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魔法の鏡 [<九子の万華鏡>]

今回の直木賞は、なんとユーミンこと松任谷由実氏だったそうな。


なるほどなあ。その手があったか!


九子はどっぷりのユーミン、中島みゆき世代!


大学時代の一人ぼっちの部屋を思い出せば、ユーミンの「翳りゆく部屋」が頭の中で勝手に流れ出し、好きだった先輩に彼女が居たとわかった日には、中島みゆきの「時代」を無理やり歌おうとして、歌えなかった苦い思い出が、あの頃よりは甘酸っぱく心にしみる。


ユーミンが直木賞というのは言い得て妙だ。


彼女の歌は大衆的・・かどうかはわからないけれど、深刻な事を明るいメロディーでさらっと歌ってしまう。彼女は良く都会的と評されたが、八王子の大きな呉服やさんの娘で、お金の苦労などしたことがなさそうなところが、明るさに満ちた軽いリズムと中性的な歌声の新鮮さも相まって、新しいスターを心待ちにしていた若い世代の心をつかんだのだと思う。


何しろ当時はかぐや姫の「神田川」に代表されるビンボーな学生の歌が多かったから・・。


彼女の実家は例の「はれのひ」事件で、晴れ着が着れずに悲しんでいた娘さんたちに急きょ晴れ着を貸し出して話題になった。


それに比べて中島みゆきは、北海道のお医者さんの娘さん。

同じようにお金の苦労はしたことがなさそうだけれど、こちらは暗い情念を歌わせたらピカイチで、明るいものの中に存在する陰の部分を際立たせる歌詞と曲が特徴。

勢い、歌そのものも暗くなりがちだけれど、その中にある明るい部分の美しさとやさしい希望に心躍らされる。とても繊細で複雑。だから純文学!


もしも次回の芥川賞が該当者なしであったら、中島みゆきが受賞する!!


と、九子は勝手に予想している。

どうでもいいことは置いといて・・・・。(^^;;


当時は「荒井由美」だった彼女のヒット曲の一つが「魔法の鏡」だ。

あれ?うまく貼り付けられないのでURLのみ。

https://youtu.be/oTKUTv1rXbo

九子も買ったアルバムMISSLYMが全曲聴ける。7曲目にある。

 

魔法の鏡を持ってたら、あなたのくらし映してみたい。

 

もしもブルーにして居たなら、偶然そうに電話をするわ。


の歌詞で始まるこの曲は、今考えてみたら彼女が作り石川ひとみが歌ってヒットした「まちぶせ」と同じ怖い女路線の始まりだったのかもしれない。

 

こちらの方がまだまだうぶで、好きだった人を思うだけ。

人の恋人を絡めとったりはしないのだけれど・・。


ところで皆さま、あなたにとっての魔法の鏡ってどんな鏡?


九子の場合はご多聞に漏れず、ずっと長いこと「きれいに見える鏡」を欲していた。

うまい具合に、洗面台の鏡がそれに当たった。


他の鏡で見るよりも九子が美人に見えるのだ。(^-^)


だから九子は、その鏡に映る自分の顔を見るのが好きだった。

そう、もう何十年もの間。



ところがこの頃気がついた。

その鏡で見るとパーフェクトに映るのに、なぜか他の鏡では白髪が目立ったり、肌色が良くなかったり、しわが深かったりすることに・・・。


どちらの顔が正しいのかは言うまでもない。


そして九子は遅まきながら気づくのだ。

今現在の九子にとって、「魔法の鏡」とは現実をありのままに映してくれる普通の鏡のこと。

それを見ながら、白い髪を黒くし、さえない肌色にファンデーションを塗り、しわにマッサージクリームを施す。よりよく見せるための悪あがき。


人間年を取ると、ごくごく普通だったはずのものが、実は「魔法の・・」だったことに気が付くものらしい。

動いて当たり前だったはずの身体も動かなくなり、無理に動かすと痛みが生ずる。

若いころは当たり前に出来たことが出来なくなる。


ああ、身体が動くってことは、当たり前なことじゃなかったんだなあ。


そうやって「みんな」に、身の回りのいろんなものに「感謝」しながら死んでいくのが、日本人の幸せなのかしらん。


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情報の力 [<九子の万華鏡>]

 ZOZOTOWNの社長前澤友作さんという人は、このところ何かとお騒がせだ。

ダルビッシュ有の前の奥さんと付き合っていたというニュースを聞いた頃からお金持ちなんだろうとは思っていたが、ここへ来て剛力彩芽と浮名を流す・・というところまではまあ別に驚くようなことではないが、月に行くロケットの座席を8席ほど各々100億円で買ったというニュースには驚いた。


驚いたというのは実はオブラートにくるんだいい方で、実のところ九子はこう吐き捨てたものだった。「ばっかじゃないの?」


これが誰かさんの有名ブログなら今頃大炎上かもしれないが、そうではない九子のブログなのでお許しいただきたい。それに九子はこれから前澤さんを誉めるつもりなのだ。


ZOZOTOWNってそもそも洋服のネット販売のサイトでしょ?たまたま時代の潮流に乗ってお金儲けただけのことでしょう? それがそんなお金の使い方するなんて、成金趣味にもほどがあるわ!


そう思ってた九子だが、何度も流れるニュースやテレビ報道を見るたびに彼を見る目が変わってきた。


まず彼の会社は千葉県にあって、彼自身も、イメージするような六本木ヒルズ族ではないらしいこと。なんでも彼は東京一極主義に反対していて、会社のある千葉に住む社員を金銭的に優遇しているらしい。


そのうえ従業員は悪口を言い合わせないために給料も一律にしてあるという。


へえ~、ユニークなこと考える人なんだ!



知らなかったがZOZOTOWNに注文すると「ZOZOスーツ」なるものがタダで送られて来て、自分の身体のサイズがすぐにわかるのだという。


黒い伸縮性のある全身タイツに水玉模様がついていて、それを着ると水玉が目盛の役目をして自分のサイズが正確にわかるらしい。そして前、横、後ろ、斜め、全身をスマホで撮って送ることにより、客のあなたは600種類もあるブランドの品揃えの中から最適な一着を探し出すことが出来るし、ここからが重要なのだが、ZOZOTOWN側には究極のプライバシーである顧客のサイズ情報が残るのだ!


個人情報はGoogleやアップルやアマゾン、Facebookなどのアメリカ企業が独り占めしている。その一角を日本企業が担い、この情報を、たとえば病気治療などに応用することが出来たら、素晴らしい未来が開けるかもしれない、と彼は言う。


なんか凄いねえ。



そのうえ彼が投資した800億?円はロケットの座席以上の効果を彼にもたらしたらしい。

一面識もないレオナルド・ディカプリオからメールをもらったのがその好例で、世界中にニュースが流れて顔と名前が売れたということは、彼と彼のビジネスにとって大きなチャンスになるらしい。


情報というのはすごい力を持っている。

最新ニュースでは、facebookがトランプ大統領の得票アップに貢献したと報道された。

クリントン氏支持のはずの子供を持つ女性層から影響されやすいタイプの女性を抜き出して、クリントン氏に不利なニュースを流す。また同じく優柔不断な男性に対して、トランプ氏のいいニュースを流す。結果トランプ大統領が誕生した。

情報操作が大統領まで決めてしまうのだ!


情報を盗まれる。その怖さにどうも九子は鈍感だ。

GPSで位置情報知られたって、どこにいるかわかっていれば家族はかえって安心でいいんじゃないの?

IDやパスワード、暗証番号盗まれるのは困るよ。だけどそれ以外の情報だったらどうってことないんじゃないの?


先日もあるネット証券会社から通知が来て、こちらの責任でネットを通じてお金が盗まれた場合には、証券会社側としてはお金の補償を致しかねますと言われた。

「こちらの責任」の中には、ID、パスワード、暗証番号を外付けHDDやUSBメモリー、クラウドサービスなどに保存することも含まれていた。


えっ?そんなら一体どうすりゃいいの?

何度も変えて訳わかんなくなっちゃったものを年とともに鈍る頭に記憶させなさいってか?


早速問い合わせてみた結果はこうだった。


「お客さまが当社口座を利用されている端末へ、他人が容易にアクセス可能な環境で、
そちらから当該パスワード管理サービスを利用して不正取引が行われる状況である場合は、
お客さまの過失に相当いたします。

なお、インターネットバンキングにおける不正出金に対する補てんについては、お客さまの
パスワード保管状況、通信状況等さまざまな面を勘案した上での判断となります。
当社サイトでもご案内しておりますセキュリティ対策等をご確認のうえ、当社口座利用を
行っていただきますようお願いいたします。」


証券会社って一番安全だと思っていた。カードで引きおろしなどほとんどしないから、

そこへ預けたものはほぼ永久に安眠し続けるものと思っていた。

それなのに・・・・!!


そうだ!九子の頭にひらめきが!


他人が容易にアクセス可能な環境じゃなくすればいいってこと!

調剤室に鍵かければいいんじゃないの?


それを思いついてから、ようやく枕を高くして眠れる九子だった。

(いつでもよく眠ってますが(^^;;)


でも、そもそもそういう問題???


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自分の中の掟(おきて)と顔のないお化け [<九子の万華鏡>]

日本には見えない縛りが多くある。


 

たとえばこうだ。


 

しばらくぶりで見かけた人が明らかに昔より自分に冷たくなったように思えた。態度がよそよそしい。私に何か怒っているのかな?何が原因だろう?


 

その人と話してた人も既知である。


そんな時、「あの方どうされたのかしら?私を怒っていらっしゃるのかしら?あなたどう思われて?」


と、こんな小津安二郎の映画の世界風で無くてもいいけど(^^;;


そういう質問ってなかなか出来ない。


 

一番は自分とその人の関係性にその既知の人を巻き込むことを恐れるからだ。


 

それでなくても自分の中に掟があまた出来ていて、そんなことを聞くのは不躾だとか、自分も聞かれたくないことを聞くもんじゃないとか、あの人とはそんな仲じゃないでしょうとか、そんな気持ちが勝ってしまって聞くことが出来ない。


 

こういうこともある。


 

電話というのは昔からある双方向の通信手段で、その場でけりが付く事が多い。


それに引き換え、昔は手紙だけだった一方通行のやりとりが、現代社会は時間的には素早くなったとはいえ、メール、ライン、SNSの書き込みなど、多彩になっていくつも選択肢が増えた結果、私のような小心者が悶々とする機会が多くなった気がする。


 

あの人からまだ返事が来ないけれど、メルアド間違えて届いてないのかしら?何か不都合なこと書いて怒らせてしまったのかな?具合でも悪いのかな? 単にお忙しいなら良いのだけれど・・。


 

悶々とするくらいなら、もう一度メールを書く、いっその事電話をする・・。


という選択肢はなかなか取れないのよねえ、九子の場合。


気を悪くされるのが怖くて(^^;;


 

こういうのを総称して「遠慮」と呼ぶ。


 

遠慮は良くも悪くも私たち日本人を特徴づけるものだ。


 

慎ましく恥ずかしがりな日本人のこの特性は、大変美しいとされるし、この国に住んでいる限り誠に居心地がいい。


 

だけどそこに重大な欠点があることにお気づきだろうか?                                                        


遠慮ということは自分の考えを閉じ込めて、人にゆだねてしまうことだ。


自分の考えは表現してなんぼだ。いくら自分でずっと考えていましたと言ってみても、言葉にして表現するか、文字にしてあらわさなければ他人には伝わらない。


 

そもそも遠慮ばかりしていると、本来の自分の欲求というものがだんだん希薄になって、人の考えにとって変わられていく。


 

最初のうちこそ自分の考えが通らなかったことに残念な思いをするかもしれないが、それがたび重なるごとに次第に慣れていき、人が考えてくれる意見に乗っかるならその方がずっと楽だと、自分の考えを持つことすら拒絶してしまう。


 

それがある人=誰かの考えに同化することであれば、まだ選択の自由がある。


少なくても数人分の意見はいつでも出るからだ。


 

ところが日本には「みんな」という顔のないお化けがいる。


「みんなそう言ってたよ。」「みんなこういう意見だよ。」


「みんな」の意見に取り込まれたが最後、あなたに思考の自由はもはや無くなる。


 

日本の未来は安倍首相が言うほど明るくない・・・と思う。


中国にしてやられて、すべてを無くしてしまうのではないだろうか?


 

中国はとんでもない国だと思うが、中国人一人一人は自分が好きなように生きている。


彼らのエネルギーが底なしに思えるのは、自分のやりたい事に貪欲で、誰がなんと言おうとまず自分を貫いて突き進む強さがあるからだ。


 

日本人で「私はこれがしたい。」とはっきり言う人、そんなに居ないんじゃないかな?


その一番の原因はこの国の教育のせいだと思う。


 

恥をかく。世間体が悪い。失礼だ。みっともない。


何度となく言われ続けてきた言葉たちが、あなたの自由な思考力を損い、奪っていく。


 

少なくとも小学校低学年まで、この国でも子供たちはまだ生き生きとしている。


何ものをも恐れない目をして、自由に動き回り、好き勝手にしゃべり続ける。


それが急に小学校高学年あたりから物言わぬ子らになり、気持ちを閉じ込めようとする。


 

私たちは「みんな」から自由にならなくては。


「他人の目」から自由にならなくては。


そうでないと、いつまでたっても自分の頭で考える習慣がつかない。


自分は本当は何がやりたいのか、突き詰めることが出来ない。


 

この頃「みんな」が集団で作り上げて来た日本方式が、世界の中ではそううまく機能していないように見える。


「みんなの総意」を探っているうちに、世界ではずっと素早く物事が進んでいってしまう。


日本の企業が負けているのは、決断のスピードなのだと思う。(expedia)






偉そうなこと言いながら、九子は子供時代ずっと自分の夢も、将来の希望も、まったく考えることは無かった。考えなくても決められていたからだ。


親がすべて決めてくれ、ただそのレールに乗っかっていたからだ。そしてずっと乗っかり続けていたほうがはるかに安全で楽だった。


 

楽に甘んじた結果、自分でするべき経験も、自分で選び取る力もひ弱な、すべての人を怖れる未熟人間になった。


 

自分に自信が戻ってきたのは、坐禅(座禅)に出会ったからだ。


坐禅(座禅)が自信も幸せも 希望も笑いも・・すべてを与えてくれた。


 

自分に足りない力に気付いた時、誰かが怖くなった時、不安に取り込まれた時。


あなたも坐禅(座禅)をしてみて欲しい。



坐禅(座禅)はこれからの日本の不安な未来に、きっと灯をともしてくれるはずだから・・。

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美人とイケメン [<九子の万華鏡>]

九子が通ってるスイミングのメニューににアクアビクスという水中体操があることは前にも書いたけど、そのクラスのインストラクターの一人が若い男性で、ずいぶんのイケメンであるらしい。


近視の九子のことゆえはっきりとは見えないのだが、色白でしゅっとした顔の、岡田将生くんタイプ!!


気の毒にねえ。彼がもしも都会のジムのインストラクターであったなら、派手なマダムからいろいろプレゼントされてちやほやされていただろうに・・。


もちろん九子はそんな軽々しくもイケメン先生の授業なんてとらないよ。

そもそも足が腫れてから、エアロビクスみたいな運動量の多いものは避けてひたすら水中ウオーキングに専念しているのだから・・。


だけども気になってちらちらっとは見ているよ。

プールの隣のジャグジーに浸りながら、何気なく横顔を眺めたり・・。


このあいだなんかスケジュール表をしげしげと見てしまった。

あの先生は週末以外はほとんど授業がない!

もしかしたら信州大学の学生アルバイトさんだろうか?

プールだけじゃなくてジムでも教えてるんだあ、エアロビクス!

へえ~っ!


と、まあ、かなりの熱の入れようで・・。(^^;;


人間どう考えても美しく生まれてきたほうが得だ!


このあいだの北朝鮮の金与正キムヨジョンだってそうだ。

北朝鮮のイバンカトランプなんて持ち上げられてたけど、彼女たちが月並みな容貌であったならば、きっと誰も注目しなかっただろう。


彼らは書記長、大統領のメッセンジャーだから、別にそれはそれでよい。

麗しい女性たちに与えられた歴史的な役割であり、別に珍しくもなんともない。


九子は安倍晋三首相が首相になった当初、なんて美男子な政治家だろうと思った。

背も高いし、品のいい顔立ちで、さすが家柄の良さを感じさせる。


それと同様に文在寅ムンジェインという人が韓国大統領になった時も、近年の中ではなかなかりりしい顔立ちの韓国大統領だと思った。


ただ国を背負って立つ人の場合は、顔の美醜などすぐにどうでもよくなってしまう事に思い至った。


そもそも美しい人間を人々はなぜ尊び敬うのだろうか?


そう言ってしまえば実もふたもないが、美しいものは極めて珍しいからだと思う。


珍しいと言えば奇形の動物もまた珍しい。

白いトラ、白いライオン、白いカラス、ピンクのイルカ、青いカエル、などなど。

それらは突然変異で生じた個体だから、子供が生まれる確率は低いし、目立つので敵の餌食になって長生き出来ない可能性も高い。


美しい人間だけが正常の範疇であり、かつそばに置いてめでるのにはふさわしい状態を長年保っている。


美しい物、人を見るというのは、快楽につながるのだと思う。

おぞましいものは見たくない。生理的に不快になるからだと言うのと同じ理由で、

人間は本能的に美しいものを見たい、触れたい、そばに近づきたいのだと思う。



九子は今日、その先生の顔をジャグジーからだけじゃなくて、隣のプールから、かにさん歩きしてまじまじと見た。(まじまじとではあっても、近視ではある。)

あれっ?と思った。

こんな顔だっけ?

岡田将生くんとは似ていない。頬骨が出すぎている。これじゃあ岡田将生というより、どっかの芸人さんみたい!


気持ちがスーッと引いていった。

なあんだ!ときめいて損した!!(^^;;



これが美男美女が持つ宿命!!

いつか飽きられ、絶望される運命!



それでもやっぱり、どうぜ生まれるなら美男美女に生まれたかったわねえ。(^-^)


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再び、三たび 長野と松本 [<九子の万華鏡>]

このところ用事があって何回か義姉の住む松本に赴くたびに、ああ、やっぱり松本には敵わないなあと思うことしきりだ。


もうそんなこと何十回も思った!


仕方ないよ。長野は門前町で松本は城下町。


お殿様を守り立てて参勤交代の折などに他の藩主よりもみすぼらしく見えないように、人々がこぞって知恵を絞り、高価な着物や生活用品を作り出した。

その結果、物は豊かになり、町は栄え、文化が広まった。


ところが善光寺のお上人さまやお管主さんは贅沢なんてしないもの。衣食住だって質素を旨としてきらびやかどころじゃない。


長野の町にいわゆる町人文化が栄えなくても、そりゃあしかたないんじゃないの?

そういって長いこと言い訳してきた。


ところがここへ来て、そうじゃないんじゃないの?と思うことが次々起った。


一番衝撃だったのは、松本に県下最大級のイオンモールが出来たことだった。

長野にはbigと呼ばれる小店舗があるばかりだ。


モールは義姉の住むすぐそばなので外からだけ眺めてみたが、すごい広さだ。

そしてここには広い音楽ホールにもなる多目的会場も作られていて、さまざまな目的に利用が見込まれている。


なぜ人口の多い県庁所在地の長野ではなく松本に?という話になる。


実はもう十年も前に長野にイオンモールを作る話が浮上した。

ところが時の市長さんが、そんなところに大きなものが出来たら市内の業者は皆つぶれてしまうと怖れた結果、イオンを締め出すことになった。


ところが松本はそれを受け入れた。市内の業者に大きな影響が出るだろうことはもちろんわかりきってたはずだ。


でも彼らはきっと、自分たちの努力で大きな施設と上手に棲み分けが出来ると考えたのだろう。そしてそうする自信もあった。


とりあえず今は彼らの目論見どおり動いている。イオンモールは都会からのたくさんのしゃれた店と、地元には無い珍しい飲食店が軒を連ね、たくさんの人々で賑わっている。

そして松本の町に昔からあったさまざまな専門店と共存している。(ように見える。)



これを見たとき、九子は考えた。

街って言うのは、人が作るものなのだと。

その街に住む人々のエネルギーと気合と意気込みとが、街を次々変えて行くものなのだ。


長野の人間は、きっと変化を拒むのだろう。

というか、変化が怖いのか?

とにかく地味で、保守的で、千年一日の如く同じように暮らしていくことが安心なのだ。

だけど「人だけは良い。」と言われていて、そこだけがせめてもの誇りだった。


ところがこれもだいぶ怪しくなった。


松本山雅というサッカーチームのことは皆さんご存知だと思う。元Jリーガーの松田選手が練習中に急死されたことでも有名になった。


数ヶ月前、山雅のスタジオが使えなくなり、長野パルセイロが本拠地としている長野市のグランドを今期初試合をするグランドとして使わせて欲しいという申し出が松本山雅から加藤市長のところにあったそうだ。


ああ、いいんじゃないの?使わせてあげれば!

ところが市長の歯切れは悪かった。


結局彼が言ったことはこうだった。

「こちらのグラウンドも台風の被害で芝がやられてしまっていて修理にどのくらい時間がかかるかわからない。だから答えは保留にさせて下さい。」


何?それ?

本当に貸す気があるなら「私の一存でその時までに必ず間に合わせますから。」と言って、握手でもすべきだよねえ。意地悪してると取られてもそれまでだ。


結局松本山雅の今期初試合は、山梨県ですることになったのだそうだ。


へただなあと思う。加藤市長だってこんな簡単なことで男を上げて、長野と松本が少しでも仲良くなるチャンスだったじゃない!

これでまた長野の人間は底意地が悪いなんて言われかねない。



会社のトップ、コミュニティーのトップ、そしてむろん国のトップは本当に自分の言動に注意して欲しいと思う。


彼らの言動は、もう彼ら一人のものではない。

それを言った、した人間が、すべての組織の人間を代表していると思われてしまうから。



先日中国人の女の子が二人、雲切目薬を買いに来た。中国人と言われる前は、上手に日本語を話すし、日本人だと信じて止まなかった。

だから普通の速度で普通と同じように古い店の説明した。それでも彼らはちゃんと意味を理解してくれたと思う。


でもちょっとしたアクセントが独特だったので聞いてみた。

すると、千葉大の留学生で、日本に来て2年半程だという。


はっきり言って、悪い意味での中国人らしさはまったく無かった。物静かな、「すみません。」をよく使うかわいらしい学生さんたちだった。


九子の中にあった典型的な中国人像は崩壊した。「こんなおとなしい中国人もいるんだなあ。こういう人たちばかりなら、お友達になれそう!」


人間の判断力なんていい加減なもんだ。結局自分の経験の範疇を一歩も出ない。



こんな長野市だけれど、たまには好きだと言って何度も訪れてくれる人もいる。

子供が大学で二年間いたけれど(信州大学教育学部と工学部の学生は松本で二年間、長野で二年間を過ごす)長野がとても気に入ったと言ってくれる人もいる。

そんな時は自分が誉められたように嬉しい。



ああ、そうか!

実はこの頃九子は段々とこの長野市に愛着が湧いてきた。

母親が出来の悪い子どもを可愛がるように、なんともパッとしない我が長野市に愛おしさを覚えるようになった。


年とったせいかしらねえ。(^^;;


そして思いついた。


長野市は九子に似てるんじゃないかしら?

何よりエネルギーが無いところが。(^^;;


保守的で新しい何ごとかをやり遂げようという意気込みの足りなさ。

出来るならば難しいことは目をつぶってる間にどうか頭の上を通り過ぎてて欲しいと思うところ。

そして、まあ住んでて困ることもなし、そこそこの物はなんでも揃うのだから、

目くじらを立てる必要もないでしょう・・という向上心の欠如。(^^;;



それでもこれでも、長野市にはたくさんの人が来て欲しい。

期待が大き過ぎなければ、そこそこ見るべきところも美味しい食べ物もある。

負けゆく者の美学もある!(たぶん)    


そして忘れずに正真正銘の長野市民九子に会いに、雲切目薬の笠原十兵衛薬局まで足をお運び下さいね。(^-^)       


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ジョニーへの伝言は一番よく出来た歌詞なのか? [<九子の万華鏡>]


先日NHKテレビで昭和の歌謡史の3時間特別番組をやっていた。
九子は最後の50分くらいしか見なかったが、阿久悠さんの歌詞が取り上げられていた。
その時阿久悠さんご本人が映って、「ジョニーへの伝言」、それと表裏をなす「五番街のマリーへ」、このあたりが自分ではナンバーワンの出来映えだと思うとおっしゃった。


え~???
九子はどうも腑に落ちない。


ジョニーもマリーも軽いと思った。
阿久悠なら、「舟唄」とか、奇しくも番組の最後を飾った「冬の蛍」とか、もっと重厚なのがたくさんあるでしょ?


「冬の蛍」は凄い迫力だった。詞の壮絶さもさることながら(九子は今日はじめて詞をよく読んだ。)、「北の蛍大合唱団」という合唱団がわざわざ結成されていて、中高年の男女の弾まない歌声が絶妙だった。


こっちの方が断然いいよ。ちょっと女には書けない歌詞だ。
「もしも私が死んだなら、胸の乳房をつき破り、赤い蛍が飛ぶでしょう。」


乳房を持ってる女には、それがまあ誰かさんのみたいにとりあえず乳房と呼べる代物でさえある限り(^^;;、少なくとも九子には書けないと思った。
生々しすぎない?特に小林麻央さんの悲報なんかあったあとには・・・。


こんな凄い詞があるのに、なんでジョニーやマリーなんだろう?


高橋真梨子は阿久にこう言われたそうだ。
「ちっちゃく歌わないでね。日本の歌じゃないからね。」


さすが!と思ったのは、高橋真梨子は「今度のバスで行く。西でも東でも。」


というその一行を読んで、それが外国であることを瞬時に悟ったという。


「ジョニーが来たなら伝えてよ。2時間待ってたと。
割と元気よく出て行ったよとお酒のついでに話してよ。
友達ならそこのところ、うまく伝えて。」


外国の話と言いながら、ずいぶん日本人的じゃあないだろうか?
2時間も待って普通なら嫌味のひとつも言いたいところなのに、そこは耐える女、可愛い女。
彼の友達に「元気そうだったよ。」と伝言するように言って、泣き出しそうな心をひた隠しにして去っていく。


彼の友達は彼女の切ない心がわかるほど敏感なやつなのだろうか?
そして肝心の彼の心は?


ただ、こういう心の襞を描いた歌なら、良い曲がもっといっぱいある。
たとえば中島みゆき。彼女の詞はそういうので溢れている。彼女はきっとそれだけ複雑な内面を持っているのだと思う。
前も書いたかもしれないが「悪女」なんかその際たるものだ。


彼の心が自分からもう離れてしまったことを察した女が、夜遊びをして、実はホテルのロビーやら深夜映画館やらで無理やり一人で時間をつぶして、男と遊んでる振りをして、彼の心がますます自分から離れて行くように仕向ける。


これなんかもう名人芸と言っていいと思う。
ここまでのことをされて、彼女の本音がわかる男がいたら、これも名人級だと思う。


中島みゆきという人は、その才能に脱帽した人がたくさんいるらしい。
一番有名なところでは「さだまさし」。
さだまさしの詞も一世を風靡したが、中島みゆきだけにはどうしても勝てないと言っていた。


話をもとに戻して、なぜ阿久悠はジョニーとマリーを一番として挙げたのか?


そもそも「五番街のマリーへ」が「ジョニーへの伝言」のアンサーソングなのかどうかはよくわからない。
でもそう考えると腑に落ちる。
と言うよりも、そう考えてみたいと思わせる。


ひとつ齟齬があるとすれば、マリーはジョニーと別れて、今度のバスが行く方に西でも東でも行くと言い、さびしげな町に着いた。


ましてやそれが外国であるならば、バスの終着点まで、ジョニーの匂いのしない遠い遠いところまで乗っていきそうな気がする。


ところがマリーが住んでいた五番街は、「近いけれどとても遠いところ」なのだそうだ。


そこのところが少しだけ違和感がある。


テレビに出てきた阿久悠は、かなり晩年だったように思う。
年をとると、九子なんかもよくわかるが、こってりした食べ物よりもあっさりしたものを好むようになる。


その上、若かりし頃の思い出がますます輝いて見え出すので、かなわなかった恋の話やら、初恋の物語なんかをいつもに増して美しく思い出す。


好きという気持ちを素直に言えたら今頃いっしょに暮らしていたかもしれない人。お互いを思いやるがゆえに「好き」を言いそびれてしまった人。


もう決してもどらない「若さ」がそうさせた運命。


阿久悠という稀代の才能が、どんな力強い作品も書けた人が、最後に「一等賞」に挙げた二作。


阿久悠も年のせいでステーキよりもお茶漬け好きになっただけ・・なんて言わないよ。(^^;;


自分の心の片隅に住んでいる昔の恋人をちょっとした拍子に思い出して、ただただ相手を思いやって人づてに尋ねる。今ではほとんど使われなくなった「伝言」という確実性の薄い伝達手段で、更に人に頼んで昔の恋人の消息を尋ねる。
もしも幸せにしていたら、それでいいんだ、何もしないで!


酸いも甘いもかみ締めた阿久悠が、最後にたどりついた理想郷。


当時でももうコンピューターは多くの人が使っていただろうし、確実に消息を求める手段はいくらでもあったはず。


それを敢えてあいまいにしておく気配り、そして愛情。


外国が舞台といいながら、極めて日本的な、日本人的なジョニーとマリー。


阿久悠さんは、日本にあいまいさの無い社会が到来することを予見していたのかな?


だから、ジョニーとマリーにあいまいな日本人の美意識を表現させたのかな?


GPSがあなたのいる場所を突き止め、コンピューターがあなたの預金残高までもを言い当てる社会。
世界の人々にはあんまりわかってもらえないあいまいさの中にある優しさや美しさを、せめて日本人のあなたならいつまでも分かっていて欲しい。分かり合いたいものだ。
そういうメッセージだったかもしれない。


★ ブログ「ママ、時々うつ。坐禅でしあわせ」 頑張って更新中です。是非お読みください。(^-^)

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ぶっこみジャパニーズ [<九子の万華鏡>]

このところニッポン礼賛番組が花盛りで、見るとなんだか逆に情けなくなって消してしまうのだが、この番組はついつい最後まで見てしまった。

寿司職人、剣道の達人、歌舞伎女形が海外で誤って伝えられてる日本文化の本筋を教えに行く。
歌舞伎女形なんて特に凄い!達人があの坂東玉三郎を髣髴とさせる市川春猿改め河合雪の丞だなんて・・・。
それこそプロ中のプロだ!

最初はロシアのお寿司屋さん。出来上がった寿司をてんぷらよろしく揚げてしまったり、サワークリームソースやチーズソースでアレンジしたなんともとんでも寿司を作っている。

その寿司屋に、寿司の達人が2日間修行に行く。達人だとは微塵も匂わさず、若い職人の言うとおりに得体の知れないやり方を教わったとおりに真似をする。

二番目はモロッコの剣道道場。剣道と一緒に空手やキックボクシング?みたいなものも教えているらしい。
初めて知ったが、剣道の試合では技が入った時に「面」とか「胴」とか決まった部位を大声で叫ばないと点数にならないらしい。

その道場では、胴を打ちながら「メ~ン」と言っていた。胴も小手も無し。「メン」しか知らないのだろう。
川の中に入って何かを唱える修行も、きっと日本の達人にはばかばかしいはずだが、達人は一生懸命やっていた。

三番目はノルウエーの、はっきり言えば歌舞伎パブ。よくも市川春猿ともあろう人があんなところへ行ったなあ思う。
ニューハーフみたいな男たちがしきりに扇をくゆらせて踊る。
あんまり修行らしきものもなかったせいか、リーダーの男性がエステで美顔術を施されるところなどが大写しで映し出された。

どこの場合でも、修行に入ったはずの三人の見習い、実は達人が、急に二日間で日本に帰ると言い出す。

そして別れた後、三日目には、本場日本からそれぞれの技の凄い達人が来るのだという広告が周知徹底されていて、店や道場関係者はもちろん、たくさんの人々が方々から詰め掛けて来る。

もちろん主役はあの達人たちだ。

さて、どんなことになるのだろう?

九子が思ったのはこうだ。彼らはいくら自己流とはいえ、大きな店や道場を構え、曲がりなりにもプロとして、お金を取ったり教えたりする立場にあるのだから、日本から本物が行ってそれを誇らしげに見せ付けたら彼らのプライドはずたずたに傷つけられるに違いない。

そうなった時、彼らはどうするのだろう?
怒り出す人が続出したら、どうなのだろう、テレビ的には?

ところが、あら、不思議!!
三組どこをとっても、素直に自分たちの非を詫びて、「日本の技術は素晴らしい。これからこの通りにしていくよ。」と号泣せんばかりの喜びようなのだ!

自分たちが間違っていた事を素直に認めてプロの技を評価する姿勢が本当にすがすがしい。九子は「なんていい人たちなの!」とその真摯な態度や謙虚さにいたく感激した。


「羞恥心」やら「恥」の文化とは、日本人を表す象徴のようになっている。
こういう時に「恥をかかされた」と思うのは、もしかしたら日本人だけ、あるいは日本人がとりわけ強いのかもしれない。

欧州の人々は今までの自分たちのやり方にそれなりの自信があったのだろう。だから「恥」とは決して思わず、自分たちのやり方で最善を尽くしていたと素直に思えるから、本物を受け入れる強さがあるのかもしれない。


日本人が言う「恥」とはなんなのだろう?
誰に対して恥ずべしと思うのだろう。
師あるいは、自分の行くべき「道」に対して、まだまだ未熟で恥ずかしいと思うのならよい。
ところが、こんな失敗をして他人にどう見られるか、
人様になんと言われるか、無様だ、情けない。
そんな人が大多数なのではないだろうか?

世界の中で長い間活躍していらっしゃる指揮者のmu-ranさんこと村中大祐氏がいつか、言い方は少し違っているかもしれないが「日本人には他人が常に介在している。」というようなことを書いておられた。いや、「他人が入り込みすぎる。」だったかな?

とにかく日本の中で生活しっぱなしの我々には、なかなか言えない言葉だろう。まさに言い得て妙だ。
この国で育ち、この国で生きている私たちが、他人の目を全く無視することは難しい。
だけどそれに振り回されず、自分の思い通りに生きていくことが特にこれからの時代大切なんじゃないかな?


市川春猿改め河合雪之丞、本当にきれいだった!
背骨をくぼませると肩が小さく見え、 男性より小柄に見える
なで肩に見せるようにあごを引いて首をもたげる。
女性よりも女性らしい艶姿だ。

一瞬で着物を着替える早着替えの技も見せてくれたが、それには二枚の着物を合わせているとじ糸を一瞬にして断ち切る裏方さんの存在が不可欠だそうだ。

彼らは、主役に影のように寄りそう他人だ。
己の存在を抹消して、自己主張は決してしない。
自分を100%殺し切ってる人たちだ。


自分と他人。日本人として生きる以上、どうやっても折り合いをつけなければならない二つの存在。
これからの時代、以前よりは自分中心に舵を切り、かと言って、周りへの配慮も怠らず・・・。


あ~あ、どうやってもニッポン人から抜け出せない九子である。

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区長のお仕事 [<九子の万華鏡>]

どうもこのところ愚痴っぽい話題が続いて申し訳ない。
が、やっぱりどっか変!と思う思いを綴ってみたい。

皆様は、自治会の役というのをなさっていらっしゃるだろうか?

都会はそんなの無いのかな?みんな忙しいのだから・・。

長野のような田舎だと大小さまざまな町に区長さんがいて、区長を補佐する役職がいろいろある。
区長と言っても東京の区長とは大違いで、ドン内田氏など居るはずがないし、選挙で選ばれる訳でもない。第一無給なのだ。

本来田舎町の区長は、当然市の職員がするべき用事を代わりにしているのだという声もある。

とにかく忙しくて無給だから、たいていは退職後の男性がなって、中には10年以上させられてる人もいる。

わが町は全部で14戸。住民の数にして30人を割っているという小さな町だ。(アパートを除いて)
若い人が少ないのだから子供の居る家族はたった1軒で、もうとっくに育成会は自然消滅した。

そこへ持ってきて町の役の数というのは大きい町でも小さい町でもあんまり変わらないから、この少ない人数で役を割り振るとほとんどの人が何らかの役を担うことになる。

九子は何年か前、名前も忘れたお役をひとつ区長さんから言い付かった。区長さんから言われたのは「何しろ名前だけ書かせて下さいよ。行かなくたっていいんだから。」だった。

だから九子はその通りにした。会合の連絡が入っても「私は名前だけと言われているので出席出来ません。」で1年だか2年だか通した。

だって、会合は昼間だよ。九子の薬局は九子ひとりっきりしかいないんだよ。店を閉めてまで行くような用事なの?

何度目かの会合の連絡の時に「夜の会合なら参加出来ます。それともこんなご時勢ですから、ネット会議ならいつでも参加します。」と言った覚えがある。

もともとが市の職員さんのお手伝いのために、長野市の経済活動を沈滞させるなんておかしいじゃない!!
頭脳明晰な人々が公務員さんになるのだから、ネット会議の一つや二つ、企画出来ないなんて変だよね。

とにかく何の用事だかわけわかんないもののために、仕事を放り出してまでする人の気が知れない。

と、常々思っていた九子であるが、その九子が理解不能の人がごくごく身近に居た。
M氏である。そしてM氏が4月から区長になった。

彼がビンボー神であることは周知の事実だ。自分で言ってる位だから自覚もある。
人がいい。人が良すぎる。こんな高いお金じゃかわいそうだというんで、近隣の歯科医院よりかなり安く治療する。

なぜ安くなるのか。それは、保険請求すべきところを保険請求しないからだ。やった仕事を申告しない。請求しない。
いつもは過剰請求をあばくのが仕事の保険指導員さんに「これもあれも請求できますよ。先生は金儲けが下手ですね。」と呆れられるほどだ。
その挙句、開業以来三十有余年、患者さんの数はかなり多いほうなのに、開業時の借金をまだ抱えている。

その彼が、町の役員の仕事に組み込まれた時、いつかはこういう日が来るだろうことは予想していた。

彼は何しろ真面目である。
言われたことはちゃんとやる。言われないことまで、自分で仕事を作って黙々とこなす。

彼は普通だったらもう定年の年だ。幸か不幸か歯医者に定年はないから、まああと10年は勤められる。
いや、あと10年勤めないと借金が返せない。

それなのに、仕事を休んでまで昼間の会合に出ようとする。
そのうちに、かつての九子みたいにずっと出ない人の代わりに会合に出るつもりとまで言い出した。
冗談じゃない!何日休んだら気が済むの?

「お願いだから昼間の会合は休んでね。区長のほかに、善光寺の役だってあるんだから、そんなに休んじゃ何年経ってもお金返せないよ。」と九子。

「まあ善光寺はともかく、町の仕事はなあ、九子、お父さんが市会議員の選挙で町にいろいろ手伝ってもらったお礼の意味もあると思っているんだよ。」とM氏。

どこまでも正攻法で攻めてくる。

そのパパが心配してたのは「Mさんは人が良すぎて金儲けがへたで困ったもんだ。」だったんだけど・・・。(^^;;

区長の仕事のほとんどがまだ始まっていない今この時から、結婚してから40年近く、ほとんど喧嘩もしないで仲良くやって来たM氏と九子にどことなく風が吹いている。すきま風とは言わないが、ちょっと見たことの無い方向から吹いてくる風だ。

まあでも心配御無用!
うん十年前に喧嘩した時は修復に一日かったのが、今ではもう瞬時だ。
これを時の流れと言うのかしらん。昔、ママとけんかした時とおんなじだ。


タイトルを見て、区長の仕事が羅列してあると思って読みに来て下さった方々、申し訳ありません。
試しにググって見たけど区長の仕事が何なのか、それでもさっぱりわかりませんでした。
九子に言わせると「何でこんな事するの?何の意味あるの?」と思うことばかりだけれど、M氏にとっては町を運営するために大切な仕事らしいです。

区長の仕事、自治体の役員の仕事、あなたの町ではどうですか?

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成宮寛貴は今どこに? [<九子の万華鏡>]

能界というところは、よほど魅力があるに違いない。
その頂点に立つために多くの人が競い合い、おおよそそのトップというのがテレビの視聴率などという得体の知れない化け物によって決められるものであったとしても、自分の顔が、名前が、能力が、不特定多数の人々に知れ渡ることに喜びを感じるあまたの人間たちがこの世から無くならない以上、きっとこれからもずっと存続し続けるのだろう。

テレビはいつまで続くのだろう。かつて昭和の時代に、家族がお茶の間でちゃぶ台を囲んで揃ってご飯を食べ、その隣にテレビがあったあの頃が、きっとテレビの黄金期だったのではないか。

お茶の間というのは、もはや死語に違いない。
家族団らんは疎遠となり、塾に、習い事に忙しく、丸いちゃぶ台など知らない世代の子供たちが、親兄弟ではなくゲーム機やスマホに向かって話しかけ、一人わびしく孤食をするこの時代に、テレビの役目とは一体何なのだろう?

「相棒」の甲斐亨役でおなじみの、そして九子が密かに見ていた不倫ドラマ「不機嫌な果実たち」でも色男を好演した成宮寛貴が、自らの意思で芸能界を去るのだという。

いや、「フライデー」の威力は大したものだ。今回はお得意の隠し撮りではなく、売り込んで来た人間が居るようだ。
確かにあの写真は本人によく似ていた。本人が逃れられないと思ったのもわかる。

それでもプロダクションとしてはそうではないと否定するだろう。金の力で、法の目をかいくぐって、成宮寛貴という商品を守る術はいくらでもあったはずだ。

ところが今回成宮くんは、あの年代にしては達筆な走り書きで、万感の思いを綴ったであろう書置き一枚を残し、誰にも言わずに何処へか姿を消してしまった。

後に残ったのは、この一件が無かったらきっと表沙汰にはならなかったであろう彼の性癖と、コカイン疑惑、そして母子家庭で育ち、14歳で母と死別した後、6才下の弟を大学に出すため、自分は中卒で身を粉にして働いたという思いがけない生い立ちだった。

この生い立ちには泣かされた。こんな豊かな時代に、しかも美しい顔立ちに生まれついた幸運な青年が、その美貌を生かして芸能界の頂点にたどり着いた俳優が、そんな不遇な青春時代を送り、自分の果たせなかった夢を弟に託して弟を大学に進ませるために脇目もふらずに働いていただなんて・・。

いじめも受けていたという彼。その彼をたまたま癒してくれたのが、ゲイが集まる新宿歌舞伎町だったと言う。
肉体労働に明け暮れる毎日に堪え切れず、ふっと魔が差したように都会へ出た時、住み込みで雇ってくれたのが新宿二丁目のお店だったそうだ。
美少年がいると評判になり、宮本亜門に紹介されて、それが彼の俳優としての出発点にもなった。

成宮くんは薬物疑惑に関してはほぼ何も答えていない。ただただ「絶対知られたくないセクシャりティーの部分」が暴露されてしまったから、もう堪えられそうにないと言うばかりだ。
「絶対知られたくないセクシャりティーの部分」とは、誰が考えても「同性愛」という答えに容易にたどりつく。
新宿2丁目で働いていた過去が影響したのかはわからない。だけどそれが、そこまでして隠したいものなのだろうか。

ただ、もしかしたらと思い当たる節が無いでもない。
テレビで見るゲイの人達の特殊さだ。

ゲイと言うより、オネエと言うのだろうか。
異常にテンションが高くて、見ているだけでこちらのエネルギーを吸い取られそうな気がする。
彼らは元々男性なのだから、生まれつき大きなエネルギーを持っている。そのエネルギーで一秒でも長く画面に映るように、しゃべりが視聴者に届くように、けたたましく騒ぎ立てる。
九子は彼らが嫌いと言ってる訳じゃない。言ってること面白いし、ついつい見てしまう。だけど違和感があるのだ。
なぜかオネエタレントと言われる人々は、判で押したようにこういうタイプの人たちだ。

九子が一番気になるのはその言葉づかい。
「ねえ、アンタさあ」が彼らの決まり文句だが、決して聞いていて心地よい言葉ではない。
そもそも「アンタ」って、女性が公で普通に使う?
「アンタ」を使うのは、相手を見下してる時だけじゃない?

新宿2丁目のゲイの人たちは、昔からみんなこんな言葉遣いだったのだろうか?
オネエタレントたちはそれを踏襲しているだけなのだろうか?

考えてみるとゲイという言葉は、英語のgay(陽気な)から来ているという。
そう思えば、彼らのハイテンションもわかる気もする。

とにかくゲイ=オネエという受け止められ方が出来てしまっているとしたら、彼らと一緒にされたくないという思いはわかる気がする。
佐藤かよさんだっけ?ああいう可愛らしい女の子がステレオタイプとして広く受け止められていたならば、もっと普通のゲイたちがゲイ代表としてテレビに出ていたら、もしかしたら成宮くんもそんなに秘密にして抱え込まなくてもよかったかもしれないのに・・・。

役者成宮寛貴に多大な影響を与えたとされる演出家蜷川幸雄氏が、成宮くんのことをこう評していると言う。

「毒と華は紙一重、それが同居している役者。」

また、『蜷川幸雄の稽古場から』(ポプラ社)に、蜷川から成宮への言葉も掲載されている。

『若いときに苦労してきた子だから、他の俳優にはないような、ある種のいかがわしい匂いをつけて出てきたんだよね。それを清算しようとして、ちょっとスクエアな俳優になろうとしているのかな。それがうまくいっている作品もあるんだけど、ほかにはいない、異色の俳優のままでいいじゃないってぼくは思うわけ。「成宮、軌道修正しなくていいよ」って。(中略)「たとえばアラン・ドロンみたいに、複雑な影のある役者になればいいじゃないか。あるいは歌舞伎の色悪のような。せっかくのその匂いを、成宮、消さなくてもいいんじゃないの」って、俺は思うわけ。それは成宮に対する最大の助言だね。この国の芸能界で長生きするには、必要なことなのかもしれないけど、「成宮、お前、せっかく持っているものなのにもったいないな」ってね』


成宮くん、今どこにいるの?
あれだけの艱難辛苦をくぐり抜けてきた人なのだから、よもや命を粗末にするなんてはずは無いと思うけど・・・。
ゆっくり休んで、じっくり考えて、いつかまた日本の芸能界に戻って来てください!

 

★ブログ「ママ、時々うつ。坐禅でしあわせ」 頑張って更新中です。是非お読みくださあ~い。(^-^)


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韓国がノーベル賞を取れない理由?? [<九子の万華鏡>]

そろそろノーベル賞の授賞式が始まるらしい。
今年も大隅教授が受賞されて、このところ

日本人は鼻高々だ。

毎年ノーベル賞の時期になるとお隣韓国ではこんな話題で盛り上がり、ブログが炎上したりもするのだそうだ。
日本はこんなにたくさんのノーベル賞を取ったのに、なぜ韓国は取れないのか?という書き込みである。
常に日本のノーベル賞受賞を意識し自国が取れないことに悩む韓国人の症状をノーベル症」と呼ぶこともあるのだとか

人の事なんてどうでもいいでしょ?!!と思いながらついついメルマガのタイトルをクリックしてしまう九子。(^^;;
書いているのは黄文雄氏。台湾生まれで日本に帰化された方だ。

 


私の持論...と但し書きをつけて書かれていることはつまり、こういう事だった。


日本語は中国から入った漢字だけではなく、自らひらがな・カタカナを創出した。表意文字である漢字と表音文字である仮名を組み合わせることで、複雑な思考や感情をきわめて的確に表現することができるようになった。外来語についてもカタカナでその音をそのまま表記できる。



表音文字と表意文字をあわせて使用するということは、きわめて複雑な言語体系である。
そのような複雑な言語を通してでしか、海外、とくに欧米の最新科学や哲学を理解し、さらにそれを和製漢語として翻訳することはできなかったのだ。

日本に留学した魯迅は、日本語による読み下し文によって、それまで漢文では理解できなかった四書五経の内容をようやく理解できたそうだ。
明治維新後、欧米の科学や哲学を学んだ日本は、その概念をうまく日本語に翻訳し和製漢語を作り出した科学、哲学、文化、物理、化学、原子、臣下、改革、進歩、共産主義……などは日本人が作り出した言葉だ。現在の中国語における熟語の7割はこうした和製漢語であり、これがないと中国語は成り立たないとも言われている。「中華人民共和国」という国名自体、「人民」も「共和国」も和製漢語だ。

中国語・漢語だけでは、近代を理解するための概念を説明、表現することができなかったわけだ。

日韓合邦時代、日本は朝鮮半島にハングルを広めた。それまで朝鮮の両班(貴族階級)たちは宗主国の文字である漢字を尊び、ハングルは愚民が使うものだとして侮蔑していたため、ハングルはほとんど使われなくなっていたが、日本は国民教育の観点からハングル(諺文)の普及を目指し、漢文との併用を推奨した。ハングルは基本的に表音文字だから、いわば日本のように漢字と仮名を組み合わせるようなものだった
ところが戦後、韓国では民族意識の高まりから、漢字を追放し、ハングルだけを使用する動きが強まった。1948年にはハングル専用法が制定されて公文書はハングルのみに限定され、朴正熙政権では学校教育から漢字が追放されるようになった。


韓国が日本統治時代に日本が行った漢字導入を嫌い、いわばひらがなだけのハングル文字のみ採用した結果、表現が単純になってしまった。

やはり言語的な影響が強いのだと思います。(要約)




へえ~、中国で使われる熟語の7割が日本人が作った和製漢語だなんて、ビックリだ!
当たり前に使っている日本語がそんなに複雑な言語であることも、ましてやノーベル賞を取るだけの学力を維持するために必要であったとも思えないのだけれど、まあ、直接の原因かどうかはさておき、間接的には影響があったのかもしれないと思わせる。

でも反面、欠点もある。思い出したのは、日本人が英語が出来ない訳。
アジア諸国では自国の言葉ではどうしても表現出来ない言葉があまりにも多いがために、英語のテキストを導入し、小さい頃から学校で英語に馴染むが故に、英語が出来るようになるという。

日本語でなんでも表現できるせいで、英語を導入する必要が無く、結果日本人の英語は何年やっても上達しない。

必要とされないことは廃れていくという良い例が、日本の着物文化だろう。
日本女性は着物を着なくなり、「始末する」という言葉も日常から遠くなり、その結果、器用さも、握力も、家事力もすべてなくしたのではないか?

実は九子が密かに尊敬する女性が居る。
80歳になろうとするご年齢でありながら、いつもきちんとおしゃれをされ、家事全般をすべてこなされ、長い間ずっと一人で家を完璧に守っていらっしゃった。
その女性が手を差し出されて握手してくださるというので握手してみて驚いた。病後でいらっしゃるというのに、なんという強い握力!!

完璧に九子の負けだった。

彼女は和服を着られる。それだ!と思った。
毎日の家事もさることながら、昔の女性は良く手足を使った。
着付け教室で習ってもうまく出来ない着物の着付けを、女性たちは毎日のくり返しでいつの間にか覚え、楽々と着物を着こなしていた。
絹で厚く織られた帯を締めるのに強い力が必要なのは、着付けをしてくれる美容師さんが息を切らし、額に汗を浮かべて締めているのでもよくわかる。

昔の女性が誰でも当たり前に出来ていたあれやこれやを、私たちは機械にまかせ、人にまかせ、ややこしいことは忌み嫌い、楽に流れた。
特に毎日の家事をおろそかにしている九子の握力は、毎日をきちんと生きて来られた美しい目上のご婦人にあっさりと負けてしまった。

ところでみなさまは着物を畳んだことがおありだろうか?
九子もさすがに着るのは出来ないが、畳むだけならなんとか出来る。

着物をたたみながら、これはまさに日本文化だと思った。
西洋人なら、ひたすら左右対称に畳むのだと思う。
だが着物は違う。

西洋人の畳み方は、まさに温泉の寝巻きのゆかたのたたみ方なんじゃないかな?
内側から袖に腕を通してぱたんと身体の前で合わせ、そのまま腕を抜いて袖を同じ方向にたたみ、上から三回くらい折る。
子供でも出来る一番簡単な着物の畳み方だ。
これだと着物を畳に置くことなくすらすらと畳める。

ところが本式の畳み方は違う。
 

必ず着物を畳の上に置く。

ここで言われているところの2番目と3番目がひどく不思議な気がする。
2番は襟と襟とを合わせていて、しかもそれは真ん中に来ない。

三番はもっと不思議で、半分に折るという常識を覆して、合わさっていないものを無理やり合わせている感じがする。
だけど最後はきれいな縫い目どおりの畳み方になる。

もちろんこれは、着物を裁って、縫った昔の日本人が考えたしまい方なのだろうが、さぞかし賢い人だったのだろうと思う。
幾何学なんてものを超越して、頭の中で空間を理解していたのかもしれない。

着物は織るのも、染めるのも、それから帯を結うのも、物凄い技術の塊だ。
着物に限らず袴だって、それはそれは凄い。

M氏は善光寺の用事や祭のために、一年に一二度袴をつける。
器用なM氏は何でも自分でやってしまい、九子の出番は帯の後ろに三味線のバチみたいな形をしたヘラを差し込むだけだが、
帯の細い紐がM氏のいい頃加減につき出たお腹の上できれいに十文字を描くように結ばれるのを見ると、いつもああ、いいなあと思う。
(M氏じゃなくて、袴が・・・。(^^;;)

着物文化をこのまま廃れるままにしてしまうのは本当に切ない。
歩くたびに伝わる絹磨れの音。紐を縛る時、帯を結う時の緊張感。そして、絹の匂いとナフタリンの匂いが混ざり合ったような懐かしい香り。
着物とはほとんど無縁に過ごして来た九子だって、いや、だからこそ、娘の時代にも母が残してくれた手を通したことも無い着物たちが、立派に生き延びてくれることを願っている。


必要としないものは廃れる。
ノーベル賞の話も、着物の話も、そんなことを持ち出さなくたって、九子はちゃんと知っていた。

出来すぎ母に何でもやってもらって育った一人っ子の九子の手、そして足。
母が全部してくれるから、自分では何もしなくていい。する必要が無い。

友達も居ず、外遊びも大嫌いだったから、疲れるほど歩きまわったり、汗が出るほど走ったりの経験はごくわずか。
そうして物心付く頃には、友達よりも動かすのが遅く、不器用で、思い通りに動かない手と、すぐに疲れる足になっていた事を・・。

あああ、この際、日本の着物文化をどうこうするなんて壮大なことはどうでもいいから、九子のこの怠け切った手足と、疲れきった頭を一瞬のうちになんとかして欲しい!!!

えっ?それが出来たらノーベル賞ものだって?
おあとがよろしいようで・・。(^^;;

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