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父のこと・・・その1 [<父を亡くす、母を亡くす>]

九子の日記の記念すべき200号にはM氏の話題が華々しく取り上げられるはずだったのに、人騒がせな病人であった九子父が4月10日未明にあっけなく逝ってしまったりするものだから、日記の主人公ははからずも父となってしまった。



10期40年間、みんなに担ぎあげられて一度も落選を知らずに長野市議会議員を勤め、人の話題になる事を好んだ父、17代笠原十兵衛は、どこまでも神輿(みこし)の中心にすわって目立つ事の好きな人だった。

その父の、まるで自ら選んだような見事な亡くなり方だったのかもしれない。



父とは3度ほど大喧嘩をした記憶がある。

最大の喧嘩は、父が76才の時、10期目の市議選への出馬を決めた時だった。



「パパったら何考えてるの?終ったらもう80才だよ。80才のじいさんに一体何が出来る?せっかく負け知らずでここまで来たのに、ひどい点数で落選してみっともない姿をさらす事ないじゃない!私は反対!絶対反対だから・・・!」



一人娘の罵声を後目(しりめ)に、だが、父の決心は堅かった。



思えばまだ誰も大声でオリンピックの招致など唱えていなかった頃から、誰はばかることなく「オリンピックオールマイティー!オリンピックが来れば陸の孤島長野市に、新幹線も高速道路もやってくる!」と叫んで、オリンピックの招致に尽力した父である。



そのオリンピックを議員として見ずして引退するのは、後ろ髪引かれるものであっただろう事は充分に推測がついた。



「でも、だからと言って、往生際悪いってもんでしょ!」



弔辞の中で議員仲間だったTさんが「実は最後の選挙で、もう引退すると言っていた笠原議員を説得して『もう一回一緒にやりましょう!』と言ったのは私なんですよ。」とおっしゃった。



それを聞いて、「父は何がなんでもオリンピックにしがみつこうとした訳ではなかったんだな。」と思ってさわやかな気持ちになった。



父は最後の選挙で始めて、今までの「笠原隆一」ではなく襲名の「笠原十兵衛」で戦った。

この名前で落選したら、やはり長野市議で市議会議長を長年勤めた

16代笠原十兵衛の名前にも傷がつく。



背水の陣だった。



父は年に似あわず、良く動いた。

暑い盛りの選挙戦で、「おれは夏はどんなに暑くても平気なんだ。」と、引退で地盤を譲ってもらった別の議員さんの広い広い地元を、精力的に歩いて回った。



父の努力は報われて、わりに上位の成績で当選することが出来た。

しかしこの時の無理がたたって、直後に脳梗塞の軽い発作をした。



でも父はまだまだ若かった。

オリンピックの本番では、雪の中、白馬のジャンプ場や吹雪のスケルトン会場にも足を運んだ。



戦争中、中国の大地を一日に何十キロも歩いたという自慢の足だった。



日本勢の大活躍もあって、前評判の悪かった長野五輪は、終ってみたら大成功で、サマランチ会長から「今までで一番組織的に運営されたオリンピック」という誉め言葉まで頂戴した。



たぶん父の生涯最高の日ではなかったか。



その最高の日を、市議会議員として、いや「長野オリンピック特別委員長」として一段高い場所で迎える事の出来た父は、そして父の人生は、幸せなものだったと思う。



賑やかな葬式だった。



長野五輪の時の塚田佐(たすく)前長野市長が葬儀委員長として弔辞を述べて下さった。

その中で「笠原議員は、達者なドイツ語で外国の委員達と語りあった。」と言われた時には、九子を始め孫達も、あまりの話の展開にギョッとした。

(^^;



確かに薬専(薬大の前身)でドイツ語は少々かじった事はあっただろうが、ドイツ語はおろか、英語すらカタコトの挨拶程度しか出来ない父だったからだ。



でもそんなことはおかまいなしに、外人さんの中へ入って行って楽しそうに話をしている姿は皆に目撃されている。



外国も外国人も大好きな父だった。



美しい女性は、もっと好きだった。



だから、今をときめく小坂憲次文部科学大臣の美人妻まり子さんに、丁重な大臣からの弔辞を代読して頂いて、父はさぞや満足だったと思う。



その上引退してから7年もたっているのに、500人を軽く超える方々に弔問に来て頂いた。

賑やかな事が大好きだった父の、華やかなしめくくりであった。

(・・・つづく



☆皆様、そんな訳で更新が遅れました。

九子にうつ病がある事をご存知の皆さんは、きっとご心配下さっていらっしゃると思いますが、お陰様で九子は元気で居ります。

ご安心下さい。( ^-^)

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コメント 14

きよみがはら

[そうだったのですか・・・]
長い間更新されてないので、どうされているのかと思っていました。

九子さんの記事でお父様がとても明るくエネルギーにあふれた積極的な方だったことがわかります。
言葉がわからなくても、ものおじすることなく外国人の中に入り話をしていたとのこと。。。
「人」が好きな方だったのだと思います。
一生懸命生きていたことがわかります。

お父様のご冥福をお祈りいたします。

九子さん、介護生活お疲れ様でした。
まだ忙しいとは思いますが、体調をくずさないよう、どうぞご自愛ください。
by きよみがはら (2006-05-01 11:14) 

悪女

[ご冥福をお祈り申し上げます。]
そうだったのですか、同じ市内でありながら、存じませんでした。
薬局に買い物に行った時九子さんが「長生きしてもらわなきゃ」と言っていたのがつい最近だったような記憶がありますが・・・

自分なりの人生を自分の好きなように生きて
その生き方が周囲からも信頼される生き方で、きっといい人生を送った九子さんのお父様
そんな九子さんのお父様の新たな旅立ちに対して
ご冥福をお祈り申し上げます。
by 悪女 (2006-05-01 20:43) 

よぽぽ

[ご冥福をお祈り申し上げます]
お父様はお父様のご苦労があったのでしょうけど、
とても素敵な人生でしたね。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。
by よぽぽ (2006-05-01 21:00) 

九子

[きよみがはらさん、有難うございます。]
そうなんです。高齢とは言え突然のことでびっくりですが、まあ年に不足はありませんから・・・。

確かに人の中に出ることも好きでしたし、人そのものも好きだったかもしれません。積極的と言えば積極的な行動派だったかも・・・。(娘とはずいぶん違いますが(^^;)

父が居なくなって、身体はだいぶ楽になりました。
細々とした用事が終われば、ふっと寂しくなるのかもしれません。

どちらにせよ、温かいお言葉有難うございました。( ^-^)
by 九子 (2006-05-02 16:26) 

九子

[悪女さん、有難うございます。]
そうでしたね。悪女さんにそんな話しましたよね。
人の死って、本当に突然やってきます。

高齢の父ですらそうだから、ましてや若い人が何かの事故に巻き込まれて亡くなるような場合は、どんなにか受け入れ難いだろうかと思います。

だからまあ、いい亡くなり方だったのではないでしょうか。
確かに幸せな人生でした。有難う。

またこれからも、薬局にちょくちょく顔を出してくださいね。
( ^-^)
by 九子 (2006-05-02 16:34) 

九子

[よぽぽさん、有難うございます。]
よぽぽさん、そう言って頂いて有難うございます。
確かに私も、父の人生も亡くなり方も、幸せなものだったと思うので、悲しいというよりむしろ「良かったね。」と言ってやりたいような気持ちです。

そんなに落ち込まないですんでいるのはそのためかもしれません。

温かいお言葉、嬉しかったです。( ^-^)
by 九子 (2006-05-02 16:40) 

ちゃら

[ご冥福をお祈りいたします]
更新していないのでどうしたのかしら?とは思っていました。
大変でしたね。一人の人がこの世を去ることは大変なことです。
華やかな人生でお父様も満足だったことでしょう。
今頃きっと次のお役目を見つけていますよ。
残された人は寂しい思いが日に日に増すでしょう。
九子さん、体に気をつけてくださいね。
by ちゃら (2006-05-03 00:13) 

九子

[ちゃらさん、有難うございます。]
ちゃらさん、いつも折りに触れ優しいお言葉を有難うございます。こちらのほうはすっかりご無沙汰してしまってごめんなさい。

実は父の兄弟がここのところ1年と少しの間に皆亡くなっています。
長男だった父が一番最後でした。
生きている間は、なかなか会えなかった3人でしたが、今頃はあちらで仲良くしているかもしれません。
向こうでの友人知人には事欠かない父ですので(^^;、楽しくやってるのではないでしょうか。

こちらのほうも、疲れたときはごろごろして、うつ病封じをしています。

ご心配頂き、本当に有難うございました。( ^-^)
by 九子 (2006-05-05 17:23) 

あずーる

[さみしくなりますね・・・]
亡くなられたのですね。
自分の人生を悔いなく生きられたお父様。
さみしくなりますね。九子さんも疲れがでませんように。
by あずーる (2006-05-05 23:00) 

maria

[ご冥福をお祈りいたします]
九子さん、忙しさに感けて、久しぶりにやってきて、たった今、お父さまが亡くなられたことを知りました。遅くなって、ごめんなさい。お父さまが招致した長野オリンピックで働けたことを、大変光栄に思います。本当に楽しい、素晴らしいオリンピックでした。お父さまの思い出、心に響きました。私もお父さまのような良い人生を行きたい、と心から思いました。九子さんもどうぞご自愛ください。
by maria (2006-05-06 11:33) 

九子

[あずーるさん、ご心配して頂いてすみませんでした。]
あずーるさん、私書箱でご心配して頂きましたが、本当の理由を言わなくてごめんね。
そうなんです。弱っていたとはいえその日まで元気で、あっけなく亡くなってしまいました。

確かに寂しくはなりますが、年に不足は無いし、大往生だったと思います。

それにこうやって、お会いしたこともない多くのうら若い女性の方々にお見舞いを頂戴して、今頃あちらでニタニタしていると思います。( ^-^)

はい。私も出来るだけだらだらごろごろしておりますので、どうぞご心配なく。

有難うございました。( ^-^)
by 九子 (2006-05-07 00:04) 

九子

[mariaさん、有難うございました。]
そうそう、mariaさんはバリバリの通訳さんで働いてらしたんですよね、長野五輪。
私にとっても、本当に楽しい思い出でした。
父が居たから行けた場所もたくさんありました。

mariaさんにお悔やみ頂いて、父は本当に喜んでいると思います。
オリンピックは父の総決算でしたから・・。

あんまり皆さんに「素晴らしい人生」などと誉めて頂いてしまって、少々気恥ずかしい思いを本人しているんじゃないかと思いますが、誉められるのも大好きでしたので(^^;、良しとしておきましょう。

mariaさんこそ大変なお仕事ですから、健康には細心の注意を払って下さいね。( ^-^)

有難うございました。
by 九子 (2006-05-07 00:22) 

Nana

[ご冥福をお祈り申し上げます。]
久しぶりに訪れたところ、九子さのお父様の訃報を読んだしたいです。こころからお父様のご冥福をお祈り申し上げます。
by Nana (2006-05-15 14:41) 

九子

[Nanaさん、有難うございます。]
Nanaさんって、mariaさんのところでお目にかかったNanaさんでしょうか?
こちらこそご無沙汰申し訳ありません。
教えて頂いた本、早速アマゾンから取り寄せましたが、案の定ほとんど進んでいません。(^^;
でも、イラストが豊富でわかりやすい感じです。(専門用語が多いので、九子にわかるかどうかは微妙ですが・・。(^^;;)

お悔やみ頂戴し有難うございます。
でも87歳でしたから年に関してはもう後悔ありませんから・・・。

父のお陰でお仏壇が身近になりましたよ。( ^-^)
(って、一応仏教徒じゃあなかった?)

でも海外にいらっしゃると、万が一のご家族の事故とかがとてもご心配でしょうね。ネットで確かに世界は狭くなりましたが、いざ動くとなるとまだまだ時間の壁がありますね。

ご家族もそうですが、Nanaさんもお気をつけて。
by 九子 (2006-05-15 22:57) 

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