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ジョニーへの伝言は一番よく出来た歌詞なのか? [<九子の万華鏡>]


先日NHKテレビで昭和の歌謡史の3時間特別番組をやっていた。
九子は最後の50分くらいしか見なかったが、阿久悠さんの歌詞が取り上げられていた。
その時阿久悠さんご本人が映って、「ジョニーへの伝言」、それと表裏をなす「五番街のマリーへ」、このあたりが自分ではナンバーワンの出来映えだと思うとおっしゃった。


え~???
九子はどうも腑に落ちない。


ジョニーもマリーも軽いと思った。
阿久悠なら、「舟唄」とか、奇しくも番組の最後を飾った「冬の蛍」とか、もっと重厚なのがたくさんあるでしょ?


「冬の蛍」は凄い迫力だった。詞の壮絶さもさることながら(九子は今日はじめて詞をよく読んだ。)、「北の蛍大合唱団」という合唱団がわざわざ結成されていて、中高年の男女の弾まない歌声が絶妙だった。


こっちの方が断然いいよ。ちょっと女には書けない歌詞だ。
「もしも私が死んだなら、胸の乳房をつき破り、赤い蛍が飛ぶでしょう。」


乳房を持ってる女には、それがまあ誰かさんのみたいにとりあえず乳房と呼べる代物でさえある限り(^^;;、少なくとも九子には書けないと思った。
生々しすぎない?特に小林麻央さんの悲報なんかあったあとには・・・。


こんな凄い詞があるのに、なんでジョニーやマリーなんだろう?


高橋真梨子は阿久にこう言われたそうだ。
「ちっちゃく歌わないでね。日本の歌じゃないからね。」


さすが!と思ったのは、高橋真梨子は「今度のバスで行く。西でも東でも。」


というその一行を読んで、それが外国であることを瞬時に悟ったという。


「ジョニーが来たなら伝えてよ。2時間待ってたと。
割と元気よく出て行ったよとお酒のついでに話してよ。
友達ならそこのところ、うまく伝えて。」


外国の話と言いながら、ずいぶん日本人的じゃあないだろうか?
2時間も待って普通なら嫌味のひとつも言いたいところなのに、そこは耐える女、可愛い女。
彼の友達に「元気そうだったよ。」と伝言するように言って、泣き出しそうな心をひた隠しにして去っていく。


彼の友達は彼女の切ない心がわかるほど敏感なやつなのだろうか?
そして肝心の彼の心は?


ただ、こういう心の襞を描いた歌なら、良い曲がもっといっぱいある。
たとえば中島みゆき。彼女の詞はそういうので溢れている。彼女はきっとそれだけ複雑な内面を持っているのだと思う。
前も書いたかもしれないが「悪女」なんかその際たるものだ。


彼の心が自分からもう離れてしまったことを察した女が、夜遊びをして、実はホテルのロビーやら深夜映画館やらで無理やり一人で時間をつぶして、男と遊んでる振りをして、彼の心がますます自分から離れて行くように仕向ける。


これなんかもう名人芸と言っていいと思う。
ここまでのことをされて、彼女の本音がわかる男がいたら、これも名人級だと思う。


中島みゆきという人は、その才能に脱帽した人がたくさんいるらしい。
一番有名なところでは「さだまさし」。
さだまさしの詞も一世を風靡したが、中島みゆきだけにはどうしても勝てないと言っていた。


話をもとに戻して、なぜ阿久悠はジョニーとマリーを一番として挙げたのか?


そもそも「五番街のマリーへ」が「ジョニーへの伝言」のアンサーソングなのかどうかはよくわからない。
でもそう考えると腑に落ちる。
と言うよりも、そう考えてみたいと思わせる。


ひとつ齟齬があるとすれば、マリーはジョニーと別れて、今度のバスが行く方に西でも東でも行くと言い、さびしげな町に着いた。


ましてやそれが外国であるならば、バスの終着点まで、ジョニーの匂いのしない遠い遠いところまで乗っていきそうな気がする。


ところがマリーが住んでいた五番街は、「近いけれどとても遠いところ」なのだそうだ。


そこのところが少しだけ違和感がある。


テレビに出てきた阿久悠は、かなり晩年だったように思う。
年をとると、九子なんかもよくわかるが、こってりした食べ物よりもあっさりしたものを好むようになる。


その上、若かりし頃の思い出がますます輝いて見え出すので、かなわなかった恋の話やら、初恋の物語なんかをいつもに増して美しく思い出す。


好きという気持ちを素直に言えたら今頃いっしょに暮らしていたかもしれない人。お互いを思いやるがゆえに「好き」を言いそびれてしまった人。


もう決してもどらない「若さ」がそうさせた運命。


阿久悠という稀代の才能が、どんな力強い作品も書けた人が、最後に「一等賞」に挙げた二作。


阿久悠も年のせいでステーキよりもお茶漬け好きになっただけ・・なんて言わないよ。(^^;;


自分の心の片隅に住んでいる昔の恋人をちょっとした拍子に思い出して、ただただ相手を思いやって人づてに尋ねる。今ではほとんど使われなくなった「伝言」という確実性の薄い伝達手段で、更に人に頼んで昔の恋人の消息を尋ねる。
もしも幸せにしていたら、それでいいんだ、何もしないで!


酸いも甘いもかみ締めた阿久悠が、最後にたどりついた理想郷。


当時でももうコンピューターは多くの人が使っていただろうし、確実に消息を求める手段はいくらでもあったはず。


それを敢えてあいまいにしておく気配り、そして愛情。


外国が舞台といいながら、極めて日本的な、日本人的なジョニーとマリー。


阿久悠さんは、日本にあいまいさの無い社会が到来することを予見していたのかな?


だから、ジョニーとマリーにあいまいな日本人の美意識を表現させたのかな?


GPSがあなたのいる場所を突き止め、コンピューターがあなたの預金残高までもを言い当てる社会。
世界の人々にはあんまりわかってもらえないあいまいさの中にある優しさや美しさを、せめて日本人のあなたならいつまでも分かっていて欲しい。分かり合いたいものだ。
そういうメッセージだったかもしれない。


★ ブログ「ママ、時々うつ。坐禅でしあわせ」 頑張って更新中です。是非お読みください。(^-^)

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九子

そらそらさま、興味深いコメント誠にありがとうございました。
ご指摘のところ、なるほど、言われてみると日本語として美しくないですね。
ただ歌の場合、曲が先に合って詞を後につける場合も多々あるようなので、仕方ないのかもしれませんね。
胸の乳房のご指摘も全くその通りですね。
歌詞というのは誰かが変だと思って声を上げなければ、曲のノリとともに間違ったものがそのまま通用してしまいますから怖いですね。


by 九子 (2018-07-06 21:39) 

そらそら

舟唄にもありますね、「店には飾りがないがいい」って。
たまたま、『ジョニーへの伝言』、『五番街のマリーへ』、演歌では『冬の蛍』と『舟唄』が本当に好きだったので、なおのこと気になっていたんですね。
他の歌でも探せばまだあるかも。
九子さんのおかげでちょっとすっきりしました。ありがとうございます。

by そらそら (2018-07-10 21:11) 

九子

<以下そらそらさまから頂いた最初のコメントです。そらそらさまから不要な個所があったからと削除要請があり、順不同になりましたがこちらに掲載させて頂きます。>



阿久悠さんは好きなのだけど、ときどき腑に落ちない歌詞とかがありました。
それをなかなか言う機会もなく、悶々としておりました。

そう、特に五番街のマリーでは、舞台は外国だと用意に分かるのに、どうも心情的に日本的だし、言葉使いも気になっているのでした。
「……もしも嫁に行って……」
外国の話でヨメという呼び名はしっくりきません。

「……寄らずに欲しい……」
これは日本語ではない。
先にメロディがあって、むりやり文字を当てはめたからなのか。

言葉の達人・阿久悠さんらしからぬ歌詞は、「冬の蛍」にもあります。
「……胸の乳房を突き破り……」
胸の乳房ってw 頭痛が痛いと同レベルでしょ。乳房は胸にしか無いんだから。
その後に「赤い蛍」が出てくるんだから、生々しいけど「白い乳房を突き破り」のほうがもっと凄みを増すと思うのです。


by 九子 (2018-07-11 22:53) 

九子

気にすると気になるけど、特に名曲の歌詞は落ち着かないと思ってもいつの間にか馴染んできてしまうようです。それが歌の魅力でしょうか?

そらそらさん、コメント有難うございます。
もしよければ左欄から九子のところにメールを一通下さいな。
お待ちしています。<(_ _)>
by 九子 (2018-07-11 22:59) 

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