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地震のご報告 [<その他>]

このたびは長野県北部で起きた震度最大6弱の地震に際し、皆様に多大なご心配をおかけし、わざわざお見舞いのメールやらコメントやらお電話やら下さった方々もおいでになり、心より御礼申し上げます。
友達少ない人間の九子でも、これだけ多くの方々にご心配頂けているという事実に、これもひとえに律儀な日本人の皆々様のお陰と、心より感謝しております。有難うございました。

善光寺の石灯籠が60基ほど倒れたり、墓石が転がっている映像がテレビで流れたため、皆様大変ご心配下さったようですが、考えてみると石灯籠やら墓石やらはただ積み上げただけのもので、地震には一番弱い構造物だと思います。

実は我が家のお墓も「○○家の墓」と刻まれた一番大きな石が地面に落ちてしまいました。同じ○○家でも、お隣にあるもっと古いご本家のは、少々墓石がずれた程度で無事でした。やっぱりかけたお金の差でしょうか?(^^;;
石屋さんが早速見てくれて「お宅の墓は背が高すぎた。あれじゃあ倒れなさいと言ってるようなものだから、今度は台座を抜いて背を低くしましょう。」と言ってくれました。お陰さまで倒れた石は砕けたりせず無事でしたので、そのまま使えます。
当時先祖は現在よりもずっと機運上昇の時期に当たり、墓も出来るだけ高くして目立つように建てたものと思いますが、18代目に至り、凋落の時代におきましては、身の程をわきまえた高さにしてもらうのが一番かなあと18代十兵衛予定者のM氏と話し合っております。

凋落はともかく、運だけは良い九子の事とて、実はこの2月でしたか、耐震補強の工事をして貰ってありました。
3月に終わる年度中に申請すると結構な額の補助金がもらえるというのが小さい記事で日頃ほとんど見ない市報に載っていて、そういう時だけ見逃さずに九子が必死で申請しました。

当初の我が家の耐震強度は、驚くべきことに0・2くらいだったそうです。今1・5とか何とか言っていますが、そんなどころではない驚きの結果でした!
もっとも百数十年耐えた家ですので、現代の建築基準では計れない構造上の特性があるかもしれない・・などと慰めては頂きましたが・・。

それでもまあ最低限として、かろうじて1.0を狙える0・9くらいにしておきましょうという事で、まあお金もいい塩梅でしたので(^^;;、そのあたりで手を打った訳でした。

今でも耐震強度0.2だったらどうなっていたかと考えると背筋が寒くなりますが、そんな訳で補強されて0.9になってた我が家は良く堪えてくれました。


そもそも地震の時、九子とM氏が何をやっていたかと言うと、テレビを見ていました。
サスペンス物が好きなM氏に合わせて、九子も熟女ホステスの嫉妬がらみの連続殺人事件というのを見ておりまして(^^;;、そうしたら突然ドーンと来た訳です。

こういう時、日頃と違って九子は素早かったです。早速テーブルの下に隠れて、そうしたらまあ、M氏がまだぽかんとして立っていましたので、「Mさん、早く早く!テーブルの下!!」と言ってあげました。
後で考えると、危急の時には女性の方が本能的に身を守る行動が素早く出来るのかもしれません。

地震の揺れは今までの中で一番強く、テーブルの下から、食器の開き戸が開いて皿やら茶碗やらが飛び出して割れるのが見て取れました。
こんな経験は初めてでした。

九子が小学生の時松代群発地震というのがあり、何年間も毎日のように震度3から5近い地震が続きましたので、震度5近くまでは慣れていましたが、さすがに震度6近いのは違います。

でも、地震の持続時間はそんなに長くは無かったような気がします。東日本大震災の時はいつまで経っても揺れが収まらず本当に怖かったけれど、それに比べたら三分の一くらいの時間で終わったように思いました。
3.11で被災された方の恐怖はいかばかりだったかと思います。

そう言えば3.11で石巻で被災された薬剤師さんがたまたま善光寺のご戒壇巡りをされていて、「地震の日の夜は一晩中灯りが無くて、あのご戒壇巡りのような暗さでした。」とおっしゃいました。
人間を本能的に不安にするものは、音やら揺れやらよりも、案外暗闇だったりするもののようです。

笠原十兵衛薬局の売りである古い店にも少々の被害がありました。素焼きの壺がふたつみっつ落ちて割れましたが、これはまだ代えの品物が残っていますので心配ありません。
一番は、父が薬局を開業した時の備品だと思うのですが、硝子ケースに入った精密ばかりの腕の長い上皿天秤が床に落ちて、硝子ケースは粉々、秤も多少壊れているようです。

DSCF0638_R.JPG 

まあでも今の時代の事ですから、ネットで修理をしてもらえる場所を探して復活させたいと思っています。

それにしても母が善光寺大本願で店を開いていた時に使っていた華奢なガラスケースなど、大事なものが入ったケースは悉く、耐震工事の時に床に止めて貰っていたので助かりました。
でもまあこれも、もしも本当に震度6を越える地震が来たとしたら、全然役になど立たなかったでしょうが・・。


M氏、その後の立ち上がりは早かったです。九子がもたもたしているうちに、懐中電灯を見つけて来て家中を点検し、二階をごぞごそ覗いていたようです。
いや何、電気や水道はそのまま使えましたし、始末の悪い九子がどこかに置きっ放しにしてしまった懐中電灯を見つけるのに多少手間取っただけです。

戻ってきてM氏は「二階の方が酷いぞ!N子とM子の勉強部屋の壁が落っこちてめちゃめちゃだ。」と言いました。
そしてまた、外へ出て行こうとするんですね。

「ねえMさん、また余震来るかもしれないから、外なんて明日見ればいいじゃないの。」と言う九子の言葉も聴かず、裏の家の様子を見に行くようです。

九子はつくづく思いました。
ほら、台風や大水の時、必ず畑の様子やら船の様子やらを見に飛び出して行って亡くなってしまうおじいさん、いるじゃない?
あれって絶対におじいさんなんですよね。おばあさんだった試しがない。
これもきっと種の保存の原則なんじゃないでしょうか。
そして男たちは、自分の命に代えてでも、自分のテリトリーを守りたがるもののようです。

「おお、裏の家は大丈夫だったぞ!」・・・やれやれです。

そんな訳で我が家の被害の大半は壁が落ちたこと、特に外壁も落ちて、M氏の安中古車がお釈迦になった事。でもまあこれも、また同じように安い中古車を買えばいいだけの話です。
大屋根から屋根瓦もかなり落ちましたが、夜中で道行く人もおらず、人に当たらなかったのが何よりの幸いでした。

実は200年位前、1847年に善光寺大地震というのがあって、北は飯山市辺りから長野市を含む広範囲に被害が出ました。しかもご開帳の最中だったそうです。
時間も夜8時ごろだそうで、当時の感覚で言えば今回の夜10時過ぎと同じようなものでしょうか。
マグニチュードが7.4。善光寺近辺の震度は7程度と言われています。善光寺の宿泊客を中心に善光寺近辺で3000人弱、全体で1万人弱もの死者が出たそうです。

善光寺本堂の一番前にある太い柱が、この地震でずれて、正面を向いていないのは有名です。
近くには地震塚もあります。

ところで来年4月5月は、折りしも善光寺ご開帳。
この地震がその時に当たらなくて本当に良かったとほっとしています。

「善光寺に護られているから、長野はあんまり災害が無い。」と長野の人々はよく口にしますが、そんな訳ではないことも肝に銘じなければならないかもしれません。


皆様、ご心配、本当に有難うございました。そして、どうぞご安心ください。

それでもこれでも九子の強運とM氏の尽力で、我が家はほぼ正常に戻っております。
部屋が散らかってるのも地震のせいに出来るので、九子はほくそ笑んでおります。(^^;;


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文友に会いにドイツへ行ってきました! [<その他>]

ずいぶん長いお休みを頂いてしまったのでまたうつ病を心配してくださった方もいらっしゃって、恐縮しながらこれを書いている。
タイトルのとおり、実は九子は遊び呆けていた。

元々が体力皆無の人間なので、帰った途端に眠り病がひどくなり、眠くて眠くて仕方ない有様。その上休んでいたツケが回って珍しく仕事が忙しく、なかなか日記もご無沙汰していたという訳だ。
ご心配下さった方々、本当に申し訳ありません。<(_ _)>

ドイツはものすごく楽しかった!


出来過ぎ母、ビンボー神М氏、という枕詞が何もない我が父だけれど、これからは預言者父と呼ぼうかと思うほど、よくぞ40数年前にスイスのケーブルカーの中で、よりにもよってA君の家族に話しかけてくれたものだ!
父はもしかしたら、A君が大きくなってビッグになることまで見抜いていたのかな?


それにしてもA君の家族と我が家には結構類似点がある。
A君のお母さんは薬剤師、お父さんはベンツの技術者だったが、今では九子とN子が薬剤師、次男Sはベンツに匹敵する日本の自動車会社の、技術者じゃないけどとりあえず開発にいる。(そう言っていられるのももあと何ヶ月のことだろうが・・。)

その上A君にも男の子三人、女の子二人の五人の子供がいた。子供の数まで、それに男女の比率まで同じなんて、これはどう考えても有り得ない一致だ。

ドイツは、末娘М子と行った。彼女だけがまだ学生で、時間が取れたからだ。
二人で一人分のビンボー旅行。でもカタール航空は快適だった!

中東カタール国のドーハなどという空港に舞い降りる日が来ようなどとは夢にも思わなかったが、サッカーファンには「ドーハの悲劇」の舞台として有名な場所だそうだ。
すれ違う黒い服を着た女性たちの、目だけ出している人たちも多いけれど、その目でわかる妖艶な美しさ。

黒一色と言えど、金糸銀糸の刺繍が入ったり、柔らかい生地、シッカリとした生地、ドレープ(ひだ)が美しい華奢な生地など。黒はマストアイテムだけれど、それに一色別の色をまとった女性もいて、中東の女性たちは世界中で一番美しい女性たちではないかとアラビアンナイトの世界に迷い込んだような夢見心地になる。

清潔な空港は最近新しくなったばかりと言い、中東というとすぐに思い浮かべるテロの生臭さなど微塵もない。
女性用の衣装を売る店の華やかさは、黒色が中心ということを忘れさせるほどの艶やかさだ。

カタール航空が出してくれる食事にもほぼ満足だった。
宗教上の理由で豚肉が使え無いので鶏肉、牛肉、魚から選ぶのだけれど、煮込み料理が多く、その大半がマッシュポテトなどと一緒に盛り込まれる。

機内食で出された割と塩分の多い日本人好みの味付けが、この旅行中ドイツでもずっと維持された感じだった。

うっかりしたことに本場ドイツのポテト料理を食べ忘れたので、機内食で食べた芋料理の味が図らずも今回のドイツ旅行の味になってしまった。


ミュンヘン空港には文友A君が車で迎えに来てくれることになっていた。
196センチのA君(・・などとはもうとても言えないが)、平日にミュンヘン空港に降り立つ日本人などそう多くはないから、すぐにわかってもらえた。

メールに書いておいたように九子は黒い日傘をさし、彼は九子の名前を書いた紙を持っていてくれたようだが、すぐにお互いを理解したその一瞬に、なんだかこの旅行がとてもうまく行きそうな気がした。

ミュンヘン空港から彼の家に車で向かう最中、音に聞くアウトバーンの凄まじさを感じる。
普段は普通に走っている車が、突然スピードメーターの針を押し上げて200キロ以上の猛スピードになる。

最後まではらはらドキドキしながら、これはドイツのすべての人々が交通法規を遵守しているという相互理解のもとでないと成り立たないシステムだと強く思う。
だって、一人がウインカーを出し忘れて車線変更したりしたら、後続車とすぐに衝突してしまう。絶対に前の車にウインカーの出し忘れはないと信じなければ、追い越しなど怖くてできない。

ドライブインでソーセージ中心の初めてのドイツ料理。ソーセージとマスタードの味わいは格別だ。
それにしてもさっきから、気が付くと誰か誰かの視線を感じる。無理もないか!ドイツの田舎の小さな町で、東洋人なんてほとんど見ないのだろう。
慣れてしまえば、却って快感・・!(^^;;


初日の夜に出会ったA君の家族たち。一番心配していた奥さんのМさんはとても癌で闘病中などと思えない笑顔とエネルギー。脳腫瘍の手術の後遺症が残ってしまったP君も、白血病を克服したSちゃんも、元気そうで安心した。
М子と一番年が近いDは語学を学ぶことが大好きな学生で、家族一上手な英語を話す。

その後、後遺症のために噛むのが苦手なP君の大好きなアイスクリーム屋さんへ。
アイスも、形がまるでスパゲティーのイタリア風スパゲッティーアイス。その後どこへ行ってもピザとパスタの店ばかりで、どうやらドイツ国内はイタリア料理に席捲されているらしい。

A君以外の家族も英語がわかってほっとする。そして彼らの温かさに、M子ともども心より感謝。

fromthesky.jpg二日目にサプライズが待っていた。
ローテンブルグRothenburgという空襲を免れた古い街に連れて行ってくれるというので車に乗ったら、着いたところはなんと!小さな飛行場!
A君は二十歳くらいの若い頃にパイロットのライセンスを取って、二人乗りと六人乗りの自家用飛行機を持っていたのだ!

「こっちの大きい方にはビジネスの客以外では君たちが初めてだよ。」と、六人乗りの方に奥さんのMさんと4人で乗り込む。
「私、彼の飛行機に乗るといつでも眠くなるのよ。」というМさんに、彼への厚い信頼を感じる。
ちなみに彼とМさんは終始手をつなぎながら歩いていた。


まったく物怖じしないМ子が副操縦士よろしくA君の隣に乗り込み、飛行機が時速270キロ以上出るなどということを聞き込んでくる。
ああ、だから彼は道路で220キロ出しても、ちっとも怖くないんだ!

秋の紅葉が始まったばかりの山々を真下に見下ろしながら、25分ほどの飛行を楽しむ。
(ちなみにドイツの紅葉もほとんど日本と同じくらい美しいものらしい。今回はまだ少し早めで、紅い紅葉にはなかなかお目にかかれなかった。)

飛行場から町までは、地元のタクシーに乗る。
びっくりしたのは初対面のはずの運転手さんにA君が気さくに話しかけていたこと。

そう言えばレストランの店員さんにもそうだった。

日本人だとなかなかこうは行かない。
タクシーの運転手さんと必要以上の話をする人などそんなにいないのじゃないのかな?

寡黙な印象が強かったドイツ人の、ちょっと意外な一面だった。

ローテンブルグでは通称クリスマスショップと言って、一年中クリスマスの飾りつけを売っている店が有名だ。
こういう店が商売になってしまうというのも凄いと思う。

中では現地の日本人の奥さんが販売員をやっていて、他の店員さんのような愛想の良さは少ないが、誠実な受け答えが信頼出来る。
ドイツ人の日本人像も、おおむね彼女のような感じらしい。

ここでもМ子は受付のおじさんに可愛がられて一緒に写真を撮ってもらった。

彼女の笑顔は愛らしい。しかもいつも心の底からの満面の笑みだ。

日本人は若く見えるというから、きっと彼女は中学生くらいに見られているのだろう。
そして物を尋ねる時も、何かを頼む時も精一杯の笑顔でExcuse me. と Thank you.を言い、そして生来の勘の良さで重要な一単語を聞き逃さないので、なんとなく答えがわかってしまう。

こういう時、親としては、やっぱりあなたは小さい時に英語幼稚園で2年間カナダ人の先生に英語を浴び続けたのが良かったのよ!と言いたいところだが、彼女は決してそうではないと否定する。

そうでないとしても、やっぱり彼女は出来過ぎ母にそっくりだ。(彼女はもっと必死で否定するだろうが・・。(^^;;) 


ローテンブルグにはクリミナルミュージアム、要するに犯罪博物館があり、中世からの拷問の器具などが並べられている。
広島長崎と何が違うかといえば、日本のは被害者の視点の展示ばかりだが、ドイツのは自分の国がこういう蛮行を行ったと認めて、それを繰り返さないようにというスタンスだ。
そこが凄いと思う。


三日目はA君の家族全員がブランチでもてなしてくれた。
近くに住む長男のМAも、もう結婚して娘もある次男のМIも、A君夫妻と同居しているМIの奥さんのSAも、彼らの娘4歳のDIも、家族全員がわざわざ九子たちのために一同に会してくれた。

山盛りのドイツパン!ドイツのパンの美味しさは予想外・・と言ったら失礼だが、ライ麦パンや黒パンといった素朴なイメージのものもとても洗練されていて、プレッツェルと言う大昔流行ったピースマークのような・・と言ってもわからない方が大半と思うが、とにかくパン種を搾り出し袋に入れて丸く絞り出して焼いたようなパンの美味しさが際立っていた。しかも、日本人が食べてもしょっぱい上に、周りに粗塩の結晶がまぶられているという念の入れよう。

でもこのパンの厚さを半分にして本バターを塗りこみ、ハムなど詰めたサンドイッチの味は秀逸だった。


いつでもどこでも必ず出て来て一番美味しいと思った白いソーセージはパセリなどが練りこまれていて、唯一皮を剥いて食べるものであることを教えられた。
九子とМ子が今までずっと皮ごと食べていたと言ったら、一同大笑いだった。(でも、十分食べられるくらい柔らかい皮だった。)

チーズの皿、ハムの皿、ソーセージの皿、サラダの皿、フルーツの皿、などなど。シンプルだけれど美しく盛り合わされた心のこもったもてなし。

パンなどは「手作り?」と聞くと、「まさかあ」というような表情が返ってきて、餅は餅屋!ではないが、パン屋で買うのが当たり前なのだろう。

A君とМさんは、豆やナッツを中心にした別料理を食べていた。これも彼女の体を思い、有機野菜や免疫力のつく食物を好んで選んでいるらしい。
そのせいか、A家で飲んだ牛乳がどこのよりも一番美味しかった。

庭を案内してもらった時に見たこざっぱりとした小屋は、子供達が小さい時に中で遊べるように彼が建てた子供たちの家だそうだ。彼らの表札もしっかりと付いていて、大人たちの生活を真似ながら遊んだのだと思う。
彼の家が豊かだから出来たことなのか、それともどこの家でもするのかは聞き漏らしたが、ドイツ人の子育ての原点がそこにあるような気がした。

庭で拾ってもらった小さな胡桃は捨てられずに日本に持ち帰った。

実はA君は今、癌の新しい療法を経済的に支援する会社を立ち上げていて、新しい療法をМさんやP君の癌に試そうとしている。
人間に試すにはまだまだ課題が多いらしいが、愛する家族を守るため、彼はとても意欲的だ。

Мさんがきっと元気になって、とりあえずA君と二人で日本へ、長野へ来てくれたら、その日までこの胡桃を大事に持っておこう。
「ほら、あの時の!」と言って見せたら、びっくりしてくれるかもしれない。


A君に駅まで送り届けてもらって、贈り物分が減って軽くなった二人分のトランクも着いたばかりの電車に運び込んでもらい、発車間際に大慌てで飛び出すのを車中の人たちに大声で笑われながらも(これも初対面の人にもフランクなドイツ人ならではか?)ホームで大きく手を振って見送ってくれたA君とその家族に最大限の感謝をして、九子とМ子を乗せた電車は一路またミュンヘンへと向かう。

(つづく)


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さらば、マイぷれす [<その他>]

無料ブログサイト「マイぷれす」がこのたび9年にわたるサービスを終了することになった。

九子は2003年10月にブログを始めている。マイぷれすが始まって半年ほどで書き始めた事になる。
こう見えても割合年季は入っているのだ。( ^-^)
ただ更新のペースがいかんせん長すぎる。(^^;;

でも最初の頃は、きちんきちんと三日に一度更新していた。

そもそも「九子のダメ母の証(あかし)日記」というタイトルに忠実に、今日はこんなドジをしましたというのをずっと書き続けて、1年経ったら止めるつもりだった。

マイぷれすに書いた紹介文はこうだった。


<マイぷれすの紹介文>

登場人物 九子、5人の子供達(上から順に R、S、Y、N子、M子)
M氏・・・九子の夫くん、九子の両親、他


実は3男2女の母である九子はしかし、出来過ぎ母になんでもやってもらって育ってしまった一人娘ゆえ、トロくてなんにも出来ない落第母である。

子供を産んでからも事情は変わらず、大変なところはみんなやってもらう「生むだけ母」でもあった。でも今振り返ってみると、「ダメ母で良かった!」と思う。そんな思いを書いたのが笠原十兵衛薬局のHPにある「ダメ母のすすめ」だ。

ところがここでちょっとした誤算があった。世の薬剤師方がよほど優秀なせいだろう。「いやしくも薬剤師の九子さんが、そんなにトロい訳ないじゃない。信じられないわ。」という反応である。

そこで、いくらなんでも薬局のHPにはあぶなっかしくて載せられないことを、この日記に書いて行く事にした。要するに九子のドジ日記である。多分すぐにでも種切れでおしまいになることを信じたい。

尚、もし暇と興味がおありなら、坐禅とうつ病の話に出てくる笠原十子と朝原九子の証言もついでに読んで頂くと、こういう人間が育ちあがった訳がわかるかもしれない。

そもそも、ダメ母の前はダメ人間。根暗のダメ人間から明るいダメ母へ。華麗なる変身を遂げたその理由は・・・・?とにかく読んで見てね。( ^-^)

あっ、初めて告白しますが、十子ちゃんというのも私のことですからね。( ^-^)


当時はまだ長男が二十歳で末娘が小6の頃。九子もしっかり母親だった訳だ。(^^;;

九子は何度も言うように薬局の一人娘に生まれたからしかたなく薬大へ行ったが、頭の中は生っ粋の文科系だ。

友人は少なかったが(^^;;、でも手紙やメールは毎日のように書いていた。
九子の文通相手の中には、御年90歳の村井昌治先生もいらした。”The Falk Tale of Shinano”「信濃の民話」を英訳された英語の大家だ。こういう地元の有名人とは、たいてい父を通して知り合った。

とは言えまとまった文章を書くのは毎年の年賀状に頭を絞るくらいで、あとは子供たちの文集や活禅寺の機関紙の原稿を頼まれた時くらい。

正直、こんなに長く書き続ける事になろうとは思っても居なかった。

ちょっとした転機になったのは最初の頃に書いた「銀杏談義」だろうか。ダメ母日記だけじゃなくて、こういうのもいいかな?と思い始めた。

書き進めるうちに、自分は書く事が好きなんだという事を再認識し、我ながら上手に書けた時の喜びを体験し、際限なくとは言わないがこれからもまだまだ書けるかもしれない・・・などと夢を持っている。

こうやって書く機会と書く場を与えてもらったからはじめてわかったことだった。


考えてみると九子は小さい頃からずっと一人ぼっちだった。もちろん両親にも祖父母にも十分すぎるほど可愛がってもらったが、友達と遊ぶと言う経験が少なくていつも家の中に居たので、テレビを見る以外は一人の時間が長かった。その上、手足を動かす事は大嫌い。根っからの怠け者なのである。(^^;;

そうなるとおのずと頭の中で考えをめぐらすしかない。とは言え、決して創造的な頭の使い方ではなく、
考えても考えても大して役に立たない事を考えるだけ。(^^;;

そういう言わば妄想癖は、九子が覚えている限り小学校低学年にはもう出来上がっていた。

友達の居ない九子ちゃんは、一人教室に残ってガラス窓から校庭で遊んでいる友達をじっと眺めていた。時折先生に促されて仲間に入る事はあっても、九子は決して楽しんでなどいないのだ。
そうすれば先生が誉めてくれるだろうと思うだけで、なわとびもドッジボールも鉄ぼうも鬼ごっこも、はっきり言って何が楽しいのか全然わからなかった。

こういうのって「自律性」っていうんだよね。自分のやりたい事がわかっていて自分から行動を起こす力。
自分から遊べる子供の自律性は高い。
いつも出来すぎ母の指示待ちをしていた九子の自律性は極端に低かった。

中学、高校と進んでも、事情はほとんど変わらず。
同じ班の子たちや同じ部活の子たちとはそこそこ楽しくやっているが、学校を離れたらもうそれまで。
何しろぬくぬくのお家が大好きだったから。( ^-^)

あっ、高校時代はそれでも割合楽しかったかな?優等生を脱する覚悟ができたからね。( ^-^)

その高校時代に、一年間だけ教えてもらった国語の先生が九子に自信を与えてくれた。

そもそも九子は国語の勉強をほとんどしたことがなかった。テストの前は漢字練習を20分ほどするだけ。
自慢じゃないが高校時代、本も一冊も読んだ事が無かった。まあ、国語は入試に関係ないやと思ってたのかもしれないけど・・・。

それでも3年間、どういう訳だか国語の成績は常に10だった。
必死に勉強するのに、どうやったって万年9の英語とは対照的だった。

ある時先生が絶対に90点を取れない様に作ったというテストで、九子は一人90点を越えた。その時先生は「このテストで90点を越えた奴は天才か気違いだ!」と言われた。

ブログを始めて、この世の中には天才か気違いがそこらじゅうに溢れていることを知った。
それでもへこたれた時にはその言葉をよりどころとしている馬鹿な九子である。(^^;;

それに、今になるとやっぱり努力して勉強したことのほうが役に立っていることがよくわかる。
必死で覚えた英語の知識は今でも十分通用するが、ほとんどすべてを勘に頼っていた国語のノウハウは、娘や息子に教えようったって伝わらない。(^^;;


そんな訳で万が一九子に国語力があったとしても、書く材料がなければ書き続けることは出来ない。
ある日ふと、もしかしたら九子に染み付いた役に立たない妄想癖が書く材料の調達に寄与しているのかもしれないと思った。

いつも言うけど、九子に友達が少ないのはきっと一人でも十分楽しいからだ。
考え事をしているとすぐに時間が経ってしまう。

考え事のその上に、過去を反芻する癖もある。
楽しかった事、どきどきした事、悲しかった事、ああすれば良かったなあと思う事、そういう事を思い出してはにやにやしたり、はらはらしたり、無念に思ったり・・・。

そんな事、何度考えても未来にはつながらない。わかっちゃいるけどやめられないのである。
そんな中でたまには一つ一つの経験を普遍化して考えをまとめる事もあった。

無駄と言えば無駄な時間の使い方なのかもしれないけれど、ブログを書き始めてからその無駄な時間に価値が在ったような気がしてきた。

そんな気持ちを後押ししてくれたのが、「人生のほんとう」などの名著を何冊も残され、若くして病死された池田晶子さんのこんな言葉だった。


「私は、ひとりでいることがまるで平気、むしろその方が好ましいのですが(中略)、ひとりで自分を味わい、思索することの面白さ、一度これを覚えると、他人との関係にはさほど執着しなくなるようです。いや、むしろ逆に、孤独の豊かさを知っているからこそ、他人との関係も本当に楽しむことができるようになると言えましょう。
なぜなら他人との関係とは、その他人の中に自己を見ることに他ならないからです。自己認識が深いほど、関係は深く充実したものになるはずです。(略)」  

<死とは何か>より

もちろん九子の場合は池田晶子さんのような崇高な孤独ではありえない訳だが・・。(^^;;


マイぷれすは小さいブログサイトだったが、創生期からある正統派で良質なブログサイトだった。
そしてなぜか検索に良く引っかかった。

ブログを続けるうちに、以前はほとんど検索に引っかからなかった「雲切目薬」が上位に出てくるようになった。
「疲れ目 目薬」でも「かすみ目 目薬」でも100ページめくってもダメだったのに、2ページ目くらいに「雲切目薬」を発見した時は嬉しかった。( ^-^)

ダメ母、ダメ薬剤師のブログという性質上さすがに薬局のホームページからは表立ってリンクしていなかったが(^^;;、ブログの方からは薬局に積極的にリンクしていたのが功を奏したらしかった。

「九子」と検索すると、一番最初に出てくるのがマイぷれすのブログだ。この順位はリンクされてる薬局の順位にも当然影響し、Google adwardsというおこずかい程度の金額で出来る検索広告でも表示位置を押し上げる。

現在Googleで「花粉症 目薬」と検索すると上か右側の一番わかりやすい位置に表示されるはずの「雲切目薬」のリンクも、もしもマイぷれすが消えてしまったらどうなってしまうんだろうかと少々心配になる。


いずれにしてもマイぷれすはあと10日ほどで消えてしまう。
マイぷれすでブログを始めてよかったと、今、心底そう思う。

孤軍奮闘の管理人のサンドさん、長い間ご苦労様でした。m(_)m



★九子のダメ母の証(あかし)日記はこれからもso-netで「九子のダメ母の証(あかし)日記 in so-net」として、まだだらだらと(^^;;書いていく予定です。


テクノラティとMixi [<その他>]

きっかけはおみつさんや拳一狼さんだったと思う。マイぷれす以外のブログサイトからリンクをして頂いて、外海の様子も覗いて見たくなった。


Yahoo!ブログ、Livedoorブログ、Gooブログ、楽天ブログ、はてなブログ・・・。


そうそう。はてなアンテナで三ねんせいさんにアンテナを張って頂いたのを知ったのもこの頃だ。


三ねんせいさんがマイぷれすの日記仲間でもいらっしゃった事がわかり、なんと信州に長年住んでおられたこともわかった。


こういう出会いが一番嬉しい。( ^-^)



しばらく前から九子日記の最後の方に、ひとつふたつのキーワードとともに緑色のロゴが表示されているのにお気付きの方いらっしゃると思う。
これがブログ検索サイト「テクノラティ」のロゴだ。


脳科学者の茂木健一郎先生が、テレビで紹介されていたのを偶然見た。


マイぷれすは確かに居心地がよい。穏やかな内海のようだ。


でもマイぷれす以外の他のブログも読みたい時に便利なサイトはないものか・・。
そう思っていた時だったので、すぐに飛びついた。


最初に飛びついた時、「これは!」と思ったのが、何を隠そう、トップに張る写真だった。
もちろん絵柄はとうに決まっていた。
雲切目薬の写真だ。( ^-^)


よく考えてみたら、自分はいつも編集画面で飽きるほど見ているこの写真だが、他の人は「九子日記」にたどりつかない限り、見る事が出来ないのであった!


まるで鏡の中の自分の顔にじっと見入ってうっとりしている九子みたいではないか・・。(^^;;


現在テクノラティに登録しているブログ数は300万とも400万とも言われている。


この中でお目当てのブログへたどりつく、ましてや偶然出会ったブログを毎日読んでくれる読者に出会うというのは、針の穴を通るよりも難しいはずだ。


検索のひっかかりやすさと言えば、九子がブログを始めた4年前には、分母が小さかった訳だから何か書けば検索にひっかかる確率も高かったと思う。


おみつさんの話がそれを物語る。


九子が「木枯し紋次郎を知っていますか?」を書いた時、「木枯し紋次郎」と検索すると、すぐに九子のが出てきた。たぶんヤフーの一ページ目か二ページ目だったと思う。


それからたった一年あまり。おみつさんはお正月休みを返上してそれこそ何十番目か百何十番目か辛抱強くページをめくり続けて、やっと九子の記事を探して下さったのだそうだ。


一年でこの変わり様である。


たとえばおみつさんは、木枯し紋次郎の手に入る限りの映像やポスターやいわゆるお宝の数々を駆使して、見て美しく、読んで楽しいブログを書いていらっしゃる。


こんなに良質なサイトであっても、検索サイトからこのブログに行き当たるのは、なかなか大変かもしれない。
少なくとも同じブログサイトのお仲間であれば、たどり着くのはさほど難しくないのかもしれないけれど・・・。


九子の高校時代の友人のとんべさんも最近ブログを始められた。
彼女は新進気鋭の才能ある彫刻家だった御主人森亮太氏を自動車事故で亡くされ、二人の子供達を一人で育てあげた。


御主人の作品を紹介するのがブログの目玉になると思うのだが、彼女のブログ名から検索して探し出すのは結構難しい。


たぶん美術界のサイトなどが窓口になるのだろうが、何百万分の一のブログが毎日アクセス数を稼いでいく事の大変さを思うと気が遠くなる。



単純に考えても、4年前はわずか数万だったブログが現在数百万になっているとしたら、少なくとも百倍は読んでもらうのが難しくなっているという計算だ。


一番使われているはずのヤフーやグーグルの検索に、「キーワードリンク」というとっかかりで易々とひっかかってくれるブログサイト「マイぷれす」は、有り難い事この上ないと思う。


つくづく、内容はどうあれ(^^;;、一年でも一月でも早くブログをはじめて幸運だったと思っている。



マイぷれすの場合は、アクセス数の多さがそのまま人気の順位として表されるが、テクノラティの場合は、より多くのブログからコメントなりトラックバックなり、要するにリンクされる数が問題になる。


九子日記は長い間順位270万台をさまよった挙げ句、ある日突然130万台に躍進した。
モグランポさんのブログからリンクがあったのだ。


モグランポさんは下町の知る人ぞ知るお好み焼きやさんだが、何と言っても文章がうまい!
ほぼ毎日の更新で、これだけ書かれるなんて何と言うエネルギーだろう。



今まで3件のブログサイト、つまり、マイぷれす仲間のあずーるさん、城太郎さん、ねこまにあさんからのリンクだけだったのが、4件になった途端に100万人を追い抜いたという事らしい。


もちろんリンクして頂く方のブログもテクノラティに加入していなければならないはずだが、中にはブログサイト自体が一括して加入済みというところもあるらしい。


それにしてもたった一件のリンクで、順位が大幅に上になるというのもなんだかなあという気がしている。


テクノラティはマイぷれすと比べて極めてそっけない。
もちろんブログサイトとブログ検索サイトの違いというのが大きいのだろうが・・・。


「お気に入り」という機能は同じようにあっても、「お気に入りに入れて下さってありがとう。」という御挨拶も頂かないし、もちろん自分が入れて頂いた時はさっそくお礼にうかがおうと構えていても、誰も入れてくれない。(^^;;


勢いブロガーその人と接触したかったら、コメントを書く以外ないと言う事になる。


でも何百万の人が見ていると思うと、なかなか小心者には難しいんだよね。(^^;;



こうしてみると、マイぷれすというのは極めて充実したブログサイトだ。


コメント以外の方法で記者さんに私的にお便りできる私書箱メールという機能もあるし、使える機能の多様さでは群を抜いているそうだ。


何よりテクノラティが「標準的ブログサイト」としている中に名前すらも載っていないたぶん弱小ブログサイトであるにも関わらず(^^;;、検索のひっかかりやすさはピカいちだ。


ブログだってたくさんの人に見てもらわなければ話にならないというのは、店の広告や看板と同じだ。

広告料の高さを思えば、右側のお知らせ欄に無料で毎日笠原十兵衛薬局のリンクを載せてもらってる事だけでも幸せだ。


マイぷれすさん、これからもよろしく!( ^-^)



一方、話題のMixiにも勧められて入ってみた。


Mixiは恐いらしいよと言う人も居て、どうしようか迷ったが、こっちもトップに雲切目薬の写真を入れられるんで(しかもこちらは常に表示されているので(^^;;)だめもとでやってみた。


Mixiというのは、友達作りの場である。
実生活での社会への関り方が、そのまんま反映されている気がする。


九子のMixi友人(マイミクと称する)は、せりさん、あずーるさんはじめマイぷれす友人の数人やおみつさんなどの他のブログ友達、かつて足しげく通っていた掲示板の友人、そして彼らを通じて出来た新しい友人が数人。
友達少ない人間にしては、まあまあの結果と思っている。( ^-^)


中には3けたの友人数を誇る人も居て、さぞやエネルギーの大きな人なのだろうが、九子なんかは聞いただけで疲れてくる。(^^;;


とりあえずは自分流の関り方が出来るというのは気に入っている。


閉鎖社会のMixiについてこうして書くに当たり、九子は二度サポートに尋ねた。
何を書いて何を書いてはいけないか。


たとえば、他のブログサイトを使わずMixiだけで日記を書いていらっしゃる方の日記を公開してもよいものだろうか。


それに対する答えは無かった。二度目の質問からもう一週間になる。


そんなに気の長い方ではない九子はもうこれ以上は待てないので、Mixiは「どうぞご自由に!」という答えだったと理解してかまわず書く事にした。


ふだんならかっかと怒り出す九子であるが、今回はそうしない。


なぜならこの記事を読んだからだ。
社長の名字が同じじゃあ、親近感だってわいてしまう。(^^;;


(本日九月八日、やっと回答が参りました。一応リンクはされてもしゃあないというニュアンスでしたが、本来は閲覧するにはMixiに入会することが必須であるとの事ですので、その旨よろしくお願い申し上げます。m(_ _)m)

九子をMixiに誘って下さったまったんさんは、英単語のクイズをほぼ毎日出題して下さる。
考えてみるとこういう日記はMixiならではで、ブログサイトはどちらかと言うと日記が主でコメントは従だから、もしかしたらそぐわない。

なんというか市場(いちば)のせり感覚で(^^;;、ああでもない、こうでもないとやっているうちに、自然に友人も出来るし単語力も付くという一粒で何度もおいしい日記だ。


英語と言えば、今はやりのYoutubeをDictationしてくれる こんなコミュニティーもある。


英語の聞き取りというのは、どうしても個人では超えられない壁があって、何度聞いてもわからないところはわからないものなので、むぎさんのような英語の達人がDictationをかって出て下さるのは本当に有り難い。


英語好きの、awayさん、柏倉葵さん、むうさん、るるさん、どんどん御参加下さい。( ^-^)
あっ、くれぐれもMixiにご入会の上で。(^^;;



Mixiで日記を書いている人は、ほとんどが今日のメモ的な短いものが多い様だ。
コメントもおしゃべり感覚で気楽に書かれている。


これがMixiらしさなのかな?と思う。


しかし、中には人をうならせる名文の紹介で名高いイエローポストさんのような人もいる。
こういう方にはぜひ普通のブログサイトを使って公開して欲しいと思う。

(と言っていた矢先、公開されたというご報告があった。)

とりあえず3ヶ月経って今も続けているところを見ると、Mixiも居心地は悪くないんだろう。
自分本来の社交術で無理しないのがよいらしい。



テクノラティにせよMixiにせよ、九子の中に密かに「ブログのアクセス数が少しは増えるかも・・。」などというもくろみが無かったと言えば嘘になる。




そう言う事を口にするのも気恥ずかしいほど、何も変わらぬ現在の結果ではあるが・・。(^^;;

テクノラティ Mixi

SDオーディオプレーヤー [<その他>]

稀代のバーゲンハンター、いや安物好きの九子であるが(^^;、まだジャパ○ットた○たという会社とは一度も御縁がなかった。

別に先入観で物を買う人間ではないのだが、あの鬘(かつら)をかぶった年齢不肖の森進一みたいな社長の顔がなんだかうさんくさい(^^;のと、これは全くの九子の独断だが、た○たというひらがな表記の器量の狭さがなんとなくねえ・・・と言う、まあ言ってみればどうでもいい理由がそうさせていた。

器量の狭さ・・・おわかりだろうか?
昔は高田と書けば皆「たかだ」と読み、山崎と書けば「やまざき」と読み、中島と書けば「なかじま」と読んだ。それに異議を唱える人は皆無だった。

ついこのごろではないだろうか。「たかた」だの「やまさき」だの「なかしま」だのと濁らないややこしい読み方を唱える人が増えてきた。

自分の名前のことなのだからこだわる気持ちは良くわかる。

しかし物流業界に身を置く我が身(へえっ?)としては、「たかた」だろうが「たかだ」だろうが「高田」と表記すれば済むだけの話なのに・・・。
毒づいているのは、「注文電話の文字確認が長くなって困るなあ・・・。」というただそれだけの理由である。 
高田さん、山崎さん、中島さんごめんなさい。(^^;

おっと、最初で脱線しては話が前に進まない。

とにかく我が家に縁のなかったジャパ○ットた○ただが、もちろん運転中にラジオショッピングは良く聞いていたし、とにかくセット販売で安いのだから欲しいと思わせるものはたくさんあった。
くどいようだが今まで御縁がなかったというだけの話だ。

それが・・・である。
新聞広告に挟まっていたのである。ジャパ○ットた○たのその広告が・・・。

何気なく広げてみたら、目玉商品の下のほうに「九子さん、買ってください!」と言わんばかりにそれはあった。

カセットCDSDプレーヤーと携帯SDオーディオプレーヤーのセット、それに512MBのSDカードが付いて19800円(税込み、送料別)

え~っとつまり、カセットやCDから直接SDカードに録音出来るラジカセみたいのと、そのSDカードを入れて聞く事が出来る名刺サイズくらいのSDオーディオプレーヤー、それにSDカードも付いて来るって訳ね。

いつぞや科学ニュースあらかるとのbeepさんが「USBケーブル端子が前面についたコンポデッキが欲しい。」とどこかで書いていらした気がするのだが、安物ながら一応このプレーヤーには前面に一つUSB端子とSDカードスロットが並んで付
けられていた。
(しかしbeepさんの凄いところは、3年以上も昔からUSB端子に注目されてたところ!)

そう言えば九子にipodに対する関心を向けさせてくれた
モノモライにはゆで卵の柏倉葵さんによると、米国製品であるipodには、いかにも
アメリカ的な大雑把な対応や金儲け主義も見うけられるそうな・・・。

しかしながら使い込むうち、その
便利さのとりこになるとか・・・。


我が家にはまだデジタルオーディオプレーヤーなるものは無かった。

量販店でipodだのiriverだのを手にした事はあったが、別に今買わなくてもまあいつでも買えるよねってことで済ませてきた。

いいじゃん!今時この携帯プレーヤーだけでも2万くらいするよ。(ってのは後からヤ○ダ電機の広告で学習した知識(^^;)

(ところが実際は3980円ともっとずっと安かった事が
判明して意気消沈。(^^;)

ただこの中国製というのがねえ。それにQRIOMなんてメーカー聞いたことないぞ!

知らないことはネットで探す!今や社会の常識だ。

それによるとQRIOMというのは、山善という日本の商社が中国で作っている自社ブランドであることが判明。

しかも
悪名高いこの掲示板でも、結構この商品の評判は悪くない事がわかった。

ところで我が家にはカセットテープがうじゃうじゃ転がっているのである。
九子がかつて受講し、M氏が記録した漢方の講義やら、九子が記録した英語の音源。
(ああ、それがすべて頭の中で熟成されていたとしたら、今ごろ九子は漢方薬の大家かつ、帰国子女なみのバイリンガルだったのに。(^^;)

アナログと言われるそれらの音源を、特別なソフトを介さずにパソコンに記憶として残すことの出来るデジタル音源に変換出来るのであれば、こんなに便利な事は無い!

九子の心はもはや決まった。もちろんM氏にも相談はするのだが、この場合M氏の存在などどうでもよい。(^^;

一週間と言われたが、4日ほどで我が家にやって来た記念すべき始めてのディジタルオーディオ機器。

ところが!!

さすが中国製と言うべきか、九子より先に目ざとく見つけて試していたM子がCDを入れて聞き始めてからものの30秒もしないうちに、液晶表示が出なくなり、カリカリという異常音がして止まってしまった。

次の日早速クレームを入れると、新しいのと交換してくれるとの事。(まあ、この辺はさすが日本企業!)

そうして我が家の一員となった2台目のプレーヤーと携帯オーディオプレーヤーに九子は結構満足している。

満足度の一番は、何と言ってもその価格!
ラジカセならともかく、カセットCDSDデッキだけで多分パナソニックやサンヨーなら最安値でも3万はするはず。

ためしにパナソニックのD-ドックというコンポを見てみたら、すべて曲者のオープン価格であった。

ただし多分高いなりの事はあり、CD→SDの3倍速とか5倍速録音が出来ると言う。

QRIOMは等倍速、つまりは音源と同じ長さだけ録音に手間取る訳である。

一度もアナログ音楽をデジタル媒体になどしたことの無い九子。(カセットをMDに録音したことはあるが。)一つの曲がどのくらいのメモリになるんだかも一切見当がつかなかったが、どこかのサイトによると、1Gで500曲、つまり附属の512MBのカードには250曲も入る計算になる。
へえ~っ、すごい!

250曲と言えば、一曲3分半として約900時間!!
120分のカセットで450本も入る計算だよ!!
(ところでこの計算、正しいんでしょうか?)

SDカードに写すには、等倍速だったよねえ。
えっ!900時間もあのかったるい・・・・(いやいや(^^;)テープをまた聞き直すの?


・・・・ってなわけで、実は九子はせっかく買ったどちらのプレーヤーも使いこなせてはいない。

詳しい使い心地のコメントを期待して読み進まれた方、本当にどうもすみません。(^^;

尚、最新の葵さんの報告によりpodcastあるいはitunesなるものの存在に気づいた九子。
しかしitunesと言うからにはipod用だよねえ・・・と思っていたら、windowsのパソコンにも対応していて無料でダウンロードが出来ると言う。

早速ダウンロードを試みて、「podcast 英語」とyahoo検索したら出て来たトップ項目 、
英語タウンポッドキャスティングを選択!

おお、なんと、Time誌の無料リスニングページがあるよ。早速これを購読してみよう。

podcastの何が気に入ったかと言えば、すべて無料ということ。
タダという言葉に何より弱い主婦、九子。(^^;;

もちろん取り込んだのは九子愛用のパソコン。日に一度くらい間違って調剤ソフトが動くこともある。(^^;
たぶん取り込んだ英語は、オーディオプレーヤーなんかじゃなくてこのパソコンから直接聞くことになろう。

何しろ、ろくすっぽ掃除もしない主婦である。

軽快主婦の葵さんと違い、手足ほとんど動かさない派主婦代表の九子にとって、実際、モバイルオーディオなどと言うものがそもそも必要であったのか否か・・・という根源的な疑問に突き当たりながら、九子はこのプレーヤーを使いこなせる日が来るのを心待ちにしている。(^^;;

☆九子、実はアナログとデジタルの違いも詳細には飲み込めておらず、説明の中で矛盾した個所があったりしましたらお許し下さい。   尚QRIOM製オーディオデッキ(USB SD CD-R WMA MP3録再CDラジカセQriom CBX-4022SD ) の説明は、このサイト が詳しいようです。

漢字バトンなるもの [<その他>]

あづみさんから漢字バトンが回ってきた。たぶん最初で最後のバトンだから、逃げないで書いてみることにした。



恋愛バトンだったら、きっと逃げた。(^^;



Q1.好きな漢字は?



「星」「砂」「海」「月」「風」



漢字のイメージと実物とが見事に一致する気がするから・・・。

ちなみに九子自身の楚々としたイメージとも見事に一致!??(^^;



その他、柏倉 葵さんではないけれど子供の名前を付ける時って、親の願いをこめますよね。( ^-^)



うちの場合男の子の名前の候補に上がったのは、

「譲(ゆずる)(じょう)」「悠(はるか)」「生(しょう)」

どれをとっても天下を取れそうもない名前ばかり・・・。(^^;







Q2.前の人が回してくれた漢字に対して自分の持つイメージは?



「動」「流」「停」



ゆっくり「動」いて、回りに「流」されて、長時間「停」まる。



・・・・って、九子の人生そのもの!!(^^;



Q3.次の方に回す漢字3つ。

「艶」「雅」「情」



つや、みやび、なさけ・・・どれを取っても意味がわかりそうでイマイチはっきりわからないので、皆さんのイメージするところを伺ってみたいです。





Q4.大切にしたい漢字。



「縁」「絆」「遊」



袖ふりあうも他生の「縁」。そうして生じた「絆(きづな)」を大事にしていきたいもの・・・。

まあでもそういつも肩肘はらずに、時には「遊び心」も大切・・・。

っんなとこでしょうか・・・。(^^;



「信」「全」

実は九子にとって一番大切な漢字が「信」と「全」



またしても大本山活禅寺(←ここ)の無形大師の言葉の受け売りなのですが、まず「信」から・・・。



「信は万宝の母」

まず信じないと何事も始まらない。信じる事からすべてが始まる。



仏教の信仰ももちろんですが、子育ても人間関係も動物も物も、まず何事も信じる事から始めることが大切なようです。



「全」

完全の全、「まったくなあ」という全く。

字を見ると、人間の過去、現在、未来の三本の横棒を貫き通す一本の心棒。



「禅」とは、すなわち「全」なのだそうです。





Q5.漢字の事をどう思う?



たとえば九子の好きな漢字の最後に「貝」と言う字を入れる。

「星」「砂」「海」「月」「風」「貝」と並べば、これはもうぴったり「海からの贈り物」の世界である。海からの贈物の画像



しかしこの「貝」と言う字に回転寿司のカウンターで出会おうものなら、メルヘンのイメージのかけらもない。(^^;



漢字とはかくも、繊細かつ複雑なものであると思います。( ^-^)



Q6.あなたの好きな四字熟語



「初志貫徹」「臥薪嘗胆」「切磋琢磨」「艱難辛苦」「完全無欠」



・・ん?

一回言ってみたかったのよ。(^^;(^^;



Q7.バトンを回す人7人とその人をイメージする漢字をあげてください。



まだたぶんバトンが回ってらっしゃらない方で、体調不良や多忙等で更新が滞りがちでない方を勝手にお選びしてみました。

特に海外在住組の方々、日頃使わない漢字で日本に思いを寄せて下さい。

( ^-^)



☆ あずーるさん・・・「鮮」

   いつも新鮮な話題を、鮮やかな切り口で届けてくださるあずーるさん。

   これからもよろしくお願いしますね。( ^-^)



☆ のりPさん・・・「母」

   まんまですみません。(^^; フランスの大地で金髪碧眼のご主人と四人の子供たちに囲まれ、孤軍奮闘する日本のお母さん!母は強し!





☆ びわこさん・・・「爽」

   ご自分の事をドジと言いながら(あれっ?言ってないっけ?(^^;)、とてもさわやかで颯爽としたびわこさん。



☆ ふらここさん・・・「拍」

   文章のリズムが心地よいのは、さすがふらここ(ぶらんこの事だそうです)さん。

   ぶらんこの揺れは、メトロノームが刻む拍子に重なります。巧みさに思わず拍手も。





☆  beepさん・・・「理」

   これもまんまかしら?科学者さんらしく理論整然、理詰めのbeepさんですが、とってもあったかい方ですよ。( ^-^)



☆  mariaさん・・「熱」

   アメリカでたった4人の日本人救急隊員さん。先日始めて火事を消す経験もなさったとか。火事は消えても、彼女のたぎる情熱はなかなか消せません。



☆  ドクターかんきちさん・・・・「刃」 

   ドクターと言えば切れモノ。内科外科に関わらずこういうイメージですが、かんきちさんはどちらかなあ? 剛ばかりではなく柔らかい話題もお上手。



皆さんのお答えが楽しみですが、お忙しかったり気が向かなかったりの時は無視してくださって構いません。



あづみさん、バトン有難うございました。

そうそう、あづみさんのイメージは「武」(^^;。



本人、あづみさんが武術をなさると言うのが、よほど衝撃的だったらしいです。( ^-^)
タグ:漢字バトン

帝国ホテル村上信夫シェフ [<その他>]

久しぶりにお目にかかった村上信夫シェフは、なんと!20年前とおんなじ顔で、おんなじ柔和な表情でいらした。

えっ?
ダメ主婦(シュフ)九子とフランス料理の神様村上シェフの接点はって?

なんの事は無い。たった一度、長野駅近くのホテルで行われた講演会で、講演を聞かせて頂いただけである。(^^;

先日のNHKテレビ人気ドキュメンタリー番組「プロジェクトX」で、東京オリンピック選手村の料理を任されるリーダーだった時代を回想されていた。

全国各地からオリンピック選手村で働く料理人として応募した300人もの名も無き若き料理人のために、千種類を超えるオリンピックレシピを作り、惜しげも無く帝国ホテルの秘伝のソースの数々を披露した。

「普通はなかなか明かさない手のうちを、良く思いきりましたね。」と聞かれて、シェフは笑顔でこう言った。

「こうやってみんながフランス料理の素晴らしさを覚えてくれて、日本中のフランス料理の水準が上がるのであれば、こんなに喜ばしいことはありません。」

当時はまだまずいと評判の悪かった冷凍野菜を上手に使うことを考えたのもシェフだった。
何しろ全部で何百トン何千トンという野菜の量である。生の野菜を買い上げていたら、全国の野菜が高騰してしまう。

抑留先のシベリアで、凍ったじゃがいもを、解凍せずにスープに入れて、うまいと言われた時の経験が、頭をよぎった。(田口トモロヲ風に・・・(^^;)

さまざまな工夫の結果、それぞれの野菜に最適な解凍方法を見つけ出し、当時のオリンピック担当大臣だった佐藤栄作氏の「美味しい!」の一言で冷凍野菜の採用が決まったのだと言う。

それにしても、オリンピック担当大臣なんてあったんだね。当時の日本の東京オリンピックに対する並々ならぬ思いが感じられる。( ^-^)

村上シェフの修行時代は、まだ徒弟制度の厳しかった頃で、毎日殴られない日はなかったと言う。
そういう中で、それこそ親方の目を盗むようにして、秘伝の技を自分で身につけて行った訳だ。

苦労人と言うものは、丁度自分がされたように下の者にも厳しく接するものだと思うのだが、村上シェフの笑顔は、仏様のように優しい。

当時稚内の大衆食堂の調理人だった早川さんは、フランスチームを任されたが、どうしても美味しいレアステーキの焼き加減がわからなくて困っていた。
(大きな一流ホテル勤めのコックではなくて、大衆食堂の早川さんが美食家揃いのフランスチームのリーダーというのもまた凄い!)

そんな時、村上シェフがゆったりとした表情でステーキを焼いているのを見て、「これだ!」と気づく。
今まで自分は、焼き加減に気を遣うあまり、肉を神経質に何度も動かしていた。
辛抱してじっくりと焼く。そして、ここぞと言うところで素早くひっくり返す。

早川さんの焼き方をさりげなく見ていた村上シェフは、「今度はうまく焼けたね。」とすばやく肩を叩いたと言う。
肝腎なことは、ちゃんと見ていてくれたのだ。

お陰でオリンピックが終わったとき、各国の関係者から日本の料理は絶賛された。それこそが、村上料理人チームへの最高の金メダルだった。

村上シェフは、その後帝国ホテル総調理長を長く勤められ、そして現在は料理顧問として調理場のすぐそばに一室を構える。

「私はとにかく料理が好きで好きで・・・。私から料理を取り上げたら、なんにも無くなっちゃう。
だから、いつも調理場の近くに居たいんですよ。」

フランス料理を日本中に広めたい。そういう夢を持って、村上シェフは83歳の今でも、日本全国数多くの講演会をこなす。

そう。あの日九子が長野で講演会に参加出来たのも、村上シェフのこの熱い思いがあったからこそなのである。


ところでシェフの講演には、数々の料理の秘訣が満載だったはずである。
九子は確か、へたな絵まで書いてそれらを熱心にメモしたはずである。
それらは一体どこへ行ってしまったのか??

少なくとも近年、村上シェフ秘伝のレシピが我が家の食卓を飾る事は無い。
(^^;

あっ!ひとつだけ思い出した!

カレーの味見をするときは、ルーだけの味を見るんじゃなくて、必ずご飯にかけてから味を見る事!
うん!これは確かに我が家に息づいている村上シェフの秘伝の言葉だ。

でも、それって、料理の秘訣に入るんだろうか?

これを読んだあなた!
今日の九子の日記は、明日からのお宅のお料理の向上に役立ちましたでしょうか?(^^;
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