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    <title>九子のダメ母の証（あかし）日記　in So-net</title>
    <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/</link>
    <language>ja</language>

    <pubDate>Sat, 12 May 2012 21:00:21 +0900</pubDate>  
    <description><![CDATA[一応五児の母ですが、何もしないまま時は流れ、子供たちはもう成人。 無理すると鬱が来る・・というのを言い訳に、今日もお昼寝してる(^^;;家伝薬を売る薬局の１８代目店主です。]]></description>
    
        <item>
      <title>藪の中の家・・・芥川自死の謎を解く</title>
      <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-05-12</link>
      <category>＜九子の読書ドラマ映画音楽日記＞</category>
      <pubDate>Sat, 12 May 2012 21:00:21 +0900</pubDate>
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      <description><![CDATA[<p>ああ、どうか、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E5%85%89%E5%A4%AB">山崎光夫先生</a>が当時と同じくパソコンをされないままで、もちろん九子のブログの存在などに気づいていらっしゃいませんように・・・。(^^;;</p><p><br />山崎光夫先生。山崎先生のおかげで、雲切目薬は世に出た。言わば雲切目薬の大恩人なのだ。</p><p>百草丸の研究で偶然我が家に立ち寄って下さり、父と二人で薬局店頭で元祖雲切目薬のお話をして、見本に差し上げた雲切目薬をとても気に入って下さった。</p><p>その後先生が「週刊東洋経済」に載せて下さったコラムが、正真正銘の<a href="http://w1.avis.ne.jp/~kasahara/">雲切目薬</a>メディアデビューになる。平成１４年春の話だ。( ＾-＾)</p><p>文士と言われる人々は、もしかしたらちょっと変わっていて世の中の常識が通用しないのではないかと思っていた九子なのだけれど、山崎先生は大変に折り目正しく、誠実でいらして、こちらは先生のおかげで目薬が売れるようになった訳だから、信州の果物などお送りするのは当然で、お返しなど頂く筋合いは無いのに、新しい本が出るたびに「著者謹呈」の一冊を必ず送って下さる。もう十何冊目になろうか。</p><p>誠実と言えば、「<a href="http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2010-11-01">毒蛇</a>」の小林照幸氏も山崎先生に負けず劣らず、礼儀正しい好青年だ。( ＾-＾)</p><p><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E7%85%A7%E5%B9%B8">小林照幸氏</a>は弱冠二十歳やそこらで開高健ノンフィクション奨励賞を受賞され、作家で生きる道を選ばれて明薬大を辞められた訳だけれど、今回の「藪の中の家」は、山崎光夫先生がテレビ局や雑誌記者のキャリアを積まれてから作家に転向され、多分十数年目にして新田次郎文学大賞を受賞された出世作だ。</p><p>恐れ多くて取り上げられないはずの山崎先生の本を今回取り上げたのは、もちろんわくわくするほど面白かったからだ。( ＾-＾)</p><p><br />とにかく緻密な本だ。<br />先生は大変入念に資料を集め、事実の裏づけを取るのに労を厭わない。<br />ただただ足を使って、主人公が生活していた界隈を実際に歩いてみる、当時の知人を頼って情報を集める、そして故人の墓に詣でて手を合わせる事を欠かさない。</p><p>今回は本文中に参考図書がすべて明記されているから別だが、先生の他の著書の巻末には、何十冊と言う参考資料の数々が載っている。<br />こういう血の滲むような努力をなさって書かれた先生の著書は、知的で、凛として美しい。</p><p>山崎先生は本当はセリフ使いが大変お上手でいつも感心するのだけれど、今回に限ってはあくまでも史実に忠実に、セリフは文献中以外にはほとんど見当たらない。</p><p>先生はある時、芥川龍之介の近所に住んでいた主治医の下島勲（いさお）医師が書かれた日記を御親族から借りられることになる。<br />｢熱意が人の心を融かすものだとわたしは久しぶりに感じとった。」と山崎先生は興奮気味に書かれている。</p><p>借りられたのはいいのだが、下島医師の日記は崩し字が多くてほとんど読めない。<br />それを書道の大家の親戚の助けも借り、何度も何度も読むうちに、だんだんわかるようになってくる。</p><p>そうやって苦労の末、日の目を見たのが下島日記だ。特に芥川が亡くなった当日を含む４冊のノートは山崎先生が執念で発掘されたものだ。</p><p>&nbsp;</p><p>芥川は下島医師の他に、精神科の主治医として齋藤茂吉の診察も受けて薬を貰っている。<br />とにかく不眠症に悩んでいた芥川が睡眠薬を多量に飲んで自殺したというのが、ある時期までの定説だった。</p><p><br />文庫版の表紙には、魅力的な写真が使われている。</p><p><!-- amazon --></p><div class="sonet-asin-area"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122050936/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank"><img style="width: 161px; height: 232px" class="sonet-asin-image" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/515hxJKy6VL._SL160_.jpg" alt="藪の中の家―芥川自死の謎を解く (中公文庫)" title="藪の中の家―芥川自死の謎を解く (中公文庫)" width="161" height="232" /></a> <div class="sonet-asin-info"><p class="sonet-asin-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122050936/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank">藪の中の家―芥川自死の謎を解く (中公文庫)</a></p><ul><li class="sonet-asin-label">作者: 山崎 光夫</li><li class="sonet-asin-label">出版社/メーカー: 中央公論新社</li><li class="sonet-asin-label">発売日: 2008/07</li><li class="sonet-asin-label">メディア: 文庫</li></ul></div></div><div class="sonet-asin-break"></div><p><!--/ amazon --></p><p>痩せてはいるが、まだあごにも丸さが見える芥川龍之介が穏やかな顔で書斎の前の机に座り、自分と瓜二つのいがぐり頭の少年をひざの上に載せている。これが龍之介の長男の芥川比呂志氏だ。</p><p>そしてこの机が、龍之介が終生大切にしていたと言う結婚式の時に夏目漱石夫人から頂いたという紫檀の机だ。そう、問題の机なのだ。</p><p>実は俳優であった<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E6%AF%94%E5%91%82%E5%BF%97">芥川比呂志</a>氏は、九子の若い頃の憧れの人だった。( ＾-＾)</p><p>彼と弟の他加志氏、也寸志氏の三兄弟は、父亡き後、果たして幸せだったのだろうか？</p><p>龍之介は「或阿呆の一生」の中でこう書いている。</p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94.58%; padding-right: 10px; height: 103px; margin-left: 3px"><p>「何の為にこいつも生まれて来たのだらう？この娑婆苦の充ち満ちた世界へ。<br />　何の為にまたこいつも己（おれ）のやうなものを父にする運命を荷ったのだらう？」<br />　　しかもそれは彼の妻が最初に出産した男の子だった。</p></div><p>&nbsp;</p><p>芥川龍之介が遺した四通の遺書のうち「わが子等に」と題された遺書には、熟慮に熟慮を重ねたであろう八項目が並べられている。<br />九子には以下の項目が取り分け鮮烈だった。</p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94.9%; padding-right: 10px; height: 404px; margin-left: 3px"><p>一.人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず。</p><p>三.小穴隆一を父と思へ。従つて、小穴の教訓に従ふべし。</p><p>四.若しこの人生の戦ひに破れし時には汝等の父の如く自殺せよ。但し、汝等の父の如く　他に不幸を及ぼすを避けよ。</p><p>六.汝等の母を憐憫せよ。然れどもその憐憫のために汝等の意思を抂ぐ（まぐ＝曲げる）べからず。是亦却つて汝等をして後年汝等の母を幸福ならしむべし。</p><p>八. 汝等の父は汝等を愛す。(若し汝等を愛せざらんヤ、或は汝等を棄てて顧みざるべし。汝等を棄てて顧みざる能はば、生路も亦なきにしもあらず）</p><p>　著者注）子供たちを棄ててしまえるくらいなら生きていけるだろう、棄てられないので生きていられない。</p></div><p><br />文豪としてのゆるぎない地位にまで上り詰めた芥川だが、父親としてははなはだ心もとない存在だった。特に末子の也寸志については、彼の小説の挿絵書きであった親友の小穴隆一に「自分にもしものことがあったら、おまえにやるよ。」と生前から言っていたと言う。</p><p>山崎先生もこれには、「龍之介は父親失格」と手厳しい。</p><p>不眠と胃腸障害、それによる下痢や痔疾患で、薬を切らせない生活。</p><p>驚いたことに齋藤茂吉は芥川にアヘン製剤まで処方していたそうだ。<br />当時はまだアヘン製剤が合法で、齋藤茂吉自らも、頻繁に服用していたらしい。</p><p>痛み止めというよりもむしろ、「精神解放薬」つまりストレス解消のために、ドラッグ感覚で使われていたらしいのだ。</p><p>幸いなことにアヘンの量が少なかったためか、芥川は麻薬中毒にはならずにすんだようだ。</p><p>彼は流行作家としてかなりの稼ぎをあげていたはずだが、財布は養父母が預かっていて自由になるお金は少なかったとのことだ。</p><p>その上美男子の芥川には女性の影が引きも切らず・・・・・。<br />それでも文夫人は文句一つ言わずに、家事にいそしみ男の子三人を育て上げる。</p><p><br />もちろん本著では、芥川の死の直後、下島医師が「此間（このかん）義ちゃんの案内で二階へ行き真相が諒（わか）った。」と書いた真相・・、つまりは例の紫檀の机の上にあった小瓶の中身が何かというのが一番の問題なのだが、その答えは割合早い段階で出てくる。</p><p>それでも最後まで、読者の興味を逸らさない山崎先生の筆力に脱帽だ。</p><p>実は小瓶の中身については、九子はもう答えを知っていた。<br />だから九子にはむしろ、文夫人と芥川龍之介の結びつきの濃さの方に感じるところが多かった。</p><p>文は龍之介にとって幼馴染であり、文の叔父に当たる山本喜誉司と龍之介が中学の同級だった。</p><p>龍之介が文に送ったという恋文はさすがだ。</p><p>&nbsp;</p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94.9%; padding-right: 10px; height: 595px; margin-left: 3px">　文ちゃん<br />先達は田端の方へお手紙を難有う（中略）会って、話をする事もないけど、唯まあ会つて、一しょにゐたいのです。へんですかね。どうも <p>へんだけれど、そんな気がするのです。笑つちゃいけません。</p><p>それからまだ妙なのは、文ちゃんの顔を想像する時、いつも想像に浮ぶ顔が一つきまつてゐる事です。どんな顔と云って　云ひやうがありませんが、まあ微笑してゐる顔ですね。（略）</p><p>僕は時々その顔を想像にうかべます。さうして文ちゃんの事を苦しい程強く思ひ出します。そんな時は、苦しくつても幸福です　ボクはすべて幸福な時に、一番不幸な事を考へます</p><p>さうして万一不幸になった時の心の訓練をやって見ます　その一つは文ちゃんがボクの所へ来なくなる事ですよ。（そんな事があったらと思ふだけです。理由も何もなく。）</p><p>それから伯母が死ぬ事です。この二つに出会っても　ボクは取り乱したくないと思ふのですね。<br />が、これが一番むづかしさうです。もし両方一しょに来たら、やり切れさうもありません。</p><p>もう遅いから（午前一時）、やめます。文ちゃんはもうねてゐるでせう。ねてゐるのが見えるやうな気がします。もしそこにボクがゐたら、いい夢を見るおまじなひに　そうつと眶（まぶた）の上を撫でてあげます　　以上</p><p>　　　十月八日夜　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　芥川龍之介</p><p>塚本　文子様</p></div><p><br />ああ、もしも九子なら、完璧に落ちる！(^^;;(^^;;<br />そして嫁に行って３日もしないうちに「役立たず！」と言われて実家に帰される。(^^;;</p><p><br />確かにラブレターにまで伯母さんのことが出てくるのはショックだけれど、相手は天才芥川、天下の芥川龍之介さんですよ。その心を射止めたとなれば、世の女性達の頂天に立てたような気分になれるじゃないですか！(^^;;</p><p>ここで言う伯母とは、龍之介が生まれてわずか７ヶ月目に発狂したと伝えられる実母ふくの姉のフキさんのことで、ずっと親代わりに龍之介を育てて来た。</p><p><br />文さんは芥川の八つも年下なのに、さすが軍人のお嬢さん、人間が出来ている！</p><p>新婚生活にも伯母さんの影があり、夫が稼いでくる大量のお金は養父母が管理していて自由に使えず、心遣いの花瓶を買っても夫にまで贅沢だと言われ、子供が出来てもさほど夫は関心を示さず、その上、家には客が多く、夫に言い寄る女性達もたくさんやってくる・・となれば、今の時代ならば即刻離婚!となっても仕方が無い状況を、賢夫人文さんはひたすら夫の身を案じて耐える。</p><p>秀しげ子は特にしげしげと出入りしては芥川を悩ました悪女だけれど、彼女のことも文さんは「気にしておりませんでした。」と涼しげだ。</p><p>ただ、芥川が自殺する二ヶ月ほど前、平松やす子と心中事件を起こして事なきを得た時は、文さんは烈火のごとく怒って芥川を叱りつけ、芥川は涙を見せて謝ったと書かれている。</p><p>そしてこれほど怒ったのは、後にも先にもこの時だけだったと・・。</p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94.9%; padding-right: 10px; height: 110px; margin-left: 3px"><p>主人が亡くなりました時、私はとうとうその時が来たのだと、自分に言い聞かせました。<br />私は主人の安らぎさえある顔（私には本当にそう思えました）を見て、<br />「お父さん、よかったですね。」という言葉が出てきました。　　　　　「追想　芥川龍之介」より</p></div><p><br />こういう文夫人だったからこそ、三人の遺児を立派に育てあげられた。</p><p>wikipediaの<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E6%96%87">芥川文</a>という項目に、文さんの生涯がまとめられている。<br />なかなか消息のつかめなかった次男多加志氏が、龍之介に一番似て文学志向が強かったこと、そして第二次世界大戦で戦死されたことなどが書かれている。</p><p>これを言うと文さんに酷かもしれないが、もしかしたら多加志氏が文学の道に進み、天才の父親と比較されて辛い思いをするよりは、運命によって戦死するほうが幸せかもしれないと思う気持ちもおありだったかもしれない。</p><p>文さんは６８歳まで生きて、自らのダイヤの指輪を売り払ってまでピアノを買うお金を工面したという末っ子の也寸志氏の家で、幸せに暮らされたようだ。</p><p><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E4%B9%9F%E5%AF%B8%E5%BF%97">也寸志氏</a>は父親の印税が途絶えてしまって金銭的に大変な生活を送らざるを得なかったこの頃のことを踏まえて、音楽使用料規定を改正し、徴収料金を倍増させるのに貢献されたという。</p><p>芥川龍之介の遺児は三人とも幸せに育った。<br />それは、父親としては頼りなかったかもしれない龍之介その人が選んだ文夫人のおかげだ。</p><p>芥川龍之介は、父親としての責任を最低限果たしたと九子は信じたい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><a name="more"></a>]]></description>
      <author>九子</author>
          </item>
        <item>
      <title>桜湯の話</title>
      <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-04-30</link>
      <category>＜坐禅、仏教、お寺の話＞</category>
      <pubDate>Mon, 30 Apr 2012 16:05:27 +0900</pubDate>
      <guid isPermaLink="false">http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-04-30</guid>  
      <description><![CDATA[<p>大切なお客様をお迎えして、善光寺の宿坊の精進料理を頂いた。</p><p><a href="http://www.jochi-in.or.jp/
">常智院</a>さん。ここの女将の直子さんと九子は、実は昔なじみだ。</p><p>直子さんの長男とうちの次男Sが善光寺保育園の同級で、男の子３人兄弟というのも同じだから、今で言うママ友みたいな感覚で、会えばよく話をしていた。</p><p>当時から彼女はとても研究熱心で、忙しい合間に料理教室に通ったり、いろいろと試行錯誤を重ねたりしながら、寝る間も惜しんで働きづめの毎日を送っていた。</p><p>常智院の精進料理は、まさに彼女の精進とアイデアの賜物である。</p><p>宿坊の精進料理は、徹底した精進料理だ。<br />肉、魚は言うに及ばず、かつおぶしの出汁すら使わない。</p><p>刺身に見立てて出てきたのは、サクに切ったまぐろを模したトマト汁の寒天よせと、かたくりの茎の湯葉巻き。</p><p>トマトはからし醤油で、かたくりは酢味噌で頂く。</p><p>うなぎの蒲焼を模したごぼうの揚げ物もこっくりとして舌触りが楽しく、美味だった。</p><p>野沢菜の蕪（かぶ）のくるみ和えは、彼女の畑に春まで残った野沢菜の蕪を使ったもので、しゃきしゃきと言うのとも違う独特の歯ごたえがあって、くるみ味噌の味と絶妙によく合った。</p><p>蕪や大根では煮るとすぐに柔らかくなって、この感触は出ないそうだ。</p><p>とにかく手がかかっている！の一言。<br />全部で１０品以上出して頂き、大吟醸のおまけまで付いて（これはママ友の特権かな？( ＾-＾)）<br />一同、堪能させて頂いた。</p><p><br />実は今日のタイトルの桜湯の話は、当日やにわに雨が降ってきて、貸して頂いた傘を翌日お返しにあがった時に、直子さんから直接聞いた話である。</p><p><br />桜の季節、（しかもその日は満開だった。）に頂く桜湯。見た目に大変美しく、最初にどうぞと薦められた。</p><p><br />「桜湯に使うのは、八重桜じゃないといけないのよね。」</p><p>「えっ？そうなの？」</p><p>「だって、桜は散る時ばらばらになっちゃうでしょ？八重桜だからお茶碗の底にきれいに形が残る</p><p>のよ。」</p><p>ああ、なるほど！</p><p><br />「実は私、あっちの桜、こっちの桜、いろいろ試してみたんだけれど、結局一番良かったのが<br />清泉の前の桜。色がきれいに出るのよ。やっぱり神様の前の桜だからかしらねえ？」</p><p>彼女が清泉（せいせん）と言ったのは、善光寺のすぐそばにあるカトリック系の「清泉女学院高校</p><p>」のこと。</p><p>そして彼女が「神様」と口にした時、てっきり九子はその近くにある護国神社の神様のことだとばかり思ってしまった。</p><p>とにかくその神様の前のさくらの、花芽の上の方だけを手で摘むのだそうだ。</p><p>そしてそれを家に持ってきて、新聞紙の上に広げる。<br />そうすると一晩のうちに、彼女に言わせると「虫やら何やらが自然に出て行ってくれるのよ。」</p><p>彼女の一言一言には、善光寺の宿坊の長女に生まれ付いて、仏様の教えに当たり前のように浸りながら生きてきた彼女らしさがほとばしる。</p><p><br />「みんなで話してたんだけど、桜湯って塩に漬けるからもっとしょっぱいと思ったんだけど、しょっぱくなかったわよねえ。」</p><p>「九子さん、あれはね、梅酢につけるのよ。」</p><p>「梅酢って、塩、入ってたっけ？」</p><p>「やあだ、九子さん、梅漬けた事無いの？（はい。仰せの通りで・・。(^^;;）<br />　<br />最初に梅を塩漬けにするのよ。そうすると一晩で水がわあ～っと上がってくるのよ。それが梅酢。その梅酢で、まず花びらをていねいに洗うの。黒っぽい水が出なくなるまで・・・。</p><p>そして最後にガラスの容器、コーヒーのビンを良く洗ったのでもいいから、そこへ絞った桜を入れて、最後にまたきれいな梅酢で満たすの。</p><p>ほら、梅が実るのは６月でしょう？絶対に桜のほうが時期が早い訳じゃない。だから使うのは去年の梅酢。その時に去年の梅酢が取ってないと、桜湯が出来ないのよ。</p><p>宿坊の仕事ってみんなそんなもの。やるべき時にやらなきゃいけないことの積み重ね・・・。<br />その代わり、大したことやってるんじゃないのよ。決まりごとをしてるだけだから・・。」</p><p>直子さんはいつも三角巾を頭に巻いて、おしゃれひとつせずに働いている。<br />申し訳ないけれど、お手伝いさんの中に紛れたら、女将が誰なのかわからなくなる。</p><p>だけど色白でふっくらとした彼女の顔つきは、観音様やら弁天様やらを思わせる。<br />苦労も辛抱も、輝く笑顔の中に見事に包み込まれている。</p><p><br />そうそう、さっきの「神様の前の桜」の話だけれど、彼女が言った神様は、護国神社の神様じゃなくてやっぱりキリスト様のことだった。</p><p>彼女は清泉女学院高校を卒業していたのだ。</p><p>実は善光寺の宿坊の娘さんで、清泉女学院高校を卒業している人は多い。</p><p>入学の時に親との面接があり、「こちらではキリスト教を授業でお教えしますが、それでよろしゅうございますか？」と聞かれて、同意して入学するのだそうだ。</p><p>たぶん他の国ではあり得ない事だろうと思う。<br />いかにも日本らしい。</p><p>彼女の中では、ちゃんと折り合いがついているのだと思う。<br />もちろん彼女の信仰の大黒柱は、善光寺の阿弥陀如来（あみだにょらい）さまだ。( ＾-＾)</p><p>彼女ばかりではなく私たちの中でも、クリスマスやバレンタインを祝い、同時にお正月やお盆も祝い、それを特別不思議な事としては捉えない。</p><p>理論じゃないんだな、って九子は思う。<br />日本人は、まず感性で掴（つか）むんだ。</p><p>多くの人が自分は仏教徒だという自覚が無くて生活しているけれど、「ありがとう」「どういたしまして」「おかげさまで」「申し訳ありません」「わざわざお越し頂いて」「こちらこそ」「すみません」</p><p>まだまだたくさんある美しい日本人の言葉の中に、仏教の真髄が詰まっている。</p><p>お辞儀をする、手を合わせる、履物をそろえる、心配りをする、遠慮する、物の命を粗末にしない、そういう動作の一つ一つが、もう、仏教の教えそのものなのだと思う。</p><p>突然突拍子も無いビデオをお目にかけるが(^^;;、最初の方に出てくるEXILEのタカヒロ君が感極まって歌えなくなり、思わず手を合わせる場面が実に美しい。( ＾-＾) </p><object classid="clsid:D27CDB6E-AE6D-11cf-96B8-444553540000" codebase="http://download.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=6,0,29,0" width="560" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/RkOmFrLYCjU?version=3&amp;hl=ja_JP" /><param name="quality" value="high" /><param name="menu" value="false" /><param name="wmode" value="" /><embed src="http://www.youtube.com/v/RkOmFrLYCjU?version=3&amp;hl=ja_JP" wmode="" quality="high" menu="false" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer" type="application/x-shockwave-flash" width="560" height="315"></embed></object> <p>生まれてから長い間をこの日本と言う国で暮らすうちに、私たちの中には知らず知らずのうちに仏教の教えが染み込んでいる。</p><p>意識しないでも、そして意識している以上に、仏教は日本人の心の根幹にあるのだと思う。<br />そうでなかったら、世界中を驚かせた被災された方々の見事なふるまいは説明がつかない。</p><p><br />もちろん日本人でキリスト教徒の方々もたくさんいらっしゃる。<br />そして、その方々は御自分で選ばれたキリスト教の深い強い信仰を持っていらっしゃる。<br />本当に素晴らしいと思う。</p><p>でもそうではない大半の日本人にとって、キリスト教は所詮お飾りなんじゃないかな？<br />言い方が悪くて本当に申し訳ないのだけれど・・。</p><p>教会で結婚式を挙げて、バレンタインデーやハロウィーンを祝って・・・・。<br />本来の意味なんてわからなくてもぜんぜん構わない。</p><p>もともと日本人は頭で考えることよりも、心で感じることのほうを尊ぶ傾向があるようだ。</p><p>お経の意味なんかわからなくても、仏壇の前で手を合わせて線香を上げる動作が出来ない若者が居ないように、誰に教わったという自覚が無くても、仏教の本質を、案外日本人はかなりのところまで感性で掴んでいるのだと思う。</p><p>だからそういうところへは、キリスト教も他の宗教もなかなか入り込む隙間が無い。</p><p>仏様は懐（ふところ）が広いから、「まあまあ」とか「よしよし」とか言いながら、キリスト様にかぶれる若者たちを笑顔で見ている。</p><p>キリスト教の学校へ入っても、卒業すればまた自分のところへ戻ってくると信じて、おっとり構えていらっしゃる。彼女たちの親御さんも同じなんだろうと思う。</p><p><br />理論と言うものはかっちりとして融通が利かないけれど、感性は限りなく自由だ。<br />理論では越えられない宗教の違いと言う壁を、日本人の感性は易々と超えてしまう。</p><p>こういう国があってもいいんじゃないのかなと思う。<br />そしてまた、こういう国がいつまでも美しくあり続けてくれることを、心の底から願わずにはいられない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><a name="more"></a>]]></description>
      <author>九子</author>
          </item>
        <item>
      <title>桜と別れ</title>
      <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-04-18</link>
      <category>＜坐禅、仏教、お寺の話＞</category>
      <pubDate>Wed, 18 Apr 2012 22:25:32 +0900</pubDate>
      <guid isPermaLink="false">http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-04-18</guid>  
      <description><![CDATA[<p>もうすぐ桜が咲く。</p><p>長野の善光寺の東隣にある城山（じょうやま）公園には、もう馴染みの花見小屋が去年と寸分違わぬ場所を占め、古びたちょうちんをいくつも並べて、誰よりも花の咲くのを心待ちにしている。</p><p>桜の歌には名曲が多い。タイトルに「サクラ」が含まれるものだけでも、コブクロの「桜」、河口恭吾の「桜」、森山直太朗の「さくら」、ケツメイシの「さくら」、いきものがかりの「桜」、福山雅治の「桜坂」などなど。</p><p>サクラはつかないけれど、Orange Rangeの「花」も、九子は大好きだ。</p><p>こんなにいっぱい名曲があるのだから、これ以上はもう出ないだろうと思っていると、またポツリポツリと毎年のように新しい桜ソングが出る。</p><p>季節が卒業入学の春だからだろうか、それともはかない桜の命を、短い恋の思い出に重ね合わせるからだろうか。</p><p>たぶん日本人のＤＮＡに深く刻まれているだろう桜好きは、桜が「美しい別れ」の記憶と隣り合わせにあるからのように思う。</p><p>一斉に散るからよくわかんなくなっちゃうけど、桜は５枚の花びらが１まい１まい別々に散るんだよね。つるんでなんか居ないんだ！<br />もしかしたら群れたがりやの日本人には、そんな姿も好ましかったのかもね。(^^;;</p><p><br />最初に書いたコブクロの「桜」は、歌詞を読んでから九子の中の一番のお気に入りになった。<br /><object classid="clsid:D27CDB6E-AE6D-11cf-96B8-444553540000" codebase="http://download.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=6,0,29,0" width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/5vbWSFdj2LI?version=3&amp;hl=ja_JP" /><param name="quality" value="high" /><param name="menu" value="false" 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name="wmode" value="" /><embed src="http://www.youtube.com/v/vUPEQOHU724?version=3&amp;hl=ja_JP" wmode="" quality="high" menu="false" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315"></embed></object> <p>あれをラップにしないで、そう、「千の風になって」みたいに秋川さんがソプラノでゆっくり歌ったりしたら、また別の年代層にも受け入れられそうな・・・。(^^;;</p><p><br />ちなみに外国の別れの歌を何曲か探して見たけれど、歌詞を読む限り、日本人のように花の散り方や、春の芽吹きに人生を重ねるという感覚は見受けられないようだ。<br />やはり日本人独特の感性なんだろうか？</p><p>あくまでも九子の趣味で、比較のために、Backstreet Boysのこの歌を聴いてみて！　九子の中でBackstreet boysは洋楽のExile。(^^;;</p><object classid="clsid:D27CDB6E-AE6D-11cf-96B8-444553540000" codebase="http://download.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=6,0,29,0" width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/lKT_6e-UFIw?version=3&amp;hl=ja_JP" /><param name="quality" value="high" /><param name="menu" value="false" /><param name="wmode" value="" /><embed src="http://www.youtube.com/v/lKT_6e-UFIw?version=3&amp;hl=ja_JP" wmode="" quality="high" menu="false" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315"></embed></object> <p><br /><a href="http://nonkiph.blogspot.jp/2008/05/show-me-meaning-of-being-lonely.html">和訳</a></p><p> ね？太陽とかはたまに出てくるけど、あくまでも背景に過ぎず、自分になぞらえてはいないでしょ？<br />どこまでもYou とIだけの世界なんだね。</p><p>九子はちょっと安心したんだけど、洋楽の世界でも男は<a href="http://yougakuoftheday.blog.fc2.com/blog-entry-256.html">弱っちくなってる</a>のねえ。(^^;;（少しスクロールすると出てきます。）</p><p>別れの歌がなぜ美しいのか？</p><p>九子が思うに、恋人との別れは、誰の心の中にも、常に一つの情景として、いわば美しい一枚の絵として、留まり続けているからだと思う。</p><p>もしもその恋人と、思いが遂げられて結ばれたとしよう。<br />その瞬間に、二人の行為は壁に飾るべき「一枚の絵」ではなくて、生活と言う名の、混沌として流動するただの日常に変わってしまう。</p><p>決して動くことの無い、いわば裏切ることの無い「一枚の絵」として、恋人の心の中に生き続けた方がいいのか、それとも恋人の心を独占して恋の勝利者になるのがいいのか、まあ、普通には後者だとは思うけど、考えどころだよねえ。( ＾-＾)</p><p><br />別れの歌を探していて、びっくりすることがあった。<br />少なくともタイトルに「別れ」という文字がつく歌は、二、三十年前の「演歌」というジャンルがほとんどで、現代の曲の中では数えるほどしか探せなかった。</p><p>考えてみると今の曲のタイトルはカタカナや英語ばかりだからねえ。<br />それもそうだけれど、「別れ」という言葉が持つ否定的な印象を若者たちは毛嫌いするのだろうか？</p><p><br />九子が若かりし頃の名曲「別れの朝」を、さっきyoutubeから引っ張り出して聴いた。<br /><object classid="clsid:D27CDB6E-AE6D-11cf-96B8-444553540000" codebase="http://download.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=6,0,29,0" width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/tVzCO-dHOQQ?version=3&amp;hl=ja_JP" /><param name="quality" value="high" /><param name="menu" value="false" /><param name="wmode" value="" /><embed src="http://www.youtube.com/v/tVzCO-dHOQQ?version=3&amp;hl=ja_JP" wmode="" quality="high" menu="false" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315"></embed></object></p><p>高橋真梨子のボーカルはさすがに迫力がある。<br />歌詞は　なかにし礼で、繰り返しが多いのでほとんど一番の歌詞しかないような短いものだ。</p><p>&nbsp;</p><p>あの頃は繰り返し聴いていたが、今聴いたら「あれ？」と思うことがあった。</p><p>別れの朝二人は、冷めた紅茶を飲み干し、さよならの口づけを笑いながら交わして、駅につづく小径を何も言わず歩くのだ。</p><p>さよならは言わないで、涙をさそうから。この指にもふれないで、心が乱れるから。</p><p>そして汽車は出て行き、あなたはちぎれるように私に手を振り、私はあなたのその目をじっと見ていた・・というのが歌詞のあらかただ。</p><p>女は男に手を触れられるだけで心が乱れ、男は女に汽車の窓からちぎれるように手を振り続ける。<br />こんなにお互い、未練たらたらなのに、なんで別れるの？</p><p>あっ、そうか！もしかしたらこの歌は、別れとは言いつつも、彼が短期出張かなんかで出かける時の歌？(^^;;</p><p>別れに伴うはずの悲壮感っていうの？ちょっと希薄な気がする。<br />お互いにまだ気持ちに余裕があるよね。</p><p>別れって言うのは、もっとひりひりするものじゃないのかな？<br />まあ、そんなに多くの別れを経験した訳じゃない九子に言えたセリフじゃないんだけれど・・。(^^;;</p><p>&nbsp;</p><p>日本人が割合淡白で、別れに関してもきれいな身の引き方を身上にしているように思えるのは、やっぱり桜の散り際を美しいと感じる美意識だからなのかもしれない。</p><p>咲いても美しい、散っても美しいと感じるのは、桜がそういう稀有な花であるからという事ばかりではなく、「負けるが勝ち」とか、判官贔屓（はんがんびいき）とか言われた、弱者に対する日本人の優しい気持ちと無関係ではないのかもしれない。</p><p>そしてその根底にあるものは、<a href="http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2006-10-02">「散る桜、残る桜も、散る桜」</a>という教訓。<br />読み返してみると、九子もいい事書いてたね。(^^;;<br />２００６年１０月と言えば、父が亡くなって半年。それから２ヶ月ほどで母も逝ってしまう悲しい年だった。</p><p>すばらしいコメントを下さった<a href="http://awaysw.blog.so-net.ne.jp/">awayさん</a>と<a href="http://daimuran.blog.so-net.ne.jp/">Ｍuranさん</a>に改めて感謝申しあげます。m（＿）m</p><p><br />諸行無常の世の中に生きる私たちに、生きるための、そして死に臨んでの先祖たちからの智恵を、美しくはかない姿で、静かに、そして雄弁に語ってくれる桜。</p><p>そしてそのメッセージを、軽薄と言われがちなラップ歌手の若者たちであってすら、心のど真ん中に的確に受け留める事のできる私たち日本人。</p><p>みんな、自信を持とうよ。私たちは誰にも負けない素晴らしい、美しい資質をもっている！<br />毎年毎年桜と一緒に、何かを捨て去ってはまた新しく生まれ変わる強さもある。</p><p>何が正しいのかを、よく見極めよう。<br />正しいもの、美しいものを追い求めよう。<br />人と同じだからと安心することをもうやめよう。</p><p>自分の頭で考えよう。<br />誰かへの気遣いは少々お休みにして、自分が何をしたいのかを一番先に考えてみよう。</p><p>勇気を持って「変だよね。」って口にしよう。<br />その時を逃したら、もう永久に口にする機会はないかもしれないのだから。</p><p>勇気ある一言を口にする人が正しいと思ったら、積極的に応援しよう。<br />その人の意見が、大勢の圧力につぶされてしまう前に。</p><p><br />そしてこういうことがやっぱり私には無理！と思ったら、坐禅をしましょうね。<br />九子だって昔は何も出来なかった。でも少しは強くなれました。( ＾-＾)</p><p>&nbsp;</p><a name="more"></a>]]></description>
      <author>九子</author>
          </item>
        <item>
      <title>「空気」の研究</title>
      <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-04-06</link>
      <category>＜九子の読書ドラマ映画音楽日記＞</category>
      <pubDate>Fri, 06 Apr 2012 23:16:14 +0900</pubDate>
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      <description><![CDATA[<p><!-- amazon --></p><div class="sonet-asin-area"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167306034/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank"><img class="sonet-asin-image" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/515P5VDD5VL._SL160_.jpg" alt="「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))" title="「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))" width="155" height="220" /></a> <div class="sonet-asin-info"><p class="sonet-asin-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167306034/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank">「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))</a></p><ul><li class="sonet-asin-label">作者: 山本 七平</li><li class="sonet-asin-label">出版社/メーカー: 文藝春秋</li><li class="sonet-asin-label">発売日: 1983/10</li><li class="sonet-asin-label">メディア: 文庫</li></ul></div></div><div class="sonet-asin-break"></div><p><!--/ amazon --></p><p>この本を買ったのは、じつは随分前なのだ。前回<a href="http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-03-25">「イギリス流ふつうに生きる力」</a>を書いたけれど、本当はこっちの方を先に書くつもりだった。でも難しくて書けなかった。</p><p>この本が書かれたのはもう３０年も前の事だし、大正１０年生まれの著者が取り上げている話題が田中角栄首相全盛の頃となれば、「喩え（たとえ）」に使われている事件の内容が古すぎて、説明がないとよくわからないのもこの本を更に難解にしている。</p><p>山本七平さんと言ってわからない方でも、もしかしたら「日本人とユダヤ人」を書いたイザヤ・ペンダサン氏と言えばわかる人もいるかもしれない。この本も一世を風靡しましたっけ。<br />どっちにしてもいにしえのお話であります。(^^;;</p><p>ここんところ本のお話が３冊続いているのだけれど、実はこれらはすべて関連がある。<br />まずマエストロ小澤が言ったこの言葉。</p><p>「欧米では音楽家は音楽のことだけを考えていればいい。（略）<br />ところが日本では、対人的な感情、派閥、コネ・・・これらのことを無視しては世に出られないということである。」</p><p>次に井形慶子さんが言ったこちら。<br />「これまで日本人の美徳とされてきた慣習に従い、皆の意見を聞き、決して出過ぎた真似をしないようにする、周囲へ協調しようとする生き方がしがらみを生み、変化を起こしにくくする。そんな有様が、ますます私達の社会を萎縮させているのではないかと思った。」</p><p>こういう日本人の思考を形成する特性を「空気」と言う言葉で表現して、研究を試みたのが本著なのだ。</p><p>言うまでも無いが「空気」とは、福島原発爆発事故以来皆さんが心配される大気の事ではなくて、ＫＹつまり「空気読めない」の空気の事です。( ＾-＾)</p><p><br /><a href="http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2011-09-02">いつかも書いた</a>けれど、第二次世界大戦の作戦も「空気」で決まったというのが衝撃だった。<br />父も叔父も戦争に行った。幸い二人とも無事で帰って来たからいいようなものの、戦死された方々やご遺族の方にとったらとんでもない話だ。</p><p>たとえば戦艦大和の出撃。</p><p>登場する人々はみな海も船も空も知り尽くした専門家ばかりで、素人の意見は介入していない。<br />米軍という相手は昭和１６年以来戦い続けていて、相手の実力も完全に知っている。<br />議論しているのはいわばベテランのエリート集団であり、無知、不見識、情報不足は一切ない。</p><p>これを仮にコンピューターに判断させたら、絶対に大和を出撃させることはなかったはずなのだ。</p><p>ところが現実問題として大和は沖縄に向かって出撃し、撃沈する。</p><p>三上参謀と伊藤長官は両人とも「いかなる状況にあろうとも、裸の艦隊を敵機動部隊が跳梁（ちょうりょう）する外海に突入させるということは、作戦として形をなさない。それは明白な事実である。」という認識だった。つまり大和出撃には大反対の立場だったはずだ。</p><p>ところがその場の「空気」により、もう議論の余地はなく、「了解した」と答えざるを得なくなる。<br /> この場合の了解は、相手の説明が論理的に理解できたと言う事ではなく、「 空気の決定であることを了解した」という意味で、つまりはもう何を言っても無駄であったということなのだ。</p><p>連合艦隊司令長官は大戦後、責任を追求されて「その時の空気を知らないものの批判には一切答えない。」と答えているらしい。</p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 95.05%; padding-right: 10px; height: 145px; margin-left: 3px"><p>統計も資料も分析も、またそれに類する科学的手段や論理的論証も、一切は無駄であり、そういうものをいかに精緻に組み立てておいても、いざと言う時は、それらが一切消し飛んで、すべてが「空気」に決定されることになる。</p><p>日本には「抗空気罪」という罪があって、これに反すると最も軽くても「村八分刑」に処せられるからである。</p></div><p>&#160;</p><p>「空気とはなんぞや」という問いに対する答えとして、次の例はかなり興味深い。</p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 101.38%; padding-right: 10px; height: 544px; margin-left: 3px"><p>イスラエルで、ある遺跡を発掘していた時、古代の墓地が出てきた。人骨・されこうべがざらざら<br />と出てくる。こういう場合、必要なサンプル以外の人骨は、一応少し離れた場所に投棄して墓の<br />形態その他を調べるわけだが、その投棄が相当の作業量となり、日本人とユダヤ人が共同で、<br />毎日のように人骨を運ぶことになった。</p><p>それが約一週間ほど続くと、ユダヤ人の方はなんでもないが、従事していた日本人二名の方は<br />少しおかしくなり、本当に病人同様の状態になってしまった。<br />ところが、この人骨投棄が終わると、二人ともケロリとなおってしまった。<br />この二人に必要だったことは、どうやら「おはらい」だったらしい。</p><p>実を言うと二人ともクリスチャンだったのだが・・・・またユダヤ人の方は、終始なんの影響も受け<br />たとは見られなかった。 </p><p>日本人はなぜ物質の背後に何かが臨在すると考えるのか。またなぜ、何か臨在すると感じて、</p><p>身体的影響を受けるほど強くその影響を受けるのか？</p><p>これは日本人が、人の霊はその遺体・遺骨の周辺にとどまり、この霊が人間と交流しうるという<br />記紀万葉以来の伝統的な世界観を持つことに基づいている。</p><p>一方ユダヤ人と良く似た考え方を持つギリシャ人は、肉体を牢獄と見、そこに「霊」が閉じ込めら<br />れており、死は、この霊の牢獄からの開放であり、開放された霊は天界の霊界の中にのぼって<br />行ってしまうと考えた。そして残った牢獄は物質に過ぎず、霊がまわりをうろうろしているなどとは<br />考えない。</p></div><p>&#160;</p><p>これは物質である人骨への感情移入により起こる「空気」に支配された例であり、これが空気支配としては原始的な例なのだそうだ。</p><p>でもこれは、ちょっと一般的な「空気」とは違うよね。とりあえず日本人はそういう「空気」に支配される素質があるという訳か・・。</p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 102.74%; padding-right: 10px; height: 323px; margin-left: 3px"><p><br />たとえばある会議であることが決定される。そして散会する。各人は三々五々飲み屋などに行く。<br />そこで今の決定についての「議場の」空気が無くなって、「飲み屋の」空気になった状態での文字<br />通りのフリートーキングが始まる。</p><p>そして「あの場の空気では、ああ言わざるを得なかったのだが、あの結論はちょっとねえ・・。」と<br />言ったことが「飲み屋の空気」で言われることになり、そこで出る結論は全く別のものになる。</p><p>従って飲み屋を回って、そこで出た結論を集めれば、別の多数決が出来るであろう。</p><p>私は時々思うのだが、日本における多数決は「議場・飲み屋・二重方式」とでもいうべき「二空<br />気支配方法」を取り、議場の多数決と飲み屋の多数決を合計し、決議人員を二倍ということに<br />して、その多数で決定すればおそらく最も正しい多数決が出来るのではないかと思う。</p></div><p><br />誰ですかあ？我が意を得たりって顔してるのは・・。(^^;;</p><p><br />「あの状況ではああするのが正しいが、この状況ではこうするのが正しい。」という、いわばゴムのように伸び縮みするものさしを日本人は持っていると言うこと。</p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94.59%; padding-right: 10px; height: 61px; margin-left: 3px"><p>時間を越えて過去を計ろうとするのなら、過去から現在まで共通する、状況の変化に無関係な永続的尺度で一つの基準を作り、その計量の差に、過去と現在との違いを求める以外にない。</p></div><br />そして世界の他の国々は、当然のようにこういうものさしで計っている。 <p><br /> </p><p>ここで新たに第二の概念として「水」が登場する。</p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94.13%; padding-right: 10px; height: 76px; margin-left: 3px"><p>ある一言が「水を差す」と、一瞬にしてその場の「空気」が崩壊するわけだが、その場合の「水」は通常、最も具体的な目前の障害を意味し、それを口にすることによって、即座に人びとを現実に引きもどすことを意味している。</p></div><p>&#160;</p><p>たとえばいろいろ将来の夢を並べ立てて一同の共感を集めても、「先立つものがないなあ。」という一言で水を注されて現実にもどるいう具合だ。</p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94.59%; padding-right: 10px; height: 361px; margin-left: 3px"><p>戦後の一時期われわれが盛んに口にした「自由」とはなんであったのかを、すでに拝察されていると思う。それは「水を差す自由」の意味であり、これがなかったために、日本はあの破滅を招いたという反省である。</p><p>従って今振り返れば、戦争直後「軍部に抵抗した人」として英雄視された多くの人は、勇敢にも当時の「空気」に「水を差した人」だったことに気づくであろう。<br />従って「英雄」は必ずしも「平和主義者」だったわけではなく、&quot;主義&quot;はこの行為に無関係であって不思議ではない。</p><p>「竹槍戦術」を批判した英雄は、「竹槍で醸成された空気」に「それはＢ２９にとどかない」という事実を口にしただけである。<br />（略）</p><p>この生き方が日本を破滅させたということは、口にしなくても当時はすべての人に実感できたから、「水を差す自由」こそ「自由」で、これを失ったら大変だと人々が感じたことも不思議ではなかった。</p></div><p>&#160;</p><p>そうなんだ。日本の人びとは長い間「自由」という言葉すら履き違えていた。それだけ「空気」の圧力が強かったということか。</p><p>実は九子にも苦い思い出がある。<br />「空気」にしてやられた話。しかも九子の場合、１対１の接客の時に起きた。</p><p><a href="http://w1.avis.ne.jp~kasahara/">笠原十兵衛薬局</a>の東側に元祖雲切目薬の資料館みたいになってる<a href="http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2009-05-16-2">古い店</a>があることは御存知だと思う。<br />そこをいつものように案内していた時のことだ。</p><p>その人は大変立派な紳士のように思えた。<br />いろいろな話から、九子は彼が専門の学者さん、または大学教授ではないか？と予想した。</p><p>当時例の<a href="http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-01-03">「一子相伝の石」</a>は、帝京平成大学の鈴木先生が分析して下さる少し前だったから、海のものとも山のものとも正体がわからないで居た頃のことだ。</p><p>九子はもしかしたらこの人にお願いすれば成分を分析してくれるのではないか？と思った。</p><p>そして貴重な「一子相伝の石」をビニールの子袋に入れてその人に託すことにした。</p><p>鈴木先生が分析してくださった時、分析のためにお送りした量はたった５～６グラムだった。</p><p>ところが九子は、その人に、たぶん５０グラムか１００グラム近い量の石を渡してしまった。<br />だって九子が分けてる時、その人はいつまでたっても「そんなにたくさん・・」とか「もうそれくらいで結構・・」とか言わなかったから・・。<br />分析にどのくらいの量が必要なのかわからないので、九子はビニール袋がいっぱいになるまで石を詰めた。<br />九子に貴重な石をたくさん分けさせてしまったのは、他ならない「空気」である。</p><p>その人は連絡先も告げずに帰ってしまった。<br />さすがに九子は連絡先を聞きたかったけど、その場の「空気」では難しいものがあった。</p><p>その人に落ち度は無い。たぶん彼は、「一子相伝の石」はふんだんにあって、気まぐれに店主から割合たくさん分けてもらったに過ぎないと思ってるはずだ。</p><p>&#160;</p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 96.1%; padding-right: 10px; height: 93px; margin-left: 3px">明治以来、われわれは何一つ創造的な思想も体系も体制も生み出さなかった。われわれは何かを忘れていた。<br />それは、新しく何かを生み出すものは、前記のようなあらゆる拘束を自らの意志で断ち切った「自由」すなわち「自由なる思考」だけであり、それに基づく模索だけである。</div><p>&#160;</p><p>山本七平氏の結論は、「あらゆる拘束を断ち切った自由なる思考」をせよという事だと思うけれど、なんだか難しそうだ。</p><p>だけど九子はこの体験以来、空気がどうの、水がどうのって話じゃなくて単純に、「言いたい事はその場で言い、聞きたい事はその場で聞かなければ、またという機会はもう来ない。」って事を学んだ。</p><p>生粋の日本人である九子が、その教訓を日常に活かし切れているかどうか・・は、また別の話。(^^;;</p><p>そしてＫＹ「空気読めない」の代表格、学習障害の子供たち、そして大人たち！<br />今こそあなたたちの出番が来ましたよ～。( ＾-＾)</p><p>&#160;</p><p>&#160;</p><a name="more"></a>]]></description>
      <author>九子</author>
          </item>
        <item>
      <title>イギリス流ふつうに生きる力</title>
      <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-03-25</link>
      <category>＜九子の読書ドラマ映画音楽日記＞</category>
      <pubDate>Sun, 25 Mar 2012 20:29:57 +0900</pubDate>
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      <description><![CDATA[<p>この本は、不思議な経緯で我が家にやってきた。<br />まず九子が、なぜその電話に釣られたのかがわからない。(^^;;</p><p>私立薬学部２名の学費捻出中で、雑誌広告など出す余裕は皆無のはずだったのに、電話が終わった時には「わかりました。」と答えていた。</p><p>次にまた電話がかかって「カラー版の方が目立ちますよ。」と言われた時、「２万円も高いなら元通り白黒の方で・・。」と答えるつもりが、たまたま一緒に居たＭ子のヤツが「後になってからやっぱりカラーにしとけばもっと注文入ったかも・・って後悔したくないじゃん！」などとつまらん事を言い出して(^^;;、結局高い方にしてしまった。</p><p><br />そう。その雑誌を作り、広告を掲載している会社の社長さんが井形慶子さんだったのだ。<br />作家さんがやってる会社なら、まあ信用してもいいんじゃないかなって思った。</p><p>ちなみに雑誌は<a href="http://www.mrpartner.co.jp/">「Ｍｒ．Ｐａｒｔｎｅｒ」</a>と言い、イギリスファンに根強い人気があるらしい。<br />（雲切目薬の小さいカラー広告は、６月８日発売号に掲載されます。( ＾-＾)）</p><p>それにしても井形慶子さんって、どっかで聞いたことある名前なんだけど・・・。</p><p>九子はもともと○×式試験に強い。確かこんな感じだった、こういう文字が付いてた気がする。<br />説明が出来なくても当たっていればＯＫなのだ。</p><p>井形慶子さんねえ。誰だったっけ？　絶対どっかで読んだ気がする。</p><p><br />しばらくして「Ｍｒ．Ｐａｒｔｎｅｒ」の最新号と共に、この本は無料で送られて来た。<br />考えてみると大盤振舞だ！</p><p><!-- amazon --></p><div class="sonet-asin-area"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4584133948/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank"><img class="sonet-asin-image" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41bDIQjlL4L._SL160_.jpg" alt="イギリス流　ふつうに生きる力" title="イギリス流　ふつうに生きる力" width="150" height="220" /></a> <div class="sonet-asin-info"><p class="sonet-asin-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4584133948/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank">イギリス流　ふつうに生きる力</a></p><ul><li class="sonet-asin-label">作者: 井形 慶子</li><li class="sonet-asin-label">出版社/メーカー: ベストセラーズ</li><li class="sonet-asin-label">発売日: 2012/02/25</li><li class="sonet-asin-label">メディア: 単行本（ソフトカバー）</li></ul></div></div><div class="sonet-asin-break"></div><p><!--/ amazon --></p><p>写真もきれいだし、読みやすそう！<br />ぱらぱらとめくって最終章まであと少しのところで、『日本人の背中』というタイトルを見つけた。<br />あっ！！あの本を書いた人だったんだ！</p><p>九子は昔、井形慶子さんの『日本人の背中』を、読んだどころか<a href="http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2008-08-18">ブログ</a>にまで感想を書いていた！！(^^;;<br />あの、空港でドイツ人夫妻に信用してもらえた日本のパスポートと日本人の話。<br />あれを読んだ時は本当に日本人の一人として誇らしかった。<br />それを忘れるなんてねえ・・・。(^^;;</p><p><br />井形慶子さんは若い頃からのイギリス好きで、現在イギリスに３軒も家を持ち、イギリス社会を題材にして書いて来られた。</p><p>本著によると２０代の頃、シングルマザーでベビーカーを押しながら英国に降り立ったと書いてある。<br />不安でいっぱい、お金も無い、社会からはみ出してしまった日本人の自分を受け入れてくれた英国。<br />その奥底にあるものが何なのかを彼女はずっと探し続けた。</p><p>もちろん受け入れる方も凄いが、赤ん坊連れで単身イギリスへ乗り込んでしまう方も凄い！(^^;;</p><p><br />この本は２０１１年の３月１１日から始まっている。<br />そう。日本を一変させる地震が起こって、彼女は帰宅難民を経験する。</p><p>その後何度も被災地を訪れた彼女は、体験を基にさまざまな提言をする。<br />言うだけじゃなくて行動に移せるところが彼女の凄さだ。</p><p>奇遇なことに３月１１日は、イギリスでは「コラムの日」。<br />２６０年前の３月１１日に英国で初めて新聞にコラムが書かれたのだそうだ。<br />その少し前から、彼女はそれに合わせるように東京新聞でコラムを書き始めていた。<br />その集大成が本著なのだが、イギリスの今と日本の今が絶妙にリンクされている。</p><p>ロンドンで同時爆破テロが起きた時、英国人は「バックトゥノーマル」をスローガンにして、これまで通りの日常を続けようとふんばったのだそうだ。</p><p>それに引き換え、私たちはどうしたか？</p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94.15%; padding-right: 10px; height: 201px; margin-left: 3px; margin-right: 3px"><p>&nbsp;</p>食料や物資が届かず困窮する被災者の映像を見続けているうち、私達は自分の無力感に打ちのめされ、普通に暮らしていることにすら罪悪感を抱いた。それが脱力感になる。（略） <p>未曾有の大災害で日本経済が破壊された今、私達がすべき事は、地道な経済活動をあきらめず、ひたすら利益を上げること。復興費用の約二十兆円は、いくら国債を発行しても天から降ってはこない。<br />そろそろテレビにかじりつく事を止め、「普通に生きること」を国民一人ひとりが発揮すべきだ。</p></div><p>&nbsp;</p><p>きっとこれは金子みすヾの詩やＡＴのコマーシャルが繰り返し繰り返し流れてた頃に書かれたものだね。</p><p>「あのおばあちゃんの手を引いて歩道橋を一緒に渡ってあげてる心根優しい青年を演じてるのは、大和田伸也の息子なんだって！」・・などとどうでもいい事を話題にする前に、この本をもっと早く読んでいたかったと思う。</p><p><br />それにしても英国はさすがに一本筋が通っている。</p><p>２０年前、英国はダイアナさん騒動で揺れており、自分より学歴の高い女性を妃殿下に選ばれた我が浩宮殿下の方がチャールズ皇太子よりもずっと立派に思えたんだけど、最愛の女性と再婚出来たチャールズ皇太子はいつの間にか落ち着かれて、貫禄漂う大英帝国の代表になっておられた。</p><p>そのチャールズ皇太子が、口蹄疫の被害を受けた英国の湖水地方にいち早く支援の手を差し伸べ、被害を受けた民宿農家に２泊３日宿泊され、皆と同じ食事をして周囲を散策し、観光への信頼回復を早めたのだそうだ。</p><p>チャールズ皇太子に限らず、若いウイリアム・キャサリン御夫妻もニュージーランド地震の折に真っ先に現地に赴かれたらしい。</p><p>「高貴な人ほど、果たすべき社会的責任を負う・・ノーブレスオブリージュ。」<br />その伝統が失われずに脈々と継承されているのが羨ましい限りだ。</p><p><br />ところでドイツのメルケル首相が、２０２２年までに原発をすべてゼロにすると宣言された。</p><p>彼女は貧しい東ドイツで育ち、大学で物理学を学んだ秀才だが、一時期までは大の原発推進派だった。彼女の知識の中で、原発は安全だと信じるに足るものがあったのだろう。<br />だが、ひとたび国内の原発事故に遭遇し、「これでおしまいだ。」と言い残して方向転換を決めたのだそうだ。</p><p>どう考えてみてもその方が、人間として自然だと思う。<br />科学者としても大変勇気ある決断だ。</p><p>理由はどうあれ、未曾有の原発事故を目の当たりにして、原発を再稼動させるって話は誰が考えても理不尽だ。</p><p>もしもまだ、東工大出身の同じ物理学者管直人氏が首相であったなら、メルケルさんと同じ決断をしてくれていたのだろうか？</p><p>「倒せない魔物に日本を破壊させまいと、一丸にならなければいけない。」<br />井形慶子さんの一言は重い。</p><p><br />日本に優秀な政治家が出ないのは、プロとアマの差、そして出自の差だそうだ。</p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94%; padding-right: 10px; margin-left: 3px; margin-right: 3px">  <p>たとえば英キャメロン首相や官僚の多くは、オックスフォード大ＰＰＥ（哲学、政治学、経済学）コースを出ている。公職を目指す学生のために１９２０年代に誕生したこのコースで、生徒たちは週二回、教授と向き合い、原子論などジャンルを超えて個人指導、チュートリアルを受ける。 </p><p>提出したレポートについて、あらゆる角度から自分の考えを問われ、分析し、発言を求められる。<br />「学ぶ」のではなく「考え抜く」ことで、集団の意見に雷同することなく各自が確固たる意志を持つ。<br />特別優秀な生徒が集まる狭き門ＰＰＥは、自分が選ばれた者だと明白にする環境とも言われている。</p></div><p>&nbsp;</p><p>そしてキャメロン氏は、国会議員を６００人に削り、さらに１５億円以上の経費をカットする。<br />ちなみに英国下院議員の年収は９５０万円に対し、日本の国会議員は２４００万円だそうだ。</p><p>「日本の社会は、簡単な仕事でもたくさんの人手（公務員）が要るように仕組まれている。」とは、ある英国人の弁。金でも人でも、日本はなんて多くの無駄をしているのか。</p><p>「政治は富の分配だ。<br />　外交から財政まで日英の決定的な違いは、政治家が国益を第一に考えているか否かだ。」</p><p>たとえ国益を第一に考えてくれているという当ての無い政府であっても、お上はお上だ。</p><p>「お上が何とかするべきだ。」と私たちは言い続けて来たけれど、「他力本願で、自分の行く末に手を打とうとしない人が多い。」と外からは見られている。</p><p>「強いリーダーを望む前に、自分がどうしたいか、決めなければ。」</p><p>「震災後の日本をスピードをもって立て直せないのも、『枠』と『しがらみ』の区別がつかず、個人が責任を取ることを避けているからではないか。」</p><p>ああ、ここでも言われてる個人が責任を取らない日本流。<br />心ある人たちがみんな同じ事を言うところを見ると、ここらあたりが日本人がこれから性根を据えてかからねばならない問題だね。</p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94.9%; padding-right: 10px; height: 346px; margin-left: 3px; margin-right: 3px"><p>&nbsp;</p>私達日本人は迷宮入りしている。それは震災のせいだけではなく、これまで日本人の美徳とされてきた慣習に従い、皆の意見を聞き、決して出過ぎた真似をしないようにする、周囲へ協調しようとするき方がしがらみを生み、変化を起こしにくくする。そんな有様が、ますます私達の社会を萎縮させているのではないかと思った。 <p>海外に出てみると、日本という国が抱える問題がクリアに見えてくる。</p><p>今日本人に必要なのは、各自が「迷宮」という渦巻きの中から脱却して、自分をニュートラルな普通の状態にリセットする”切り替え”ではないだろうか。生活も、仕事も、政局を監視することも、誰に委ねるわけにもいかない。</p><p>冷静に判断し、次のステップを踏み出す責任は自分自身にある。<br />この先、何が起きようと、私たち一人ひとりがぶれることなく声を上げれば、社会はそう簡単に傾きはしない。その思いを込め、本書のタイトルを『ふつうに生きる力』とした。</p></div><p>&nbsp;</p><p>↑あとがきにはこう書かれている。</p><p>長いこと「英国病」と言われて経済の沈滞期が長かったイギリスだが、この頃ニュースやテレビで見てる限り、なんとなく明るい兆しが見えていると思っていた。</p><p>だけどまだ若い人の失業率は２割で、未来は決して明るくないのだそうだ。<br />そんな中でもイギリス人が慌てずに日々の暮らしが楽しめるのは、「成長より成熟」という考え方で多種多様な働き方をしているかららしい。</p><p>中国が、韓国がと目くじら立てる前に、私たちもそろそろ、英国流の翳り方（かげりかた）の美学を学ぶべきなのかもしれない。</p><p>あきらめろって意味じゃないよ。諦観ね、諦観！(^^;;</p><p>そして迷宮から一人で出られる気力の無い人には、坐禅が一番の味方ですよ。( ＾-＾)</p><p><font color="#0000ff">★括弧内は基本的に本文よりの引用です。</font></p><a name="more"></a>]]></description>
      <author>九子</author>
          </item>
        <item>
      <title>ボクの音楽武者修行</title>
      <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-03-15</link>
      <category>＜九子の読書ドラマ映画音楽日記＞</category>
      <pubDate>Thu, 15 Mar 2012 22:53:01 +0900</pubDate>
      <guid isPermaLink="false">http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-03-15</guid>  
      <description><![CDATA[<!-- amazon --><div class="sonet-asin-area"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101228019/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank"><img class="sonet-asin-image" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/5153JSYTE0L._SL160_.jpg" alt="ボクの音楽武者修行 (新潮文庫)" title="ボクの音楽武者修行 (新潮文庫)" width="110" height="150" /></a> <div class="sonet-asin-info"><p class="sonet-asin-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101228019/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank">ボクの音楽武者修行 (新潮文庫)</a></p><ul><li class="sonet-asin-label">作者: 小澤 征爾</li><li class="sonet-asin-label">出版社/メーカー: 新潮社</li><li class="sonet-asin-label">発売日: 2002/11</li><li class="sonet-asin-label">メディア: 文庫</li></ul></div></div><div class="sonet-asin-break"><br /></div><div class="sonet-asin-break">本の冒頭に出てくる写真は、２０代の小澤征爾。<br />指揮してる顔は、なぜか石田純一に見える。(^^;;<br />ホントだよ。( ＾-＾)</div><div class="sonet-asin-break"> </div><div class="sonet-asin-break">一言で言えば、マエストロ小澤征治はふてえヤロウだ。</div><div class="sonet-asin-break">長野の方言だろうか？「あいつはふてえヤロウだ。」と、父も祖父もよく言っていた。</div><div class="sonet-asin-break">太い野郎。肝っ玉が大きくて図太い。堂々として誰に対しても態度がデカイ。</div><div class="sonet-asin-break">「ふてえヤロウ」と評価されることは、決して嫌われているんじゃない。<br />むしろ、ちょっと図々しいが大物で見込みのあるヤツと期待されているのだ。</div><div class="sonet-asin-break"><br />小澤は満州生まれで、男ばかりの４人兄弟だ。<br />父親は歯医者だったが、北京に移る頃には別の仕事についていた。</div><div class="sonet-asin-break">一家が日本に帰ってきたのは小澤が小学校に上がる頃だ。<br />決して裕福な暮らしではなかったが、母はクリスチャンでいつも賛美歌を歌い、男の子４人で男声四重唱を組んでいろいろな歌を歌った。</div><div class="sonet-asin-break"> </div><div class="sonet-asin-break">両親がどんなに生活に困ってもピアノだけは手放さなかった事に、小澤はいつも感謝している。</div><div class="sonet-asin-break">この本には彼が家族に出した手紙がたくさん引用されている。<br />「みんな元気？」で始まる心温まる手紙だ。</div><div class="sonet-asin-break"><br />最初のヨーロッパ行きは一人で決めた。<br />当時小澤は桐朋学園で齋藤秀雄先生（サイトウキネンの齋藤先生）から１対１で指揮の授業を受けていて、桐朋学園オーケストラ全員の欧州行きの話が持ち上がったのだが、資金の関係で中止になってしまう。</div><div class="sonet-asin-break">自分一人だけでもなんとか行きたい。</div><div class="sonet-asin-break"><br />外国の音楽をやるためには、その音楽が生まれた土、そこに住んでいる人間、をじかに知りたいと小澤は堅く決心した。</div><div class="sonet-asin-break">後にニューヨークフィルのバーンスタインに「セイジ、お前は幸福な奴だ。こんな美しい国で育ったなんて・・・。それなのになんでニューヨークなんて住む気になったんだい？」と聞かれた時、彼はこう答えたかったそうだ。</div><div class="sonet-asin-break">「自分には西洋音楽を知りたいと言う強烈な気持ちがあって、その気持ちの前では日本の美しい景色も色あせてしまうんだ。」</div><div class="sonet-asin-break"><br />もちろん金など無い。</div><div class="sonet-asin-break">彼が書き出した携帯品は、鞄、歯磨き、歯ブラシ、フランス語の字引、日記帳、シャツ、パンツ。<br />それっきり。(^^;;</div><div class="sonet-asin-break"> </div><div class="sonet-asin-break">小澤が何より準備に時間と労力を費やしたのは、現地で使うスクーター、またはオートバイの調達だった。<br />東京中駆けずり回って、なんとか貸してくれる人を探した。</div><div class="sonet-asin-break"> </div><div class="sonet-asin-break">一番最後に富士重工で、ラビットジュニア１２５ｃｃの新型をもらった。<br />ただし、条件があった。</div><div class="sonet-asin-break">一、日本国籍を明示すること。<br />二、音楽家であることを示すこと。<br />三、事故をおこさないこと。</div><div class="sonet-asin-break"> </div><div class="sonet-asin-break">粋な条件だが、その条件を満たすため小澤は白いヘルメットにギターをかついで日の丸をつけたスクーターにまたがって欧州行を続ける事になる。これはどう考えても目立つよね。(^^;;</div><div class="sonet-asin-break"></div><div class="sonet-asin-break"> </div><div class="sonet-asin-break">貨物船に乗せてもらって船賃を浮かす。</div><div class="sonet-asin-break"> </div><div class="sonet-asin-break">貨物船はお薦めだそうだ。<br />実に俗離れしていていろいろなことが考えられるから、音楽家にはいい薬になるそうだ。</div><div class="sonet-asin-break">それと荷物の積み下ろしに時間がかかるので、ゆっくり街を散歩出来る。<br />そのたびに英語はうまくなるし、物知りになれる。<br />彼の手紙によると最初英語もあまり出来なかったのが、地中海に着く頃にはほとんど不自由しなくなったと言うことだ。</div><div class="sonet-asin-break">スクーターについて、抜書きさせて貰う。</div><div class="sonet-asin-break"> </div><div class="sonet-asin-break"><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94%; padding-right: 10px; margin-left: 3px; margin-right: 3px"><p>ヨーロッパを歩くには、汽車よりもスクーターかヒッチハイクに限る。安い市場の前を通るたびに必要な物を買い集めて背中にしょった袋に入れておくのだ。そして腹がへったら野原にシュラーフザックを広げて、青空を眺めながら食う。かならず子供か人のいい農夫が近づいて来るから退屈はしない。ぼくが日本語で大きな声で歌いながら、ゆっくりと道を行くので、みんなニコニコして手をふる。<br />しかし雨にはまいる。つくづく太陽のありがたさを感じたものだ。</p><p>&nbsp;</p></div></div><div class="sonet-asin-break"><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94%; padding-right: 10px; margin-left: 3px; margin-right: 3px"><div class="sonet-asin-break">スクーターで地べたに這いつくばるような格好でのんびり走っていると、地面には親しみが出る。見慣れぬ景色も食物も、酒も空気も、なんの抵抗もなく素直に入って来る。まるで子供の時からヨーロッパで育った人間みたいに。<br />美人もよく目についたが、気おくれなど全然感じない。大げさに言えば、美人が皆ぼくのために存在しているようにさえ思えた。音楽に対してもそうだ。<br />自然の中での、人間全体の中での、また長い歴史の中での音楽が素直に見られるようになった。<br />これはぼくにとっては大きなプラスだ。</div></div><div class="sonet-asin-break"><br />こういう圧倒的なプラス思考。是非日本人みんなが身につけたいよね。( ＾-＾)</div><div class="sonet-asin-break">現地でも同じ桐朋学園同期の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E4%BA%AC%E5%AD%90">江戸京子</a>さんはじめ多くの人々の世話になって暮らす。<br />（後にこの三井財閥のお嬢様と最初の結婚をするのですね。( ＾-＾)）</div><div class="sonet-asin-break"><br />何と言っても、江戸さんからその名を初めて聞いたブザンソンの国際指揮者コンクールで、初出場でいきなり優勝してしまったのが凄い！　日本から行った学生に毛の生えたみたいなのが、いきなり世界一になってしまったのだ！</div><div class="sonet-asin-break">でも考えてみると、それがヨーロッパの器の大きさだよね。</div><div class="sonet-asin-break"> </div><div class="sonet-asin-break">初めての外国のオーケストラ、苦手なフランス音楽の、しかも難曲というので、かなりの難関だったが、記者たちのインタビュー攻めにあった時は「この程度のことは、日本の音楽教育の過程ではほとんど基礎的なことにすぎない。」と言ってやった、と言うのがまた凄すぎる！(^^;;</div><div class="sonet-asin-break"> </div><div class="sonet-asin-break">だがこの言葉は、小澤にとってまんざら大風呂敷と言う訳ではない。</div><div class="sonet-asin-break">恩師齋藤秀雄先生の教育法は、基礎的な訓練に関しては完璧で、世界でも例を見ないと小澤は言う。</div><div class="sonet-asin-break"> </div><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94%; padding-right: 10px; margin-left: 3px; margin-right: 3px"><div class="sonet-asin-break">具体的に言うと、齋藤先生は指揮の手を動かす運動を何種類かに分類して、たとえば物を叩く運動からくる「叩き」とか、手を滑らかに動かす「平均運動」とか、鶏の首がぴくぴく動くみたいに動かす「直接運動」というような具合に分類する。そのすべてについて、いつ力を抜き、あるいはいつ力を入れるかというようなことを教えてくれた。</div><div class="sonet-asin-break">その指揮上のテクニックはまったく尊いもので、一口に言えば、指揮をしながらいつでも自分の力を自分でコントロールすることが出来ると言うことを教わったわけだ。<br />言い方を変えれば、自分の体から力を抜くと言うことが、いつでも可能になるということなのだ。</div><div class="sonet-asin-break">これはちょっと考えてみると妙な理論かもしれない。<br />しかし実際に皆さんがおやりになるとわかると思うが、力を完全に抜ききるということが、どのくらいむずかしいことか、それはインドのヨガや、いろいろな健康法でも、ときどきこの頃言われてきていることだ。<br />力を抜くということ、自分の筋肉の力を抜ききる状態をつくることが、指揮のひとつのテクニックだとぼくは思っている。</div></div><div class="sonet-asin-break"><br />マエストロのこの言葉は、実は九子にとってもすごく役立った。<br />坐禅にも同じように通じるからだ。</div><div class="sonet-asin-break"><br />この頃ずっと、九子はまともに坐禅をしていなかったのだということに気づいた。<br />いや、やってるつもりだったのだが、九子が初めて坐禅に出会った頃のあの、幸せがほとばしるような素晴らしい坐禅とはいつしか違ってしまっていたのだ。</div><div class="sonet-asin-break">あの頃は毎日が真剣勝負だった。薬も飲んでいなかったから、おどおどびくびくから開放されて、幸せで有意義な一日を過ごすためには、必死に坐禅をするしかなかったのだ。</div><div class="sonet-asin-break"> </div><div class="sonet-asin-break">今、九子は死ぬまで飲み続ける気分調整剤を毎日飲んでいる。薬のおかげで、気分はいつも安定して落ち着いている。<br />Ｍ氏は九子が何をしようとも、いやむしろ何にもしなくても(^^;;決して怒らないし、とりあえずのお金に困るわけではない。</div><div class="sonet-asin-break">そうなると怠け者の九子は、坐禅の必要性を昔ほど感じなくなってしまっていたのだ。</div><div class="sonet-asin-break"><br />ある日、一日ゆっくりと時間をとって坐禅をしてみた。（薬局が暇だったってことだ。(^^;;）</div><div class="sonet-asin-break"> </div><div class="sonet-asin-break">マエストロが言うとおり、身体の力を抜くことの大切さ。<br />もっとも坐禅の場合は、背筋だけはぴんと伸ばしていなければならないから腰骨の力は抜いてはいけない。</div><div class="sonet-asin-break"> </div><div class="sonet-asin-break">何回も坐りなおして数時間坐ると、おかげで九子にあの時の坐禅が戻ってきた！</div><div class="sonet-asin-break">ああ、今思えば坐禅をおざなりにしていた何年間、九子はなんと無駄な時間を過ごしてしまっていたのだろう。</div><div class="sonet-asin-break">人生、もうそう長くないのに・・。(^^;;</div><div class="sonet-asin-break"></div><div class="sonet-asin-break"> </div><div class="sonet-asin-break">マエストロ小澤は、その後さまざまな経緯を経て、現在に至る。</div><div class="sonet-asin-break">有名な<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%BE%A4%E5%BE%81%E7%88%BE">Ｎ響事件</a>の後、彼は３０年以上もＮ響とはいっしょに演奏しなかったらしい。（１９９５年に事件以来はじめて共演している。）</div><div class="sonet-asin-break"><br />心のボタンの掛け違いは誰の心にも、たとえマエストロにだって同じように起こるのだなあと思う。</div><div class="sonet-asin-break"><br />マエストロの本で初めてわかったことがもう二つ。<br />人間が大好きな人の方が外国で成功するみたいだと言うこと。<br />そして、指揮者は体力勝負だということ。</div><div class="sonet-asin-break"> </div><div class="sonet-asin-break">文体からはもちろんだが、マエストロの明るく人懐こい性格は挿入されてる写真にも良く現れている。</div><div class="sonet-asin-break">図々しく誰かの肩に腕を回してる写真がなんと多いことか！(^^;;</div><div class="sonet-asin-break"> </div><div class="sonet-asin-break">隣の国と地続きで長い戦争の歴史のあるヨーロッパでは、自分が敵ではないことをまず相手に指し示す必要がある。笑顔と馴れ馴れしいくらいの親愛の情を恥じる事無く披露できるマエストロが外国で受け入れられ易かったのは当然のことだろう。</div><div class="sonet-asin-break"><br />小澤は、指揮者を目指す若者たちに次のように述べている。<br />「何より、柔軟で鋭敏で、エネルギッシュな体を作っておくこと。また音楽家になるより、スポーツマンになるようなつもりで、スコアにむかうこと。」<br />これが小澤が外国で学んだ中で一番貴重なことだそうだ。</div><div class="sonet-asin-break">そうか！今マエストロが一年間休養して未来に備えているのはそのためなんだね。</div><div class="sonet-asin-break"><br />この本が書かれたのは昭和３７年。５０年も前の話だ。<br />その時すでにマエストロはこう書いている。</div><div class="sonet-asin-break">  <div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94%; padding-right: 10px; margin-left: 3px; margin-right: 3px">欧米では音楽家は音楽のことだけを考えていればいい。それ以外のことを何も心配する必要がない。<br />ところが日本では、対人的な感情、派閥、コネ・・・これらのことを無視しては世に出られないということである。それだけ日本が貧乏国であり、音楽のマーケットが狭く、音楽ファンが少ないからだということも言える。</div><div class="sonet-asin-break"><br />さて５０年たって、今の日本はどうなのか？<br />少なくとも貧乏国では無く、音楽ファンも音楽マーケットもそんなに少ない訳ではないと思う。</div><div class="sonet-asin-break">だけど音楽業界に限らずとも、コネや派閥は昔と変わらず存在するんじゃないのかな？<br />５０年だよ、５０年！</div><div class="sonet-asin-break"><br />小澤征爾は現在のマエストロだが、未来のマエストロ<a href="http://daimuran.blog.so-net.ne.jp/">Muranさん</a>が日本の外から、それこそ声を絞り出すように発信される記事を読んでいると、日本人が変わるって相当難しい事のように感じてしまうのだけれど・・・。</div><div class="sonet-asin-break"></div><div class="sonet-asin-break"><br /></div></div></div><a name="more"></a>]]></description>
      <author>九子</author>
          </item>
        <item>
      <title>マエストロ</title>
      <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-03-04</link>
      <category>＜九子の読書ドラマ映画音楽日記＞</category>
      <pubDate>Sun, 04 Mar 2012 17:10:49 +0900</pubDate>
      <guid isPermaLink="false">http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-03-04</guid>  
      <description><![CDATA[<p>九子は長い間、クラシック音楽とは無縁に暮らしてきた。</p><p>父親はヨハンシュトラウスの「青きドナウ」が好きで良く聴いていたのは覚えている。<br />「九子や、クラシックは教養だからこういうの聞いときなさい。」と言って作曲者ごとに分かれた１２枚１組のレコードを買ってたけど、ヨハンシュトラウス以外の残りの１１枚は新品同様だったっけ。(^^;;</p><p>母は社交ダンスも習っていたからウインナワルツなんか聴いててもおかしくないのに、せいぜいアルゼンチンタンゴとか、ラ・クンパルシータとかのラテンダンス音楽しか聴いていなかった。<br />彼女の性格に三拍子のゆったりとしたワルツは緩慢すぎたのだろう。</p><p><font color="#0000ff">これいいよ。是非聴いて下さい！ ↓</font></p><object classid="clsid:D27CDB6E-AE6D-11cf-96B8-444553540000" codebase="http://download.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=6,0,29,0" width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/r6HW7z_KW6c?version=3&amp;hl=ja_JP" /><param name="quality" value="high" /><param name="menu" value="false" /><param name="wmode" value="" /><embed src="http://www.youtube.com/v/r6HW7z_KW6c?version=3&amp;hl=ja_JP" wmode="" quality="high" menu="false" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315"></embed></object> <p>九子は小さい頃ピアノをやってたけどすぐに嫌になって止めて以来、クラシックのクの字もない生活。<br />何と言っても九子は言葉を大切にする人間だから（ほうほう・・。(^^;;）、歌詞の入った歌の方に興味があったのだ。</p><p>しいて歌詞の無い音楽と言うならジャズね。<br />ジャズは、何と言うか、エロいから好きだった。(^^;; 大学生の頃だ。<br />「子宮に響く」なんて、当時、わかったようなわかんないような事を言ってはたまに聴いていた。<br />もちろん詳しい訳ではない。</p><p><br />ところがここへ来て、九子の生活の中にクラシック音楽が徐々に入り込んでいる。<br />それはSO-NETブログの皆様のおかげだ。</p><p>九子がＳ０－netで書き始めてすぐにnice!を下さった<a href="http://sh823.blog.so-net.ne.jp/">ＣＦＰさん</a>、そして声楽を中心にさまざまな音楽活動をされてる<a href="http://okkoclassical.blog.so-net.ne.jp/">伊閣蝶さん</a>、声楽家、ピアニストとして教えるお仕事もされている<a href="http://santa-cecilia.blog.so-net.ne.jp/">CECILIAさん</a>、いつも素晴らしい音楽を紹介して下さる<a href="http://der-wanderer.blog.so-net.ne.jp/">般若坊さん</a>、それと、マイぷれすの時からのお仲間で、英語独語を駆使して世界を駆けめぐるお仕事されながら名ピアニストでもある<a href="http://awaysw.blog.so-net.ne.jp/">awayさん</a>、その他たくさんの方々。</p><p>そして何といってももう説明無用の<a href="http://daimuran.blog.so-net.ne.jp/2012-03-03">MURANさん</a>こと村中大祐さん。</p><p><br />２０１１年１２月３０日の午後、年に一度のわが家の大掃除の日に、忙しく立ち働く（ふだんしっかりやってない報い。(^^;;）九子の手を止め、テレビの画面に見入らせたのは、他でもない上記の方々に教えて頂いたクラシック音楽への湧き出たばかりの興味だった。</p><p>それは地元テレビ、ＳＢＣだかＮＢＳだか忘れたが、去年のサイトウキネンオーケストラの特集番組だった。サイトウキネンは御承知のように長野県松本市で開かれるので、地元メディアが作ったこの番組が全国に流れたのかどうかは定かでない。</p><p>それに去年は小澤征爾氏が体調の関係でたった一日しか出演されなかったんじゃなかったっけ？</p><p>とすると、九子は偶然どえらいものを見たことになる。</p><p>恥を忍んで言うと、九子はみんながみんな凄く大変な思いをしてまで見に行くサイトウキネンを、こんな近くに住んで居ながらまだ聴きに行った事が無い。</p><p>暑い盛りにチケットを取るのに何時間も並んだり、安くないチケット料金にたじろいだり、そういうのが煩わしくて、ついつい「そこまでして見に行かなくても・・」と思ってしまっていた。</p><p>毎年必ず観続けてる松本市民を心底尊敬する。</p><p><br />画面はマエストロを大きく映し出していた。</p><p>小澤征爾は一回りも二回りも小さくなった。<br />食道がんは厳しい病気だ。</p><p><br />曲名はＧ線上のアリア。<br />大変悲しい災害が起こってすぐの夏だから、当然東日本大震災で亡くなられた方々の冥福を祈るという意味の選曲がされているはずだ。<br />だけどアリアって、鎮魂・・って意味あるの？</p><p>曲が始まってすぐ、九子ははっとした。意味はすぐにわかった。</p><p>&nbsp;</p><p>マエストロは九子が見た事の無いような指揮をした。<br />まずマエストロの手にあるべきはずのタクトが無かった。</p><p>指揮者というイメージとかけ離れた小澤の節くれだったような大きな手。<br />その手は最後まで大きく振られる事は無かった。</p><p>九子の目は小澤征爾ただ一人に釘づけになった。</p><p><br />指揮者というと、一番身近なのが小中学校の音楽会で前に出られてタクトを振る先生方だ。<br />あれが頭にあるものだから、九子はずっと長い間、指揮者とはみんなの音楽をまとめる人の事だと思っていた。(^^;;</p><p>そんな九子にマエストロは病み上がりの身体で教えてくれた。</p><p>テレビの画面はいつまでも小澤の姿を追っていた。<br />無理も無い。</p><p>あの日のＧ線上のアリアは、小澤征爾が押しも押されもせぬ主役だったからだ。</p><p>彼は決して腕を振らなかった。</p><p>指揮者のことを「棒振り」なんて言うそうだけれど、マエストロは棒を持つことも拒み、振るという動作さえ軽々しいものとして忌み嫌っているように見えた。</p><p>振られる事の無い腕は胸の上に交差されて、哀しみとも祈りともつかない、深い深い深いものを表現していた。</p><p>またある時は指の一本一本に命が宿っている如く、虚空に投げ出されてなお雄弁だった。</p><p>両腕を頭上に伸ばし、もはや関節の伸びきらない指を一精杯に伸ばして瞑目する様は、一人でも多くの魂にこの曲が届けと祈念しているようだった。</p><p>空を掴んだ拳は、満身の力を込めて戦う勇気を現しているみたいだった。 </p><p>腕を振るように見える時は、必ず細くなった身体が一緒に沈み込んだ。<br />それが深い哀しみに遭われた人々への礼儀だとでも言うように・・。</p><p>きっとあのお年では堪えたと思う。</p><p><br />そう。あれは、小澤征爾のまさに一人芝居だった。<br />九子はいつのまにか聴く事を忘れて、マエストロばかりを見ていた。</p><p>指揮者とは、表現者だったのだ。<br />古典音楽というあまり普通の人にはなじみの無い音楽を、自分の感性で自分なりの解釈をし、それを表に現して普通の人々にわかりやすいように見せてくれる。聴かせてくれる。<br />言ってみれば情感たっぷりの通訳さんなのだ。</p><p><br />Ｇ線上のアリア。アリアには調べとか旋律という意味しかない。<br />それを小澤征爾は見事に鎮魂の曲＝レクイエムに変えた。<br />まさにマエストロ！</p><p>&nbsp;</p><p>ところで九子さん、お掃除の方はその後どうなりましたあ？<br />まさか、いつもの「疲れたからやめた。」じゃないでしょうねえ。</p><p>やりましたよお。もちろん。<br />九子なりに自分の感性で美しいところと美しくないところを区別して、美しくないところというのはある意味、単に表に現れてる皮層的な現象に過ぎないのではないかと解釈して、美しくないところに内包する美がある以上、それはこのままにしといた方がいいんじゃないかな・・・、という判断に至った訳です。</p><p>それって、掃除してないってことなんじゃないの？(^^;;(^^;;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><a name="more"></a>]]></description>
      <author>九子</author>
          </item>
        <item>
      <title>「困った人」とどう付き合うか</title>
      <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-02-21</link>
      <category>＜九子の万華鏡＞</category>
      <pubDate>Tue, 21 Feb 2012 22:18:39 +0900</pubDate>
      <guid isPermaLink="false">http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-02-21</guid>  
      <description><![CDATA[<p>先日は<a href="http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-01-28">「サイコパス」</a>の話をしたし、そのちょっと前は<a href="http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2011-11-24">「困ってる人」</a>を取りあげた。<br /><br />今回は正真正銘の「困った人」の話をしようと思う。</p><p>九子はいつも言う通りダメ薬剤師であるので、薬剤師会の講習会、しかも土曜日の午後2時からなどという、一人でやってる薬局の人はお店閉めて来てくださいねというお話にはとても乗れないと思っていた。<br />ところが今回、いの一番に乗ったのである！( ＾-＾)</p><p>何しろ講師が精神科医の春日武彦先生だ。<a href="http://w1.avis.ne.jp/~kasahara/"> 薬局</a>なんかいつだって閉めちゃうもんね。(^^;;</p><p>九子の中で春日先生はずうっと、ものわかりのいい新しいタイプの精神科医だ。</p><p>もう15年前くらいになろうか、まだ九子自身も自分の病気を知らず、ただ確実に何らかの心の病なんだろうとは思っていた頃、そして「うつ病」という病気に世間の偏見があった頃、別冊宝島の「ココロの薬とつきあう本」で林公一先生なんかと一緒に対談されていたのが春日武彦先生だった。</p><p><!-- amazon --></p><div class="sonet-asin-area"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4796694323/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank"><img class="sonet-asin-image" src="http://images-jp.amazon.com/images/G/09/x-locale/detail/thumb-no-image.gif" alt="「ココロの薬」とつきあう本―安定剤飲みますか?仕事やめますか? (別冊宝島 (432))" title="「ココロの薬」とつきあう本―安定剤飲みますか?仕事やめますか? (別冊宝島 (432))" width="85" height="115" /></a> <div class="sonet-asin-info"><p class="sonet-asin-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4796694323/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank">「ココロの薬」とつきあう本―安定剤飲みますか?仕事やめますか? (別冊宝島 (432))</a></p><ul><li class="sonet-asin-label">作者: </li><li class="sonet-asin-label">出版社/メーカー: 宝島社</li><li class="sonet-asin-label">発売日: 1999/04</li><li class="sonet-asin-label">メディア: ムック</li></ul></div></div><div class="sonet-asin-break"></div><p><!--/ amazon --></p><!-- amazon --><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4796694323/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank"></a><!--/ amazon --><p><!-- amazon --></p><div class="sonet-asin-area"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4796694323/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank"></a><div class="sonet-asin-info"><div class="sonet-asin-break"></div><!--/ amazon -->当時まだ黎明期だったインターネットの情報を取りあげたり、うつ病の人の体験談やアメリカの代表的な抗うつ薬ＳＳＲＩ（セロトニン再取り込阻害薬）のプロザックの話、やっと出始めた日本のＳＳＲＩの情報などがわかりやすく書かれていた。</div></div><p><a href="http://kokoro.squares.net/">林公一先生のサイト</a>は今でも九子が大いに参考にさせて頂いているのだけれど、正直言って林先生は少々怖い。(^^;;  <br />だけど春日先生は、いろいろな著書を拝見してもなんとなく優しそうで頭が柔らかそうな感じがした。</p><p>当日春日先生は、白黒チェックの厚手のフランネルシャツに黒のジーンズ、革のスニーカーといういでたちで現れた。<br />昭和51年生まれ。Ｍ氏と同じ年だった。</p><p>案の定、会場は「先生の御本をたくさん読ませて頂いて、ぜひ本日は直接先生の講演をうかがいたかった。」などという医療関係者であふれていた。もちろん九子もその一人だ。( ＾-＾)<br />（もっとも医療関係者という自覚は最初から欠如しているが・・。(^^;;）</p><p>演題は「対応困難な患者の理解と対応・・・パーソナリティー障害を中心に」であった。<br />要するにクレーマーとか、病院ならモンスターペーシャント、学校ならモンスターペアレントというような困った人たちに対してどういう風に対応すべきかという事だ。</p><p><br />パーソナリティー障害というのは要するに人格障害のことだ。カタカナにすることで響きを柔らかくしているらしい。</p><p>クレーマーと言う程度の「困った人」たちは、人格障害の中でも要するに境界例とかボーダーラインという言葉で言い現される「境界性人格障害」の人々が多い。</p><p>もちろん彼らは「死んでやる！」と叫んでビルの３階、４階あたりから飛び下りて（助かるぎりぎりの線らしい。）勢いで本当に死んでしまうことはあっても、本気で人殺しをすることはない。</p><p>つまり社会に危害を及ぼす人々ではないが、その人が一人居るおかげで仕事が進まなかったり、誰かのストレスが高まったり、みんなが振りまわされたり、つまりは、はた迷惑な人たちと言う事になろうか。</p><p>「境界性」と言う言葉は、神経症とも統合失調症とも鬱病とも言えない境界線上の人々ということらしい。</p><p>今流行の「新型うつ病」（林公一先生おっしゃるところの「擬態うつ病」）も多くはこれに含まれる。</p><p>人格障害、要するに性格の偏りである以上、薬もカウンセリングも入院も、実はあまり役に立たない。つまりは治らない。だから精神科医泣かせであるらしい。</p><p>九子の主侍医のＴ先生も、いつだったかクリニックの大ガラスを境界例の人に壊されたと渋い顔をしていらした。</p><p>Ｔ先生のような良心的な精神科医ほど境界例の人がわんさと詰めかけて困らされる事が多いようだ。</p><p><br />「困った人」の特徴をあげると、プライドが大変に高くて自分は特別扱いされて当然と思っていること、思い込みが強くて自分の思う通りにならない時に「こういうことは時々誰かにたまたまあるさ。」と考えることが出来ないこと、常識とかアタリマエがわからないこと、そして怒りっぽくてキレやすいと言う事、それとよく言われる見捨てられ不安・・という事らしい。</p><p>先生の講義で笑ってしまったのだけれど、こういう人たちというのは普通の社会に居ると困りものなのだけれど、そういう人々が生き易い世界というのも実際あるらしい。</p><p>たとえば銀行員なら困るけど、暴力団ならＯＫとか、事務員じゃあ使えないがキャバクラなら大丈夫とか。(^^;;</p><p>美貌と才能と腕力があれば生きていける世界、つまりは芸能界や風俗や暴力団は人格障害の人たちの溜り場！<br />なるほど！それっぽい人達が多い気がする。</p><p>それと、たとえば企業やお役所の上の方の人になればなるほど「困った人」であっても目立たないらしい。<br />先生が例をひいたのは作家から大都会の首長になった<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E">あの人</a>のことだった。(^^;; </p><p><br />それではこういう困った人たちにはどうやって対処したらいいのか。</p><p>まず、曖昧な態度は禁物ということ。</p><p>だがここで難しいのは、いきなり「ダメです！」と応ずるのは愚の骨頂ということだ。<br />彼らの怒りに油を注いでとんでもないことになる。</p><p>言い負かす、つまりは相手を論破するのもダメで、そうすると更にいきり立ってまた別の議論をふっかけられたりする。</p><p>要はこちらも時間をかけてじっくりと構え、のらりくらりと、ある時はぬけぬけと、相手の攻撃をかわして行く事が望まれる。<a href="https://aspara.asahi.com/blog/ArticleList.do?siteId=ff8080812573c64401268db65a692b53">春日先生</a>は２時間くらい相手をすると向こうも疲れて帰って行くとおっしゃってた。<br />何たるエネルギー！</p><p>相談の最初はあくまでも低姿勢に。彼らの怒りをガス抜きする必要が在るので、「拝聴する」という態度が大切だそうだ。</p><p>くれぐれも彼らの挑発に乗ってこちらまで興奮してしまわないように。そして彼らのペースに引きずられたり、絶句したり、慌てたり、おどおどしたりはこちらの敗北である。</p><p>大事な事は態度はソフトに言葉は優しく。だけど、出来る、出来ないはきっぱりと。はっきりと。</p><p>かなり難しそうだが、一例をあげればこんな風だ。</p><p>「それはお困りですねえ。わたしが何とかしてあげられるならよかったのですが・・・。残念です。」<br />芝居っ気たっぷりに「私も悔しいですよ。」などと付け加える事も可能だ。</p><p>声は小さく低めに。これによって相手との距離が近づいたという感じを向こうに持ってもらえるそうだ。</p><p>相手の話の中の感情の部分をくりかえす事も有効。<br />相手が「むかついた。」と言ったところで、「むかついちゃったんですか。それはそれは・・」みたいに。<br />（でもこれって言うタイミング間違えると却って相手を怒らせちゃって逆効果かも・・・。(^^;;）</p><p>これは確か、子供を叱らないで自分で気付かせるためにも有効な心理的プロセスだったような・・。<br />子供の言ったことを親がただただ繰り返す。「そう。悲しかったんだね。」「ああ、泣きたかったのね。」「すごく嫌だったんだね。」という風に、子供の気持ちにより添う。</p><p>相手の気持ちにより添うという事で、困った人たちもある程度感情を和らげてくれるらしい。</p><p>時にはメモを取ったりして、誠意を持っている事を示す。</p><p>とにかくアタリマエがわからない彼らに、「世間の常識」を教えてあげるという態度も重要。<br />「言わずもがな」や「暗黙の了解」も彼らは全然理解していない。</p><p>組織に属している人ならば困った人たちは権威に弱いので、時には上の人にお出まし頂いて話を聞いてもらうことが有効なこともあるそうだ。</p><p><br /><a href="http://www.google.co.jp/webhp?hl=ja&amp;tab=pw#hl=ja&amp;gs_nf=1&amp;gs_is=1&amp;cp=8&amp;gs_id=1i&amp;xhr=t&amp;q=%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E9%9A%9C%E5%AE%B3&amp;pf=p&amp;sclient=psy-ab&amp;site=webhp&amp;source=hp&amp;pbx=1&amp;oq=%E3%81%B1%E3%83%BC%E3%81%9D%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%A6%E3%81%83%E3%83%BC&amp;aq=0r&amp;aqi=g-r4&amp;aql=&amp;gs_sm=&amp;gs_upl=&amp;bav=on.2,or.r_gc.r_pw.,cf.osb&amp;fp=c5c3a9ba8a6c1">パーソナリティー障害</a>の見分け方としては、なるべく多くの回りの人たちに彼らの評判を聞いてみて、その人の評価の振れ幅が極端に大きければ疑ってみるという事らしい。</p><p>肝心の「困った人たち」が生まれる原因についてのお話はなかった。<br />もちろんそれは今回の講演の目的ではなかったからだろうが、やっぱり春日先生にうかがってみたかったと思う。</p><p>ダイアナ妃がそうだとか、尾崎豊がそうだとか言われるが、「境界性人格障害」は最近わかった症例という訳ではなく、古いところでは太宰治なんかがそうだと言う。</p><p>お金が在るのに給食費を払わないなんて昔は考えられなかったから、昔と比べて増えて居るんだろう。</p><p><br />こうやって聞いてるうちになんか九子はムカムカして来た。<br />だってみんなこんなに「困った人」に困らされて居るのに、彼らはちっとも困ってないんだよ！<br />この対処法じゃあいくらなんでも弱腰というか、下手に出過ぎてるんじゃない？<br />案外彼らは今まで困らされたことが無いから、逆に困らせてやればわかるんじゃないの？</p><p><br />そうしたらこないだ偶然、テレビでそういう場面をやっていた。<br />出て来たのはお金はあるはずなのに税金を長い間滞納してる人を自治体が強制的に徴収してる場面だった。</p><p>最初に出てきた男性は、給料が滞っていてとても税金が払えないと言っていたのに、職員が最後の手段として滞納者の車のタイヤにストッパーみたいのを付けて、払うまで車を動かせなくして、期限までに払わなければオークションにかけると言うと、彼は慌てて現金を出してきた。</p><p>ちなみに例として画面に出てきたベンツは、そうやってオークションにかけられて８０万で落札されたものらしい。<br />何百万、いや数千万のベンツが８０万で売られちゃうとしたらやっぱりちょっと考えるよね。</p><p>その次に出てきた女性は、「うちにはお金なんてありません！」とヒステリックに騒ぎたてていたのに、豪華なジュエリーをオークションにかけると言われて、２０万もの現金をどこやらから出してきた。<br />（う～ん、ジュエリーかあ。九子もわかるな、その気持ち！(^^;;）</p><p><br />実は九子の回りにも「困った人」とその人に振りまわされてる家族が居る。<br />彼女のお嫁さんが「困った人」なのだ。</p><p>彼女の息子さんもそういう人をつきあってる間に見抜けなかったものかと思ってしまうけれど、それはとても難しいらしい。<br />彼女のお嫁さんは今でも、人前ではとても明るいいいお嫁さんだからだ。</p><p>家事一切を彼女に任せて、お嫁さんはほとんど一日中具合が悪いと言って寝ている。<br />その癖、ディズニーランドや旅行には大はしゃぎで出かけて行く。</p><p>そして疲れて帰ってきて、更に具合が悪くなる。</p><p>お嫁さんはリストカットや、ひどい時には二階から飛び降りたりするので、彼女は目が離せない。</p><p>上の子はもう高校生になる。彼女が世話を焼いてやらなければ、子供たちはいったいぜんたいどうなっていたのだろう？</p><p>彼女ももういい歳だ。倒れて脳の手術も受けた。<br />その彼女がなんにもしないお嫁さんのために今日も２階へ食事を運んでいる。</p><p>本当に彼女が気の毒だ。<br />そしてなんか変だよねえ。</p><p><br />困った人たちは実に巧みだ。<br />弱いところを突いてくる。優しい人に甘えてくる。</p><p>だから私たちはもうちょっとずつ強くならなくてはならない。<br />春日先生みたいに辛抱強く耳を傾ける強さと、そしてきっぱりと出来ないことは出来ないと言い張る強さを持たなければならない。</p><p>「Noと言える日本」、確か春日先生に「困った人」と言われた作家さんがが書いた本だったよね。(^^;;</p><p><!-- amazon --></p><div class="sonet-asin-area"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334051588/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank"><img class="sonet-asin-image" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/415dpDN0ObL._SL160_.jpg" alt="「NO(ノー)」と言える日本―新日米関係の方策(カード) (カッパ・ホームス)" title="「NO(ノー)」と言える日本―新日米関係の方策(カード) (カッパ・ホームス)" width="85" height="115" /></a> <div class="sonet-asin-info"><p class="sonet-asin-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334051588/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank">「NO(ノー)」と言える日本―新日米関係の方策(カード) (カッパ・ホームス)</a></p><ul><li class="sonet-asin-label">作者: 盛田 昭夫</li><li class="sonet-asin-label">出版社/メーカー: 光文社</li><li class="sonet-asin-label">発売日: 1989/01</li><li class="sonet-asin-label">メディア: ハードカバー</li></ul></div></div><div class="sonet-asin-break"></div><p><!--/ amazon --></p><p>もっともこれは私たちより、どっかの国の政治家さんたちに、特に口を酸っぱくして言っておきたい事なんだけど・・。(^^;;</p><p>&#160;</p><p>&#160;</p><a name="more"></a>]]></description>
      <author>九子</author>
          </item>
        <item>
      <title>さらば、マイぷれす</title>
      <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-02-10</link>
      <category>＜その他＞</category>
      <pubDate>Fri, 10 Feb 2012 17:06:10 +0900</pubDate>
      <guid isPermaLink="false">http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-02-10</guid>  
      <description><![CDATA[<p>無料ブログサイト「マイぷれす」がこのたび9年にわたるサービスを終了することになった。 </p><p>九子は2003年10月にブログを始めている。マイぷれすが始まって半年ほどで書き始めた事になる。<br />こう見えても割合年季は入っているのだ。( ＾-＾)<br />ただ更新のペースがいかんせん長すぎる。(^^;; </p><p>でも最初の頃は、きちんきちんと三日に一度更新していた。 </p><p>そもそも「九子のダメ母の証（あかし）日記」というタイトルに忠実に、今日はこんなドジをしましたというのをずっと書き続けて、1年経ったら止めるつもりだった。 </p><p>マイぷれすに書いた紹介文はこうだった。 </p><br /><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94%; padding-right: 10px; margin-left: 3px; margin-right: 3px">＜マイぷれすの紹介文＞<br /><br />登場人物　九子、５人の子供達（上から順に　Ｒ、Ｓ、Ｙ、Ｎ子、Ｍ子）<br />Ｍ氏・・・九子の夫くん、九子の両親、他 <p><br />実は３男２女の母である九子はしかし、出来過ぎ母になんでもやってもらって育ってしまった一人娘ゆえ、トロくてなんにも出来ない落第母である。<br /><br />子供を産んでからも事情は変わらず、大変なところはみんなやってもらう「生むだけ母」でもあった。でも今振り返ってみると、「ダメ母で良かった！」と思う。そんな思いを書いたのが笠原十兵衛薬局のＨＰにある<a href="http://w1.avis.ne.jp/~kasahara/iyashi1.htm">「ダメ母のすすめ」</a>だ。<br /><br />ところがここでちょっとした誤算があった。世の薬剤師方がよほど優秀なせいだろう。「いやしくも薬剤師の九子さんが、そんなにトロい訳ないじゃない。信じられないわ。」という反応である。<br /><br />そこで、いくらなんでも薬局のＨＰにはあぶなっかしくて載せられないことを、この日記に書いて行く事にした。要するに九子のドジ日記である。多分すぐにでも種切れでおしまいになることを信じたい。<br /><br />尚、もし暇と興味がおありなら、坐禅とうつ病の話に出てくる<a href="http://w1.avis.ne.jp/~kasahara/link7.htm">笠原十子と朝原九子の証言</a>もついでに読んで頂くと、こういう人間が育ちあがった訳がわかるかもしれない。<br /><br />そもそも、ダメ母の前はダメ人間。根暗のダメ人間から明るいダメ母へ。華麗なる変身を遂げたその理由は・・・・？とにかく読んで見てね。( ＾-＾)<br /><br />あっ、初めて告白しますが、十子ちゃんというのも私のことですからね。( ＾-＾) </p></div><br />当時はまだ長男が二十歳で末娘が小６の頃。九子もしっかり母親だった訳だ。(^^;; <p>九子は何度も言うように薬局の一人娘に生まれたからしかたなく薬大へ行ったが、頭の中は生っ粋の文科系だ。 </p><p>友人は少なかったが(^^;;、でも手紙やメールは毎日のように書いていた。<br />九子の文通相手の中には、御年90歳の村井昌治先生もいらした。”The Ｆalk Tale of Ｓhinano”「信濃の民話」を英訳された英語の大家だ。こういう地元の有名人とは、たいてい父を通して知り合った。 </p><p>とは言えまとまった文章を書くのは毎年の年賀状に頭を絞るくらいで、あとは子供たちの文集や<a href="http://www2u.biglobe.ne.jp/~katsuzen/">活禅寺</a>の機関紙の原稿を頼まれた時くらい。 </p><p>正直、こんなに長く書き続ける事になろうとは思っても居なかった。 </p><p>ちょっとした転機になったのは最初の頃に書いた「<a href="http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2003-11-17">銀杏談義</a>」だろうか。ダメ母日記だけじゃなくて、こういうのもいいかな？と思い始めた。 </p><p>書き進めるうちに、自分は書く事が好きなんだという事を再認識し、我ながら上手に書けた時の喜びを体験し、際限なくとは言わないがこれからもまだまだ書けるかもしれない・・・などと夢を持っている。 </p><p>こうやって書く機会と書く場を与えてもらったからはじめてわかったことだった。 </p><p><br />考えてみると九子は小さい頃からずっと一人ぼっちだった。もちろん両親にも祖父母にも十分すぎるほど可愛がってもらったが、友達と遊ぶと言う経験が少なくていつも家の中に居たので、テレビを見る以外は一人の時間が長かった。その上、手足を動かす事は大嫌い。根っからの怠け者なのである。(^^;; </p><p>そうなるとおのずと頭の中で考えをめぐらすしかない。とは言え、決して創造的な頭の使い方ではなく、<br />考えても考えても大して役に立たない事を考えるだけ。(^^;; </p><p>そういう言わば妄想癖は、九子が覚えている限り小学校低学年にはもう出来上がっていた。 </p><p>友達の居ない九子ちゃんは、一人教室に残ってガラス窓から校庭で遊んでいる友達をじっと眺めていた。時折先生に促されて仲間に入る事はあっても、九子は決して楽しんでなどいないのだ。<br />そうすれば先生が誉めてくれるだろうと思うだけで、なわとびもドッジボールも鉄ぼうも鬼ごっこも、はっきり言って何が楽しいのか全然わからなかった。 </p><p>こういうのって「自律性」っていうんだよね。自分のやりたい事がわかっていて自分から行動を起こす力。<br />自分から遊べる子供の自律性は高い。<br />いつも出来すぎ母の指示待ちをしていた九子の自律性は極端に低かった。 </p><p>中学、高校と進んでも、事情はほとんど変わらず。<br />同じ班の子たちや同じ部活の子たちとはそこそこ楽しくやっているが、学校を離れたらもうそれまで。<br />何しろぬくぬくのお家が大好きだったから。( ＾-＾) </p><p>あっ、高校時代はそれでも割合楽しかったかな？優等生を脱する覚悟ができたからね。( ＾-＾) </p><p>その高校時代に、一年間だけ教えてもらった国語の先生が九子に自信を与えてくれた。 </p><p>そもそも九子は国語の勉強をほとんどしたことがなかった。テストの前は漢字練習を20分ほどするだけ。<br />自慢じゃないが高校時代、本も一冊も読んだ事が無かった。まあ、国語は入試に関係ないやと思ってたのかもしれないけど・・・。 </p><p>それでも3年間、どういう訳だか国語の成績は常に１０だった。<br />必死に勉強するのに、どうやったって万年９の英語とは対照的だった。 </p><p>ある時先生が絶対に90点を取れない様に作ったというテストで、九子は一人90点を越えた。その時先生は「このテストで９０点を越えた奴は天才か気違いだ！」と言われた。 </p><p>ブログを始めて、この世の中には天才か気違いがそこらじゅうに溢れていることを知った。<br />それでもへこたれた時にはその言葉をよりどころとしている馬鹿な九子である。(^^;; </p><p>それに、今になるとやっぱり努力して勉強したことのほうが役に立っていることがよくわかる。<br />必死で覚えた英語の知識は今でも十分通用するが、ほとんどすべてを勘に頼っていた国語のノウハウは、娘や息子に教えようったって伝わらない。(^^;; </p><p><br />そんな訳で万が一九子に国語力があったとしても、書く材料がなければ書き続けることは出来ない。<br />ある日ふと、もしかしたら九子に染み付いた役に立たない妄想癖が書く材料の調達に寄与しているのかもしれないと思った。 </p><p>いつも言うけど、九子に友達が少ないのはきっと一人でも十分楽しいからだ。<br />考え事をしているとすぐに時間が経ってしまう。 </p><p>考え事のその上に、過去を反芻する癖もある。<br />楽しかった事、どきどきした事、悲しかった事、ああすれば良かったなあと思う事、そういう事を思い出してはにやにやしたり、はらはらしたり、無念に思ったり・・・。 </p><p>そんな事、何度考えても未来にはつながらない。わかっちゃいるけどやめられないのである。<br />そんな中でたまには一つ一つの経験を普遍化して考えをまとめる事もあった。 </p><p>無駄と言えば無駄な時間の使い方なのかもしれないけれど、ブログを書き始めてからその無駄な時間に価値が在ったような気がしてきた。 </p><p>そんな気持ちを後押ししてくれたのが、「人生のほんとう」などの名著を何冊も残され、若くして病死された池田晶子さんのこんな言葉だった。 </p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94%; padding-right: 10px; margin-left: 3px; margin-right: 3px"><br />「私は、ひとりでいることがまるで平気、むしろその方が好ましいのですが（中略）、ひとりで自分を味わい、思索することの面白さ、一度これを覚えると、他人との関係にはさほど執着しなくなるようです。いや、むしろ逆に、孤独の豊かさを知っているからこそ、他人との関係も本当に楽しむことができるようになると言えましょう。<br />なぜなら他人との関係とは、その他人の中に自己を見ることに他ならないからです。自己認識が深いほど、関係は深く充実したものになるはずです。（略）」　　<br /><br />＜死とは何か＞より </div><p>もちろん九子の場合は池田晶子さんのような崇高な孤独ではありえない訳だが・・。(^^;; </p><p><br />マイぷれすは小さいブログサイトだったが、創生期からある正統派で良質なブログサイトだった。<br />そしてなぜか検索に良く引っかかった。 </p><p>ブログを続けるうちに、以前はほとんど検索に引っかからなかった「雲切目薬」が上位に出てくるようになった。<br />「疲れ目　目薬」でも「かすみ目　目薬」でも１００ページめくってもダメだったのに、2ページ目くらいに「<a href="http://w1.avis.ne.jp/~kasahara/">雲切目薬</a>」を発見した時は嬉しかった。( ＾-＾) </p><p>ダメ母、ダメ薬剤師のブログという性質上さすがに薬局のホームページからは表立ってリンクしていなかったが(^^;;、ブログの方からは薬局に積極的にリンクしていたのが功を奏したらしかった。 </p><p>「九子」と検索すると、一番最初に出てくるのがマイぷれすのブログだ。この順位はリンクされてる薬局の順位にも当然影響し、Google adwardsというおこずかい程度の金額で出来る検索広告でも表示位置を押し上げる。 </p><p>現在Googleで「<a href="http://www.google.co.jp/webhp?hl=ja&amp;tab=pw#hl=ja&amp;gs_is=1&amp;cp=4&amp;gs_id=7a&amp;xhr=t&amp;q=%E8%8A%B1%E7%B2%89%E7%97%87+%E7%9B%AE%E8%96%AC&amp;pq=%E8%8A%B1%E7%B2%89%E7%97%87+%E8%96%AC&amp;pf=p&amp;sclient=psy-ab&amp;site=webhp&amp;source=hp&amp;pbx=1&amp;oq=%E8%8A%B1%E7%B2%89%E">花粉症　目薬</a>」と検索すると上か右側の一番わかりやすい位置に表示されるはずの「雲切目薬」のリンクも、もしもマイぷれすが消えてしまったらどうなってしまうんだろうかと少々心配になる。 </p><p><br />いずれにしてもマイぷれすはあと10日ほどで消えてしまう。<br />マイぷれすでブログを始めてよかったと、今、心底そう思う。 </p><p>孤軍奮闘の管理人のサンドさん、長い間ご苦労様でした。m（＿）m <br /><br /><br /><br /><font color="#008000" style="background-color: #ffffff"><strong>★九子のダメ母の証（あかし）日記はこれからもso-netで<a href="http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/">「九子のダメ母の証（あかし）日記 in so-net」</a>として、まだだらだらと(^^;;書いていく予定です。</strong></font> </p><a name="more"></a>]]></description>
      <author>九子</author>
          </item>
        <item>
      <title>The stranger</title>
      <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-01-28</link>
      <category>＜九子の読書ドラマ映画音楽日記＞</category>
      <pubDate>Sat, 28 Jan 2012 16:27:12 +0900</pubDate>
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      <description><![CDATA[<p>２０１２年一月一日。二年参りを終えて床に着いた九子は、普段の九子であったならまずはほとんど経験した事の無い暗い不眠に悩まされながら、一年で一番めでたいはずのこの夜にこの本を手にしてしまった自分の浅はかさを後悔していた。 晴れの日であるべき正月に読むには最低最悪の本だった！</p><p>去年のクリスマスくらいに本棚にあるのを見つけて、絶対に前に読んだはずなのに内容をまったく覚えていなかったことに愕然として再読した。</p><p>たしか保険金殺人の話で、主人公は保険金詐欺を調査する保険屋さんだったよね。<br />九子が覚えていたのはそれっきりだった。(^^;;</p><p><!-- amazon --></p><div class="sonet-asin-area"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4041979021/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank"><img class="sonet-asin-image" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/516KX0NBQPL._SL160_.jpg" alt="黒い家 (角川ホラー文庫)" title="黒い家 (角川ホラー文庫)" width="95" height="150" /></a> <div class="sonet-asin-info"><p class="sonet-asin-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4041979021/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank">黒い家 (角川ホラー文庫)</a></p><ul><li class="sonet-asin-label">作者: 貴志 祐介</li><li class="sonet-asin-label">出版社/メーカー: 角川書店</li><li class="sonet-asin-label">発売日: 1998/12</li><li class="sonet-asin-label">メディア: 文庫</li></ul></div></div><div class="sonet-asin-break"></div><p><!--/ amazon --></p><p>要するに <a href="http://psy-nd.info">サイコパス </a>　と言われる快楽殺人犯の話なのだが、作者の貴志裕介はさすが京都大学出身のインテリだけあって話の膨らませ方が実にうまい。</p><p>九子がめでたかるべき大晦日夜から元旦にかけて読んだのは、殺人者が殺人を犯した「黒い家」で主人公が仲間の死体を見つける一番グロテスクな部分で、めでたさも一瞬にして吹き飛ぶど迫力だった。<br />(^^;;</p><p>この本で殺人者は人格障害者とされている。<br />人格障害の中でも、同情、良心、後悔などの心的機能を根本的に欠いている「情性欠如者」であると言う。<br /> <br />情性欠如者の中でも特に重症でその他に抑制欠如と爆発性性格の三つがそろった場合を「背徳症候群」と言い、凶悪な殺人を犯す場合が多いそうだ。今回の殺人者はこれに当てはまる。</p><p>人格障害というのは例の<a href="http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2005-11-20">タリウム少女</a>や酒鬼薔薇少年のところでも書いたが、もともと脳に欠陥があってそうなったものか、教育や環境によるものか、専門家の間でもまだ意見が分かれているらしい。</p><p>九子としてはたとえそれが将来的に望みの無い方向に行く話になったとしても、もともとの脳の欠陥が主なる原因で、育てられ方や環境はあまり関係無いんだよという結論になって欲しいと切に願う。</p><p>だって親はそれでもこれでも一生懸命に子供を育てるんだよ。<br />生まれた時は考えに考え抜いて一番良い名前を付け、ある時期までは子供が家庭の中心という生活を送り、運動会だ、やれ音楽会だと写真やビデオを撮りまくり、子供が勝ったといっては喜び、負けたと言っては悔しがる。</p><p>誰だって子供を殺人鬼に育てようと思う親などいないと思うんだ！<br />それなのに、必死になって育てたはずの子供が人を殺してしまう。</p><p>やりきれないよねえ、親の育て方が悪かったなんて言われたら・・。</p><p>それよりも、親は懸命に育てたのだけれど子供の脳に欠陥があって狂暴な人間が出来上がってしまってどうしようもなかったと思える方がまだ救いがある。</p><p>&#160;</p><p>人格障害というのは極端な例だけど、誰の心のなかにもどす黒い何かがうごめいている。<br />普段は顔をのぞかせない得体の知れない獣は、突如として、多くの場合怒りを発端にしてうごめき始める。</p><p>普段と違う彼や彼女の中の獣は、家庭内なら割合容易く見つかるに違いない。もとより家庭とはそういうところだ。飾りを剥ぎとって「素」をさらけ出す場所だからだ。</p><p>思いがけず電話口で家庭の秘密を知ってしまうことがある。その人がいつもと違う大きな声で家族の誰かとといがみあう声が聞こえて来たりもする。</p><p>自分の中の獣はなるべく外に現れない様に気を付けているつもりだけれど、疲れていたり、忙しかったり、気分の悪い時には、獣は良い空気を吸いに外に出たがるようだ。</p><p>そして、隣のうちまで聞こえるような大声で怒鳴ってみたり、壁をどんどん叩いてみたり、手当たり次第物を投げつけてみたりというその人らしくない行動が出る。</p><p><br />獣と言うと人聞きが悪いが、かの大歌手にして名ピアノ奏者であるビリージョエルは、それを&quot;The Stranger&quot;（自分の中の他人)と言った｡</p><p>ビリージョエル。九子の青春の思い出だ。<br />九子は確か当時大学生で新宿北口広場にたたずんでいて、大判振る舞いにそこにいた人々皆に配られた今で言うところのプロモーションレコードを手に取った。それがビリージョエルとの出会いだったと記憶している。</p><p> &quot;The Stranger&quot;のレコードジャケットは日本の能面を見入っているビリーの横顔がとてもセクシーだった。<br />彼は今よりずっと若く、やせていて高い声がよく出た。（当たりまえか・・。）<object classid="clsid:D27CDB6E-AE6D-11cf-96B8-444553540000" codebase="http://download.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=6,0,29,0" width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/IDupB1iPMGo?version=3&amp;hl=ja_JP" /><param name="quality" value="high" /><param name="menu" value="false" /><param name="wmode" value="" /><embed src="http://www.youtube.com/v/IDupB1iPMGo?version=3&amp;hl=ja_JP" wmode="" quality="high" menu="false" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315"></embed></object> </p><p>&#160;</p><p><br />ビリーは自分の中の他人＝別人の顔を隠そうとするのではなくて、もっと恋人や家族に普段から見せておこうと歌う。他人＝別人の顔を恋人に日頃から慣れていてもらおうと歌う。<br />いざと言う時にびっくりされないように・・・。</p><p><br />サテンの顔、シルクの顔、スチールの顔、レザーの顔、それらのありきたりの別人の顔の中に混じって、ビリーが新しく見つけた日本の能面。</p><p>アメリカ人の彼にとっては、能面はとても新鮮に映ったことだろう。<br />ひとつの顔が、悲しさも喜びも怒りも笑いもすべての表情を鮮やかに紡ぎ出す万能の仮面。<br />だから若かりしビリーは魅入られて、見惚れているのではないのかな？</p><p>考えてみると日本人は昔から万能の仮面をつけ続けて、いや、つけさせられ続けて生きてきたのだと思う。<br />自分の考えを押し殺して、怒りを閉じ込め、長いものに巻かれて、いろんなものを潔くあきらめて微笑みながら生きてきた。それが能面の基本の微笑みの表情だと思う。</p><p>いろいろな表情を一つの面で現す万能の能面を作り出すというのもいかにも日本人らしい。</p><p>ビリージョエルじゃないけれど、これからの世の中、とくに政治家の方々には、日本人の別人の顔を世界中にさらけだして欲しいと思う。</p><p>怒る時は怒る、悲しむ時は悲しむ、誉める時は誉める、喜ぶべき時は喜ぶ。<br />そして言うべき事はきちんと言う。</p><p>奥ゆかしさは貴いが、日本人だけしか理解できない心情を世界に向かって振りかざしたって仕方が無い。</p><p><font color="#0000ff">★Mu-ranさんこと大指揮者の村中大祐さんが、masque=お面についての深い深い考察を書いて下さいました。<a href="http://daimuran.blog.so-net.ne.jp/2012-01-30">是非お読みください。</a></font> </p><p><font color="#0000ff">★訳をお借りした宮寿陵さんも「The stranger」についての興味深いブログ記事を書いていらっしゃいますので、こちらも<a href="http://plaza.rakuten.co.jp/miyajuryou/diary/200612030000/">是非御参照下さい。</a></font></p><p><font color="#0000ff"><br /></font>The stranger  /words &amp; music by Billy Joel</p><p>Well we all have a face<br />That we hide away forever<br />And we take them out and show ourselves<br />When everyone has gone</p><p>Some are satin some are steel<br />Some are silk and some are leather<br />They&#39;re the faces of the stranger<br />But we love to try them on</p><p>Well we all fall in love<br />But we disregard the danger<br />Though we share so many secrets<br />There are some we never tell</p><p>Why were you so surprised?<br />That you never saw the stranger<br />Did you ever let your lover see<br />The stranger in yourself?</p><p>Don&#39;t be afraid to try again<br />Everyone goes south<br />Every now and then, woo...</p><p>You&#39;ve done it, why can&#39;t someone else?<br />You should know by now<br />You&#39;ve been there yourself</p><p>Once I used to believe<br />I was such a great romancer<br />Then I came home to a woman<br />That I could not recognize</p><p>When I pressed her for a reason<br />She refused to even answer<br />It was then I felt the stranger<br />Kick me right between the eyes</p><p>Well we all fall in love<br />But we disregard the danger<br />Though we share so many secrets<br />There are some we never tell</p><p>Why were you so surprised<br />That you never saw the stranger<br />Did you ever let your lover see<br />The stranger in yourself?</p><p>Don&#39;t be afraid to try again<br />Everyone goes south<br />Every now and then, woo...</p><p>You&#39;ve done it, why can&#39;t someone else?<br />You should know by now<br />You&#39;ve been there yourself</p><p>You may never understand<br />How the stranger is inspired<br />But he isn&#39;t always evil<br />And he isn&#39;t always wrong</p><p>Though you drown in good intentions<br />You will never quench the fire<br />You&#39;ll give in to your desire<br />When the stranger comes along<br />**********************************************</p><p><br />The Stranger / Billy Joel (1977)</p><p><br />translation by Miya_Juryou   ＜宮寿陵　訳＞</p><p>そう、僕らはみんな顔を持っている<br />それを僕らは永遠に隠すのさ<br />そして僕らはそれを取り出し自ら眺める<br />誰もいなくなると<br />あるいはサテン　あるいはスチール<br />あるいはシルク　そしてあるいはレザー<br />それは別人の顔をしているんだ<br />でも僕らは好んでそれを付けようとするんだよ</p><p>そう、僕らはみんな恋に落ちる<br />でも危険は無視するんだ<br />とても多くの秘密を分かち合うけれど<br />決して言わない事がある<br />なぜ君はそんなに驚いたんだい？<br />一度も別人を見た事がないなんてさ<br />今までに恋人に見せたことがあるの？<br />君自身の内なる別人を</p><p>怖れずに　もう一度やってみて<br />誰もが（エデンの）南へ向かう<br />誰もが時々<br />君がやった事を　他の人が出来ないなんてありえない<br />理解すべきだよ、もう<br />君自身そこにいたんだから</p><p>かつて僕は信じていた<br />僕は実に偉大な夢想家だった<br />あの時オンナの所へ帰った<br />それが彼女だと理解できなかった<br />彼女に理由を強く尋ねると<br />彼女はいかなる答えも拒絶した<br />その時に　僕は感じた　別人に<br />ちょうど眉間のあたりをキックされたと</p><p>そう、僕らはみんな恋に落ちる<br />でも危険は無視するんだ<br />とても多くの秘密を分かち合うけれど<br />決して言わない事がある<br />なぜ君はそんなに驚いたんだい？<br />一度も別人を見た事がないなんてさ<br />今までに恋人に見せたことがあるの？<br />君自身の内なる別人を</p><p>怖れずに　もう一度やってみて<br />誰もが（エデンの）南へ向かう<br />誰もが時々<br />君がやった事を　他の人が出来ないなんてありえない<br />理解すべきだよ、もう<br />君自身そこにいたんだから</p><p>君は決して理解できないかもしれない<br />どのように別人がインスパイアされるか<br />でもそいつは常に邪悪ではなく<br />そして常に間違っているわけではない<br />君は善意に溺れているけれど<br />決して炎を消せないだろう<br />君は自らの欲望に屈するだろう</p><p>&#160;</p><p>&#160;</p><font color="#0000ff"></font><a name="more"></a>]]></description>
      <author>九子</author>
          </item>
        <item>
      <title>安心立命</title>
      <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-01-15</link>
      <category>＜坐禅、仏教、お寺の話＞</category>
      <pubDate>Sun, 15 Jan 2012 23:52:30 +0900</pubDate>
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      <description><![CDATA[年賀状には温かい家庭のささやかな日常が綴られるものだとばかり思っていると、時としてとんでもない非日常が書かれていてのけぞる事がある。 <p>Ｋさんからの年賀状はその最たるものだった。 </p><p>７～８年前まで、わが家のすぐ前でピアノ教室を開いていたＫさん。<br />東京から引っ越されてすぐ、その行動力と明るさでまたたくうちに生徒さんを増やし、わが家の娘二人と<br />出来すぎ母も、いつのまにか彼女の生徒の末席に加わっていた。( ＾-＾) </p><p>出来すぎ母は小さい頃にピアノを習ったがすべて音感に頼っていたので、楽譜は特にシャープやフラットが増えて来るともう読むのがめんどうになる。<br />それでも年を取って暇が出来るとまた昔のようにピアノを弾いてみたいと思ったようだ。 </p><p>その血を受け継いだ九子も同様に譜面を見ずになんとなあく弾いていて、母に言わせると「おっぽけばっかり弾いて！」と言う事になる。（そんな九子はピアノとは早々におさらばした。(^^;;） </p><p>おっぽけというのは、でたらめとか間違いとか言う意味の、これは稲荷山弁なのかな？<br />（今気がついたけど、もしかしたら語源は「大呆け」かも・・。） </p><p>Ｋさんはピアノ初心者でも「どうしてもこの曲が弾きたい。」というリクエストがあれば、その曲がなんとか弾けるようになるまで指導してくれた。 </p><p>出来すぎ母も、「別れの曲」や「トロイメライ」を一丁前に弾く事が出来るようになった。 </p><p>まあそんな訳で、Ｋさん御一家が大家さんの都合で三年ほどでここからそう遠くない別の場所に移って行かれるまで、Ｋさんは九子の数少ない友人の一人であり、わが家３人のピアノの先生であった訳だ。 </p><p><br />九子がのけぞったのは、後から気付くと二年ぶりに届いたＫさんからの年賀状の「脳死肝移植」という一言だった。 </p><p>えっ？「脳死肝移植？信州大学病院で？」<br />Ｋさんはいつも元気いっぱいの人で、肝臓が悪いなんて一言も言っていなかったのに・・・。 </p><p><br />早速電話して聞いた話はこうだった。 </p><p>彼女は一番下のお子さんを生んだ時、Ｃ型肝炎に感染してしまっていた。<br />その後ずっと、ほとんど症状が出ないで済んでいたのだが、5年ほど前から症状が出始めて、肝硬変、肝癌へと進んでしまい、癌は肝臓全体に広がり、生体肝移植では間に合わず、肝臓全体の移植しか打つ手が無くなっていた。それが２０１０年の秋頃。 </p><p>「来年のお正月は迎えられないかもしれない。」という余命宣告を受けながら、彼女は持ち前の勝気さで泣いても仕方がないと開き直って、前向きに、ひたすら前向きに、看護師さんに「何がそんなにおかしいの？」といぶかしがられるほど笑いながら毎日を送っていたそうだ。 </p><p>「子供たちだって一番下がもう二十歳。ここまで生きてやればもう母親の責任も果たしたでしょ。」<br />彼女の強さはこういう割きり方だ。とても九子と同じ一人っ子とは思えない。 </p><p>そういう前向きな気持ちが、確かに彼女に幸運をもたらした。<br />余命ぎりぎりの2010年の12月、肝臓の型が彼女とぴったりのドナーが現れたのだ。 </p><p>そして7人の主侍医による23時間にも及ぶ手術が始まり、何度も生死の境をさまよいながらも、彼女いわく、「ベートーベンの生誕日に生まれ変われた。」のだそうだ。音楽にぞうけいの深い方は御存じだろうが、12月１6日の事だそうだ。 </p><p>幸い拒絶反応も起こらず、一ヶ月後にはもう退院して、長野から松本まで小型の酸素ボンベをひきづりながら受診を続けたそうだ。 </p><p>そんなＫさんのことは県下初の脳死肝移植ということでもちろん名前を伏せて地元紙やテレビでも取りあげられたそうで、見る人が見れば彼女だと言う事がすぐにわかる記事だったと言うが、九子は全然知らなかった！ </p><p>そして彼女はこんな不思議な話もしてくれた。<br />彼女の肝臓は北の方から空輸されて来た男性の肝臓なのだそうだ。臓器はユニセックスなんだね。( ＾-＾)<br />そして移植手術中、彼女は不思議な夢を見ていたそうだ。<br />男性がどんな風に死んだのか、そして彼のお葬式の様子、それらが手に取るように見えたのだと言う。 </p><p>そして麻酔からさめた時、彼女は彼女のものになった肝臓にこう語りかけたそうだ。<br />「よろしくね。縁あって私の身体の一部になってくれた肝臓さん、これからはずっと二人で頑張りましょうね。」 </p><p><br />「もう一年経ったから、すっかり元どおり元気になったわよ。薬（免疫抑制剤）は死ぬまで飲むけどね。<br /> お金はすっごくかかったけど、命もらったんだもの。信州大学（医学部）優秀よ。考えてみたら肝臓移植最初にやったの信大病院だったもんね。先生方みんなアメリカへ留学して研鑚積んでるの。東京の友達に、長野に居たから助かったって言われたもの。そんな普通じゃ会えもしない優秀な先生方がみんな私の主侍医になってくれて、今じゃ気楽に話せるんだもん。それだけだってすごい体験よ。」 </p><p>「私のピアノのお弟子さんさあ、みんな優秀で信州大学医学部へ3人も入ったのよ。」<br />一流のピアニストになるような人は頭脳明晰じゃないと絶対に成れないというのが彼女の持論だった。<br />言われてみると確かにそうだ。10本の指を別々に動かすという離れ業は、とてもじゃないが九子みたいなとろい人間には出来るはずがない。 </p><p>「入院してるとさあ、夜中に泣き声が聞こえてくるの。泣き声で眠れないって人も居る。睡眠薬もらう人も居る。だけどもうしょうがないじゃない。泣いてたって何も始まらない。そんなら明るく笑っていようって思った訳。」 </p><p>これらの言葉から垣間見られる勝ち気で前向きで陽気な彼女の性格が、彼女の術後の免疫力を高めるのに大いに効を奏した事は言うまでも無い。 </p><p>癌患者でも、前向きに生きる人の方が予後がいいってよく言われる。<br />だけど九子にＫさんと同じ事が出来るかと言われたら自信が無い。 </p><p>もちろん九子は必死に坐禅をするだろう。それによってだいぶ不安は小さくなるに違いない。だけど果たしてＫさんみたいに達観できるだろうか。「子供も一番下が20歳になったんだから、もういいじゃない！」<br />そんな風に思えるだろうか？ </p><p>九子は活禅寺で「安心立命」という言葉を習った。仏を信じて（坐禅をして）安心しきって、自分の使命をまっとうするという意味だ。 </p><p>若い頃はなかなかわからなかった「自分の使命」だが、この頃なんとなく見えてきた。たぶん大きく外れてはいないと思う。<br />若い頃は別の事を自分の使命と思い込んだ時期があったが、それはやっぱり間違いだった。それが自然にわかってきた。<br />自分の使命はそんなに自分とかけ離れた難しいことの中には無いようだ。<br />そういうことがわかってくると、年を取るってまんざら悪い事ではないと思えてくる。 </p><p>仏教では<a href="http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E4%B8%80%E6%9C%9F%E4%B8%80%E4%BC%9A/m0u/">一期一会</a>だの、<a href="http://www.sanabo.com/kotowaza/arc/2005/12/post_1574.html">会うは別れのはじめ</a>だの、今日と言う日が二度と来ないことを戒めることわざが多い。 </p><p>Ｋさんみたいに人生を２回も味わうような体験はそうそう出来ないと思う。普通の人はたった一度の人生だ。 </p><p>九子なんかはその人生もそろそろ先が見えてきて、とにかく死んでいく時に悔いだけは残したくないと思うようになった。 </p><p>自分の使命はわかった。ならばその使命のために何をなすべきか。<br />今年はそんな事を考えながら過ごせたらいいなあと思っている。 </p><a name="more"></a>]]></description>
      <author>九子</author>
          </item>
        <item>
      <title>年賀状2012</title>
      <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2012-01-03</link>
      <category>＜薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと＞</category>
      <pubDate>Tue, 03 Jan 2012 23:11:38 +0900</pubDate>
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      <description><![CDATA[<p>明けましておめでとうございます。ことしもよろしくお願い申しあげます。m（＿）m </p><p>新年早々更新をさせて頂くつもりが、ふだん居ない子供たちがぞろぞろ帰って来て急に「九子さんちの大家族」になるとふだんの３倍ほどの仕事量になり、精も魂も尽き果てて長時間のお昼寝が必要だったり致しましてこんなに遅れてしまいました。どうかご容赦を。 </p><p>さて、まず新年恒例の年賀状のお披露目から・・。 </p><p>************************************************************************************************************************** </p><p>迎春 </p><p>辛く悲しいことの多い一年でしたから、今年こそ明るい希望の年となりますように。<br />薬局の一番の収穫は、長年の謎であった元祖雲切目薬「一子相伝」の材料の中身がわかったことです。たまたま薬局にいらっしゃった薬科大学の先生が分析して下さいました。<br />また、雲切目薬が地元テレビで取り上げられ、今回は林家三平さんとお忍びで佐智子さんもおいで下さいました。<br />タウンページのＣＭに出てくる海老名香葉子さんが丹精込めて<br />整えられたおうちの中で、ムーミン一家のように仲睦まじく暮らしていらっしゃる様子が目に見えるようで、少なくとも「蛯老名さん家のちゃぶ台」返しは有り得ないと思います。<br />還暦を迎えたM氏は、娘二人の薬大の学費が肩にのしかかり、<br />夢に描いていたリタイアもままならず意気消沈しております。<br />息子３人もそれぞれの道を可も無く不可もなく歩んでおります。<br />今日も昨日と同じように生きていられる幸せをかみしめたいと思います。　　　　　　　　　　　　　平成２４年　元旦 </p><p><br />****************************************************************************************************************************** </p><p>「一子相伝（いっしそうでん）の石」というのは、薬局の古い薬箪笥に入れられた得体の知れない石のことです。<br />古い安物の茶封筒に「一子相伝　シンジュ」と書かれて長いこと入っていましたが、それが代々の店主にしか伝えられなかった元祖雲切目薬の秘密の原料であったこと以外、まったくの謎でした。 </p><p>その石は青みがかった灰色をしており、直径１ｃｍくらいの小ぶりな石で、砂利みたいにたくさん入っています。触ると白い粉が指につく、チョークと石の合いの子みたいなたぶんもろい石です。 </p><p>それが旧式の（Ｂ４）茶封筒の三分の二ほどあったのですが、九子が勝手に偉い学者さんと間違って、その上その人が「もっと入れろ、もっと入れろ。」と言っているのだと勝手に解釈して、その人の連絡先も訪ねずに１００グラム以上を渡してしまったため、現在は茶封筒の半分くらいになってしまっています。 </p><p>それでもすぐその後に偶然薬局においでになった帝京平成大学薬学部の鈴木重紀先生が、わずか５グラムほどをお持ちになったきりで長年の秘密を現代の精巧な分析の機器により解明して下さいました。心より御礼申しあげます。<br />m（＿）m </p><p>石の中身はほとんどが亜鉛で、ごくごくわずか水銀が入っていました。 </p><p>亜鉛というのは元祖雲切目薬の成分中に多量にふくまれています。たとえば硫酸亜鉛、たとえば酸化亜鉛、それらは雲切目薬の主要成分の一部です。 </p><p>実は「ごくごくわずかの水銀」というのがミソなのです。 </p><p>当時善光寺の近辺には郭（くるわ＝遊郭）がたくさんあって、善光寺参りのお客さんや近隣の郭の無い地域からお客さんがたくさん来ていたそうです。（たとえば松本は武士の町なので郭などは無くて、松本からのお客さんも多かったとか・・。） </p><p>当然性病が蔓延するのですが、水銀は抗菌作用があるので性病、特に梅毒に良く効いたそうです。梅毒は目にも症状が出るため、目薬の中にごくわずかの水銀を入れた雲切目薬は目の梅毒の特効薬として珍重されたのではないでしょうか？　石のほとんどを占める亜鉛のほうはもともとの原料に混じってしまい問題ありません。　だからそれが、代々店主にしか伝えられてこなかった「一子相伝」の秘伝の石という訳です。 </p><p>水銀は今ではその毒性のために医薬品に入れられることはなくなってしまいました。もしかしたら祖母は入れていたかもしれませんが、母は入れていなかったと思います。 考えてみると茶封筒の一子相伝の後に書いてあった「シンジュ」という言葉は水銀化合物を意味する<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B0%E7%A0%82">「シンシャ辰砂」</a>のことだったのかもしれません。<br /><br /><a href="http://sbc21.co.jp/">地元ＳＢＣテレビ（信越放送）</a>では雲切目薬を特に良く取り上げて下さいます。<br />今回は長野市と松本市それぞれの名店を林家三平さんが訪ね歩くという企画で、長野市では笠原十兵衛薬局も取り上げて頂きました。テレビ局の方が「長野（市）といったら雲切目薬を取り上げないわけにはいかないでしょう。」と言ってくださったのが嬉しかった！<br />何しろ１０年前は誰も知る人の居ない売れない目薬で、会計士さんからは「薬局閉めちゃったほうがいいんじゃないですか？」と言われる有様でしたから・・・。(^^;; </p><p><br />実は九子にとって三平さんはそんなに憧れる人でもないし（ごめん！三平さん！）、これがキムタクが来るとかだったら別だけど(^^;;、礼儀正しいまじめな青年が来て下さったという印象で平常心でおりましたが、最後のほうで大きなマスクで顔の大部分を隠しても唯一出ている目の美しさだけで只者でなさをすぐに感じるその人が来て下さった方がずっと心踊りました！ </p><p>そう。当時週刊誌ではもう別れたとも報じられていた国分佐智子さんです。その日は東北大震災から一週間後。まだ東京でも余震がたびたびあった頃だったので、佐智子さんが不安がって急遽おしのびで取材に付いていらしたそうなのです。 </p><p>佐智子さんとはほとんどお話しする暇もありませんでしたが、とにかく目だけで「すっ、すごい美人！」とわかるというのは並大抵ではありません。女優オーラというのでしょうね。 </p><p>それから半年ほどして、実は実は安住紳一郎さんの<a href="http://www.tbs.co.jp/kankan/top.html">「ぴったんこカンカン」</a>のスタッフの方も来店して下さったのです。好感触だったのですが、小川村のおやきの取材で手一杯になって「今回はすみません。」という電話が来ました。残念！ </p><p><br />林家三平さんの色紙を見て雲切目薬を買ってくださる方もいらっしゃるし、そんなお礼も込めてお手紙やら地元の果物やらをお送りするとそのたびにご丁寧なお心遣い頂いてびっくりします。 </p><p>地元のぶどうを差し上げた時は、ご婚礼の引き出物のおすそ分けに預かりましたし、リンゴの時は三平さん直々にお礼のお電話を頂戴しました。　賢婦人で名高い母上様から乱れ一つない達筆でお手紙を頂戴したこともあります。 </p><p>芸能界に詳しい方の口から、「林家一門は芸能界でも特別に義理堅い。」と伺ったことがありますが、こうやって直々に人と人とのつながりを大事にする姿勢を学ばせて頂けるのは光栄だったと思います。<br />来て下さったのがキムタクじゃなくて、安住さんじゃなくて、林家三平さんだったこと、感謝しています。<br />( ＾-＾) </p><p>賀状の通り、息子三人は三人三様の道を歩いております。<br />娘たちは試験に追われて大変です。 </p><p>「この次いつ全員で会えるかわからないから、みんなで写真でも撮ろうか。」<br />と言いながら、結局いつも撮れずじまいです。 </p><p>こうしてみると、子供たちと一緒に居られる間というのはわずか１８年だけです。（都会だと２２年でしょうか。）<br />最初からそれを考えて子育てが出来たら良かったけれど、後から気づいても遅いよって話です。 <br />子供たちとはいつでも話が出来るという考え方は甘いのかもしれません。<br />今からまだ間に合うお父様お母様がた、どうかお子様が手元においでのうちにじっくりお話しておいてくださいね。( ＾-＾) </p><br /><p>では皆様、今年もよろしくお願い申しあげます。 m（＿）m </p><p><strong><font color="#008080">★長野県にお住まいの方々にお知らせです。１月 ６日（金）ＳＢＣテレビ「３時はららら」で雲切目薬が放映されます。今回は芸人さんのX-GUN 西尾さんが来て下さいます。よかったらご覧下さい。</font></strong></p><a name="more"></a>]]></description>
      <author>九子</author>
          </item>
        <item>
      <title>信じるということ</title>
      <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2011-12-20</link>
      <category>＜坐禅、仏教、お寺の話＞</category>
      <pubDate>Tue, 20 Dec 2011 20:37:39 +0900</pubDate>
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      <description><![CDATA[<p>そのおじさんは、静岡県から<a href="http://w1.avis.ne.jp/~kasahara?">笠原十兵衛薬局</a>へやって来たと言った。車で４時間もかけて・・。<br />静岡県は長野県のすぐ隣なのだが、道路が整備されていないため郵便でもなんでも着くのに時間がかかる。 </p><p>ところでこのおじさんという言葉、使う人の年齢によって対象の年齢層に幅が在ることに近頃九子は気がついた。 </p><p>たとえば二十歳の女の子が使えば３０歳以上くらいの男性をさす。<br />かく言う九子が使えば、どう考えてもおじいさんと呼ばれるような人。<br />ちなみに九子の言うおじいさんは、棺桶に半分足突っ込んでるような人だ。(^^;; </p><p>とにかくそのおじさんは、もう何度も雲切目薬を買いに来て下さっているらしい。（人の顔を覚えられない九子は、 あら、まっ！と思っている。(^^;;） </p><p>おじさんは関西弁とおぼしき言葉をしゃべった。<br />「関西の方ですか？」と九子は聞いた。 </p><p>おじさんは静岡県から来たけれど、生まれは名古屋なのだと言う。<br />なるほど！静岡に移って何年経つのか知らないけれど、言われてみればおじさんの言葉は八丁味噌みたいに名古屋そのものだった。 </p><p>おじさんは年に二、三度は必ず長野に来るのだと言う。その度に雲切目薬を買って下さるのだと言う。 </p><p>「いやあ、女房がね、こっちにおるんですわ。」と言って、おじさんは善光寺の方向を指さす。<br />「ああ、近くにお住まいなんですね。」と九子。 </p><p>「いんや。こんなに小さい壷ん中はいっちょっとです。」 </p><p>善光寺の裏山、長野市内を見渡すところには納骨堂があり、春は桜が、秋は紅葉が死者たちの霊を慰める。 </p><p>誰に話すともなく、おじさんは続ける。 </p><p>「いやあ、わしゃあ大ばかもんなんですわ。あんないい女房を殺しちまって。わしが殺したんですわ、ひもで首しめて・・。」 </p><p>「えっ？まさか・・。」 </p><p>「いや、近所の人はみんな言っちょる。おまえは日本一の大ばか者じゃて。あんないい奥さんに苦労かけて、結局殺しちまったって・・・。」 </p><p>おじさんは、自分が奥さんに苦労をかけて悲しませて、真綿で首をしめるように奥さんを苦しめて殺してしまったと言いたかったのだと思う。奥さんが亡くなったのは５年前だそうだ。 </p><p>どういうご縁でか知らないがおじさんは善光寺の納骨堂に奥さんの骨を納めて、きっと命日と春秋のお彼岸にはきちんきちんと車を飛ばして４時間かけて長野にやって来るのだ。 </p><p>なんだか九子は胸が熱くなった。<br />「おじさん、おじさんの思いはきっと奥さんに伝わってますとも。そうやってまじめにご供養されてるんだもの。」<br />口に出しては言えなかったが、おじさんにそう伝えてあげたかった。 </p><p>すっかり気分が良くなった九子は雲切目薬８個ごとにプレゼントするおまけの百草丸を７個目でおじさんにあげた。（ケチッ！！(^^;;） </p><p>おじさんがそれでも嬉しそうな顔で帰って行ってしばらくしてから、九子はハッとした。 </p><p>おじさんの話をすっかり他人事みたいに聞いていた九子だったが、九子だって何回生まれ変わっても恩返し出来ないほど世話になった出来すぎ母にひどいことをした。おじさんは奥さんをきちんと供養しているけれど、九子なんかお墓や善光寺のすぐそばに住んでいながら御無沙汰ばかりしている。おじさんの方が九子よりよっぽどましかもしれない。 </p><p>出来すぎ母が亡くなった時、九子はどうしようもなく落ち込んでいた。<br />母が亡くなって悲しいのはもちろんだけれど、<a href="http://www.mypress.jp/v2_writers/kasaharajubei/story/?story_id=1568826">親孝行どころか</a>、<a href="http://www.mypress.jp/v2_writers/kasaharajubei/story/?story_id=1572695">母の死を早めるようなことをした</a>自分がどう考えても赦せなかった。 </p><p>辛くて辛くて仕方が無くて、何をしたかというと<a href="http://www2u.biglobe.ne.jp/~katsuzen/">活禅寺</a>で母の法要をしてもらった。活禅寺はお葬式をしないお寺なのだけれど、その代わりに菩提寺がどこであっても頼みさえすれば活禅寺独特の法要をしてくれる。 </p><p>菩提寺での七七忌の法要の日の朝、活禅寺で朝６時から１時間の法要を頼んだ。<br />その法要で、九子の心はとても楽になった。 </p><p>なぜ楽になったのか？それは母がその時、あの世と言われるところで幸せに暮らしていると確信できたからだ。微笑んでいる母の姿が見えたからだ。<br />残念ながら菩提寺の和尚さんのお経を聞いても、九子に母の姿は見えてこなかった。 </p><p>それを錯覚と言われようが、迷信といわれようが、大事なのはもう二度と会えない大切な人が今どうしているのか、目に耳に心に訴えてくるものがあると言うこと。 </p><p>正しかろうが間違いだろうが、確信を持ってそうだと語れるのであれば、それがその人にとっての真実なのだと思う。<br />だって結局誰もあの世のことなどわからないのだから・・。 </p><p><br />九子のウツがひどかった頃の話だ。<br />ご存知の通り、うつ病には波がある。日替わりで気分が変わる。今日が楽でも明日はひどく落ち込むかもしれないし、誰も予測が立てられない。<br />一日のうちでも午前中が悪くて、午後４時頃になると楽になるとかいうリズムもある。 </p><p>そんな中、友人に薦められた一冊の本が九子の気持ちを確実に明るくしてくれた。涙が出るほど嬉しかった！<br />これで明日には確実に元気になれると思った。（実際はいったん発症したうつ病はそんなことで治るほど甘いものではないのだが・・。）<br />それが飯田史彦著「生きがいの創造」だった。 </p><p><!-- amazon --></p><div class="sonet-asin-area"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569552080/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank"><img class="sonet-asin-image" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51GN8FXGHEL._SL160_.jpg" alt="生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える" title="生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える" width="150" height="200" /></a> <div class="sonet-asin-info"><p class="sonet-asin-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569552080/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank">生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える</a></p><ul><li class="sonet-asin-label">作者: 飯田 史彦</li><li class="sonet-asin-label">出版社/メーカー: PHP研究所</li><li class="sonet-asin-label">発売日: 1996/06</li><li class="sonet-asin-label">メディア: ハードカバー</li></ul></div></div><div class="sonet-asin-break"></div><p><!--/ amazon --></p><p><!-- amazon --></p><div class="sonet-asin-area"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569552080/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank"></a><div class="sonet-asin-break"></div><!--/ amazon --><br />それは過去世の記憶を持った子供たちの話から始まった。<br />そういう子供は結構たくさんいるらしくて、ただ３歳頃を境に過去の記憶は急速に失われていってしまうそうだ。 </div><p>キリスト教には輪廻転生という考え方が無いので、「生まれ変わり」という考え方は<a href="http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/09/post.html">キューブラー・ロス博士</a> あたりが提唱しなければ出てこなかったはずだ。つまりそういう子供たちが居る事が「生まれ変わり」の何よりの証拠ということだ。 </p><p>飯田氏によると、人間はもともと「あの世」にあるべき存在で、この世の姿は仮の姿であるそうだ。 </p><p>今の世の中であなたの周りに居る配偶者や子供や両親や兄弟姉妹や友人や、先輩や同僚や大嫌いなヤツや、そういう人々はみんな必ず次の世の中でも自分の近くに生まれ変わって、お互いに影響を受けながら与えながら生き続けるのだという。 </p><p>彼らは&#39;soul mate&#39;つまりは「魂の友人たち」と言われて、何度生まれ変わってもお互いに離れることはない。 </p><p>そもそも私たちはこの世に宿題を解くために生まれてきたのだそうだ。<br />それぞれが前世で解き残したさまざまな宿題を抱えて、生まれる場所や親を自分で選んで生まれて来ると飯田氏は言う。 </p><p>だから亡くなったと思っているあなたの大切な人は、今現在本来の居場所である「あの世」であなたを静かに待っている。そしてsoul mateたちが次々と自分の宿題を終わらせてまた「あの世」に帰ってくるのをじっと見守っている。 </p><p>幼くして亡くなる人々も、それは自分の宿題をきちんと終えて亡くなって行くのだという。ちょっとこのあたりは信じるのに辛いものがありそうだが・・。 </p><p>全員が揃ったところでこの次はいつ、どんな場所で生まれて、それぞれがどんな役割を演じようかと皆が相談するのだという。だからあなたの妻は前世ではあなたの父親だったかもしれないし、大嫌いなあの人も、実はそういう役割の、あなたの大切なsoul mateなのかもしれないのだ。 </p><p>こういう風に考えられれば、少なくとも大切な人を亡くして悲しんでいる人はずいぶん気持ちが楽になると思う。 </p><p>当時九子はうつ病の最中だったけれど、読んで涙が止まらなかった。久しぶりの嬉しい涙だった。<br />自分がうつ病という病気であると言う自覚はまだ無くて、医者に行ったり薬を飲む事も思いもつかず、頻繁に来る落ち込みの中で辛い毎日を送っていた。 </p><p>だけど変だなあ。考えてみれば当時九子の両親はまだ二人とも年より若いと言われてピンピンしていた頃で、飯田先生の「生まれ変わり」の思想のどこが、憂鬱な九子の心を楽にしてくれたのだろうか？ </p><p>たぶんそれは著書全体に流れる明るさというか、とにかく死のような忌まわしいものや嫌いな人とかいう否定的な事の中にもちゃんと意味があって、それは次の世に肯定的につながっていくという極めて楽観的な考え方が、八方ふさがりの心に灯をともしてくれたのかもしれない。 </p><p>とにかく飯田史彦氏で特筆すべきことは、彼は宗教家でも宗教学者でもなくて、大学研究室に勤める科学者であり、宗教活動は一切していないということだ。 </p><p><br />ところが以前大川隆法の「幸福の科学」本を頂いて、読んだ途端にびっくりしたことがあった。そこに書いてあったことが、飯田史彦先生の言ってたことと良く似ていたからだ。<br />「幸福の科学」本は一時古本屋に結構高く引きとってもらえたので、もらったそばから売ってしまって(^^;;なんというタイトルの本だったのか明言できないのが残念なのだが・・・。 </p><p><br />要するに大切なのは「信」なのだ！！ </p><p>「生きがいの創造」は著者が何度も書き直して現在は最新版が出ているそうだが、多くの賞賛のコメントとともに、少数だが否定的なコメントも散見される。 </p><p>大雑把に言うと、肯定的コメントはこの本を信じた人からのものであり、否定的なコメントはこの本を信じられなかった人からのものだ。もちろんこの本を信じられるか信じられないかは、その人の環境や生い立ちやその他もろもろの影響が加わる。 </p><p>考えてみると日常生活の中で「信」が問われる事は毎日のようにある。いや、毎日何度となくある。 </p><p>上司を、先輩を、先生を、友人を、交渉先を、親を、兄弟を、子供を、そして一番大切な「自信」に通ずる自分をどこまで信じられるかという問題。 </p><p>何かを選択する際には、必ず何かを信じて選択していると思う。つまり判断する時には、必ず「信」がついてまわる。 </p><p>活禅寺の無形大師は「信は万法の母」という言葉で信じる事の大切さを説かれた。<br />「信じるものは救われる」とか「イワシの頭も信心」とか言われるけれど、とにかく信じなければ宗教は成り立たない。 </p><p>九子なんかはいつもいつも仏様に守られているという自覚があって、そのくせこの頃あんまりお寺に行かないのを申し訳なく思っているのだけれど、それでも子供の帰りが遅かったり、Ｍ氏からなかなか電話がなかったりするとその度に不安になったものだった。 </p><p>考えてみると不安だったり、びくびくしたり、おどおどしたり、そういう時は必ず「信」がぐらついている。<br />九子の場合どんな時でも仏様を「信じきる」ことが出来れば、心配事がおきるはずが無い。 </p><p>何の宗教にも属していないあなたでも、あなたに心配かけてるその人への「信」が怪しくなるから心配になるのではないだろうか？　その人を「信じきる」ことが出来ないから「あの人なら絶対大丈夫！」ではなくて、「何かあったらどうしよう？」と考えるのじゃないかな？ </p><p>あのおじさんだって善光寺の納骨堂へ行けば奥さんの供養になるし、奥さんに会えると信じてるから４時間の道をわざわざみえるんだと思う。 </p><p>「信」というのはきわめて個人的なものだ。正しい信も、正しくない信も無いのだと思う。<br />自分が信じるか、信じないかというその一点にかかっている。比較も評価も値しない。 </p><p>日本が自信を失っていると言われて久しいけれど、日本人の一人一人がもう少し自信を持てるようになるときっとこの国も変わっていくと思う。 </p><p>自信とは、自分自身を信じること！どんな状況でも自分を最後まで信じきれること！他人がなんと言おうとも、自分が自分をすごい！自分なら出来る！と思うこと。 </p><p>難しいなあと思う人は、是非坐禅を始めてみてくださいね。 </p><p>坐禅をすると、自分が本来生まれもっている力の大きさを確認することが出来ます。仏様と同じだけの力を持った自分を感じることが出来るのです！ </p><p>大いなる力に庇護してもらうだけならどんな宗教でも同じことだと思うけれど、坐禅だけがあなたが気づかないでいるあなたの中の偉大な力に気づかせてくれます。 </p><p>なあんも出来ない九子でも、少しは自信がつきましたよ！( ＾-＾) </p><a name="more"></a>]]></description>
      <author>九子</author>
          </item>
        <item>
      <title>「神の手」の反論</title>
      <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2011-12-06</link>
      <category>＜九子の万華鏡＞</category>
      <pubDate>Tue, 06 Dec 2011 13:48:22 +0900</pubDate>
      <guid isPermaLink="false">http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2011-12-06</guid>  
      <description><![CDATA[<p>今回の日記はほとんどが医療従事者専門サイトm3.com編集部「失敗の研究」と題された連載記事の第一弾、福島孝徳氏独占取材記事からの抜粋であることをご報告しておきます。 </p><p><br />「神の手」を持つ、あの福島孝徳先生が訴えられたというニュースに驚いたのは今年の春ごろだっただろうか。 </p><p>ネットにも </p><p>「脳神経外科医、福島医師が、左右の脳を間違えて正常な脳の細胞を摘出されることが遺族からすれば考えられないことだと思います。」 </p><p><br />「正常な脳細胞と腫瘍のある脳細胞は長年腫瘍手術を経験しているので、なにかおかしいと思うが、そのまま左右の脳を間違えたまま正常な脳組織を摘出する事が考えられません。<br />正常な脳組織を摘出されて女性が全身マヒで寝たっきり状態で最後は死亡、あわれです。」 </p><p>などという批判が連日踊ったようだ。 </p><p>当時なぜかあんまり新聞記事やネット記事を穴の開くほど見ようとしなかった九子であるが、最近見つけた福島先生の反論とも言える独占取材の記事には興味をそそられた。 </p><p>まずは事故の背景だけれど、患者は３０代の女性。病名は神経膠腫という癌の一種。 </p><p>神経膠腫はグレード1から4までの4段階に分類でき、グレード1、2であれば、5年生存率は90％近くなのに対して、グレード4の悪性となれば余命は1年足らずなのだそうだ。 </p><p>福島氏は原則として、予後改善が認められないとの理由で悪性腫瘍の摘出手術には応じていないという。<br />良性腫瘍が脳を圧迫していて、抑圧された機能が手術で取り除かれる事により元通りになるような事例を積極的に扱っているのだという。 </p><p>その上さらなる問題は、女性の神経膠腫が視床で発生した点だった。視床は卵が左右に並んだ形でくっついており、幅20mm程度の脳深部組織。体性感覚、視覚、聴覚、痛覚などの感覚情報を大脳皮質に送る中継の役割を果たしていて生命活動への影響が大きく、摘出することは不可能だ。 </p><p><br />だから女性から最初の手術要請の手紙が来た時に福島氏は手術を断っている。<br />ところがその後も再三女性の手紙は届いた。その上彼女の担当の脳外科医からも手術の以来を受けた。 </p><p>福島氏はついに手術の依頼を受けることにする。 </p><p>何より彼女の腫瘍はグレード1であるとの報告を受けたからだ。<br />MRI画像上、腫瘍のサイズは3cmと大きくなっていたものの、生検組織から「毛様細胞性グレード1」と診断されていて、視床そのものは切除できなくとも、視床から突出した腫瘍細胞を部分切除できれば他の組織への拡大を阻止できる可能性があると福島氏は踏んだ。 </p><p>ところがここに最大の問題があった。 </p><p>実は同じ生検の組織で、手術前に病理診断は2回なされていた。 </p><p>1回目はグレード1の毛様細胞性、2回目の診断はグレード2あるいは3以上の悪性となっていたのに、福島氏には1回目の診断しか伝えられていなかったのだ。 </p><p>つまり紹介元の病院では、悪性腫瘍のグレードは氏が術前に知らされていたよりも高いと、術前の段階で分かっていた。神経膠腫はグレード1を超えていた。福島氏は手術後になって初めて知らされた。 </p><p>グレードが高ければ、福島氏は手術を引き受けなかったはずだ。手術をしても死亡を避けられないからだ。 </p><p><br />もう一つ、今回の事故では特筆すべき問題がある。 </p><p>福島氏はふだんの手術では、専用の顕微鏡をのぞき、わずか幅1cmほどの進入孔から頭蓋内の病巣を探る。<br />手術助手とやり取りしながら、福島氏が考案した大小様々、約300種類の手術器具を頻回に取り替えていく。<br />コンピュータを使ったナビゲーションシステムの画面で、今どこを切除、剥離しているかが分かる。術野の拡大像も手術室の幾つものモニターに映し出されている。 </p><p>ナビゲーションシステムは福島氏の脳外科手術に欠かせない。手術ミスを回避する観点からも重要な「精密機器」である。 </p><p>しかし今回は、この手術の生命線ともいうべきこれらの機器がなかった──。 </p><p>つまり手術自体がまったく初めての病院でまったく初めてのチームとの共同作業だった。<br />ナビゲーションシステムは高価で３０００万円もするものなので、それを整備して欲しいとは言ったものの無いと言われれば仕方なかった。その上重要なエコーも揃えられていなかった。 </p><p>用意すると約束されていたものが用意されていなかったとしても、すでに頭蓋骨を切り取られて脳を露出されて横たわっている患者をそのままにして手術を中止する訳にはいかなかった。 </p><p>この開頭手術にしても病院の医師たちがこの病院のやり方でやっており、福島氏が要請していたやり方とは異質なものだった。<br />このポジショニングの違い、つまりは患者の頭の固定のされ方の違いが、百戦錬磨の福島の判断力を狂わせる一因になってしまう。 </p><p>手術ミスの根幹と思われるところを福島氏自身の言葉で記す。 </p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94%; padding-right: 10px; margin-left: 3px; margin-right: 3px">視床は幅が2cm、前後に2.5cmほどの中に卵が左右に並ぶ構造になっています。うち右側に神経膠腫がありました。本来であれば、左の視床は正常ですから、正常組織と判断できた可能性はあります。<br /><br />しかし、極めて判別しづらい状況がありました。 <p>左の視床は以前に生検で組織を採取されていたのです。そのため左の視床は黄色に変色し、凝血塊が付着していました。 </p><p><br />視床は右も左もよく似ています。神経膠腫はグレード1と進行度が低かったですから、神経膠腫とはいえ、見た目では正常組織と似ています。私は凝血塊と黄変から間違いなく右視床からの飛び出した組織と判断しました。凝血塊は突出した腫瘍に見えたのです。 </p><p>私は小指頭大、わずか1cmから1.5cmの組織を切除し、終了しました。 </p><p><br />今回の病院には術中の迅速病理診断をできる体制もありませんでした。病理組織で確認することもできませんでした。 </p><p><br />術後に頭部の回旋がわずかに違っていたと分かりました。術後、患者には回復可能であるものの右半身麻痺が生じていました。それにより、切除部の判別に不備があったと判明したのです。 </p><p><br />私は患者側に手術の直後に切除部の特定に不備があったと説明し、謝罪しました。軸のずれがあり腫瘍に到達できなかったと話しました。病院内部の問題であった「ポジショニングの誤り」「ナビゲーションシステムを使えなかった」といった言い訳はしませんでした。 </p><p><br />今回の切除部の特定不備により、手術で組む主治医との国際的連携をより充実させるべきとの教訓を得ました </p></div><br /><br /><br /><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94%; padding-right: 10px; margin-left: 3px; margin-right: 3px">私は2006年10月の手術の後、何回にもわたって患者家族に切除部の特定不備を謝罪しました。2007年2月の腫瘍内出血により患者が意識障害、四肢麻痺に陥った際、家族に急性悪化の原因は悪性腫瘍の腫瘍内出血であると十分に説明しました。 <p>　<br />一方の患者側は、神経膠腫であっても右視床の病変を全摘していれば、予後延長したと主張しました。腫瘍の悪化や死亡は防げたのではないかと言います。 </p><p><br />　私は繰り返し、「視床本体の腫瘍は切除不可能の部分である」「グレード3、4の悪性膠腫の場合、手術で一部視床から飛び出した部分を切除したとしても生命予後は変わらない」と説明しました。ですが、ご理解は得られなかったようです。 </p></div><br /><p>福島氏の反論が事実であれば、福島氏自身よりも先に、福島氏が乞われて執刀した病院の責任がより重いと思う。<br />患者の病態を偽って福島氏に手術をさせ、また福島氏との約束を反故にして用意すべき機器を備えずに、神の手に間違いを犯させたのだから・・。 </p><p>また１億円を越すと言う法外な請求額も、３０代の女性患者が６５歳まで生きると仮定してなされたものだと言う。神経膠腫の予後が果たしてそこまであるものなのか。 </p><p><br />突然何を言い出すかと叱られそうだけれど、九子の愛すべきＭ氏は( ＾-＾)、愛すべき典型的な日本人である。<br />そしてまじめで良心的なワーキングプアーな歯医者である。 </p><p>腰が低いと評判の彼であっても、患者さんとのトラブルが皆無であったわけではない。 </p><p>彼は思いのほか頑固であるので、トラブルが起きる時には必ず、必要な何かがなされていないのだと、いつになくきっぱりと言い張る。 </p><p>何かとはなんぞや？それは患者さんの心のケアーだそうだ。 </p><p>何かあった直後に、こちらが悪かろうと悪くなかろうと、誠意を尽くして患者さんの心を思いやってあげれば、少なくとも訴えられたりまですることは決してないと言う。 </p><p>まあ、それはわかるよ。でもそれを世界の福島先生の問題といっしょに語っちゃっていいのかしらねえ。(^^;; </p><p><br />この記事は実は連載三回分なのだけれど、福島氏の言葉の最後の部分を以下に記す。 </p><br /><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94%; padding-right: 10px; margin-left: 3px; margin-right: 3px">今回の訴訟が起きて、私の単純な医療ミスで患者が死亡したと、新聞や雑誌などのメディアが一方的に報じました。患者側と医師側の双方を平等に取材して報じてほしいと思います。患者側だけの不公平な取材で当事者の私には何ら取材もありませんでした。報道された損害賠償額も正しくありませんでした。摘出していれば、余命延長したとしていた点も誤りでした。公平性と公共性に欠ける誤報道は問題でしょう。 <p>　<br />私は臨床の実力を問わない日本の医療界に満足できず1991年に渡米しました。これまでに2万2000件を超える脳神経外科手術を重ねてきました。独自の手術器具を駆使し、世界で最初の顕微鏡下鍵穴手術による脳神経外科治療を手掛けてきました。これまでも、これからも日本の臨床医のレベルの底上げに尽力したいと考えています。 </p><p>　<br />脳神経外科はチーム医療を行いつつも、指導医と術者の手技の影響を受けやすいものです。個人の技術向上がほかの外科領域よりも大切になります。ですから「チーム福島」の弟子らをあと5年ほどで一人前にしたいと本気で考えています。スポーツに例えると脳神経外科はゴルフ。個人の技量を高めるのは欠かせません。胸部外科、移植外科などのほかの外科は、よりバスケットボールのようなチーム色が濃いと思います。 </p><p>　<br />理由のない批判や不当提訴があると、難手術を引き受ける医師はいなくなります。不当な理由で訴訟が起こされる事態があるとすれば問題です。過大な請求が横行すれば、外科医は萎縮するでしょう。 </p><p><br />　私の実年齢は68歳ですが、生理的な年齢は48歳と思っています。手術の技術と実年齢はかかわりありません。 </p><p>　今でも体力、気力は充実しており、現在も世界で手術を連日引き受けています。世界の医療格差を乗り越えて頑張ってきました。 </p><p><br />　今回の経験により、条件がそろわなければ手術を実施しないと決めました。正しいポジショニング、正しいオープニング。さらにナビゲーションシステム利用の大切さを改めて痛感しています。今回私が得た教訓です。 </p></div><br /><p>最後の一文が示す通り、この事件により福島氏はこれからの手術の方針を変更せざるを得なくなった。<br />いわば無条件に手術に応じていたものに条件をつけることになった訳だ。<br />こういうことが、つまりは福島氏の神の手を包帯で締め付けるようなことが一番慎むべきことだと思う。 </p><br /><p><a href="http://takafukushima.com/">福島孝徳公式ホームページ</a>には&quot;Ｔｈｅ　ｌａｓｔ　ｈｏｐｅ&quot;の文字がある。<br />まさにたくさんの医療機関を渡り歩いてもうこれ以上打つ手は無いと言われた患者たちにとって、福島先生は藁をも掴む気持ちでたどり着いた最後の望みなのだ。 </p><p>福島先生がこれからも多くの患者たちの希望の光であり続けるように祈る。 </p><br /><p>より詳しくは<a href="http://www.m3.com/sanpiRyouron/article/143620/">以下の記事</a>をお読み下さい。 </p><p>会員登録できない方は、下記のサイトに全文の抜粋がありますのでご覧下さい。</p><a href="http://blog.goo.ne.jp/officek2010/e/d1d5412cc02e8b505564e85cca82b36d">no.1</a> <a href="http://blog.goo.ne.jp/officek2010/e/bd6f946e8650129529855e77559fae8e">no.2</a> <a href="http://blog.goo.ne.jp/officek2010/e/921d2a051fc8103540b9bae0c8f2b7d8">no.3</a><a name="more"></a>]]></description>
      <author>九子</author>
          </item>
        <item>
      <title>困ってるひと・・・大野更紗</title>
      <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2011-11-24</link>
      <category>＜九子の読書ドラマ映画音楽日記＞</category>
      <pubDate>Thu, 24 Nov 2011 17:26:35 +0900</pubDate>
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      <description><![CDATA[<p>困ってる？ お金に？仕事に？恋愛に？はたまたストーカーに？<br />とんでもない！彼女が困ってるのは、死ぬか生きるかの問題！彼女は難病女子である。</p><p><!-- amazon --></p><div class="sonet-asin-area"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4591124762/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank"><img class="sonet-asin-image" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41tew3bbJXL._SL160_.jpg" alt="困ってるひと" title="困ってるひと" width="85" height="140" /></a> <div class="sonet-asin-info"><p class="sonet-asin-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4591124762/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank">困ってるひと</a></p><ul><li class="sonet-asin-label">作者: 大野 更紗</li><li class="sonet-asin-label">出版社/メーカー: ポプラ社</li><li class="sonet-asin-label">発売日: 2011/06/16</li><li class="sonet-asin-label">メディア: 単行本（ソフトカバー）</li></ul></div></div><div class="sonet-asin-break"></div><p><!--/ amazon --></p><p><br />大野更紗女子（あえて女史ではなく女子と呼ぶ。）は、彼女がムーミン谷と呼ぶ福島県の原発から遠くない電車もバスも通らない山の中で生まれ、たぶん一人っ子で（違ってたらごめんなさい。）、共稼ぎの両親の下、じっち、ばっぱやひいおばあちゃん、近所の「子育ておばさん」に預けられ、物心ついてからは野山に放り出され、野草や筍、栗などを食し、裏の秘密基地（おお！なんと麗しい響き！）を駆けずり回り、川で泳いだ少女時代！ </p><p>子育て時代の九子だったら、なんて理想的な育ち方！と目をうるうるさせて羨ましがるようなたくましい戦前の日本人の育ち方をした少女だ。いや、はっきり言ってしまえば、九子の出来すぎ母が育った状況と酷似していた。<br />出来すぎ母の場合は、男の子と一緒になって信州稲荷山の野山を走りまわっていたのであるが・・・。 </p><p>九子はもうこれを聞いただけで、その後の彼女の決して枯れる事の無いエネルギーを予感し得た。<br />出来すぎ母が少なくとも亡くなる一年前、自由に自分の足で歩けていた頃までは、尽きせぬエネルギーをみなぎらせていたのを知っていたからだ。 </p><p>大野女子は成績優秀で、村からただ一人、県下指折りの進学高に進む。そこで規律に反発し、制服を改良し、白ソックスを黒タイツに履き替え、金髪、フルメイクに至るまで、若さゆえのちっぽけな反抗を企てる。 </p><p>一浪後、ワセダもケイオウも蹴っとばして上智大学外国語学部フランス語学科に入学。クラスのほとんどが帰国子女か高校で第二外国語としてフランス語を取っていたかのどちらかで、フランス語の基礎をある程度身に付けていた生徒ばかりだったから、まるっきり最初からの彼女はかなり苦労したらしい。留年組も多かったそうだ。 </p><p>いつの頃からか彼女は、「とりすまして似合わないわらじの足に無理やりハイヒールをはかせるような」フランス語の授業に違和感を覚え始める。 </p><p>同時に、おっかけをしていた教授の著書からアジア難民の人権に目が向くようになり、ビルマ難民の人々と知り合い、普通に暮らしていながら投獄され、拷問を受け、難民として日本で暮らさざるを得ない悲惨な状況の彼らを招いて講演会を開く事に奔走する。 </p><p>いつのまにか彼女の生活は集会、ＮＧＯ活動、難民認定裁判の傍聴、国会議員のへのロビイングでなどなどで埋め尽くされ、実際にタイ、ビルマに出向く日々も増えて、多忙を極める。<br />彼女の生活は「限界」に達しつつあった。 </p><p>大学院に進んだ夏、ついに病魔が牙を剥く。 </p><p>最初は両腕に出来た内出血のようなしこりと赤い発疹。そのうち痛みがどんどん増して、布団から起き上がれなくなる。全身の力が入らず、身体中が真っ赤なゴム風船みたいにパンパンに腫れる。触るだけで痛い。<br />関節ががっちがちに固まってぜんぜん曲がらない。これだけでも大変なのに、38度の発熱がどんな市販薬を飲んでも下がらない。 </p><p>こんな状況下だったら、九子は毎日寝てる事しか出来ない。自分の不運を呪い、仏様に恨みつらみのありったけを言って(^^;;、わんわん泣きわめく。そんな事しか思いつかない。 </p><p>ところが大野女子は違った。<br />たらい回しにされるばかりで診断一つ杳（よう）としてつかない日本の病院に愛想を尽かし、愛すべきタイにもう一度渡る。（タイービルマ国境に難民キャンプがあり、タイ経由で行くのが一番楽であるらしい。）熱は38度近く、手が腫れて、スーツケースを自分で持てなかったにもかかわらず・・。 </p><p>結局体調の悪化は彼女の夢を余儀なく中断させ、彼女は日本に帰らざるをえなかった。<br />だがその時の彼女と言えば、抗癌剤を飲んでる訳でもないのにごっそり抜ける髪の毛、口の中は潰瘍だらけで辛いものは一切受け付けず、指もどこもかしこも潰瘍で、何も持てない。 </p><p>手足の関節を少しでも曲げようとすると激痛に襲われるが、他人にはいっさい痛みを訴えずに我慢する。そして動くと出る39度の熱をタイの病院でもらった強い洋薬で紛らわす。まさに満身創痍だった。 </p><p>飛行機に載るのもままならずに車いすのお世話になり、空港からはお年寄り用の杖にすがって病院まで直行！ところが前にも診てくれた医者は、「安静にしていれば、よくなります。」の一言！<br />ああ、難病ってこういうものか！ </p><p>結局、麻酔も無しに筋肉を2時間も切り刻まれるなど、非人間的な拷問のような検査を経て、一年もかかってわかった彼女の病名はふたつ。＜皮膚筋炎＞と＜筋膜炎脂肪織炎症候群＞＝ＦＡＳＣＩＩＴＩＳ－ＰＡＮＮＩＣＵＬＩＴＩＳ ＳＹＮＤＲＯＭＥの併発なのだそう。両方とも自己免疫疾患と呼ばれる、自分の身体を敵とみなして自分の免疫が攻撃するというタイプの難病だ。 </p><p>「お尻事件」などという信じられない悲惨な出来事もあった。 </p><p>なんだかんだで話題になるステロイド。これは強力に免疫を抑制する薬だから、毎日ものすごい量（ふつうはプレドニン５ＭＧくらいのところをを、６０ＭＧくらい飲む。）を一生飲み続ける。当然副作用もきついが、背に腹はかえられない。 </p><p>大野女子はステロイドを飲まねばならなくなった時、決意した事があるのだそうだ。自分の中の恋愛感情を司る部分を永遠に封印すると・・・。誰かを好きになっても自分が傷つくだけだから・・・。 </p><p>でも彼女は一番信じていた医師の裏切り・・と彼女は言うが、要するに不用意な発言で傷つけられるという彼女にとっては耐え難い苦難の時、もう生きる気力をすべて無くして死を選ぼうとしたまさにその時、「あの人」の存在によって死の縁から救われる。 </p><p>「あの人」とは、同じ難病病棟にいる背の高いおにいさんだ。<br />彼のおかげで生きる希望を無くしていた女子は、一夜にして180度の大変化で俄然生きたくなる。 </p><p>こういう展開、いいなあ。( ＾-＾) </p><p>でも二人の前途は多難だ。いつ何時、どちらかが突然死んでしまう危険といつも隣り合わせだ。 </p><p>彼女は9ヶ月の病院生活の後、病院を出て一人住まいを決意する。そこに至るにはさまざまな行政の壁が横たわっていた。いわゆる書類に継ぐ書類の山と、移転先毎に異なる書類を書かねばならない行政の非効率。 </p><p>でもすべての壁をどうやらこうやらうち破り、難関の引っ越しも友人家族や「あの人」の協力でなんとか乗り越え、彼女は病院に来た時と同じくたった一人で、病院のドアを外の世界に向かって歩き出す。 </p><p>2年前、健康だった彼女の靴音はコツコツ、ガンガン、ガツガツというものだったが、当時は他人の痛みなどまったく理解できなかったと彼女は言う。 </p><p>だが今は、杖のコツッという音のあとに続くズルッという自分の身体をひきずる音。歩く時はその繰り返し。<br />病状から言って、彼女の靴音が元どおりに戻る可能性は極めて低そうだ。<br />だけど彼女は言う。 </p><p>「今は少しだけわかるよ。ひとが生きる事の、軽さも、重さも、弱さも、おかしさも。」 </p><p>ここからが、すべてのはじまり。 </p><p>さあ、生きよう。語ろう。 </p><br /><p>ああ、九子の拙い要約じゃあ残念ながら伝わらなかったと思うけど、大野更紗さんの勇気、少しはわかって頂けたでしょうか？わかって下さった奇特な方も、わからなかったとおっしゃるアタリマエな方も、どうか「困ってるひと」をぜひ一度実際にじっくりとお読み下さい。 </p><p><br />アマゾンの<a href="http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4591124762/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&amp;showViewpoints=1">書評</a>を読むと、文体が軽すぎて合わないとか批判めいた意見も確かにある。 </p><p>批判してる人が全てそうであるという訳では決してないが、精神的に弱く生まれついた九子のような人間からすれば、どんなに身体がデコボコに傷ついていようが、太陽みたいに明るく自分の病気を笑い飛ばしてしまえる大野女子の精神の強さは、憧れを通り越して怖さすら覚える。 </p><p>身体の至るところが痛んで熱が下がらないんだよ。その上肩に２トントラックのっけたような倦怠感だそうだ。 </p><p>九子なんぞ、りんごの皮ひとつ剥くのにナイフで指の皮まで切り（何年主婦やってんの？(^^;;）、痛い痛いと大騒ぎをして二日くらいは動かし惜しみをする。<br />37度の熱が出れば喜んで布団にもぐり込み、ウツでだるいと言っては一日中寝ている。 </p><p>この人間としての落差は何よ！(^^;; </p><p>自分には決して到達できないであろう精神の高みに立ってしまった人への羨望とか嫉妬とかのネガティヴな感情があることはよくわかる。九子もかつて、自分の嫌らしさにヘドが出た。過去形で人事みたいに書いたけど、坐禅を知って少しはましになったとは言え、自分だけがおいてけぼりをくらったような苦い敗北感があるんだよね。 </p><p>ましてや彼女は若くて美形でインテリだ。さぞや大学時代はもてただろうと思う。勝ち組だった人へのやっかみも若干混入する。 </p><p>ただ、最後まで読めば彼女が病院を出て一人住まいを始めた６月のあの日のような太陽の暖かみをほのぼのと感じる事が出来ると思うんだ。 </p><p><br />身体のどこにも、痛みも腫れもだるさも辛さも無くて、フツーに生きていられるってことがなんてありがたい事なのかを・・。<br />そして、自分も彼女に負けないように頑張らなくっちゃって。 </p><p>あっ、ウツ病持ってる人は頑張らなくていいですよ。( ＾-＾) </p><a name="more"></a>]]></description>
      <author>九子</author>
          </item>
        <item>
      <title>岩崎宏美　　虹・・singer</title>
      <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2011-11-13</link>
      <category>＜九子の読書ドラマ映画音楽日記＞</category>
      <pubDate>Sun, 13 Nov 2011 23:48:38 +0900</pubDate>
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      <description><![CDATA[<p>いつもおかしいなあと思ってる事がある。</p><p>九子が若かりし頃に活躍してた歌手と呼ばれる人々。一例をあげれば郷ひろみ、松田聖子、岩崎宏美、布施明、沢田研二、中森明菜、近藤真彦、などなど。</p><p><a href="http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2010-08-26">平井堅</a>や<a href="http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2010-06-26">ポルノグラフィティ</a>のライブに行く時は何ら恥じる事無く周囲に吹聴出来るけれど、なぜか昭和の匂いの色濃い彼らのコンサート（ライブではなく）に行くと言う事を誰かに伝える時、なぜ一沫の恥ずかしさが漂うのだろう？<br />もちろん九子だけかもしれないのだが・・。</p><p>歌手あるいは歌い手という言葉。シンガーというのともまた違う。</p><p>昭和という時代、歌手はみんな作詞家先生や作曲家先生に曲を書いてもらい、プロデューサーという人々の言うなりに歌い、振り付け師に教えられて手足を動かして踊り、まるで自らの意志を無くした操り人形のようだった。</p><p>もちろん自分なりの表現をプラスする自由はあっただろうが、許される範囲はそんなに大きくは無かったと思う。</p><p>今はシンガー＝ソングライターが当たり前になり、自分の歌を自分でプロデュースする人々の方が増えて、歌手はアーティストと呼ばれ、自由自在に自分の世界を表現出来るようになったのだから大きな進歩だ。</p><p>アーティストと呼ばれるようになった歌手たちは、誰かに操られる事なく自分の意志のままに歌える。</p><p>昔はそういう不自由さがあったという事実とはまた別に、歌手とか芝居とか、もっと言ってしまえばサーカスなどの曲芸とか、そういう演芸一般に対する差別と言うか、要するに「見せ物」として括られて、それを生業（なりわい）とする人々を低く見るというような、そんな風土が昭和以前の日本にはあったように思う。</p><p>要するに貧しい家の親たちが女の子を郭（くるわ）に売ったりした時代からさかのぼって、郭がなくなり、サーカスがそれに取って変わり、要するに人に芸を見せる仕事は、ある時期貧しい家の子供たちの行きつく先という印象があった。</p><p>九子なんかも小さい頃叱られた時に「悪い事をするとサーカスに売ってしまうよ。」みたいな事を言われた記憶があり、シルクドソレイユなんかがどんなに華やかで優美なショーを見せていても、どこかに一沫の哀愁を感じてしまったりする。</p><p>一番忙しかった頃のピンクレディーの思い出話なんか聞いても、いかにして歌手と言う使い捨て商品を旬のうちに売り切ってしまうかという業界の思惑が垣間見られて、ひどく気の毒に思ったものだ。</p><p>まあ、そんな事が影響してるのかどうか、松本に岩崎宏美が来ると聞いた時、どうしても行きたいと思った訳ではなかった。やっぱりポイントは格安な値段かな。(^^;;</p><p>ただ、テレビでたまに流れてくる郷ひろみや松田聖子ちゃんの歌声は後押しになった。</p><p>つまり何十年間も第一線で歌いつづけている彼らの声が、年月と共に深みや艶、そして声量までもを増しており、それならば当時若手一番の歌唱力で定評のあった岩崎宏美なら、きっと凄い歌を聞かせてくれるのではないかと思った訳だ。</p><p>九子の予想は的中した！</p><p>「思秋期」に始まり、「聖母（マドンナ）たちのララバイ」で終わった２時間は、九子が思った以上に豊かなものだった。<object classid="clsid:D27CDB6E-AE6D-11cf-96B8-444553540000" codebase="http://download.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=6,0,29,0" width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/fAGyuwNzk0A?version=3&amp;hl=ja_JP&amp;rel=0" /><param name="quality" value="high" /><param name="menu" value="false" /><param name="wmode" value="" /><embed src="http://www.youtube.com/v/fAGyuwNzk0A?version=3&amp;hl=ja_JP&amp;rel=0" wmode="" quality="high" menu="false" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315"></embed></object> <br />実は九子はしばらく前に松任谷由実のコンサートを見に行った。例によってＹさんが誘って下さった。( ＾-＾)</p><p>こじんまりとした舞台の上に昭和60年代みたいなファッションを身に付けて歌うユーミンはあの日のままだった。</p><p>そう言えばユーミンには「あの日に帰りたい」という名曲があったけれど、会場は年を重ねた往年のファンがほとんどで、一人ちっとも変わっていないように見えるユーミンのあの頃と変わらぬ歌を聞きながら、若かりしあの日に帰る事が出来てとっても幸せだった。<object classid="clsid:D27CDB6E-AE6D-11cf-96B8-444553540000" codebase="http://download.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=6,0,29,0" width="560" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/pkdSkCkG7DQ?version=3&amp;hl=ja_JP&amp;rel=0" /><param name="quality" value="high" /><param name="menu" value="false" /><param name="wmode" value="" /><embed src="http://www.youtube.com/v/pkdSkCkG7DQ?version=3&amp;hl=ja_JP&amp;rel=0" wmode="" quality="high" menu="false" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer" type="application/x-shockwave-flash" width="560" height="315"></embed></object> </p><p>だから、岩崎宏美にもまずはそれを期待した。</p><p>ただ九子の場合、ユーミンの全盛期の頃がちょうと甘く切ない青春の頃に当たっていて、ユーミンの歌を聴くとまるで額縁に彩られた一枚の絵のように鮮明に思い出す一場面があるのだが、残念ながら岩崎宏美の歌と重なる甘酸っぱい思い出はあんまり無い。(^^;;</p><p><br />岩崎宏美は進化していた。彼女自身には二十歳をはさんで二人の息子さんがいて、数年前に再婚もしている。折りしも妹の良美さんが産婦人科医と結婚されるというおめでたいニュースの最中でもあった。</p><p><br />人生経験を積むと歌に幅が出ると良く言われるが、岩崎宏美の場合、もともと美しかった声にさらに魅力が加わった。とにかくはっきりと声量が増したのだ。</p><p>彼女が何年か前に声帯ポリープの手術をした時、友人のさだまさしは「宏美ちゃんみたいな発声していてポリープが出来るはずがないんだがなあ。」と言ったそうだ。</p><p>確かにのどに無理な力が加わったような歌声ではない。のどからポンと空中に投げ出された音が腹式呼吸によって増幅されて、聴衆の耳元でぱちんと弾ける花火になる。</p><p>その花火の麗しさにみんな息を飲んだ。</p><p>コンサートのタイトルにもなった「虹・・Singer・・」は彼女がこれからずっと歌い継ぎたいと言うさだまさしの楽曲で、歌を歌うという使命を背負った自分への、そして自分の歌を聞いて元気になって欲しい聴衆への応援歌になっている。</p><p>そこにはかつて歌手と言われ、上から言われた通りに歌うよりなかった岩崎宏美の姿は無い。<br />まさにｓｉｎｇｅｒ＝ａｒｔｉｓｔアーティストであり、歌という芸術を極めて、苦難にある人を一人でも多く勇気づけたいという大きな夢を抱く夢追い人の姿があるばかりだ。</p><p><br />聴衆はみごとに熟年だらけだった。それから下もそれから上もほとんど居ない。岩崎宏美と一緒の時間人生を歩んで、子供も成人して家を出て、夫婦二人の時間が出来たから、どちらかに誘われてここへ来たという二人連れがほとんどだった。</p><p>もちろん九子もＭ氏と一緒だった。</p><p>割れんばかりの拍手を浴びてアンコール曲を歌う岩崎宏美の姿が見えなくなり、皆が立ちあがり、九子が「ああ、今日来て良かった！」と熱い思いで胸がいっぱいだった時、Ｍ氏が言った。</p><p>「いつでもざっと２割なんだよね。」</p><p>「えっ？なんの話？」</p><p>「俺さあ、いつもなんかの大会とかあるとさあ、観察するんだよね。すると大抵２割なんだよ。」</p><p>「だから何がよ！」</p><p>「座ってる一列の中ではげてる人の割合。」</p><p>「えっ？」（絶句）<br />（気を取り直して）案外少ないのねえ。男の人だけ数えてるの？」</p><p>「そうだよ。ちょっと薄い人や、ステッキ並べてるみたいな人や、つるつるの人まで含めて２割なんだよ。８割ははげてないんだよ。俺うらやましくてさあ。」</p><p>挙句の果てにＭ氏はこんな事まで言った。「岩崎宏美良かったけどさあ、俺、高橋真梨子の声の方が好きだなあ。」</p><p>素晴らしいコンサートで感無量の時に、はげの話や別の歌手の話をする人とは金輪際一緒に来たくなかったよ。(^^;;</p><p>&#160;</p><p>&#160;</p><a name="more"></a>]]></description>
      <author>九子</author>
          </item>
        <item>
      <title>美男子の死</title>
      <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2011-10-30</link>
      <category>＜九子の万華鏡＞</category>
      <pubDate>Sun, 30 Oct 2011 23:09:56 +0900</pubDate>
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      <description><![CDATA[<p>竹脇無我さんが亡くなった。<br />小脳出血だそうだ。 </p><p>「花で囲まれた美しい君の写真を目の前にこうしてここに立っていてさえ、僕はまだ、君の姿を、人の間に探してしまう。」 </p><p>ちょっと違ってるかもしれないけど、加藤剛さんの弔辞のこの一文が泣かせた。<br />竹脇無我さんを偲ぶ会でのことだ。 </p><p>竹脇無我と言ってピンと来るのは熟年世代以上の方ばかりかもしれない。<br />やっぱり一番の当たり役は、加藤剛さんと組んだ「大岡越前」の赤ひげ医者榊原伊織役じゃなかったかな？ </p><p>イケメン好きの九子は当時から目を付けていて(^^;;、彼の美しい顔を見るのを楽しみにしていた。<br />アナウンサーだったというお父様ゆずりの低い声も素敵だった。 </p><p>美女好きだった森重久弥は、美男子の竹脇無我も大好きで、「無我ちゃん、無我ちゃん」と言って可愛がり、どんなに機嫌が悪くても無我ちゃんの顔を見ると機嫌が直ったのだそうだ。 </p><p>竹脇無我は、何と言うか、そんなに芝居がうまい方じゃなかったと思う。<br />抑揚の少ないしゃべり方で、感情を抑えたと言うか、感情の起伏があんまり見えて来なかった。<br />だからダイコン役者と言われてしまう事もあった。 </p><p>昔はイケメンすなわち美男子の事を二枚目と言ったけれど、二枚目役しかやってこなかった竹脇無我は、そのうち表舞台から消えてしまった。二枚目役というのには旬があるらしい。 </p><p>ず～っと、ず～っと長い間、竹脇無我の姿を少なくともテレビの画面で見る事はなかった。 </p><p>それが突然、うつ病から生還した経験を綴った本が売れてカムバックが実った。 </p><p><!-- amazon --></p><div class="sonet-asin-area"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4837670156/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank"><img class="sonet-asin-image" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51X70QEW09L._SL160_.jpg" alt="凄絶な生還、うつ病になってよかった" title="凄絶な生還、うつ病になってよかった" width="120" height="175" /></a> <div class="sonet-asin-info"><p class="sonet-asin-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4837670156/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank">凄絶な生還、うつ病になってよかった</a></p><ul><li class="sonet-asin-label">作者: 竹脇 無我</li><li class="sonet-asin-label">出版社/メーカー: マキノ出版</li><li class="sonet-asin-label">発売日: 2003/07</li><li class="sonet-asin-label">メディア: 単行本</li></ul></div></div><div class="sonet-asin-break"></div><p><!--/ amazon -->「凄絶な生還～うつ病になって良かった」は読んだ事がないけれど、彼の場合は完治まで８年もかかっているからかなり深刻な症状だったのだろう。<br />お父様も若くして同じ病気で自死を選ばれてしまっている。 </p><p>本の他に、全国各地から講演会にも呼ばれて忙しい日々を過ごし、来春の舞台の役も決まっていたのに、せっかくうつ病を克服したのに、脳の病気にやられるなんて哀しい。 </p><p>ただ、彼はうつ状態を酒を浴びるように飲んで解消しようとしていたのだそうだ。<br />Ｍｒ．ｃｈｉｌｄｒｅｎの桜井君も酒好きで小脳梗塞を起こしたらしいし、実は九子の親戚にももともと酒好きで奥様に先立たれてから歯止めが効かなくなり、小脳梗塞を起こした人が居た。<br />もしかしたら酒が過ぎると、特に小脳に問題を起こしやすくなるのかなあ？ </p><p><br />こう言ってはなんだけれど、竹脇無我は不器用な人だったのだと思う。<br />役と言えばいつもいつも美男子でかっこいい役しかしない。 </p><p>お葬式でお嬢さんがおっしゃっていたけれど、彼は家の中でもかっこいいお父さんだったのだそうだ。 </p><p>家の中って一番くつろげる場所だと思うのに、その家の中でもテレビドラマの中のようなかっこいいお父さんを演じなければならなかったとしたら、いや、そうするのが自分の勤めだと思い込んでいらしたとしたら、さぞかし窮屈な人生だったのではないかな？ </p><p>もう少しかっこつけずに生きられたらよかったんじゃないのかな？ </p><p>だけどそれを言うのは彼にとって酷なのかもしれない。 </p><p>竹脇無我に美を、かっこ良さのみを求め続けたのは、他ならぬ九子たち視聴者であり観客たちだった訳だから・・。 </p><p>特に昭和の時代は二枚目役と三枚目役ははっきりと区切られていて、二枚目役が三枚目役をしたり、三枚目が二枚目をするとか言うのはほとんど考えられない事だった。 </p><p><br />そこ行くと今のほうが役者さんはずっと自由だ。 </p><p>天下の二枚目高橋英樹はバラエティー番組の常連だし、モデル出身の阿部寛は、最初のうちこそダンディーな役ばかりだったらしいが、つかこうへいの影響を受けて喜劇に開眼し、シリアスなものからコメディーまで幅広く活躍している。 </p><p>同じモデル出身のエロ男爵こと(^^;;沢村一樹も、小学生の頃からみんなの人気者だったお笑いの才能を生かして、先輩阿部寛の路線を目指しているらしい。 </p><p><br />例によって薬局も暇になる九子のテレビの時間帯（って、いつも忙しいような言い方だけど(^^;;）、午後4時からのフジテレビ「結婚できない男」の再放送の阿部寛は最高だ。( ＾-＾) </p><p>「結婚できない男」は、きっと学習障害なり発達障害なりがあるんだと思う。 </p><p>毎日規則正しい生活をして、趣味にも食事にもいろいろなこだわりを持ち、かばんの中や机の中は常に同じ物が同じ所に無いと落ち着かず、手は不器用でネクタイもうまく結べず、他人には理解できない独特のファッション感覚で、グサッと人の気持ちを傷つけるような事を平気で言ってしまい、周りの空気を読めない。<br />うんちくがたくさんあってそれをひけらかすものだから、まわりがみんな引いていく。<br />一人の世界を好み、クラシック音楽を大音量でかけては指揮者のまねごとをして一人悦に入る。 </p><p>（もっとも彼は建築家と言う設定で、空間の概念などに長けているところは学習障害と少し違いそうな気もするが・・。） </p><p>「結婚できない男」が昭和の中年おじさんたちに人気があった化繊の入ったヨコシマの半袖のポロシャツにひざまでの半ズボンをはいて、長身をネアンデルタール人のようにかがめて歩く姿は、同じく長身で軽い<a href="http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301134537-1">学習障害</a>のある我が三男Ｙの姿に似ていなくも無い。(^^;; </p><p>確か初回だったと思ったが、「結婚できない男」が腹痛で倒れて、独身女医の早坂先生に診察を受ける場面で、下半身丸裸で診察代の上に腹這いになり、お尻丸出しでカメラに写った時には、さすがに「阿部寛よ！そこまでするか！」といささかショックだった。(^^;; </p><p>阿部自身はつかこうへいの芝居でホモの男の役をして、男同士でキスをしてからというもの、すっかりふっきれたと言っていたのだけれど・・・。 </p><p><br />若い時って、もうそれだけで美しい。<br />この頃になって九子はしみじみとそれを思うよ。(^^;; </p><p>若い上に見目麗しく生まれついた人は、周りからちやほやされて何をやってもほめそやされ、幸せな一時期を約束される。 </p><p>ただ、それから20年、30年たった時、その人がそのまま幸せで居つづけられるかどうかはわからない。 </p><p>昔は目立たなかったさもない人のほうが、付き合って面白い社会の実力者になっていたりする。 </p><p>役者さんで見ても、佐藤浩市や竜雷太や時任三郎や、どっちかって言ったら醜男の方が、若い頃よりずっといい味出して格好良くなってるなあと思う。 </p><p><br />美人や美男子は若い頃と変わらぬ美しさを保つ事に汲々とする。<br />だけど無常の世の中では、それは大変難しい事だ。 </p><p>「美」というのは、遊びが無いと思う。<br />「美しい」という範疇は大変狭いので、ほんの少しそれがずれただけで人々は今まで「美しい」と崇めていた対象の美の衰えを敏感に感じ取る。<br />たとえば美人女優さんの一本のしわであったり、二枚目俳優の顔のたるみだったり・・・。<br />美しくある事を運命づけられちゃうと大変だよね。 </p><p>結局無常に逆らって若い時のままに歳を重ねる事は無理なのだ。<br />そうであれば、美しさ以外のものを売り物にして行くほうが賢明だ。 </p><p>そういう意味で阿部寛は賢かったと思う。<br />竹脇無我の場合は、ああいう時代だったから気の毒だった。 </p><p>こうしてみると、人間の運不運というのはわりあいに平等であるようだ。 </p><p>美形に生まれて若い時に輝いてた人は、老いるに従ってその美を失っていくという悲しみに合い、それなりの人はそれなりの若い時だったかもしれないが、数十年後の同級会で「おや、いつまでも若いね。」と言われたり、「この頃輝いてるね。」と言われる事があるかもしれない。 </p><p>このあいだ本願時の<a href="http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2011-10-20">大谷暢順さん</a>も一番最後に言ってたよね、諸行無常は救いだって。 </p><p>世の中あんまりいい事なかったよって思ってるあなた！<br />きっといい事はこれから来るんじゃないかな。( ＾-＾)<br />そこそこ幸せだったなって思ってるあなた！<br />悪い事しないで良い事だけするようにしてると幸せは長続きするみたいだよ。( ＾-＾) </p><p>そして美女でならした九子は、これからずっと時間に復讐されて、苦い人生を歩んでいくのだよ。<br />（えっ、え～～～？？？(^^;;(^^;;） </p><a name="more"></a>]]></description>
      <author>九子</author>
          </item>
        <item>
      <title>親鸞に学ぶ生と死</title>
      <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2011-10-20</link>
      <category>＜坐禅、仏教、お寺の話＞</category>
      <pubDate>Thu, 20 Oct 2011 22:26:52 +0900</pubDate>
      <guid isPermaLink="false">http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2011-10-20</guid>  
      <description><![CDATA[<p>文芸春秋一冊を読み通した事はほとんど無いが、ちょっとした隙間時間に拾い読みするには格好の雑誌だといつも思う。 </p><p>特に九子のような怠惰な主婦がお昼寝前の数分間に、あちこちに散乱している(^^;;文芸春秋の中から無造作に一冊を選び、数行読み始めてみたらお昼寝を忘れるくらい面白い記事だった！なんて事があると、その日一日が、さも充実していたかのごとき錯覚に陥ったりする。(^^;; </p><p>今回のは文芸春秋２０１１年7月号だった。( ＾-＾) </p><p>野村萬斎がこの頃久しぶりにテレビの車のＣＭに出ている。<br />ＮＨＫの朝ドラ<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%90%E3%82%8A">『あぐり』</a>で吉行淳之介氏のお父上エイスケ役を演じていた頃から、もう１５年ほど経つらしい。<br />いい年月を重ねて味のある役者さんになったんだろうなあと思う。 </p><p>その彼が今回の対談の片割れだったとしても、お相手が本願寺文化財団の大谷暢順（ちょうじゅん）氏というので最初は食指が動かなかった。 </p><p>大谷暢順って人がどんな人か九子はよく知らないよ。でも、たぶん十数年前に本願寺に<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E6%9D%B1%E9%A8%92%E5%8B%95"> お家騒動</a>があって連日新聞を賑わせた、確かその時の大谷さんに連なる人だよね、きっと。一応仏教徒のはしくれの九子として、仏教宗派のお家騒動ってのは頂けないでしょう。 </p><p>ところがちょっと読んでみると、この大谷さんの原作、監督の舞台「六道輪廻」で、野村万作、萬斎親子が演出出演したのが二人の御縁の始まりだそうだ。 </p><p>へえ～っ、舞台監督も勤める大谷暢順っていったい何者？九子はがぜん興味を持った。 </p><p>調べてみると<a href="http://honganjifoundation.org/rennyo/rennyoism/profile.html">大谷暢順氏</a>は親鸞聖人より続く血筋大谷家の次男で、東京大学印度哲学科を出た後、パリのソルボンヌ大学を卒業、第七大学の大学院で博士号を取ったインテリだった事がわかった。 </p><p><br />狂言には「悪人」が出てこないのだそうだ。小悪党はたくさん出てきても、悪人に終始する人は出てこない。どんなに敵対しても最後には和し、どれほど愚かな人間にも何らかの光が差し込む物語になっているのが狂言なんだそうだ。 </p><p>善はどこまでいっても善で、悪はどこまで行っても悪とするキリスト教的な善悪二元論とは一線を画している。 </p><p>&#160;</p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94%; padding-right: 10px; margin-left: 3px; margin-right: 3px">「悪は輪廻していつか善となるという思想は、和合していく世界観、いわば神仏習合の日本ならではの「和の精神」と言えるかもしれません。」</div>と、大谷氏。 <p>なるほどね。狂言って、日本文化そのものなんだね。 </p><p>また親鸞の教えの中に他力と自力というのがあるが、今この他力という考え方が大切だと萬斎さんは言う。 </p><p>現代は「個」「我」が強い時代であるが、これはまさに自力本位の時代である。 </p><p>ところが西洋でも中世以前、個人主義や自我が芽生える以前には、まさに神や自然というもっと大きな存在の中に自分は生かされているという世界観が一方にあった。<br />それこそがまさに「他力」の自然観である。 </p><p>「人間の力ではどうしようもない事が在る。」と思い続けていく人間の存在の仕方があったのに、それを、つまり「他力」を忘れてしまって、私は、人間は何をしてもいいんだ、万能なのだという驕り高ぶった気持ちが今回の大震災を引き起こしたと、萬斎さんは語る。 </p><p>それに対し大谷氏も<br />「人間があまりに強大な力によって何かに圧力を加えると、必ず自然からしっぺ返しがくる。」と応じている。 </p><p>そう言えば対談の途中に大谷氏がこんな事を言っている。<br />「長く続く文化を発展させていくためには、日本の外の反応を謙虚に受けとめて、摂取していく精神が必要です。それで私は親鸞聖人の和讃や連如上人の御文を、フランス語に訳し、現地で出版されました。」 </p><p>充分に時間をかけて丹念に仕上げたはずだったが、「（フランス語にするには）文の中で何が主語で何が動詞であるか、またそれが欠落している場合は、本来どういう主語が必要であるか考えなければなりません。そうなると私は元々この文の意味を充分理解していなかったのではなかろうかと、急に自信がぐらついてしまったりしました。反語的な言い方かもしれませんが、翻訳の仕事によってこそ、本当に仏法を学ぶことができるという気持ちになりました。」 </p><p>この件（くだり）を読んで、九子は急に大谷氏を身近に感じた。 </p><p>実は九子もほんの一時ではあったが、間違って(^^;;活禅寺の無形大師の御提唱を英訳する仕事に加わらせて頂けた事があった。その時に、大谷氏と似たような思いを抱いたものだった。 </p><p>もちろん大谷氏は東大出の、しかもフランスの大学で学んだフランス語の大家であり、しかもい親鸞聖人のＤＮＡを継ぐ、天皇家と並び賞されるほどの家柄の方だ。<br />九子の体験などとは比べるまでも無かったことは言うまでも無い。(^^;; </p><p>その大谷氏みたいな人でも自分の先祖に当たる親鸞聖人の言葉を翻訳をされた時、自分が今まで仏教を充分理解していなかったような気持ちになられたというのは、なんて謙虚な言葉だろうかと思った。 </p><br /><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94%; padding-right: 10px; margin-left: 3px; margin-right: 3px"><p>「日本語とフランス語が文法的に全く違うというのは、つまりは日本人とフランス人の思惟方法が違うということなのだと今更ながら感じています。日本の伝統を世界に伝えるためには、結局日本の思惟方法を世界に理解させなければならないと思います。これは大変大きな難しい問題です。」 </p></div><p><br />ほらほら！おいでなさった！<br />九子がいつも言ってること、大谷暢順氏が代弁してくれちゃってるよ！(^^;;<br />ますます読むのに熱が入るよねえ。( ＾-＾) </p><p>家を継ぐって凄い事だ。 <br />野村萬斎さんにせよ大谷暢順氏にせよ、もちろん選び抜かれたＤＮＡを持ち合わせていたからだろうが、優秀な大学を出て（萬斎さんは東京芸大卒だそうだ。）、知恵のありったけを使って何十年何百年続く伝統を国内ばかりではなく海外にも広げようとしている。 </p><p>東大出たばかりが偉い人じゃないことは天下り官僚たちの生き方をみるとよくわかるけれど、東大出るだけの知識と知恵がある人は、やっぱり凄いよねえ。 </p><p>ＤＮＡって言えば萬斎さんがこんな事を言っている。 </p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94%; padding-right: 10px; margin-left: 3px; margin-right: 3px"><p>「代々の芸のＤＮＡは「個人」をどこかに捨てないと身体の中に入ってこないと思っています。落語家さんもよくおっしゃいますけれども、まず内弟子修行をするとか、師匠と生活を共にしてはじめて芸のＤＮＡが共有される素地が出来るんだと思います。もちろん血縁があれば当然一緒に暮らすわけですから、ＤＮＡは血とともに入ってきやすいでしょうが、たとえ他人の弟子であっても、寝食を共にすれば芸のＤＮＡの浸透力は高くなるはずです。」 </p></div><p>それに対し大谷氏がこう応じる。 </p><br /><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94%; padding-right: 10px; margin-left: 3px; margin-right: 3px">「やはりそうですか。室町の時代には、本願寺のお寺に弟子たち何十人かが連如上人と一緒に住んで、直々に教えを受けました。仏教ではこうしたDNＡの継承を「血脈相承」といいます。血脈と言っても必ずしも親から子へを言っているのではありません。むしろ師匠と弟子、一対一の関係を指しています。<br />弟子は個を捨て無我になって師の教えを仰ぎ、伝統を受け継いでいくのです。」 </div><p>こういう師のことは「善知識」と呼ばれ、親鸞聖人の和讃には </p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94%; padding-right: 10px; margin-left: 3px; margin-right: 3px"><p>善知識に会うことも 教うることもまた難し<br />よく聞くことも難ければ信ずることもなお難し </p></div><p>とあり、守るべき芸なり教えの神髄を受け継いでいく事は大変なことだと説いている。 </p><p>芸も教えも、身を捨てて無我にならなければ身に付かないっていうところが凄いよね。 </p><p>対談の最後をしめくくった二人の言葉を記してみよう。 </p><p>野村萬斎 </p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94%; padding-right: 10px; margin-left: 3px; margin-right: 3px"><p>僕のような狂言師ができることは、生きることの素晴らしさを教えてあげたり、「生きていれば笑うということがあるんだ」ということを伝えることだと思っています。生きる気力がなくなったり、精神的なダメージがあるときにも、狂言は人間を肯定してくれる。「まあ、大変なこともあるけど、小さないいこともたくさんあるだろう」と。つらい状況にあっても、どうか生きることに一生懸命になってほしいと思っています。 </p></div><p>大谷暢順 </p><div style="background-color: #ffebcd; padding-left: 10px; width: 94%; padding-right: 10px; margin-left: 3px; margin-right: 3px"><p>この世という「しゃば」は、人が耐えていかなければならない苦しみの世界。しかし、すべては移ろいゆく「無常」であるがゆえに、決して悪いことばかりではありません。どうか希望を持って生きてほしい。<br />この世にはどうしても「死」がある。だからこそ「生」があるのだということを、おぼえておいてほしいと思います。 </p></div><br />九子は今度、萬斎さんの狂言を見に行くよ。善光寺の近くに「北野文芸座」という小さな劇場があって、たまに落語や地味な歌手のコンサートや、時には狂言もかかる。 <p>九子だって少しは自国の文化を勉強しなくちゃね。<br />だから皆さんも、狂言や仏教、是非興味をもって下さいね。( ＾-＾) </p><p><br />人ごとじゃないぞ、九子！<br />おまえもいつも怠けてばっかりいないで、もっと修行して仏教徒らしくしろよ！!<br />（無形大師の声）(^^;;(^^;; </p><a name="more"></a>]]></description>
      <author>九子</author>
          </item>
        <item>
      <title>岩合光昭　ねこ　展</title>
      <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2011-10-09</link>
      <category>＜正統、明るいダメ母編＞</category>
      <pubDate>Sun, 09 Oct 2011 22:22:38 +0900</pubDate>
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      <description><![CDATA[<p>あなたはイヌ派だろうか？それともネコ派？ </p><p>九子はずっと自分はイヌ派だと思っていた。 </p><p>だって猫など飼った事無いし、もとより我が家は<a href="http://w1.avis.ne.jp/~kasahara/">目薬屋。</a> </p><p>昭和５７年まで家の裏にひなびた工場があって、もともとは軟膏状だった雲切目薬を三日ほど母が一人で機械を回して作っていた。<br />出来た軟膏を母屋に持って来て、またしても母が一人で調剤室やたまには台所で(^^;;蒸留水に溶かしたり、ビンに分けたり、箱に入れたり・・・。（のどかな時代でした。( ＾-＾)）<br />本当に出き過ぎ母がたった一人で作ってたんだよねえ。信じられない！ </p><p>とにかくそんな訳で、衛生上の見地からも我が家で犬猫を飼う事は長い間ご法度だった。 </p><p>ところが祖父が脳卒中で倒れて、母が祖父のリハビリのために<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E6%95%99%E6%B9%AF%E6%B8%A9%E6%B3%89">鹿教湯（かけゆ）温泉</a>に行ってる留守に、我が家に泥棒が入った。<br />裏門を越えて庭からの進入だった。 </p><p>それでやにわに犬を飼おうと言う事になった訳だ。（庭に放しておけば室内に入らないから、犬ならまあいいか！という訳。）<br />そのあたりのてんやわんやは<a href="http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2004-12-27">こちら</a>を見てください。( ＾-＾) </p><p>結局それ以降犬は３代か４代我が家に居続けた。孫が５人も次々生まれて、母が犬の世話どころじゃなくなってしまうまで・・。(^^;; </p><p>だから、ほとんど手の届く所に居ない猫よりは、犬の方が九子に近いと思っていた。 </p><p><br />九子は、我ながらあっさりした性格だと思う。 </p><p>隣の八百屋さんにゆきちゃんという可愛らしい看板犬が居て、犬好きなお客さんがみんな可愛がって、顔がひしゃげるくらい頭をなでたり体中をなでまわしたりしているのだけれど、九子はそういったことをした事が無い。 </p><p>もちろん可愛いとは思う。だからゆきちゃんの顔を見れば笑うし、小さく声もかける。ただそれだけだ。<br />たぶん何も通じてない。(^^;; </p><p>とにかく手を出すというのが苦手なのだ。 </p><p>一人っ子で出き過ぎ母になんでもやってもらって育った影響だろうか。自分から手を出さなくても誰かがやってくれるという状況に慣れてしまったのだろうか。 </p><p>それとも小さい頃から自分一人の世界で遊んでいる習慣がついてしまって、人付き会いの淡白さが、ありとあらゆる物に対する関係性の薄さにつながって行ったものなのだろうか？ </p><p>たぶん小中学校の調理実習のはてから薬大の実習に至るまで、九子はありとあらゆる場面で参加するイコール手を動かすと言う事に逃げ腰だった。(^^;;<br />そして今に至るまで、その状況は進展していないように見える。 </p><p><br />「<a href="http://www.digitaliwago.com/">岩合光昭</a>のねこの写真展」は、どうしても見たいと思って行った訳ではなかった。（岩合さん、すみません。(^^;;）<br />ところが行ってみたら、偶然その日はサイン会の日で、まだ会場の「ながの東急百貨店」に残っていらした岩合さんご本人にサインを頂く事が出来てしまった。１００人限定のサイン会で９４番目だった。（なんという強運！(^^;;） </p><p>「ねこ」という今日の展覧会の写真のほとんどを、岩合氏が付けられた珠玉の一言といっしょに収められている写真集は、頬ずりしたくなるような猫たちでいっぱいだ。（なか見検索あり！） </p><p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4904845064/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank"><img class="sonet-asin-image" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51zjZstXMfL._SL160_.jpg" alt="ねこ" title="ねこ" width="280" height="310" /></a></p><div class="sonet-asin-area"><div class="sonet-asin-info"><p class="sonet-asin-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4904845064/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank">ねこ</a></p><ul><li class="sonet-asin-label">作者: 岩合光昭</li><li class="sonet-asin-label">出版社/メーカー: クレヴィス</li><li class="sonet-asin-label">発売日: 2010/03/03</li><li class="sonet-asin-label">メディア: 単行本（ソフトカバー）</li></ul></div></div><div class="sonet-asin-break"></div><p><!--/ amazon --></p><p>その見返しに岩合氏が一冊一冊、猫のイラストを描いた上にＭｉｔｕ Ｉｗａｇｏとサインして下さった。 </p><p>写真集を買ったのはＭ氏なので、もちろん握手はＭ氏しかしてもらえないと思っていたら、岩合さんが「どうぞ」と目くばせして下さり（のように思えて）、おずおずと（図々しく(^^;;）手を差し出す。 </p><p>がっちりとした温かい手だったなあ。( ＾-＾)<br />Ｍ氏と九子は珍しく歩きで来たから、九子の手もあったかかった。<br />ああ、残念！もっと冷たくてほっそりした手だったら良かったのに・・。(^^;; </p><p>まあそんな訳で、俄然展覧会見るのに力入っちゃったのよねえ。( ＾-＾) </p><p>写真はもちろん素晴らしかったけど、一言せりふがとびきり良かった。<br />ネコの動作に感心したり、想像したり、時には突っ込みを入れたり・・・。そして撮影された土地名が入る。<br />さすが！岩合さん。ぴかイチの感性は、写真でも文章でも同じように発揮されるんですね。( ＾-＾) </p><p>たとえば岡山県の真鍋島では、外国のタイル屋根のようなマリンブルーの瓦屋根が並んでいる上に７匹の猫が等間隔に、ちょうど瓦一枚分だけ隙間をあけてお行儀よく並んですわっている。 </p><p>それに対する岩合氏のコメントはこうだ。<br />「猫はプライバシーを大切にします。」( ＾-＾) </p><p>「遠路はるばるよくいらっしゃいました、と」と書かれた猫たちは、群馬県みなかみ町の２匹。<br />右側の大柄な猫がまるで満面の愛相笑いを浮かべている旅館の大女将で、左の若い器量よしの猫が美人若女将みたいな風情。 </p><p>実は九子もちょっとやってみたのだけれど、小学生くらいのお嬢ちゃんを連れたおとうさんが、写真だけ先に見て、一言を当てるというゲームをやっていた。<br />いろんな風に遊びながら楽しめるのがこの写真展の良さだと思う。( ＾-＾) </p><p>日本の猫が多いのだけれど、外国の猫も時々まざって出てくる。<br />九子にとっちゃあ猫そのものにあんまり違いはないように思うのだけれど、猫好きなＭ氏はどこか違うと言う。 </p><p><br />最後は岩合さんの飼い猫の天才「海くん」の写真だ。<br />岩合さんがカメラを構えると即座に身構えて気合の入り方が違う、生まれながらのモデル猫だったそうだ。 </p><p><br />やっぱり猫はかわいい。九子は今日から断然ネコ派になったよ。( ＾-＾) </p><p><br />赤ちゃんが可愛らしいのは、誰もが庇護したくなるような可愛らしさを備える事によって敵から身を守るという自然の摂理だというのを聞いた事がある。<br />そして赤ちゃんの顔は誰もが愛らしいと思える黄金比で出来ているのだという。<br />動物の赤ちゃんもこれしかり。 </p><p>考えてみるとネコの顔の方がイヌのそれより黄金比に近いのではないだろうか。<br />小さい時は黄金比の犬の顔も長じてくるとやたら長くなったりするが、猫族の方が一様に赤ちゃんの時の顔をとどめている。 </p><p><br />九子は昔、パンダに憧れた。<br />あんなふうに食っちゃ寝してるだけでみんなにちやほやされて愛されるなんて、なんていい暮らしだろうと本気で思っていた。(^^;; </p><p>だけどよく考えてみたら、中国の山の中で毎日笹の葉っぱしか食べられない生活なんて冗談じゃなかった！ </p><p>やっぱネコでしょ！写真展の中にも寝そべってるネコばっかりやたら多かった。<br />そうじゃなきゃ日なたぼっこしてるとか、お気楽そうなヤツばっかり・・。<br />いいなあ。なんてうらやましい生活！ </p><p>でも飼い猫ならともかく、縄張り争いやら食料確保とか煩わしいし、生魚やキャットフードばかり食べさせられるのも大問題だ！ </p><p>じゃあ結局何になるのが一番幸せなんだろう？ </p><p>ちょっと考えるだけで正解はすぐに出た！(^^;; </p><p>お昼寝しながら雲切目薬売って、お掃除嫌いでも何も言われないし、美味しくないご飯も文句言わずに食べてくれるＭ氏が夫君で、誰にも命令される訳じゃなく、何やっても叱られる訳じゃなく、眠くなれば寝て、お腹がすけば食べて、こんなお気楽人生他に無いじゃない！<br />パンダや猫よりあなたの方がよっぽど幸せだよ。(^^;; </p><p>願わくはこんな九子の日記を読んで面白いとか楽しいとかばかばかしいとか思って下さる方があらわれて、世の中にはこんなに何にもしなくても何にも出来なくても生きていられる人がいるんだね、自分はまだまだ九子さんよりマシな方じゃんと思ってくれたら・・・。 </p><p>そう。この日記がネコちゃんみたいに読んで下さるあなたの心を癒せたら一番いいんだけれど・・・・。( ＾-＾) </p><a name="more"></a>]]></description>
      <author>九子</author>
          </item>
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      <title>兄は殺人犯　「アイシテル・・絆・・・」と「手紙」</title>
      <link>http://kumokirimegusuri.blog.so-net.ne.jp/2011-10-01</link>
      <category>＜九子の読書ドラマ映画音楽日記＞</category>
      <pubDate>Sat, 01 Oct 2011 00:11:40 +0900</pubDate>
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      <description><![CDATA[さあてと、今夜は何見ようかなあ。( ＾-＾) <p>例によってあてもなくチャンネルをまわして（正しくはリモコンを操作して(^^;;）辿りついたのが岡田将生だった。結局はイケメンに弱い九子である。(^^;; </p><p>タイトルは<a href="http://navicon.jp/news/12498/">「アイシテル・・・絆・・・」</a><br />数年前話題になった番組の続編で、小学生が小学生を殺してしまった事件の犯人と犯人の弟の２０年後の物語だそうだ。 </p><p>岡田演じる弟直人は、小さい頃仲良く遊んでくれた１２歳年上の兄智也が突然姿を消してしまった事を恨んでいる。兄に捨てられてしまったと思い込んでいた。 </p><p>ところがある日直人は、ネットに出ていた２０年前の小学生殺しの犯人が当時同じ小学生だった兄智也だったことを知ってしまう。 </p><p>直人は兄ばかりではなく、事実をずっと隠していて彼に教えてくれなかった母親にも不信感を抱き、母と離れて一人で暮らしている。 </p><p><br />犯行当時小学生と言えば、少年法に守られて彼のプライバシーはしっかり守られているはずと思ったのだが、現実にはどうなのだろう。<br />ネット社会はそんなことを許さないのだろうか？<br />少なくとも番組上では兄が殺人犯と言う事は近所中が周知の事実で、直人は言われの無い差別を受けている。 </p><p>こういう場合、この地域を去って別の土地に行けばもっと楽に生きられそうな気がしてしまうのだが、母親は頑としてこの地を離れようとしない。少年の父親が彼の事を気に懸けながら病気で死んで行ったことが影響しているのだろうか。お墓を守るとか、そういう事なのだろうか。 </p><p>このお話にはいい人たちが出てくる。直人の恋人の芸術家の加奈とその祖父だ。<br />彼らだけが直人の兄が殺人を犯した事を知りながら、彼を一人の人間として扱ってくれる。 </p><p>兄が殺人を犯したために弟が不幸になるって話、どっかで聞いたなあと思った。<br />そうだ！東野圭吾の「手紙」だ。 </p><p><!-- amazon --></p><div class="sonet-asin-area"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167110113/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank"><img class="sonet-asin-image" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41PZ804DTVL._SL160_.jpg" alt="手紙 (文春文庫)" title="手紙 (文春文庫)" width="120" height="200" /></a> <div class="sonet-asin-info"><p class="sonet-asin-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167110113/kumokirimegus-22/ref=nosim" target="_blank">手紙 (文春文庫)</a></p><ul><li class="sonet-asin-label">作者: 東野 圭吾</li><li class="sonet-asin-label">出版社/メーカー: 文藝春秋</li><li class="sonet-asin-label">発売日: 2006/10</li><li class="sonet-asin-label">メディア: 文庫</li></ul></div></div><div class="sonet-asin-break"></div><p><!--/ amazon --></p><p>読んだ時はそれなりの感慨にふけったはずだったのだが、もうすっかり記憶のかなただ。(^^;;<br />もちろん例によって筋も忘れてしまっているので、これを機会にさらっと読み直してみた。 </p><p>比べてみると同じような状況を描いた作品ではあるが、東野作品のほうがはるかに現実を深くえぐっていると思った。 </p><p>言ってみれば「アイシテル・・絆」はまだ甘っちょろい。<br />それぞれの兄の性格の違いが、罪の意識の違いが、実は微妙に影響を与えているのかもしれない。 </p><p>直人の兄智也は、何もそこまでと思うほど自分の罪を意識しながら生きている。<br />小学生の時の、それも相手にバカにされて掴みかかったら倒れた相手が打ちどころが悪くて死んでしまった、言わば過失致死と言えるほどの罪なのに・・・。 </p><p>智也を演じる向井理はふだんひょうひょうとした演技をする。<br />その向井が、このドラマでは熱い。 </p><p>智也は言う。自分が殺した被害者はもう生きて何をする事も出来ない。自分だけが生きて、ましてや幸せになることなど許されない。だから自分は幸せに背を向けて生きて行かなければならない。 </p><p>そして彼は、幸せからも家族からも遠のいて一人ストイックに生きている。 </p><p>その禁欲がただ一度揺らいだのが、弟直人の皮工芸の個展開催を知った時だった。<br />１２歳で別れた弟が個展を開く。それを知った途端、もう矢も盾もたまらなくなって兄は弟に小さな白い花束を贈る。 </p><p>その花束が兄からのものだとわかると、弟はそれを地面に叩きつける。 </p><p>直人の兄の智也がそこまで自分の罪を意識して、自分に厳しく生きているのに対して、「手紙」の主人公直貴の兄剛志は、弟に刑務所から出す手紙が弟の人生にどんな影響を与えているかなどと考えもせず、言わば習慣的に、そうするのが社会とつながる唯一の窓とばかりに、他愛の無い手紙を書き連ねてくる。 </p><p>二人の兄の生きざまの違いが間違いなく弟の人生の生き難さに影響している。 </p><p>ストイックな兄を持つ直人は、兄が自分と接点を持つ事をひたすら避けているので、ふだんは直人の存在を最小限に抑えて生きていられる。 </p><p>ところが直貴の場合は、忘れようとしても兄の刑務所からの手紙がどこまでも追いかけてくる。<br />独特の桜の花の検印の付いた、見る人が見ればすぐにそれとわかる手紙だ。 </p><p>これは辛い。ある時などは恋敵の目の前でこの手紙が配達され、もちろん結婚は破談になった。<br />だから状況としては、「手紙」の主人公直貴の方が数段悪いと思う。 </p><p>「絆」の方が甘っちょろい感があるのは、ひとつにはこういう背景にあると思う。 </p><p>それと最大の違いは、結論の持って行き方だ。 </p><p>「絆」では加奈に赤ちゃんが出来た時、直人は自分のように不孝を背負って生きる事になるからどうしても産んでくれるなと懇願する。 </p><p>それが兄智也と向き合い、苦しい思いをぶつけた後に、自分が兄からも母からも愛されて生まれてきたという事実を納得してようやく、直人は加奈が子供を産むのを受け入れる。 </p><p>言ってみれば「愛されて生まれてきた人間は幸せに暮らして行く資格がある。」みたいな、ちょっとベタな結論の持って行き方だった様に思う。 </p><p>ところが「手紙」は違う。 </p><p>「手紙」では直貴が婚約者との間の子供を規制事実にして結婚にこぎつけようとする、いわば子供を結婚の道具に使うような場面が出てきた。それひとつとっても、現実のドロドロ感がある。 </p><p>例によって直貴は就職先の会社でトップの成績をあげているにもかかわらず、人目につかない倉庫での在庫チェックの部署に回されてしまう。 </p><p>そこへ平野というこの会社の社長が出てくる。彼が良識人の代表みたいな意見をとうとうと述べて、直貴も読者もう～んと考え込まされてしまう。 </p><p>彼はこういう意味の事を言う。 </p><p>刑務所に入ったのは自分じゃないのに、自分が差別されていると思っているだろう。だがそれは違う。<br />差別は当然なのだ。大抵の人間は犯罪などから遠いところへ自分の身を置いておきたいと願う。<br />犯罪者やそれに近い人間を排除するのは、しごく当然な、いわば自己防衛反応なのだ。<br />恨むなら社会ではなく、罪を犯したお兄さんを恨みなさい、と。 </p><p>う～ん。これは正論だ。 </p><p>ややもすると犯罪者家族に対する言われ無き差別は、日本人独特の「村八分」と同列に語られがちだけれど、確かに世界中どこへ行っても見られる自己防衛反応だとすれば、それを理不尽だと責める事は難しい。 </p><p>この後も平野社長は要所要所で現れて、社会と言うものの姿を直貴に説く。 </p><p>平野社長の言葉を羅針盤にして、直貴はどういう結論を選んだのか、そして救いの無い物語の最後に訪れる救いとはなんだったのか。 </p><p>どうぞ皆様もご自身で「手紙」を読んでみて下さいね。( ＾-＾) </p><p><br />犯罪を犯すという事、ましてや人の命を奪うという事は、自分だけではなくて最愛の家族をも長い長い苦しみの人生に引き入れるという事をよくよく考えなければならない。 </p><p>怒り心頭に発して誰かを傷つけたい衝動に駆られた時、家族への思いが防波堤となってその怒りが鎮められなければならない。 </p><p>そうするためには、温かい家庭を築かなければならない。笑顔あふれる家庭の中で、子どもを生み、育てなければならない。 </p><p>たとえ満ち足りた家庭で愛情いっぱいに育てられたとしても、それに気付けない不幸な人間だってたくさんいる。 </p><p>それと同じくらい、逆境の中に育っても自分を失わずに幸せを勝ち取った人々だっているだろう。 </p><p>でもとりあえず、出来るだけ自分の周りの空間は居心地のよいものであって欲しい。<br />それが幸せに通じる第一歩なのだから。 </p><p><br />えっ？掃除嫌いの九子さんちは物や埃が溜まっててさぞや居心地悪かろうって？<br />って、それはまた別のお話。(^^;; </p><a name="more"></a>]]></description>
      <author>九子</author>
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