と言われ、卒業のセレモニーがあって、卒業後は、新たな形で芸能界に羽ばたいていく。
確かに「卒業」とは言い得て妙だと思う。

ひとつの段階を卒業して更に高みを目指していく。
この人生の「卒業」と言う概念を、人と人との別れの際にもっと積極的に使うようにしたらどうだろう?

たとえば、恋人との別れ。
九子はそんなに経験無いけど(^^;;、その辛さはわかるような気がする。

今まで共通の時間を過ごしていた相手が去っていく。去っていく相手は、基本的には追ってはいけないと思う。
今まで同じ時を刻んでいた二人の時間にずれが生じたのだ。もう二度と、重なり合うことはない。
こういう時こそ「卒業」と言う言葉を使うべきではないか。

「彼と別れた。」と言うよりも、「私は彼から卒業した。」と言ったほうが、自分の成長を伝えられる。自分を誇らしく思える。
あなたは彼にさまざまなものをもらった。夢も、希望も、優しい言葉も・・・・。
それらの全ては、あなたの心の真ん中にあって、今もあなたを温め続けてくれる。

それがあれば、それがあるからこそ、あなたはこれからも強く生きていける。
そう思えたら、あなたは彼に感謝しこそすれ、決して憎むことは無い。


辛い思い出だって時の流れの中で小さな記憶のひとかけらになってくれるものなら、まだ痛みがあるうちに「卒業」と思い込んだほうが、開き直った方が、辛い時間が少なくて済む。
「もう卒業だね。」と言って、きれいさっぱりと別れよう。

そう。あなたは彼から卒業したのだ。
彼もそう思ってくれるならばもっと嬉しい。

ところが実際はこんな風にうまく行かない。
きっと自分の卒業と相手の卒業が、「何月何日が卒業式」というような具合にピッタリ合わないからだと思う。
自分はもう卒業式だと思っているのに、相手は極端な場合には、これが入学式だと思っていたりする。

もしかしたら憎み合って別れる二人は、卒業式の日程がお互いかみ合っていないのかもしれない。
別れても友達付きあい出来ている二人は、上手に並んで蛍の光を聴けたのかもしれない。
離婚でもめてる有名人カップルなんかもうまく行かなかったクチ。
ストーカーになる不届き者は、卒業留年組だろう。

卒業は独り立ちであり、巣立ちだ。
誰にも頼らず一人で歩いていくことだ。

いつも親がかり、家族頼みばっかりだった九子が偉そうな事言っても全然説得力ないけれど(^^;;、あなたも大事な誰かさんと辛い別れをする時は、しゃんと背筋を伸ばして前を向き、一人っきりの卒業式をしてみるのもいいかもしれません。
( ^-^)


善光寺ご開帳のため4月5月は更新が滞りがちになるかもしれません。ご理解下さい。


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お弁当事件 [<学校の話、子供たちの話>]

  ★え~、ただいま九子、体調不良中!

 と申しましても、持病のウツではありませんのでご心配なく!

ちょっと風邪っぽい症状が長く抜けず、例によって怠け放題お昼寝しておりますので、やらなければならないこと・・と言っても大したことではありませんが、それがまあ積み重なっておりまして・・。

普通の人ならばこんな症状風邪とも思わず、朝飯前の小仕事で終わってしまうはずが、なんとも効率の悪い九子には遅々として進まないと言うわけであります。

そこで今回は、昔の日記を蘇らせてみました。

「ダメ母の証(あかし)日記」というタイトルと現実の日記がぜんぜん合わないわねえと思っていらっしゃる方も多いはずですので、まあ10年前は タイトル通りの日記であったというのをご確認くださいませ。

次回はまた新しいのを書けるでしょう。 たぶん! ( ^-^) 

おっちょこちょいの九子が、子供達のお弁当を作った時の失敗談など数知れず。お箸を入れ忘れる位は日常茶飯事。でもまあこの辺りは他の達人お母様方でもたまにはある失敗のよう。 

今まであった中で、これはちょっと誰もやってないんじゃないかと自信があるのが、次男Sと三男Yを捲き込んだ二段重ねお弁当箱事件。 

当時高三と高一だったSとYはそろって二段重ねの、それもぴったり同じサイズの弁当箱を持っていた。

今考えると、それが悲劇のはじまりであった。(^^;; 

その上、おしゃれなSは、ご飯は少な目、伸び盛りのYは、ご飯大好きと言う訳で、Sの二段重ねの浅い方にはいつもご飯が、Yの二段重ねの浅い方にはいつもおかずが入っていた訳だ。 

ここまで話せば勘の良い方は「はは~ん!」と思われると思う。 


その日九子は、だんだん形の変わってきたプラスティック製の弁当箱を上手に重ねる事だけで頭がいっぱいだった。この日に限って、脇目もふらずに弁当箱をただただ重ねていたのだ。 



お昼頃、毎月4万円近いバスの定期代をかけて中条村の中条高校まで通っていたYから電話があった。 

「だめよ。忘れ物なんて言っても、お店あるんだから届けてなんかあげないよ。」

何回か忘れ物を届けさせられた経験の有る九子は、剣もほろろにこう言いかけた。 


「そうじゃないよ!なんだよ、この弁当!上の段も下の段も両方メシばっかりだよ。」 


ふと、九子の頭をよぎる、朝の風景。

そう言えば、中身良く見てなかったなあ。 


そして次男Sに渡ったもうひとつの弁当箱の中身は、さしずめ・・。

上もおかず、下もおかず・・。(^^;; 

九子の中で、なぜか安堵の気持ちが湧きあがった。

上も下もご飯の弁当が、おしゃれなSのとこへ行ってたら今頃・・・。 

Yがご飯の方を持ってってくれたのはまあ、不幸中の幸い。(^^;; 


案の定不機嫌に家に帰り付いたSだが、「Yの方メシばっかりだったんだろう。俺んとこへそんなの来てたらぶっとばす!」という仮定形おどし文句の一言ですんだ。ほっ! 


当時高校生で何を話していいか気を遣いながらこわごわ話していた次男Sも、大学生になって家を離れた途端、普通に母親と話をするようになった。 


それにしてもあの一件はやはり「事件」というにふさわしい一件で、以降さすがの九子もよくよく学習し、その手の失敗は皆無である。( ^-^) 

つい最近になって、あの事件ほどではないが、破滅的な結果を招く可能性のあった事件が持ちあがった。 

今回の被害者は、M子であった。

今回も二段重ねの弁当箱で起こった。 

考えてみると九子が二段重ねばかり買うのは、おかずが少なくても見栄えがするからである。(^^;; 

今回はどうしたか。

おかずは、おかず入れに、ご飯はご飯入れにちゃんと詰めたし、お箸も入れた。 

では、何を忘れたか? 

二段を束ねるゴムをかけ忘れ、なおかつお弁当袋に入れ忘れたのである。 

なぜか知らんが、いつもたいしたお弁当作ってる訳ではないのに、出来あがりが娘の出かけるぎりぎりになってしまう。 
特にその日は「もう今日は完全に遅刻する~。」と娘はカリカリしていた。 

慌てた九子は重ねたままの、というか重ねただけの弁当をいつもお弁当袋ごと入れる手下げバックに入れて「ほらほら、お弁当出来たから、早くしなさいよ。」と娘を急き立てた。 

急いでた娘は、手下げバックのふたの上から箸箱があることだけを確認して慌てて家を飛び出した。 


それに気が付いたのは、少し遅く出ていくN子のためにゆっくりと弁当箱を重ねた直後だった。 

あれっ?ゴムと袋が二組もある!もしかして! 

そうですよ。そのもしかして!でしたよ。(^^;; 

九子の頭の中で最悪の光景が展開する。

急ぐM子の自転車かごの中で、跳ねあがり、揺れ動き、飛び散る弁当の中身。 

そして激怒するM子の顔。

ぞ~~っ。(^^;; 
M子の怒涛の第一声を想像して一日中生きた心地がしなかったのだが・・・。 

なんと!幸運は再び三度九子に味方し・・。

弁当は手下げ袋の中で微塵も動かず、M子は普段どおりの弁当を食べる事が出来たのである! 

今考えてみると中身がこぼれなかったのも不思議だが、毎日規則的に二段重ねの弁当にゴムをかけ、袋に入れるという半ば習慣化された一連の動作が、なぜその日に限ってなされなかったか。そして、その動作がなされない事に対して、なぜ疑問が生じなかったのか・・が腑に落ちないところである。 

まあそんなに難しく考える事も無い。

九子さんがやることだから、そんなもんでしょう。(^^;; 

と、いつも受けとめてくれているM氏と家族ののおかげで、九子は幸せに生きております。( ^-^) 


 


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孫の心配 [<学校の話、子供たちの話>]

タイトルを見て「九子さん、お孫さんいたんだあ!」と驚かれた方、そして続けて、「きっとお孫さんが病弱なのね・・」と想像された方。あなたの想像力は評価いたしますが・・・・・、

ブッ・ブー、残念ながら不正解!(^^;;

もしかしたら九子さん、孫がなかなか出来ないのを気に病んでいるのかも・・。
それもこの際、不正解!

正解は・・・、最後まで読んでみてね。( ^-^)


笠原十兵衛薬局は、母が取り仕切ってる頃、いろんな人が出入りしていた。
それも、薬の相談を超えて、母と世間話や人生相談などをしに来る人が・・・。

慎ましやかに置かれた二つの椅子には、多くの人々が手荷物のほかに、大小の心の荷物も置いていった気がする。

母が俳句と言う形ではなく、小説やエッセイにして心の中の有象無象(うぞうむぞう)を吐き出す人であったなら、母と薬局に来る患者さんの会話は、きっと面白い物語になったに違いない。

医者と小説家の二足のわらじを履く人々が、日常に転がっている命の物語をつむぎ続けるだけで、割合簡単に小説が出来るように・・。


ところが九子が18代店主になって以来、笠原十兵衛薬局の椅子はほとんど使われることがない。

もちろんほとんどのお客様が、雲切目薬だけを目当てに来て下さって、用事が終わるとすぐに引き上げて行かれるからであるが、まあこの九子に、何か相談しようなどという気になるかと言われたら、そりゃあ金輪際(こんりんざい)そんな気は起きないだろう・・ということは、本人が一番よくわかっている。(^^;;


ところが極々たまあに、椅子の主になってくれる人が見つかることがある。

今日の笠原十兵衛薬局のお客様は、珍しく子供だった。
それもおしゃれな小公女。

彼女はHNちゃんと言う。
義姉のところのお孫さんだ。
もちろん義姉に連れられてきた。

HNちゃんは生まれた時から嫁の鑑(かがみ)と呼ばれる義姉を見て育った。
何でも義姉の真似をしたがり、お客様がみえると義姉と一緒に手を付いてお迎えした。

そんなHNちゃんは、いつもは100%義姉と行動を共にするのだ。
ところが今日は様子が違った。

義姉に「今日はHNちゃん、おばちゃんとこで待っててね。」と言われ、
「うん。わかった!」と素直にうなずくHNちゃん。

本来九子は、HNちゃんのお父さんの叔母である。それを一世代下のHNちゃんにも義姉は「おばちゃん」と呼びかけてくれた。それは、まずちょっと嬉しい。
( ^-^)

い、いや、待てよ!そんな単純なとこで喜んでる暇はない!
義姉は一人HNちゃんを残して、急ぎの買い物とやらに出かけてしまった。

えっ?義姉が帰って来るまで、九子はHNちゃんと二人っきり???

HNちゃんは薬局の椅子の上に、もうちょこんと座っている。

HNちゃんは髪の毛を編み込みにして、空色のリボンで左右を結んでいる。
それがすごく可愛いらしい。美容院でやってもらったと嬉しそうだ。
リボンの空色がなんとも高貴で、だから小公女・・と九子は思った。


う~ん、沈黙が怖い九子。相手が子供であっても、その原則は同じである。

自分からぺらぺら話してくれる子供ならばまあ楽なのだけれど、HNちゃんはいかにも育ちのよい、おとなしいタイプの女の子だ。

ここはなんとか間が持つように、会話を続けて行かなければならない。

ところが九子は、小学校低学年の女の子と共通の話題などほとんど持ち合わせていないのだ。

そこで九子は必死に考える。

「HNちゃんは、いつも何して遊ぶの?弟のHT君とけんかしたりはしないの?」

「う~ん。ゲームのことでけんかすることはあるよ。」

「へえ、どんなゲーム?」

「○○や、××や、△△」

九子はゲームの名前など、「スーパーマリオ」ひとつしか知らない。
だから無理やり、「スーパーマリオはどう?」と水を向けてみるが、
「スーパーマリオのどれ?」と返されちゃあ、あとが続かない。(^^;;

う~ん、もっと何か言わなくちゃ!

するとHNちゃんが助け舟を出してくれた。

「このスカートねえ、さっきおばあちゃんにデパートで買ってもらったの。これスカートに見えるけど、本当はズボンなんだよ。」

「あら、本当だ!フリルがついて可愛いけど、ズボンなんだねえ。おばあちゃん、いいの買ってくれるねえ。」

う~ん、また会話が途切れてしまった。

そうだ!
「そういえば、HNちゃん何年生になるんだっけ?」
「二年生だよ。」

「何の授業が好きなの?」
「体育!」
「そっか~。陸上やってたパパに似て、体動かすのが好きなんだ。」
 うん?その後に続く言葉は・・?(^^;;

ここで九子に、天啓のようにある事がひらめいた。
HNちゃんの通う小学校は、以前ケンミンショーでも取り上げられた「漢字の組名を持つ小学校」だったのだ。

「HNちゃんの学校さあ、組の名前が面白いんだよね。HNちゃんは何組?」

「私は「せいぐみ。」」
「えっ、せいってどういう字?」
「せいって、正しいって言う字。となりのクラスはめい組。あとはびん組とわ組。」

「めい組はどんな字?びん組は?わ組は?」

めい組は、明るいって言う字。わは平和のわ。びんは難しい字。毎日の毎って言う字が左側にあって、え~っと右側は・・・・。」

「ああ、わかった、わかった!HNちゃん、文字の説明上手だねえ。」

その他の学年のも聞いた。三年生は「仁 義 礼 修」だそうだ。
親戚のおじちゃんと同じ字があるので、覚え易いらしかった。

一年生のが難しすぎて可哀想とHNちゃんが言っていた。
あとでネットで調べてみたら「勤 節 操 道」だった。
確かに小学校2年生が説明するにも難儀する字が並んでいる。

「真 善 美 徳」あたりだと誰にも思いつくけれど、「恭 倹 敬 省 直」あたりになると、文字の意味すら怪しいこともある。

百年もの歴史を誇る小学校だから、子供がお父さんやおじいちゃんと同じ組などという事もしばしば起るそうだ。いいなあ、そういうのって!( ^-^)

漢字の話題もそろそろ尽きて、さてどうしようと思ったところで、HNちゃんがまた気づいてくれた。

「この靴もねえ、おばあちゃんに買ってもらったんだよ。」

靴と言うより、つま先まで隠れるかかとに引っ掛けるタイプのサンダルだ。
水色のサンダルに、ミニーちゃんのピンクのリボンがついている。

「おばあちゃん、お金持だから何でも買ってもらえていいねえ。」

オット!これは言うべきじゃなかった。
HNちゃんちがお金持ちなのは、HNちゃん家にいたビンボー神が、うちにオムコさんに来たからなんだよ・・ってのは、もっとどうでもいいことだった。(^^;;(^^;;


「この靴と同じ靴、○○ちゃんも、××ちゃんも持ってるんだよ。」

「ああ、そうなんだ!ミニーちゃんって人気あるんだね。」
と言いながら、九子の中の天邪鬼(アマノジャク)がむくむくと頭を持ち上げかける。

「だけどさあ、HNちゃん。お友達と同じのを持ってるって、そんなにいいことなのかなあ?」

ご安心召され!最後の一言は小2の女の子相手に言っても、こんな!目されるだけ・・って事ぐらい、九子だってわかる。
そのくらいの空気は読める。(^^;;
だからもちろん、喉元まで出かかったけど、我慢した。


「あっ、おばあちゃんだ!!」
めざとくHNちゃんが、帰ってきた義姉の姿を見とがめて喜ぶ。

「あっ、本当だ!HNちゃん、良かったね!!」
義姉の姿に、HNちゃんよりももっと喜んだのは九子の方だったかもしれない。
(^^;;

何しろ聞き分けのいいおとなしい女の子と一緒のたった20分が、こんなに疲れるものとは知らなかった。

九子を知る人が、一様におまじないのようにつぶやく言葉がある。

「一人で五人、二人で十人、三人で十五人」


この言葉を聴くたびに、地獄の呪文を聞かされるような気がして、九子は背筋がぞっとする。

そう。5人の子持ちの九子の、生まれるべき孫の人数である。
もちろんすべてが結婚するとは限らないし、子供が出来るとも限らない。

だけど・・・。

九子の孫の心配とは、子供を五人も生みながら、出来すぎ母にすべてを任せてすごしてしまった九子に、果たして孫の世話が出来るのかしら???という心配でした。(^^;;(^^;;

 

 


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学ぶ楽しみ [<学校の話、子供たちの話>]

少し前にやっていた「たけしの新教育白書」というテレビ番組をご覧になった方おいでだと思う。
たけしとミヤネ屋の宮根さんが司会役で、ノーベル賞の鈴木章博士と池上彰氏他が出演した。

衝撃だったのは番組内で紹介された「宮本式算数教室」の凄さだった。なんと!塾生の中から開成高校や麻布高校へ8割が合格しているのだという。
と言うからには当然中学生向けの塾と思いきや、「算数」と言う言葉通り小学校3年生から6年生を対象にした塾だった。

驚いたのは塾生の募集方法で、あらまっ、先着順!
40名ほどのクラスは、募集時間開始直後の二十秒程の電話で満杯になる。
つまり、決して最初から出来る子供を集めている訳ではなく、普通の子が入ってその子達が伸びていくというのがまず驚き!

40代とおぼしき、ぼさぼさ頭の宮本哲也先生が隣にある仕事部屋からのこのこ教室に現れる。
(リンク先の先生の言葉、興味深いので是非お読み下さい。)
彼が授業中どんな事を言うのか、そして今まで隣部屋で何をごぞごぞやっていたのか?
実はそれがこの教室のすべてなのだ。

生徒達が教室に入ってくる。小学生だから元気いっぱいだ。
さて、どんな授業が・・?と思うそばから、宮本先生は一人一人にプリントを配る。
宮本先生が1時間半の授業中にやった事はこれだけ。黒板は滅多に使わない。

1時間半!小学生にはかなり長い時間だし、集中力は保てるのだろうか?

そんな心配をよそに、生徒達が解いていたのは宮本先生が作った算数パズルだった。
3マス×3マス、4マス×4マス、5マス×5マスと難易度は次々上がっていくらしいが、生徒達は息もつかずにマスを数字で埋めていく 。
パズルには規則があって、例えば縦、横、斜めの和が10になるとか、そういったきまりを守りながらひたすら思う数字を鉛筆で書いては消し、書いては消ししていく生徒達。見る見る出来る消しゴム屑の山。
もちろん話をする者は誰も居ない。

出来たら先生に見てもらう。
正解なら次のパズルに移る。間違ってたら出来るまで何回でもやり直す。もちろん隣の子が次々進んで自分は一枚も解けず、クラスから一人だけ取り残される事も当たり前のように起こる。それでも彼らは意に介さない。この次こそはと闘争心を顕わにする。

「授業時間中、ボクは3つの単語しか使わないんですよ。『正解』『間違い』『終わり』だけ・・。」
なんともユニークな教室だが、次の宮本先生の言葉を聞いて先生は全てをお見通しなんだなあと思う。

「今の子供達はね、教えられすぎてるんです。塾でも学校でも、教える事が好きな人が先生になるでしょ? 子供達が言うんですよ。『この教室に来ると静かで、誰も何も言わないからいい。』って。静かな環境を与えてやって、子供達が興味を持つ教材を与えてやれば、黙っていても子供達は自分で学び始めるんです。」

そのために宮本先生がすることは、ひたすら子供達が喜ぶ算数パズルを作り続けること!
一つのパズルを作るのに、3日も4日も部屋に缶詰になることもあるそうだ。


「学ぶ」と言う言葉は「真似る」と同じ語源だそうだ。現に広辞苑で「学ぶ」を引いてみると真っ先に「真似をする事」と言うのがでてくるらしい。

ただ「真似る」と言っても人間の物まねは「猿真似」とは明らかに違い、解答に早くたどり着いた友人の真似をしたり教え合ったりして友人とのコミュニケーションのなかで学ぶという姿勢が3歳児でも見られるのだという。

更にびっくりしたのが江戸庶民が身分の違いを越えて和算に親しんでいたという事実。
どういう事かというと江戸時代、神社には「算額」という言わば算数の問題を書いた立て札みたいなものが披露され、人々はその問題を何とかして解こうと競い合った。

「算額」の中には問とヒントが書かれていて、テレビに出ていたのは円の一点から円の中へ二本の直線が伸びていて、その直線に接するように3個の小円が書かれている。さて、その円の直径は?みたいな、高校生でも頭をひねるような難問だった。

お茶屋さんやお風呂屋さんは自分ながらの答えを披露しようとする人々や、それを聞きたいという人々でごった返し、しかもその時は身分など全く関係なく、武士の言う答えに商人が反論し・・とテレビではそう言う風になっていたが、実際はどうだったのかな?(^^;;

とにかくこうして江戸庶民は、遊び感覚で和算の知識を高めていった。
和算恐るべし!
そして誰が考えたやり方か知らないが、「算額」を編み出した人もまた素晴らしい教育者だと思う。
ウイキペディア によると、算額はあくまで和算という「芸」を高めるためのもので教育と言う視点では無かったらしい。)

こういうのを見ていると、確かに今は豊かな世の中にあって子供達は「教えられすぎている」という宮本先生の言葉に合点がいく。

ノーベル化学賞を受賞された鈴木章博士も、宮本先生のその言葉に頷きながらご自分の経験を語られた。
6人兄弟の長男に生まれた博士は16歳で終戦を迎え、そして父の死が困窮に追い討ちをかけた。

父がやっていた理髪店は畳まれ、母が兄弟を養うために行商に出た。自身も働きながら苦学して大学を出たと言う鈴木博士。
博士が北大で出会った一冊の英語で書かれた有機化学の教科書が、まさに博士の運命を変えた。

700ページにも及ぶ分厚い教科書を、博士は余白が無くなるほど日本語で書き込みを入れて最初から最後まで、読み終わる毎に「正」の字を書きながら38回も読まれたそうだ。

700ページの本を38回!気の遠くなるほどの時間だ!

この話を聞いて何を血迷ったか(^^;;、九子もあの教科書が読みたくなった。
薬科大1年生の時貰った全て英語で書かれた物理の黒い教科書で、たぶん400ページの上あったと思う。
全文英語の教科書というのに生まれて初めて出会って、なんだか九子は自分が偉くなったような気がしたものである。(^^;;

残念ながらたぶん10数ページほどしか使わなかった気がするのだが(^^;;、無性に読んでみたい。
確かエンタルピーとかエントロピーの話が出ていて、今でも言葉だけは覚えているけどその意味となると??なのだが、読み直してみたら今ならわかるだろうか?


だけど必要な時に限って、その本が見つからない!
思えば九子の一生の大半は、無駄な事考えてる時間と寝てる時間、探し物を探してる時間、それに続くのがウツ病がやってきて、やっぱりまた寝てる時間。(^^;;
九子の人生、なんと無駄が多いのだろう!

結局見つからなかった物理の教科書に変えて、エントロピーをそれらしいスペルでネット検索してみた挙句、ちんぷんかんぷんで結局日本語に頼ったのが、ここ!


エンタルピーの方はどうやら化学反応中の熱の総量らしかったが、いまいち良くわからずにやっぱり最後は 日本語!

本文から抜粋する。

定義
エンタルピーHは以下の式により定義される。

H = U + PV
(U:内部エネルギー、P:圧力、V:体積)
名前がよく似ているエントロピーとは全く別の物理量である。ちなみにその定義からエンタルピーHとエントロピーSの間には、次のような関係式があることが容易に示される。

dH = TdS + Vdp

という事らしいです。
容易に示されるですと?なんのこっちゃ!(^^;;


結局九子の努力はすべて徒労に終わるわけだが、entropyでネット検索して一番簡単そうなサイトを見てみた時、実に興味深い記述に出会った。
「エントルピーの概念によれば、自然と言うものは孤立したシステムの中では秩序から無秩序に向かう傾向がある。」

「ははん!九子の家が無秩序なのは、ごくごく自然な成り行きなんだわ。」と、はたと膝を打つ九子!(^^;;

はてさて、子育て真っ最中の日本の若いお母さま方やお父さま方、これからの日本はあなたたちの肩にかかっております。
九子みたいに子供達が育ちあがってしまった後ではもう遅いのです。
あんまりこういう事を言って負担に思われたら申し訳ないのですが、とりあえず九子が言いたかった事は何か、どうすれば子供が学ぼうとする力がつくのかをこの日記から賢くつかんで頂けましたなら幸いでございます。

えっ?「自然は秩序から無秩序に向かう傾向がある。」という理論と、九子んちのとっ散らかった部屋の風景が頭に残ったとおっしゃるあなた!

あなたの想像力は偉大ですが、お子さんは多くを学べないでしょう。(^^;;(^^;;


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英語漬け幼稚園とエリート養成校 [<学校の話、子供たちの話>]

「国家の品格」の中で藤原正彦先生は、小学校からの早期英語教育を真っ向から否定された。
それを読んでむしろ賛成派だった九子も、その通りだなあと思い始めた。


九子は小学校4年生の時、はじめて遊び半分の英会話クラスに通い、ゲームや歌で英語の世界に触れた。
子供なりにも紅毛碧眼の彼や彼女と一緒の空気を吸って笑い合い歌い合うのは楽しかったし、なぜだか晴れがましい気すらした。

中学では、たった一年だったが「カミソリ」というあだなの凄い先生に英語を教わった。
いつもオールバックの髪をポマードでびっしりと固め、紺とかグレイとかじゃなくて紫色みたいなきれいな色のスーツを着た、見るからに鋭い感じの先生だった。

眼鏡の奥から光る目がどんな間違いも許さないぞという厳しさで、当時としては珍しく、授業中の日本語は最小限で英語と宿題はたくさん。(^^;; 当てられて間違えるとみんなの三倍くらいの宿題が出るので、それこそみんな戦々恐々として予習をし、復習をした。

当時長野の中学校の就学旅行は毎年東京で、皇居の二重橋付近で集合写真を撮るのだけれど、九子たちの学年では、そこに外国人が数人一緒に写り込んでいた。かみそりT先生が流暢な英語で話しかけて入ってもらったものなのだが、当時本当に外国人と会話する能力のあった先生はT先生くらいなものだったと思う。

T先生から3年間英語を習った担任のE組からは、翻訳家になったMさんやAさん、長野オリンピックで長野市長の通訳になったTさんなど、英語の専門家が育っている。


それから九子は当時は女子高だった長野西高校に進むが、高校生になってからは必死に頑張っても最高点の10は一度も取れなかった。

当時の長野西高校にはお茶の水女子大や奈良女子大などへ行く生徒がごろごろ居て、毎回今度こそとは思うのだが鉄壁みたいにそびえ立っている一団を越えてそこまでたどり着くのは不可能だった。
そんな時、自分の限界みたいなものを感じ取った気がする。

そしてそんな心の隙間に、忍び込むようにサイモン&ガーファンクルが入り込んできた。

彼等の歌を何度も聞き、歌詞を見ながら何度もそれらしく歌った。
歌を聞いてもあたりまえだが意味はさっぱりわからないし、対訳を見ても英語がなぜそういう日本語になるのか意味不明だった。

それでもとにかく歌詞を覚えたかった。だから手間を惜しまず、ただひたすら歌詞を書き出した。
おかげで去年の彼らの日本最終コンサートでは、ほとんどの歌を口ずさむことが出来た。

大学時代は実習やら何やらが嫌で嫌で、それから逃れるために英会話教室に通った。

以来ジョン先生に来てもらったり、英字新聞と英語討論会で有名だった長野外国語センターに通ったり、オリンピック前にドイツ語にも3年ほど通ったり、語学にかけたお金は200万円、いやもしかしたら300万円をとうに超えているかもしれない。


それなのにこの程度?・・・・と思う気持ちが、娘たちをそのクラスに向かわせた。

次男Sの時にはまだ出来ていなかった。三男Yは乳児内斜視による発達の遅れ(当時は学習障害なんて言葉すら知らなかった。)で、英語の前にやることがいくらでもあった。(^^;;

長野幼稚園チューリップクラス。
外国人、当時はカナダ人の先生が朝9時頃から午後3時頃まで、英語のみで授業をしてくれる、いわゆる English Emersion(英語漬け) Class というやつだ。

確か当時月謝が2万8千円だった。普通クラスが1万4千円だったから安い!と思った。
確かに安い。同じ時間英会話教室に通いつめたらいったいいくらかかるのだろう。



年中と年長の二年間、チューリップクラスに娘たちを通わせてどうだったか?
いや~、結果的にはな~んもなかった。(^^;;

それでも二年間の成果がゼロだったという訳じゃない。
特にM子は年長の時、九子をたずねて活禅寺で知り合ったポルトガル人が来店して、出来過ぎ母がおろおろしてた時、”Mama is not home. (She will )come back soon!”と通訳してくれて、彼女の武勇伝の1ページを飾った。

九子も毎日連絡帳をマメに書き、先生も書くのが大好きな先生で、まるで交換日記みたいな事をして、何冊もたまった小さな連絡帳は今でも宝物だ。

あのまま順調に行ってたら、きっと娘たちは二人とも凄い英語の使い手になっていたと思う。
問題はその後にあった。少なくとも中学で英語が始まるまで、いかにしてその能力を保ちうるか・・。

その後も九子は出来るだけの事をしたつもりだった。

え~、例えば週に一、二度の英会話の教室に入れる。
英会話教室ではチューリップクラス出身者は「キャリア」と呼ばれた。
考えてみるとすごい!6歳にしてすでに官僚並みだ。(^^;;

例えば車の中では英語の歌を流す。

あとは、う~ん、あとは・・・、それっきり。(^^;;(^^;;


結局こういう結果になるだろう事は最初から目に見えていた。
何しろ母親が九子である。
自分の勉強のための英語なら時間を割くが、子供に教えるなんてそんなしちめんどくさい!(^^;;

もしも九子が少なくとも週に2度ほど、子供たちと一緒に英語でお話する会とかを定期的に開いていたならば、彼女たちは違っていたのだろうか?
いや、今となれば「たら、れば」の話である。(^^;;


N子のクラスから長野日大始まって以来の東大生になった子が出たが、その子はたまたまN子とチューリップの同級生だった。彼はチューリップクラスを出たから東大に入れたのかと言うと、それは違うと思う。

彼のおかあさん曰く、彼は何も言わずとも自分でよく勉強する子供で、おかあさんは一度も彼に勉強しなさいと言ったことはないと言うことだ。
チューリップクラスも彼本人が行きたがり、カナダ人の先生も彼は大変よく出来る子だと評価していた。

もちろん長野日大でもトップの成績だったが現役では東大に受からずにそのまま阪大に進み、阪大で二年生になる単位をすべて取得した上でその年東大合格を果たしている。

聡明な彼はきっとあの幼さでチューリップクラスから英語以外の貴重な何かをつかみ取ったに違いない。
チューリップクラスの良さは、英語を学ぶというよりはむしろ、Halloweenの習慣で水に浮かべたリンゴをかじって取り合うゲームをするとか、Show&tellという自分の好きなものをみんなに紹介する、いわばコミュニケーションの基礎を養う授業とか、そういう日本には無い外国の文化を学ぶ絶好の機会だったのだと思う。

そう言えば長野日大では特進クラス1年生を対象にブリティッシュヒルズでの滞在をプログラムに加えている。
こちらは日本で学べる英国文化で、今では英語圏で余生をすごすことを計画している熟年カップルらの個人での宿泊も増えているそうだ。

日本に居ながらにして他国の文化を味わい、少しでも理解した気になる。
残念な事に、それが英語漬けクラスの限界だったと思う。

先日なんとなく見ていた「エチカの鏡」というテレビで、トヨタやJRなどの一流企業各社が資金を出し合って作った「海陽学園」という中高一貫校が取りあげられた。

凄い学校だ!やっとこれで失われたエリート養成学校が日本に復活したと思った。
国が作るのでなければ、企業が作るのであれば、アメリカも何も言えまい。

モデルは英国イートン校。全寮制の男子校である。

学校はもとより、寮生活も彼らの重要な活動の一部だ。
寮は生徒が運営する自治組織で、料理実習やら、中学から来た物理の天才留学生の英語による講義やら、ありとあらゆる活動が学生達自身の手によって企画運営される。

夜は元東大名誉教授だった校長先生が、毎日敷地内にある自宅から寮を訪ねて英語のディスカッションタイムが始まる。

九子が長野外国語センターで「The JapanTimes」の1記事を取り上げ、その要点をまとめ、自分なりに設問を作って皆に発表するという授業を始めて受けた時、言い知れぬ感動を覚えた。
生まれて初めて、英語を受動的に習うのではなく、能動的に英語で考え、英語で意見を述べた。
この場合英語はあくまでも道具だった訳で、そういう体験が初めてだったのだ。

海陽学園の子供達は、高校生にして当たり前のように英語を道具として使っていた。本当に凄い事だ。


ハウスと呼ばれるそれぞれの寮にはハウスマスターと呼ばれる教師が生徒と共に居住して、あらゆるサポートを行うそうだ。

そして、イートン校にも無いという独自の取り組みが、各企業から毎年一年間派遣される二十代のフロアマスターと呼ばれる若者達で、彼らは寮に一緒に泊り込んで生徒達の兄貴分として相談に乗ったり、社会と彼らをつなぐ役目をする。

剣道部で竹刀をふるっていた生徒の一人は、超難関の試験に通り、留学先へと旅だった。
彼は医師志望で、医師になったら若いうちは国境なき医師団に参加し、その後は日本に帰って確か心臓外科医になりたいというような事を言っていた。

ほかの子達も、決して東大に行って官僚になるというような夢を語る者は誰一人いないと思う。
彼らの視線の先にあるのは、日本の狭い社会ではなく、世界という広い海なのだ。
これは本当に喜ぶべき事である。

しかし学費は年間280万円。もちろん親の収入に応じて奨学金が出るそうだが、三分の二の親は奨学金を貰うこと無く学費をきちんと収めるそうだ。

イートン校と違って本当の意味でのエリート(=特権階級)が居ない日本では、海陽学園の門戸は広い。
自分の子供を入れたいと思えば、誰でも入れられる。入学時の偏差値も特別高くは無いらしい。

来年になると初の高三生が卒業し、週刊誌などに高らかに海陽高校の名前が掲げられる事だろう。
東大とか京大とかの他にハーバード大学の名前でも出ようものなら、子供を入れたがる親は急増し、ますます高値の花になっていくのだろうか。

ただ課題は残る。
12才の段階で息子の潜在能力を決めるのは親にとっても子供にとっても難しいと思う。
何より寮生活に耐えうるだけの社会性が求められるし、スポーツ嫌いはどうかなと思う。

これだけの才能が全国から集まったら、きっと落ちこぼれていく子供もいるんだろう。そういう子供が普通の世界に戻った時、きちんとした自己を確立することが出来るような周りの支援も必要になると思う。

入学時の偏差値は50そこそこで入学出来ると言うのなら、寮に入ってこの6年間のプログラムをやり終えさえすればごく普通の子供がエリート、いや、リーダーになれるという理屈になり、それはそれで大変な事だ。
全国の教育ママたちが黙っちゃいないだろう。(^^;;


この学校の話をしたら、N子に言われた。
「良かったあ。私たちの頃にはこんな学校出来て無くて・・・。それにそこって男子だけだよねえ?女子も入れるなんて事になってたら、またママに無理矢理入れられるとこだった!」(^^;;(^^;;


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長男の憂鬱・・パク・ヨンハさんを悼む [<学校の話、子供たちの話>]

パク・ヨンハさんが32才の若さで自ら命を絶った。

パク・ヨンハと言う名前には、韓国オンチの九子ですら馴染みがあった。
ペ・ヨンジュンやチェ・ジウなら顔と名前が一致する。
その二人に一歩遅れて、かろうじて顔が出てくる名前がチャン・ドンゴンとパク・ヨンハだった。

第一報が入ってきた時九子が「もしかしてあの人?」と思ったその人は、テレビの画面で気弱そうに微笑んでいた。そう、彼の笑顔は優しいと言うよりも、いつも恥じらっているように見えた。

韓国の人って、男も女も肌がきれい!こればっかりは負けるわね。整形じゃどうしようもない。きっと唐辛子をたくさん食べる事と無縁じゃないはず!

ぽかんと彼の写真を眺めながら、九子がまっ先に考えていたことはそんな事だった。

折りしもその日はワールドカップの日本対パラグアイの熱戦の夜が明けたばかり・・・。
申し訳ないが興奮覚めやらずの頭には、大きな刺激を受けとめるだけの余力が残っていなかった。


「きっとまた、ネットで悪口でも書かれたのかな?」
Yの一言で我に帰った。

韓国芸能界で自殺が相継いで居ることはニュースでも報じられていた。
その一因が心ないネット上での誹謗中傷にあったことは、ネット社会の陰の部分として認識していた。

その後いろいろな情報が入ってくるに従って、どうやら彼には仕事上の問題があったこと、そして最愛のお父様が末期ガンの病床にあり、その介護に際し長男である彼に大きな負担があったことなどがわかってきた。

長男かあ・・・・。韓国の長男っていろいろ大変なんだ。

韓国ではまだ介護保険みたいなのが整わなくて、親の面倒は長男が見てあたりまえ。パクさんも毎月1300万円という巨費を投じて父親に最善の治療を受けさせていたと言う。病院へ預けっぱなしにしていると周りが何のかんのとうるさいのだそうだ。

儒教の教えが強いかの国で長男として生まれると言うことは、もうそれだけでさまざまな負担を背負い込む運命を担って生まれたという事になる。

パク・ヨンハさんが前夜、涙ながらに父親への詫びを言いながら部屋をあとにした時、疲れ切り追いつめられた彼の脳裏には、何もかも捨て去って楽になりたいと言う気持ちしか残っていなかったのかもしれない。

長男の役割というのは時代とともに少しずつは変わって来た。
変わっては来たが、三ねんせいさん独言子さんも書いていらっしゃるように日本でも戦前戦後まで、というよりほんのわずか十数年前、いやもしかしたら今でも、長男は田舎へ帰って両親の面倒を見るのがあたりまえという気風が堅い芯のように根強く残っていると思う。


九子の両親はことさら長男Rに「おまえはこの家の跡取りなんだから、妹や弟の面倒をよくみてしっかりやれよ。」と言っていたようだ。まじめな彼は、小さい頃から常にその言葉を意識してきた。

我が家にたいした資産などないが、それでも地元で何百年も続く家である。
名字を言うだけで、「ああ、あの家」と言われる事も多い。

両親が言う「しっかり!」には、M氏が開いた歯科医院を継ぐことも無論含まれていたと思う。

ところが当のM氏は、最初からそんなことはあまり考えていなかったようだ。
「俺が始めたことだから、俺一代限りでいい。Rは好きにすればいい。」

M氏の言葉はしかし、なかなか長男の耳には届かなかった。
おじいちゃんやおばあちゃん、もしかしたら九子自身も、M氏の言葉を長男に伝える障壁になっていたのかもしれない。

長男の高校の担任は、ベテランのK先生だった。
K先生は我が家の事情を知っていて下さったのだろう、長男に「うちの人の考えに惑わされずに、自分の行きたい道を進め。」と言い続けて下さった。

高校2年の夏休みまで、彼は好きな自動車関係の仕事に就きたいと言う夢を持っていた。
彼は手が器用で、小学校の高学年で出会ったラジコンカーを作って走らせる趣味が彼を孤独な行き詰まりから救い出した。

しかし皮肉なことに彼は歯学部に進み、次男が彼の夢であった工学部に進んで自動車会社に就職した。

抵抗があった歯学部への進学を後押ししてくれたのは、助手になって母校に残った彼のいとこだった。「こっちはいいところだぞ。Rも来いよ。」

高2の9月長男Rがあっさりと進路変更した時、我が家の誰もが喜んだ。
喜びのあまり、彼の中にどんな思いがあって夢だった工学部を断念したのかに思いを馳せた者はきっと誰一人居なかった。

M氏はM氏なりにRの将来を考えていたようだ。
「あいつはあんまりサラリーマンには向いていないと思う。人間関係でつまずき易いタイプだからな。だから歯医者っていうのは割合あいつに向いていると思うんだ。自分のペースで好きなように出来る仕事だから・・・。」

父親としてのM氏の言葉に、両親も九子も安堵した。

だけどRの心の中には、自分の夢を受け継いだ形になった次男をうらやむ思いが強かった。
「ああ、なんでSが工学部なんだ。俺が行くはずだったのに・・。」

次男の方は手が不器用で、親からしてもなんでこの子が工学部?大丈夫?と何度思ったことか・・。(^^;;
細かいことを気にしない次男はしかし、自信家で夢見がちだ。


Rの憂いは更に続く。
「俺はいつも何やっても周りからこの家の人間って見られるんだ。どこへ行ってもこの家がついて回る。この家に一生縛られる。いいなあ、SもYも。弟たちは自由に生きられて。」

こう言っちゃなんだが、これはある意味男社会の弊害でもある。
九子も古い家の一人娘ではあったが、結局18代十兵衛は九子ではなくM氏が継ぐ事になっている。
善光寺のお役なんかを勤めるには十兵衛は男でなければならないらしい。

おかげで九子はいつでもお気楽な家付き主婦で、「我こそは筆頭相続人であるぞよ。」という印篭を盾にお昼寝しながら威張っているばかりで、家のしがらみなど感じた事が無い。(^^;;

Rにとっては家に付随するそういう諸々が煩わしいらしいのだ。


それでもこれでも彼は頑張って大学を卒業した。まじめに勉強して金時計ももらった。
後からわかったことだが、これが彼なりの精一杯の家族に対する贐(はなむけ)で、それから先の自分にはゆめゆめ期待をしてくれるなという意味だったそうだ。

卒業後、彼の中にくすぶるものは確実に大きくなって行った。

そしてそれは、ある日突然爆発した。
半年の間、彼はRでも誰でもなく、ただの人間の骸だった。

兄貴が引きこもっているのを聞いて楽天家の次男Sは、「なら俺が会社辞めて、歯医者継ごうか?今からでも俺歯学部入り直して、歯医者になるわあ。」みたいなことをいとも簡単に言ってのけた。
(歯医者さんは手が不器用だとなおさらきついと思うわよ。(^^;;)

この頃ではせっかく入った自動車会社も「俺、ネジばっかり作って一生終るなんてもうたくさんだ。外国行って一旗あげようかなあ。」と、Rが聞いたら歯軋りしそうな事まで言い出す始末。

それでもこれでもSならば、転んでもただでは起きないしたたかさがある。
Rもこのくらい図太いと安心なんだけれど・・・。


どんな状態であろうと、M氏は決してRを無理に働かせることはなかった。
「俺はまだ元気だから大丈夫。ゆっくりよく休んで、働きたくなったら出てくればいい。」


結果的にはそれが功を奏したようだ。
Rの姿は今、M氏の診療所にある。

不眠症で睡眠薬を切らせない彼はたまに眠れなかったからと半日ほど休む以外は、父親の仕事の七割ほどはこなせるようになった。


半年の間に彼の心にどんな変化があったのかは知らない。
これから先もいつ何時こういう事が起こるのかもわからない。


長男というのは、あいにくそういうものらしい。

初めて生まれた男の子に、家族は狂喜する。跡取りが生まれた。これで我が家も安泰だ。
そして長男は甘やかされる。

一度彼にひどいことを言ってしまった。
「初めて生まれた子供と言うのは、母親にとっても試作品だから・・。」

聞き噛りのこの言葉に、彼はひどく傷ついた。
長男、しかも血液型はA型。真面目と評されるRは、残念ながら打たれ弱い。

その彼が、いつも言っている。
「俺は絶対に子供を歯医者にはしない。こんなに嫌な思いをするのはもう俺だけでたくさんだ。」


パク・ヨンハさんは見るからに気弱そうに見える。闘病中のお父様が気弱な息子のためにずいぶん力になってくれたという話も耳にする。

韓国で長男はどんなふうに教育されるのだろう。両親に対する忠誠心が強いそうだから、日本よりも長男の負担はより重かろう。その上に礼節を重んじる儒教の教え。
同じアジアでもただでさえ自己主張の強い中国の一人っ子「小皇帝」とは明らかに違う気がする。


死を考えるまで思い詰めていたパク・ヨンハさんに精神科にかかるように薦めてくれる人が居なかったのが惜しまれる。

そして理想を言うならば、気弱な人間には重い負担や大きな責任を与えずに、気楽に生きていかれる環境を用意してやりたいと思う。



M氏はこの頃帰りが早い。
「あれっ?どうしたの?こんな時間に・・・。」

「俺もいろいろ考えたんだ。Rにはゆっくり仕事させたいからさあ。だんだん患者を減らして、従業員も減らして、ヤツが一人でこじんまりと自由にできるようにと思ってさあ・・・。」



・・・あの、それって、この頃だいぶ患者さんが減ってる言い訳じゃあ・・・・・。(^^;;(^^;;







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甲子園が、長野日大が熱い! [<学校の話、子供たちの話>]


うだるような日差しの中、今年も甲子園で球児たちが熱闘を繰り広げている。

長野市民にとって、とりわけこの九子にとって、今年の甲子園は一味も二味も違った。



九子日記で長い間三人の子供達の学校として取り上げてきた長野N大高、なんの事は無い、長野日大高校(^^;;が初出場ながら大健闘を続けてくれたからだ。



実は去年の春の選抜にも選ばれて出場を果たし、初出場でなんとベスト8という快挙を果たした彼らなのだ。



長野日大高校野球部は、佐久長聖高校、松商学園高校、丸子実業高校などの強豪校を前に、万年県大会ベスト4止まりを強いられてきた。



そこに4年前、N子が2年生の時に、突然救世主がやってきた。

前松商学園野球部監督で、91年に甲子園選抜大会準優勝を果たした名将中原英孝監督である。



中原先生は松商学園高校をやむをえない事情で辞められた後、たくさんのチームから請われる中、「甲子園に一度も出場していないチームで自分の力を試したい。」と希望され、幸運な事に長野日大高校にやって来られた。



確か保護者向けの新聞で新任職員の紹介記事が載った時、若者揃いの教師陣の中に日に焼けた若くは無い顔を見つけて一瞬「事務で採用って、この人新しい警備員さんかなんかかなあ?」と思ってしまった九子であるが(^^;;、すぐに「ああっ!あの野球の!!」と気が付いて、心底びっくりしたものだった。





甲子園に母校が出るという事はとても特別な事のようだ。



この春卒業したばかりのM子は、2年前に卒業して甲子園球場から30分ほどの所に住むN子のアパートに泊り込み、雨で二日遅れとなった第一試合をやっと三日目に姉妹で観戦した。



近くのコンビニの若だんなも卒業生なので応援に行ったそうだが、さすがに三日も店を留守に出来ずに帰って来たと悔しそうだった。



長野日大高の先生方もほとんど応援に駆けつけていらしたそうだ。ホテルで二日間の缶詰生活、ご苦労さまでした。( ^-^)



第一試合、対栃木県代表作新学院戦。

もちろん怪物といわれた江川卓選手の母校である。



エースの不調でたくさん点数を取られたが、攻め負けない強さがあって、10対8でまず一勝。

「あの作新に勝った!」と誰もが小躍りした。



第二試合、対奈良県代表天理高校戦。



子供にとっては母校だけれど自分の母校って訳じゃないのに、なんでこんなに胃が痛むの?

あいまに「ガスター10」を飲みながらのテレビ観戦。(^^;;



4点リードを奪われた時、「監督にこのままでいいのか!と言われて燃えた。」という選手達の談話が残っている。

結果は7対6でまさかの逆転勝ち!

えっ?あの天理に勝ったって?嘘でしょ!!



第三試合、対愛知県代表中京大中京戦。



またもや強豪の中京大中京。昔は中京商業って言ってた何度も優勝してる古豪だよね。

エースの加藤君がまた立ち上がりに打たれて5点も取られた。



もうダメかな?と思ったところでエースが復活。自らの打撃でも頑張って5回に同点まで追いついた。

でも反撃もそれまでだった。

「二クラスも上の選手とやってるような気がした。」と選手の感想が伝えられたが、力が尽きたように点数を取られ、結果は15対5で敗北。



「長野日大、力尽きました!」というアナウンスがとても優しく響いた。

その通り。力を出し切れなかった訳ではない。一生懸命力を尽くしたけれど、相手の方がずっと上だった。もう力が残っていないのだから何点取られようが仕方が無い。そんな試合に映った。



だけど中原監督は違った。「情け無い試合に腹が立った!」と切り捨てた。

言葉は厳しいけれど「おまえたちの力はそんなもんじゃないだろう?」と監督の顔が言っていた。





甲子園に出るという事は、学校にとって見ればこの上ない宣伝の機会だ。

今まで長野に日大附属高があったの?知らなかった!という方も多かったんじゃないかと思う。

確かに「長野日本大学高校」としての歴史はそんなに古くない。

今年の夏で少しは名前を記憶に留めて頂けたんじゃないかと思う。



ひとつ勝つ度に校旗が掲揚され、校歌が流れる。



垢抜けない校旗と覇気に乏しい校歌でも(^^;;、甲子園で見聞きするのは格別で、「友達は財産だったが、学校は自由がなくて大嫌いだ!」と日頃言ってる次男Sでさえも、録画してでも聞きたい校歌だったようである。(^^;;



私立高校で規律のやかましい長野日大高校を嫌っていた男の子は少なく無いと思う。特に県立高校に落ちて仕方なく来た子供達は、県立高校で好き勝手な恰好を楽しんでいる友人を眺めては、身なりも髪型も自由に出来ないのが不満だったんじゃないのかな。

だが順応性のある女の子達は、健全な校風と良き家庭に育った子がほとんどの生徒達に囲まれて、皆それなりに青春を謳歌して楽しんで卒業したようだ。



長野日大高校の前身は、実は「不良高校」と呼ばれた高校だった。



それが日本大学の付属校になってだんだんと変わってきた。

三十数年近く経つ現在では、名門長野高校の滑り止め高校、お行儀の良い子供達が通う親にも教師にも評判の良い学校というのが定説だ。



いじめや非行歴のある生徒は面接の時点で落とされてしまうし、学校に任せておけば日本大学以外でもそこそこの大学に導いてくれるから「学費は公立より高いが、塾に行く必要が無いからその分お得!」と母親の信頼も厚い有り難い学校なのだ。



ところが中原監督は、来てすぐに それを見抜かれた。

「この学校の子供達はとても素直でいい子ばかりだが、勝利に対する執着心が無い。」

そして目指されたのが、「泥臭い粘っこい野球」だった。



もともと中原監督がいらした松商学園高校は野球で鳴らした高校だから、全国から素質のある生徒が野球をやるために入学して来ていた。



ところが長野日大高校は違う。ベンチに入った選手の中で県外からの子はたった一人。ほとんどが長野市近郊や遠くても県内の子達ばかりだった。



考えてみたら甲子園準優勝を果たし、日本ハムの上田投手を輩出した91年の松商学園も、確か松本市内の野球クラブが中心のメンバーだったと思う。



そういういわば普通の子供達を大きく成長させるのが中原マジックなのだろう。

 



忘れもしない次女M子のクラスの父兄懇親会の日、あれは確か2年前だったと思う。

M子のクラスの副担任が、長年長野日大野球部の監督をして来られた丸子実業高校出身のO先生だった。



お酒がだんだん進んでくると、O先生が「あんなやつ大っ嫌いだ!」と搾り出すような声を出した。

その「あんなやつ」が中原監督の事だった。



それも仕方ないよねえ。今まで曲がりなりにも野球部を一人で支えて来たのはO先生だったんだから。野球部を辞められた訳ではないから、いつも一緒にいる目の上のたんこぶ。余計腹立たしいのかも・・。



それが今年長野日大が県代表を勝ち取った日のテレビを見ていたら、O先生もありったけの笑顔で生徒に胴上げされていた。今ではO先生と中原監督が「長野日大のON」と言われているんだそうだ。

これももう一つの中原マジックと言えるのかな?(^^;;





甲子園といえば日大三高、日大山形、長崎日大などが有名だけれど、日大が前に付く学校が本来の日大の付属校で、長崎日大や長野日大のように地名が先のは実は准付属校だというのを皆さんご存知だろうか。



付属校と准付属校の違いを詳しく知っている訳では無いけれど、付属校の方が日大に入る生徒の数が多いという事らしい。



数年前から長野日大にはある噂がまことしやかに流れていた。

「東大に受かる学生が出て、野球部が甲子園に行ったら、日大長野(付属校)になるんだって!」



実は東大入学はすでに実現した。



N子の同級生の男の子が現役で大阪大学に受かったが、夢を諦めきれずに次の年に東京大学を再び受験し、見事に入学した。しかもその子が凄いのは、阪大で二年生になる単位もきちんと取っていたという事だ。



東京大学、京都大学、大阪大学、名古屋大学、神戸大学、東京医科歯科大学、東京外語大学など。

たぶん一人ずつ位だが(^^;;、一応超難関大学の入学実績も残している。



もう9年前になるのかK先生が「この中から早稲田、慶応に入る生徒がたくさん出るように!」と次男Sの入学オリエンテーションで檄を飛ばされて「おいおい、ここは日大高校でしょ?」と九子は苦笑してしまったのだが、それも冗談ではなくなるくらい早慶に入る子も確実に増えている。





どうやら長野日大は日大長野にならずに、「長野日大」のままで行く気らしい。





今年は中高一貫校としてスタートした初年度の優秀な中学生が高三となり、日大よりも他の有名大学に合格する生徒を増やして「文」の実績を作り、「武」の方では野球部に知名度を更に上げてもらい、「文武両道」が売りの長年のライバル?佐久長聖高校に追いつき追い越せ!という事らしい。

(こっちはライバル視でも、あっちはどうなのかなあ(^^;;。)

何しろ相手は長野県随一の予備校が母体の財力のある学校だから大変だよねえ。





中原監督が来て新たに出来たのが野球部の寮だ。もともと学業重視の特進クラスから野球部に入部していた子もいた訳で、それでなくても土曜日授業も当たり前の長野日大。監督としては練習時間を何とか確保するのが大問題だったんだろう。



この記事によると寮は一階が監督と野球部員が寝泊りするところ。二階が受験生が勉強合宿するところだそうで、これもまた文武両道を目指す長野日大らしい気配りだ。(^^;; 



その上グランドはサッカー部と共用が長かった。野球部単独で使えるようになったのは去年の選抜ベスト8以来の事か?





熱闘甲子園を見ていると、高校野球ってなんて素晴らしいんだろうと目頭が熱くなることもしばしばだ。

たとえスター選手が居たとしても、彼は仲間と監督を心の底から信頼し、決して自分ひとりで勝つことは出来ない事を充分にわきまえている。



激戦を戦った常葉橘庄司君と明豊の今宮君のエース同士が、試合後互いに相手を讃え合い、バッティンググローブを贈って次の勝利を祈った場面なんかは本当にきゅんと来た。



きゅんと来たと言えば、花巻東の佐々木監督さんのイケメンぶりからも目が離せなかった。

菊池雄星君はどうでもいいから、もっと佐々木監督をアップで映してよお~。(^^;;



花巻東は笑顔の美しいチームだった。ピンチの時にも笑顔を絶やさなかった。岩手県人の優しさが溢れていた。

準決勝で背中の痛みのため思うように投げられなかった菊池君。中京大中京に大差で敗れてしまった悔しさに、みんなみんな泣いていた。

それが一転、食事になったらすぐに笑顔が戻ってきた。そして最後はいつも通りの満面の笑みだった。

肉体が健康だと、精神もこんなに健全になるんだなあと見ていてなんだか嬉しくなった。





こうしてみると高校野球の段階では、なんたって一番重要なのは監督さんの力なのかなと思う。

高校野球に限らず、合唱だって合奏だって、良い指導者に恵まれた学校がコンクールを勝ち抜いている。



こちらのブログを見ると高校を卒業してからは「どの監督に指導を受けたか」というのがとてもものを言うのだそうだ。その意味でも中原監督に来てもらって長野日大は本当に幸せだったよね。( ^-^)





中原監督がいかに偉大な指導者であるのかは本当にそこここで見聞きする。

今こうして直々に監督から指導を受けられる幸せを、選手たちも学校も親達も噛み締めなくちゃね。



え~っ、ここで言うのもなんだけれど(^^;;、中原監督に九子から一つお願いがある。



実は九子のおじいちゃん、16代笠原十兵衛が無類の高校野球好きで、母校の長野商業の長年のパトロンだった。

一時は選手を何人も下宿させたり、練習を終えた選手が帰りにパン屋でパンを買うのも全部自分のところのツケにしたりして応援していたそうなのだ。



その祖父は、決して職業野球、いわゆるプロ野球は見なかった。大嫌いだったからだ。

高校野球のきびきびとした真面目さ、清清しさに魅了されていたのだと思う。



祖父と一緒に高校野球をずっと見ていた九子が、この頃ちょっと気になる事がある。

デッドボールを出した投手が、悪びれもしないで平気で突っ立って居るように見えることだ。



昔はみんな帽子を取って軽くごめんなさいの会釈をしたと思う。



もちろんわざと投げた訳じゃないし、精神的に痛いのは打者よりもむしろ投手というのもわかる。



今大会で長野日大の投手たちも何もしない子が多かったように感じた。

花巻東の菊池君なんかは、それでも悪いって顔をして会釈していたように見えた。



たった一瞬のことだけれど、その子の人間性が見え隠れするように思う。いや、そう感じてしまう人間が中には居るという事だ。



今の状況を祖父が見たらちょっと寂しがるだろうなあと思う。それじゃあ職業野球といっしょじゃないかと。



だから中原監督!せめて長野日大の投手たちには、デッドボールを与えたら相手に軽くごめんね会釈をすることを教えてやって頂けないでしょうか?



そうしたら泥臭さの中にも人間味溢れる長野日大野球が見られて、鬼に金棒の野球部になるんじゃないかなあと、野球などはずぶの素人の九子は思っております。(^^;;


そして精神面の弱い加藤君には、どうせ坐禅をさせるなら活禅寺(←ここ)でさせてやって!ってことも。( ^-^) コメント欄を必ずご覧頂きます様お願い申し上げます。
m(_ _)m




 高校野球
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年賀状2009 [<学校の話、子供たちの話>]


謹賀新年



今年は五人の子供たちが揃ってそれぞれの道を歩き出す年になりました。

長男R・・父親の仕事を手伝っています。やっぱり家は気楽でいいなあ。

次男S・・秋葉原事件で有名になった自動車会社に内定しました。いつ取り消されるかとビクビクしています。

三男Y・・旅行じゃ食べていけないと、食いっぱぐれのない東京近郊の食品スーパーを選び内定しました。

長女N子・・神戸の薬大の二回生。すっかり関西弁になりました。生来の節約家で家計に貢献してくれます。

次女M子・・幸運にも推薦枠が広がって母親の母校の薬大に入学出来ました。下の娘も薬剤師にと言うおじいちゃんの遺言が果たせそうです。

M氏と九子は4月から子供の居ない二人だけの生活が始まるはずが、長男の予定外の帰還により軌道修正を迫られました。なんだか小姑と一緒にいるような気分です。

今年もよろしくお願いします。

                                         平成二十一年元旦



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例によって年賀状に少々付け足して、我が家の近況をお知らせ致します。



長男Rは研究室であと6年ほど過ごす予定が、長男の故か、はたまた真面目なA型人間である故か、B型だらけの研究室がどうしても我慢できぬと飛び出して、長野へ帰って来た。

幸いな事に同じA型の教授には、籍だけは残しておくからいつでも戻ってくるようにと最後まで優しい言葉をかけて頂いた。高校の恩師の「清濁併せ呑め」という苦言がまさに的中したという訳だ。



しかし彼は、地元へ戻って元通りの明るい息子に戻った。出勤だっていつ行っても良い重役出勤だ。

帰ってきた直後は、精神力をつけるために坐禅へ通うぞと意気込んでいたのに、この頃は喉元過ぎて熱さも忘れたらしく、活禅寺へもとんとご無沙汰している。(九子とて人の事は全く言えないのだが・・・。(^^;;)

彼もやっぱり九子と同じで無理が利かない(そしてあんまり長続きしない(^^;;)タイプらしい。)



次男S。血液型B型。大物伝説を書いた時は、まさか大器晩成という言葉が、彼が4年制の大学を6年間かかって、しかも必要単位にわずかに一単位上乗せしただけで卒業する事を意味していたなんてとんと気付かずに居た。

その上最後の壁の卒業研究が遅々として進まないのだと言う。

それは何も彼一人のせいではなく、一緒にやっている彼のグループ全体のスピードが遅いのだという。

ここで口の悪いM子が一言。「類は友を呼ぶ・・・だね。」(^^;;



親を安心させるつもりだったか内定者用の入寮通知を見せてくれたのだが、ぱらぱらめくってみると不景気の不の字も書いてない。

「K自動車だって大変なんでしょ?それなのに不況の不の字も書いて無いね。」

「当たり前じゃん、そんなの。会社の不利益になることはつぶれる前の日まで書かないよ。何も言わないで突然ばったりさ。」

君こそ何も言われないで突然ばっさり首切られないようにしなさいよ・・・って言葉をあわてて飲み込んだ。(^^;;



三男Y。彼の事はたくさん書いているのでこちらをご覧下さい。

ちなみに彼の血液型はA型です。



長女N子は、B型人間に似合わず?真面目な努力家である。今回も彼女はかばんがちぎれそうに教科書とノートをいっぱいに詰め込んで帰省した。受験生に紛れて去年通っていた予備校の図書館で勉強する計画を立てたが、席が空いておらずに断念した。だからもう彼女の頭の中は一刻も早く神戸へ戻って勉強することだけでいっぱいだ。



そんなに難しいの?と九子は何気なく彼女の教科書をぱらぱらめくってみた。

確かに解剖生理学の教科書なんてのがあって、人体のとてつもなく細かい事が図入りで説明されている。教科書名が「シンプル解剖生理学」だった。シンプルなんて嫌味か?と思ったが、医大生はもっとずっと難しいのをやっているのだろうか。



薬学部はN子の2年上の学年で6年制になった。6年間勉強して国家試験を受け合格して職場に出る時には、もうその日から調剤薬局で調剤出来る実力がつくらしい。



調剤薬局なんて冗談じゃない。百万円くれても九子は絶対行くもんか!

(「九子さんなんて冗談じゃない!何千万円積まれても調剤過誤で薬局まるまるつぶされるリスクのある人間なんか絶対雇ってやるもんか!!」調剤薬局長)(^^;;



さてさて最後は幸運なる次女M子。公募推薦試験の日は気落ちすらしていなかったものの「試験の出来悪かったから絶対落ちた。またセンター頑張るワ。」と言って帰ってきた。

面接の方はどうだった?と水を向けると、わかったのがこういう次第。



「本校の志望動機は?」

「母と祖母がこの学校を卒業していて親近感があったのと、設備も整って国家試験にも強いからです。」



「試験はどうでしたか?」

「あっ、まっっったく出来ませんでした。!」(笑い声)



「あなたの友達はあなたの事をどう評価していると思いますか?」

「たぶん悩みが無くて幸せな子と思われてると思います。」

「本当に悩みが無いの?」

「まあ、嫌な事があっても、寝ちゃえばすっかり忘れちゃうので・・。」(笑い声)

「あなたB型ですか?」

「いえ、A型です!!」



「最近の医療問題で関心があったのは?」

「妊婦たらい回し・・かな?」



彼女によると妊婦たらい回しという言葉は即座に出たんだけれど、内容を突っ込まれたらアウトだったそうな。



「他の人の時は試験官の先生が頷きながら聞いてたけど、私の時は笑われた。もうダメなんだろうと後はどうでも良くなって、暇だったから先生方を観察してた。出世しそうもない顔つきの先生も居た。」(先生方、すみません。(^^;;)



M薬科大学は今年大幅に公募推薦の合格者を増やした。指定校推薦の応募者が例年より少なかった事もあったが、何より公募推薦で確実に生徒を、特に地方の生徒を確保したいということらしかった。



試験で優秀な生徒を確保できたつもりで居ても、国立に合格してしまえば蹴られてしまう。試験で上から取っていくとほとんどが競争の激しい都市部の子ばかりになるので、のんびりした田舎の子が欲しいと言う事か。



とにかくそんな学校側の意向が強く反映されて、今年の公募推薦合格者数は去年の2倍近かった。倍率も2倍を切っていた。

たぶん少しは九子と出来すぎ母が卒業生だった事も考慮されて、M子はめでたく、そして早々と合格を決めた。

もう定員の半分ほどが推薦試験で決まってしまった勘定になるから、これから試験を受けて入って来るのはかなり優秀な人ばかりだろう。



おじいちゃんの遺言のお陰で、薬剤師の道を進む事になったM子。要領がいいのと外面(そとづら)がいいのはおばあちゃん似かな?( ^-^)



と言う5人を支える縁の下の力持ちM氏は、大晦日いつもの通りの大活躍だった。今日のメインイベントは風呂場のタイル掃除である。数年前に買って、毎年いつもこの日にしか使われない高圧蒸気掃除機なるものと格闘していた。



まず一年に一度だからマニュアルを読むことからはじまる。老眼で読むから(^^;;それが10分。機械の組み立てやら何やらに10分。水を入れて蒸気が出てくるまでに更に10分。

肝心の掃除が始まり、蒸気の煙にまみれてもうもうとした風呂場で、重いノズルを壁と直角に持ち上げるのに腕を痛くして一年分の汚れと格闘する事一時間!



挙句の果てに九子からもらった言葉がこれだ。

「普通にカ○キラーでやってたら30分で(もっと綺麗に(^^;;)出来たんじゃない?」



そんな九子は、自分が毎日もっと真面目に掃除をしていたなら年末にみんながこんなに苦労しなくてもいいのかな?という考えがチラッと頭をかすめはしたが、朝から張り切ってお昼寝もせずお節料理のまがい物なんぞを作り続けていたせいで精も魂も尽き果てて(?)、ぬくぬくコタツにもぐり込んで惰眠をむさぼるのであった。



こんな我が家ですが、今年もよろしくお願い申し上げます。m(_ _)m



                                     九子


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N子の行く先 [<学校の話、子供たちの話>]


最初に「わたし、K薬科に行く。」とN子が言った時、それは彼女の本心ではなかった。



K薬科大に不満が有る訳ではまったくなかった。むしろ関東の薬科大よりも格段に学費の安いK薬科大に行ってくれたらと親は最初大歓迎だった。ただ、土地勘の無い関西に住む事が、住まわせる事が、親子してだんだん心細くなってきただけだ。



N子も、親の方だって、合格発表と同時に発表された補欠合格に名前があったM薬科大学へは当然行けるものだと思っていた。



うん十年前、補欠の補の字も知らされていなかったT薬科大学からうら若き九子に突然合格通知が来たのは3月も押し迫ってのことだった。第一希望だったし行きたかったが、もうM薬科大へ行くつもりで下宿も何もすべて決まっていたのであきらめた。



「ママの時は発表なんてされなかったのに三月末に正式補欠だって電話が来たんだよ。合格発表の日に一緒に番号発表されてるんだから、ママなんかよりずっと入れる確率高いってことなんじゃないの?」

余裕でそう思っていた。



そんな訳でM薬科大は九子の母校である。

当時はT薬科大や今年から慶応義塾大に統合したKY薬科大に大きく水をあけられていた。



ところが今では国家試験の合格率の高さを売りに特にここ数年特に人気が高く、ついに昨年の入試偏差値はT薬科大より上になった。



そんな事も良く調べず、頭の古い親は、自分が入学する時のままのつもりでいて「M薬科なんかどう?一浪してがんばったんだからNちゃんなら簡単に入れるよ。」と娘に薦めた。



真に受けた娘は3度も受験に行ったが、センター試験の失敗がたたってか一回補欠にひっかかったのがせいぜいだった。



東京郊外の町に移転して建った比較的新しいM薬科大の校舎は、田舎の高校しか知らないN子の目には魅力的にに映った。そして彼女はM薬科大に行きたい気持ちを募らせたようだ。



「大きい学校だよ。長野N大高より、ずっと大きいよ。」とN子。

田舎の高校よりも小さい大学があったら見せて欲しいもんだ。(^^;;

(長野N大高もこの春初陣で三回戦まで戦い、7-0を挽回してすっかり甲子園で名を馳せた。( ^-^))



その後受かる可能性皆無の国立大薬学部受験の帰りに初めてK薬科大を実際に訪れたN子は、「あっ、K薬科大も大きかった。こっちでもいいよ。」と言った。

彼女が舌切すずめのおばあさんでなくて本当に良かった。(^^;;



ちなみにセンター試験で失敗したN子は、本入試で100点満点のところ120点くらい取らないと受からないとわかっているのに最後まで高い旅費と宿泊費をかけて国公立大学を何回も受け続けた。それがN子というヤツである。(^^;;



冒頭の会話は、N子がまだK薬科大を見てない時の事だ。

K市ではなく名古屋で受験して合格通知をもらった直後で、補欠で受かっているM薬科大にも当然入学出来るものという前提だった。



「私やっぱりK薬科大に行くよ。」

「えっ?きのうM薬科大に行きたいって言ったばかりじゃない!」



「(妹の)Mちゃんが多分M薬科に行けると思うんだよ。クラブもしないで今からあれだけ頑張ってるんだから。私は絶対にMちゃんと違うとこ行きたい。って言うか、Mちゃんには一人立ちして欲しいんだよね。高校まで全部私と同じ学校だったから、大学くらい私を頼らずやって欲しいんだよね。とにかく絶対にMちゃんと別の大学へ行きたいの。だから、私がM薬科行っちゃうと、私のわがままでMちゃんの将来を妨害する事になるから、私はK薬科へ行くんだ。関西は嫌だってMちゃん言ってたから、K薬科は選ばないはずだからね。」



一方通行なへんてこな理屈だが、言い終わったN子の目には涙が浮かんでいた。自分の進路を曲げてでも妹のM子に譲ろうという訳だ。



その時九子は「犠牲になるな。」という無形大師の言葉をN子に伝えた。

この言葉には違和感を覚える方も多かろうと思う。

右の頬を打たれたら左の頬を出せというキリスト教の言葉の方が人間として優れてる感じがどうしてもしてしまう。



しかし老師の言葉は涼やかだった。

「自分のやりたい事を曲げて人のために役に立とうとする行為には必ず無理が伴う。必ずどこかで不満や後悔が残る。 自分を殺して相手を助けるのではなく、自分も生きて相手も生かす道を探すのがよい。」

禅の老師らしい歯に衣着せぬ仏教の言葉には本音が語られていると思った。



「まあ、まだM子がどこに行くか決まらないうちにそんなに自分の進路変える事ないよ。もし二人ともM薬科に入れるような事になったら、別々のアパートを借りればいいでしょう?」という事でN子も納得してM薬科の結果を待つ事になった。



あ~あ、そんな事になったらまた散財だ!でもまあ、めったに自己主張しないN子のたっての頼みとあらば仕方ない。



2月はじめの受験から一ヶ月半以上、首を長くして待っていたのにいつまでたってもM薬科大学から吉報は届かない。



もう待てないぎりぎりのところで思い余って恩師に事情を聞いてみたところ、今年は入学辞退者が少なくて、補欠合格者は一人も入学出来ない事が判明!



M薬科大に二人入ったら・・・なんて悩む必要はまったくなかった訳なのだ。(^^;;





慌ただしくアパートを探しに行ったK市は、穏やかで優しい人々が住む美しい町だった。六年間も住むのだから良いところに越した事はないと親子して一度で気に入り、M薬科大の事などすぐに忘れた。



「こっちに決まって本当に良かったね。」が口癖のようになったK薬科大とK市にM子が追いかけて来ない様に、「K市はあんまり良くないよ。K薬科はやめたほうがいいよ。」とこれからずっと嘘を言い続けるはめになるのかな? (^^;;



一浪しても、合格の知らせよりはるかに多い不合格の知らせをもらったN子だった。

まただめだった、まただめだったという報告を聞くたびに、もしかしたらこの子は心根が優しすぎて薄幸な生まれつきなのではないかと本気で心配したりもした。

(美人薄命というのとは違う幸の薄さだとは思ったが・・。(^^;;)



そうでは無かった事が証明されて、親はやっとほっとしている。



タグ:補欠 薬科大
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山田太郎ものがたりの学校 [<学校の話、子供たちの話>]

この頃ではほとんど電話をかけてくる事のない三男Yから珍しく電話があった。金曜日の夜10時過ぎ。
「おい、今なんのテレビ見てる?」という、たまの電話には似つかわしくない内容だった。


「どっかで『山田太郎ものがたり』っての、やってるはずだからチャンネルまわしてみて!」


「あっ、やってたよ。それが何よ?」


「ここで使ってる校舎、おれらの学校なんだよ~。明日土曜じゃん。学校休みの土曜日にロケしてるらしいから、おれも行ってみようかと思ってさ。」


(ちなみにその時彼はまだ、足にギブスがついたまま。物見高いのは誰似?(^^;;)


三男Yが行ってる大学は、知る人ぞ知る西武文理大学


バーベキュー入試で有名になり、たまたま書いたユニーク入学式の様子が2ちゃんねる で取りあげられ、3年も経った今でも九子日記のアクセス元の常連さんである。

何かと話題に事欠かない2ちゃんねる。だが、おおむね温かい調子で「息子がこの大学に入学したと言う女性が(入学式について)書いている」と紹介してくれたこの一言で、九子は2ちゃんねるが好きになった。


九子だますにゃ刃物はいらぬ。「女性」と一言書けばよい。(おばちゃんは禁句!)(^^;;



早速画面に見入ると、茶色の煉瓦の外観とグリーンや赤でアクセントをつけた内部は、なるほど放送局の目にとまりそうな美しさだ。


蔦のからまるチャペル風の建物は、例のスピナッチホールらしい。( ^-^)


2ちゃんねるでも触れられていたが、この大学はどちらかというと進学校として名高い西武文理中高校の付属校的な存在で(^^;;、何かとお騒がせな学長氏は裸一貫から昇りつめた多角的な経営者で、学費もたぶん他の大学よりも2割ほど安いのが有り難い。


驚いた事に、このところ入学偏差値も彼が入学した頃よりもじわじわ上がり、数年のうちには50も望めそうなところまで来ている。


そのうちに彼が胸を張って出身校を口にする事が出来る日が来るかもしれない。( ^-^)



彼が入学して以来、西武文理大学にはいい意味でいろいろ驚かされている。


確か一年生の時は、石和温泉のホテルでホテル研修なるものが開かれた。
一泊4000円くらいで泊めてもらいながら、接客方法の極意を学ぶ。
もちろん布団の敷き方なんかも習って、自分の布団は自分で・・と言う訳だ。


でも食事なんかは普通のお客様と一緒のものを出してもらえるらしい。


Yはフロント業務を学ぶコースを取って、実際フロントにも立たせてもらったそうだ。
(コースによりフロント業務、レストラン業務、みたいに分かれているらしい。)


ある年は、地元の百貨店で販売実習があった。


包装紙のキャンディー包みをするというので、「えっ?大丈夫?」と言った覚えがある。
キャンディー包みと言うのは一番単純な包み方だが、何せ学習障害は不器用なのである。
(底を一ヶ所とめて、両横を二ヵ所三角にして止めるあれである。)


こういう実習の他にも、大学は就職に役立つさまざまな企画を立ててくれている。


たとえばスーツ着用日。


講演会やレストランでのマナー講習会なんかの日は、スーツ着用が義務付けられている。


普段はTシャツに短パンという、もろ大学一、二年生のいでたちの彼が、スーツに替えズボンなどを買いに行くと怪訝な顔をされるのだが、そんな訳でスーツの2、3着は必要になるのだ。


マナー講習会というのも親は大変期待していて、いつもうどんやラーメンを標準的な日本人以上に大きな音を立ててすするYが、スパゲティーを食べる時まで頑として日本式を貫いていたのをどうにかならないものかと思っていて、その後の展開に大いに期待したのだが、顔面麻痺の後遺症でほっぺたの筋肉の麻痺が残っているせいか、彼のスパゲッティーの食べ方は残念ながら昔とあまり変わらない。(^^;;


資格取得を奨励するのもそうだ。


彼が受けた販売士「二級」とかいう資格は就職の時にどれだけ役立つかはわからないのだが、とにかく「二」の付く資格は取っておいて損はないそうで受験したそうだ。


大学はこれを受ける学生のために3週間ほどの補講を実施し、補講に8割以上出席すると資格試験の受講料が1万円安くなり、資格試験に合格すると3万円が返ってくる。


つまり合格すれば48000円の受験料が8千円で済んでしまう勘定だ。


これはビンボーな我が家にとっては大変有り難いことだった。( ^-^)


ボランティア活動を奨励し、また単位として認定するというのもあって、先日彼は狭山市青年会議所が主催する小中学生の「むさし100km徒歩の旅」の付き添いボランティアとして4泊5日を過ごした。


何でもこの企画は10年ほど前から各地で進められているらしいのだが、狭山市は今年が第一回目で、地図好きの彼が春頃から携わっていたので、コースなんかを決めるのに彼も口を挟んだのかと思ったら、それはもうすでに出来ていたということだった。


とにかく真夏の炎天下を一日20キロ、5日間かけて歩き、宿泊は学校の体育館というのだから、主催者側が意図した「生きる力をつける」という目標は十分に達成できたはずだ。


狭山市青年会議所から親宛てに詳細な計画書が届けられたのだが、ボランティアは夜12時に寝て朝4時に起きる強行スケジュールになっていて、ボランティアにとっては「生きる力」どころかサバイバルゲームみたいなもんだったろうが(^^;;、Yは帽子やら記念バッチやら後生大事に持ってきて、誇らし気に見せてくれた。


Yはこれが大学の単位として認定される事を知らずに申し込んでしまい、今回はだめだが後期の単位として認められるらしい。


そう言えば、あれはちょうど母が亡くなる間際。


大学の講演会で講師として来ていた人材派遣会社の若手社長が歴史好きで、やはり歴史大好き人間のYがいろいろ歴史まじりの質問をしたら社長の目に止まり、会社に遊びに来るようにというお誘いを受けた事があった。


彼は185センチの長身でひときわ目立つ。その上いつも最前列の席に陣取っているらしいので、教壇から声がかかる事も多いらしい。


母はその話を殊のほか喜んで、「まあ、あのYがねえ。」と目に涙をためた。


もっともこの話はそれっきりだったらしいが・・。(^^;;


亡くなった父母はYの行く末を一番心配していた。
一人前になるかしら、自分の事ぐらいは自分で出来るようになるかしら・・。


M氏と九子とて事情は同じで、M氏などは気持ちの優しいN子に密かにお金を渡して、寅さんの妹のさくらさんよろしく兄ちゃんの面倒を見てくれるように頼むつもりでいた。


それが今では、大学も入ったし、真面目が幸いしてか成績もなんと!上一割くらいだし、今年の春にはマニュアル車の免許も取った。


「マニュアルなんて危ないよ。不器用なんだから一手間少ないオートマでいいよ。」と言ったのだが、就職すると営業車はマニュアル車が多いから・・と言う理由で彼はマニュアルにこだわった。


いつも効率を考えながら先を身据えて行動している事が、彼の一番の成長だ。


もっとも一番安い合宿運転免許学校で取ったら、車庫入れ実習がいいかげんなうちに卒業させられてしまい、今になってバックで車庫入れするのに四苦八苦しているらしいが・・。(^^;;



こうなってみると、要所要所でもっと彼の事をきちんと書いておけばよかった。


ただでさえ曖昧になる記憶力の中で彼に聞いたいろいろな事が少しずつ欠落して行った挙げ句、三年間の目次みたいな今日の日記になってしまった。


もちろん彼に聞き直す事はたやすい。
しかし彼はこの頃、とみに用心深くなった。


「ねえ、そんなこと根堀り葉堀り聞いてどうすんの?もしかして、どっかへ書いて出すんじゃないでしょうねえ。」


軽い学習障害のある純真な少年Yは、長じて普通に近い青年Yとなり、人を(と言っても、この純真無垢の(^^;;母親九子までをも)疑ってかかるようになった。



一人前に成るって事は、いい事ばかりではない。( ^-^)

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