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<坐禅、仏教、お寺の話> ブログトップ
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雪かきをしながら考えたこと [<坐禅、仏教、お寺の話>]

このところの大雪で骨がきしみそうに連日雪かきをさせられている。


雪かきと言う単純作業は、九子のような集中力の乏しい人間にとっては恰好の頭の働かせ時。

逆に言えば考え事していたって難なく出来てしまうおいしい仕事と言う訳だ。


九子の家の裏には狭い川がちょろちょろと流れている。

川があると無いでは大違い。

雪かきの時にはこれが大活躍なのだ。


川が無ければ雪を山にして積み上げるしかないから、雪の山のせいで道が狭くなる。

もちろん町中の人々が(九子を除いて(^^;;)働き者という事情もあるが、隣の町に比べて小さなわが町はいつでも道路に雪が無くて快適だとドライバーには評判らしい。


雪ダンプで運んだ雪を、町中の人がこぞってこの川に投げ入れる。

新雪の真っ白い雪ばかりではなく、下の方で凍りついて黒くなった塊の雪もどんどん投げ入れられるから、狭い川はすぐに雪で一杯になる。


そのうち雪が川を堰きとめて、雪の上まで水がかぶさり、しばらく淀んだようになる。

これは大変だと思っていると、二三度雪を運んできた頃にはもう、川は雪の山の下に見事に行き先を見つけ出して流れ始めている。


こういう時、水はタフだなと思う。


九子が坐禅を習った大本山活禅寺の無形大師に、「水の如くあれ」と教えられた。

水は暑くなれば水蒸気となって霧散し、寒くなれば氷となって固まる。

だが、形は変わろうともその本質は決して変わらず、いつかまたもとの水に帰る。

そして水は器によって変幻自在に姿を変える。

水の如く、柔軟な生き方をしても、その真髄は変えるなという教えか。


考えてみると九子は、言われなくたってそれを実践してる。

理不尽な目に合うとすぐに頭から湯気を出してカッカと熱くなり、うまく行かなくなるとすぐにへこんで固まって氷になる。

器用じゃないから、器によって形を変えるってとこだけは出来ないけど・・・ってそういう問題か?(^^;;



川に続く道は狭い。人二人がやっとすれ違う程度。だから雪ダンプを持ってる時は、どちらか一方が待って道を譲る。


たしか数年前までは、中学生も高校生も挨拶をしてくれたものだった。待っててくれて有難うの意味で「すみません。」と言うと、あちらからも「すみません。」が返って来た。


あちらの「すみません。」に対して、「こっちこそすみません。」と言う。

満員電車で靴を踏まれて、踏まれた方が謝る日本人という訳だ。


ところが今年はそれが無い。3日間のうちのたった一日、こちらが待っていてあげるとたった一人が「すみません。」を言って通って行った。嬉しかった。しかもそれは九子の母校の子であった。


「すみません。」は日本人の魂だと思う。良かれ悪しかれ、九子の世代の人々の大多数が一日のうちに何回も何十回も使い続けて来た美しい言葉だ。


待たせてごめんなさい、やってくれて有難う、わざわざ面倒かけて(時間を割いて)ごめんなさいね、気を遣ってくれて有難う、などなど。


要するに日本人独特の「思いやりの心」ってやつだ。

あまのじゃくな九子とすれば、思いやりだのおもてなしだの、あんまり声高に言われると、「何よ、それ!」って気にもなるのだけれど。(^^;;


でもそれは、見えないものを見る力だ。

声に出して言われなくても、相手の事を想像する力だ。


日本人が美徳とするこの力を全く理解しない人々が世界中には多くいる。

世界中を見回さずとも、ほんのお隣だってそうだ。


自分には一切非が無くて、相手がすべて悪い。

すみません、ごめんなさいと言った途端に、それ見たことかと追求されたら、そしてそういう事を何百年、何千年と繰り返してきた人々が私たちの10倍以上も住む国と付き合い続ける事を考えると

とても気が重い。

だけど付き合わなきゃならない。


水の話に戻るけれど、水は一番低いところを流れる。

「水の如く」と言う言葉には、きっと無理をしないで楽な方に流れよという意味も含まれている。


日本人は日本人のままでいい。

無理して強くなって大陸の真似などしなくてもいい。

靴を踏まれて「ごめんなさい。」というお人よしでいい。

だってどこかの国を真似て強くなろうとしたって、何百年も養った真面目で人のいい性格がそうそう変われる訳が無い。


強くなるのは政治家だけ。政治家には目いっぱい強くなってもらって、国家を守ってもらわなくっちゃ。


水はタフだ。氷をも、岩をも砕く。

水になればいい。

真面目なところも、正直なところも、そのままを押し通して、突き進めばいい。


ずるがしこくなるな。計算高く生きるな。

持っている純粋さのそのままで押し通せ。


無形大師の「水の如く」。

日本人が自信を失っている今だからこそ、知って欲しいと思う。





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年賀状2016 と、等順和尚  [<坐禅、仏教、お寺の話>]

18歳で進学する時とっくに済んでしまったと思っていた君たちの巣立ち。
休みとなれば帰郷し、まだまだ親の庇護の下だったそれは、巣立ちの予行演習にすぎなかったことにようやく気がついた。

親には見えない輝くものに心躍らせ、目を見開き、時にはそのまばゆさに目をくらませて、親の知らない土地での生活を選んだ君たち。
せいぜい親は経験則を振りかざし、知った風な顔して精一杯の御託を並べるのが関の山。
ああだこうだと言ってみても、たかだか30年長いだけの経験則にさしたる意味があるわけじゃない。

休みには必ず帰ってくると思い込むことも、父母や代理人の欄にハンコをつくことも、もうおしまい。
 
人生を極めることは容易ではないが、少なくとも目一杯楽しんで欲しい。
他愛ない会話に幸せを感じる笑顔あふれる日常であって欲しい。

そしてもしも堪えられなくなったなら、重石も飾りもかなぐり捨てて、
一番大事なものだけ抱えて、上を向いて長野に帰っておいで。
辛抱はもはや昭和の遺物であって、命をかけるような代物じゃない。
辛抱の半分は、きっと見栄やら世間体だったのだから。

人生は何度でもやり直しがきく。それを信じて実践するのが君たちの仕事だ。
君たちの未来が誰よりも幸せで輝いていますように。

親の戯言におつきあい有難うございます。今年もよろしくお願いします。      
                     2016年 正月

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今年は少々趣向を変えて、善光寺第80代別当 等順和尚のことを書いてみようと思う。

実は去年のご開帳中、お陰さまで2回もBSテレビに出して頂いたのだが、そのどちらもが「善光寺七名物」を訪ねる旅だった。
笠原十兵衛薬局の「雲切目薬」は、たぶん現存する中では一番古い七名物と思われるので、どちらの番組でも割合時間を割いて頂いた。有り難いことだ。( ^-^)
 
ところが「善光寺七名物」はいつ頃からあるのか?と聞かれて、はたと困った。
結局どちらのテレビにも答えらしいものが出なかったところを見ると、物を知らない九子はもちろん、誰に聞いても確たる答えを知っていた人は居なかったのだろう。
 
ところが放送が終わってしまってから、ひょんなところから答えを知っている人が現れた。
雲切目薬の古くからのお客様であり、ご祖父様が長野市のご出身という事で長野の歴史をよく研究されているまだお若い方である。
 
その方から「等順和尚」という名前が出ても、九子は言うに及ばず、信徒総代のはずのM氏も、近所のおじちゃんおばちゃんがたも、本当に申し訳ないことながら誰に聞いても首をひねった。

後からわかった事だが、等順さんは「善光寺七名物」ばかりか、7年毎の善光寺ご開帳も最初に開催されていた。

等順さんは1742年生まれだ。
善光寺七名物の中で一番若いと思われる「八幡屋礒五郎の唐辛子」が1736年創業と謳っているので、等順さんが「善光寺七名物」にこれを加えたとしても辻褄は合う。

等順さんは、善光寺百数十人の大僧正のなかで唯一長野市出身の僧侶だと言われる。
実家は大門町というから、善光寺に向かうバスの終点辺りであり、質実ともに善光寺の門前である。

いつも観光客の人並みで賑わう表参道に、九子の知る限り等順さんの生家など見当たらないし、何らかの石碑などにお目にかかったことも無い。

そんな地元の人々にも忘れ去られたような等順さんが、実は善光寺の名声をいやがおうにも高める凄いことをしていた。

1783年に浅間山が大爆発し、ふもとの村では500人だった人口がたった93人になってしまった。
被災した人々は東叡山寛永寺に救いを求めた。

たまたまその前年、東叡山寛永寺護国院の住職から、故郷善光寺の別当大勧進貫主(かんす)に就任したばかりだったのが等順さんだった。
 
自ら被災地に入り、犠牲者名を記録し、毎日、村人と念仏を唱え、死者の回向を30日間行ったと伝えられる。
何もかも無くした人々に白米とお金を与えて労ったという。
『浅間山噴火大和讃』の中で等順さんの活躍は今でも伝承され、しのばれている。

翌年の1784年、等順さんは善光寺本堂で浅間山大噴火被災者の追善大法要を行い、被災地には1,490人の名前が書かれた御経塔婆木が送られた。
また、被災した人々の心の平安を取り戻すため、『血脈譜』とよばれるお守りを大量に配った。

『血脈譜』というのは『融通念佛血脈譜』を簡素化したもので、これを持つだけで阿弥陀仏の直弟子になれると参拝者は有り難がり、また等順さん自ら全国各地を回ってこれを広めた。言ってみれば免罪符みたいなものだ。

「血脈譜」は評判に評判を呼び、等順さんは生涯で約180万部を配布、善光寺信仰の普及に大きな役割を果たしたそうだ。

この話が落語の「お血脈」の題材になったと言われる。
「善光寺縁起」をもとにした話だから、最初の方は若干面白おかしく脚色されているものの大体正しい。
ごうつくばりの月蓋(がっかい)長者が、美しい如是姫の病気をなんとか直して欲しいとお釈迦様にお願いするところから話は始まり、善光寺如来が権力闘争に巻き込まれて難波の堀に沈められてしまうが、本田善光がそばを通るのを見て「ヨシミツヨシミツ」と呼びかけて、善光の背に負ぶわれて信州までたどり着いた。

そして最後の方に出て来る等順さんの「血脈譜」の部分がこの落語のハイライトとなる。

善光寺が人々に与えた「お血脈」のおかげで、この頃地獄に来る人がぐっと減ってしまい、地獄が不景気で鬼どもがほとほと困っていた。

そこで地獄の閻魔大王が一計を案じ、地獄の住人になっていた石川五右衛門を呼び出し、大盗賊に善光寺にあるお血脈をまんまと盗ませようとした。
「お血脈が無くなれば、また地獄に人が戻ってくるだろう・・。」という目論見だ。

ところが、そうは問屋が卸さなかった・・・・・・というお話である。

「お血脈」は、「ご印文」に形を変え、善光寺ご開帳の時には極楽浄土を目指す参拝客が我先にと押寄せた。

我が善光寺の出来事が落語になって人々に伝えられたのは心底嬉しいし、何より等順さんという素晴しい僧侶が地元長野市から出たというのが誇らしい。
そしてそんな偉人がいた事を全然知らなかった九子が恥ずかしい。(^^;;

善光寺には大勧進貫主(だいかんじんかんす)と大本願上人(だいほんがんしょうにん)のお二人の別当がいる。
大本願お上人は代々女性で、天皇家に縁ある方や、身分卑しからぬ方々が任に着かれている。

問題は大勧進貫主さんの方で、せっかくの等順さんみたいな素晴しい見本がありながら、現在の貫主さんは醜聞で新聞や週刊誌を賑わしてばかりいる。

大本願のホームページには第121世鷹司誓玉(たかつかさせいぎょく)上人のお姿とご紹介が大きく出ているのに、大勧進のホームページに、九子の見る限りお貫主のお姿もお名前も無くて、写っているのは小さな後ろ姿ばかりというのは恥ずべき事じゃない?

まあでも、新しい風は吹きつつある。
大勧進には活きのいい新しい副貫主さんがいらして、大なたをふるってくれそうだ。

比叡のお山からいらして、関西ではかつて桂三枝さんといっしょに毎週テレビに出演されて、現在もご自身のラジオ番組まで持っていらっしゃるという変り種、栢木寛照(かやきかんしょう)氏。
まるで三流週刊誌を思わせるウイキペディアの評はいかがなものか?と思うけど、実際はとても穏やかで誠実で気骨のある、腰の低い方です。)
 
 何より、毎年学生たちを何十人も引き連れて、大戦の激戦地サイパンへ慰霊の旅に行かれている。近くの城山小学校の子供たちも毎年何人も行っている。
きっとスポンサーはおいでなのかもしれないが、ほとんどは寛照さんの自腹だと聞く。とても普通の人間に出来る事ではない。

ご活躍に期待しよう。(^^)

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善なるものの力 [<坐禅、仏教、お寺の話>]

九子の坐禅と仏教の師匠(と言うと、いかにも九子が坐禅や仏教に秀でているみたいに聞こえるが・・。(^^;;)である長野の善光寺の裏山にある大本山活禅寺の徹禅無形大師は、仏教とは簡単なことだ、善い事をせよ、悪いことをするなというただそれだけのことだと言われた。

言われた時は、なるほど!そんなものかと思ったが、いざ何が善くて何が悪いのかと考えてみると、これはかなり難しい。

最近の事件で考えてみても、世界で一番たくさんの番組に出ている司会者としてギネスブックにも載った「みのさん」ことみのもんた氏の息子が深夜、酔って寝ていた男性からキャッシュカードを盗んで、無断借用、つまりお金を盗んだと言う事件が持ち上がった。

最初のうちは、もう30歳を超えた息子が起こした事件だから、父親であるみのもんた氏の責任はさほど問われないのではないかと思われた。

そう。ここで、息子がしでかしたことは立派な犯罪だから「悪」である。
それはもう、はっきりとしている。
だが、その息子を育てた親は、果たして「悪」であるのかというのが問題だ。

どんな親だって、子供を悪人に育てたくはない。
聞くところによると、みのもんた氏は、息子が言うことを聞かない時は体罰もするスパルタ親父であったと言う。

その体罰は「悪」なのか?というのも、これまた時代によって、地域によって議論の分かれるところかもしれない。もちろん現在の日本においては「悪」に違いないのだけれど・・・。

子供の幸せを願うのは、世界共通の親の心情に違いない。子供が大きくなった時に、それが特に息子なら、一人でお金を稼いで、家族を養えるように、社会に出る強さを身に付けさせたい。

だから、時には愛の鞭も出る。特に、戦後すぐに生まれて、貧しいひもじい厳しい時代を体験したみのもんた氏であるならば、なおさらのこと・・。

仮に彼の体罰が息子を傷つけたとしよう。息子の気持ちを萎縮させて、息子を人を怖がる未熟な人間にしてしまったとしよう。

いや、親の暴力は反対に、息子自身が暴力肯定論者になるのを助長してしまったのかもしれない。

そうして子供を育て間違ってしまったことは、彼の「悪」だろうか。

親の願いの最初のところで、それは完全な「善」であったと思う。
一人息子を逞しく育てたい。世のためになる男に育てたい。そのためなら、出来ることはすべてしてやろう。

ところがその意に反して、父親が稼ぎ出す億という金は、息子を怠惰な生活に甘んじさせ、金銭感覚を狂わせ、悪の匂いまで漂わせさせる結果となった。

そんな息子を、超難関と言われる放送局に就職させる。まっとうに考えれば、「みのもんた」という名前の威力であったと勘ぐられても仕方がない。
だがそれは「悪」であるか?

もちろんあんまり褒められたことではないけれど、権威ある者なら誰でもきっと、多かれ少なかれやっている。

朝から夜まで、みのもんた氏の顔をテレビで見ない日はなかった。
そうするためには、たぶん3時間くらいの睡眠時間で、何十年間も仕事一筋を通して来たはずだ。

そうやって努力をして、毎年何億円も稼ぐことは「悪」なのか。

もちろん「悪」なんかじゃないよ!と言いたいが、みのもんた氏は結果的にすべての報道番組から追放された。「干された」とも言われた。「 みのおろし」とも言うんだそうだ。


彼がお金を稼いだこと自体はもちろん「悪」ではない。
ただ彼がその結果、あまりにも傲慢になり、人を人とも思わぬ言動が増えて、多くの人々がこの機を逃さず、みのもんた氏をテレビ業界から追い出してしまいたいと思うに至った。

傲慢というのは、確かにキリスト教の「7つの大罪」のひとつでもある大罪だ。

傲慢pride 嫉妬envy 憤怒wrath 怠惰sloth 強欲greed 暴食gluttony 色欲lust

傲慢は英語ではprideなんだね。傲慢もpride、誇りもpride。これも善悪を分ける難しさの一例?( ^-^)


純粋に「善」なるもののひとつの形は、「無償の愛」だ。
「無償の愛」もキリスト教の言葉だと思うが、無形大師の言葉に直すと「わが子に危険が迫っている時、思わず駆け寄ってわが身の危険を顧みずにわが子を助けようとする行為」ということだ。

親ならばきっと誰でも咄嗟にするに違いない。でも、こういう行為が危急の時に出来るというのが、人間の素晴らしさなんじゃないかと九子は思う。
(まあ動物でもそうだろう、そりゃあ本能さと言わば言え!(^^;;)

子供を助けようとする親は、無我夢中でその場に駆けつける。そして、事の良し悪しも何も考えずに溺れた子供を助けに水に飛び込む。

そうやって、時には親が、子供を助けて死ぬことだってある。
そういうのが無償の愛だ。

でも本来、犠牲になってはいけない!と言うことも無形大師は声高に言われて、九子も当時はもっと若く、理想主義的だったからちょっと変な気もした。

だけどやっぱり、命を尊ぶ仏教だ。犠牲になってはいけない!無理をしてはいけないんだとだんだんにわかってきた。


こうしてみると「善」なる行為はまっすぐだ。イチローのレーザービームみたいに、脇目も振らず、最短距離を走って、迷いがない。

それに対して「悪」の方は、計算して、画策して、のらりくらりとかわし続ける。とても「まっすぐ」とは思えない。

善の力とは、きっと、まっすぐな力だ。
やむにやまれぬ思いに駆られた強い、強い力だ。

もちろん、向けられる方向も重要だ。
悪の権化みたいな人間がいて、逡巡することもなく人を傷つける方向に強い力を用いる事だってあるだろう。


善の力とは、誰かの幸福を祈って投げかけられた強い思いだ。
希望の光だ、喜びだ。

天才と称えられるほんの一握りの大いなる才能を持つ人々にとっても、人々に夢や勇気を与える仕事が出来なければ、その才能は開花したことにならないのだそうだ。

人間は、不思議なことに善なるものを生まれながらに知っている。
悪の臭いをなんとなく嗅ぎ分ける。
そうして嗅ぎ分けた悪に与(くみ)する事をよしとせず、善たらんと欲する人々が大半なのだと思う。


日本人は、きっと稀に見る善良な人々だ。
外敵が進入しにくい四方が海という特殊な環境と温暖な気候の中で、まわりと協力し、まわりを信頼する社会を築いて来た。

世界の大方が「騙される方が悪い」という中で、「騙すよりも騙される方がまし」という価値観を持っているなんて、なんと美しい国だろう。

日本人にこそ、原罪の「性悪説」よりも、仏教の「性善説」がふさわしい。

お人よしと言われようが、バカ正直と言われようが、日本人の善なる力は、いつかきっと、世界の役に立つ。

美しい日本を貫くがいい!美しい日本人を貫くがいい!
損をしてもいい。信用と言う、尊敬と言う大きな徳を得る方が大切だ。


格好いい事ばかり言って恐縮だが、九子はどうも実践に難がある。
怠け者なので、口先ばっかり!と言うことになりかねない。(^^;;

だけどせめて人生で一度くらい、世のため人のためになることをやってみたい。
それが「善なるもの」であるかどうか、決めてくれるのは人様だ。

まっすぐであるか、強さはあるか、方向は正しいか・・。

答えはいつか出る。

 

 ★コメント時「画像認証」とやらが付きました。スパムコメントを防止する目的らしいです。ただ、九子みたいなうっかり者は、数字を入れ忘れて何度もコメントを消してしまいました。皆様もご注意ください!!

 


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九子の頭ん中 [<坐禅、仏教、お寺の話>]

なんとなくこの日のことが書きたくなった。
例によって特筆すべきことがあった訳ではない。
ただ理由も無く、この平凡な一日を日記の中に留めておきたくなった。
九子のありきたりな、人様から見ればなんと退屈な、日々の過ごし方の一例として・・。

長野では10年ほど前から、冬のこの時期に「灯明(とうみょう)まつり」をやっている。今年は2月9日から2月17日まで善光寺界隈で行われた。

はじめは有名な照明デザイナーの石井幹子氏などを招いて、善光寺の境内を五輪にちなんだ五色の色で染め分けるなどしていたが、もちろんそれも今でも続いているようだけれど、毎年のことだとだんだんどうでも良くなって(^^;;、とんと足が向かなくなった。

今年珍しく街中(まちなか)を歩いたのは、ちょうどこの日、薬剤師会の会合があったからだ。

大通りを善光寺とは反対の方角に歩くと、そこはもう車の乗り入れが規制されていて、道中所狭しとばかりにたくさんの灯明が地面に並んでいる。

灯明というのは、要するに飾り灯篭(とうろう)だ。
木製の四角い枠の四方を白いプラスチックガラスで囲まれた既成サイズの灯篭があって、その四方のガラス部分を、黒紙の切り絵で埋めていく。

そこに光を当てれば、白い部分が多ければ明るく、黒い部分が多ければ暗い灯篭が出来上がるのは皆さんご存知の通りだ。

雪の積もるこの季節だと、明りが一際美しく輝く。

作り手はほとんどが子供たちか、学生さんか、素人さんである。
本当にたくさんの作品がある中で、どれも美しいには違いないのだけれど、やはりどこやらの切り絵作家さんの手になるようにも見える、いかにも複雑に作りこまれた、器用なハサミ使いの作品は、誰が見ても思わず足を止めて見入ってしまうような見事さである。

そういう作品群の中で、少々毛色の違う一つの灯明に九子の目は引き寄せられた。

周りがみんな繊細な作りなのに対して、それはいかにもすっきりとして、とてものびのびとしていた。この作品を見ると、周りの繊細さがいかにも窮屈に思えてきた。

それは、良く見ると算盤だった。珠が上に一列、下に四列、無造作に描かれていて、算盤の四角い角(かど)までデザインになっていた。

光に描き出されたのは、きっちりとした多くの直線とわずかな曲線。

ここで九子はその巧みさに気が付いた。
それが算盤の珠でなければならなかった理由が・・。

算盤の珠は球ではない。ひとつひとつがなめらかな三角錐を二つあわせたような格好をしている。そして影がひし形になる。
だから美しいのである。

もしもこれが球であったとしたら、お団子やさんのお団子か、焼き鳥屋さんのつくねになって、まさに店先に飾られてる広告ちょうちんになってしまう。(^^;;

何を思ったか、九子は「ああ、これだわ。」とつぶやいた。
九子は自分の行くべき道が見つかったような気がしたのだ。

誰でも、小学生でも幼稚園の園児でも作れる直線と曲線の単純な形。
それなのに、圧倒的な存在感を持って、見る者の心を揺さぶる。
ああ、すごい!と思わせる。

不器用な九子がいくら修行を積んだって、器用な人たちに勝てるはずがない。(それ以前に努力が続くはずがない。(^^;;)

であるならば、九子が目指すべき道はおのずと決まってくる。
なるべく人がしないようなことをする。
人が思いつかないような、はっとするほど単純な技法で・・。

まあ、難しいけどね。(^^;;


薬剤師会の会場のホテルで、九子は今日二つ目の出会いをした。

それは会場の外の、人の目に付かないところに置かれたグランドピアノだった。
ひっそりと置かれていたせいか、なんだかとても小さく見えた。

九子はふたを開けてみた。YAMAHAと書かれていた。
それを見たとたん、ピアノがすすり泣いてる気がした。

坂本龍一が弾いていたピアノはたくましく洗練された「彼」であったが、今日のピアノはうつむき加減の「彼女」に思えた。

彼女は卑しくもグランドピアノとして生を得た。しかも世界のYAMAHAの名を冠している。
そこらの縦型ピアノを見ては、優越感を感じて生きて来たに違いない。

その上運ばれてきたのは、上級ホテルの大きなホールである。

中には小学校や中学校の音楽室に運ばれた仲間も大勢いただろうけれど、訳わかんない子供たちにチョークを付けられたり、ほうきや雑巾を投げつけられたり、そんな無法な取り扱いをされる心配のまったく要らない場所に運び込まれたことに、彼女は無上の喜びを感じて居ただろう。

自分が選ばれたピアノであるというエリート意識も芽生えたかもしれない。
九子は「彼女」の中に、少しだけ星の王子さまの薔薇の花を見出していた。

ところが彼女の出番は少なかった。
実は彼女と同じ境遇のピアノを、その日もう一台、目にした。

彼女たちは、サブのピアノなのだろうか。
それともいざとなったら、メインのピアノとして晴れの舞台に立てるのだろうか?

なんだか前者のような気がしてならない。
結婚式のピアノ演奏くらいになら使ってもらえるだろうけれど、名だたるピアノ奏者の演奏会やディナーショーには力量不足が目立ってしまう。

彼女は今頃、学校に運ばれた仲間たちを羨んでいるのかもしれない。
「チョークや雑巾で汚されたって、毎日何時間も弾いてもらえて、うらやましいわ。」

九子はこんなことを考える。
今度このホテルでピアノリサイタルがある時、有名ピアニストさんではたぶん無理だから、ピアニストのマネジャーをしてるピアニスト志望の若者とか、たまたまここに泊まった音楽家志望の有能な学生さんとか、お願いだからこのピアノのふたを開けて演奏をしてみてくれないかしら?

願わくばその若者たちがとてもとても広い心の持ち主で、「あれっ、君、こんなところに置かれているけれど、なかなか良い音色だね。ここに置くのはもったいないなあ。素晴らしいよ。」と、嘘でもいいからうんと彼女を褒めてあげてくれないかしら?

きっと彼女はその一言で、一生分の元気と希望をもらえると思うから・・。( ^-^)



帰りがけ、九子に声をかけてくれたのはNさんだった。薬剤師のお父さまを半年前に亡くされて、今現在はたった一人で調剤薬局を切り盛りしていらっしゃるという。

「だって妹さんも薬剤師さんでしょ?手伝いに来てくれないの?」

「あの人、気楽にやっててダメなのよ。」

その時九子ははじめて聞いた。妹さんが大きな病院の医師夫人であったことを・・。

「えっ?そうだったの!凄いわねえ。でも、それじゃあダメよね。お金の心配要らないんだもの。
 調剤薬局で神経すり減らして仕事なんかしたくないし、する必要もないものね。」

ああ、医師夫人かあ。やっぱりいいなあ、その響き!(^^;;

思えば九子にもそうなる道はあったのだ。
でもまあ、「うちの娘は嫁に行かせるように育てていません。」と父がきっぱり断ってくれたから、今こうやってお気楽に暮らせてる訳だけど・・。(^^;;



とまあ、九子はいつでもこんな風に頭の中で種々雑多なことを考えて暮らして居る。そんな風にしていると、いつの間にか時間が経ってしまう。(ああ、だから友達居ないんだ!(^^;;)



唐突だが、あなたはこんなことを考えたことはないだろうか?
もしも誰かから、一生、今のあなたのそのままで居られる魔法をかけてあげましょうと言われたら、あなたはそれを受け入れるだろうか?

もちろん提案は大変魅力的に思える。考えてみると「今のあなた」はこれから先の人生の中で一番若いあなたである。
もしもあなたが幸運なことに今20代であれば最高に素晴らしいが、そうでなくても一生今のままで居られるならば、これ以上歳をとらずに済むということだから、それはそれは素晴らしい提案である。


でも九子はいろいろ考えた末、やっぱり受け入れないことにする。

「今のあなた」は、これから先で一番若いあなたかもしれないが、「今のあなた」は100%完璧なあなただろうか。

ちょっと風邪気味で咳が出る。頭痛がする。鼻のあたまに吹き出物がある。指にささくれがある。
肌が荒れている。肩がこる。ちょっとおなかの調子が悪い。などなど。

心配事がある。落ち込んでいる。疲れている。眠れない。いらいらする。不安である。などなど。

身体も心も100%調子が良いという日など、一生のうちたぶん一日も無いのじゃないだろうか?

それなのに、たとえ95%が快調でも、5%の不快な部分が一生涯続いて、決して治ることが無いんだよ。他が快調な分、決して治らない不快な部分が尚更気になって、そんな提案を受け入れたことを後悔するような気がする。


考えてみると、ちょっと風邪を引いても、すり傷が痛くても、体調が悪くても、気分がすぐれなくても、明日になれば様子が変っている、良くなっている、楽になっているということを何の疑問も持たずに信じることが出来るから、みんな気楽に生きていけるんじゃないの?

それなのに、一生変らない人生を約束されちゃったら、ふだんは何とも思わないにきび一つだって、悩みの種になるのじゃないかしら?だって、いやでも一生変らずそこにある訳だから・・。


「世の中は無常だ。」とよく言われる。東日本大震災が起こってからあとは、頻繁に言われるようになった。

曰く、幸せな日々がいつまでも続くと思ってはいけない。無常の風が吹いたら、今の幸せなど砂塵のかなたに舞い散ってしまう。


それはその通りなのだけれど、無常はいつでも悪者じゃない。

どん底の時だって、無常だからこそ、いつまでもこのままじゃない、明日はもう少し良い日になっていると信じられる。

そう信じていらっしゃるからこそ、被災者の方々は希望を持って、懸命に明るい未来を築こうと努力していらっしゃる。


世の中に決して変らないものなど何も無い。体調も、気分も、天気も、動物も、植物も、人間も、物体も、天体も・・・。


たとえばくだらない九子の頭ん中で、考えることも記憶も、日々移ろい続けてひとつところに留まらないでいてくれるということは、九子にとって福音である。

いくら非道なことを考える時があったとしても、しばらく後には別の戯言(ざれごと)にすり替わって流されて行き、、また邪(よこしま)な考えが浮かぶ時まで、九子は自分の中の人並みの善良さをとりあえず信じていられるからである。


頭ん中で思い出したが、九子は父にも酷いことをした。
「十兵衛の頭ん中」 父が出す自叙伝のタイトルになるはずだった。

それより更に5年前、父が出版社の人に薦められて自叙伝を出すと言った時、九子が反対した。

「お金かかるんでしょ?九子が書いてあげるから、そんなの止めときなよ。」
結局5年近く、九子は何もしなかった。

いよいよ父が弱ってきてあわてて口述筆記を始めたが、最初の数ページ分くらいしか録音出来なかったし、父が亡くなってあたふたしているうちに、電池が切れて父の声そのものも消えてしまった。
あの時出してもらっていれば、ちゃんとした本になっていたのに・・。


これ以上無いほどの愛情で育ててもらった父にも母にも、詫びたい事は山ほど有る。
無かったことにして欲しかった言葉もたくさん投げつけたし、聞こえないふりも何度もした。
それなのに、そんな九子に、父も母も最後まで優しかった。


もちろん一人娘の九子を、いくつになっても目の中に入れても痛くないほど可愛いがってくれていたからだと思う。

でもその他に、彼らは歳を取り、余命いくばくも無い老人となって、日々に起こる嫌なことはきれいさっぱりと忘れてくれていたからではないか・・・?ということも考える。


惚ける(ぼける)(呆けるとも書く)と惚れる(ほれる)は同じ漢字だと誰かが言っていた。

歳をとって頭が惚けて嫌なことはすべて忘れてしまい、自分の人生を素晴らしい人生だったと自惚(うぬぼ)れてあの世に旅立つことが出来るのであれば、それは仏さまが人間に与えてくれた最後のお慈悲なのかもしれないと思う。
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雑誌「健康」10月号と「坐禅の本」のご縁の不思議 [<坐禅、仏教、お寺の話>]

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 ブログの左側の「お知らせ」にも書いた通り、今書店にある雑誌「健康」10月号に雲切目薬の特集記事が出ている。
白内障に評判の470年の歴史有る目薬ということで、118ページから121ページまで、4ページに亘って掲載されている。
「曇りとり漢方目薬」などという名前になってはいるけれど、すべて雲切目薬のことである。

この雑誌はかなり購読者数の多い雑誌と見えて全国から問い合わせがあり、久しぶりに九子は忙しくしている。

この記事を書いてくださった女性記者のSさんは、実は不思議なご縁で我が家に取材に来てくださった。

最初彼女から電話がかかってきた時、彼女が口にした「主婦の友インフォス」という会社名に聞き覚えがあった。

実は聞き覚えがあったどころではない。忘れようにも忘れられない(^^;;会社名だった。

あれはもうかれこれ2年以上も前のことだろうか。突然ある編集者の方からメールを頂いた。
男性とも女性とも取れるお名前で、一度電話をしたことから若い男性であることがわかった。
それが「主婦の友インフォス」社のF記者であった。

彼はどういう経緯でか、笠原十兵衛薬局の片隅の、誰も気がつかない「心のページ」にある「坐禅とうつ病の話」を読んで下さり、興味を持ってくださったのだ。そして、今すぐと言う訳ではないけれども、いつか本にしてみないかと持ちかけて下さったのだ。

九子は狂喜乱舞した。 と言うか、最初はよく事情が呑み込めず、彼が言った「商用出版」という意味が、こちらがお金を出さなくてよくて、出版会社が勝手に本にしてくれるという事だと理解した段階で、狂喜乱舞したのであった。(^^;;

ただその話は、なかなか進展しなかった。
いつか上京する機会があったら連絡して欲しいと言われたのみで、それ以降、忘れられていたと思っていた。

そこへ3.11の大震災が起こった。
九子は今こそ坐禅の良さを日本中の人々に知ってもらうチャンスだと思った。
坐禅で日本中の人に幸せになって欲しかった。

九子は「坐禅とうつ病の話」の「うつ病の話」の部分は除いて(当時は少なかったうつ病の情報だが、今ではどこでも手に入るので)、坐禅の話のかなりの部分を書き足して、書きなぐるようにしてF記者に原稿を送った。もちろんメールで、添付文書の形で・・。

考えてみたら大変不躾な原稿の送り方だったと思う。
でも当時は、一日も早く本にしてもらいたい気持ちでいっぱいだった。


しばらくしてメールが来た。
残念ながら今回は本には出来ないということだった。

理由は九子自身でもわかっていた。
後から読んでみると、気持ちばかりが先行して、あちこちに重複があったり、言わんとすることがいまひとつはっきりしない文章だったからだ。

仕方が無いと思った。
でもF記者の対応は優しかった。

「僕は九子さんと是非一緒にお仕事したかったです。とても残念です。」

彼の真摯な言葉は、いつか機会があったらもう一度、これを書き直して再挑戦したいという前向きな気持ちを九子にくれた。


3.11から一年ちょっとの今年の4月、S記者から突然雲切目薬の取材の電話が来た。
4ページもの立派な記事にして頂けて、こちらからお金は一切かからず、却って取材費まで頂けるという大変有り難いお話で、一も二もなくお引き受けした。

話の最後に聞いてみた。「F記者はいらっしゃいますか?実は以前、お世話になったので・・。」

「ああ、Fはもう、うちの社には居ないんですよ。今は教科書会社にいると人づてに聞いたことありますが、連絡先もわからなくて・・。」

F記者は退職されていた。とても残念だった。

 

6月の末にS記者が取材に見えた。
若さみなぎる明るいお嬢さんだった。

彼女は信州大学を卒業されていた。だから長野にも友人を訪ねて頻繁に来ていたという事だった。

松本に比べたらつまんないに違いない長野の町を、彼女はとても面白がってくれ、九子が何を言っても可笑しそうに笑い、古い店を見ては驚嘆の声をあげてカメラを向けてくれた。

そして満面の笑みで「本当にこちらに伺えて良かったです。」と感慨深げに言ってくれた。

九子は聞いてみた。「どうしてうちを選んで下さったんですか?」

すると彼女はこう言った。「実はF記者から雲切目薬をもらってたんですよ。私は彼とは同期でして・・。信州大学出てることもあって、この目薬にはとても興味を持っていたんです。今回「目」の特集が組まれたので、是非とも伺いたかったのです。」

九子は彼とのいきさつを話した。特に、坐禅の本の話はダメになったけれど、「九子さんとは是非一緒にお仕事したかったです。」と言ってくれた彼の言葉をとても嬉しく思っていると・・。

「あっ、それ社交辞令でもなんでもなくて、彼の本心だったと思います。彼はとてもいい大学を出た頭のいい人で、真面目な人で、お世辞なんか言える人じゃなかった。だから、本当に九子さんの坐禅の話に、とても興味があったのだと思います。」
彼女の言葉に嘘は無いようだった。


S記者は九子のプロフィールに工夫してくれた。
普段は薬剤師ならば「○○先生」と書くところを、九子の言うとおり「○○さん」と書いてくれた。(^^;;

そして何より、最後にこういう一文を付け足してくれたのだ。
「現在は薬局運営のかたわら、自らの体験をもとに坐禅による精神的安定の効果を広める活動もしている。」

たぶん見る人など居るはずのないプロフィールだけれど、九子にとっては一番と言っていいほど嬉しい一行だった。何しろ、九子と坐禅が、はじめて公の出版物の中で繋がったのだ。

そして、「坐禅の本が出たら、きっとFも喜びます。私も応援しています。頑張ってくださいね。」と言ってくれた。なんだかふつふつと勇気が沸いてきた。


後からわかったことだったが、実は彼女も8月末で会社を退職し、これが彼女の「主婦の友インフォス」社での最後の仕事になったのだった。

8月の最後の日に薬局に届いた掲載誌を読んで、どうしても彼女に直接お礼を言おうと思って会社に電話をして、電話に出られた編集長さんから彼女の退社についてはじめて聞いた。

「家庭の事情で転勤するんですが、ちょうど良かった。今日なら彼女が最後の挨拶に来るから、こちらから電話させますよ。それより、その記事、とても良く書けているでしょう。私も誉めたんですよ。きっとたくさん反響あると思いますよ。」

とりあえず、その言葉どおりの毎日が続いている。
そして彼女とも話が出来た。あの日、あの時間に電話しなければ金輪際連絡できなかった訳だ。
( ^-^)


九子は本当に運が良いと思う。自分でも信じられないほどの強運だ。
でも昔はそんなこと全く思わなかった。

それでも要所要所では運が良かったとは思う。
でも自分が大嫌いだったから、自分の不幸を嘆いていたから、運が良いだなんて考えたこともなかった。

全ては坐禅に出会ってからだ。大いなるものに護られているように、九子の人生の全てが良い方向に転がり出した。

でもそのうちの半分くらいは「ご縁」の力だと思っている。
今回の取材も、F記者が見えない「ご縁」で繋げてくれたように、「ご縁」で出会った人々が、表立ってにせよ、陰の力になって下さるにせよ、新しい出会いのお膳立てをして下さる。

九子は「ご縁」という言葉が大好きだし、とても大切にしている。

「ご縁」という言葉を人様が使っているのを聞くと、まだまだ日本人は捨てたもんじゃないと思う。


最近聞いた話だけれど、出版業界も不況でとても大変なのだそうだ。だから、売れる本しか作らない。

そうなると真っ先にダメと言われるのが、坐禅の本が含まれる「宗教」ジャンルなのだそうだ。
宗教ジャンルと言うだけで、原稿を見てもらう事も叶わずにその場でノーと言われるのが当然の事になっている。

ああ、そうか。もしかしたらあの時も、F記者は上司に熱心に掛け合って下さったのだけれど、「宗教ジャンルなんて売れないからダメ!」と言われてしまってどうしようもなかったのかもしれない。
自分の原稿の拙さを棚に上げて(^^;;、そんなことまで考えてしまう九子である。

 


平原綾香のblessing、これは恋の歌らしいけれど、次の二行が九子に勇気を与えてくれる。


「この手にこの手に奇蹟はある
痛みを勇気に変えたときに 約束されてる」

奇蹟を生み出すのは、この二本の手より他に無い。
そして、痛みを勇気に変えられたときに、奇蹟が起こるのだ。それが約束されているのだ。


そもそも勇気とはなんだろう?

日本人にとって勇気とは、まず、人がどう思うか、人の目にどう写るかを気にしないで、自分の信じる道を突き進むこと。

何年かかっても、一人になっても(難しいね。)、辛抱強くやり遂げること。

反対意見にあったなら柔軟に受け止め、取り入れて軌道修正するか、初志貫徹と行くか、よく考えて自分で決めること。

自分が良かれと思ってしたことは、誰に何を言われても、決して後悔しないこと。

最終判断は自分で行い、結果は誰のせいにもせずに、自分で受け止めること。

何かを失うこと、誰かが離れていくことを怖れないこと。


まだまだたくさんあるだろうけど、九子はこれらのすべてをまず自分に言い聞かせる。

それが出来た時に、奇蹟は起きるのだから・・。


九子を支えてくれるものは、まず「坐禅」であり、「ご縁」であり、「強運」だと思っている。(^^;;

30年前の九子みたいに、自分が大嫌いで、弱虫で、意志薄弱で、自分は人生の負け犬だと思っていて、人がうらやましくて、人が怖くて、暗く鬱々とした人生を送っている人々に、九子の体験を捧げたい。

かつてはダメ人間だったし、今でもたまに危なっかしいけど(^^;;、坐禅のおかげで生まれ変わったように明るくなれた九子の話を、和尚さんみたいに偉くはない九子の試行錯誤の坐禅の話を、自分の性格や人生に悩み抜いた九子だからこそ、あなたの悩みに共感し、あなたと同じ目線で考えてアドバイスできると思います。

気分などというあやふやなものに惑わされて大切な日々を無駄にしないために、坐禅であなたの気分を自分でコントロールしちゃいましょう。気分だって坐禅で変わっちゃうんですよ。( ^-^)

世の中が怖くて引きこもっていたらあなたの力は絶対に発揮されないけど、坐禅をして勇気が湧いたら、自分が幸せに思えたら、あなたは世の中へ出てあなたにしか出来ない素晴らしい仕事を成し遂げられるのです。


日本がこんな時代だからこそ、多くの「不幸な」方々に「精神修行のため」じゃない、「誰でも心底幸せになって、力強く生きられるため」の坐禅の話を聞いて頂きたいと思っています。

 

・・・って、ここで何言ったって、本なんてまだ影も形も無いのにね。(^^;;(^^;;

あれから原稿新しく書き直しました。
これからもいくらでも書き直します。

どこかで誰か、出版社の方、見てて下さらないかしら?( ^-^)

 

 

 

 


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調剤過誤 [<坐禅、仏教、お寺の話>]

あれは九子が薬大生の頃。
出来すぎ母になんでもやってもらっていたので手などほとんど動かしたことの無い九子が、一番怖れていた実習=実験の時間。
学年が上がるたびに頻度が増して、午後はもうほとんど毎日実習という最低最悪の日々。

びくびくして神経をすり減らすばかりで、一体この実習の目的は何なのかすら皆目掴めない不毛な時間のせめてもの慰めに、九子は夜英会話スクールに通ったり、その地域の若者のサークルみたいなところに誘われて顔を出したりしていた。

そのサークルで、初対面の彼女に自己紹介をした時に言われた一言が、実は今もって九子の心の中に澱(おり)のように溜まっていて今だに解決の目処がつかないでいる。


「私、そこの明薬に通っているんだけど、私って薬剤師に向いてないんだよね。そそっかしいし、手は不器用だし・・。」

彼女はそう言う九子の目を真正面に見据えて、あきれ果てたようにこう言った。

「何甘ったれたこと言ってんのよ。あなたは薬大生でしょ。薬科大学に入れたんでしょ。薬剤師になりたくたって成れない人はいっぱいいるんだよ。甘ったれるのもいい加減にして欲しいわ。」

彼女はもしかしたらその薬剤師になりたくてもなれなかったうちの一人だったんだろうか。
とにかく初めて会った人からの予想外の鉄槌に、九子はたじろぎ、声を失った。


その後何度も、彼女の言う「甘え」を返上しようと努力は試みたと思う。
でも結果は惨敗だった。

そもそも九子が戦っていたものは、自分の不器用さとか、薬剤師としての素質などですらなかったのだ。

当時九子が何よりも怖れていたのは他人の目だった。
実習をしている時も、秤で原料の重さひとつ量るにも、ノロノロしていて後ろの人から「ねえ、ちょっと何してるの?遅いわねえ、まだあ?」と声がかかるとオロオロする。ただでさえ遅いのに、ますます緊張してミスをする。

とにかく心に余裕というものが全く無かった。
なにをやってもびくびくおどおどしながらやる訳だから、うまくいくはずがないのだ。

もしかしたら予習をしっかりとやって臨めばよかったのかもしれないが、実験のレポート書きなどに追われて、時間の余裕も持てなかった。

それは、病院実習という実際の調剤を学習する場でも同じことだった。
当時は今と違って10日か2週間の短期実習だったと思うけれど、何を習ったのか九子の記憶はまったくと言っていいほど無い。

ただ、何名か実習生が居た中で、九子一人が「またあなたですか・・」という冷ややかな目で叱られた記憶が残っているだけ・・。

就職してからも、事情はほとんど変わらなかった。

九子の中の、自分が手を動かさずに母にすべてやってもらって育ってしまったことへの劣等感は、何よりも抗いがたい自信の無さにつながり、周囲の人々に対する拭い難い怖れの感情へと育って行った。

まず九子は、残念ながら普通の水準に遠く及ばない自分を抱えながら、壁のように立ちはだかる普通以上の水準の人々と戦わねばならなかった。

教えてもらう内容など二の次、三の次だったのだ。

 

これから言うことをわかって下さる方は、もしかしたら多くはないと思う。
それどころか、九子を軽蔑される方もいらっしゃるかもしれないけれども敢えて書いてみる。

生まれてから現在まで、一人っ子の九子はいつも自分一人の世界の中に生きてきた。

そしてそれ以外の外の世界との接触を、とにかく普通の人なら直接ストレートに体験することを、九子は「自意識」というベールに包まれながら体験していたのだと思う。

言葉を変えれば、九子の世界とは、いつも厚い「自意識」に覆われた世界だった。

何を言っても、何を言われても、何をしても、何をされても、そういう体験自体が九子の中では薄物に包まれたように曖昧模糊としていて、それよりも優先されるのが、九子の気分がどうであるかということだったのだ。

つまり九子がただひとつ関心があったのは、実は自分自身の気持ちの在り様だけで、それ以外のことなどどうでもよかったと言うことになる。


自分の気持ちが外の世界の刺激によって万華鏡みたいに刻一刻と変わっていくのをおどおどしながらじっと見ていた。
怖れながらも、実はそれを見るのを止めるに止められなかった。言ってみればそんなところだろうか。

それほど、九子の気持ちは常に揺れていたし、自分の気分をある一定水準以上に保っておくことに努力を注ぎ続けた毎日だったように思う。

九子は何かを体験せねばならない時に、まず自分の心と葛藤していた。他人の中で傷ついている自分、うまく出来ない自分、不幸な自分、九子は常にそういう自分を感じていた。
そういう可哀想な九子ちゃんに困り抜きながら、どこか悲劇のヒロインを演じる思いもあったに違いない。

勢い肝心の外からの刺激、つまり体験やら経験といったものは薄くなる。当たり前のことだ。
一番の関心事は外界の刺激でなければならないのに、九子は自分の気持ちの方ばかりに囚われていて、外の世界に起こる事にはきわめて淡白だった。

勉強とか、九子のとりあえず得意だったものをしている時は、自分の気持ちの揺れは少なかった。
だからより外界に、つまり勉強そのものに集中することが出来た。

ところが実習になると、自分よりも優れていて、難しいことを楽々とこなして行くまわりの人々が嫌でも目に付いた。そして、自分の気持ちは相対的に落ちて行く一方で、落ちていく自分の気持ちに囚われて、同時に実習に対する集中力も萎えて行ったという訳だ。

だから九子にとって何かを体験する、ましてや人と対等に話をするなどと言うことは、自分をがんじがらめに縛っているところの「自意識」と折り合いがついて初めて可能なものだったのだと思う。

そして九子が坐禅を知った時、生まれて初めて「自意識」の世界から自分が自由になったと思った。

30分の坐禅で到達出来る「小さな悟り」の直後、九子は自分の気持ちがずっと安定してゆるぎなく、今までのように常に気にしている必要が全くなくなっていたことに気がついた。

人が怖くない、不安がない、気持ちが明るい、幸せである・・坐禅がもたらす全てのもののわずか数%にも過ぎないであろうこれらの恩恵によって、壁のように外界を遮断していた九子の「自意識」は、薄い薄い水のようになって、外界のものを全て受け入れ、また九子自身が他人に受け入れられる喜びを初めて知ることが出来るようになったと思っている。

 

九子は確かに薬剤師の資格を取った。
薬学部や薬科大学に入るのは難しい。
国家試験に通るのだって楽ではない。

九子だって当時は人並みに努力はしたのだろう。
今だからわかるが、九子は国家試験の時、ウツの最中だった。
そんな中で良く合格出来たと思う。

だけど問題はその後だ。

九子のうちは薬局だけれども、父の市会議員の収入やM氏の収入で、まったく薬が売れなくとも困らない日々が長かった。

もちろん九子は子育て中を理由に、薬剤師とは名ばかりの日々を過ごしていた。

さすがに会計士さんに「このままなら薬局閉めちゃった方がいいですよ。」と言われるに及んで、出来すぎ母は笠原十兵衛薬局を調剤薬局化しようなどという恐ろしい事を考え始めたようだが、九子が断固として阻止した。

理由は簡単だ。九子が調剤をすることは当時も今も世の中のためにならないと思っているからだ。


何年か前に新聞に大きく取り上げられた調剤過誤の事例では、そもそも調剤用の小ビンに移される段階で、別の非常に強い薬が入ってしまっていたことに気づかずにたくさんの人に調剤されて、多くの人々を巻き込む調剤事故が起こってしまった。

粉薬の違いを外から判別するのはまず無理だと思う。

そしてその後、事故を起こした薬剤師さんは自殺されてしまったと聞いた。

本当に本当に不幸な出来事だった。
子供が薬剤師になった時ご両親はさぞや喜ばれたと思うが、こんなことなら薬剤師なんかにするんじゃなかったとどんなに後悔されていらっしゃるかと思うとお気の毒でたまらない。

 


その電話は、いつにも増して大きな音で鳴ったような気がした。
九子が出ると、それは近所の医院の看護師さんからだった。

「○○さんの処方箋、そちらで調剤されましたよね。こちらではxxxx5mg1錠と処方したはずなんですが、お薬手帳にxxxxx3mg1錠となっているのですが、どういうことでしょうか?」

九子は飛び上がった。「えっ?信じられません。うちでは確かにxxxx5mgでお出ししているはずです。」

とりあえず棚にある残薬を見る。確かにxxxx5mgの箱に薬がまだ残っている。

もう一度確認してこちらから電話をする旨伝えて、4月分の調剤請求を見直す。

すると、なんと!

患者さんにお渡しした薬は確かにxxxx5mgに間違いなかったはずなのに、請求する段階でxxxx3mgとして請求が出てしまっていた。

そうである以上、お薬手帳にも添付文書にもxxxx3mgと印刷されてしまうから、おうちの方はそれはそれは不安だったと思う。

悪い事に患者さんは施設に入っていらして、ご家族は薬を直接見られない立場にいらした。

その上、直後にさらに強いxxxx10mgに処方が変わったそうなので、うちから行った薬が3mgだったために症状が悪化して薬がさらに強くなったと思われても仕方が無い。

薬剤師会に電話して調剤過誤の報告をする、医院に謝りに行く、患者さんのご家族に謝る、もう生きた心地がしなかった。

ただ幸いだったのは、調剤自体が間違ってはいなかったことで、その点を医院にも患者さんにも問屋からの納品書で確認してもらって理解して頂いた。

薬剤師会への報告の時点でも、間違った薬をお渡ししてしまった訳ではないということで、結構簡単に手続きが済んだ。


こんなことは、さすがに何度もあることではない。
ただ、九子の場合初めてでもない。


九子が今までに調剤した処方箋の枚数と、ミスをした頻度を考えてみた場合、たとえば一ヶ月に5000枚の処方箋をこなす調剤薬局で考えたら、もしかしたら500枚にミスが出るみたいなとんでもない頻度になるのだと思う。

もちろん調剤そのものは間違っていなくて、保険請求の数字や患者さんの保険者番号などが間違っていたという場合がほとんどなのだけれど・・・。

 

九子は基本的に自分の世界の中に住んでいる人間だ。
その中でああでもないこうでもないと妄想にふけることはそれこそ星の数ほどある。

大事な坐禅をしている時も、ふっと自分の世界に入り込んでしまうと何十分もがすぐに過ぎてしまう。

なんという集中力の無さ、なんと無駄な時間を過ごしているのかと自分自身でも呆れてしまうが、こんな時に考えたことがブログのネタになったりするのだからまんざらでもないのかなと自分を甘やかす。

せめて薬剤師の仕事の中で一番の中心であるべきはずの調剤業務に携わっている間だけは、仕事に集中しようと思うのだけれど、ふっと何かの拍子に集中力が途切れることがある。

さっきの5mgと3mgを間違えた話でも、調剤ソフトの薬のリストの中に5mgと3mgの錠剤が並んで書いてあって、それを押し間違えたというなら話はわかる。

ところが5mgも3mgも数社から何種類も出ていて、5mgは5mg、3mgは3mgの別ページに分かれて記載されているのだ。

そこを間違えてしまうというのが、九子の限界のように思う。
九子が調剤をすることが世の中のためにならないというのはそこのところだ。

 

大部分の薬剤師さんは大変優秀だ。
お陰で十把一絡げで九子みたいのも優秀の範疇に入ってしまう。

薬剤師、旧家の18代目、善光寺信徒総代の家柄、などなど。九子の持っているものは外から見るとそれなりに輝かしく見えるのかもしれないが、九子はそんなこと一度だって思ったことも無い。

なんだか見かけ倒しだ。九子は九子の実像だけを知って欲しいのに・・。

九子の本質はちっとも変わらず、何でもやってもらって育ったお嬢さんのままだ。                          ただそれなりに守るべきものは増えた。

掃除も整頓も大嫌いなので、とっ散らかった家に住んでいても怒りもしないM氏に甘えきっている。

それでも坐禅のお陰で、そういう自分でも昔よりはずっと好きになれた。
自分を好きになるということは、幸せの原点だ。


九子は弱虫だ。だけど坐禅を知って、少しは強くなれたと思う。

弱虫が強くなると言うことは、人並みに強くなることではない。
もちろん本当に強くなれたらどんなに素晴らしいかとは思う。

弱い人間が強くなると言うことは、とりあえず自分の弱さを認めて笑い飛ばせるようになることだと九子は思っている。

失敗を笑い飛ばせたら、それはその失敗を克服出来た時だと思う。自分の劣等感を払拭出来た時だと思う。自分は弱いと認めることが出来た時点で、その人は少しだけ強くなれる。

九子はだから、自分と同じような弱い人たちに坐禅で幸せになってもらいたい。

たまにそういう人たちから電話がかかる。
「薬剤師の九子さんがダメ人間だなんて聞くと、親近感が沸いてほっとしますね。坐禅、僕でも出来るかな?」
そう言われる事も多い。

そう思ってもらえたら、九子は九子が生きている意味があったと思う。

 


九子はいつも自分の世界の中に住んでいる。そして、それに満足している。
だから、友人とつるんで買いものに行ったり、誰かとのべつまくなく電話でおしゃべりしているというのは性に合わない。

一年にたった一度であっても、薬大で孤立していた九子をまるごと受け止めて仲良くしてくれた大事な親友が電話をくれた時、それも彼女が理不尽な理由で調剤請求の個別指導を受けて、決められた書式を使っていなかったというだけで彼女にはなんの落ち度も無いのに2年間分の薬剤管理指導料を査定されてしまった時、「九子ちゃんの声でも聞いて元気になりたかったのよ。」と言ってくれた言葉は、九子の宝物だ。

同様に一年にたった一度しか会わない友人でも、大事な友人は何人かいる。
九子はそれで充分幸せだ。


ブログを始めて、そんな九子の世界に興味をもって下さる方々もいらっしゃるようだ。

そんな大切なあなたに是非とも伝えたい。


九子はいつも自分に正直に生きています。
九子が書くのは、いつも等身大の九子です。
自分を卑下したり、へりくだってるつもりは毛頭なくて、自分から見てそういう風に見える通りを書いています。

自分に自信が無かった年月があまりにも長かったため、もしかしたら九子の見方にゆがみがあるかもしれません。
心理学の先生が言われるところの「認知のゆがみ」が・・・。

九子のうつ病は、あまりにも簡単に薬で治ってしまったため、「認知のゆがみの矯正」という大事なプロセスが抜け落ちたままになってしまいました。

もしもその考え方を習ったら、九子はもっと自分に自信がつくのでしょうか。
そうかもしれませんね。

自信がついたら、九子はもっと魅力的な人間になれるのでしょうか?
もしもそうであるならば、そうしてみたいと本気で思います。


でも九子は、今のままで十分幸せなのです。
100%の自信ではないけれど、自分を笑えるだけの強さがあって、それで昔の私のような弱い人々がそんな九子にほっとしてくれて、それなら自分も坐禅で幸せになれるかもしれないと思ってくれるのであれば、本望だと思います。


九子は小心なのかもしれません。
期待されて、期待はずれと言われることが怖いのです。
それならば、最初から手の内を見せてしまった方がずっと安心です。


大切なあなたに、九子の言わんとするところが伝わったかどうかわかりません。
九子の本質があなたが思っていらっしゃったのと違っていたとしても、どうかがっかりしないで、これからも九子と変わらずおつきあいして下さるように祈っております。

 

 


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霊の話 [<坐禅、仏教、お寺の話>]

今回、実は別のお話を用意していたのだけれど、急遽、たまにはこんなお話もどうかなあと思って載せてみた。
それというのもこんな記事を見たからだ。

 

死亡前、鬼籍の親・仏ら「お迎え」…4割が体験
読売新聞  6月21日(木) 配信

 

 自宅でみとられた患者の約4割が、亡くなる前、すでにいない親の姿を見たと語るなど、いわゆる「お迎え」体験を持ち、それが穏やかなみとりにつながっているとの調査研究を、宮城県などで在宅医療を行っている医師らのグループがまとめた。
 在宅診療を行う医師や大学研究者らが2011年、宮城県5か所と福島県1か所の診療所による訪問診療などで家族をみとった遺族1191人にアンケートした。
 「患者が、他人には見えない人の存在や風景について語った。あるいは、見えている、聞こえている、感じているようだった」かを尋ねた。回答者541人のうち、226人(42%)が「経験した」と答えた。
 患者が見聞きしたと語った内容は、親など「すでに死去していた人物」(51%)が最も多かった。その場にいないはずの人や仏、光などの答えもあった。
 「お迎え」を体験した後、患者は死に対する不安が和らぐように見える場合が多く、本人にとって「良かった」との肯定的評価が47%と、否定的評価19%を上回った。
 調査は、文部科学省の研究助成金を得て実施。「お迎え」体験は経験的にはよく語られるが、学術的な報告はきわめて珍しい。
 研究メンバーである在宅医療の専門医、岡部健・東北大医学部臨床教授は「『お迎え』体験を語り合える家族は、穏やかなみとりができる。たとえ幻覚や妄想であっても、本人と家族が死を受け入れる一つの現象として評価するべきだ」と話している。

 

 

 実は父の時も、義父の時も、「お迎え体験」があって、それから一ヶ月以内に二人とも亡くなっている。

考えてみると4割ってすごい数字だよねえ。

死んでいく人も、行く先で親しい人が待ってくれていると思えれば不安な気持ちが楽になる。

昔、「人は死ねばゴミになる」という本を書いた偉い検事さんがいらっしゃったけれど、もしもそれが事実であったとしても、死ぬ前の恐怖でいっぱいの時期に「向こうに、自分を待ってる人が居てくれる。」と確かに、実体験として信じられるのであれば、それはどんなにか幸せなことだろうと思う。

人は死ねばゴミになる (小学館文庫)

人は死ねばゴミになる (小学館文庫)

  • 作者: 伊藤 栄樹
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1998/05
  • メディア: 文庫


この世の中には、科学で解明し得ないことがあまりにも多い。

実は三男Yが、以前不思議な体験をした。

彼は生まれてから1歳で斜視の手術を受けたり、メッケル憩室という珍しい症状で死にそうになったり、顔面麻痺になり、再建手術を受けたり、そのほかにもプールでおぼれて死にそうになったり、その上軽い学習障害もまだ彼の社会生活の弊害になっていて、ありとあらゆる我が家の不幸を背負い込んだみたいな人生で本当に気の毒なのだけれど、いつもいつもなぜか命運があって、仏様に守られて生きている。

九子がこう断言するのは訳がある。
彼は昔、生後100日経っても目が見えていないと言われ、半狂乱になった九子が彼を抱いて活禅寺に飛び込んで、徹禅無形大師に彼を見て頂いたことがある。

その時に無形大師が彼の頭をなでて下さって、「いい子だ。この子は幸せになる子だよ。斜視なんて心配するな。手術すればすぐに治る。」とおっしゃって下さったのだ。

本当にその言葉どおり、人生の一大事は何度も経験したが、すべて結果はうまく行き、お陰様で彼はたくましく、充分幸せに生きている。


不思議体験の当時、実は彼は大学の先輩だった人に薦められて「学会」と言われる所に頻繁に誘われていた。
彼自身も友人思いのまっすぐな性格なので、誘われて何度か通ううちに心を動かされたらしい。

九子をはじめ、家族中がそれはそれは心配した。
「学会」に入ると、うちの仏壇やお墓には目も向けなくなり、新しい特別な仏壇を買って古いのを壊されてしまうと聞いたからだ。

我が家の仏壇は、祖父16代十兵衛が特別に宮大工さんに作らせた善光寺の正確なレプリカの白木の仏壇で、釘を一本も使っていないと聞いている。絶対に二つと同じ物はないと思う。
その仏壇に万が一のことがあったら、それこそお先祖様に申し訳なくて顔向けが出来ない。

彼が帰省した時、「あっ、今日は時間が無くてお参りできないや。」とか言い訳しつつ、仏壇の前に座らずに帰ってしまうことがあったりすると、やっぱり相当のめりこんでいるのかと不安になったものだった。

こんなに活禅寺で仏様に守ってもらっているのになんで?と歯がゆく思ったけれど、一時期彼は「学会」のお経を買い、言われるままに毎日お唱えしていたらしい。


そんな折も折、Yから電話がかかった。
「このことはさあ、誰にも秘密にしてくれよ。」といつになく興奮気味の彼の声だった。
(あっ、それをブログに書いちゃってる!(^^;;(^^;;)

何でも仕事の関係で泊まることになったホテルで、生まれて初めて金縛りというのを体験したのだそうだ。

まあ彼の周りにはいろんな輩がいるらしく(^^;;、日頃からとても霊感が強いので有名な同僚から、「えっ?あのホテルに泊まるのか?ちょっといわくのある場所だから、気をつけたほうがいいぞ。」と言われていたらしい。

当の本人はもちろん霊など信じていないし、霊体験など生まれてから今までしたことがなかったから、同僚の忠告などいい加減に聞き流していたそうだ。

ところが現実に、それが起きてしまったのだ。

その夜に限って寝苦しく、なかなか寝付けずに居たところ、足元に誰かが居て身体中を指で突かれるような嫌な感覚がして、それを追い払いたくても身体の自由がまったく利かなくなってしまったのだそうだ。

その時、彼はお経を唱えたのだそうだ。

「お経」と聞いて、九子は即座に「学会のお経?」と聞いてしまった。(^^;;

嬉しいことに彼が唱えたお経は、彼が小さい頃何度か活禅寺に連れて行って、活禅寺で真っ先に覚えた短いお経だった。

「学会のじゃなかったの?」と意地悪く聞く九子。(^^;;
彼はその時初めて、「『学会』のお経は嘘っぽく思えてきた。オレはもう行かない。」と言ってくれた。

ところが活禅寺のお経をひとつ、しばらく唱えても金縛りは解けなかったのだそうだ。

怖いのと苦しいので冷や汗がだらだら出て、万策尽きたところに、すう~っと白い着物を着た女の人が座って手招きしているのが見えたそうだ。

なんと!それが、活禅寺の正装である白衣を着た九子だったというのだ!!
そしてその九子が「『おん かーかーか びさんまえい そわか』と唱えなさい。」と言ったと言うのだ。
これは実はお地蔵さま、つまり地蔵願王菩薩さまの御真言なんである。

はっとしたのは、Yは小さい頃に活禅寺で覚えた御真言をいくつか暗記しているのだけれど、どれが何の御真言なのかはまったく知らないのだ。

だからその時「お地蔵さまの御真言を唱えなさい。」と言われていたとしたら、彼には通じなかった訳だ。「おん かーかーか びさんまえい そわか」と教えられたから、ああ!あれか!と、すぐに理解できたのだ。


何度か唱えるうちに、金縛りはす~っと楽になったそうだ。
もちろんその夜は、夜が明けるまで一睡も出来なかったそうだけれど・・・。


九子は即座に言った。
「ねえ、その女の人ってさあ、ママの格好はしてたかもしれないけど、絶対ママじゃないよ。
たぶん仏様だよ。ママになんかそんな力無いよ。(だってこんなに怠けてるんだもん。(^^;;)
どんな御真言が良いかなんてわかるはずないもの。
それはさあ、仏様が、ママの姿なら君が安心すると思ってママの姿で出てきて下さったんだよ。」

思わず出た言葉だったけれど、これは今でもその通りだと思っている。

斜視の手術の時のように、メッケル憩室の手術の時のように、プールで溺れた時のように、交通事故の時のように、顔面麻痺再建手術の時のように、仏様はいつも君を守って下さっているんだから。


今回はじめて不思議な体験をしたYだったけれど、実は我が家の子供達の中で徹禅無形大師に身体を触れられたのはY一人だ。そして後から聞いたのだが、活禅寺で小さい頃に無形大師に撫でてもらった子供は、霊感が鋭くなるという話がもっぱららしい。

考えてみたらこの不思議体験のおかげで、Yは「学会」をきっぱりと離れてくれた。
もしかしたらそのために、仏様がお膳立てしてくださったのかも・・などと勘繰りたくもなる。


いざという時に真っ先に活禅寺のお経を思い出してくれたYは、やっぱり誰よりも仏さまに守られた幸せな子なのかもしれない。( ^-^)

ごめんね、Y、秘密のつもりが、ブログなんかに公開しちゃって。(^^;;(^^;;
そのうち非公開にするから、それまで待っててね。( ^-^)

 

★週末を使いまして、ウインドウズの再インストールをしなければならなくなりました。御用のある方   はなるべく本日中に御連絡ください。

 事と次第によりましては、メールの再送などお願いしなければならなくなるかもしれません。
 何事も無いように、祈ってらして下さい。(^^;;


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桜湯の話 [<坐禅、仏教、お寺の話>]

大切なお客様をお迎えして、善光寺の宿坊の精進料理を頂いた。

常智院さん。ここの女将のN子さんと九子は、実は昔なじみだ。

N子さんの長男とうちの次男Sが善光寺保育園の同級で、男の子3人兄弟というのも同じだから、今で言うママ友みたいな感覚で、会えばよく話をしていた。

当時から彼女はとても研究熱心で、忙しい合間に料理教室に通ったり、いろいろと試行錯誤を重ねたりしながら、寝る間も惜しんで働きづめの毎日を送っていた。

常智院の精進料理は、まさに彼女の精進とアイデアの賜物である。

宿坊の精進料理は、徹底した精進料理だ。
肉、魚は言うに及ばず、かつおぶしの出汁すら使わない。

刺身に見立てて出てきたのは、サクに切ったまぐろを模したトマト汁の寒天よせと、かたくりの茎の湯葉巻き。

トマトはからし醤油で、かたくりは酢味噌で頂く。

うなぎの蒲焼を模したごぼうの揚げ物もこっくりとして舌触りが楽しく、美味だった。

野沢菜の蕪(かぶ)のくるみ和えは、彼女の畑に春まで残った野沢菜の蕪を使ったもので、しゃきしゃきと言うのとも違う独特の歯ごたえがあって、くるみ味噌の味と絶妙によく合った。

蕪や大根では煮るとすぐに柔らかくなって、この感触は出ないそうだ。

とにかく手がかかっている!の一言。
全部で10品以上出して頂き、大吟醸のおまけまで付いて(これはママ友の特権かな?( ^-^))
一同、堪能させて頂いた。


実は今日のタイトルの桜湯の話は、当日やにわに雨が降ってきて、貸して頂いた傘を翌日お返しにあがった時に、N子さんから直接聞いた話である。


桜の季節、(しかもその日は満開だった。)に頂く桜湯。見た目に大変美しく、最初にどうぞと薦められた。


「桜湯に使うのは、八重桜じゃないといけないのよね。」

「えっ?そうなの?」

「だって、桜は散る時ばらばらになっちゃうでしょ?八重桜だからお茶碗の底にきれいに形が残る

のよ。」

ああ、なるほど!


「実は私、あっちの桜、こっちの桜、いろいろ試してみたんだけれど、結局一番良かったのが
清泉の前の桜。色がきれいに出るのよ。やっぱり神様の前の桜だからかしらねえ?」

彼女が清泉(せいせん)と言ったのは、善光寺のすぐそばにあるカトリック系の「清泉女学院高校

」のこと。

そして彼女が「神様」と口にした時、てっきり九子はその近くにある護国神社の神様のことだとばかり思ってしまった。

とにかくその神様の前のさくらの、花芽の上の方だけを手で摘むのだそうだ。

そしてそれを家に持ってきて、新聞紙の上に広げる。
そうすると一晩のうちに、彼女に言わせると「虫やら何やらが自然に出て行ってくれるのよ。」

彼女の一言一言には、善光寺の宿坊の長女に生まれ付いて、仏様の教えに当たり前のように浸りながら生きてきた彼女らしさがほとばしる。


「みんなで話してたんだけど、桜湯って塩に漬けるからもっとしょっぱいと思ったんだけど、しょっぱくなかったわよねえ。」

「九子さん、あれはね、梅酢につけるのよ。」

「梅酢って、塩、入ってたっけ?」

「やあだ、九子さん、梅漬けた事無いの?(はい。仰せの通りで・・。(^^;;)
 
最初に梅を塩漬けにするのよ。そうすると一晩で水がわあ~っと上がってくるのよ。それが梅酢。その梅酢で、まず花びらをていねいに洗うの。黒っぽい水が出なくなるまで・・・。

そして最後にガラスの容器、コーヒーのビンを良く洗ったのでもいいから、そこへ絞った桜を入れて、最後にまたきれいな梅酢で満たすの。

ほら、梅が実るのは6月でしょう?絶対に桜のほうが時期が早い訳じゃない。だから使うのは去年の梅酢。その時に去年の梅酢が取ってないと、桜湯が出来ないのよ。

宿坊の仕事ってみんなそんなもの。やるべき時にやらなきゃいけないことの積み重ね・・・。
その代わり、大したことやってるんじゃないのよ。決まりごとをしてるだけだから・・。」

N子さんはいつも三角巾を頭に巻いて、おしゃれひとつせずに働いている。
申し訳ないけれど、お手伝いさんの中に紛れたら、女将が誰なのかわからなくなる。

だけど色白でふっくらとした彼女の顔つきは、観音様やら弁天様やらを思わせる。
苦労も辛抱も、輝く笑顔の中に見事に包み込まれている。


そうそう、さっきの「神様の前の桜」の話だけれど、彼女が言った神様は、護国神社の神様じゃなくてやっぱりキリスト様のことだった。

彼女は清泉女学院高校を卒業していたのだ。

実は善光寺の宿坊の娘さんで、清泉女学院高校を卒業している人は多い。

入学の時に親との面接があり、「こちらではキリスト教を授業でお教えしますが、それでよろしゅうございますか?」と聞かれて、同意して入学するのだそうだ。

たぶん他の国ではあり得ない事だろうと思う。
いかにも日本らしい。

彼女の中では、ちゃんと折り合いがついているのだと思う。
もちろん彼女の信仰の大黒柱は、善光寺の阿弥陀如来(あみだにょらい)さまだ。( ^-^)

彼女ばかりではなく私たちの中でも、クリスマスやバレンタインを祝い、同時にお正月やお盆も祝い、それを特別不思議な事としては捉えない。

理論じゃないんだな、って九子は思う。
日本人は、まず感性で掴(つか)むんだ。

多くの人が自分は仏教徒だという自覚が無くて生活しているけれど、「ありがとう」「どういたしまして」「おかげさまで」「申し訳ありません」「わざわざお越し頂いて」「こちらこそ」「すみません」

まだまだたくさんある美しい日本人の言葉の中に、仏教の真髄が詰まっている。

お辞儀をする、手を合わせる、履物をそろえる、心配りをする、遠慮する、物の命を粗末にしない、そういう動作の一つ一つが、もう、仏教の教えそのものなのだと思う。

突然突拍子も無いビデオをお目にかけるが(^^;;、最初の方に出てくるEXILEのタカヒロ君が感極まって歌えなくなり、思わず手を合わせる場面が実に美しい。( ^-^)

生まれてから長い間をこの日本と言う国で暮らすうちに、私たちの中には知らず知らずのうちに仏教の教えが染み込んでいる。

意識しないでも、そして意識している以上に、仏教は日本人の心の根幹にあるのだと思う。
そうでなかったら、世界中を驚かせた被災された方々の見事なふるまいは説明がつかない。


もちろん日本人でキリスト教徒の方々もたくさんいらっしゃる。
そして、その方々は御自分で選ばれたキリスト教の深い強い信仰を持っていらっしゃる。
本当に素晴らしいと思う。

でもそうではない大半の日本人にとって、キリスト教は所詮お飾りなんじゃないかな?
言い方が悪くて本当に申し訳ないのだけれど・・。

教会で結婚式を挙げて、バレンタインデーやハロウィーンを祝って・・・・。
本来の意味なんてわからなくてもぜんぜん構わない。

もともと日本人は頭で考えることよりも、心で感じることのほうを尊ぶ傾向があるようだ。

お経の意味なんかわからなくても、仏壇の前で手を合わせて線香を上げる動作が出来ない若者が居ないように、誰に教わったという自覚が無くても、仏教の本質を、案外日本人はかなりのところまで感性で掴んでいるのだと思う。

だからそういうところへは、キリスト教も他の宗教もなかなか入り込む隙間が無い。

仏様は懐(ふところ)が広いから、「まあまあ」とか「よしよし」とか言いながら、キリスト様にかぶれる若者たちを笑顔で見ている。

キリスト教の学校へ入っても、卒業すればまた自分のところへ戻ってくると信じて、おっとり構えていらっしゃる。彼女たちの親御さんも同じなんだろうと思う。


理論と言うものはかっちりとして融通が利かないけれど、感性は限りなく自由だ。
理論では越えられない宗教の違いと言う壁を、日本人の感性は易々と超えてしまう。

こういう国があってもいいんじゃないのかなと思う。
そしてまた、こういう国がいつまでも美しくあり続けてくれることを、心の底から願わずにはいられない。

 

 

 

 


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桜と別れ [<坐禅、仏教、お寺の話>]

もうすぐ桜が咲く。

長野の善光寺の東隣にある城山(じょうやま)公園には、もう馴染みの花見小屋が去年と寸分違わぬ場所を占め、古びたちょうちんをいくつも並べて、誰よりも花の咲くのを心待ちにしている。

桜の歌には名曲が多い。タイトルに「サクラ」が含まれるものだけでも、コブクロの「桜」、河口恭吾の「桜」、森山直太朗の「さくら」、ケツメイシの「さくら」、いきものがかりの「桜」、福山雅治の「桜坂」などなど。

サクラはつかないけれど、Orange Rangeの「花」も、九子は大好きだ。

こんなにいっぱい名曲があるのだから、これ以上はもう出ないだろうと思っていると、またポツリポツリと毎年のように新しい桜ソングが出る。

季節が卒業入学の春だからだろうか、それともはかない桜の命を、短い恋の思い出に重ね合わせるからだろうか。

たぶん日本人のDNAに深く刻まれているだろう桜好きは、桜が「美しい別れ」の記憶と隣り合わせにあるからのように思う。

一斉に散るからよくわかんなくなっちゃうけど、桜は5枚の花びらが1まい1まい別々に散るんだよね。つるんでなんか居ないんだ!
もしかしたら群れたがりやの日本人には、そんな姿も好ましかったのかもね。(^^;;


最初に書いたコブクロの「桜」は、歌詞を読んでから九子の中の一番のお気に入りになった。

追いかけるだけの悲しみは 強く清らかな悲しみは いつまでも変わることのない 
無くさないで君の中で咲く・・love

最後の 咲く・・love が「サク・ラ」にかかってる。

今、切ない片思いをしてる人は、この歌で報われるんじゃないかな?( ^-^)

言われてみると、なるほど!
追いかけるだけの悲しみほど、強く清らかな悲しみはないよね。
誰にも言わずに、ひっそりと心に秘めた恋。
その人がとても美しく見える。

言っとくけど間違ってもストーカーみたいになったりしないように・・!(^^;;


Orange Range に至っては、あの若さでよくここまで哲学的、宗教的な詞が書けたものだと感心してしまう。

あれをラップにしないで、そう、「千の風になって」みたいに秋川さんがソプラノでゆっくり歌ったりしたら、また別の年代層にも受け入れられそうな・・・。(^^;;


ちなみに外国の別れの歌を何曲か探して見たけれど、歌詞を読む限り、日本人のように花の散り方や、春の芽吹きに人生を重ねるという感覚は見受けられないようだ。
やはり日本人独特の感性なんだろうか?

あくまでも九子の趣味で、比較のために、Backstreet Boysのこの歌を聴いてみて! 九子の中でBackstreet boysは洋楽のExile。(^^;;


和訳

 ね?太陽とかはたまに出てくるけど、あくまでも背景に過ぎず、自分になぞらえてはいないでしょ?
どこまでもYou とIだけの世界なんだね。

九子はちょっと安心したんだけど、洋楽の世界でも男は弱っちくなってるのねえ。(^^;;(少しスクロールすると出てきます。)

別れの歌がなぜ美しいのか?

九子が思うに、恋人との別れは、誰の心の中にも、常に一つの情景として、いわば美しい一枚の絵として、留まり続けているからだと思う。

もしもその恋人と、思いが遂げられて結ばれたとしよう。
その瞬間に、二人の行為は壁に飾るべき「一枚の絵」ではなくて、生活と言う名の、混沌として流動するただの日常に変わってしまう。

決して動くことの無い、いわば裏切ることの無い「一枚の絵」として、恋人の心の中に生き続けた方がいいのか、それとも恋人の心を独占して恋の勝利者になるのがいいのか、まあ、普通には後者だとは思うけど、考えどころだよねえ。( ^-^)


別れの歌を探していて、びっくりすることがあった。
少なくともタイトルに「別れ」という文字がつく歌は、二、三十年前の「演歌」というジャンルがほとんどで、現代の曲の中では数えるほどしか探せなかった。

考えてみると今の曲のタイトルはカタカナや英語ばかりだからねえ。
それもそうだけれど、「別れ」という言葉が持つ否定的な印象を若者たちは毛嫌いするのだろうか?


九子が若かりし頃の名曲「別れの朝」を、さっきyoutubeから引っ張り出して聴いた。

高橋真梨子のボーカルはさすがに迫力がある。
歌詞は なかにし礼で、繰り返しが多いのでほとんど一番の歌詞しかないような短いものだ。

 

あの頃は繰り返し聴いていたが、今聴いたら「あれ?」と思うことがあった。

別れの朝二人は、冷めた紅茶を飲み干し、さよならの口づけを笑いながら交わして、駅につづく小径を何も言わず歩くのだ。

さよならは言わないで、涙をさそうから。この指にもふれないで、心が乱れるから。

そして汽車は出て行き、あなたはちぎれるように私に手を振り、私はあなたのその目をじっと見ていた・・というのが歌詞のあらかただ。

女は男に手を触れられるだけで心が乱れ、男は女に汽車の窓からちぎれるように手を振り続ける。
こんなにお互い、未練たらたらなのに、なんで別れるの?

あっ、そうか!もしかしたらこの歌は、別れとは言いつつも、彼が短期出張かなんかで出かける時の歌?(^^;;

別れに伴うはずの悲壮感っていうの?ちょっと希薄な気がする。
お互いにまだ気持ちに余裕があるよね。

別れって言うのは、もっとひりひりするものじゃないのかな?
まあ、そんなに多くの別れを経験した訳じゃない九子に言えたセリフじゃないんだけれど・・。(^^;;

 

日本人が割合淡白で、別れに関してもきれいな身の引き方を身上にしているように思えるのは、やっぱり桜の散り際を美しいと感じる美意識だからなのかもしれない。

咲いても美しい、散っても美しいと感じるのは、桜がそういう稀有な花であるからという事ばかりではなく、「負けるが勝ち」とか、判官贔屓(はんがんびいき)とか言われた、弱者に対する日本人の優しい気持ちと無関係ではないのかもしれない。

そしてその根底にあるものは、「散る桜、残る桜も、散る桜」という教訓。
読み返してみると、九子もいい事書いてたね。(^^;;
2006年10月と言えば、父が亡くなって半年。それから2ヶ月ほどで母も逝ってしまう悲しい年だった。

すばらしいコメントを下さったawayさんMuranさんに改めて感謝申しあげます。m(_)m


諸行無常の世の中に生きる私たちに、生きるための、そして死に臨んでの先祖たちからの智恵を、美しくはかない姿で、静かに、そして雄弁に語ってくれる桜。

そしてそのメッセージを、軽薄と言われがちなラップ歌手の若者たちであってすら、心のど真ん中に的確に受け留める事のできる私たち日本人。

みんな、自信を持とうよ。私たちは誰にも負けない素晴らしい、美しい資質をもっている!
毎年毎年桜と一緒に、何かを捨て去ってはまた新しく生まれ変わる強さもある。

何が正しいのかを、よく見極めよう。
正しいもの、美しいものを追い求めよう。
人と同じだからと安心することをもうやめよう。

自分の頭で考えよう。
誰かへの気遣いは少々お休みにして、自分が何をしたいのかを一番先に考えてみよう。

勇気を持って「変だよね。」って口にしよう。
その時を逃したら、もう永久に口にする機会はないかもしれないのだから。

勇気ある一言を口にする人が正しいと思ったら、積極的に応援しよう。
その人の意見が、大勢の圧力につぶされてしまう前に。


そしてこういうことがやっぱり私には無理!と思ったら、坐禅をしましょうね。
九子だって昔は何も出来なかった。でも少しは強くなれました。( ^-^)

 


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安心立命 [<坐禅、仏教、お寺の話>]

年賀状には温かい家庭のささやかな日常が綴られるものだとばかり思っていると、時としてとんでもない非日常が書かれていてのけぞる事がある。

Kさんからの年賀状はその最たるものだった。

7~8年前まで、わが家のすぐ前でピアノ教室を開いていたKさん。
東京から引っ越されてすぐ、その行動力と明るさでまたたくうちに生徒さんを増やし、わが家の娘二人と
出来すぎ母も、いつのまにか彼女の生徒の末席に加わっていた。( ^-^)

出来すぎ母は小さい頃にピアノを習ったがすべて音感に頼っていたので、楽譜は特にシャープやフラットが増えて来るともう読むのがめんどうになる。
それでも年を取って暇が出来るとまた昔のようにピアノを弾いてみたいと思ったようだ。

その血を受け継いだ九子も同様に譜面を見ずになんとなあく弾いていて、母に言わせると「おっぽけばっかり弾いて!」と言う事になる。(そんな九子はピアノとは早々におさらばした。(^^;;)

おっぽけというのは、でたらめとか間違いとか言う意味の、これは稲荷山弁なのかな?
(今気がついたけど、もしかしたら語源は「大呆け」かも・・。)

Kさんはピアノ初心者でも「どうしてもこの曲が弾きたい。」というリクエストがあれば、その曲がなんとか弾けるようになるまで指導してくれた。

出来すぎ母も、「別れの曲」や「トロイメライ」を一丁前に弾く事が出来るようになった。

まあそんな訳で、Kさん御一家が大家さんの都合で三年ほどでここからそう遠くない別の場所に移って行かれるまで、Kさんは九子の数少ない友人の一人であり、わが家3人のピアノの先生であった訳だ。


九子がのけぞったのは、後から気付くと二年ぶりに届いたKさんからの年賀状の「脳死肝移植」という一言だった。

えっ?「脳死肝移植?信州大学病院で?」
Kさんはいつも元気いっぱいの人で、肝臓が悪いなんて一言も言っていなかったのに・・・。


早速電話して聞いた話はこうだった。

彼女は一番下のお子さんを生んだ時、C型肝炎に感染してしまっていた。
その後ずっと、ほとんど症状が出ないで済んでいたのだが、5年ほど前から症状が出始めて、肝硬変、肝癌へと進んでしまい、癌は肝臓全体に広がり、生体肝移植では間に合わず、肝臓全体の移植しか打つ手が無くなっていた。それが2010年の秋頃。

「来年のお正月は迎えられないかもしれない。」という余命宣告を受けながら、彼女は持ち前の勝気さで泣いても仕方がないと開き直って、前向きに、ひたすら前向きに、看護師さんに「何がそんなにおかしいの?」といぶかしがられるほど笑いながら毎日を送っていたそうだ。

「子供たちだって一番下がもう二十歳。ここまで生きてやればもう母親の責任も果たしたでしょ。」
彼女の強さはこういう割きり方だ。とても九子と同じ一人っ子とは思えない。

そういう前向きな気持ちが、確かに彼女に幸運をもたらした。
余命ぎりぎりの2010年の12月、肝臓の型が彼女とぴったりのドナーが現れたのだ。

そして7人の主侍医による23時間にも及ぶ手術が始まり、何度も生死の境をさまよいながらも、彼女いわく、「ベートーベンの生誕日に生まれ変われた。」のだそうだ。音楽にぞうけいの深い方は御存じだろうが、12月16日の事だそうだ。

幸い拒絶反応も起こらず、一ヶ月後にはもう退院して、長野から松本まで小型の酸素ボンベをひきづりながら受診を続けたそうだ。

そんなKさんのことは県下初の脳死肝移植ということでもちろん名前を伏せて地元紙やテレビでも取りあげられたそうで、見る人が見れば彼女だと言う事がすぐにわかる記事だったと言うが、九子は全然知らなかった!

そして彼女はこんな不思議な話もしてくれた。
彼女の肝臓は北の方から空輸されて来た男性の肝臓なのだそうだ。臓器はユニセックスなんだね。( ^-^)
そして移植手術中、彼女は不思議な夢を見ていたそうだ。
男性がどんな風に死んだのか、そして彼のお葬式の様子、それらが手に取るように見えたのだと言う。

そして麻酔からさめた時、彼女は彼女のものになった肝臓にこう語りかけたそうだ。
「よろしくね。縁あって私の身体の一部になってくれた肝臓さん、これからはずっと二人で頑張りましょうね。」


「もう一年経ったから、すっかり元どおり元気になったわよ。薬(免疫抑制剤)は死ぬまで飲むけどね。
 お金はすっごくかかったけど、命もらったんだもの。信州大学(医学部)優秀よ。考えてみたら肝臓移植最初にやったの信大病院だったもんね。先生方みんなアメリカへ留学して研鑚積んでるの。東京の友達に、長野に居たから助かったって言われたもの。そんな普通じゃ会えもしない優秀な先生方がみんな私の主侍医になってくれて、今じゃ気楽に話せるんだもん。それだけだってすごい体験よ。」

「私のピアノのお弟子さんさあ、みんな優秀で信州大学医学部へ3人も入ったのよ。」
一流のピアニストになるような人は頭脳明晰じゃないと絶対に成れないというのが彼女の持論だった。
言われてみると確かにそうだ。10本の指を別々に動かすという離れ業は、とてもじゃないが九子みたいなとろい人間には出来るはずがない。

「入院してるとさあ、夜中に泣き声が聞こえてくるの。泣き声で眠れないって人も居る。睡眠薬もらう人も居る。だけどもうしょうがないじゃない。泣いてたって何も始まらない。そんなら明るく笑っていようって思った訳。」

これらの言葉から垣間見られる勝ち気で前向きで陽気な彼女の性格が、彼女の術後の免疫力を高めるのに大いに効を奏した事は言うまでも無い。

癌患者でも、前向きに生きる人の方が予後がいいってよく言われる。
だけど九子にKさんと同じ事が出来るかと言われたら自信が無い。

もちろん九子は必死に坐禅をするだろう。それによってだいぶ不安は小さくなるに違いない。だけど果たしてKさんみたいに達観できるだろうか。「子供も一番下が20歳になったんだから、もういいじゃない!」
そんな風に思えるだろうか?

九子は活禅寺で「安心立命」という言葉を習った。仏を信じて(坐禅をして)安心しきって、自分の使命をまっとうするという意味だ。

若い頃はなかなかわからなかった「自分の使命」だが、この頃なんとなく見えてきた。たぶん大きく外れてはいないと思う。
若い頃は別の事を自分の使命と思い込んだ時期があったが、それはやっぱり間違いだった。それが自然にわかってきた。
自分の使命はそんなに自分とかけ離れた難しいことの中には無いようだ。
そういうことがわかってくると、年を取るってまんざら悪い事ではないと思えてくる。

仏教では一期一会だの、会うは別れのはじめだの、今日と言う日が二度と来ないことを戒めることわざが多い。

Kさんみたいに人生を2回も味わうような体験はそうそう出来ないと思う。普通の人はたった一度の人生だ。

九子なんかはその人生もそろそろ先が見えてきて、とにかく死んでいく時に悔いだけは残したくないと思うようになった。

自分の使命はわかった。ならばその使命のために何をなすべきか。
今年はそんな事を考えながら過ごせたらいいなあと思っている。


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