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調剤過誤 [<坐禅、仏教、お寺の話>]

あれは九子が薬大生の頃。
出来すぎ母になんでもやってもらっていたので手などほとんど動かしたことの無い九子が、一番怖れていた実習=実験の時間。
学年が上がるたびに頻度が増して、午後はもうほとんど毎日実習という最低最悪の日々。

びくびくして神経をすり減らすばかりで、一体この実習の目的は何なのかすら皆目掴めない不毛な時間のせめてもの慰めに、九子は夜英会話スクールに通ったり、その地域の若者のサークルみたいなところに誘われて顔を出したりしていた。

そのサークルで、初対面の彼女に自己紹介をした時に言われた一言が、実は今もって九子の心の中に澱(おり)のように溜まっていて今だに解決の目処がつかないでいる。


「私、そこの明薬に通っているんだけど、私って薬剤師に向いてないんだよね。そそっかしいし、手は不器用だし・・。」

彼女はそう言う九子の目を真正面に見据えて、あきれ果てたようにこう言った。

「何甘ったれたこと言ってんのよ。あなたは薬大生でしょ。薬科大学に入れたんでしょ。薬剤師になりたくたって成れない人はいっぱいいるんだよ。甘ったれるのもいい加減にして欲しいわ。」

彼女はもしかしたらその薬剤師になりたくてもなれなかったうちの一人だったんだろうか。
とにかく初めて会った人からの予想外の鉄槌に、九子はたじろぎ、声を失った。


その後何度も、彼女の言う「甘え」を返上しようと努力は試みたと思う。
でも結果は惨敗だった。

そもそも九子が戦っていたものは、自分の不器用さとか、薬剤師としての素質などですらなかったのだ。

当時九子が何よりも怖れていたのは他人の目だった。
実習をしている時も、秤で原料の重さひとつ量るにも、ノロノロしていて後ろの人から「ねえ、ちょっと何してるの?遅いわねえ、まだあ?」と声がかかるとオロオロする。ただでさえ遅いのに、ますます緊張してミスをする。

とにかく心に余裕というものが全く無かった。
なにをやってもびくびくおどおどしながらやる訳だから、うまくいくはずがないのだ。

もしかしたら予習をしっかりとやって臨めばよかったのかもしれないが、実験のレポート書きなどに追われて、時間の余裕も持てなかった。

それは、病院実習という実際の調剤を学習する場でも同じことだった。
当時は今と違って10日か2週間の短期実習だったと思うけれど、何を習ったのか九子の記憶はまったくと言っていいほど無い。

ただ、何名か実習生が居た中で、九子一人が「またあなたですか・・」という冷ややかな目で叱られた記憶が残っているだけ・・。

就職してからも、事情はほとんど変わらなかった。

九子の中の、自分が手を動かさずに母にすべてやってもらって育ってしまったことへの劣等感は、何よりも抗いがたい自信の無さにつながり、周囲の人々に対する拭い難い怖れの感情へと育って行った。

まず九子は、残念ながら普通の水準に遠く及ばない自分を抱えながら、壁のように立ちはだかる普通以上の水準の人々と戦わねばならなかった。

教えてもらう内容など二の次、三の次だったのだ。

 

これから言うことをわかって下さる方は、もしかしたら多くはないと思う。
それどころか、九子を軽蔑される方もいらっしゃるかもしれないけれども敢えて書いてみる。

生まれてから現在まで、一人っ子の九子はいつも自分一人の世界の中に生きてきた。

そしてそれ以外の外の世界との接触を、とにかく普通の人なら直接ストレートに体験することを、九子は「自意識」というベールに包まれながら体験していたのだと思う。

言葉を変えれば、九子の世界とは、いつも厚い「自意識」に覆われた世界だった。

何を言っても、何を言われても、何をしても、何をされても、そういう体験自体が九子の中では薄物に包まれたように曖昧模糊としていて、それよりも優先されるのが、九子の気分がどうであるかということだったのだ。

つまり九子がただひとつ関心があったのは、実は自分自身の気持ちの在り様だけで、それ以外のことなどどうでもよかったと言うことになる。


自分の気持ちが外の世界の刺激によって万華鏡みたいに刻一刻と変わっていくのをおどおどしながらじっと見ていた。
怖れながらも、実はそれを見るのを止めるに止められなかった。言ってみればそんなところだろうか。

それほど、九子の気持ちは常に揺れていたし、自分の気分をある一定水準以上に保っておくことに努力を注ぎ続けた毎日だったように思う。

九子は何かを体験せねばならない時に、まず自分の心と葛藤していた。他人の中で傷ついている自分、うまく出来ない自分、不幸な自分、九子は常にそういう自分を感じていた。
そういう可哀想な九子ちゃんに困り抜きながら、どこか悲劇のヒロインを演じる思いもあったに違いない。

勢い肝心の外からの刺激、つまり体験やら経験といったものは薄くなる。当たり前のことだ。
一番の関心事は外界の刺激でなければならないのに、九子は自分の気持ちの方ばかりに囚われていて、外の世界に起こる事にはきわめて淡白だった。

勉強とか、九子のとりあえず得意だったものをしている時は、自分の気持ちの揺れは少なかった。
だからより外界に、つまり勉強そのものに集中することが出来た。

ところが実習になると、自分よりも優れていて、難しいことを楽々とこなして行くまわりの人々が嫌でも目に付いた。そして、自分の気持ちは相対的に落ちて行く一方で、落ちていく自分の気持ちに囚われて、同時に実習に対する集中力も萎えて行ったという訳だ。

だから九子にとって何かを体験する、ましてや人と対等に話をするなどと言うことは、自分をがんじがらめに縛っているところの「自意識」と折り合いがついて初めて可能なものだったのだと思う。

そして九子が坐禅を知った時、生まれて初めて「自意識」の世界から自分が自由になったと思った。

30分の坐禅で到達出来る「小さな悟り」の直後、九子は自分の気持ちがずっと安定してゆるぎなく、今までのように常に気にしている必要が全くなくなっていたことに気がついた。

人が怖くない、不安がない、気持ちが明るい、幸せである・・坐禅がもたらす全てのもののわずか数%にも過ぎないであろうこれらの恩恵によって、壁のように外界を遮断していた九子の「自意識」は、薄い薄い水のようになって、外界のものを全て受け入れ、また九子自身が他人に受け入れられる喜びを初めて知ることが出来るようになったと思っている。

 

九子は確かに薬剤師の資格を取った。
薬学部や薬科大学に入るのは難しい。
国家試験に通るのだって楽ではない。

九子だって当時は人並みに努力はしたのだろう。
今だからわかるが、九子は国家試験の時、ウツの最中だった。
そんな中で良く合格出来たと思う。

だけど問題はその後だ。

九子のうちは薬局だけれども、父の市会議員の収入やM氏の収入で、まったく薬が売れなくとも困らない日々が長かった。

もちろん九子は子育て中を理由に、薬剤師とは名ばかりの日々を過ごしていた。

さすがに会計士さんに「このままなら薬局閉めちゃった方がいいですよ。」と言われるに及んで、出来すぎ母は笠原十兵衛薬局を調剤薬局化しようなどという恐ろしい事を考え始めたようだが、九子が断固として阻止した。

理由は簡単だ。九子が調剤をすることは当時も今も世の中のためにならないと思っているからだ。


何年か前に新聞に大きく取り上げられた調剤過誤の事例では、そもそも調剤用の小ビンに移される段階で、別の非常に強い薬が入ってしまっていたことに気づかずにたくさんの人に調剤されて、多くの人々を巻き込む調剤事故が起こってしまった。

粉薬の違いを外から判別するのはまず無理だと思う。

そしてその後、事故を起こした薬剤師さんは自殺されてしまったと聞いた。

本当に本当に不幸な出来事だった。
子供が薬剤師になった時ご両親はさぞや喜ばれたと思うが、こんなことなら薬剤師なんかにするんじゃなかったとどんなに後悔されていらっしゃるかと思うとお気の毒でたまらない。

 


その電話は、いつにも増して大きな音で鳴ったような気がした。
九子が出ると、それは近所の医院の看護師さんからだった。

「○○さんの処方箋、そちらで調剤されましたよね。こちらではxxxx5mg1錠と処方したはずなんですが、お薬手帳にxxxxx3mg1錠となっているのですが、どういうことでしょうか?」

九子は飛び上がった。「えっ?信じられません。うちでは確かにxxxx5mgでお出ししているはずです。」

とりあえず棚にある残薬を見る。確かにxxxx5mgの箱に薬がまだ残っている。

もう一度確認してこちらから電話をする旨伝えて、4月分の調剤請求を見直す。

すると、なんと!

患者さんにお渡しした薬は確かにxxxx5mgに間違いなかったはずなのに、請求する段階でxxxx3mgとして請求が出てしまっていた。

そうである以上、お薬手帳にも添付文書にもxxxx3mgと印刷されてしまうから、おうちの方はそれはそれは不安だったと思う。

悪い事に患者さんは施設に入っていらして、ご家族は薬を直接見られない立場にいらした。

その上、直後にさらに強いxxxx10mgに処方が変わったそうなので、うちから行った薬が3mgだったために症状が悪化して薬がさらに強くなったと思われても仕方が無い。

薬剤師会に電話して調剤過誤の報告をする、医院に謝りに行く、患者さんのご家族に謝る、もう生きた心地がしなかった。

ただ幸いだったのは、調剤自体が間違ってはいなかったことで、その点を医院にも患者さんにも問屋からの納品書で確認してもらって理解して頂いた。

薬剤師会への報告の時点でも、間違った薬をお渡ししてしまった訳ではないということで、結構簡単に手続きが済んだ。


こんなことは、さすがに何度もあることではない。
ただ、九子の場合初めてでもない。


九子が今までに調剤した処方箋の枚数と、ミスをした頻度を考えてみた場合、たとえば一ヶ月に5000枚の処方箋をこなす調剤薬局で考えたら、もしかしたら500枚にミスが出るみたいなとんでもない頻度になるのだと思う。

もちろん調剤そのものは間違っていなくて、保険請求の数字や患者さんの保険者番号などが間違っていたという場合がほとんどなのだけれど・・・。

 

九子は基本的に自分の世界の中に住んでいる人間だ。
その中でああでもないこうでもないと妄想にふけることはそれこそ星の数ほどある。

大事な坐禅をしている時も、ふっと自分の世界に入り込んでしまうと何十分もがすぐに過ぎてしまう。

なんという集中力の無さ、なんと無駄な時間を過ごしているのかと自分自身でも呆れてしまうが、こんな時に考えたことがブログのネタになったりするのだからまんざらでもないのかなと自分を甘やかす。

せめて薬剤師の仕事の中で一番の中心であるべきはずの調剤業務に携わっている間だけは、仕事に集中しようと思うのだけれど、ふっと何かの拍子に集中力が途切れることがある。

さっきの5mgと3mgを間違えた話でも、調剤ソフトの薬のリストの中に5mgと3mgの錠剤が並んで書いてあって、それを押し間違えたというなら話はわかる。

ところが5mgも3mgも数社から何種類も出ていて、5mgは5mg、3mgは3mgの別ページに分かれて記載されているのだ。

そこを間違えてしまうというのが、九子の限界のように思う。
九子が調剤をすることが世の中のためにならないというのはそこのところだ。

 

大部分の薬剤師さんは大変優秀だ。
お陰で十把一絡げで九子みたいのも優秀の範疇に入ってしまう。

薬剤師、旧家の18代目、善光寺信徒総代の家柄、などなど。九子の持っているものは外から見るとそれなりに輝かしく見えるのかもしれないが、九子はそんなこと一度だって思ったことも無い。

なんだか見かけ倒しだ。九子は九子の実像だけを知って欲しいのに・・。

九子の本質はちっとも変わらず、何でもやってもらって育ったお嬢さんのままだ。                          ただそれなりに守るべきものは増えた。

掃除も整頓も大嫌いなので、とっ散らかった家に住んでいても怒りもしないM氏に甘えきっている。

それでも坐禅のお陰で、そういう自分でも昔よりはずっと好きになれた。
自分を好きになるということは、幸せの原点だ。


九子は弱虫だ。だけど坐禅を知って、少しは強くなれたと思う。

弱虫が強くなると言うことは、人並みに強くなることではない。
もちろん本当に強くなれたらどんなに素晴らしいかとは思う。

弱い人間が強くなると言うことは、とりあえず自分の弱さを認めて笑い飛ばせるようになることだと九子は思っている。

失敗を笑い飛ばせたら、それはその失敗を克服出来た時だと思う。自分の劣等感を払拭出来た時だと思う。自分は弱いと認めることが出来た時点で、その人は少しだけ強くなれる。

九子はだから、自分と同じような弱い人たちに坐禅で幸せになってもらいたい。

たまにそういう人たちから電話がかかる。
「薬剤師の九子さんがダメ人間だなんて聞くと、親近感が沸いてほっとしますね。坐禅、僕でも出来るかな?」
そう言われる事も多い。

そう思ってもらえたら、九子は九子が生きている意味があったと思う。

 


九子はいつも自分の世界の中に住んでいる。そして、それに満足している。
だから、友人とつるんで買いものに行ったり、誰かとのべつまくなく電話でおしゃべりしているというのは性に合わない。

一年にたった一度であっても、薬大で孤立していた九子をまるごと受け止めて仲良くしてくれた大事な親友が電話をくれた時、それも彼女が理不尽な理由で調剤請求の個別指導を受けて、決められた書式を使っていなかったというだけで彼女にはなんの落ち度も無いのに2年間分の薬剤管理指導料を査定されてしまった時、「九子ちゃんの声でも聞いて元気になりたかったのよ。」と言ってくれた言葉は、九子の宝物だ。

同様に一年にたった一度しか会わない友人でも、大事な友人は何人かいる。
九子はそれで充分幸せだ。


ブログを始めて、そんな九子の世界に興味をもって下さる方々もいらっしゃるようだ。

そんな大切なあなたに是非とも伝えたい。


九子はいつも自分に正直に生きています。
九子が書くのは、いつも等身大の九子です。
自分を卑下したり、へりくだってるつもりは毛頭なくて、自分から見てそういう風に見える通りを書いています。

自分に自信が無かった年月があまりにも長かったため、もしかしたら九子の見方にゆがみがあるかもしれません。
心理学の先生が言われるところの「認知のゆがみ」が・・・。

九子のうつ病は、あまりにも簡単に薬で治ってしまったため、「認知のゆがみの矯正」という大事なプロセスが抜け落ちたままになってしまいました。

もしもその考え方を習ったら、九子はもっと自分に自信がつくのでしょうか。
そうかもしれませんね。

自信がついたら、九子はもっと魅力的な人間になれるのでしょうか?
もしもそうであるならば、そうしてみたいと本気で思います。


でも九子は、今のままで十分幸せなのです。
100%の自信ではないけれど、自分を笑えるだけの強さがあって、それで昔の私のような弱い人々がそんな九子にほっとしてくれて、それなら自分も坐禅で幸せになれるかもしれないと思ってくれるのであれば、本望だと思います。


九子は小心なのかもしれません。
期待されて、期待はずれと言われることが怖いのです。
それならば、最初から手の内を見せてしまった方がずっと安心です。


大切なあなたに、九子の言わんとするところが伝わったかどうかわかりません。
九子の本質があなたが思っていらっしゃったのと違っていたとしても、どうかがっかりしないで、これからも九子と変わらずおつきあいして下さるように祈っております。

 

 


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niki

おはようございます^^
私は九子さんとお母さまとの関係とは逆で、母の束縛から
いかにして逃れようかと反発しながら生きてきました。
でもそのぶん、何でも自分でして自立心が強いように見えて、実は
内心、いまだに自信がないままなのです。その点は逆のように
思える九子さんと同じだと感じました。

でもいまこうして客観的にご自身を分析し理解できていらっしゃるので、
良いと思います!
私は期待を裏切ってきた分、ちょっと気が楽ですが、小心なところは
同じですw

完璧な人間はどこにもいないし、心が落ち着く方法を見つけることが
できたのなら、それでよいと思います~^^
by niki (2012-08-01 08:21) 

九子

nikiさん、コメント嬉しかったよ。( ^-^)

nikiさんはとても強い人ですよね。お母さまから離れようとなさる分・・。

私なんかからすると、これだけの語学の才能を生かしてお仕事されたり生活をエンジョイされたり、本当にうらやましいと思うのだけれど、あなたが自信が無いなんて言ったら、私なんかはどうしましょう。(^^;;

でもnikiさんほどの才能なら、ご両親さま、すごく期待されるわよねえ。
それを裏切ったの?
ああ、ご両親さまの思う方向に行かなかったということですね。

まあnikiさんなら、どっちへ転んでも独立独歩で生きていかれるでしょうからその点は心配ありませんね。( ^-^)

彼氏さんと幸せになれますように!( ^-^)
by 九子 (2012-08-01 16:31) 

扶侶夢

これからも変わらぬおつきあいを宜しくお願いいたします。^^)
by 扶侶夢 (2012-08-02 13:04) 

九子

扶侶夢さん、嬉しいコメント有難うございます。( ^-^)
もちろんですとも!
これからもよろしうお願い申し上げます。
by 九子 (2012-08-02 14:57) 

伊閣蝶

感動しながら拝読しました。
ご自身の心中をこのようにきちんと分析し、それを未来を生きるための糧となさっている九子さんを尊敬します。

「自分の弱さを認めて笑い飛ばせるようになる」、これは大変に難しいことではないかと、私は思います。
私がこの境地に至ったのは、組織の中での昇進などから無縁になった(つまり落ちこぼれた)あとのことでした。
それ以降は、全体としての目的が達成されるのであれば、自分のメンツや自尊心などにこだわる必要はないと思うようになり、気持が楽になったのです。
それにしても坐禅。やはり大きな功徳があるのですね。
私は全く未経験ですが、機会があれば取り組んでみたくなりました。

by 伊閣蝶 (2012-08-04 16:43) 

九子

伊閣蝶さん、こんばんわ。

感動なんてどんでもない!
ちょっとこんなことがあると、自分はいったいどうするのが一番いいのか考え込んでしまっただけなのです。

伊閣蝶さんのような優秀な方が組織の中から落ちこぼれてしまうなんてとても想像できませんが、日本の組織はいろいろな意味でえげつないところのようなので、有象無象に巻き込まれてそんなもったいないことになってしまわれるのでしょうか。

坐禅は本当におすすめです。
失敗しても気持ちがしゃんとしていられます。

ただ、私のようにウツ病があると、うまく組めない時期があります。
by 九子 (2012-08-04 20:04) 

toms outlet

Better than a dimwit I always say (but don't always do….)
by toms outlet (2013-05-09 10:40) 

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